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津波と被害 1946年アリューシャン津波高さ 30m
制作:首藤伸夫
その朝、灯台は見当たらない。
高さ18mの灯台は海面上10mの地盤に立っていた。
津波は高さ30m。
2
太平洋を広がる1946年アリューシャン津波
平均水深4.2kmの太平洋も、波長数100kmの津波にとっては、極めて浅い水溜りでしかない。
そして津波はハワイに到達
児童が異変を認め警告したが、大人は聞き入れなかった。1946年4月1日の出来事。
(NOAA, NG Data Center)
(NOAA, NG Data Center)
3
逃げ遅れのため、悲劇が発生。ハワイでの死者159名
ヒロ港で呑み込まれる直前の作業員
(NOAA, NG Data Center)
浅海津波の3つの基本形態
沖の津波は速い潮汐
速い潮汐
前面より平均水位が
上昇して段が付く。
水深200mより深い場所
4
砕波段波型津波
1946年アリューシャン津波
十三湖の1983年日本海中部地震津波
風波は砕波後に低くなるが・・・
撮影:奈良典昭
海で発達中の波状段波
男鹿沖の日本海中部地震津波
先端部に風波並みの短周期波が発生・発達する。
撮影:関 寅三
5
波状段波は川で発達する
北上川に入った1960年チリ津波は内海橋に船舶を激突させた
(仙台管区気象台、昭和36年)
北上川で成長する波状段波1960年チリ津波
第一波
第二波
第三波
(河北新報社)
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分散波となった第一波と砕波段波の第二波1983年日本海中部地震津波(秋田県若美町沿
岸)
第二波
第一波反射波
(撮影:大場直利)
砕波段波と波状段波の共存
(陸上自衛隊ヘリコプターより撮影)
砕波段波
波状段波
十勝川内の2003年十勝沖地震津波
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津波・津波エネルギーの速度
速度=(水深×10)1/2
深い所で速く、浅い所で遅い。
浅いほうへと曲がりこむ屈折
沖の地形で曲げられ、峰浜村へ集中した日本海中部地震津波
(Shuto et al., 1986)
8
男鹿では2波。
能代沖では少なくとも7波。
男鹿半島で反射後、また浅い岸
方向へと屈折して舞い戻る。
屈折のため岸に捕捉された日本海中部地震津波
(港湾技研資料 No.470, 1983)
浅水効果
浅い所へ到達して遅くなった先端に、深い所で早い後端が追付いてくる。
こうして津波は背が伸びる。。
9
集中効果綾里湾
白浜
湊
松尾春雄(昭和8年)
広い湾口から入った津波が、狭く浅い湾奥に押込まれて背が高くなる。更に勢いがついて、高い場所まで駆け上がる。
この典型例が綾里湾白浜で、明治の津波は38m、昭和の津波は28mまで駆け上がった。
共鳴効果:ブランコを揺するように
固有振動を調べる方法容器に入った水は僅かな衝撃で揺れる。
左はそれを調べる方法である。上図のように右端を支えて置いた入れ物の支持を急にはずす。容器が落ちると水面は中図のように傾く。水は高いほうから低い方へと流れ、下図のようになり、次いで揺れ戻す。
この容器の中では、半波長の波が一番発生しやすい。
湾内では1/4波長の波が一番発生しやすい。
長い湾ではゆったりと、短い湾では早くゆれる。
湾の固有振動周期に近い周期の津波が来ると、共鳴効果で湾奥の津波が大きくなる。長い遠地津波では長い湾が、短い近地津波では短い湾が不利になる。
10
綾里湊と白浜の峠で明治の津浪が出会った。
水合:38.2m
松尾春雄(昭和8年)
明治津波直後の岩手県綾里湊
風俗画報
撮影:伊木常誠
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綾里 明治津波伝承碑
海の彼方からも津波は来る遠地津波・・1960年チリ津波
12
地震から決められた1960年チリ津波初期波形
波高10m弱。日本へ向かう方向で波長700kmと、近地津波に比べて極めて長い。
太平洋で発生しうる最大規模の津波と思われている。
1960年5月 南米で発生し太平洋全域に影響したチリ津波
(
大林組技術研究所・東北大学災害制御研究センター)
北極からどの方向に出発しても、行き着く先は南極である。
チリで発生し、一旦太平洋に広がっても、結局は対極に位置する日本へと集中した。
波長が700kmと長いので、走行距離が1万7千kmあったとしても、僅か22回ほども上下すれば、エネルギーも減衰せずに日本に到達。
ハワイに迫りつつあるチリ津波
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チリ津波日本到達
死者:142名罹災者:160,000名被害額:350億円(国家予算の2.2%)
主として共鳴効果のため、長い湾の湾奥で大被害となった。
22時間後の状況。
カムッチャカから沖縄まで5~6mの津波高。
周期40分~2時間。
(大林組技術研究所・東北大学災害制御研究センター)
チリ・計算と実測の比較
(高岡など:平成13年)
周期の長い津波の再現精度は良い。
1960年チリ津波計算値(実線)と実測値(点線) は非常に良く一致する。
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浜に居て,立つのが難しい揺れを感じたら,20m以上の高い所へ
(この法則は90%しか正しくな
い)
小さい揺れでも津波が極端に大きい場合がある(津波地震).
近地津波に対する米国NOAA津波避難教育パンフレット
強い地震の後には津波がくる.
地震マグニチュードと津波マグニチュード
地震の割には津波の大きい津波地震
死者2万2千人の明治三陸大津波は津波地震
地震 M
津波
m
津波の大きさは断層運動の結果である海底地盤鉛直変位の大きさで決まる。
地震のMとは関係の無い大きな津波もある。
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震度の弱い明治三陸大津波
1896年6月15日(旧暦5月5日)夜8時頃、襲来した。
沿岸では震度2以下。
大森(1901)
風俗画報 119号(渡辺偉夫、1988)
経験の災い
岩手公報
明治二十九年六月三十日
風俗画報
下巻
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津波が来る直前の海の異常
津波は引きで始まると思っている人が多いが・・・・
押しで始まった津波.漁港内は静穏.漁港外も渦一つを除いて静か.
突然,海面が上昇.防波堤を越える津波.
1983年日本海中部地震津波畠漁港
撮影:佐々木文雄
峠を越えた津波第1波
船越湾
山田湾
太平洋
小谷鳥
大浦
1611年慶長津波
大浦への第1波は峠を越えた山からの津波。
次いで、半島を回り込み、北側の山田湾から襲来。
(今村明恒、昭和9年)
地形、波源位置、津波の大きさによっては、海ばかりを注意していたのでは不十分である。
大浦への第2波
大浦
大浦への第1波
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異様な海鳴りー1嘉永七年甲寅十一月四日・・・忽ち大地震が襲来・・・・その時海鳴りがして来たのを聞いて人々の不安と恐怖はいよいよ極度に達し・・・ (相良町大沢寺文書)
高さ 2.5m以上の砕波段波が出す連続音
嵐が近づいて来る。大型のダンプカーが沢山やって来る。
地震海鳴りほら津浪
青森県の碑
米代川の日本海中部地震津波
(撮影:佐藤 潔)
異様な海鳴りー2高さ5m以上の段波が崖に衝突すると大音響発生。
遠雷、発破、砲声。かなり遠くまで聞こえる。
(尾形月耕、海嘯義捐小説)
(Shuto, 1997)
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激震の後に襲来した昭和三陸大津波
昭和8年3月3日の午前3時頃襲来
三陸沿岸で震度5
(渡辺偉夫、1988)
昭和三陸津波直後の綾里白浜
明治津波よりも10mは小さく、綾里湊からの津波とは出会わなかった。
直径約30cmの樹木折損。
水合
(地震研究所彙報、別冊第1号)
綾里湊
綾里白浜
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痕跡調査の結果昭和三陸津波の宮古湾鍬ケ崎
地震研究所彙報、別冊、第1号、昭和9年
3~4mと誰でも思うが・・・
実は・・・7m、8mにもなっていた。
宮古・鍬ヶ埼での昭和三陸津波の詳細。
7.2m6.1m4.5m4.0m
500m(土木試験所報告、第24号、昭和8年)
100mも離れると高さが3m違う事も珍しくない。
勢い良く走り込む海水の衝突により、こうした差が生ずる。
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1993年奥尻港内での津波痕跡値50m離れると2m違うこともある。
4.0m2.0m
2.1m
3.4m
3.7m 5.7m(北海道地震対策検討委員会資料、平成7年)
激しい流速で建物に衝突して水位が上昇、道路通過する部分との差が新しい波となる。
(ユニック作成)
衝突により生じた波。
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同じ場所でも、左図では5.1m、右図では7.8m。
東京大学地震研究所
内務省土木試験所
こうした事も生ずるから、データの精度には気をつけなくてはならない。
大船渡湾での
昭和津波測定値
過去の例による津波災害の種類
• 人命被害• 家屋被害 津波・漂流物が原因
• 防災構造物被害 洗掘による破壊、変位
• 交通障害 鉄道、道路、港湾
• 生活線被害 水道、電力、通信、下水道
• 水産業被害 養殖筏、漁船
• 商工業被害 浸水による商品価値喪。
• 農業被害 作物、耕地、用水路
• 森林被害 物理的・生理的被害
• 火事 火元:炊事・漏電など
• 石油流出 火事拡大原因、環境汚染
• 地形変形 砂州・浅瀬・砂浜等の変形(首藤伸夫、1994)
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津波強度と津波形態、被害程度
(首藤伸夫、平成4年、平成5年)
人的被害 明治三陸大津波
1896年6月15日(旧暦端午の節句)夜 8時頃発生典型的な津波地震避難行動 皆無
(山本松谷、風俗画報、明治29年)
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避難行動皆無で、流失家屋数と死者数が比例した明治三陸津波
明治三陸大津波
昭和三陸大津波
首藤伸夫(昭和62年)
遺体の処置
釜石では筵さえ不足。
広田では、1度では多すぎ2度に分けて回収
(風俗画報)
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人命を救う最良で
最後の手段早期避難
死亡率下限
死亡率上限
津波高
死亡率
同じ津波高でも死亡率は3桁も異なる。
早期避難の有無がこの差を生む。
(河田恵昭、1997)
1960年チリ津波。写真は、宮城県女川町。足元まで迫る津波を見ながらも逃げおおせた。
津波を見ながら避難出来るか
(国土地理院、1961)
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危うく逃れた見物客
1968年十勝沖地震津波.釜石魚市場前.滅多に見られぬ海底を見に来た人々.
次の第4波を辛うじて逃れ得たが・・・・.
(運輸省港湾局、昭和43年)
小さい津波にでも追い付かれる
懸命に逃げる9人の人々
一人(を残して波に呑まれ・・・.
そして誰も居なくなった.水の厚さは70cm
1983年日本海中部地震津波 十三湖岩木川河口
(撮影:奈良典昭)
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傷病者例明治三陸大津波 宮城県の場合
(宮城県震嘯誌、明治36年)
1983年日本海中部地震津波-能代での実績ー
(日本海中部地震の総合的調査報告書、国土庁、昭和59年)
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明治三陸大津波後の釜石
津波で持ち込まれた大量の砂。
当時発売された幻燈写真(仙台市博物館所蔵)
津波到達直前のアオリ風
其浪の来るや手を挙げて捲くり下ろすが如く倉の前家の前にて一捲くり下ろせしに波は毫も障はらざりしも空気の圧力にて家も倉も皆倒れたりと大砲よりも猛勢なりし
岩手県大槌町の明治三陸大津波を伝える巌手公報明治29年6月24日記事
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風の仕業 青苗五区の或る家の場合道路の南側は津波で全滅、北側の家の壁はアフリ風で剥がれた。
一階床上25センチの浸水痕
被害程度
中破
津波進行方向
(撮影:首藤伸夫)
1993年北海道南西沖地震津波
家屋の破壊
全壊 柱も全て破壊されている。大破 壁及び柱の大部分が壊れ、或は失われている。中破 柱は残っている。壁の一部は破壊されている小破 窓などは破壊されても、壁は残っている。
浸水のみ 機械的損傷は無い。
中破 小破
(撮影:首藤伸夫)
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木造家屋破壊の目安
浸水深1m 部分的破壊浸水深2m 全面的破壊
破壊開始条件流速4m/s, 抗力1.1t/m
中破
大破
(松富英夫・首藤伸夫、1994)
(撮影:首藤伸夫)
水より恐い漂流物
チリ津波時の大船渡・盛町
チリ津波時の志津川町
(朝日新聞)
(読売新聞)
著作権により非公開
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堤防破壊
越流水による裏法面、裏法尻の洗掘が主因。
1960年 岩手県船越
(首藤伸夫、1999)
山が迫り、堤防を越えた大量の海水が極めて短時間に堤防背後を満たし、越流水が裏法面・法尻を洗掘する状況が発生しなかった。
(チリ津波合同調査班、1961)
岸壁等の破壊
引き潮落下水が露出した法先を叩く、または引き潮時の流れによる洗掘が主因
引き潮時の落下水 1960年函館
(チリ津波合同調査班、1961)
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流れによる洗掘が主因の破壊
浸水中の魚市場一帯
工業港入り口の流速は引き潮時最大13m/s、上げ潮時最大8m/s.
小中野魚市場岸壁は(-)3m構造の前が(-)9mに洗掘され、転倒・沈下・水没
1960年チリ津波での八戸港小中野第二魚市場
(八戸港工事事務所、昭和36年)
1
2
3
4
5
ゆっくりと倒れこんで行く小中野第二魚市場岸壁
(八戸港工事事務所、昭和36年)
32
水の集中箇所は保護工が必要
1960年チリ津波での沖縄・真喜屋大橋
1933年昭和三陸津波での種市陸閘
(気象庁技術報告、1960)
(験震時報、昭和8年)
大規模地形変形
1960年チリ津波で切断された北海道浜中町霧多布
(チリ津波合同調査班、1961)
(山口恵一郎、測量、1962)
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津波で出来た高さ8mの丘
南伊豆町入間
赤い線より上が堆積砂
(安政の津波による)
養殖筏
筏被害は流速1m/sから始まる。
(1) 筏移動 被害無し(2) 筏流出 貝落下率10% 筏復旧可能 (1m/s)(3) 筏同士の接触混乱 貝落下率20~30% 筏復旧可能
(>4m/s)(4) 筏の団塊化 貝落下率70~80% 筏復旧不可能 (>10m/s)(5) 筏団塊・外海流出・沈没 貝・筏とも被害率100%
(気象庁技術報告、昭和35年)
(佐藤忠男、水産増殖、1960)
(永野ほか、平成元年)
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漁船被害率
1960年チリ津波八戸 新井田川湊岸壁津波高 3.3m約400隻中、9割が流失
1983年日本海中部地震津波の実績
(首藤伸夫、平成4年)
○ 小型船■ 大型船
(気象庁技術報告、第8号、昭和35年)
1968年十勝沖地震津波
岩手県野田漁港
引き波で座礁した所へ次の押し波が来ると危ない。
安易に船を「沖出し」するという判断は危険。
(運輸省港湾局、1968年)
35
1968年十勝沖津波時の八戸港での大きな渦。
撮影:海上自衛隊第二航空群
津波と火事昭和三陸大津波時、3つの火事が記録されている。釜石では、第3波襲来中に火事発生。漏電が原因か?
(朝日新聞社)
著作権により非公開
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津波中で消火もならず、約200軒が焼失
(大垣春吉、昭和8年)
津波、火事、そして可燃物
これまでに5例あり、今後最も恐ろしい2次災害
石油で焼失する面積A(m2)は
A =325V
で概算できる。
V(kilolitre)は貯油量
1964年 アラスカ ホイチエ
(Shuto,1991)
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1964年新潟地震の場合
津波と地下水とが溜まった地域焼失区域
(消防庁、新潟地震報告書、昭和39年度)
地震直後の第一発火
(消防庁、新潟地震報告書、昭和39年度)
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タンク100基からの油で覆われた山ノ下一帯
(新潟日報社)
地震から5時間後、第二火災発火
第二火災発火
(消防庁、新潟地震報告書、昭和39年度)
39
そして約300軒が焼失(新潟日報社)
地震・津波とタンク破壊
(The Great Alaska Earthquake of 1964, NAS, 1972)
(地震研究所、昭和21年)
1964年アラスカ大地震。Valdezでは、地震と津波でタンクが破壊。燃える油が運ばれ、海際の町が焼けた。
東南海地震時、仁木島の重油タンク、300mほど流されたが、空であったため、大事に至らなかった。
40
日本沿岸どこでも津波に襲われる。この期間の最大は宮古島で記録された。
(相田、昭和63年)
津波には個性がある。
災害は進化する。