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Instructions for use Title 大岡昇平における歴史 (三) Author(s) 柴口, 順一 Citation 北海道大學文學部紀要, 42(4), 1-41 Issue Date 1994-03-25 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33633 Type bulletin (article) File Information 42(4)_PR1-41.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Title 大岡昇平における歴史 (三)

Author(s) 柴口, 順一

Citation 北海道大學文學部紀要, 42(4), 1-41

Issue Date 1994-03-25

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33633

Type bulletin (article)

File Information 42(4)_PR1-41.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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(1994) 北大文学部紀要 42-4

大岡昇平における歴史〆圃ヘ

一一一、--"

第四章

『レイテ戦記』

先行研究の問題点

n買

小説に関する発言を見てきたが、以下においては主としてその作品を検討することになる。

いわゆる『蒼き狼』論争からはじまりその後の一連の歴史小説論、そして「歴史小説の問題」と、大岡昇平の歴史

立ち入って検討を加えたが、

それは大岡自身直接問題にしていたまさにその限りにおいてであり、

ところで、私はこれまで先行研究についてはほとんど言及することをしなかった。ただひとつだけ菊地昌典の論に

それが実際かなり

見当はずれな論でしかなかったととはすでに示したとおりである。その外について私はほとんど触れることをしな

かった。それは、要するになかったからに外ならない。見るべきものがなかったという意味でもそれはあるが、大岡

1-

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大岡昇平における歴史(三)

の歴史小説論についての、少なくともそれを主題的かっトータルに扱った論が文字どおりなかったのである。大岡の

仕事の達成から考えてもこれは驚きという外はないのだが、しかしそれは、大岡昇平には一方歴史小説あるいは歴史

を題材にした作品があり、それがとりもなおさず魅力的かっその方がむしろ歴史小説や歴史記述に関する問題をより

一連の歴史小説論とほぼ並行して大岡は『天訣組』(『産経新

雄弁に語ってくれているということなのかもしれない。

聞』、日・

1・M1臼・

9・お)を発表し、それから数年をへだてて『レイテ戦記』(『中央公論』、

U・11ω・7)

を発表している。また、「歴史小説の問題」の数年前には『幼前』(『別冊潮』、口・

1及び『季刊日本の将来』、口・

5

1叩・日)という自伝を、更に続けてその続編である『少年||ある自伝の試み』(『文芸展望』、叩・

41%・7)を

発表している。そして、大岡昇平最後の未完の作品が『堺港撰夷始末』(『中央公論文芸特集』、制・叩

i剖・1)であっ

たことはいうまでもない。

-2-

しかし、これらの作品に関する論も決して多くはない。ただひとつの例外といえるのは『レイテ戦記』

である。こ

れについては少なからぬ論がある。そこで、順序としては前後することになるが、論の展開上の便宜からもまずは『レ

イテ戦記』をとり上げ、少しくこの作品についての先行研究を見ていくことからはじめることにしたい。むろん、こ

れから論を進める上で是非ふまえておかなければならない論がそれらにはあるからであるが、

それと同時に、多くの

論が期せずして陥っている諸点を明らかにしておきたいためでもある。その点にこそ、この作品を論じる上での重要

な問題がひそんでいると同時に、また歴史小説や歴史記述に関する問題を考える上での重要な視点がひそんでいると

考えるからである。

多くの『レイテ戦記』

についての論を聞くとそこには必ずといってよい、しかもほとんど標語化したとでもいうべ

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き評言がいくつか見出される。それは、まずこの作品が膨大な資料を用いたまさに膨大な作品だといういい方である。

次に、死んだ兵士たちへの鎮魂の書あるいは慰霊の書であるという指摘である。この作品のエピグラフには「死んだ

兵士たちに」とあり、また作中に、この作品を書くことが「戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。L

陸軍」)といったことばがあるからでもあろう。むろんこれらは必ず引用されることぼである。さて、最後に次

(「五のようないい方である。この作品は事実を正確かつ克明に記した歴史(記述)

であると。だが、

どの論もそれで終わ

ることはない。次に必ず、しかしそれは単なる歴史(記述)にはとどまらず明らかにそれを超える文学(作品)にな

り得ていると述べるのである。もちろん歴史(記述)、文学(作品)はさまざまないい方で表わされる。前者は日く記

録、ルポルタージュ、戦記、戦史。後者は日く記録文学、戦記文学、戦争文学、歴史小説というように。

これらのいい方はいずれもある一定の妥当性を持っている。少なくともとりたてて反論を加えるべきもののように

-3-

は思われない。しかしそれらには、やや安易にそう規定しまってそれで事足れりといったきらいがないでもない。そ

う規定する根拠が薄弱だというばかりではなく、

そのようないい方が一面ではある点を覆い隠しあるいは素どおりし

てしまうのではないかと疑ってみる姿勢が全く欠如しているからである。

いわば挨拶のようにまずはそういっておか

なげればはじまらないといった気安さで、何げなくそう記してしまっているようなのである。ほとんど判で捺したよ

うないい方になっていたのもそのためであろう。しかし、それらが不聞に付していた事柄に、実は『レイテ戦記』を

論じる上での重要な問題が存在しているのである。

たとえば、この作品を事実を正確かつ克明に記した歴史(記述)だとする見方であるが、このような見方それ自体

に基本的に異存はない。しかしとれまでの論においては、事実をいかに正確かつ克明に記しているかを果してどこで

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

保証するのか、あるいはそのようにわれわれが受け取るとするならばそれはどのような表現のあり方にあるのかと

いった方向へはその関心はほとんど向っていなかったのである。うがった見方をすれば、膨大な資料を用いた膨大な

作品というのが、あるいはその説明だったのかもしれない。また、そのこととむろん関係するが、いわゆる事実とい

うときのその捉え方が恐ろしく素朴であったということがある。更に問題なのは、そのように述べながらも、それと

同時にあるいはそれにもかかわらず文学(作品)になり得ていると指摘することであった。その場合、明らかに文学

(作品)の方により肯定的な価値を与えていたことはいうまでもない。このような文学へのこだわりがどこから来るも

のなのかということもまたひとつの問題にちがいないが、しかしここで指摘しておきたいことは、このような発想の

とである。事実その点に関しては、恐ろしく本質を捉えそこねた発言がなされていたのであった。

-4-

仕方ではいわゆる歴史と文学、あるいは歴史記述と歴史小説に関する問題は決して明らかになることはないだろうこ

いっているということに多分に負っている。

死んだ兵士たちへの鎮魂の書、慰霊の書とする見方も誰しも否定はしないだろう。しかし、これは作者自身がそう

つまりこの作品が、すなわち事実を正確かつ克明に記すという表現のあ

り方が、何故そのような意味を持ち得るのかといったところまでは意外と説明が及んでいないのである。そしてそも

そも書くという行為が、あるいはそれによって書かれたものが、果して鎮魂や慰霊になり得るのかと疑ってみること

をしなかったことである。

一度そのように疑ってみることがなければ、えてしてそれに過剰な意味づけを行なう恐れ

があるからであり、実際その傾向がなくもなかったのである。膨大な資料を用いた膨大な作品というのもまさにその

とおりにちがいないが、しかしそこにはいわゆる事実は膨大なほど偉大だといった単純な発想がほの見えてしまうの

である。これはむろんとるに足らないことだともいえる。だが、これまで述べてきた問題と関連させて考えればそれ

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は決して噴細なことといって済すこともできないのである。

私は、先行研究をやや類型化しあるいは卑小化しすぎたかもしれない。しかしそれは、これまでに『レイテ戦記』

ひとまずはきっぱりと捨て去ってしま

うところから『レイテ戦記』論ははじめられな防ればならないと考えたからである。そして、そのことを強く教えて

に捧げられてきた多くの、しかもあまりにも内実の伴なわないオマ

lジュを、

くれたのは寺田透と亀井秀雄の論であった。残念ながら、だがそれらの論以後も述べたような傾向は改まることなく、

むしろ加速の傾向を示している。私なりに改めて先行研究の問題点を明らかにしてみたのはそのためでもあった。

寺田透と亀井秀雄の論

寺田透の「『レイテ戦記』L

(

『文芸』、河・

2)は、いささか唐突に次のように書きはじめられている。

-5

なぜ戦争なんかしたんだらうといふ智慧のない誰彼なみの感想が、僕の読後感の根本である。壮烈な奮戦死闘に

対する著者の賞揚や、戦闘を敗北にみちびいた過失の指摘などが、そこだけ遊離して、異質の結節を造ってゐるや

うにさへ思はれる。

そして僕はかういふ戦闘過程の記述によって批判されてゐるのは、結局僕ではないかとしばしば感じた。

『レイテ戦記』によって批判されているのは結局自分ではないかと感じたのは、この作品で描かれている日本軍の戦

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

闘形態に、日本人である自己の「日常生活において自覚される行為の型乃至性質」を見出したからである。そのよう

な問題意識もあって、その関心はもっぱら「壮烈な奮戦死闘に対する著者の賞揚や、戦闘を敗北にみちびいた過失の

指摘」の部分へと向っていく。それらの記述部分を大畳に引用しながら寺田透は、いわばその内容にいちいち批評を

加えていくといった形をとるのである。つまり寺田が行なっていたのは、最後に自らふりかえって述べているように、

寸作品『レイテ戦記』の分析、鑑賞といふより、それが提出する事実の検討や評価L

だったのである。おそらくこのよ

うな方法をとっていたためでもあろう、先の鎮魂や慰霊という点について寺田は次のように述べていた。もちろん、

大闘が作中でそのようないい方をしている部分についての批評として述べられたものである。

しかし霊魂の不滅など信じてもゐないわれわれが、大岡昇平の『レイテ戦記』のモチーフはレクイエムにあると、

-6

これらの著者そのひとの言葉を根拠にかりに言ふとしたら、

それは著者の意に添はうがための口真似にすぎず、不

誠実な口先の芸当と言ふほかない。

そしてそれに続げて寺田は、鎮魂、慰霊とは結局「現に今生きてゐる自分自身の霊を鎮めるこころみに他ならないし

と述べるのである。そう結論づけてはもともこもないともいえようが、

むろんそれはそのとおりにちがいない。しか

しここで重要なのは、著者自身がいっていたことを鵜呑みにしてそのように規定しまうまさにそのようなあり方を批

判していたことである。先に述べたようなその他の安易な規定もみられなかったことはいうまでもない。

もちろん、寺田透の論のすぐれている点はそのことだけにあったわけではなく、

それはむしろ小さなことにすぎな

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ぃ。最もすぐれていた点は、先に述べたこの論の書き方それ自体にあったというべきであろう。すなわち、乙の作品

の「提出する事実の検討や評価L

をすることがまさにこの作品を論じることになること、そのような作品で『レイテ

戦記』はあることを示していたことである。むろん寺田自身それを自覚的に行なっていたことはいうまでもない。「元

来この作品の出来具合がそれを望むのである。」と寺田は述べていた。ただここでひとつ注意しておきたいことは、寺

田が実際にとり上げていたのは主に『レイテ戦記』が「提出する事実」というよりはむしろ、先に述べていた「壮烈

な奮戦死闘に対する著者の賞揚や、戦闘を敗北にみちびいた過失の指摘」の記述であった。寺田はその部分を、この

作品で「そこだけ遊離して、異質の結節を造ってゐるやうに」思われると述べていたが、寺田は『レイテ戦記』の中

では「異質」とはいわないまでも、ある特殊な部分を集中的に問題にしていたといえるのである。

さて、寺田透の論で見逃してはならないもうひとつの重要な点は、作中の「私」に注目していた乙とである。寺田

は、この作品に用いられている「私」という一人称のある特殊な使用例を指摘する。それは『レイテ戦記』

の次の記

-7-

述である。

戦闘があったらしく、日本兵と黒人兵の死体があった。米軍の戦死体収容は味方に関する限りほぽ完全で、米兵

の死体を見た日本兵は少ない。ブラウエン、

ルビ方面の一一空挺師団の兵士とこの黒人兵が、私の知るただ二つの

例である。(「二十九

カンギポット」)

この記述について寺田は次のように述べている。

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大岡昇平における歴史(三)

ここで用ひられた「私L

はこの長い「戦記L

の中で、著者が、これまで一両度しか使ったことのない一人称代名

調であるため、かなり衝撃的であり、僕はつい誰かレイテ戦の参戦者がこの件りを物語ってゐるのかと思って、文

章をたどりなほした位である。しかし別にさうではなく、著者は自分の読んだり聞いたりして知った範囲では、と

いふ意味で書いたにすぎないと知られるが、これでは勝てるわけがなかったと、

ページを伏せるやうにして強く感

ずる。

寺田透以前に、作中の「私」のその表現のあり方について論じたものはなかった。それは、この作品の表現主体の

あり方ひいてはこの作品の表現全体に関わる問題であり、それを明らかにする上でのひとつの糸口としてそれは極め

て重要な着眼であった。だが寺田は結局、「これでは勝てるわけがなかったL

というやや的はずれな感想を抱いただけ

8

で、それ以上追求することをしなかった。

つまりは寺田が「つい誰かレイテ戦の参戦者がこの件りを物語ってゐるのかと思ってL

しまったの

かの分析からはじまり、この作品の表現主体のあり方そしてこの作品の表現全体への徹底した分析を行なったのが、

そしてそれを、

亀井秀雄の「個我の集合性||大岡昇平論|

|

L

(

『群像』、市・

71η・2)であった。

亀井秀雄はここでの「私」を、寸作者の個なる「私L

を超えた一種の集合的な「私」」(「序

捉えている。それはすなわち、作者以外の人の眼をとおした、あるいはその人を言語主体とする表現を媒介した表現

兵士・たち・の眼」)と

という意味である。寺田が混乱したのはまさにこのような表現であったからだというわけだが、しかし亀井は、実は

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作者以外の人物の眼あるいはその人物を言語主体とする表現がすでにある種の集合性を含んでいると指摘する。「一つ

の場面を一緒に経験した他者の知覚までも含み込んで想起する、案外それが想起ということの本質L

だと考えられる

からである。いうまでもなく、ここでの作者以外の人物とは実際にレイテ戦を経験しその体験を語った人物であった。

回想とは、回想の語りとは、本来的に「他者の経験との複合性」を持つものなのである。そして『レイテ戦記』は、

基本的にはこのような他者を媒介とした表現になっていたと述べるのである。

亀井秀雄の考察はそれだけにはとどまらない。実はそのような表現であるにもかかわらず、「それら細部の全てがそ

のまま作者自身の表現にほかならぬという烈しい印象は、これを否定しがたい。」というのである。しかも、「うるさ

くたどり直してみれば、各文章の潜在的な表現主体の区別、またそれらと作者自身との区別は、きちんとつけられて

いる」のにである。それはいったい何故なのか。それに対して亀井は次のように答えている。『レイテ戦記』における

-9-

作者と他者との集合的な表現のあり方とは、要するに作者が他者に憲いた眼をもった、あるいは作者が他者の眼を自

分のなかにとり込んだ表現であった。それを亀井は、「身体視向的にL

「癌く」こと、あるいは「身体が視向的に生きL

イメージ

ることだともいいかえているが、そのような表現がいわば具体的な「像」を生み、それが件の印象を与えたのだと。

個々の証言者は、

それぞれの共同経験を伝えている。というより、個の経験だけを伝えているかに見える証言の

なかにさえ他者の同時経験的な眼が含まれていて、

その表現の微妙に複合的な構造から印象的な像が喚起されてく

るのである。それだけではない。くり返し言えば、大同昇平は、個々の証言者が登場する場面に他の証言記録から

採ってきた事実を配置して、

さらに像の喚起力を高めていた。『レイテ戦記』が細部にわたって大岡昇平の表現であ

北大文学部紀要

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大岡昇平にお付る歴史(三)

る理由は、以上のようなことに求められる。(「序

兵士・たち・の眼」)

イメージ

の表現はいわば全てが「像」を喚起するような表現であったというわけではない。「参謀たち

上級将校の書き残した文章を引いて、大岡昇平が戦闘経過を説明したり、その報告の信憲性を批判的に論じたりして

いる箇所」からはむろんそのような「像L

は生まれてこない。そのような部分には、「兵士を主人公とした部分とはま

だが、『レイテ戦記』

た異る、論理性が高くて明断な批判力をよく発揮できる文体が創られていたのであるL

(

「一歴史の事実と真相」)。

そしてそのような表現の部分が、この作品におけるいわゆる事実経過ゃあるいは歴史認識に関する記述を大きく担つ

ていたのである。

-10-

大岡昇平は、それ自体がすでに集合的な経験の語りであるような兵士の証言を踏まえて、黙せる人たちに一歩近

づいた表現を創ってきた。そればかりでなく、「歴史」の根本資料たる記録や手記を照合しながら、資料に内在する

虚偽も、

それを仮構せざるをえなかった人の必要性から見るならばやはり一つの真実を語っているのだ、という点

を明らかにして、寸歴史L

の客観主義的な一面性をうち破る方向をつかんできた。その二つの湊合として『レイテ戦

記』が成り立っている。(「

歴史の事実と真相」)

さて、『レイテ戦記』を以上のような作品と捉えてみれば、作者大岡昇平にとってこの作品を書くとは結局どのよう

なことだったのか、亀井は最後にその説明へと赴く。それは、大岡自身の「内的な記憶を他者の経験談を媒介として

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対象化L

すること、「つまりかれの自己了解の一つの仕方、あるいは現在の日常感覚を対照的に表現」(「序

ち・の眼」)することであった。と同時に、コ歴史」という形で対象化されたかれの階層の自己意識や能力の検討、批

評、もしくは能力の力較べだったのであり、結局それは自己の批判的な対象化にほかならなかった」(「一

兵士・た

歴史の事

実と真相」)

のである。

「面白くなさ」の理由||記憶と物語り

私は亀井秀雄の論にややっきすぎ、その要約に専念しすぎたかもしれない。だが要約ということならば、それは亀

井の論全体の主張を考えるになおアンフェアーであろう。亀井はひき続き『倖虜記』や『野火』、更には『幼年』『少

-11-

年』等をとり上げ、大岡昇平における自我のあり方ゃいわゆる自然の捉え方、個の複合的な構造や無意識といった問

の特質を明らかにしていたからである。もちろん、以上見てきた点がこの作

題を論じ、

そこからまた『レイテ戦記』

品に対する基本的な捉え方であることはいうまでもない。そしてそれは一一言でいえば、『レイテ戦記』という作品の歴

史記述としての方法を論じたものであったといってよいであろう。やや詳しく亀井の論を追ってきたのもそのためで

あった。すなわち、これまでに検討してきた大岡昇平の歴史小説論において、歴史記述の問題は未だ充分に解決され

ないまま残されていた問題であり、大岡はこの作品においてその方法をひとつの実践という形で表わしていたと見る

こともできるからである。そして、現にこの作品は歴史記述としてのひとつの達成を示していたばかりでなく、歴史

記述の問題を考える上でのさまざまな示唆的な視点を提出してくれている作品でもあるからである。私はこれから、

北大文学部紀要

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大岡昇平におげる歴史(三)

大岡昇平の歴史小説論における主張を一方で考えつつ『レイテ戦記』の歴史記述としての方法を検討し、改めてこの

作品の表現的達成とその問題点を明らかにしようと思う。そのためには、亀井の論を是非ともふまえておかなければ

ならないのであった。

亀井秀雄の基本的な捉え方は、「兵士を主人公とした部分」における具体的な寸像」を喚起させるような作者と他者

との複合的あるいは集合的な表現と、「戦闘経過を説明したり、その報告の信憲性を批判的に論じたりしている箇所」

における「論理性が高くて明噺な批判力をよく発揮できる文体L

のその二つの湊合として『レイテ戦記』は成り立っ

ているということであった。亀井は、「この方法こそが歴史と「歴史」の講離を克服する最もすぐれたやり方だ、とま

れた方法であると認めていたのである。

いわゆる歴史における「黙せる人に一歩近づいた」、

かつ「「歴史L

の客観主

-12

では私は断言できないがL

(

歴史の事実と真相L)

と慎重ないい方をしながらも、

それが歴史記述のひとつのすぐ

義的な一面性をうち破るL

方法として、

それは歴史記述の方法の理論的な分析としてもすぐれた見解であったこと、

それはこれまでの歴史記述と歴史小説の問題に関する議論の水準を考えれば明白である。しかし、私の『レイテ戦記』

を読んだときの印象、それを読んでいく過程を反省的に捉えたときの印象を、それは未だ充分に説明してくれていな

いという感じを私は持った。すなわち、亀井が分析していた表現からははみ出してしまうような表現の部分がまたこ

の作品には存在し、

しかもそれがかなり圧倒的な印象を与える部分ではないかという感じをもったのである。それは

たとえば次のような記述である。

二十二日夜、米第七師団長アlノルド少将は師団予備の一七連隊の主力ニ個大隊と一八四連隊の予備第二大隊、

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計三個大隊を、攻撃正面に投入することにきめた。各部隊は三二連隊、

ブラウエン道を挺進し、二十三日中にサ戸ペトロ飛行場を確保するはずであった。これはブラウエンの三つの飛行

一八四連隊の戦線から突出して、ドラグH

場のうち、

一番東の道路北側にある飛行場である

M4戦車より成る七六八戦車大隊は、

(第5図参照)。

一七連隊の出撃より三

O分早く、

O七三

O、ドラグ飛行場付近を出発し、

一七連隊を超越して、ブラウエンの町に達する。三二連隊と一八四連隊は一七連隊より八

00メートル遅れて道路

の両側を進み、残敵掃討に任ずる。

アlノルド将軍が「逆V字」(同守山口

mdzamm)と名付けたこの陣形は憎らしいほどうまく行った。

M4戦車、通称

シャ

1マン戦車はヨーロッパ戦線では中型戦車だったが、レイテの日本兵には化物としか思えなかった。

ホリタの聯隊戦闘指揮所は一挙に突破され、聯隊長鉾田慶次郎大佐は戦死した。

一000、戦車一台がホリタの

13-

西八

00メートルの道路上で工兵が敷設した地雷によって摺座させられただけで、

一七一二、部隊の先頭はブラウ

エンに達して、飛行場周辺の日本軍陣地を掃射した。

O八OO、一七連隊は戦車隊より三

00メートルおくれ、縦隊となって道路上を進んだ。隊形は自然に延びたの

で、三二連隊と一八四連隊は

O九OOまで出発出来なかった。この日も快晴は続いた。地形と暑気のため、歩兵が

戦車におくれないように進むのは楽ではなかったが、日本軍の抵抗はほとんどなかった。

一七

OO、一七連隊はサ

ンパブロ飛行場の西端に達した。(「八

抵抗」)

これは、十月二十日ドラグ方面に上陸した米第七師団の、二十三日中におげるドラグ飛行場及びホリタ付近からド

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(コ一)

ラグHブラウエン道に沿ってサンパブロ飛行場及び、フラウエンへの進撃経過を記した部分である。このような記述が、

亀井秀雄のいう寸兵士を主人公とした部分」でないことは明らかである。もちろん、これもいわゆるニュートラルな

表現ではあり得ない。その基本的な表現の視点は米軍あるいは米軍の兵士たちにあるといえるし、そのなかには傍点

を付した部分のように、作者ないしは日本兵の視点が入り混ったりもしている。だが、亀井が述べていたのはそのよ

うなことではなく、

またこのような部分を指していっていたわけではない。亀井のいい方でいえば、

それは「戦闘経

過を説明したり、

なかんずく「戦闘経過を説明した」部分にあ

たろう。ところが、亀井が説明していたのはもっぱら記録や手記の報告の「信憲性を批判的に論じたL

部分について

であった。「論理性が高くて明断な批判力をよく発揮できる文体」といっていたのもそのためであろう。すなわち、亀

その報告の信憲性を批判的に論じたりしている箇所」、

井は「戦闘経過を説明した」部分については実はほとんど触れていなかったのである。それは、『レイテ戦記』から引

-14-

用されていた多くの記述のなかに、

そのような記述がほとんどなかったことからも分かるであろう。ただ、亀井は論

それが作品の表現としてとりたてて問題にさ

れることはなかったのである。更にいえば、「兵士を主人公とした部分」の極めて詳細な分析に較べてこれらの部分の

ひき続き論じていた自我や自然あるいは無意識といった問題も、主として前

の展開上の必要性から自ら戦闘経過の説明を行なってはいた。しかし、

分析はやや手薄といった感は否めない。

者に関わる事柄であった。

先に引いたような戦闘経過の記述は、量的にいってもこの作品のかなりの部分を占めている。そればかりでなく、

それはこの作品の歴史記述としてのいわば基本をなす記述であるともいえるだろう。それがいわゆる事実経過の基本

的な記述であるという意味ばかりではなく、他の部分もこのような記述が存在することによってはじめて成立し得る

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記述であるといえるからである。このような記述をわれわれはいったいどのようなものとして捉えればよいのか、

してそれが作品においてどのような意味を持ち、作品全体の表現はどのように形づくられていたのか、

そのような点

を明らかにしてはじめて『レイテ戦記』

の全体は論じられたことになり、

またその歴史記述としての表現的達成も明

らかになると考えるのである。

ところで、『レイテ戦記』という作品は、

いわゆる普通の小説(歴史小説)におけるような物語りをそれに期待して

読めば、

一般にそれほど面白い作品ではないであろう。もちろん、これは厳密性を欠くいい方である。ただ、この作

品を一読した多くの者がおそらくは抱くであろういわばネガティブな感想を、まずは卒直に認めることから『レイテ

戦記』論ははじめられるべきであろうと思ったのである。先に述べたこれまでの多くの論におけるいくつかの共通し

た論点も、実はそれを素どおりしたあるいはそのようなネガティブな面を覆い隠した上での評価ではなかったか。亀

-15-

井秀雄の論に対しても私はそれと似たような不満を持った。すなわち、亀井の論はこの作品においては比較的面白い

部分に分析が集中していたのではなかったか。もっとも、

それによって一般には面白くなかった『レイテ戦記』が飛

躍的に面白い作品となったのではあるが。

もはや明らかなことと思うが、『レイテ戦記』が一般に面白くないと感ずるその大きな要因は、先のような戦闘経過

の記述がこの作品には大量に存在するからであろう。

では何故そのような記述を一般に面白くないと感ずるのであろ

うか。それは単に膨大な資料を用い、事実をこと細かに記したものだからというわけではない。また、亀井がいうよ

うにそれが「像L

を喚起しない表現だからというのでもおそらくは不充分であろう。同じく寸像L

を喚起しない記録

や手記の「信憲性を批判的に論じた」部分は、同じような意味で面白くなくはないからである。それはおそらく、あ

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

一言でいえばそのような戦

闘経過の細部から全体に至るまでのその内容を把握することが必ずしも容易ではなく、場合によっては極めて把握し

る種の事象とその表現に対するわれわれの根本的な把握能力に関わっている。すなわち、

ずらいからである。その説明の仕方が特に不明瞭だというわけではむろんない。先の記述を例にとれば、

そ乙で記さ

れているドラグ、ブラウエン、

ホリ夕、

サンパブロ飛行場といった地の位置関係や距離関係が、少なくともその部分

を読んだだけでは把握困難だからであり、またそのような事情もあってそれぞれの地点を逐次移動していく様相を捉

えその全体を把握するのは容易なことではないからである。そこに分刻みの時刻が記されていることもそれを一層助

長しているといえるし、

また「七六八戦車大隊L

「一七連隊」コニ二連隊L

「一八四連隊」といった無機質的な部隊名が

しかし、この作品には地図が、

しかも時間の経過に伴なって諸部隊の移動を示した地図が多数掲載されていた。先

多数登場してくることも関係しているであろう。

の引用部分にも「(第5図参照)L

とあったように、

その地図と逐一照らし合わせて読んでいけば把握の困難さはかな

りの程度軽減する。だがそれによってその困難さが本質的に回避されたわけではない。それぞれの町(飛行場)の位

置関係や距離関係、

それに諸部隊のおおよその移動の推移はそれによってかなり把握できるようになるが、それぞれ

の部隊相互の逐次の正確な位置や距離、あるいは分刻みの移動の様相は依然把握するのに容易ではないからである。

そこまでは地図に描かれていなかったからに外ならない。もっとも、

そこまで記すことは不可能とはいわないまでも

技術的におそらく困難で、

またそもそもそのようなものはかえって混乱をまねきかねないであろう。だから、地図と

いうものも必ずしも把握を容易にしてくれるとは限らないであろう。

だが、『レイテ戦記』の場合ともかくも地図の導入によって内容の把握が相対的に容易になっていたことは確かであ

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る。なかには地図がなければほとんど把握不可能といってよい記述もあったのである。たとえばその典型はいわゆる

比島沖海戦の記述である。海には町も山も川も道路もないからである。そこには、日米の各戦隊の航跡を線で描いた

地(海)図や時間の経過にしたがって数枚の地(海)図にその戦況を書き分けたものが載っていたのである。そして

地図はこの作品にいわば別のある面白さを与えていたともいえるであろう。すなわち、地図を参照しながらそれとい

ちいちつき合わせて読んでいくという面白きである。そのような意味で、この作品において地図は極めて大きな意味

を持っていたといえるのだが、

その点については後に歴史記述の方法という観点から検討を加えるつもりである。

それはさておき、以上のように考えてみれば、この作品におげる戦闘経過の記述が面白くないと感じるのは、

しユ

ゆるその内容の把握のし、ずらさという点だけに負っていたわけではないといえるであろう。そこにはまた別の根本的

に引用した記述のなかでわれわれはどのような事柄をどの程度記憶しているかと。心理学的なテストや知能検査をし

-17-

な何かがあるのではないか。それを考えるために、ここで次のような聞いを立ててみることにしたい。すなわち、先

ょうというのではない。だから先の記述にはじめて接した場合には限らない。『レイテ戦記』を一度は読んだことがあっ

てもかまわないし、

また地図を参照しながら読んででもむろんかまわない。さて、そのような想定をしてみれば、わ

れわれの記憶に残るのはおおよそ次のようなものであろう。それは、先の引用の際にその記述部分の説明として述べ

たこととおそらくはほぽ一致するであろう。すなわち、米第七師団の数個大隊がドラグHブラウエン道に沿って、途

中の日本軍陣地を掃討しながら一日かかってサンパブロ飛行場及びブラウエンの町まで進撃したといったものであ

る。あるいはそれが十月二十三日のことであり、米第七師団長がアlノルド少将であったこと、戦車大隊はM4シャ

1

マン戦車を用いいわゆる「逆V字L

陣形をとったこと、あるいは攻撃を受け戦死したのが鉾田慶次郎大佐であったこ

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大岡昇平における歴史(三)

とくらいまでは記憶しているかもしれない。しかし、

その他のたとえば、師団所属のそれぞれの連隊名やそれらの逐

一の行動及びそれぞれの位置関係の説明、あるいは移動その他の正確な時刻が記憶に残ることはまずないであろう。

このような、記憶にはとうてい残り得ないいわば明確な細部とでもいったような圧倒的なものをかかえている記述

で、それはあった。しかし、記憶には残り得ないが故に面白くないと感じるのだといおうとしているのではない。そ

のようなことは決していえないことはいうまでもない。ここで記憶ということを持ち出してきたひとつの理由は、ど

の程度記憶しているかという聞いが、まさに聞いとして成立し得るような記述であったことを示したいためであった。

つまり、記憶はしていないがもしかしたら記憶できたかもしれない、

いわば記憶の対象となり得るようなものが圧倒

的に存在するそのような記述であったことである。それが、明確な細部ということに外ならない。

いわゆる情報量の

-18-

多い記述とはすなわちこのような記述のことをいうのであり、

その意味においてそれは極めて情報量の多い記述で

あったといえる。先に述べた内容の把握のし、ずらさという点も、

ひとつにはそのことに起因していたといえるであろ

フ。記憶ということを持ち出したもうひとつの理由は、

その記憶のされ方、

その残り方を問題にしたいためであった。

先に述べたわれわれの記憶に残るであろうと想定されるいわば最低限のものとは、要するに先の記述部分を分節化し

たもの、すなわちその要約であったといえる。そして当り前のことだがここで重要な点は、分節化するあるいは要約

するとはすなわち他の部分を切り落し排除することであるように、記憶というものも他のものを排除することによっ

て、他のものを記憶しないことによって成立するものだということである。われわれが面白くないと感じるのは、そ

のように排除されるものが単に圧倒的に存在するからではなく、極めて情報量の多い明確な細部として圧倒的に存在

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するそのような記述であったからであろう。しかも、そのような排除がなければ結局は記憶として残ることもなかっ

たからである。

だが、どうしてわれわれはそのようなことができるのであろうか。それはいったい何に由来するものなのであろう

か。というのも、

それは人間本来のいわばア・プリオリな能力とだげいって済すことはできないからである。ある種

の事象やその表現に対する把握能力といったこととは性質がちがうのである。もはや明らかなことと思うが、

それは

われわれがすでにある読みを前提にしていたからに外ならない。はじめに述べたように、『レイテ戦記』が一般に面白

くないと感じるのは、

いわゆる普通の小説における物語りをそれに期待して読めばという限定をつけてのことであっ

た。先のことも、基本的にはわれわれがそのような読みを行なっていた、行なおうとしていたからである。それがす

ていたのである。

いや、積極的に選択することによって分節化していたというべきかもしれない。

19-

なわち分節化ということであり、われわれは分節化することによって切り落し排除するものをいわば積極的に選択し

しかしここで注意しておかなければならない点は、

われわれは記憶しないあるいは記憶しようとはしないものを積

極的に選択していたというわけではおそらくないことである。したがって、

それはわれわれが記憶しようとして、な

いしは記憶しなければならないものとして記憶したものではない。それは、

われわれが分節化することによっていわ

ば結果的に残った記憶だったのである。物語りとは、基本的には記憶しようとするものではおそらくない。記憶しよ

うとする行為そのものが選択されないのである。誤解のないようにいっておくが、物語りを読むためには何らの記憶

力も必要としないといっているのではない。記憶しようとすることを、物語りの読みは基本的に志向しないという乙

とである。

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大岡昇平における歴史(三)

そのように考えてみるならば、

われわれが面白くないと感じる最も根本的な理由は、

それがわれわれになかば記憶

することを強いるような記述であったからだといえるのではなかろうか。それは、明確な細部というべき記憶の対象

となり得るようなものを圧倒的に抱えた記述であったからというだけではない。それら細部のいわば全ての情報は、

記憶の対象としては基本的には等価なものといわざるを得ず、差異化(等級化)することができないからである。先

たとえばドラグ、ブラウエン、ホリタの各町の名ないしそこで起った事柄のいずれを記憶すべ

一八四連隊、三二連隊各隊の名ないしはそれらの行動のいずれを記憶すべきか、

O七三

O、

の記述を例にとれば、

きか、あるいは一七連隊、

一000、一七一二等の時刻のいずれを記憶すべきかを決定することはできないからである。そしてそのことは、基

本的には先の記述部分全体にもいえることなのである。すなわち、先に記憶に残るであろうと想定された事柄も、

-20-

れが記憶されるべきであるという必然は実はないのであり、ア!ノルド少将、鉾田慶次郎大佐、あるいは

M4戦車、

「逆V字」といったことを記憶しなければならない必然性もまたないというべきであろう。先の記述においてわれわれ

の記憶に残るということがあったとするならば、実のところそれは、先の部分を単独に取り出しかフ記憶ということ

を意識しつつなかば反省的に捉えかえした結果に負うところが多く、またそれが比較的分節化しやすい、すなわちあ

る程度は物語りとしても読めるような記述であったからである。『レイテ戦記』全体の読みからいえば、実際のところ

先の記述において記憶される事柄はおそらくほとんどないといってよいであろう。

したがって、われわれは先の記述を読んだ以上、極端にいえばいわば全てを排棄するか、

さもなければ全てを受け

入れるしかないのである。われわれに記憶を強いるような記述であるというのはすなわちそういう意味である。どの

ような読み方をするにせよ、実際全てを記憶しようとして読もうとする者などいないことはいうまでもない。要する

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まうような記述だったのである。そしてそのようなあり方が、

に、『レイテ戦記』における戦闘経過の記述とは、物語りとしての読みの期待を裏切り続け最後にはそれを破壊してし

いわゆる事実としての確からしさをわれわれに与えて

いたといってよいであろう。実際の事柄、実際の出来事としての諸事実という意味でのいわば全ての事実は本来的に

等価であるというべきだからである。

一一言でいって、

ひとつひとつの事実を取り上げてみればある事実が他のある事

実よりも重要であるとか本質的であるということはないのである。記憶の対象としては差異化(等級化)できなかっ

たのも、われわれがそれを事実として、実際の事柄、実際の出来事として捉えていたためでもあったのである。

歴史記述としての方法川

1l外部と空間

今先に私は、実際のところ全てを記憶しようとして読もうとする者などいないと述べた。だがそのような読みを、

-21-

あるいはそれにかなり近い読みを結果的には行なってしまう場合がある。先の記述でいえばそれはたとえば、鉾田慶

次郎大佐の遺族やその配下の兵士たちの遺族、あるいは運よく帰還した兵士(それが仮にいたとして)本人が読む場

合である。それらの人々も、むろん記憶しようとして読むわけではない。だが、それら肉親の人々や元兵士たちの個々

いわば細部のすみずみに至るまでの全てを記憶しないではおかないであろう。そして、それはまさに細

部であるが故に、明確な細部であるが故によりいっそう記憶されるべき、あるいは記憶に価すべきものであったとも

の切実さは、

いえるであろう。

『レイテ戦記』が死んだ兵士たちへの鎮魂の書、慰霊の書であり得るとするならば、

それは遺族や帰還した兵士たち

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史合一)

にまさにそのような読みをさせるような記述であったからだというべきであろう。すなわち、

それによってそれらの

人々の気持ちが慰さめられるとしたらいく分かでも慰められるであろうという意味において、それは死んだ兵士たち

への鎮魂、慰霊になり得ていたといえるのである。もっとも、遺族や帰還した兵士たちにとってそれは、新たな悲し

みや痛恨の思いを同時にかきたてるものでもあったであろうが。そして、

いうまでもなく大岡昇平も数少ない帰還兵

の一人であった。ただ大岡が駐屯していたのはレイテ島ではなくミンドロ島サンホセで、暗号兵として、

しかも戦闘

らしい戦闘を経験しないままに倖虜となってしまったのであった。だがそれ故に、先のような人々とはまたちがった

ある種の負い目のようなものを抱いていたことであろう。だから、

それは大岡にとっても死んだ兵士たちへの鎮魂、

しかし、もとを正せばそのようなことは、寺田透が指摘していたように「現に今生きてゐる自分自身の霊を鎮める

-22

慰霊の意味があったこと、少なくともそのような思いを込めて書いたことは疑いようがない。

こころみ」に外ならない。「霊一魂の不滅など信じてもゐないわれわれL

には、理詰めでいえばそういう以外にはないの

である。しかし、寺田は鎮魂や慰霊ということの意味そのものをも否定していたわけではむろんなかろう。ただ、大

岡自身そういっていたその口真似をして安易にそう規定してしまうようなやり方を戒めていただけである。そして、

『レイテ戦記』が真の意味での鎮魂の書、慰霊の書であり得ていたのは、

まさに先に分析したような記述であったから

こそであり、

またそのような記述であるが故に切実に読み得る人々が存在したからなのである。そして、

そのような

表現を実現していたのは外ならぬ大岡昇平であった。その意味において、それはまぎれもなく大岡にとっての兵士た

ちへの鎮魂の書、慰霊の書であり得ていたというべきなのである。

だが考えてみれば、細部の全てを記憶するあるいは記憶しないではおかないというのは、

ほとんど異常な読みとも

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いえるであろう。たとえそれを物語りとしての読みではないといったとしても、決して一般的な読みではなく特殊な

読みであることはまちがいない。しかし、特殊ではあるがそれは決して恋意的な読みではない。

いかに切実にまたい

かに個人的な思い入れを込めて読もうが、遺族や元兵士たちにとってそれには充分な根拠がある、

というよりはまさ

にかけがえのない絶対的な根拠があるからである。

レイテ島のあるところであるときに死んだ鉾田慶次郎大佐は鉾田

慶次郎一人しかいないのであり、同じときに同じところ

(その近く)

にいたあるいはその配下にいたのはまぎれもな

く今生きている自分なのである。要するにそれは実際の事柄、実際の出来事であったからであり、

その意味でそれは

代替不可能なのである。そして、

その点では遺族や元兵士だけでなくわれわれにとってもそれは同じことであるとい

える。われわれにとっても鉾田慶次郎大佐は一人しかなく、帰還した兵士もその人一人しかいないからである。ただ

われわれは、

それらの人々のような切実さや思い入れをもって読まないだげである。

-23-

だがその場合、

一般のいわゆる虚構作品においてもわれわれは極めて切実に、極めて個人的な思い入れを込めて読む場合がある。

それは他の別な虚構(作品)、他の別な物語りと原理的には代替可能なのである。だから、われわれは

むろんその読みを否定することはできないけれども、それが同時にわれわれの読みであることを決して強制されない。

いや、

むしろわれわれはそれを個的なるが故に特殊かつ恋意的な読みと規定してしまうのである。

極めて個的な、

その意味で極めて特殊といえる読みが、窓意的であるどころかまさに個的であるが故に正当なある

いは絶対的な読みであり得るような、

しかもわれわれはそのことを単に否定することができないが故にいわば譲歩的

に承認するのではなく、基本的にはそれがまさにわれわれの読みでもあること、あることを要求されているそのよう

な記述でそれはあったのである。だとしたらそれは、読者がいわば決定的な外部に存在するとでもいうべき記述であっ

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

たといえるであろう。すなわち、ヴォルフガング・イlザーがその読書行為論(『行為としての読書||美的作用の理

論ーーへ岩波書庄、回・

3)で述べていた「内包された読者L

といったものをいわばもたない、

ない、読者がその記述に組み込まれていないそのような記述であったのである。イlザーがその読みの分析を行なっ

ていたのもいわゆる虚構作品(「虚構テクスト乙であった。『レイテ戦記』における戦闘経過の記述とは、イ

1ザlが

分析していたような読みをもまた破壊するような記述だったのである。

つまり読者を内包し

記憶の対象としての情報といった捉え方をするのも、また分節化のしずらいないしはそれがほとんど不可能に近い、

そして仮に行なえたとしても圧倒的な明確な細部を切り落す結果になってしまうのも、結局はそのような記述であっ

たからだといえるであろう。すでに述べたように、『レイテ戦記』には多数の地図が掲載されていた。そしてそれが、

24

先のような戦闘経過の記述における内容の把握を相対的に容易にしていたわけだが、そのようなことができたのも、

そしてそもそも地図を導入しなければならなかったのも、読者が決定的な外部に存在するそのような記述であったか

らだということができるであろう。地図は、読者とともに記述の外部に外ならない。

それはその記述にとってみればあるいは屈辱であるともいえるであろう。大岡昇平は、

(創元社、臼・ロ)のなかで、

しかし、

かつて『倖虜記』

レイテ島タクロパンの倖虜収容所の図を掲載するに当って次のように述べたことがあっ

た。よって、視覚的に甘やかされた現代の読者は、我々が文字をもって記述するところを、

文字をもって対象を書き尽すべき文学者として、図形の助けを藷りるのは屈辱であるが、小学校の進歩的教育に

のうり

まず図形として脳裡に描く

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で とあ信る ず。べ

弓き労 理働τ由L ",,-が

あるから

いっそ図形を入れてしまった方がお互いに手聞が省げる。

では左がわが収容所の略図

「小学校の進歩的な教育によって」云々以下のものいいは、当時のいわば文化的な状況認識としてはたぶんまちがい

ではなかろうが、しかし問題の本質をそれは必ずしもいい当てているとはいえない。いわばそれほど、寸文字をもって

対象を書き尽す」ことに対する自負を持っていたということなのだろうが、要するにそれは、『停虜記』という作品が

「視覚に甘やかされた現代の読者」でも、基本的には図形の助けを借りなくても読めるような表現であったということ

に外ならない。『倖虜記』において図が載せられていたのはこの一箇所(ただし図は二枚)だけであった。したがって、

大岡昇平は『レイテ戦記』に至ってその自負を捨てたのでもなければ、図形(地図)の助けを借りることの屈辱に甘

んじたわけでももちろんない。『レイテ戦記』が、

その戦闘経過の記述が、地図(図形)を要求するような記述であっ

25-

たからである。

だが、地図ゃあるいは図によって把握が容易になるとは結局どういうことなのであろうか。あるいは、

そのような

ものによって把握が容易になるというその記述とは、いいかえればそのようなものがなければ把握の困難な記述とは、

結局どのようなものとして捉えればよいのであろうか。

空間芸術と時間芸術といういい方がある。

語(文字)芸術をさす。しかし、それらはいわば相対的に分けられるというにすぎない。全くの時間を欠いた芸術も、

一般に前者は絵画や彫刻をさし、後者は音楽や文芸(文学)

いわゆる言

全くの空間を欠いた芸術もあり得ないからである。時聞がなければ絵画や彫刻も、また空間がなければ音楽や文芸も、

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

そもそも存在もしなければ享受することもできないことはいうまでもない。要するに、絵画や彫刻はそれ自体が物と

して静止しかっ一挙にわれわれに与えられているのに対して、音楽や文学はそうではなく特にその享受のあり方にお

いて運動的ないしは継起的だということであろう。主としてそのような点を捉えて空間芸術、時間芸術と呼んでいる

のである。だが、わかるようにこのような捉え方は決して正確な捉え方ではない。絵画や彫刻は確かに静止しかっ一

挙に与えられているが、実際の享受のあり方からいえばわれわれはたえずいろいろな部分に視点を移動しながら見る

のであって、

その意味では運動的、継起的であるともいえるのである。また、対象が一挙に与えられているとはいつ

その裏側は同時に見ることは

できない。音楽や文芸の場合でも、それらは特にその享受の点においては必然的に運動的、継起的にならざるを得、ず、

一般的には確かにその対象は一挙に与えられることはない。しかし文芸の場合、本や活字自体は絵画や彫刻と同じく

物として静止しているといえるし、音楽の場合はそもそも静止云々ということ自体が意味をなさないであろう。ある

ても、彫刻の場合は当然のことながら見ている面しかわれわれには与えられておらず、

-26-

いは、文芸においてはたとえば短歌や俳句、

それにごく短かい詩などはほとんど一挙に与えられているといえないこ

ともないのである。絵画や彫刻もいわばあらゆる細部にわたって文字どおり一挙に享受するわけではないのだから。

空間芸術と時間芸術という分け方は、要するに主としてその表現媒体や享受形態によるものであり、その限りでは

述べたような混乱は避けられず、

その意味であまり意味のある分け方だとは思われない。だが、空間と時間という分

げ方、考え方それ自体が無意味だとはいえないであろう。われわれは、表現媒体や享受形態で分けるよりは、

むしろ

対象の捉え方あるいはその表現のあり方において空間的か時間的かと考えてみるべきであろう。もちろん、その場合

もあくまでも相対的な分げ方であることに変わりはない。だから、

それはいわばより空間的かより時間的かというこ

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とにはちがいない。

そのように考えてみれば、極めて時間的といえる絵画や彫刻もあれば、また極めて空間的といえる音楽や文芸もあ

り得るであろう。そして、『レイテ戦記』における戦闘経過の記述はすぐれて空間的な対象の捉え方、表現のあり方に

なっていたといえるのである。先にあげた例からもわかるように、そこでは日米両軍のまさに空間的な位置関係や距

離関係、あるいはそれぞれの軍の移動の様相に主な関心が集中され、そのような記述がその中心をなしていたのであ

つまり、

そこでの出来事とは、

たえず空間的なあるいは空間的な関係性の変化として表われていたといってよい

のである。

いうまでもないことだが、そのような記述が表現していた、あるいは表現しようとしていた対象が特に空間的であっ

まい。先のような記述が空間的であるのは、あるいはあり得ていたのは、

その対象が空間的であったからというので

一 27-

たというわけでは決してない。戦闘という出来事は空間的でも時間的でもなく、そのいずれでもあるという外はある

はなく、その捉え方、

その表現のあり方が空間的であったというべきであろう。したがって、それはまたちがった表

現でもあり得たはずなのである。極めて空間的な表現といえる地図が付されていたのも、

いうまでもなくそのことと

関係している。空間的であったが故に、

いわばより空間的な表現である地図に表現し得たともいえるし、

またそのよ

うな地図を前提とすることによってより空間的になり得ていたともいえるであろう。しかし、地図の導入はもともと

記述の内容の把握を助けるためではなかったか。少なくともその動機からいえばそのとおりで、また実際もそうなっ

ていたといってよい。その意味で、先の記述はいわば充分に空間的にはなり得ていなかったともいえる。あるいは、

そもそも空間的ではなかったが故に地図によって補っていたといえないこともない。だが、それは地図と比較した場

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史

合にそういえるということにすぎず、地図と言語(文字)

の表現媒体のちがいを考えないことから生じる結果に外な

らない。

さて以上のように考えてみるならば、『レイテ戦記』における戦闘経過の記述はいわば空間的な歴史記述としてのひ

とつの独自なあり方でもあり得ていたということができるであろう。

レイテ島における日米両軍の戦闘という出来事

一般に歴史記述の基本的なあり方は時間的な、あるいは時間を中

を、まさに空間的に描いた歴史記述としてである。

心としたものであったといってよい。われわれの知る歴史記述の多くは、時間の推移を軸にして出来事がその因果関

係の説明を中心として、

まさに時間的に記述されたものであったといえる。因果関係とはまたすぐれて時間的な考え

方であったといえるだろう。あるいは、年表といったものも歴史記述のひとつであり、

いうまでもなくそれは明確に

-28-

時間という枠組みによって記述されたものに外ならない。出来事とは、当然のこと時間の推移において成立するから

であり、

また歴史とはあるいは過去とは、時間という観念があってはじめて生まれてくるものだともいえるからであ

る。その意味で、それはごく自然なあり方であったといえる。だが、いうまでもなく出来事とは一定の空間内で起り、

一定の空間において展開するものでもある。その意味で、出来事の空間的な捉え方、表現のあり方もまた歴史記述の

ひとつの方法であり得るのである。

われわれは、時間と空間のいずれもがなければどのような事象も成立しないこと、

したがってそれらは相補的かっ

お互いに不可欠なものである乙とを理解している。

にもかかわらずわれわれは、

およそあらゆる事象を時間的に捉え

ることに慣れてしまい、

おそらくはほとんど意識することもないほどにそれがあたかも第一義的なあるいは最も自然

およそあらゆる事象を規定する枠

な捉え方であると見なしている。時間はいわば空間と別にそれ自体として存在し、

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組みのようなものとして捉えられているといってよいのである。戦闘経過の記述にもむろん時間の推移はあったし、

また基本的には時間の経過にしたがって記されていた。それほど、時聞はわれわれにとって基本的な枠組みになって

いるといえるのである。

だがょうく考えてみると、時間は単に空間と相補的かっそれを不可欠とするというだけではなく、空聞がなければ

そもそも時間は成立しない、

というよりは空間によってしか時聞は規定できないものなのである。ある一定の時間の

経過を時間以外で規定できるのは空間でしかあり得ないであろう。その意味で、時間よりはむしろ空間の方が先ない

しは根源的であるといえないこともないのである。だが、すでに明らかなことと思うが空間も時間の場合とおそらく

は正確に同じく、時聞がなげれば成立しないであろう。ということは結局、時間と空間は要するに楯の両面、あるい

それでは、そのような戦闘経過の記述は『レイテ戦記』全体においてはどのような意味を持ち、作品全体はどのよ

-29-

は同じことの見方のちがいともいえるであろう。

うな表現を獲得していたのであろうか。そのことを、

ひき続き歴史記述の方法という観点から明らかにすること、そ

れが次の問題となろう。

歴史記述としての方法叩

ll記述者と語り手

先に寺田透や亀井秀雄が問題にしていたが、『レイテ戦記』には寸私」が登場する。正確にいえば寸筆者」というい

い方もあり、

その使い分けはむろん厳密ではないが、

おおむね後者はその個人的な内容に関わる場合に用いられてい

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(二一)

た。「筆者はこのサンホセ警備隊の一等兵であった。L

(

「二十四

壊滅」)、「護衛兵の中には、筆者と同様、三ヵ月教育

転進」)、「これは筆者が『野火』という小

召集を受げただげで送られて来た補充兵もまじっており、:::L(「二十六

説にした挿話である。」(「二十九

には明らかにこの作品の作者と認識される「私」ないしは「筆者」が登場する。そして、この作品を読んだときの私

カンギポット」)といった具合にである。それはともかく、要するに『レイテ戦記』

の印象ではそれが極めて少ないという感じを持った。『レイテ戦記』というかなりの記述量を持つ作品の中で、寸私L

「筆者」合わせて四十程度という数字は決して多いとは、少なくとも頻出しているとだけはいえないであろう。

だがそれはそれとして、私が極めて少ないと感じたのは、そのとき私の念頭に森鴎外の『伊沢蘭軒』があったため

であろう。『伊沢蘭軒』にも、明らかにこの作品の作者と認識される「わたくし」が登場し、作品全編にわたって文字

どおり「わたくし」は頻出していた。もっとも、これは伝記でありジャンルを異にしているともいえるし、またその

30-

対象の捉え方や表現のあり方も決して同じではない。だが、亀井秀雄が、『レイテ戦記』は他者を媒介とした個の集合

的、複合的な表現であるにもかかわらず、「それら細部の全てがそのまま作者自身の表現にほかならぬという烈しい印

象L

をぬぐいさることができなかったように、私も同じような印象を持った。『伊沢蘭軒』と比べてみたのはそのため

く表現になっており、

であった。すなわち、『伊沢蘭軒』は明らかに作者と認識される「わたくし」が全編にわたってその作品を記述してい

その意味でまさに「作者自身の表現」になっていたといえるからである。それだけではない。

『レイテ戦記』においては資料が直接引用され、そうでない場合でも資料(名)に言及することが行なわれ、その点で

も共通していたからである。『伊沢蘭軒』では、まさに先の「わたくし」が資料を直接引用しながらその解説を行なう

という記述になっていたのである。資料の引用に際して解説を行なうという点では、『レイテ戦記』もまた同様であっ

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た。そうであるならば、『レイテ戦記』

においても「私L

(

「筆者」)

が頻出していてもよかったはずではないか。そう私

は考えたのである。むろん、

そうでなければならないというわけではない。反対に、『伊沢蘭軒』には寸わたくしL

頻出しなくてもよかったのではないかともいえるからである。だが、『伊沢蘭軒』においては「わたくし」は極めて重

まさに歴史記述の方法に関する点においてであった。『レイテ戦記』における

要な役割を持っており、しかもそれは、

「わたしL

(

「筆者」)の

いっそ排除といってよい記述のあり方、それはどのような意味を持っていたのであろうか。

そのことを考えるために、これまでに問題にしてきた記述とは異なるたとえば次のような記述を見てみることにした

しユ。

井畑一等兵が壕へ入ってしばらくすると、坂の下に二台の戦車が現われた。弾も来た。

-31-

戦車は坂を登るつもりらしかった。カタピラの音は、この近さで聞くと、ガラガラというしわがれたような音に

変っていた。

彼の知らないほかの部隊の兵士が、坂の上に現われた。ガソリン躍を転がし始めた。躍は凸凹の坂路をはねなが

ら落ちて行った。日本兵は躍を転がし始める前に小銃で討って点火した。道傍の家の床下に転がりこむものもあっ

?-av〉

ナJ

,刃

一部は燃えながら米戦車の前まで転がって行った。

戦車はガラガラと老人がうがいをするような音を立てて退いて行った。

みんな歓声を挙げた。

井畑一等兵は飛行場作業隊員だから、銃も手摺弾も支給されていなかった。この時になっても彼に持たせる銃は、

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大岡昇平におげる歴史

隊には無いのだった。

「そのうち戦死する奴が出る。そいつのを使えL

と分隊長がいった。

日が暮れると、分隊長は、

寸もう大丈夫だ。

アメ公は夜は来やしねえ、上へあがろう」

といって、壕を出た。小屋の裏の林の中で、飯盆半分の飯を炊き、

レイテ島に着いて以来、

はじめて満腹感を味

わった。

小屋の床にアンペラにくるまって横になった。

いっそ一人で逃げ出して、山へ入っちゃおうか、どうしようかと

翌日、米兵はプラウエンの町に入って来た。井畑一等兵は喉笛を横から貫かれ、唖になってしまった。(「八

-32

迷いながら、眠りに就いた。

抗」)

これは、先に引用した戦闘経過の記述のすぐ後にある記述で、ブラウエンの町に達した米七六八戦車大隊の

M4戦

車を日本軍がむかえうつ記述の部分である。下級兵士としてはおそらくはじめて固有名で登場する井畑敏一一等兵の

視点に立って表現されているこの記述は、亀井秀雄のいう「兵士を主人公にした部分」に当り、先の戦闘経過の記述

とは明らかにその表現の質を異にしている。先に述べた空間的な表現にはなっていないというのではない。むろんそ

れもあるが、

それよりも、ここはいわゆる作者とは異なるいわばもうひとりの記述者、すなわち語り手といったもの

を想定して読まれるべき表現なのである。もちろんこの部分は、喉笛を撃たれ唖になって帰還した井畑敏一なる人物

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ま五日つご、

、刃ヨロてナ'

というより唖になってしまったのだから文字どおり書いたものを、作者大岡昇平がいわばリライトしたも

のであろう。だが表現としては、井畑一等兵の視点に立ついわゆる語り手によって語られたものと捉えなければなら

ないのである。そして、

それはヴォルフガング・イ

1ザーが述べていたようなまさに読者を内包する、読者が組み込

まれている記述であったといえる。読者は、語り手という想定された、

その意味でまさに記述に内包されたものの視

点に立って読まざるを得ない、読むことを余儀なくされているからである。そしてそれは同時に、対象として描かれ

ている井畑一等兵という特定の人物の視点に立って読むことでもある。

乙こも、実際の事柄、実際の出来事が記述の対象になっているという点では先の記述と同様である。だから、この

ような記述もまた切実な思いをもって読む者がいるであろうことはいうまでもない。だが、先の場合と同様な意味で

それがわれわれの読みでもあることを要求されているわけではない。われわれは、基本的にはそのことと関係なしに

-33-

すでにある一定の読みを強いられているからである。ただここでの記述の場合、最も切実に読むであろう人物とわれ

われは、結果的にはいわば同じ読みをすることになるともいえる。その人物とは井畑敏一その人に外ならない。

し33闘っ

までもなく、

それは井畑一等兵の視点に立って記述されているからである。というよりは、

そもそもそれがその人本

人の回想をもとにして書かれたものであったからであり、その意味で彼は最も切実に読む人というよりはむしろ最も

切実に回想した、書いた人であるというべきであろう。

あったのは、

ここで念のために確認しておくならば、先の戦闘経過の記述がいわば読者が決定的な外部に存在するような記述で

それが単に実際の事柄、実際の出来事が記述の対象になっていたからであったというだげではなく、そ

れが先に分析したような記述であったからである。だから、

いわゆる虚構作品においてもそのような記述はあり得る

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

であろう。それと同様、

イlザ

lのいう読者を内包する、読者が組み込まれている記述は虚構作品でなげればあり得

ないというわけではなく、実際の事柄、実際の出来事を対象とする記述においてもむろんあり得るのである。歴史小

説というものが成立し得るのも、

そして歴史小説と歴史記述といった問題が起ってくるのもまさにそのために外なら

ない。イ

I、ザ

1は、対象を特に「虚構テクスト」に限る必要はなかったのである。

さて、『レイテ戦記』には今見たような記述もまた少なくなかった。要するに、この作品の作者と認識される「私L

(「筆者」)が記述していくという表現とは捉えられない表現が、この作品にはそれ相当に存在していたのである。そし

て、作品全体としても実はそのような表現へと傾いていく、

いわばその方向性といったものはあったといってよい。

全てそのような表現へと流れていくというわけではもちろんない。だが、「私」(「筆者」)

のたえざる刻印はいわばそ

-34-

そのひとつの要因といえるのが、「私」(「筆者L)

の欠知であった。寸私」(「筆者」)という主語をたえず冠さなければ、

れを防ぐ役割を果すことにはなるのである。そしてもうひとつの要因と考えられるものは、『伊沢蘭軒』に比べるなら

ば実は資料の直接引用が極めて少なかったことである。資料の直接引用は基本的には「私」(「筆者L)

によるものと見

なし得るからであり、したがってそれはまた先と同様な役割を担い得ることになるはずである。たとえば先の記述の

場合、井畑敏一なる人物の書いたものをそのまま引用することもできたのであって、その場合は、全体としては寸私」

(「筆者L)

が記述するという表現になり得ていたのである。

そのように考えるならば、『レイテ戦記』はいわゆる語り手が語る表現と捉えられる作品になっていてもよかったの

である。たとえば、『伊沢蘭軒』と同じ鴎外のいわゆる史伝とひとくくりにされている『渋江抽斎』は、『伊沢蘭軒』

とは異なり現にそのような作品になっていたのである。この作品にも、明らかに作者と認識される「わたくし」が登

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場し、しかもそれは『レイテ戦記』に比べではるかに多かった。また、資料の直接引用もごく稀にではあるがあった。

だが、作品全体としてみれば明らかに「わたくしL

が記述していくという表現にはなっておらず、基本的にはやはり、

いわゆる語り手が語る表現になっていたのである。

しかし、

にもかかわらず『レイテ戦記』はそのような表現にはなっていなかった。亀井秀雄が抱いた烈しい印象、

イテ戦記』

そして私ももった同じような印象は単なる印象でもまた錯覚でもなかったのである。亀井はその理由を分析して、『レ

における作者と他者との集合的な表現とは要するに作者が他者に憲いた眼をもった、あるいは他者の眼を

イメージ

そのような表現が具体的な「像」を生むためだと述べていた。確

自分のなにかとり込んだ表現であったからであり、

かにそれもひとつの大きな理由であったであろう。だが、『レイテ戦記』は基本的には明らかに作者と認識される記述

その最大の要因と考えられるのが戦闘経過の記述であった。戦闘経過の記述の部分にも、「私」(「筆者」)

ど全く登場していなかった。だが先に引用した記述からもわかるように、そこでは語り手といったものを、すなわち

はほとん

-35-

者が記述する表現と捉えられる作品に現になっていたといえるのである。

作者とは異なるいわばもうひとりの記述者を想定して読まれなければならない表現では明らかにないのである。すで

に述べたように、先の記述もその基本的な表現の視点は米軍あるいは米軍の兵士たちにあったといえる。しかしそれ

は、主として米軍の空間的な移動や位置関係を記述しているという意味での、その限りにおいてそうであったという

ことにすぎない。すなわち、

それは米軍なら米軍の、ある特定の人物の視点に立った表現ではなかったということで

あり、

またそのような視点に立つ語り手が語る表現でもなかったのである。その点で、先の井畑一等兵の記述とは明

らかに異なるのである。そして、ここでのいわば真の表現の視点はどこにあったかといえば、

それは戦闘経過を空間

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

的な位置関係や距離関係あるいは部隊の移動として、しかもそれを地図上に見るように備眼的に捉えた作者と認識さ

れる記述者にあったというべきであろう。その意味で、戦闘経過の記述は基本的には作者と認識される記述者が記述

していく表現と捉えることができるのである。われわれはむろんそのような記述者の視点に立って読むことになる。

だが、明らかに作者と認識されるここでの記述者とは、語り手といった内包されたものではなく、また作品において

記述の対象ともなっていなかった、すなわち作品のいわゆる登場人物でもなかったのである。その意味でそれは記述

の決定的な外部に存在する、

というよりはその記述こそいわばその外部からやってきたものであったといえるであろ

ぅ。ある一定の視点に立って読みながらも表現としては読者を内包しない、読者が組み込まれていない記述といえる

のはそのためである。もともとわれわれは、ある一定の視点に立って読むことしかできないのであって、

いわば無視

-36-

点とでもいうべき読みなどありはしない。読者の内包や記述の外部といったことも、

むろん単なる視点の問題ではな

かったのである。

このような戦闘経過の記述は量的にも極めて多かったばかりでなく、この作品においてはいわばその基本をなす記

述であったといってよい。というのは、それが事実経過の基本的な記述であったからであり、

その記述をもととして

それに対する解説や論評を加えていくというのが、『レイテ戦記』の基本的な記述のあり方だったからである。そして、

数少ない「私」が登場していたのもそのほとんどはこの解説や論評の部分であり、それは主として「私」の判断が示

される場合であった。たとえば、「多少の文飾はあるが、これはレイテ島の北部の戦闘について、最も真実に充ちた本

抵抗」)、寸私の素人考えでは、咽瑳の判断にそこまで要求するのは苛酷なような気がする。」

と私には思われる。L

(

「八

(「九

海戦L)

、「これは、この段階では特攻が、普通の出撃の延長として行われたことを示していると私には思われる。L

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(「十神風」)といったようにである。因に、引用が作品の前半ばかりであるのは、寸私」が前半に集中しているから

に外ならない。先に引いた「筆者」の例が後半からだったのも同じ事情による。そして、加えていえば資料の直接引

用は比較的少なかったが、しかし資料(名)に言及することはかなり頻繁に行なわれていたことである。更には、た

とえば先の井畑一等兵の記述のすぐ前には次のような記述があったのである。

井畑敏一一等兵は和歌山県郡賀町の土建業者で、十八年召集、第五十四飛行場中隊に属し、十九年六月以来ブラ

ウエン南飛行場(パユグ)

の地均した従事していた。

基づいたものであるとはっきり記される場合もあった。その意味で、

そのような記述は資料の直接引用と同等の表現

-37-

いわゆる語り手が語る表現と捉えられる記述の前には、多くはこのような記述があった。あるいは、これは何々に

とみなすこともできるであろう。それらの点を考え合わせるならば、『レイテ戦記』は基本的には作者と認識される記

述者が記述する表現と捉えることができるのである。

そして、このような表現が、歴史記述の方法としての基本的かついわば最低限のあり方であったといえるのである。

何故ならば、すでに別の場所でも論じたが、歴史記述としてわれわれに可能なのは過去のある事柄をその時点で直接

体験した誰かが表現したもの、あるいは過去の事柄を後の誰かが何らかの方法で対象的に表現したものを指示し、か

つそれらを解釈することであり、したがって明らかに作者と認識される記述者が記述するという表現が、現実にそれ

を指示し解釈するという歴史記述の前提を保証してくれるものとなるからである。指示し解釈する主体もいわゆる歴

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

史を超越することはできない。それ故に、

そのような記述者はまさに記述者としての歴史(性)をも表現する方法に

もなり得ており、

そのようなものとのいわば総合的な関わり合いによって歴史記述は形づくられていくのである。た

だし断っておけば、ここでいう歴史記述とは自伝や回想録あるいは手記の類を除いた場合をさすことである。これら

もむろん広い意味での歴史記述といってよく、

その分析もまた重要であることはいうまでもない。しかし、

一般に歴

史記述の方法を問題にする際にはとりあえずこれらを除外して考える方が混乱を避け得るであろう。これらに共通す

ることは、

いうまでもなく自己が直接体験したことを想起するということであり、明らかにその性質を異にする。そ

の点については第五章で『幼年』『少年』という自伝を扱う際に検討することにする。

これまで、歴史そのままとか過去のありのままとかいういい方や、あるいは事実(真実)

ということばがあまりに

-38-

も安易に使われてきた。しかし、歴史そのままとか過去のありのままなどということは実はあり得ないのであり、

たそのような意味での事実(真実)などというものもそもそも存在しないというべきであろう。過去の出来事それ自

体、あるいは過去の出来事そのものといった意味での歴史をわれわれは指示することはできず、

またもともとそのよ

うなものも存在しないのである。ただ、付け加えていっておくならば、

それはいわば過去故の特殊な事情によるもの

ではなく、出来事、実際の出来事というものの記述や認識そのものの本来的な不可能性によるものであるということ

である。だから、先のような意味での歴史はその過去の時点では指示できたわけでも、またかつては存在していたわ

けでもない。

いずれにしても、これはあまりにも懐疑主義的な考えに聞こえるかもしれない。だが念をおすまでもないが、

し〉

ゆる歴史を認識すること、歴史を記述することそれ自体不可能だといっているのでも、

またそれがたえず恋意的で主

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観的なものだといっているわけでもない。そして、『レイテ戦記』におけるすでに述べたような表現のあり方が、

まさ

に可能な歴史記述のすぐれた方法であったのである。

だがここで改めて考えてみるに、それにしても何故『レイテ戦記』においては「私」(「筆者L)

が頻出していなかっ

たのであろうかという疑問がやはり残るであろう。この作品では寸私L

(

「筆者」)が故意に抑制されているという感じ

がしないでもないのである。やや先走ることになるが、大岡昇平は『幼年』の官頭近く次のようないい方をしていた。

大正年聞に東京郊外で育った一人の少年が何を感じ、何を思ったかを書いて行けば、その聞の渋谷の変遷が現わ

れて来るはずである。「私は」寸私の」と自己を主張するのは、元来私の趣味にない。渋谷という環境に埋没させっ

つ、自己を語るのが目的である。(「一

新小川町の家」)

-39-

大岡昇平に元来そのような趣味がなかったかは問わず、また『幼年』が実際意図したような書き方になっていたか

は後の検討にゆだねよう。ただ、大岡自身そのように考えていたことだけは確かであり、『レイテ戦記』においても実

は同じような考えを持っていたのではなかったか。すなわち、大岡はかなり意識的に「私」(「筆者L)

を避けていたの

おおむね「筆者L

がその個人的な内容に関わる場合に、「私L

がその判断が示され

ではないかと考えられるのである。

る場合に使われていたのも、それを最小限におさえようとしていたことを示していると見ることもできるであろう。

大岡は、歴史記述においては極力「私」(「筆者」)といった一人称を避けるべきであること、それが歴史記述のいわゆ

る客観性を保証するとはいわないまでもその最低限のあり方であると考えていたのではなかろうか。もしそうだとし

北大文学部紀要

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大岡昇平における歴史(三)

たら、

いうまでなくそれは誤っている。だが仮にそうだとして、実はそのように考えてしまっても止むを得ないよう

な状況がまわりにはあったのである。それこそ、ョ私は」寸私の」と自己を主張する」ことで結果的には自己弁護に陥

り、揚句の果ては都合のいいように事実を曲げてしまうような手記や回想録の類が多く出まわっていたからである。

よく引かれる野間宏との対談「戦争と文学L

(

『人民文学』、明・

8)で大岡昇平は、「ぽくが戦争で書きたかったこと

は「野火L

でお終いです。(略)もっともあんまり軍人が出鱈目を書き続けるんなら、レイテ戦記のようなものを書い

ていいとも思っていますがL

と述べていた。『レイテ戦記』執筆にはこのようなモチーフもあったのである。

う自伝であった。

そのような大岡が次に書いたのが、どのような形であれまさにその自己を記述の対象にした、『幼年』『少年』とい

(1)初出の標題は「わが生涯を紀行する」。

(2)本論(一)の序で述べたように、第四章では『天諒組』も

いっしょに扱う予定であったが、これは第六章において論じ

ることとする。

(3)以下、守レイテ戦記』からの引用は単行本『レイテ戦記』(中

央公論社、

π・9)による。この作品は初出発表以来、上記

の単行本、『大岡昇平全集』第八巻(中央公論社、日・

7)、

中公文庫本全三巻(中央公論社、引は・

9、目、日)、『大岡昇

平集』

9、叩(岩波書底、白・

6、7)に収められ、その度

40

毎に加筆訂正が行なわれている。特に大きなそれは、単行本

から中央公論社版『大岡昇平全集』へ、中公文庫本から岩波

書庖版司大岡昇平集』へのこ回で、それは主として新たな資

料や情報の入手によるものである。したがって、いわゆる最

終的な決定稿というべき岩波書底版『大岡昇平集』を用いる

のもひとつのあり方であるが、ここでは一応初出に最も近い

形の単行本を用いることにした。本論の展開においてそれら

の改稿は基本的に問題にはならないからであり、したがって

それは主として便宜上の理由による。

(4)以下、「個我の集合性

ll大岡昇平論

!l」におげる亀井の

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発言は、単行本『個我の集合性||大岡昇平論』(講談社、行-

5)所載本文による。

(5)SH虜記』(創元社、川切・ロ)、『続停虜記』(問、川日・ロ)、

『新しき倖虜と古き倖虜』(岡、日・

4)の三作を合わせ改編

したいわゆる合本版。

(6)初出の標題は「建設」(『別冊文芸春秋ヘ

ω-m)。ただし

引用は新潮文庫本(新潮社、

W-8)による。

(7)『レイテ戦記』を『伊沢蘭軒』のアナロジーとして捉えたも

のには、すでに篠田一土「日本の現代小説5

「レイテ戦記」」

(『すばる』第出号、打

-m)がある。

(8)その点については、拙稿「『渋江抽斎』と『伊沢蘭軒』のあ

いだ||いわゆる歴史物を捉える視点||L1国語国文研究』

第沌号、

mu・9)。

(9)その点については、拙稿「『伊沢蘭軒』の可能性11歴史小

説と歴史記述の問題に向けて||」(『日本近代文学』第似集、

目・

5)。

(印)注

(8)論。

(日)注

(9)論。

(ロ)単行本『幼年』(潮出版社、ね

-5)所載本文による。

(日)因に、初出の「わが生涯を紀行する」では、「「私は」「私の」」

は「「私が」「私がLLとなっており、「自己を主張する」とい

うニュアンスがやや強く表わされているといえる。

北大文学部紀要

前号までの目次

序第一章『蒼き狼』論争

論争の輪郭と問題の所在

コ元朝秘史』とその読み

森鴎外の歴史小説(論)理解

第二章一連の歴史小説論

歴史小説論執筆のモチーフ

史的・理論的考察

守歴史其億と歴史離れ』の解釈

江馬修『山の民』の評価

-41-

第三章「歴史小説の問題L

再度の歴史小説論執筆の背景

菊地昌典の歴史小説諭

菊地論に対する見方

新たな展開とその問題点