3
教育シリーズ:Dermatomycosis KOH 直接鏡検 済生会横浜市東部病院皮膚科 はじめに KOH 直接鏡検は表在性皮膚真菌症ならびに深在性皮 膚真菌症の一部にとっても欠かせない大切な検査法であ る.この検査の結果によって診断がまったく違ったもの となることからも,その診断能力がいかに重要な技術で あるかが理解できる.本誌をご購読の諸先生方におかれ ては何を今さらという感をお持ちであろうが,特に若い 皮膚科医にとって,今さら他人に聞きづらい本検査のノ ウハウについて解説を試みる. 検体採取の方法 検体を採取する際に心がけることは,①できる限り多 くの検体を採取する②なるべく真菌要素が豊富で確実に 存在すると思われる部位から採取する③同一部位でも異 なる部位から採取する④異なる部位に病変が存在する場 合にはそれぞれの部位から採取する⑤広範囲に病変が存 在する場合には外用剤の影響を受けていないような部位 から採取する などがあげられる 1) .日常診療において,数か所採取し た検体を観察して最後の検体からやっと真菌要素が確認 できた時に,数か所取っておいてよかったという安堵と ともに,一つ間違えば誤診していたかとヒヤリとするこ とをよく実感する.そして②のなるべく真菌要素が豊富 で確実に存在すると思われる部位を選ぶには,それなり の臨床経験を要する.その要点を白癬症に関してあげる と,①趾間型の足白癬の場合などに糜爛・浸軟している 部位からは真菌要素の検出は困難なことが多い②完全に 白く剥脱している部位よりも剥離しかけている部分を, 一見正常にみえる角層部分を含めて採取する③小水疱型 の足白癬の場合では小水疱の被蓋角層中には菌が多数み られることが多い.といったことがあげられる 1) また,爪から検体を採取する場合にはさらに①菌は爪 甲下角質に多く存在する②なるべく奥の方の下層から採 取する③ superficial onychomycosis やカンジダ性爪 炎では表層に菌が多い,といった臨床的な知識をもって あたる必要がある 1) 採取するにあたって特に小児の場合に鑷子を持って近 づくと怖がって号泣し,動いて上手く採取できない場合 がある.そんな時にはセロハンテープを用いて採取する と上手くいくことが多い.セロハンテープは小児の場合 に限らず,鱗屑の少ない股部白癬からの検体採取にも有 効である 2) 採取した検体をスライドグラスに置き,KOH 液もし くはズーム液 ® (KOH に DMSO を配合したもの)を数 滴垂らしてカバーグラスをのせる.カバーグラスから溢 れた余剰な KOH 液は結晶化すると観察時に見難くなる ので,濾紙などで除いておくとよい.KOH 液の場合, 恒温器(60∼80℃)などで数分温めた方が角質も十分溶 解して真菌検出が容易になる.ズーム液の場合は温めな くても検出が容易であると謳っているが,温めて悪いも のではない.なお,頭部白癬などで真菌の毛に対する寄 生形態を観察する場合には,温めると毛の構造が破壊さ れ寄生形態観察が不可能となるため,温めずに観察する ことが必要である.なお,毛への寄生形態,爪の観察, 癜風の検査では KOH 液もしくはズーム液 ® でも観察可 能であるがパーカー KOH(現在のパーカーインクのブ ルーブラック液では染色がよくない)やズームブルー ® クロラゾール・ブラック E 染色で観察するとより観察し やすくなる 3) .また,脂漏性皮膚炎におけるマラセチア を見たい場合には,KOH 液もしくはズーム液では不可 能で,同様にパーカー KOH やズームブルー ® ,クロラ ゾール・ブラック E 染色,酸性メチレンブルー染色など による検体処理が必要であり,通常よりも長時間の染色 を要する 4) 顕微鏡の見方 まずは顕微鏡に向かって姿勢よく座って検体を観察し てほしい.ときどき若い皮膚科医師が立ったまま片手で 顕微鏡を覗いている姿を目にするが,後述するように顕 微鏡の操作はピント合わせ,絞りならびに光量の調整, ステージの移動といった両手による操作が基本である. 是非椅子の高さを調節して見やすい位置で座って観察し てもらいたい.最初に顕微鏡の電源を入れたのち,標本 を顕微鏡のステージに乗せるのであるが,この時に低倍 率の対物レンズがセットされていることを確認する.高 倍率の対物レンズがセットされた状態でスライドガラス 7 Med. Mycol. J. Vol. 54, 7 − 9, 2013 ISSN 2185 − 6486

KOH 直接鏡検 - J-STAGE

  • Upload
    others

  • View
    6

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

教育シリーズ:Dermatomycosis

KOH直接鏡検

畑 康 樹

済生会横浜市東部病院皮膚科

はじめに

KOH 直接鏡検は表在性皮膚真菌症ならびに深在性皮

膚真菌症の一部にとっても欠かせない大切な検査法であ

る.この検査の結果によって診断がまったく違ったもの

となることからも,その診断能力がいかに重要な技術で

あるかが理解できる.本誌をご購読の諸先生方におかれ

ては何を今さらという感をお持ちであろうが,特に若い

皮膚科医にとって,今さら他人に聞きづらい本検査のノ

ウハウについて解説を試みる.

検体採取の方法

検体を採取する際に心がけることは,①できる限り多

くの検体を採取する②なるべく真菌要素が豊富で確実に

存在すると思われる部位から採取する③同一部位でも異

なる部位から採取する④異なる部位に病変が存在する場

合にはそれぞれの部位から採取する⑤広範囲に病変が存

在する場合には外用剤の影響を受けていないような部位

から採取する

などがあげられる1).日常診療において,数か所採取し

た検体を観察して最後の検体からやっと真菌要素が確認

できた時に,数か所取っておいてよかったという安堵と

ともに,一つ間違えば誤診していたかとヒヤリとするこ

とをよく実感する.そして②のなるべく真菌要素が豊富

で確実に存在すると思われる部位を選ぶには,それなり

の臨床経験を要する.その要点を白癬症に関してあげる

と,①趾間型の足白癬の場合などに糜爛・浸軟している

部位からは真菌要素の検出は困難なことが多い②完全に

白く剥脱している部位よりも剥離しかけている部分を,

一見正常にみえる角層部分を含めて採取する③小水疱型

の足白癬の場合では小水疱の被蓋角層中には菌が多数み

られることが多い.といったことがあげられる1).

また,爪から検体を採取する場合にはさらに①菌は爪

甲下角質に多く存在する②なるべく奥の方の下層から採

取する③ superficial onychomycosis やカンジダ性爪

炎では表層に菌が多い,といった臨床的な知識をもって

あたる必要がある1).

採取するにあたって特に小児の場合に鑷子を持って近

づくと怖がって号泣し,動いて上手く採取できない場合

がある.そんな時にはセロハンテープを用いて採取する

と上手くいくことが多い.セロハンテープは小児の場合

に限らず,鱗屑の少ない股部白癬からの検体採取にも有

効である2).

採取した検体をスライドグラスに置き,KOH液もし

くはズーム液®(KOH に DMSOを配合したもの)を数

滴垂らしてカバーグラスをのせる.カバーグラスから溢

れた余剰な KOH液は結晶化すると観察時に見難くなる

ので,濾紙などで除いておくとよい.KOH 液の場合,

恒温器(60∼80℃)などで数分温めた方が角質も十分溶

解して真菌検出が容易になる.ズーム液の場合は温めな

くても検出が容易であると謳っているが,温めて悪いも

のではない.なお,頭部白癬などで真菌の毛に対する寄

生形態を観察する場合には,温めると毛の構造が破壊さ

れ寄生形態観察が不可能となるため,温めずに観察する

ことが必要である.なお,毛への寄生形態,爪の観察,

癜風の検査では KOH液もしくはズーム液®でも観察可

能であるがパーカー KOH(現在のパーカーインクのブ

ルーブラック液では染色がよくない)やズームブルー®,

クロラゾール・ブラック E染色で観察するとより観察し

やすくなる3).また,脂漏性皮膚炎におけるマラセチア

を見たい場合には,KOH液もしくはズーム液では不可

能で,同様にパーカー KOH やズームブルー®,クロラ

ゾール・ブラック E染色,酸性メチレンブルー染色など

による検体処理が必要であり,通常よりも長時間の染色

を要する4).

顕微鏡の見方

まずは顕微鏡に向かって姿勢よく座って検体を観察し

てほしい.ときどき若い皮膚科医師が立ったまま片手で

顕微鏡を覗いている姿を目にするが,後述するように顕

微鏡の操作はピント合わせ,絞りならびに光量の調整,

ステージの移動といった両手による操作が基本である.

是非椅子の高さを調節して見やすい位置で座って観察し

てもらいたい.最初に顕微鏡の電源を入れたのち,標本

を顕微鏡のステージに乗せるのであるが,この時に低倍

率の対物レンズがセットされていることを確認する.高

倍率の対物レンズがセットされた状態でスライドガラス

Med. Mycol. J. Vol. 54(No. 1), 2013 7Med. Mycol. J.Vol. 54, 7 − 9, 2013ISSN 2185 − 6486

を乗せると,対物レンズにスライドグラスが触れて,検

体が見づらくなる,もしくは高価な対物レンズに KOH

液が付着して汚れる,あるいは傷を作ってしまうという

恐れもあるので注意が必要である.

検体を観察するにあたっては最初に低倍率で視野全体

のピントを大まかに合わせ,接眼レンズが装着されてい

る双眼の調節並びに左右の視度調節環を回して接眼レン

ズを眼の状態に合わせて調整する.検体が見えたら低倍

率ではコンデンサを下げ,開口絞り環を絞ってみるとコ

ントラストがついて真菌要素はやや光って見え,鑑別し

やすくなる.真菌要素であろうと疑った部位を中心に移

動させ,ここで対物レンズを動かして高倍率に上げる.

この時,対物レンズを持って回すのではなく,レボルバ

部分を回して観察したい倍率の対物レンズに切り換え

る.これは対物レンズを持って動かすと徐々に固定して

ある部位が緩み,微妙なピントがずれる可能性があり,

最悪の場合,対物レンズが外れて検体を乗せたスライド

グラス,もしくは対物レンズそのものが破損する恐れが

あるので注意を要する.こうして高倍率で観察すると,

低倍率で観察していた同じコンデンサの位置,開口絞り

環の状態では暗くて,十分な観察ができないことに気づ

くはずである.したがって,コンデンサの位置を上げ,

開口絞り環をやや開いて十分な光量を得たうえで観察す

ると,低倍率で疑ったものが真菌要素であるかどうかを

確認できる.白癬菌の場合,分岐性で隔壁のある糸状構

造体として観察され,時にこれら菌糸がフラグメント化

して円形ないしは樽形の分節胞子となっているものも観

察される(Fig. 1).なお,爪からの検体の場合には角質

の溶解には時間を要し,真菌要素はほかに比べて少なく,

菌糸も弱々しく見えることが多いので,さらなる注意深

い観察が必要になる(Fig. 2).

カンジダの場合には多数の胞子集団と少数の仮性菌糸

が認められる(Fig. 3).典型的なものは白癬菌とカンジ

ダの区別は容易であるが,紛らわしいものも多く,KOH

直接鏡検のみで両者を鑑別するのは困難なことも多い.

癜風からのマラセチアの場合には円形,楕円形,発芽性

の桑実状胞子集団と短い菌糸が多数みられ,一見スパゲ

ティ・ミートボール状を呈する(Fig. 4).これらの所見

は先述したパーカー KOH やズームブルー®などで染色

した方が観察しやすい(Fig. 5).

さて,脂漏性皮膚炎におけるマラセチアの観察の場合

には以上述べてきた顕微鏡の見方では観察しにくく,弱

拡大で観察するときからコンデンサを上げ,開口絞り環

をやや開いた状態で観察すると見つけやすくなる.

真菌要素と見間違いやすい所見

慣れないうちに真菌要素として見間違いやすいものと

しては動植物繊維類,真皮乳頭層まで採取した場合に混

じる弾性線維,KOH の結晶,角質の細胞界壁ならびに

菌様モザイクがあげられる.動植物繊維類の場合には,

一般に菌糸よりも太く,隔壁,分岐はなく,ツイストし

Medical Mycology Journal 第 54 巻 第 1号 平成 25 年8

Fig. 1.白癬菌のKOH直接鏡検所見 Fig. 2.爪白癬におけるKOH直接鏡検所見

Fig. 3.皮膚カンジダ症のKOH直接鏡検所見 Fig. 4.癜風のKOH直接鏡検所見

たり,ループを形成していることが多い(Fig. 6).真皮

内の弾性線維は分岐がなく,とぐろ状を呈する繊細な線

維として認められる.角質が十分に溶解しきれていない

場合に鑑別が困難になりがちであり,標本のカバーグラ

スを先の鋭利なもので軽く圧締することで鑑別が容易に

なることがある.菌様モザイクの特徴は,角層細胞を取

り囲むように配列し,大きさも,太さも不同で,白癬菌

の細胞壁と比べると壁が薄い(Fig. 7).人工産物の一つ

と考えられている.真菌要素とこれらの真菌ではないも

のとの区別をつけられるように十分な経験を積む必要が

ある.

おわりに

顕微鏡の見方で記載した内容の多くは KOH直接鏡検

のみならず,顕微鏡の構造・性質にかかわるものであり,

病理標本を見る際にも必要である.今一度顕微鏡の取り

扱い説明書やこれまでの解説書など5, 6)で整理するとよ

いと思われる.

皮膚科を標榜するも皮膚科に関する教育を十分受けず

に開業する皮膚科専門医以外の医師により,KOH 鏡検

をせずに白癬症と診断を受け,抗真菌剤外用のみならず

内服を処方され肝機能障害に至った患者がいることは不

幸なことであり,あってはならないことである.さらに

近年,皮膚科領域においても真菌研究に従事する人材が

減少しており,大学機関においても残念なことながら真

菌に関する教育が十分なされていない施設が存在すると

伝え聞く.しかしながら皮膚科外来診療において真菌関

連疾患はおよそ十分の一を占めており,以上述べてきた

KOH 直接鏡検は真菌を専門にしていなくても皮膚科医

にとっては必要不可欠な技術であり,十分に習得するこ

とが必須であることを強調したい.

文 献

1)渡辺晋一,望月 隆,五十樓健,加藤卓郎,清 佳浩,武

藤正彦,仲 弥,西本勝太郎,比留間政太郎,松田哲

男:皮膚真菌症診断・治療ガイドライン.日皮会誌 119:

851-862, 2009.

2)藤広満智子:皮膚科診療最前線シリーズ.水虫最前線

(渡辺晋一,宮地良樹編).pp.88-89. メジカルレビュー

社, 東京, 2007.

3)原田敬之:爪白癬.真菌誌 52: 77-95, 2011.

4)清 佳浩:マラセチア感染症.真菌誌 53: 7-11, 2012.

5)清 佳浩:皮膚真菌症診療に適した皮膚科外来.MB

Derma 179: 7-10, 2011.

6)望月 隆:真菌検査.皮膚感染症のすべて(渡辺晋一編),

pp42-46, 南江堂, 東京, 2009.

Med. Mycol. J. Vol. 54(No. 1), 2013 9

Fig. 5.癜風のパーカー KOH直接鏡検所見 Fig. 6.繊維類

Fig. 7.菌様モザイク