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Vol . 30 2009/7 Anniversary 創立 60 周年に 寄せて 特集 SHIGA UNIVERSITY Public information magazine 滋賀大学 広報誌

Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : [email protected]

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Vol.302009/7

Anniversary

創立60周年に寄せて

特集

滋賀大学広報誌 Vol.30

〒522-8522滋賀県彦根市馬場一丁目1-1TEL : 0749-27-7524

E-mai l : [email protected]. jp

発行日 平成21年7月

発 行 国立大学法人 滋賀大学

編 集 滋賀大学広報部会

SHIGA UNIVERSITY Public information magazine滋賀大学広報誌

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CONTENTSCONTENTSCONTENTSCONTENTSCONTENTSCONTENTSCONTENTSCONTENTSCONTENTS

学長からのメッセージ 創立60周年を新たな飛躍の機会に

写真で見る滋賀大学 新制大学発足から現在までー創立60周年記念行事のご紹介創立60周年に寄せて

Report 活躍する学生たち 「環境学習支援士」会の活動 知り隊!教え隊!井伊直弼

今の研究を語る 方言から探ることばのしくみ 組織の枠を超えた管理会計研究

留学体験記 海外渡航によって獲得したもの

海外研究報告 夏季ヨーロッパ研修

Close up 滋賀大学の新しい動き 滋賀大学で開講する教育免許状更新講習   平成21年度に着工、竣工する施設整備工事

クラブ・サークルInformation 陵水新聞会

近江の散歩 伊香具神社の12本足の鳥居

滋賀大学「環境学習支援士」会(教育学部)

豊田 悟子(経済学部4回生)

松丸 真大(教育学部准教授)

大浦 啓輔(経済学部准教授)

シャルマ・ムニク(経済学部4回生)

菊地 利奈(経済学部准教授)

施設管理課

教育学部

経済学部

谷田 博幸(教育学部教授)

04 081213

第8代学長 尾上 久雄            第9代学長 加藤 幹太第10代学長 宮本 憲一           教育学部同窓会長 神田 喜夫経済学部陵水会 理事長 大森 修太郎     竜王町教育委員会 教育長 岡谷 ふさ子経済学部第1期(1953年)卒業生 井上 輝重   教育学部准教授 奥田 援史経済学部教授 神山 進

滋賀大学長 成瀬 龍夫

特集●創立60周年に寄せて

22

26  28 29

30

34

35

特 集

Anniversary創 立 周 年 に 寄 せ て

 滋賀大学は、昭和24年に新制大学として発足し、今年60周年を迎えました。 この間地域における中核的拠点大学として、経済界・教育界をはじめ各界に優れた人材を輩出し、研究面でも多分野にわたって国内外で高い評価を受ける業績を生み出し、さらには、地域・国際社会における歴史・文化等の向上に貢献しているところです。 21世紀を迎え、これまでの実績と伝統に安住することなく、新たな改革と発展を目指していきますので、卒業生をはじめ関係者の皆様のご協力、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

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CONTENTS

学長からのメッセージ 創立60周年を新たな飛躍の機会に

写真で見る滋賀大学 新制大学発足から現在までー創立60周年記念行事のご紹介創立60周年に寄せて

Report 活躍する学生たち 「環境学習支援士」会の活動 知り隊!教え隊!井伊直弼

今の研究を語る 方言から探ることばのしくみ 組織の枠を超えた管理会計研究

留学体験記 海外渡航によって獲得したもの

海外研究報告 夏季ヨーロッパ研修

Close up 滋賀大学の新しい動き 滋賀大学で開講する教育免許状更新講習   平成21年度に着工、竣工する施設整備工事

クラブ・サークルInformation 陵水新聞会

近江の散歩 伊香具神社の12本足の鳥居

滋賀大学「環境学習支援士」会(教育学部)

豊田 悟子(経済学部4回生)

松丸 真大(教育学部准教授)

大浦 啓輔(経済学部准教授)

シャルマ・ムニク(経済学部4回生)

菊地 利奈(経済学部准教授)

施設管理課

教育学部

経済学部

谷田 博幸(教育学部教授)

04 081213

第8代学長 尾上 久雄            第9代学長 加藤 幹太第10代学長 宮本 憲一           教育学部同窓会長 神田 喜夫経済学部陵水会 理事長 大森 修太郎     竜王町教育委員会 教育長 岡谷 ふさ子経済学部第1期(1953年)卒業生 井上 輝重   教育学部准教授 奥田 援史経済学部教授 神山 進

滋賀大学長 成瀬 龍夫

特集●創立60周年に寄せて

22

26  28 29

30

34

35

特 集

Anniversary創 立 周 年 に 寄 せ て

 滋賀大学は、昭和24年に新制大学として発足し、今年60周年を迎えました。 この間地域における中核的拠点大学として、経済界・教育界をはじめ各界に優れた人材を輩出し、研究面でも多分野にわたって国内外で高い評価を受ける業績を生み出し、さらには、地域・国際社会における歴史・文化等の向上に貢献しているところです。 21世紀を迎え、これまでの実績と伝統に安住することなく、新たな改革と発展を目指していきますので、卒業生をはじめ関係者の皆様のご協力、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

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0504

創立60周年を新たな飛躍の機会に

学 長 か ら の メ ッ セ ー ジ

滋賀大学長

成瀬 龍夫

 1949年の国立学校設置法によって新制国立大学が

発足し、本学も旧制彦根高等商業学校と県師範学校を

母体として誕生した。このたび創立60周年を迎えること

ができたことを、多数の卒業生、歴代学長・事務局長を

はじめとする教職員とともに大きな喜びとしたい。

1

 60年の歴史を通じて、本学は歴史と伝統のある国立

大学として教育と学術文化面で特色のある実績を積み、

社会に貢献してきた。そのことをまず誇りとしてよい。

この機会に、私なりにそれらに触れてみたい。

 第1は、なんといっても優れた人材を育成し世に輩出

してきたことである。昭和26年度から平成20年度まで

の卒業生の数は、経済学部18,520名(男15,814名、

女2,706名)、教育学部12,367名(男5,787名、女6,580名)、

学部卒業生の合計30,887名である。大学院は経済学研

究科703名、教育学研究科883名、合計1,586名である。

 経済学部は、「士魂商才」「グローバル・スペシャリ

スト」の教育理念のもとに卒業生は、全国有名企業

(特に近江系企業、伊藤忠・丸紅・日本生命…)のほか

滋賀県下の主要企業(滋賀銀行、平和堂…)、県庁・市町

村で活躍してきた(付言するが、旧高商系で、総理大臣を

出した大学はここだけ)。また日本で初の博士後期課程

「経済経営リスク専攻」を設置している。教育学部は、130

年以上にわたる教員養成の歴史を有し、現職教員には

再教育の機会を提供し、県内各地で活発に教育相談活動

を展開してきた。また、全国に数少ない環境教育課程を

設置し、国際的な環境教育の拠点を形成してきた。

 最近のトピックスは、国立大学の中でも快挙といって

よいが、平成18年度に4種類のGPプログラムが採択

されたことである。

 第2は、本学らしさを示すものとして近江商人研究の実績

がある。これは昭和の初めから彦根高商の教授陣によって

着手されている。近年では、近江商人の経営理念が「三方

良し」(買い手良し、売り手良し、世間良し)と解釈されて、

企業の社会的責任(CSR)の視点から関心と評価を高めて

いる。また、附属史料館が近江商人、村落文書等を蒐集し

整理にかかわってきたことも注目して良い。県内市町村史

編纂(彦根市史、愛知川町史、秦荘町史、日野町史、大津

市史、五箇荘町史)にも多大な協力を行ってきた。

 第3に、教育学部にあっては、昭和20年代から附属

湖沼実習施設による調査研究が成果を上げてきたが、

これまた琵琶湖に近接する滋賀大学ならではの実績

である。他にも、近江盆地周辺山村の地理学・社会学的

研究、近世近江農村史、農民運動史の研究、近江古代・

中世史研究、地場産業の研究(近江蚊帳・信楽焼)、近江の

教育史、さらに食文化の研究などに関する成果がある。

 第4に、産学公の連携による地域経済の振興やまち

づくりへの参画も近年盛んに取り組まれている。産業

共同研究センターや環境総合研究センター、地域連携

センターなどによってMOT講座、環境・防災問題の調査

研究が積極的に展開され、県内9自治体と包括的な協力

協定を締結している。

 第5に、活発な国際交流についても触れておきたい。

2009年現在交流協定を締結している海外の大学は10か

国14大学で増加する傾向にある。本学が受け入れている

留学生の数は2009年に209名に達しているが、これは

理工系の学部・大学院を有しない文系大学としては非常

に多い数である。

2

 教育研究面の実績では本学は決して他の国立大学に

劣るものではないと考えている。しかしながら、経営面を

振り返ると、基本的な課題が未解決のまま推移してきた

と感じざるをえない。

 新制大学発足時に、滋賀大学は以下のように壮大な

将来構想を掲げた。

「彦根には、法経学部のほかに、県立短大を合併して

工学部、大津には学芸学部を充実して教育学部、学芸部

を拡充して文理学部を、長浜には医学部を、草津と滋賀

郡下坂本には農学部、彦根または醒井にその水産学科

をおく。それら各学部間の連絡のため、飛行艇のような

湖上快速艇を備え、大津彦根間を30分で結ぶ。その

燃料には湖岸からとれる天然ガスを利用し、通信は超短

波無線通話にする。これが実現すると、ビワ湖は学内の

泉水となり、世界的にも特色のある立派な大学となるで

あろう」 (「本学将来の構想について」大畑文七学長、昭和25年12月8日評議会)

❶ 特色GP  「びわ湖から学ぶ環境マインド   ~調査艇を利用した湖上体験学習~」

❸ 教員養成GP  「『実践力診断講座』による教員の資質向上   ~プレ講座からパーソナルロードマップの作成へ~」

❹ 魅力ある大学院教育イニシアティブ  「リスクリサーチャー養成の教育プログラム    ~海外共同教育プログラムを中心に~」

❷ 現代GP  「知識創造型ユビキタスな学びプロジェクト    ~携帯電話対応コメントカードシステムを    活用した知識創造力の育成~」

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

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0504

創立60周年を新たな飛躍の機会に

学 長 か ら の メ ッ セ ー ジ

滋賀大学長

成瀬 龍夫

 1949年の国立学校設置法によって新制国立大学が

発足し、本学も旧制彦根高等商業学校と県師範学校を

母体として誕生した。このたび創立60周年を迎えること

ができたことを、多数の卒業生、歴代学長・事務局長を

はじめとする教職員とともに大きな喜びとしたい。

1

 60年の歴史を通じて、本学は歴史と伝統のある国立

大学として教育と学術文化面で特色のある実績を積み、

社会に貢献してきた。そのことをまず誇りとしてよい。

この機会に、私なりにそれらに触れてみたい。

 第1は、なんといっても優れた人材を育成し世に輩出

してきたことである。昭和26年度から平成20年度まで

の卒業生の数は、経済学部18,520名(男15,814名、

女2,706名)、教育学部12,367名(男5,787名、女6,580名)、

学部卒業生の合計30,887名である。大学院は経済学研

究科703名、教育学研究科883名、合計1,586名である。

 経済学部は、「士魂商才」「グローバル・スペシャリ

スト」の教育理念のもとに卒業生は、全国有名企業

(特に近江系企業、伊藤忠・丸紅・日本生命…)のほか

滋賀県下の主要企業(滋賀銀行、平和堂…)、県庁・市町

村で活躍してきた(付言するが、旧高商系で、総理大臣を

出した大学はここだけ)。また日本で初の博士後期課程

「経済経営リスク専攻」を設置している。教育学部は、130

年以上にわたる教員養成の歴史を有し、現職教員には

再教育の機会を提供し、県内各地で活発に教育相談活動

を展開してきた。また、全国に数少ない環境教育課程を

設置し、国際的な環境教育の拠点を形成してきた。

 最近のトピックスは、国立大学の中でも快挙といって

よいが、平成18年度に4種類のGPプログラムが採択

されたことである。

 第2は、本学らしさを示すものとして近江商人研究の実績

がある。これは昭和の初めから彦根高商の教授陣によって

着手されている。近年では、近江商人の経営理念が「三方

良し」(買い手良し、売り手良し、世間良し)と解釈されて、

企業の社会的責任(CSR)の視点から関心と評価を高めて

いる。また、附属史料館が近江商人、村落文書等を蒐集し

整理にかかわってきたことも注目して良い。県内市町村史

編纂(彦根市史、愛知川町史、秦荘町史、日野町史、大津

市史、五箇荘町史)にも多大な協力を行ってきた。

 第3に、教育学部にあっては、昭和20年代から附属

湖沼実習施設による調査研究が成果を上げてきたが、

これまた琵琶湖に近接する滋賀大学ならではの実績

である。他にも、近江盆地周辺山村の地理学・社会学的

研究、近世近江農村史、農民運動史の研究、近江古代・

中世史研究、地場産業の研究(近江蚊帳・信楽焼)、近江の

教育史、さらに食文化の研究などに関する成果がある。

 第4に、産学公の連携による地域経済の振興やまち

づくりへの参画も近年盛んに取り組まれている。産業

共同研究センターや環境総合研究センター、地域連携

センターなどによってMOT講座、環境・防災問題の調査

研究が積極的に展開され、県内9自治体と包括的な協力

協定を締結している。

 第5に、活発な国際交流についても触れておきたい。

2009年現在交流協定を締結している海外の大学は10か

国14大学で増加する傾向にある。本学が受け入れている

留学生の数は2009年に209名に達しているが、これは

理工系の学部・大学院を有しない文系大学としては非常

に多い数である。

2

 教育研究面の実績では本学は決して他の国立大学に

劣るものではないと考えている。しかしながら、経営面を

振り返ると、基本的な課題が未解決のまま推移してきた

と感じざるをえない。

 新制大学発足時に、滋賀大学は以下のように壮大な

将来構想を掲げた。

「彦根には、法経学部のほかに、県立短大を合併して

工学部、大津には学芸学部を充実して教育学部、学芸部

を拡充して文理学部を、長浜には医学部を、草津と滋賀

郡下坂本には農学部、彦根または醒井にその水産学科

をおく。それら各学部間の連絡のため、飛行艇のような

湖上快速艇を備え、大津彦根間を30分で結ぶ。その

燃料には湖岸からとれる天然ガスを利用し、通信は超短

波無線通話にする。これが実現すると、ビワ湖は学内の

泉水となり、世界的にも特色のある立派な大学となるで

あろう」 (「本学将来の構想について」大畑文七学長、昭和25年12月8日評議会)

❶ 特色GP  「びわ湖から学ぶ環境マインド   ~調査艇を利用した湖上体験学習~」

❸ 教員養成GP  「『実践力診断講座』による教員の資質向上   ~プレ講座からパーソナルロードマップの作成へ~」

❹ 魅力ある大学院教育イニシアティブ  「リスクリサーチャー養成の教育プログラム    ~海外共同教育プログラムを中心に~」

❷ 現代GP  「知識創造型ユビキタスな学びプロジェクト    ~携帯電話対応コメントカードシステムを    活用した知識創造力の育成~」

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

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 しかしながら、これらの構想はほとんど何一つ実現し

なかった。

 国立大学のなかで新制大学当初のEE大学(教育学部

と経済学部の2学部構成)の姿を残しているのはもは

や本学だけである。とくに、キャンパス統合は新制大学

発足以来国策といってもよいほど全国各地で国から指導

と支援がなされてきたが、本学は彦根か大津かあるいは

別の土地か、学内の意見がまとまらず実現してこな

かった。とくに「両キャンパスでそれぞれ発展をめざす」

とした本学評議会の「47年(1972年)決定」は当時の

文部省の厳しい批判を招くに至たり、本学が要望した

第三学部構想が門前払いをくらうことがあった。

 歴代学長によって、EE大学からの脱却をめざした理工

系第三学部構想(「情報科学部」や「社会工学部」)、

キャンパス統合の可能性、さらには近隣国立大学との

統合問題が追求されてきたが、残念ながらいずれも実現

しなかった。こうしたことが、国立大学法人化後はいわば

負の遺産となって、本学の財政基盤の脆弱性、キャン

パス分散によって集積の利益が働かない経営の不効

率、さらには大学としてのアイデンティティを盛り上げ

ていく上での困難さを生み出している。

 以上のような問題を抱えながらも、他面ですでに述べ

たように学術面や社会貢献で実績を挙げるさまざまな

努力がなされてきた。経営面でも、大学運営の一体化

を強めるための体制整備が行われてきた。その1つと

して加藤幹太学長の時代に、それまで両キャンパスで

独立して挙行されていた入学式と卒業式の全学一本

化がはかられた。さらにまた、国立大学法人化前の平成

12年に策定された本学の理念「知の21世紀をきり拓く」

が注目される。これは、ある意味で画期的であった。なぜ

なら、本学を含め国立大学の大半は新制発足以来、独自

に個性的な理念を掲げるということはなかった。大学

の学則には、大学の使命を定めた教育基本法の「教育

の目的及び理念」の条文が引き写しにされているだけ

であった。要するに、本学は国立大学としての全国共通

の使命、その一翼を担っているという意識だけがあって、

個性的な魅力とか地域に根ざした大学の在り方とかは

ほとんど考えていなかったといって間違いないであろう。

何もなかったかといえば、そうではなく、両学部に引き

継がれてきた戦前からの歴史と伝統が大学の理念に

代替するものとして語られてきたといってよい。それさえ

も、忘れ去られていて、彦根高商と戦後新制発足時の

経済学部の教育方針であった「士魂商才」などは、平成

12年ごろに再発見されたものである。いずれにしても、

われわれの意識として「個性的な魅力ある大学」のイメー

ジづくりが求められるようになったのは法人化前後から

である。

 したがって、「個性的な魅力ある大学」への挑戦はまだ

その歴史が浅い。最近、本学の「個性」「カラー」「売り」

は何かと問われる機会が少なくないが、学長以下多く

の教職員は一口に即答できないのが辛いところである。

ただし、これは本学だけの悩みではなく、いまだ国立大学

の多くが抱える悩みといってよい。

3

 滋賀大学は将来についてどのような展望を描くこと

が出来るであろうか。

 その前に、この10年ほどを振り返ってわが国の高等

教育が制度的にも政策的にも急激に変化しつつあること

を知らなければならない。その1つ目は2004年4月の

国立大学の法人化であり、2つ目は2005年1月の中央

教育審議会による『我が国の高等教育の将来像』答申

であり、3つ目は2007年の教育基本法の改正である。

法人化といっても、国立大学が国立大学であることに

変わりはないが、大学の運営は各法人の自主性と自律

性にまかされ、6年間を一期間として教育・研究・業務

の全般にわたる計画を作成・実行し、国の評価を受ける

仕組みとなった。教育基本法の改正では、大学の目的

が教育・研究・社会貢献の3点であることが明記され

た。中教審答申では大学の機能が7種類に分けられ、

大学は将来に向けいずれかの機能を選択する方向性

が打ち出された。

 本学の将来展望は、以上のような日本の高等教育の

制度・政策のもとできり拓いていかなければならない。

とくに、国立大学の「大学の機能別分化」は次期中期計画

がその「転換期」とされている。本学では、「高度専門職業

人養成」「幅広い職業人養成」「特定の専門的分野(芸術、

体育等)の教育・研究」「社会貢献機能(地域貢献、産学官

連携、国際交流等)」の4つの機能に照準を合わせ、おお

むね下記のような考え方に立っている。

 「滋賀大学は、地域に根ざした拠点とグローバルな

視野をあわせもつ知の拠点として、学士課程・大学院

を通じて、幅広い職業人の養成に力を入れるとともに、

現代的な課題に対応できる高度な専門職業人の養成

をめざす。教育・研究領域では、大学の特性を生かした

多様な学術機能の充実をはかるとともに、その成果を

もって地域社会に貢献することを重視する。これらの機能

に基づいて、研究・教育と社会貢献を通じて、国立大学

としての社会的使命を果たすとともに、本学固有の特色

を発揮して、オンリーワンの創成をめざす」

(滋賀大学の第2期中期計画「基本目標」素案)

 それらを念頭に、私は、以下のような提起を行い、全学

への議論を呼びかけている。

 教育研究組織の再編については、今後の社会的ニー

ズと両学部の実情を踏まえながら、次のような方向性を

提起している。

 本学の将来構想は、次期中期計画期間に入ると、現在

の検討段階からいよいよ策定段階へとステップアップ

する考えである。

0706

学 長 か ら の メ ッ セ ー ジ

❶ 社会ニーズにマッチした個性的な国立大学として  社会に貢献する。

❸ 国の「留学生30万人計画」に対応し国際的な  交流教育の拠点づくりをすすめる。

❹ 快適な学び、研究、働きの場としての  滋賀大キャンパスづくりに取り組む。

❺ 本学の教育研究資源の「選択と集中」による  教育研究組織の再編を行う。

❷ 教育と研究の質の向上によって「教育力」も  「研究力」も国内上位の水準をめざす。

❶ 社会のニーズを先取りし、かつ学生の就職などが  20年、30 年先にも安定した見通しが得られる  サステイナブルな人材養成の内容と性格を  有すること。

❸ 既存学部と併せて各キャンパスの  「学士課程の再構築」に寄与するものであること。

❷ 基本的に既存の学部資源の有効活用で  創設可能であること。

創立60周年を新たな飛躍の機会に滋賀大学長 成瀬 龍夫

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

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 しかしながら、これらの構想はほとんど何一つ実現し

なかった。

 国立大学のなかで新制大学当初のEE大学(教育学部

と経済学部の2学部構成)の姿を残しているのはもは

や本学だけである。とくに、キャンパス統合は新制大学

発足以来国策といってもよいほど全国各地で国から指導

と支援がなされてきたが、本学は彦根か大津かあるいは

別の土地か、学内の意見がまとまらず実現してこな

かった。とくに「両キャンパスでそれぞれ発展をめざす」

とした本学評議会の「47年(1972年)決定」は当時の

文部省の厳しい批判を招くに至たり、本学が要望した

第三学部構想が門前払いをくらうことがあった。

 歴代学長によって、EE大学からの脱却をめざした理工

系第三学部構想(「情報科学部」や「社会工学部」)、

キャンパス統合の可能性、さらには近隣国立大学との

統合問題が追求されてきたが、残念ながらいずれも実現

しなかった。こうしたことが、国立大学法人化後はいわば

負の遺産となって、本学の財政基盤の脆弱性、キャン

パス分散によって集積の利益が働かない経営の不効

率、さらには大学としてのアイデンティティを盛り上げ

ていく上での困難さを生み出している。

 以上のような問題を抱えながらも、他面ですでに述べ

たように学術面や社会貢献で実績を挙げるさまざまな

努力がなされてきた。経営面でも、大学運営の一体化

を強めるための体制整備が行われてきた。その1つと

して加藤幹太学長の時代に、それまで両キャンパスで

独立して挙行されていた入学式と卒業式の全学一本

化がはかられた。さらにまた、国立大学法人化前の平成

12年に策定された本学の理念「知の21世紀をきり拓く」

が注目される。これは、ある意味で画期的であった。なぜ

なら、本学を含め国立大学の大半は新制発足以来、独自

に個性的な理念を掲げるということはなかった。大学

の学則には、大学の使命を定めた教育基本法の「教育

の目的及び理念」の条文が引き写しにされているだけ

であった。要するに、本学は国立大学としての全国共通

の使命、その一翼を担っているという意識だけがあって、

個性的な魅力とか地域に根ざした大学の在り方とかは

ほとんど考えていなかったといって間違いないであろう。

何もなかったかといえば、そうではなく、両学部に引き

継がれてきた戦前からの歴史と伝統が大学の理念に

代替するものとして語られてきたといってよい。それさえ

も、忘れ去られていて、彦根高商と戦後新制発足時の

経済学部の教育方針であった「士魂商才」などは、平成

12年ごろに再発見されたものである。いずれにしても、

われわれの意識として「個性的な魅力ある大学」のイメー

ジづくりが求められるようになったのは法人化前後から

である。

 したがって、「個性的な魅力ある大学」への挑戦はまだ

その歴史が浅い。最近、本学の「個性」「カラー」「売り」

は何かと問われる機会が少なくないが、学長以下多く

の教職員は一口に即答できないのが辛いところである。

ただし、これは本学だけの悩みではなく、いまだ国立大学

の多くが抱える悩みといってよい。

3

 滋賀大学は将来についてどのような展望を描くこと

が出来るであろうか。

 その前に、この10年ほどを振り返ってわが国の高等

教育が制度的にも政策的にも急激に変化しつつあること

を知らなければならない。その1つ目は2004年4月の

国立大学の法人化であり、2つ目は2005年1月の中央

教育審議会による『我が国の高等教育の将来像』答申

であり、3つ目は2007年の教育基本法の改正である。

法人化といっても、国立大学が国立大学であることに

変わりはないが、大学の運営は各法人の自主性と自律

性にまかされ、6年間を一期間として教育・研究・業務

の全般にわたる計画を作成・実行し、国の評価を受ける

仕組みとなった。教育基本法の改正では、大学の目的

が教育・研究・社会貢献の3点であることが明記され

た。中教審答申では大学の機能が7種類に分けられ、

大学は将来に向けいずれかの機能を選択する方向性

が打ち出された。

 本学の将来展望は、以上のような日本の高等教育の

制度・政策のもとできり拓いていかなければならない。

とくに、国立大学の「大学の機能別分化」は次期中期計画

がその「転換期」とされている。本学では、「高度専門職業

人養成」「幅広い職業人養成」「特定の専門的分野(芸術、

体育等)の教育・研究」「社会貢献機能(地域貢献、産学官

連携、国際交流等)」の4つの機能に照準を合わせ、おお

むね下記のような考え方に立っている。

 「滋賀大学は、地域に根ざした拠点とグローバルな

視野をあわせもつ知の拠点として、学士課程・大学院

を通じて、幅広い職業人の養成に力を入れるとともに、

現代的な課題に対応できる高度な専門職業人の養成

をめざす。教育・研究領域では、大学の特性を生かした

多様な学術機能の充実をはかるとともに、その成果を

もって地域社会に貢献することを重視する。これらの機能

に基づいて、研究・教育と社会貢献を通じて、国立大学

としての社会的使命を果たすとともに、本学固有の特色

を発揮して、オンリーワンの創成をめざす」

(滋賀大学の第2期中期計画「基本目標」素案)

 それらを念頭に、私は、以下のような提起を行い、全学

への議論を呼びかけている。

 教育研究組織の再編については、今後の社会的ニー

ズと両学部の実情を踏まえながら、次のような方向性を

提起している。

 本学の将来構想は、次期中期計画期間に入ると、現在

の検討段階からいよいよ策定段階へとステップアップ

する考えである。

0706

学 長 か ら の メ ッ セ ー ジ

❶ 社会ニーズにマッチした個性的な国立大学として  社会に貢献する。

❸ 国の「留学生30万人計画」に対応し国際的な  交流教育の拠点づくりをすすめる。

❹ 快適な学び、研究、働きの場としての  滋賀大キャンパスづくりに取り組む。

❺ 本学の教育研究資源の「選択と集中」による  教育研究組織の再編を行う。

❷ 教育と研究の質の向上によって「教育力」も  「研究力」も国内上位の水準をめざす。

❶ 社会のニーズを先取りし、かつ学生の就職などが  20年、30 年先にも安定した見通しが得られる  サステイナブルな人材養成の内容と性格を  有すること。

❸ 既存学部と併せて各キャンパスの  「学士課程の再構築」に寄与するものであること。

❷ 基本的に既存の学部資源の有効活用で  創設可能であること。

創立60周年を新たな飛躍の機会に滋賀大学長 成瀬 龍夫

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

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0908

写真で見る滋賀大学-新 制 大 学 発 足 から現 在まで-2009年、滋賀大学は発足から60周年を迎えました。これを記念して過去の写真を交えながら、発足から現在までを振り返ってみます。

1949(昭和24年) 学部構成の推移

 国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布により、旧制滋賀師範学校、滋賀青年師範学校及び

彦根経済専門学校(前身は彦根高等商業学校)の3校を包括して、学芸学部、経済学部の2学部からなる

新制大学国立69校の1校として、本部を彦根市中島町に置き発足。

 大畑初代学長は、「新制大学の教育は、学術の考究のみならず、軽視されてきた全人格的教養と知性

とをみがき、わが国の平和にして民主的な国家の建設や、ひいては世界平和、人類の福祉達成に指導的

役割を果たすべき人物の育成にあること」を強調。以後今日まで30,887名の学生が卒業しています。

 旧制滋賀師範学校、滋賀青年師範学校及び彦根経済専門学校が廃止。同時に学芸学部に

附属小学校、中学校を設置。1955年(昭和30年)附属幼稚園、1978年(昭和53年)には附属

養護学校が設置されました。

 教育基本法第3条(教育の機会均等)の中の「能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学

困難な者に対しては、奨学の方法を講じなければならない」という原則を実現する一環として、経済短期

大学部(経営科(第二部))を併設。1996年(平成8年)3月の廃止までに、3,752名の卒業生を送り出しま

した。

1966(昭和41年) 「学芸学部」は「教育学部」と改称。

 昭和40年代は、学園紛争が全国の大学に波及、大学としてはこの対応に追われることとなりました。

また、新学部の創設問題や統合問題など、教育や研究体制のあり方とも深くかかわる諸問題が提起され

た時代でした。

1973(昭和48年) 旧高商系国立大学では昭和30年代後半より修士課程設置の動きが高まり、本学においてもこの年、

大学院経済学研究科(経済学専攻、経営学専攻)が設置されました。

1975(昭和50年) 彦根地区の経済学部校舎と本部の改築は、運動場を八坂地区(現滋賀県立大学キャンパス)に移転

し、昭和50年度から同54年度にかけて進められ、現在のキャンパスとなりました。

1981(昭和56年) 教育学部の膳所校舎から現在の石山地区への移転改築は、昭和29年から昭和36年の長年にわたり

進められました。昭和56年度から昭和60年度にかけて石山地区校舎の整備が進められ、学内は広々と

したメインストリートをはさんだ「若者の広場」のようなキャンパスに変わりました。

1949(昭和24年)

学芸学部4年課程:小学校教員養成課程中学校教員養成課程2年課程:小学校教員養成課程中学校教員養成課程(1957(昭和32年)募集停止)

経済学部経済学科・経営学科

1967(昭和42年)

教育学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程養護学校教員養成課程経済学部経済学科・経営学科経済短期大学部経営科

開学を祝うパレード 開学を祝い開催された音楽会

正門

附属学校(東浦地区)

絵画実習室

本館棟 大・小合併講義室及び美術研究室棟附属学校運動会

第1回入学式

校舎棟

研究棟

大畑文七初代学長

附属養護学校

附属学校全景(東浦地区)

教育学部(石山地区) 封鎖された正門

1974(昭和49年)

教育学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程養護学校教員養成課程幼稚園教員養成課程経済学部経済学科・経営学科・管理科学科経済短期大学部経営学科

生物・地学研究室棟

人文・社会・教育棟

講義棟

自然科学棟

改築前の石山地区校舎

設備が進む彦根キャンパス

1951(昭和26年)

1953(昭和28年)

全景旧50mプール 大学会館

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

滋賀師範学校

彦根経済専門学校

学生部懐かしい木造校舎

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0908

写真で見る滋賀大学-新 制 大 学 発 足 から現 在まで-2009年、滋賀大学は発足から60周年を迎えました。これを記念して過去の写真を交えながら、発足から現在までを振り返ってみます。

1949(昭和24年) 学部構成の推移

 国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布により、旧制滋賀師範学校、滋賀青年師範学校及び

彦根経済専門学校(前身は彦根高等商業学校)の3校を包括して、学芸学部、経済学部の2学部からなる

新制大学国立69校の1校として、本部を彦根市中島町に置き発足。

 大畑初代学長は、「新制大学の教育は、学術の考究のみならず、軽視されてきた全人格的教養と知性

とをみがき、わが国の平和にして民主的な国家の建設や、ひいては世界平和、人類の福祉達成に指導的

役割を果たすべき人物の育成にあること」を強調。以後今日まで30,887名の学生が卒業しています。

 旧制滋賀師範学校、滋賀青年師範学校及び彦根経済専門学校が廃止。同時に学芸学部に

附属小学校、中学校を設置。1955年(昭和30年)附属幼稚園、1978年(昭和53年)には附属

養護学校が設置されました。

 教育基本法第3条(教育の機会均等)の中の「能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学

困難な者に対しては、奨学の方法を講じなければならない」という原則を実現する一環として、経済短期

大学部(経営科(第二部))を併設。1996年(平成8年)3月の廃止までに、3,752名の卒業生を送り出しま

した。

1966(昭和41年) 「学芸学部」は「教育学部」と改称。

 昭和40年代は、学園紛争が全国の大学に波及、大学としてはこの対応に追われることとなりました。

また、新学部の創設問題や統合問題など、教育や研究体制のあり方とも深くかかわる諸問題が提起され

た時代でした。

1973(昭和48年) 旧高商系国立大学では昭和30年代後半より修士課程設置の動きが高まり、本学においてもこの年、

大学院経済学研究科(経済学専攻、経営学専攻)が設置されました。

1975(昭和50年) 彦根地区の経済学部校舎と本部の改築は、運動場を八坂地区(現滋賀県立大学キャンパス)に移転

し、昭和50年度から同54年度にかけて進められ、現在のキャンパスとなりました。

1981(昭和56年) 教育学部の膳所校舎から現在の石山地区への移転改築は、昭和29年から昭和36年の長年にわたり

進められました。昭和56年度から昭和60年度にかけて石山地区校舎の整備が進められ、学内は広々と

したメインストリートをはさんだ「若者の広場」のようなキャンパスに変わりました。

1949(昭和24年)

学芸学部4年課程:小学校教員養成課程中学校教員養成課程2年課程:小学校教員養成課程中学校教員養成課程(1957(昭和32年)募集停止)

経済学部経済学科・経営学科

1967(昭和42年)

教育学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程養護学校教員養成課程経済学部経済学科・経営学科経済短期大学部経営科

開学を祝うパレード 開学を祝い開催された音楽会

正門

附属学校(東浦地区)

絵画実習室

本館棟 大・小合併講義室及び美術研究室棟附属学校運動会

第1回入学式

校舎棟

研究棟

大畑文七初代学長

附属養護学校

附属学校全景(東浦地区)

教育学部(石山地区) 封鎖された正門

1974(昭和49年)

教育学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程養護学校教員養成課程幼稚園教員養成課程経済学部経済学科・経営学科・管理科学科経済短期大学部経営学科

生物・地学研究室棟

人文・社会・教育棟

講義棟

自然科学棟

改築前の石山地区校舎

設備が進む彦根キャンパス

1951(昭和26年)

1953(昭和28年)

全景旧50mプール 大学会館

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

滋賀師範学校

彦根経済専門学校

学生部懐かしい木造校舎

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1110

写真で見る滋賀大学-新 制 大 学 発 足 から現 在まで-

1990(平成2年) 18歳人口が1992年をピークに減少し、今後小・中・高等学校の教員需要も減少することが予測され、

このため教育学部では教育職員免許状の取得を義務付けない、いわゆるゼロ免課程の情報科学課程

(教育情報コース、環境情報コース)を設置しました。

 経済学部にとって平成の10年間は、学部規模の拡大化の歴史であったといえます。急速に進む経済

社会の情報化・サービス化・ソフト化の展開に対応しながら、地域社会の要請にこたえるために情報管理

学科を設置しました。

2003(平成15年) 我が国で最初に社会科学系でリスクを中心とした大学院の専攻として、大学院経済学研究科に博士後期課程経済経営リスク専攻が設置されました。平成18年3月には、4名の修了生に対して、記念すべき最初の学位が授与されました。

 彦根キャンパスにおいて、オープンカフェ「ラグーナ」がオープン、2005年(平成17年)には、大津キャンパスに「ピーパ」がオープンし、学生や教職員の憩いの場として人気を集めています。

 滋賀大学大津サテライトプラザを平和堂アル・プラザ大津店に開設。2007年(平成19年)には、大学サテライト・プラザ彦根が平和堂アル・プラザ彦根店に彦根市の3大学等と開設し、地域貢献活動の拠点としても利用しています。

2004(平成16年) 国立大学法人法(平成15年法律第112号)の公布により、国立大学法人滋賀大学が設置されました。 他大学、自治体、教育委員会、企業との相互協力、業務連携の協定の締結も進み、現在では他大学等と8の協定、自治体、教育委員会、企業等と22の協定を締結しています。

2006(平成18年) 文部科学省競争的プログラムで、4つのGP(Good Practice:優れた改革計画の意味)を獲得しました。

 本学の国際活動を一層推進し、中心的役割を果たすため、留学生センターを改組し、国際センターを設置。現在では海外の17大学と交流協定を結び、外国人留学生は200名を超えています。

2007(平成19年) SIFE(Students In Free Enterprise)国内大会でSIFE滋賀大学チームが東大、一橋大学を破り優勝、ニューヨークで開催された世界大会に出場。結果は惜しくも予選敗退でしたが、学生にとっては、多くのことを学ぶよい機会となりました。

2008(平成20年) 環境総合研究センター「びわ湖・瀬田川オブザベトリ」が完成。琵琶湖を中心とした科学・環境に関する教育研究が一層推進されています。

 井伊直弼と開国150年祭タイアップ事業『「弘道館」~藩校から学ぶ~』-藩校資料展とキャンパス・パビリオン・士魂商才館-を開催、学生が考案したマスコットキャラクター「カモンちゃん」が誕生しました。

 平成18年から学生の通学の利便性の向上のため、彦根キャンパス・彦根駅間に大学直行バスを運行していますが、この年から学生食堂からの廃食油を再利用し、精製したバイオディーゼル燃料で走るBDFバスを導入しました。

1991(平成3年) 現職教員の再教育を重要な設置目的の一つとする大学院教育学研究科(学校教育専攻、障害児教育専攻、教科教育専攻)が設置されました。2年後の平成5年には構想した3専攻12専修すべてが完成しました。 経済学部にはファイナンス学科が増設。ファイナンス学科の新設は、全国的にも初めての試みであり、大学関係者から産業界に至るまで大きな注目を浴びることとなりました。

1993(平成5年) 経済学部全学科及び併設の経済短期大学部を改組し、社会システム学科を増設、経営学科、会計学科をそれぞれ、企業経営学科、会計情報学科とし、6学科体制となりました。 また、昼夜開講制の社会人コースが設けられ、入学定員は590名となり、国立大学の中では最大規模の経済学部が誕生しました。

1997(平成9年) 教育学部の小学校教員養成課程、中学校教員養成課程、養護学校教員養成課程及び幼稚園教員養成課程を一つに統合して、学校教育教員養成課程に改組。児童数の減少に対応するため、ゼロ免課程の情報科学課程に新たに2コースを新設しました。

2000(平成12年) さらなる児童数の減少に対応するため、情報科学課程は情報教育課程に改組、全国の国立大学の中でも数少ない環境教育課程を新設しました。

2001(平成13年) 大学院経済学研究科にグローバル・ファイナンス専攻が増設され、大学院教育学研究科学校教育専攻に環境教育専修及び情報教育専修が設置されました。 この年、教育学部に研究棟が完成しました。

1990(平成2年)

教育学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程養護学校教員養成課程幼稚園教員養成課程情報科学課程経済学部経済学科・経営学科・会計学科・情報管理学科経済短期大学部経営学科

1996(平成8年)

経済短期大学部廃止

1997(平成9年)

教育学部学校教育教員養成課程情報科学課程経済学部経済学科ファイナンス学科企業経営学科会計情報学科情報管理学科社会システム学科

2000(平成12年)

教育学部学校教育教員養成課程情報教育課程環境教育課程経済学部経済学科ファイナンス学科企業経営学科会計情報学科情報管理学科社会システム学科

カフェ ピーパ マスコットキャラクター「カモンちゃん」提案した学生のみなさん

環境学習支援士認定証授与式

調査艇「清流Ⅲ世」

世界大会出場での1コマ

大学サテライト・プラザ彦根

守山市教育委員会との協定調印

研究棟竣工式

研究棟中庭から研究棟を望む

学位記授与式

東近江市との協定調印

彦根3大学連携コミュニケ調印

SIFE国内大会

国際センター設置 留学生との交歓会

イメージキャラクター「アピュアくん」

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

改組・新設記念講演会 公開シンポジウム

第二校舎棟竣工式

 教育学部において、ISO14001の認証を取得。「エゴからエコへ」をキャッチフレーズに、環境マインド・環境スキルを持った学生の養成に取組んでいます。

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1110

写真で見る滋賀大学-新 制 大 学 発 足 から現 在まで-

1990(平成2年) 18歳人口が1992年をピークに減少し、今後小・中・高等学校の教員需要も減少することが予測され、

このため教育学部では教育職員免許状の取得を義務付けない、いわゆるゼロ免課程の情報科学課程

(教育情報コース、環境情報コース)を設置しました。

 経済学部にとって平成の10年間は、学部規模の拡大化の歴史であったといえます。急速に進む経済

社会の情報化・サービス化・ソフト化の展開に対応しながら、地域社会の要請にこたえるために情報管理

学科を設置しました。

2003(平成15年) 我が国で最初に社会科学系でリスクを中心とした大学院の専攻として、大学院経済学研究科に博士後期課程経済経営リスク専攻が設置されました。平成18年3月には、4名の修了生に対して、記念すべき最初の学位が授与されました。

 彦根キャンパスにおいて、オープンカフェ「ラグーナ」がオープン、2005年(平成17年)には、大津キャンパスに「ピーパ」がオープンし、学生や教職員の憩いの場として人気を集めています。

 滋賀大学大津サテライトプラザを平和堂アル・プラザ大津店に開設。2007年(平成19年)には、大学サテライト・プラザ彦根が平和堂アル・プラザ彦根店に彦根市の3大学等と開設し、地域貢献活動の拠点としても利用しています。

2004(平成16年) 国立大学法人法(平成15年法律第112号)の公布により、国立大学法人滋賀大学が設置されました。 他大学、自治体、教育委員会、企業との相互協力、業務連携の協定の締結も進み、現在では他大学等と8の協定、自治体、教育委員会、企業等と22の協定を締結しています。

2006(平成18年) 文部科学省競争的プログラムで、4つのGP(Good Practice:優れた改革計画の意味)を獲得しました。

 本学の国際活動を一層推進し、中心的役割を果たすため、留学生センターを改組し、国際センターを設置。現在では海外の17大学と交流協定を結び、外国人留学生は200名を超えています。

2007(平成19年) SIFE(Students In Free Enterprise)国内大会でSIFE滋賀大学チームが東大、一橋大学を破り優勝、ニューヨークで開催された世界大会に出場。結果は惜しくも予選敗退でしたが、学生にとっては、多くのことを学ぶよい機会となりました。

2008(平成20年) 環境総合研究センター「びわ湖・瀬田川オブザベトリ」が完成。琵琶湖を中心とした科学・環境に関する教育研究が一層推進されています。

 井伊直弼と開国150年祭タイアップ事業『「弘道館」~藩校から学ぶ~』-藩校資料展とキャンパス・パビリオン・士魂商才館-を開催、学生が考案したマスコットキャラクター「カモンちゃん」が誕生しました。

 平成18年から学生の通学の利便性の向上のため、彦根キャンパス・彦根駅間に大学直行バスを運行していますが、この年から学生食堂からの廃食油を再利用し、精製したバイオディーゼル燃料で走るBDFバスを導入しました。

1991(平成3年) 現職教員の再教育を重要な設置目的の一つとする大学院教育学研究科(学校教育専攻、障害児教育専攻、教科教育専攻)が設置されました。2年後の平成5年には構想した3専攻12専修すべてが完成しました。 経済学部にはファイナンス学科が増設。ファイナンス学科の新設は、全国的にも初めての試みであり、大学関係者から産業界に至るまで大きな注目を浴びることとなりました。

1993(平成5年) 経済学部全学科及び併設の経済短期大学部を改組し、社会システム学科を増設、経営学科、会計学科をそれぞれ、企業経営学科、会計情報学科とし、6学科体制となりました。 また、昼夜開講制の社会人コースが設けられ、入学定員は590名となり、国立大学の中では最大規模の経済学部が誕生しました。

1997(平成9年) 教育学部の小学校教員養成課程、中学校教員養成課程、養護学校教員養成課程及び幼稚園教員養成課程を一つに統合して、学校教育教員養成課程に改組。児童数の減少に対応するため、ゼロ免課程の情報科学課程に新たに2コースを新設しました。

2000(平成12年) さらなる児童数の減少に対応するため、情報科学課程は情報教育課程に改組、全国の国立大学の中でも数少ない環境教育課程を新設しました。

2001(平成13年) 大学院経済学研究科にグローバル・ファイナンス専攻が増設され、大学院教育学研究科学校教育専攻に環境教育専修及び情報教育専修が設置されました。 この年、教育学部に研究棟が完成しました。

1990(平成2年)

教育学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程養護学校教員養成課程幼稚園教員養成課程情報科学課程経済学部経済学科・経営学科・会計学科・情報管理学科経済短期大学部経営学科

1996(平成8年)

経済短期大学部廃止

1997(平成9年)

教育学部学校教育教員養成課程情報科学課程経済学部経済学科ファイナンス学科企業経営学科会計情報学科情報管理学科社会システム学科

2000(平成12年)

教育学部学校教育教員養成課程情報教育課程環境教育課程経済学部経済学科ファイナンス学科企業経営学科会計情報学科情報管理学科社会システム学科

カフェ ピーパ マスコットキャラクター「カモンちゃん」提案した学生のみなさん

環境学習支援士認定証授与式

調査艇「清流Ⅲ世」

世界大会出場での1コマ

大学サテライト・プラザ彦根

守山市教育委員会との協定調印

研究棟竣工式

研究棟中庭から研究棟を望む

学位記授与式

東近江市との協定調印

彦根3大学連携コミュニケ調印

SIFE国内大会

国際センター設置 留学生との交歓会

イメージキャラクター「アピュアくん」

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

改組・新設記念講演会 公開シンポジウム

第二校舎棟竣工式

 教育学部において、ISO14001の認証を取得。「エゴからエコへ」をキャッチフレーズに、環境マインド・環境スキルを持った学生の養成に取組んでいます。

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第8代学長 尾上 久雄

忘れられない日米学長会議の果実

13

忘れられないこととして言い残しておきたいのは、平成

6年10月17日から19日にかけて、琵琶湖畔で行われた

日米学長会議のことであり、この会議でのテーマは「文明

の進展における大学の役割」で、私はその運営幹事で

あった。

 この会議の開催企画に口火を切った大学がミシガン

州立大学と滋賀大学であったのは、日米それぞれの最大

の湖のほとりに位置して、環境問題に大きな刺激を受け、

文明と科学技術のあり方に共通の問題意識を持っている

ことに由来している。

 最初に話されたのは基調講演であって、司会はミシガン

州立大学長のマクファーソン氏と私であった。講演は筑波

大学長の江崎玲於奈教授によって始められた。

 教授は終わりの方でグッと調子を落として「してはい

けない」五か条を紹介した。第1番目は、今までのしがらみ

にとらわれない。第2番目は、大先生にのめりこんで自分

を失ってはいけない。第3番目は、無用のものは捨てなく

てはいけない。第4番目は、闘うことを避けてはいけない。

第5番目は、初々しい感性を失ってはいけない。以上の5つ

は必要条件で、十分条件ではない。これは長くて高い水準

の教授の研究態度から生まれたもので、簡単なことでは

ない。

 これに続いて、ミシガン・テクノロジカル大学長カー

ティス・トンプキンズ教授が「大学指導者の直面する課題」

について述べ、カルフォルニア大学ロサンジェルス校

クマー・パテル副学長が「21世紀における研究大学の

役割」について語った。

 基調報告の最後で元東大総長有馬朗人氏が「もうす

でにアメリカと日本の高等教育はエリート教育ではなく、

大衆教育です。」と言いきったのは興味深い。

 第一セッションの「大学と産業との関係促進」という

問題では、トール氏(メリーランド大学名誉総長)、金森

順二郎氏(阪大総長)などが報告し、井村裕夫氏(京大

総長)が司会した。それに日本電気株式会社を代表して

植之原道行氏らが大いに語った。ここで強調しておかね

ばならないことは、大学本来の使命は学問の本質的追及

であり「産業界の影響のみに動かされるべきでない」と

言う井村総長の見解に私も同意見である。

 第二セッションは「持続可能な発展のための科学政策」

である。桜井奈良先端科学技術大学院大学長司会の下で、

トンプキンズ氏らが政府任命の委員会などで活躍する

状況を説明した。また岡市友利氏(香川大学長)が瀬戸

内海について、吉良龍夫氏(前滋賀県琵琶湖研究所所長)

が琵琶湖に関して科学者の協力活動を紹介した。

 北田幹夫氏(関西電力副社長)も関西電力の環境問題

への取り組みを紹介した。

 第三セッション「日米学生交換の促進」の課題は岡田

慶夫氏(滋賀医大学長)によって司会された。日本で西田

哲学を勉強したというウッド氏(アーラム大学長)つづいて

モーティマ氏(ハワイ大学長)、ハイネケ氏(ウエスタン・

ミシガン大学長)らが報告した。これに続いて文部省の

井上明俊留学生課長が「日本からアメリカへの留学生が

圧倒的に多く、その逆方向は極めて少ない」と述べたこと

は当然であるが、考えるべき問題を含んでいる。

 以上すべてを含めて日本の大学は「アメリカを追い

越す」ぐらいの創造力を持つべきであるという西澤潤一氏

(東北大学総長)の言葉に賛意を表するほか無い。詳細

は『科学と大学の将来』江崎・尾上監修(京都大学学術

出版会)を参照されたい。

12

日米大学長シンポジウム

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

Anniversary

13

創立60周年記念行事のご紹介本学は、昭和24年の新制大学発足から数えて60周年を迎えました。これを記念して様々な記念行事を企画いたしましたので、既に実施済みの行事も含めまして、ご紹介いたします。なお、詳細が未定の企画につきましては、決定次第本学ホームページ

 http://www.shiga-u.ac.jp でお知らせいたします。

式典・講演会・企画事業国際会議日時:平成20年11月14日(金)~16日(日)会 場:滋賀大学経済学部講堂内容:国際会議   「二校間交流から多校間連携に向けて」   滋賀大学・ディーキン大学交流20周年記念式典    ※キックオフ・イベントに位置づけています。

日 時:平成21年5月30日(土)   13:00~16:00会 場:びわ湖ホール 中ホールテーマ:近江商人に学ぶ   -危機に克つ 「三方よし」-

記念式典・記念講演会・祝賀会日時:平成21年9月12日(土)   ●記念式典  14:00~15:00   ●記念講演会 15:10~16:40    「大転換期の学問」    京都大学大学院 人間・環境学研究科教授      佐伯啓思氏   ●祝賀会   17:00~19:00会 場:彦根ビューホテル(旧彦根プリンスホテル)

学部等企画事業経済学部附属史料館企画展●春季展示日時:平成21年4月27日(月)~5月29日(金)テーマ:地域の歴史と向き合う-史料館のしごと-●秋季展示日時:平成21年10月~11月頃予定

学生企画事業大学祭60周年記念イベントの開催

キャンパス整備今号で紹介しています「滋賀大学の新しい動き」(P32~33)をご覧ください。

附属図書館教科書展日時:平成21年8月1日(土)~7日(金)    10:00~16:00(期間中の土・日含む)会 場:滋賀大学附属図書館教育学部分館

滋賀大学健康セミナー

ホームカミングデーの実施

教育学部芸術祭

環境総合研究センター主催「研究シンポジウム」

経済学部附属リスク研究センター主催「研究シンポジウム」

記念講演会〔井伊直弼と開国150年祭実行委員会後援事業〕「彦根の近現代を切開いた地場産業」●第1回日時:平成21年5月28日(木) 16:00~18:00テーマ:彦根バルブ工業の挑戦 -歴史と現状-講演者:廣瀬一輝氏    (廣瀬バルブ工業(株)代表取締役社長)会 場:滋賀大学経済学部講堂

開学祭・大学祭60周年記念企画事業

シンポジウム・セミナー滋賀大学共催事業〔井伊直弼と開国150年祭(彦根市)主催事業〕

●「彦根近現代の歴史ドラマ   -シンポジウムと狂言の夕べ-」日時:平成21年6月13日(土)   16:00~19:00会 場:滋賀大学経済学部講堂

●「彦根の伝統文化と国際交流  -シンポジウムと狂言のつどい-」日時:平成21年10月17日(土) 時間未定会 場:滋賀大学経済学部講堂

●「彦根の地場産業と      地域ブランドを考える  -シンポジウムと狂言のつどい-」日時:平成21年11月8日(日) 時間未定会 場:彦根商工会議所

びわ湖環境ビジネスメッセ出展及びセミナー日時:平成21年10月21日(水)~23日(金)会 場:滋賀県立長浜ドーム

地域政策シンポジウム「地域活性化プランナーの学び直し塾」成果発表日時:平成22年2月下旬~3月上旬予定

滋賀大学教育フォーラム日時:平成21年9月~平成22年3月予定

朝日・大学パートナーズシンポジウム(APS)

日時:平成21年5月31日(日)    10:00~会 場:滋賀大学経済学部講堂   彦根キャッスルホテル

歴代学長・事務局長・名誉教授を囲む会

●第2回日時:平成21年6月25日(木) 16:00~テーマ:彦根仏壇の発展 -歴史と現状-講演者:宮川孝昭氏((株)永楽屋代表取締役社長)会 場:滋賀大学経済学部講堂

(来年2月までに全6回開催予定)

みんな来てくださいね!

Page 13: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

第8代学長 尾上 久雄

忘れられない日米学長会議の果実

13

忘れられないこととして言い残しておきたいのは、平成

6年10月17日から19日にかけて、琵琶湖畔で行われた

日米学長会議のことであり、この会議でのテーマは「文明

の進展における大学の役割」で、私はその運営幹事で

あった。

 この会議の開催企画に口火を切った大学がミシガン

州立大学と滋賀大学であったのは、日米それぞれの最大

の湖のほとりに位置して、環境問題に大きな刺激を受け、

文明と科学技術のあり方に共通の問題意識を持っている

ことに由来している。

 最初に話されたのは基調講演であって、司会はミシガン

州立大学長のマクファーソン氏と私であった。講演は筑波

大学長の江崎玲於奈教授によって始められた。

 教授は終わりの方でグッと調子を落として「してはい

けない」五か条を紹介した。第1番目は、今までのしがらみ

にとらわれない。第2番目は、大先生にのめりこんで自分

を失ってはいけない。第3番目は、無用のものは捨てなく

てはいけない。第4番目は、闘うことを避けてはいけない。

第5番目は、初々しい感性を失ってはいけない。以上の5つ

は必要条件で、十分条件ではない。これは長くて高い水準

の教授の研究態度から生まれたもので、簡単なことでは

ない。

 これに続いて、ミシガン・テクノロジカル大学長カー

ティス・トンプキンズ教授が「大学指導者の直面する課題」

について述べ、カルフォルニア大学ロサンジェルス校

クマー・パテル副学長が「21世紀における研究大学の

役割」について語った。

 基調報告の最後で元東大総長有馬朗人氏が「もうす

でにアメリカと日本の高等教育はエリート教育ではなく、

大衆教育です。」と言いきったのは興味深い。

 第一セッションの「大学と産業との関係促進」という

問題では、トール氏(メリーランド大学名誉総長)、金森

順二郎氏(阪大総長)などが報告し、井村裕夫氏(京大

総長)が司会した。それに日本電気株式会社を代表して

植之原道行氏らが大いに語った。ここで強調しておかね

ばならないことは、大学本来の使命は学問の本質的追及

であり「産業界の影響のみに動かされるべきでない」と

言う井村総長の見解に私も同意見である。

 第二セッションは「持続可能な発展のための科学政策」

である。桜井奈良先端科学技術大学院大学長司会の下で、

トンプキンズ氏らが政府任命の委員会などで活躍する

状況を説明した。また岡市友利氏(香川大学長)が瀬戸

内海について、吉良龍夫氏(前滋賀県琵琶湖研究所所長)

が琵琶湖に関して科学者の協力活動を紹介した。

 北田幹夫氏(関西電力副社長)も関西電力の環境問題

への取り組みを紹介した。

 第三セッション「日米学生交換の促進」の課題は岡田

慶夫氏(滋賀医大学長)によって司会された。日本で西田

哲学を勉強したというウッド氏(アーラム大学長)つづいて

モーティマ氏(ハワイ大学長)、ハイネケ氏(ウエスタン・

ミシガン大学長)らが報告した。これに続いて文部省の

井上明俊留学生課長が「日本からアメリカへの留学生が

圧倒的に多く、その逆方向は極めて少ない」と述べたこと

は当然であるが、考えるべき問題を含んでいる。

 以上すべてを含めて日本の大学は「アメリカを追い

越す」ぐらいの創造力を持つべきであるという西澤潤一氏

(東北大学総長)の言葉に賛意を表するほか無い。詳細

は『科学と大学の将来』江崎・尾上監修(京都大学学術

出版会)を参照されたい。

12

日米大学長シンポジウム

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

Anniversary

13

創立60周年記念行事のご紹介本学は、昭和24年の新制大学発足から数えて60周年を迎えました。これを記念して様々な記念行事を企画いたしましたので、既に実施済みの行事も含めまして、ご紹介いたします。なお、詳細が未定の企画につきましては、決定次第本学ホームページ

 http://www.shiga-u.ac.jp でお知らせいたします。

式典・講演会・企画事業国際会議日時:平成20年11月14日(金)~16日(日)会 場:滋賀大学経済学部講堂内容:国際会議   「二校間交流から多校間連携に向けて」   滋賀大学・ディーキン大学交流20周年記念式典    ※キックオフ・イベントに位置づけています。

日 時:平成21年5月30日(土)   13:00~16:00会 場:びわ湖ホール 中ホールテーマ:近江商人に学ぶ   -危機に克つ 「三方よし」-

記念式典・記念講演会・祝賀会日時:平成21年9月12日(土)   ●記念式典  14:00~15:00   ●記念講演会 15:10~16:40    「大転換期の学問」    京都大学大学院 人間・環境学研究科教授      佐伯啓思氏   ●祝賀会   17:00~19:00会 場:彦根ビューホテル(旧彦根プリンスホテル)

学部等企画事業経済学部附属史料館企画展●春季展示日時:平成21年4月27日(月)~5月29日(金)テーマ:地域の歴史と向き合う-史料館のしごと-●秋季展示日時:平成21年10月~11月頃予定

学生企画事業大学祭60周年記念イベントの開催

キャンパス整備今号で紹介しています「滋賀大学の新しい動き」(P32~33)をご覧ください。

附属図書館教科書展日時:平成21年8月1日(土)~7日(金)    10:00~16:00(期間中の土・日含む)会 場:滋賀大学附属図書館教育学部分館

滋賀大学健康セミナー

ホームカミングデーの実施

教育学部芸術祭

環境総合研究センター主催「研究シンポジウム」

経済学部附属リスク研究センター主催「研究シンポジウム」

記念講演会〔井伊直弼と開国150年祭実行委員会後援事業〕「彦根の近現代を切開いた地場産業」●第1回日時:平成21年5月28日(木) 16:00~18:00テーマ:彦根バルブ工業の挑戦 -歴史と現状-講演者:廣瀬一輝氏    (廣瀬バルブ工業(株)代表取締役社長)会 場:滋賀大学経済学部講堂

開学祭・大学祭60周年記念企画事業

シンポジウム・セミナー滋賀大学共催事業〔井伊直弼と開国150年祭(彦根市)主催事業〕

●「彦根近現代の歴史ドラマ   -シンポジウムと狂言の夕べ-」日時:平成21年6月13日(土)   16:00~19:00会 場:滋賀大学経済学部講堂

●「彦根の伝統文化と国際交流  -シンポジウムと狂言のつどい-」日時:平成21年10月17日(土) 時間未定会 場:滋賀大学経済学部講堂

●「彦根の地場産業と      地域ブランドを考える  -シンポジウムと狂言のつどい-」日時:平成21年11月8日(日) 時間未定会 場:彦根商工会議所

びわ湖環境ビジネスメッセ出展及びセミナー日時:平成21年10月21日(水)~23日(金)会 場:滋賀県立長浜ドーム

地域政策シンポジウム「地域活性化プランナーの学び直し塾」成果発表日時:平成22年2月下旬~3月上旬予定

滋賀大学教育フォーラム日時:平成21年9月~平成22年3月予定

朝日・大学パートナーズシンポジウム(APS)

日時:平成21年5月31日(日)    10:00~会 場:滋賀大学経済学部講堂   彦根キャッスルホテル

歴代学長・事務局長・名誉教授を囲む会

●第2回日時:平成21年6月25日(木) 16:00~テーマ:彦根仏壇の発展 -歴史と現状-講演者:宮川孝昭氏((株)永楽屋代表取締役社長)会 場:滋賀大学経済学部講堂

(来年2月までに全6回開催予定)

みんな来てくださいね!

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15

写真① 写真②

14

チェンマイ近くの山上で滋賀大生たちと ミシガン州立大学にて学長と懇談

東北財経大学と滋賀大学の学術協定締結 東北財経大学于洋学長の本学における講義と表敬訪問

15

 滋賀大学の友人たちから学長候補の推薦を受けた時に、経済学の名門校からの要請は光栄なことだが、まったく内部の事情がわからない。そこで関係者と会って、私ができることは何かを考えて、候補者としてのマニフェストを作った。滋賀大学は2つのカレッジで構成されているが、自然科学の学部はなく、所在地が分裂して、総合大学とは言いがたい。歴代の学長は総合大学を目指したのであろうが、今のように財政危機の時代にはこれは難しい。そこで私としては、できれば第3学部を作りたいが、当面は大学院大学を目指して、経済学部に博士課程を置く、琵琶湖の滋賀県として、地域と連関した環境の保全を発信できる環境総合研究センターをつくる。アジアの大学を中心に国際化を積極的に進めるなどを目標とした。これらはすでに学内の議論も集約されていた。実は私個人としては、研究途上の仕事を抱えていて、それを中断するに忍びない状況であった。そのことを推薦する方たちに述べたところ、「研究は続けてください。研究する学長というキャッチフレーズで行きましょう」という約束であった。 いよいよ信託を受けて、6月末に加藤学長と引継ぎの席で、「申し訳ないことになった。小泉首相の構造改革で文科大臣が突如法人化と統合を急ぐ方針を国立大学協会に提出した」と告げられた。青天の霹靂である。国立大学史上最大の改革に直面することになった。「研究する学長」どころか、滋賀大学の存廃の危機を担う経営者に突如されてしまったのである。それからの2年半に及ぶ嵐の中の状況は、簡単に言い尽くされるものではない。私は、大学の自治、学問の自由というAcademic Freedomを維持するという信念で、この嵐に立ち向かったつもりだったが、政府の出す画一的な制度改革を覆すことにはならなかった。20年前ならば、教員はもとより、学生も改革案の議論に加わってくれるはずなのだが、全学集会を開いても反応が少なかった。私は、法人化で、政府の大学への干渉がなくなるのはよいと思っていたが、実際の改革案はむしろ新しい統制が始まるものであった。特に予算措置の変更によって、政府からの交付金が、補助金と同じように政府の一存で、1%づつ減額され、研究費の配分が評価制度によって、差別的に配分されることとなった。トップダウン方式で外部の管理者を入れた、理事会が経営を担

当することになった。これのメリットは、教員が研究に専念できるはずであったが、実際の改革案では職務が増えることとなった。法人化で、山のように協議事項や裁決すべき事項が増えたが、それと並んで、滋賀大学にとって、困難な課題が統合問題であった。 大学としては、かねてから理科系の学部を持って総合化したいと考えていたので、滋賀医大との統合についての協議は短時日に成立した。ところが文科省は京都教育大学と京都工芸繊維大学との4大学の統合案を出した。このため、滋賀医大との統合案は白紙に戻し、4大学案の協議が始まった。政府の考えは学術と高等教育の発展という熟慮した統合案でなく、浅はかな「規模の利益」論で予算を節約できると考えたのであろう。幸いにして、この乱暴な統合案は実現しなかった。しかしこのために執行部をはじめ教職員がどれほど多くの時間を使い、精神的苦痛に耐えたかを思うと責任者として、まことに忸怩たるものがある。先日久しぶりに鹿児島大学田中弘充元学長と会い、文科省に一緒に改革についての異議を申し立てていたが実現せず、予想どおりに地方大学が危機に陥っているのをみるのはつらいという話を

かわした。法人化そのものは大学の自治と自由を発展させる可能性があるが、今の予算制度や評価制度などの欠陥が改善されることを願わずにはおれない。 改革に追われていたが、幸いに経済

学部にリスク研究科ができて、よい成果を出している。これは経済学研究科特に酒井泰弘教授の指導によるものである。念願の環境総合研究センターが発足した。これは教育学部の長年にわたる環境教育の成果によっている。センターは国際シンポを行い、共同研究の成果が出版されている。湖沼・水系研究の権威である中村正久教授が就任し、今後国際的国内的な研究が期待できる。念願だったアジアの大学との国際交流は、東北財経大学、韓国の啓明大学、大田大学、ハノイ教育大学、などが実現した。特に東北財経大学は、故于洋元学長の厚意で、両大学の学術・教育の交流が続けられている。 滋賀大学は創立60周年をむかえ、多くの課題があるが、これまでの豊かな高い研究水準を維持し、少人数の質の高い高等教育という特色を活かし発展されることを願っている。

第10代学長 宮本 憲一

 滋賀大学が創立60周年を迎えることを心からお喜び申

し上げる。この大学が幾多の試練を乗り越えて、成瀬学長の

リーダーシップの下に更に発展して欲しいと願っている。ふ

り返ってみると、私の在任中の1999年に滋賀大学創立50

周年の記念行事が盛大に行われたことを思い出す。新たに

制定された新調の学旗の下で、多くのご来賓の出席を得て

記念式典と祝賀会を行うことができた。折しも20世紀の世

紀末であり、大学にとって風雲急を告げる時代が始まって

いたが、これを吹き飛ばすような活気に溢れていた。

 私は、2001年の7月に2期6年間の学長職を終えることが

できたが、その後早くも8年が経過している。全く月日の過

ぎ去るのが早く感じられる。多忙な職から解放された喜び

で好きなことをしているうちに八十路を超えてしまった。し

かし何とか元気に過ごしている。

 私の6年間の学長時代を回顧すると、前半は新学部を創

設するために努力した時であり、後半は追って来る国立大

学法人化の対処に追われた多忙の時であったと、ごく単純

化すれば言えるであろう。

 滋賀大学に第三の理工系学部を新設する構想は、大学

の多年の悲願であり、私の使命でもあった。多くの学外の専

門家の人たちのご協力も得て、詳細な計画は社会工学部と

いう形にまとめあげ、シンポジウムを開いたりして学内の空

気を盛り上げた。対外的には文部省はもとより、当時大蔵大

臣をしておられた武村氏にも説明とご支援を頼みに行っ

た。このような学内外の反応に私はかなり良い感触を抱き、

大きい希望を持っていたのである。しかし全く突如として国

の政策に大変革が起り、国立大学全体に強い逆風が吹き

始めた。それは財政上・組織上から大学の基幹を揺がすほ

どのものであり、新学部どころではなくなってしまった。

 国立大学協会が反対し、始めは文部省も抵抗していた法

人化の案は、徐々にその具体的な姿を現わしてきた。これら

が国立大学を今より活性化するものなのかと疑問に思って

いるうちに、次 と々新しい政令が出始め、大学はその対応に

追いまくられる事態になってきた。例えば外部の有識者の

意見を聴くために運営諮問会議を組織する必要があった。

このメンバーの選考は苦心したが、依頼した人たちは多忙

な方ばかりであるにも拘らず、心よく引受けて下さったこと

に感動した。また外部評価とか教育改革とか自己点検とか

法人化以前にスタートせねばならないことは多かった。さら

に大学再編という波が始まり、私は滋賀医大との合併を進

めていた。これは双方の合意に近い所まで進んだが、のち

に教育系大学の再編という難題によって挫折しているのが

惜しまれる。

 このような風雲急な折に私の任期は満了し、宮本学長に

引きついだ。その後は宮本・成瀬のお二人の学長の下で、

国立大学法人としての道を着実に進めてこられたことを、外

部からひそかに応援していた次第である。

 楽しいこともあった。大学間交流協定を結んでいる外国

の3大学を歴訪したことは、深く心に残っている。オーストラ

リアのディーキン大学、タイのチェンマイ大学(写真①)、そ

れにアメリカのミシガン州立大学(写真②)である。本当に

快く我々を迎えて下さったこれらの大学の人たちと、同行し

て何かと世話をして下さった方々に深く感謝している。

 6年間私を支えて下さった両学部の先生方と事務局長始め

事務局の方々には、この紙面を借りて厚く御礼申し上げる。

第9代学長 加藤 幹太

14

法人化と統合の嵐の中で風雲急を告げる時代

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

Page 15: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

15

写真① 写真②

14

チェンマイ近くの山上で滋賀大生たちと ミシガン州立大学にて学長と懇談

東北財経大学と滋賀大学の学術協定締結 東北財経大学于洋学長の本学における講義と表敬訪問

15

 滋賀大学の友人たちから学長候補の推薦を受けた時に、経済学の名門校からの要請は光栄なことだが、まったく内部の事情がわからない。そこで関係者と会って、私ができることは何かを考えて、候補者としてのマニフェストを作った。滋賀大学は2つのカレッジで構成されているが、自然科学の学部はなく、所在地が分裂して、総合大学とは言いがたい。歴代の学長は総合大学を目指したのであろうが、今のように財政危機の時代にはこれは難しい。そこで私としては、できれば第3学部を作りたいが、当面は大学院大学を目指して、経済学部に博士課程を置く、琵琶湖の滋賀県として、地域と連関した環境の保全を発信できる環境総合研究センターをつくる。アジアの大学を中心に国際化を積極的に進めるなどを目標とした。これらはすでに学内の議論も集約されていた。実は私個人としては、研究途上の仕事を抱えていて、それを中断するに忍びない状況であった。そのことを推薦する方たちに述べたところ、「研究は続けてください。研究する学長というキャッチフレーズで行きましょう」という約束であった。 いよいよ信託を受けて、6月末に加藤学長と引継ぎの席で、「申し訳ないことになった。小泉首相の構造改革で文科大臣が突如法人化と統合を急ぐ方針を国立大学協会に提出した」と告げられた。青天の霹靂である。国立大学史上最大の改革に直面することになった。「研究する学長」どころか、滋賀大学の存廃の危機を担う経営者に突如されてしまったのである。それからの2年半に及ぶ嵐の中の状況は、簡単に言い尽くされるものではない。私は、大学の自治、学問の自由というAcademic Freedomを維持するという信念で、この嵐に立ち向かったつもりだったが、政府の出す画一的な制度改革を覆すことにはならなかった。20年前ならば、教員はもとより、学生も改革案の議論に加わってくれるはずなのだが、全学集会を開いても反応が少なかった。私は、法人化で、政府の大学への干渉がなくなるのはよいと思っていたが、実際の改革案はむしろ新しい統制が始まるものであった。特に予算措置の変更によって、政府からの交付金が、補助金と同じように政府の一存で、1%づつ減額され、研究費の配分が評価制度によって、差別的に配分されることとなった。トップダウン方式で外部の管理者を入れた、理事会が経営を担

当することになった。これのメリットは、教員が研究に専念できるはずであったが、実際の改革案では職務が増えることとなった。法人化で、山のように協議事項や裁決すべき事項が増えたが、それと並んで、滋賀大学にとって、困難な課題が統合問題であった。 大学としては、かねてから理科系の学部を持って総合化したいと考えていたので、滋賀医大との統合についての協議は短時日に成立した。ところが文科省は京都教育大学と京都工芸繊維大学との4大学の統合案を出した。このため、滋賀医大との統合案は白紙に戻し、4大学案の協議が始まった。政府の考えは学術と高等教育の発展という熟慮した統合案でなく、浅はかな「規模の利益」論で予算を節約できると考えたのであろう。幸いにして、この乱暴な統合案は実現しなかった。しかしこのために執行部をはじめ教職員がどれほど多くの時間を使い、精神的苦痛に耐えたかを思うと責任者として、まことに忸怩たるものがある。先日久しぶりに鹿児島大学田中弘充元学長と会い、文科省に一緒に改革についての異議を申し立てていたが実現せず、予想どおりに地方大学が危機に陥っているのをみるのはつらいという話を

かわした。法人化そのものは大学の自治と自由を発展させる可能性があるが、今の予算制度や評価制度などの欠陥が改善されることを願わずにはおれない。 改革に追われていたが、幸いに経済

学部にリスク研究科ができて、よい成果を出している。これは経済学研究科特に酒井泰弘教授の指導によるものである。念願の環境総合研究センターが発足した。これは教育学部の長年にわたる環境教育の成果によっている。センターは国際シンポを行い、共同研究の成果が出版されている。湖沼・水系研究の権威である中村正久教授が就任し、今後国際的国内的な研究が期待できる。念願だったアジアの大学との国際交流は、東北財経大学、韓国の啓明大学、大田大学、ハノイ教育大学、などが実現した。特に東北財経大学は、故于洋元学長の厚意で、両大学の学術・教育の交流が続けられている。 滋賀大学は創立60周年をむかえ、多くの課題があるが、これまでの豊かな高い研究水準を維持し、少人数の質の高い高等教育という特色を活かし発展されることを願っている。

第10代学長 宮本 憲一

 滋賀大学が創立60周年を迎えることを心からお喜び申

し上げる。この大学が幾多の試練を乗り越えて、成瀬学長の

リーダーシップの下に更に発展して欲しいと願っている。ふ

り返ってみると、私の在任中の1999年に滋賀大学創立50

周年の記念行事が盛大に行われたことを思い出す。新たに

制定された新調の学旗の下で、多くのご来賓の出席を得て

記念式典と祝賀会を行うことができた。折しも20世紀の世

紀末であり、大学にとって風雲急を告げる時代が始まって

いたが、これを吹き飛ばすような活気に溢れていた。

 私は、2001年の7月に2期6年間の学長職を終えることが

できたが、その後早くも8年が経過している。全く月日の過

ぎ去るのが早く感じられる。多忙な職から解放された喜び

で好きなことをしているうちに八十路を超えてしまった。し

かし何とか元気に過ごしている。

 私の6年間の学長時代を回顧すると、前半は新学部を創

設するために努力した時であり、後半は追って来る国立大

学法人化の対処に追われた多忙の時であったと、ごく単純

化すれば言えるであろう。

 滋賀大学に第三の理工系学部を新設する構想は、大学

の多年の悲願であり、私の使命でもあった。多くの学外の専

門家の人たちのご協力も得て、詳細な計画は社会工学部と

いう形にまとめあげ、シンポジウムを開いたりして学内の空

気を盛り上げた。対外的には文部省はもとより、当時大蔵大

臣をしておられた武村氏にも説明とご支援を頼みに行っ

た。このような学内外の反応に私はかなり良い感触を抱き、

大きい希望を持っていたのである。しかし全く突如として国

の政策に大変革が起り、国立大学全体に強い逆風が吹き

始めた。それは財政上・組織上から大学の基幹を揺がすほ

どのものであり、新学部どころではなくなってしまった。

 国立大学協会が反対し、始めは文部省も抵抗していた法

人化の案は、徐々にその具体的な姿を現わしてきた。これら

が国立大学を今より活性化するものなのかと疑問に思って

いるうちに、次 と々新しい政令が出始め、大学はその対応に

追いまくられる事態になってきた。例えば外部の有識者の

意見を聴くために運営諮問会議を組織する必要があった。

このメンバーの選考は苦心したが、依頼した人たちは多忙

な方ばかりであるにも拘らず、心よく引受けて下さったこと

に感動した。また外部評価とか教育改革とか自己点検とか

法人化以前にスタートせねばならないことは多かった。さら

に大学再編という波が始まり、私は滋賀医大との合併を進

めていた。これは双方の合意に近い所まで進んだが、のち

に教育系大学の再編という難題によって挫折しているのが

惜しまれる。

 このような風雲急な折に私の任期は満了し、宮本学長に

引きついだ。その後は宮本・成瀬のお二人の学長の下で、

国立大学法人としての道を着実に進めてこられたことを、外

部からひそかに応援していた次第である。

 楽しいこともあった。大学間交流協定を結んでいる外国

の3大学を歴訪したことは、深く心に残っている。オーストラ

リアのディーキン大学、タイのチェンマイ大学(写真①)、そ

れにアメリカのミシガン州立大学(写真②)である。本当に

快く我々を迎えて下さったこれらの大学の人たちと、同行し

て何かと世話をして下さった方々に深く感謝している。

 6年間私を支えて下さった両学部の先生方と事務局長始め

事務局の方々には、この紙面を借りて厚く御礼申し上げる。

第9代学長 加藤 幹太

14

当することになった。これのメリットは、教員が研究に専念できる

法人化と統合の嵐の中で風雲急を告げる時代

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

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写真①昭和27年8月15日富士山頂にて

17

 今年は戦後施行された新制大学制度が60年を迎えることになりました。人生で言うと還暦と言うことです。このときに当たって大学の来し方将来への期待など考えてみたいと思います。 我々のころは新制大学という呼び方はやや自虐的に言えば旧制大学と比較されて軽く観られがちであったように感じています。今でも古い方は旧帝大系と対比して言われます。我々の在学当時は地方大学とか駅弁大学などといわれました。こういった感覚は未だに払拭されていないのではないかと思います。それは新制大学が新制大学としての特徴、性格を未だ確立していないからではないかと思います。 滋賀大学においても彦根高商を母体としていることにある種の誇りを感じていることに現れていると思います。 新制大学が未だに乳離れしていないということになるでしょうか。 大正12年に彦根高商が開校されたとき、その前年に行われた入学試験は東京で行われた(学舎がまだ完成していなかったこともあり)ということです。しかも試験会場は時の第一高等学校であったと書かれています。事情がどうであれその心意気やよしというべきでしょう。 入学した学生たちも「一高何するものぞ」と言うつよい意識を持って勉学に日常生活に励んだことは想像に難くありません。その流れは高商が存続する間連綿と引き継がれてきていたように思います。私は彦根に生まれ彦根に育ちました、そして我が家では長い間高商の学生さんの下宿を提供しておりました(滋賀大になってからも)。子供のころから学生さんに遊んでもらったことを覚えています。子供心に当時の学生さんには社会の範たろうとする態度があったと今も感じております。私が道に外れたことを言ったりしようとしたときにははっきりと「それはだめだ」とたしなめられた覚えがあります。

高商の学生であるという意識が顕著であったと思います。一方、市民の意識も学生に対して尊敬の念を持って接していたように思います。学生が若気の至りで羽目を外しても高商の学生さんやからと大目に見ていたところもあったように思います。卒業していった学生も時にふれ学生時代を思い出し、下宿を尋ねたり、手紙を出して近況を伝えたり家族と同様のつきあいを続けたように思います。この流れは滋賀大になってもしばらく続いていたと思います。 しかしながら当時でも大学と旧高等学校は当然のことながら格が違っていました。それが呼び名が変わって一律に大学となったのですから、角帽をかぶっていても新制大学だなと区別されました。あるいはいちいち「前の彦根高商やな」といい直される場面もありました。逆に「昔の彦根高商です」と誇らしげに胸を張ったこともあります。 新制大学制度60年を迎えて思いますのはこの概念がようやくなくなって来たのかなあと感じることです。新制大学の努力に負うところが大きいでしょう。 「上場企業で社長に出世できる大学」の9番目にランク

された(週刊ダイヤモンド2006.9.23)実績は新制滋賀大学の実力で、もちろん伝統に裏打ちされているとはいえ、その教育方針の根元に基づくものであり、この教育方針をアピールする必要があるのではないでしょうか。 今大学は全入時代とかで定員割れの大学が多く出ているようです。「残る大学、消える大学」という本が

出版されましたが、ことほど左様に大学の存在意義がつよく問われるようになってきました。社会の求める人材を育てることを強く要求されてきております。 不易流行と言われますが、いまや伝統や歴史に甘んじることが出来なくなってきております。60年を契機にまさに「大学」として地に足をつけた新たな出発をしていただきたいと思います。

新制大学制度発足60年に当たって経済学部陵水会 理事長 大森 修太郎

 滋賀大学創立60周年おめでとう存じます。この記念広報誌に教育学部同窓会を代表しまして、ご祝辞を述べさせていただきますことを身に余る光栄と存じます。 昭和24年5月31日、当時の彦根経専、滋賀師範、滋賀青年師範の3校が合併昇格し、新制滋賀大学学芸学部、経済学部が生まれました。学芸学部には教育部のみ置かれましたが、昭和41年に教育学部と改名されました。第一期生の入学式は24年9月1日(定員400名の充足率は39.7%)に挙行されています。私は滋賀師範学校を昭和23年に卒業、新教育実験学校に就職2年目で滋賀大学開学のニュースに胸躍らせ、翌25年4月、1期生2回生に編入学しましたが、所属した心理学研究室の同学年生は私ただ1人でした。旧師範学校の寄宿舎を一部改造して作られた研究室で、実験器具も殆どが旧師範時代のものだったので、迷路実験等の道具を自分で工夫して製作したことや、教員免許は既に持っていて自由時間が多く、関連科目の数学や育児学、職業指導等も聴講、唯一の楽しみが図書館(旧武道場改装)で、当時としては珍しい海外の科学雑誌や、最新研究のアブストラクト誌が置かれていて、終日図書館で

時間をつぶしていたことも今は懐かしい思い出です。当時はまだ専攻科も無く私のような学部編入学生はかなりいましたが、その仲間と共にスポーツや旅行を楽しみました。4回生の夏、8月15日その仲間と富士登山に挑戦、頂上では絶好の晴天に恵まれ、お釜まわりをしたことも遠い夢となりました。(写真①)この年、国家公務員心理職の試験を受け合

格することが出来、その後のわたしの人生の方向が決まって、大学で学んだ喜びを噛みしめたものです。昭和28年3月彦根で学芸学部、経済学部合同の卒業式では、大畑文七初代学長から卒業証書、学位記を受け喜びも一入でありました。創立当時駅弁大学とまで呼ばれた新制大学生でしたが、向学心とプライドだけは高く見下げたものではなかったと自負しております。同時に私の脳裏をよぎるのは明治の頃に建てられた古い校舎の風景であります。創設時の大学当局は校舎の新築移転を最優先課題として取り組まれていました。同窓会報第5号(昭和29年)誌上に、同窓会顧問でもあった大畑学長は「茨の道」と題する一文を特別寄稿され、当時の大学の苦労を「…新制大学の基礎を作り、総合計画の軌道にのせることは…容易なことではない。茨の野原に道を切り拓き、目的地への道しるべをたてるだけでも相当骨の折れる仕事であり…いつ

になったら青空の明るい山上に到達するであろう。…」と述べておられます。戦後間もないわが国の国立大学は新制度の実施が先行し、設備や内容の充実が容易なもので無かったことを知ることが出来ます。学芸学部の数次にわたる移転計画が29年から順次実行に移されて、石山平津の地に現在のようなキャンパスがようやく実現したのは昭和36年でした。最初に移転した地学、生物学教室の当時の学生達は完成の喜びもつかの間、水道ガス等の設備も遅れ荒れた通学路に、まるで西部の開拓者そのままの苦労が続いたと綴られています(同窓会報第26号百年史)。 しかし急造木造校舎であったので、現在のようなキャンパスが完成されたのは、再度鉄筋化の改築の終わった昭和60年頃でした。教育学部同窓会は、母校創立準備期から開学当初、移転新築の時期、キャンパス完成の時期にいたるまでその発展充実を共に歩みながら、毎年母校後援費等で惜しまぬ支援を続けてまいりました。移転推進応援募金、学生自治会ボート部のボート3艇の購入資金募金、同窓会館建設募金、最近では独立行政法人化に伴い設けられた母校の「教育研究支援基金」事業への協力、学生自治会運動部の後援等、中でも同窓会館建設は教育学部同窓会百周年記念事業として、昭和50年完成、大学職員会館として「清流荘」と命名し母校に寄贈され、同窓会活動の拠点ともなっております。 国立大学法人滋賀大学となって、教育学部の改革は目覚しく時代の要請する有能な教員養成、現職教育、地域教育との連携に意欲的に取り組まれていることは頼もしく嬉しい限りであります。特にJR大津駅前に滋賀大学大津サテライトプラザ(平和堂5F)の開設には同窓会も全面的に後援、大学の諸事業の会場や地域への情報発信の場として、地域に開かれた大学の拠点となる活動が続けられています。これからも母校と同窓会のコラボレーションの場としてサテライトプラザの機能が十分生かされ、活用していただきたいものです(写真②)。最後に世の中がいかに変わろうとも、滋賀の教員養成の使命を持つ滋賀大学教育学部が、かつて日本の教育を論ずるなら、「近江教育」か「信濃教育」かと2指にまで挙げられた近江の「師魂」を大切にしていただき、その血脈を継がれ今後益々充実発展されることを祈念し、同窓会もまた母校の発展と課題を共有しながらささやかながらも支援活動が続けられることを願って、お祝いの言葉とさせていただきます。

滋賀大学創立60周年に寄せて~大学一期生の思い出と教育学部同窓会の母校支援への願い~

教育学部同窓会長 神田 喜夫

写真②

16

になったら青空の明るい山上に到達するであろう。…」と述べておられます。戦後間もないわが国の国立大学は新制度の実施が先行し、設備や内容の充実が容易なもので無かったことを知ることが

滋賀大学大津サテライトプラザ

1962年当時の芹川のケヤキ ケヤキ並木も偉大になりました

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

Page 17: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

写真①昭和27年8月15日富士山頂にて

17

 今年は戦後施行された新制大学制度が60年を迎えることになりました。人生で言うと還暦と言うことです。このときに当たって大学の来し方将来への期待など考えてみたいと思います。 我々のころは新制大学という呼び方はやや自虐的に言えば旧制大学と比較されて軽く観られがちであったように感じています。今でも古い方は旧帝大系と対比して言われます。我々の在学当時は地方大学とか駅弁大学などといわれました。こういった感覚は未だに払拭されていないのではないかと思います。それは新制大学が新制大学としての特徴、性格を未だ確立していないからではないかと思います。 滋賀大学においても彦根高商を母体としていることにある種の誇りを感じていることに現れていると思います。 新制大学が未だに乳離れしていないということになるでしょうか。 大正12年に彦根高商が開校されたとき、その前年に行われた入学試験は東京で行われた(学舎がまだ完成していなかったこともあり)ということです。しかも試験会場は時の第一高等学校であったと書かれています。事情がどうであれその心意気やよしというべきでしょう。 入学した学生たちも「一高何するものぞ」と言うつよい意識を持って勉学に日常生活に励んだことは想像に難くありません。その流れは高商が存続する間連綿と引き継がれてきていたように思います。私は彦根に生まれ彦根に育ちました、そして我が家では長い間高商の学生さんの下宿を提供しておりました(滋賀大になってからも)。子供のころから学生さんに遊んでもらったことを覚えています。子供心に当時の学生さんには社会の範たろうとする態度があったと今も感じております。私が道に外れたことを言ったりしようとしたときにははっきりと「それはだめだ」とたしなめられた覚えがあります。

高商の学生であるという意識が顕著であったと思います。一方、市民の意識も学生に対して尊敬の念を持って接していたように思います。学生が若気の至りで羽目を外しても高商の学生さんやからと大目に見ていたところもあったように思います。卒業していった学生も時にふれ学生時代を思い出し、下宿を尋ねたり、手紙を出して近況を伝えたり家族と同様のつきあいを続けたように思います。この流れは滋賀大になってもしばらく続いていたと思います。 しかしながら当時でも大学と旧高等学校は当然のことながら格が違っていました。それが呼び名が変わって一律に大学となったのですから、角帽をかぶっていても新制大学だなと区別されました。あるいはいちいち「前の彦根高商やな」といい直される場面もありました。逆に「昔の彦根高商です」と誇らしげに胸を張ったこともあります。 新制大学制度60年を迎えて思いますのはこの概念がようやくなくなって来たのかなあと感じることです。新制大学の努力に負うところが大きいでしょう。 「上場企業で社長に出世できる大学」の9番目にランク

された(週刊ダイヤモンド2006.9.23)実績は新制滋賀大学の実力で、もちろん伝統に裏打ちされているとはいえ、その教育方針の根元に基づくものであり、この教育方針をアピールする必要があるのではないでしょうか。 今大学は全入時代とかで定員割れの大学が多く出ているようです。「残る大学、消える大学」という本が

出版されましたが、ことほど左様に大学の存在意義がつよく問われるようになってきました。社会の求める人材を育てることを強く要求されてきております。 不易流行と言われますが、いまや伝統や歴史に甘んじることが出来なくなってきております。60年を契機にまさに「大学」として地に足をつけた新たな出発をしていただきたいと思います。

新制大学制度発足60年に当たって経済学部陵水会 理事長 大森 修太郎

 滋賀大学創立60周年おめでとう存じます。この記念広報誌に教育学部同窓会を代表しまして、ご祝辞を述べさせていただきますことを身に余る光栄と存じます。 昭和24年5月31日、当時の彦根経専、滋賀師範、滋賀青年師範の3校が合併昇格し、新制滋賀大学学芸学部、経済学部が生まれました。学芸学部には教育部のみ置かれましたが、昭和41年に教育学部と改名されました。第一期生の入学式は24年9月1日(定員400名の充足率は39.7%)に挙行されています。私は滋賀師範学校を昭和23年に卒業、新教育実験学校に就職2年目で滋賀大学開学のニュースに胸躍らせ、翌25年4月、1期生2回生に編入学しましたが、所属した心理学研究室の同学年生は私ただ1人でした。旧師範学校の寄宿舎を一部改造して作られた研究室で、実験器具も殆どが旧師範時代のものだったので、迷路実験等の道具を自分で工夫して製作したことや、教員免許は既に持っていて自由時間が多く、関連科目の数学や育児学、職業指導等も聴講、唯一の楽しみが図書館(旧武道場改装)で、当時としては珍しい海外の科学雑誌や、最新研究のアブストラクト誌が置かれていて、終日図書館で

時間をつぶしていたことも今は懐かしい思い出です。当時はまだ専攻科も無く私のような学部編入学生はかなりいましたが、その仲間と共にスポーツや旅行を楽しみました。4回生の夏、8月15日その仲間と富士登山に挑戦、頂上では絶好の晴天に恵まれ、お釜まわりをしたことも遠い夢となりました。(写真①)この年、国家公務員心理職の試験を受け合

格することが出来、その後のわたしの人生の方向が決まって、大学で学んだ喜びを噛みしめたものです。昭和28年3月彦根で学芸学部、経済学部合同の卒業式では、大畑文七初代学長から卒業証書、学位記を受け喜びも一入でありました。創立当時駅弁大学とまで呼ばれた新制大学生でしたが、向学心とプライドだけは高く見下げたものではなかったと自負しております。同時に私の脳裏をよぎるのは明治の頃に建てられた古い校舎の風景であります。創設時の大学当局は校舎の新築移転を最優先課題として取り組まれていました。同窓会報第5号(昭和29年)誌上に、同窓会顧問でもあった大畑学長は「茨の道」と題する一文を特別寄稿され、当時の大学の苦労を「…新制大学の基礎を作り、総合計画の軌道にのせることは…容易なことではない。茨の野原に道を切り拓き、目的地への道しるべをたてるだけでも相当骨の折れる仕事であり…いつ

になったら青空の明るい山上に到達するであろう。…」と述べておられます。戦後間もないわが国の国立大学は新制度の実施が先行し、設備や内容の充実が容易なもので無かったことを知ることが出来ます。学芸学部の数次にわたる移転計画が29年から順次実行に移されて、石山平津の地に現在のようなキャンパスがようやく実現したのは昭和36年でした。最初に移転した地学、生物学教室の当時の学生達は完成の喜びもつかの間、水道ガス等の設備も遅れ荒れた通学路に、まるで西部の開拓者そのままの苦労が続いたと綴られています(同窓会報第26号百年史)。 しかし急造木造校舎であったので、現在のようなキャンパスが完成されたのは、再度鉄筋化の改築の終わった昭和60年頃でした。教育学部同窓会は、母校創立準備期から開学当初、移転新築の時期、キャンパス完成の時期にいたるまでその発展充実を共に歩みながら、毎年母校後援費等で惜しまぬ支援を続けてまいりました。移転推進応援募金、学生自治会ボート部のボート3艇の購入資金募金、同窓会館建設募金、最近では独立行政法人化に伴い設けられた母校の「教育研究支援基金」事業への協力、学生自治会運動部の後援等、中でも同窓会館建設は教育学部同窓会百周年記念事業として、昭和50年完成、大学職員会館として「清流荘」と命名し母校に寄贈され、同窓会活動の拠点ともなっております。 国立大学法人滋賀大学となって、教育学部の改革は目覚しく時代の要請する有能な教員養成、現職教育、地域教育との連携に意欲的に取り組まれていることは頼もしく嬉しい限りであります。特にJR大津駅前に滋賀大学大津サテライトプラザ(平和堂5F)の開設には同窓会も全面的に後援、大学の諸事業の会場や地域への情報発信の場として、地域に開かれた大学の拠点となる活動が続けられています。これからも母校と同窓会のコラボレーションの場としてサテライトプラザの機能が十分生かされ、活用していただきたいものです(写真②)。最後に世の中がいかに変わろうとも、滋賀の教員養成の使命を持つ滋賀大学教育学部が、かつて日本の教育を論ずるなら、「近江教育」か「信濃教育」かと2指にまで挙げられた近江の「師魂」を大切にしていただき、その血脈を継がれ今後益々充実発展されることを祈念し、同窓会もまた母校の発展と課題を共有しながらささやかながらも支援活動が続けられることを願って、お祝いの言葉とさせていただきます。

滋賀大学創立60周年に寄せて~大学一期生の思い出と教育学部同窓会の母校支援への願い~

教育学部同窓会長 神田 喜夫

写真②

16

滋賀大学大津サテライトプラザ

1962年当時の芹川のケヤキ ケヤキ並木も偉大になりました

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

Page 18: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

1918

英語研究室での英語劇(本人は一番右) ESS部活動 ミシガンからの来客と一緒

 このたび滋賀大学が創立60周年を迎えられましたこと

を心からお慶び申し上げますとともに、今まで大学の充実

発展に努めてこられました歴代の学長様はじめ役員の

方々並びに教員の皆様のご尽力に対しまして、深く敬意

を表するところでございます。

 私は、昭和41年4月から昭和45年3月まで滋賀大学

教育学部中学校教員養成課程英語研究室で学ばせて

いただきました。また、現職教員で昭和63年度には教育

学部教育専攻科で1年間学校現場を離れて研修の機会

を与えられました。それぞれに教育に関わる貴重な学び

をさせていただいたと思っております。

 まず大学時代ですが、平津の学舎で一般教養のほかに

教育学、教育哲学、教育心理学、児童心理学、青年心理学

等々教育に関わる専門内容を多く受講したことが、教員

としての資質基盤形成に大いに役立ったと考えています。

当時はそのような重要性に気づいておりませんでした

が、何十年と教育に携わってきてから認識いたしました。

英語研究室では、教科教育、英米文学、言語学、英文法、

英会話、英語史等学びましたが、何といっても自主的な

活動として英語研究室の機関誌ペガサスの発行や英語

劇の上演が毎年の恒例となっていて、私たち学生の関心

事でした。セリフの暗記や準備に忙しく、また人間関係も

深まりました。更に当時英会話に興味のある学生達で

初めてESSを組織し、実用的な生きた英語の練習に励み、

英会話練習や、リスニング練習、英語弁論大会等を行う

ことに意欲的だったことをよく覚えています。このことが

基礎となって、英語の教師として、生徒にコミュニカテイブ

な英語能力の育成を心がけるようになりました。コミュニ

ケーション能力の育成が重視されるようになった少し前

の頃でした。当時大学紛争の嵐で少し影響を受けました

が無事に卒業することができました。

 次に滋賀大学専攻科で学ばせていただいた頃のこと

です。当時は1年間でしたが、学校現場を離れて教育に

ついて考える機会を与えられたことは、外から学校教育

を考え、それまでの実践を見直し、以後の教育実践を改善

するための貴重な体験となりました。教育行政学や、教育

哲学、生涯学習、教育心理学等学生時の学びより、一層

実感が伴う学びとなりました。私のここでの論文は、村田昇

先生のご指導により「青年前期における道徳性の育成に

ついて」でした。書籍を読むことができたことは勿論現職

教員ばかりの集まりで、お互いに情報交換をしあって大変

有意義な1年間でした。貴重な充電期間となりました。

 38年間教職生活を送り、今また教育に関わる職に就かせ

ていただいておりますが、その基礎はやはり滋賀大学

教育学部で培ったということを今改めて認識しております。

 今後も滋賀大学教育学部の教員養成学部としての

発展と、地域教育支援の推進により、学校現場の教育が

一層充実することを念願しております。

竜王町教育委員会 教育長 岡谷 ふさ子

ことに意欲的だったことをよく覚えています。このことが

基礎となって、英語の教師として、生徒にコミュニカテイブ

な英語能力の育成を心がけるようになりました。コミュニ

ケーション能力の育成が重視されるようになった少し前

創立60周年に寄せて~教育学部は教育者としての学びの原点~

 後発資本主義国であった明治大正時代に起因した昭和の金融恐

慌(1927)に続いてアメリカ発の世界恐慌(1929~)に捲き込まれ、

片や大植民地を擁する英仏などのブロック経済政策に阻まれて、已

むなく日本は近隣アジアに市場拡大を図ろうとして先進国利害と衝

突し始めたが、企業人育成を国家目的とする彦根高商からは既に

1926年以来先輩方が次々と実業の世界に巣立って行かれた。

 その時期、東京の三井物産は人造絹糸製造に着目し、東洋レーヨ

ン(現・東レ)を設立、主力工場を水が豊富で、半農の安定した労働力

を確保出来る湖南の石山に建設した。

 東海道五十三次の松並木が残る石山の町は当然に人口増加が進

み、また工場背後の丘陵地には整然たる計画を以って大規模な社宅

街が作られ、社長も助産婦も駐在巡査も其処に住み、膳所の御殿浜

からは湖水を引いて自前の上水道濾過池や水力発電装置を設置、放

射線科・伝染病隔離病棟を持つ総合病院をも開設した。併行して大津

市は工場の近くに新たに市立晴嵐尋常小学校を開校、1,000人の児

童が地元と社宅から通学したが、私の初等教育は此処から始まった。

 この新設小学校に赴任して来られた滋賀師範出身の新進気鋭・意

気軒昂の先生方は素晴らしかった。全人格をまともにぶっつけて児童

を鍛え、躾けた本当の師範であった。

 先年100歳を超えて他界した母も死ぬ間際までこの先生方への尊

崇の念を繰り返し語っていたが、小学校の授業参観・行事参加を通じ

て受けた往時の児童教育現場の感銘は明治生れの女にとって生涯不

滅であったに違いない。

 次いで、中等教育は膳所藩の藩校・遵義堂を継ぐ旧制膳所中学で

あったが、戦局甚だ不芳、前記の工場への学徒動員、レーヨン製造な

らぬ魚雷の組立て現場を確実に狙っての一発だけの爆弾投下が多

数の工員を殺傷、深夜の西方の空は大阪炎上で赤く染まり、昼間は名

古屋重工業地帯空爆に向かう爆撃機編隊が吐き出す白線の飛行雲

と空襲警報、そして敗戦。斯様な中学生5年間は1947年実施の新教

育制度への移行期を迎え、追い立てられる様にして卒業、漸く、緑陰

豊かな彦根に辿り着いた。

 湖北の誇り高き井伊藩城下町は工場独特の匂い漂う石山とは空気

も家並みも全て異なるものであった。大津は京都疎水の取水口、何と

なく都に従属の感があったのに対し、彦根は歴とした独立の城下町。

石山から東海道線上り列車で通学すると、冬季は近江八幡か安土辺

り上空の北半分は重々しい雲、南半分は青空と区切られ、これが太平

洋気候と日本海気候の境目かとも思った。

 1年経って、小学校恩師の母校、滋賀師範と合同して国立大学に移

行した。

 処で、この大学4年間、両学部の相互交流は経験したことがない。し

かも、当初2年間の教養課程で選択必須に生物学があったのには尠

なからず違和感を覚えた。4年生になって都市銀行採用の内定があっ

てから慌てて生物を履修、結果は勿論唯一の『可』であった。大学教育

はゼミ・研究実験・論文等を核として教授直々のご指導を受け高度の

知識・思考判断力を自ら努力して培う場であるものと、今でも思ってい

るが、3年生でゼミが開始される迄の教室はそうではなかった。

 ゼミ論文は裏付けの資料を採用内定銀行の先任行員を通じて取

材したが、入行後もその人達との関係は永く続き、それが職場での

自己啓発に繋がった。

1期生の初等・中等・大学教育時代

経済学部第1期(1953年)卒業生 井上 輝重

昭和27年度の授業料等の納入告知

校舎全景

 経専1年間を含む通算5年間は1953年旧制国立大学最終の卒業と

同じ時に終了するが、その間、占領軍GHQ主導で諸制度の変更が進み、

1ドル360円固定為替相場を決定して民間貿易を再開した。近隣は大韓

民国と朝鮮民主々義人民共和国、中華人民共和国が成立、台湾への国

民党政府移転、東南アジア諸国は続々と独立した。欧州ではベルリン封

鎖、東西ドイツが夫々成立、アイルランド共和国独立、NATO成立、EUの

母体となるECSC誕生に続いての欧州復興マーシャルプランが終了、中

東ではイスラエル建国に続く中東戦争が勃発、イランの石油国有化、ス

エズ運河を英国が封鎖、エジプト共和国成立と続くが、その後60年間の

経過があっても今尚、紛糾を繰り返す構造は全世界に多々残っている。

 然るに当時この平穏な城下町に居た学生にはそれらをテーマとして

議論した記憶が薄い。すべては卒業後働き始めてから勉強し直した。

 初期の新制大学では通信情報手段脆弱、外国語は未熟、海外渡航

は制約多くて殆ど不可能であったが、60年経った今日の大学は外国

の大学との交流、内外企業インターン研修、産官学共同研究開発など

色々出来る時代に在り、活躍を大いに期待している。

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

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1918

英語研究室での英語劇(本人は一番右) ESS部活動 ミシガンからの来客と一緒

 このたび滋賀大学が創立60周年を迎えられましたこと

を心からお慶び申し上げますとともに、今まで大学の充実

発展に努めてこられました歴代の学長様はじめ役員の

方々並びに教員の皆様のご尽力に対しまして、深く敬意

を表するところでございます。

 私は、昭和41年4月から昭和45年3月まで滋賀大学

教育学部中学校教員養成課程英語研究室で学ばせて

いただきました。また、現職教員で昭和63年度には教育

学部教育専攻科で1年間学校現場を離れて研修の機会

を与えられました。それぞれに教育に関わる貴重な学び

をさせていただいたと思っております。

 まず大学時代ですが、平津の学舎で一般教養のほかに

教育学、教育哲学、教育心理学、児童心理学、青年心理学

等々教育に関わる専門内容を多く受講したことが、教員

としての資質基盤形成に大いに役立ったと考えています。

当時はそのような重要性に気づいておりませんでした

が、何十年と教育に携わってきてから認識いたしました。

英語研究室では、教科教育、英米文学、言語学、英文法、

英会話、英語史等学びましたが、何といっても自主的な

活動として英語研究室の機関誌ペガサスの発行や英語

劇の上演が毎年の恒例となっていて、私たち学生の関心

事でした。セリフの暗記や準備に忙しく、また人間関係も

深まりました。更に当時英会話に興味のある学生達で

初めてESSを組織し、実用的な生きた英語の練習に励み、

英会話練習や、リスニング練習、英語弁論大会等を行う

ことに意欲的だったことをよく覚えています。このことが

基礎となって、英語の教師として、生徒にコミュニカテイブ

な英語能力の育成を心がけるようになりました。コミュニ

ケーション能力の育成が重視されるようになった少し前

の頃でした。当時大学紛争の嵐で少し影響を受けました

が無事に卒業することができました。

 次に滋賀大学専攻科で学ばせていただいた頃のこと

です。当時は1年間でしたが、学校現場を離れて教育に

ついて考える機会を与えられたことは、外から学校教育

を考え、それまでの実践を見直し、以後の教育実践を改善

するための貴重な体験となりました。教育行政学や、教育

哲学、生涯学習、教育心理学等学生時の学びより、一層

実感が伴う学びとなりました。私のここでの論文は、村田昇

先生のご指導により「青年前期における道徳性の育成に

ついて」でした。書籍を読むことができたことは勿論現職

教員ばかりの集まりで、お互いに情報交換をしあって大変

有意義な1年間でした。貴重な充電期間となりました。

 38年間教職生活を送り、今また教育に関わる職に就かせ

ていただいておりますが、その基礎はやはり滋賀大学

教育学部で培ったということを今改めて認識しております。

 今後も滋賀大学教育学部の教員養成学部としての

発展と、地域教育支援の推進により、学校現場の教育が

一層充実することを念願しております。

竜王町教育委員会 教育長 岡谷 ふさ子

創立60周年に寄せて~教育学部は教育者としての学びの原点~

 後発資本主義国であった明治大正時代に起因した昭和の金融恐

慌(1927)に続いてアメリカ発の世界恐慌(1929~)に捲き込まれ、

片や大植民地を擁する英仏などのブロック経済政策に阻まれて、已

むなく日本は近隣アジアに市場拡大を図ろうとして先進国利害と衝

突し始めたが、企業人育成を国家目的とする彦根高商からは既に

1926年以来先輩方が次 と々実業の世界に巣立って行かれた。

 その時期、東京の三井物産は人造絹糸製造に着目し、東洋レーヨ

ン(現・東レ)を設立、主力工場を水が豊富で、半農の安定した労働力

を確保出来る湖南の石山に建設した。

 東海道五十三次の松並木が残る石山の町は当然に人口増加が進

み、また工場背後の丘陵地には整然たる計画を以って大規模な社宅

街が作られ、社長も助産婦も駐在巡査も其処に住み、膳所の御殿浜

からは湖水を引いて自前の上水道濾過池や水力発電装置を設置、放

射線科・伝染病隔離病棟を持つ総合病院をも開設した。併行して大津

市は工場の近くに新たに市立晴嵐尋常小学校を開校、1,000人の児

童が地元と社宅から通学したが、私の初等教育は此処から始まった。

 この新設小学校に赴任して来られた滋賀師範出身の新進気鋭・意

気軒昂の先生方は素晴らしかった。全人格をまともにぶっつけて児童

を鍛え、躾けた本当の師範であった。

 先年100歳を超えて他界した母も死ぬ間際までこの先生方への尊

崇の念を繰り返し語っていたが、小学校の授業参観・行事参加を通じ

て受けた往時の児童教育現場の感銘は明治生れの女にとって生涯不

滅であったに違いない。

 次いで、中等教育は膳所藩の藩校・遵義堂を継ぐ旧制膳所中学で

あったが、戦局甚だ不芳、前記の工場への学徒動員、レーヨン製造な

らぬ魚雷の組立て現場を確実に狙っての一発だけの爆弾投下が多

数の工員を殺傷、深夜の西方の空は大阪炎上で赤く染まり、昼間は名

古屋重工業地帯空爆に向かう爆撃機編隊が吐き出す白線の飛行雲

と空襲警報、そして敗戦。斯様な中学生5年間は1947年実施の新教

育制度への移行期を迎え、追い立てられる様にして卒業、漸く、緑陰

豊かな彦根に辿り着いた。

 湖北の誇り高き井伊藩城下町は工場独特の匂い漂う石山とは空気

も家並みも全て異なるものであった。大津は京都疎水の取水口、何と

なく都に従属の感があったのに対し、彦根は歴とした独立の城下町。

石山から東海道線上り列車で通学すると、冬季は近江八幡か安土辺

り上空の北半分は重々しい雲、南半分は青空と区切られ、これが太平

洋気候と日本海気候の境目かとも思った。

 1年経って、小学校恩師の母校、滋賀師範と合同して国立大学に移

行した。

 処で、この大学4年間、両学部の相互交流は経験したことがない。し

かも、当初2年間の教養課程で選択必須に生物学があったのには尠

なからず違和感を覚えた。4年生になって都市銀行採用の内定があっ

てから慌てて生物を履修、結果は勿論唯一の『可』であった。大学教育

はゼミ・研究実験・論文等を核として教授直々のご指導を受け高度の

知識・思考判断力を自ら努力して培う場であるものと、今でも思ってい

るが、3年生でゼミが開始される迄の教室はそうではなかった。

 ゼミ論文は裏付けの資料を採用内定銀行の先任行員を通じて取

材したが、入行後もその人達との関係は永く続き、それが職場での

自己啓発に繋がった。

1期生の初等・中等・大学教育時代

経済学部第1期(1953年)卒業生 井上 輝重

 後発資本主義国であった明治大正時代に起因した昭和の金融恐

慌(1927)に続いてアメリカ発の世界恐慌(1929~)に捲き込まれ、

片や大植民地を擁する英仏などのブロック経済政策に阻まれて、已

なく都に従属の感があったのに対し、彦根は歴とした独立の城下町。

石山から東海道線上り列車で通学すると、冬季は近江八幡か安土辺

り上空の北半分は重々しい雲、南半分は青空と区切られ、これが太平

1期生の初等・中等・大学教育時代

昭和27年度の授業料等の納入告知

校舎全景

 経専1年間を含む通算5年間は1953年旧制国立大学最終の卒業と

同じ時に終了するが、その間、占領軍GHQ主導で諸制度の変更が進み、

1ドル360円固定為替相場を決定して民間貿易を再開した。近隣は大韓

民国と朝鮮民主々義人民共和国、中華人民共和国が成立、台湾への国

民党政府移転、東南アジア諸国は続々と独立した。欧州ではベルリン封

鎖、東西ドイツが夫々成立、アイルランド共和国独立、NATO成立、EUの

母体となるECSC誕生に続いての欧州復興マーシャルプランが終了、中

東ではイスラエル建国に続く中東戦争が勃発、イランの石油国有化、ス

エズ運河を英国が封鎖、エジプト共和国成立と続くが、その後60年間の

経過があっても今尚、紛糾を繰り返す構造は全世界に多々残っている。

 然るに当時この平穏な城下町に居た学生にはそれらをテーマとして

議論した記憶が薄い。すべては卒業後働き始めてから勉強し直した。

 初期の新制大学では通信情報手段脆弱、外国語は未熟、海外渡航

は制約多くて殆ど不可能であったが、60年経った今日の大学は外国

の大学との交流、内外企業インターン研修、産官学共同研究開発など

色々出来る時代に在り、活躍を大いに期待している。

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

Page 20: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

経済学部、彦根、そしてこの地での40年経済学部教授 神山 進

2120

学生運動時の経済学部封鎖(「陵水新聞」より)

学生時代の彦根駅(卒業アルバムより)

 1981年春、滋賀大学教育学部に入学した。本学の

卒業生の恩師から祝いのメッセージが届いた。石山

キャンパスは桜で一杯だった。木造の校舎は張り紙で

汚く、大学紛争の名残があった。大学行きのバスはひどく

渋滞した。授業はとてつもなく退屈だった。サッカー部

に入部した。日航機墜落、大韓航空機撃墜、ホテル

ニュージャパン火災、グリコ事件、と世の中は騒々しい

出来事があった。植村直己の妻が遭難直後に「冒険家

として、だらしがない」と強情に言い放った。こんな時代

に大学生活を送った。ただ、時間だけは余りあるほど

あった。優等生とはほど遠い生活をし、夜になると、本や

雑誌を読み漁った。青年期特有の悶々とした日々を

過ごした。

 1995年春、母校に赴任した。石山キャンパスは桜で

一杯だった。校舎の入口で、サッカー部の学生が声を

かけてくれた。研究室にいると、女子学生がコーヒーを

持ってきてくれた。ダンディーな先生だと想像していた

が、期待はずれだった。教授会で、何人もの先生を思い

出した。学生の頃の像と全く違う先生の姿に驚き、ひとり

悦に入った。平日は教育、研究に、土日はサッカー部の

顧問として忙しくしてきたが、体調を崩したこともあり、

出来る範囲の仕事をやらせていただいている。沢木

耕太郎の深夜特急を読み、一息ついている。どうやら、

曲がり角に立っていると自覚している。

 滋賀大学で約20年間、学生として教員として過ご

した。小学校、中学校でも本学卒業生の先生にお世話

になった。現在、わが子も本学卒業生の先生にお世話に

なっている。こうしてみると、僕の人生のほとんどに滋賀

大学が関わっていることに気づかされる。本当に感謝の思い

でいっぱいである。あと20年ほど勤務できる。滋賀大学の

発展に少しでも尽力できるよう努めたい。滋賀大学の学生

として教員としての誇りを持って、その覚悟は決めている。

滋賀大学の誇りを持って

教育学部准教授 奥田 援史

 本学が創立60周年を迎え、回想を掲載することになった。

60年というと、私は今年で満61歳を迎えるので、誕生して1

歳にならない頃に、それまでの彦根高商を母体に新制大学

として創立されたことになる。私は昭和43年(1968年)に本

学経済学部の学生となり、その後の大学院の一時期を除い

て、本学の助手として昭和49年に採用されてから今日に至る

まで、ほぼ40年の時間を経済学部および彦根の地で過ごし

たことになる。

 私の学生の時期は、学生運動が最も激しかった時期であっ

た。本学においても、大学封鎖、デモ、機動隊とのにらみ合い

などが頻繁に発生した。大学で授業ができず、近くの寺院や

教会などで授業を受け、そこに投石を経験したこともあった。

私は学生運動に直接関わることはなく、傍観者としてのノン

ポリ的存在であった。しかし、どこに向かうという方向性はわ

からなかったが、自分と同時期の人間の強力なエネルギーの

ようなものは感じることができた。大学が封鎖されて休講に

なると、大学裏門近く

のマージャン屋や食

堂でたむろした事もし

ばしばであった。

 私の教員(かつては

教官)として出発は、

昭和49年の8月、本学

に併設されていた経

済短期大学部の助手

からであった。それ以

降、平成5年の短期大学部の廃止まで、3年制の夜間学生の

指導と教育に従事した。授業は夕方の5時30分より8時40分

までの2時限で、夜中から朝方にかけて研究する私の夜型生

活にうまく適合していた。授業が終わって帰路に着く彦根城

近辺の景色では、桜の夜景、お堀の水鳥、城に生息する野鳥

の合唱、うだる暑さ、紅葉の城内、豪雪の夜道、雪に埋まる彦

根駅など、今でも記憶に鮮明なものが多い。経済短期大学部

の教育理念は、その後、経済学部・夜間主コースに受け継が

れている。当時より今日に至るまで、有職者や一般社会人の

再教育・生涯学習の場として、また経済的理由より昼間に働

かねばならない若者への学習機会の場として重要な役割を

果たし続けており、そうした学生の問題意識や学習意欲は旺

盛である。ただその一方で、定員確保などの理由のために、

必ずしも目的に適っているとはいえない学生も抱え込むこと

になり、夜間教育の重要性との間で板ばさみを経験し続けて

いる。

 平成5年より、経済学部教員としての生活が始まった。近年

の経済学部の変化、特に私の学生時代からの大きな変化

は、女子学生の増加である。私が経済学部生の頃は、もちろ

ん現在との定員数も異なるが、女子はわずかに数える程度

の数名に過ぎなかった。しかし現在では、一学年500名を越

える定員の中で、女子の数が200名に迫っている。いずれか

の近い時期に、女子の数が半数の5割になることも予想され

る。このような男女構成比率の変化の中で、男子中心の硬派

的学風から男女がともに学ぶソフトな学風の経済学部に変

化しつつある。スポーツや文化活動に関わる各種クラブ・同

好会・サークルに活躍する女子、就職活動において男子以上

に活発な女子、などもこのような変化の一環である。従来の

男性的視点に、ソフトな女性的視点を融合させた新しい経

済学部が生まれつつある。

 以上、とりとめのない話になってしまった。創立60周年を

迎えて、滋賀大学経済学部が、彦根を中心にした地域に根ざ

した大学であり続けてほしいと願っている。決して規模を追

求するのではなく、これまで世に送り出してきた数多くの人材

を宝にして、特色ある教育と研究、それに特色ある情報を発

信し続ける大学であり続けてほしいものである。

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

春の石山キャンパス

平津ケ丘寮を望む

生物地学研究所

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経済学部、彦根、そしてこの地での40年経済学部教授 神山 進

2120

学生運動時の経済学部封鎖(「陵水新聞」より)

学生時代の彦根駅(卒業アルバムより)

 1981年春、滋賀大学教育学部に入学した。本学の

卒業生の恩師から祝いのメッセージが届いた。石山

キャンパスは桜で一杯だった。木造の校舎は張り紙で

汚く、大学紛争の名残があった。大学行きのバスはひどく

渋滞した。授業はとてつもなく退屈だった。サッカー部

に入部した。日航機墜落、大韓航空機撃墜、ホテル

ニュージャパン火災、グリコ事件、と世の中は騒々しい

出来事があった。植村直己の妻が遭難直後に「冒険家

として、だらしがない」と強情に言い放った。こんな時代

に大学生活を送った。ただ、時間だけは余りあるほど

あった。優等生とはほど遠い生活をし、夜になると、本や

雑誌を読み漁った。青年期特有の悶々とした日々を

過ごした。

 1995年春、母校に赴任した。石山キャンパスは桜で

一杯だった。校舎の入口で、サッカー部の学生が声を

かけてくれた。研究室にいると、女子学生がコーヒーを

持ってきてくれた。ダンディーな先生だと想像していた

が、期待はずれだった。教授会で、何人もの先生を思い

出した。学生の頃の像と全く違う先生の姿に驚き、ひとり

悦に入った。平日は教育、研究に、土日はサッカー部の

顧問として忙しくしてきたが、体調を崩したこともあり、

出来る範囲の仕事をやらせていただいている。沢木

耕太郎の深夜特急を読み、一息ついている。どうやら、

曲がり角に立っていると自覚している。

 滋賀大学で約20年間、学生として教員として過ご

した。小学校、中学校でも本学卒業生の先生にお世話

になった。現在、わが子も本学卒業生の先生にお世話に

なっている。こうしてみると、僕の人生のほとんどに滋賀

大学が関わっていることに気づかされる。本当に感謝の思い

でいっぱいである。あと20年ほど勤務できる。滋賀大学の

発展に少しでも尽力できるよう努めたい。滋賀大学の学生

として教員としての誇りを持って、その覚悟は決めている。

滋賀大学の誇りを持って

教育学部准教授 奥田 援史

 本学が創立60周年を迎え、回想を掲載することになった。

60年というと、私は今年で満61歳を迎えるので、誕生して1

歳にならない頃に、それまでの彦根高商を母体に新制大学

として創立されたことになる。私は昭和43年(1968年)に本

学経済学部の学生となり、その後の大学院の一時期を除い

て、本学の助手として昭和49年に採用されてから今日に至る

まで、ほぼ40年の時間を経済学部および彦根の地で過ごし

たことになる。

 私の学生の時期は、学生運動が最も激しかった時期であっ

た。本学においても、大学封鎖、デモ、機動隊とのにらみ合い

などが頻繁に発生した。大学で授業ができず、近くの寺院や

教会などで授業を受け、そこに投石を経験したこともあった。

私は学生運動に直接関わることはなく、傍観者としてのノン

ポリ的存在であった。しかし、どこに向かうという方向性はわ

からなかったが、自分と同時期の人間の強力なエネルギーの

ようなものは感じることができた。大学が封鎖されて休講に

なると、大学裏門近く

のマージャン屋や食

堂でたむろした事もし

ばしばであった。

 私の教員(かつては

教官)として出発は、

昭和49年の8月、本学

に併設されていた経

済短期大学部の助手

からであった。それ以

降、平成5年の短期大学部の廃止まで、3年制の夜間学生の

指導と教育に従事した。授業は夕方の5時30分より8時40分

までの2時限で、夜中から朝方にかけて研究する私の夜型生

活にうまく適合していた。授業が終わって帰路に着く彦根城

近辺の景色では、桜の夜景、お堀の水鳥、城に生息する野鳥

の合唱、うだる暑さ、紅葉の城内、豪雪の夜道、雪に埋まる彦

根駅など、今でも記憶に鮮明なものが多い。経済短期大学部

の教育理念は、その後、経済学部・夜間主コースに受け継が

れている。当時より今日に至るまで、有職者や一般社会人の

再教育・生涯学習の場として、また経済的理由より昼間に働

かねばならない若者への学習機会の場として重要な役割を

果たし続けており、そうした学生の問題意識や学習意欲は旺

盛である。ただその一方で、定員確保などの理由のために、

必ずしも目的に適っているとはいえない学生も抱え込むこと

になり、夜間教育の重要性との間で板ばさみを経験し続けて

いる。

 平成5年より、経済学部教員としての生活が始まった。近年

の経済学部の変化、特に私の学生時代からの大きな変化

は、女子学生の増加である。私が経済学部生の頃は、もちろ

ん現在との定員数も異なるが、女子はわずかに数える程度

の数名に過ぎなかった。しかし現在では、一学年500名を越

える定員の中で、女子の数が200名に迫っている。いずれか

の近い時期に、女子の数が半数の5割になることも予想され

る。このような男女構成比率の変化の中で、男子中心の硬派

的学風から男女がともに学ぶソフトな学風の経済学部に変

化しつつある。スポーツや文化活動に関わる各種クラブ・同

好会・サークルに活躍する女子、就職活動において男子以上

に活発な女子、などもこのような変化の一環である。従来の

男性的視点に、ソフトな女性的視点を融合させた新しい経

済学部が生まれつつある。

 以上、とりとめのない話になってしまった。創立60周年を

迎えて、滋賀大学経済学部が、彦根を中心にした地域に根ざ

した大学であり続けてほしいと願っている。決して規模を追

求するのではなく、これまで世に送り出してきた数多くの人材

を宝にして、特色ある教育と研究、それに特色ある情報を発

信し続ける大学であり続けてほしいものである。

Anniversary創 立特 集 周 年 に 寄 せ て

春の石山キャンパス

平津ケ丘寮を望む

生物地学研究所

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稲田会員の活動事

例発表

教育学部

滋賀大学「環境学習支援士」会

22 23

環境問題解決に応える学習リーダーとして活動を始めています

教諭170人に出前授業紹介

 専門的な知識や技能を持つ企業・団体が行う出前授業や

体験学習などの学校支援メニューを紹介する催しが開催さ

れ、県内の小・中学校、高校、特別支援学校の教諭ら約170人

が参加、当支援士会も滋賀大学の紹介で初参加しました。

 模型やパネルで実験の手順や授業の進め方を提案しま

した。支援士会では、「種の不思議教室」「滋賀の伝統食と

食文化教室」「びわ湖の水とプランクトンの教室」を披露し

ました。特に人気があったのは、本物の「種」を見てもらい、

それぞれ飛散していく様を紙の模型で飛ばし種の繁栄の

仕方など子供たちに分かりやすく関心を持ってもらうよう

に配慮した提案でした。

 小学校の先生から、「山の

子学習」のテーマとしての質

問があり様々な分野で「支

援士会」の出前講座ができ

ると自信を深めました。

びわ湖から学ぶ環境マインド

 基調講演では、遠

藤修一教授が、特色

GPの申請に至る歴

史的背景、目的、内

容を写真や資料を

紹介しながら講演さ

れました。特別講演

は、ラムサールセン

ターの武者孝幸副会長に、ラムサールセンターが取り組ん

でいる「KODOMOラムサール」事業について紹介していた

だきました。

 基調講演・特別講演を受け「世代を超えた体験学習をど

のように支援していくか」というテーマで、川嶋宗継教授の

進行でパネルディスカッションが行われました。パネリスト

は講演いただいた遠藤教授、武者氏に、滋賀大学院生の

上山さん、学生の桑原さん、環境学習支援士会から秋山、

佐瀬の4名が加わり活発な討

論が行われました。

1.大阪能率協会(2009.1/28 場所:大阪産業創造館)

 びわ湖環境ビジネスメッセでの依頼結果を受けて講演

を実施しました。タイトルは「びわ湖の環境の現状と保全

活動」で、対象者は一般企業の方々です。講演は上山香織

さん(大学院生)と会員の

前田雅彦・吉川義一の3

名で実施しました。理解

を頂く為、琵琶湖の概要

データのプレゼンテー

ションも行いました。

第1部

「近江のくらしと琵琶湖の環境」について堀越教授の講演

 くらしの環境課題を足もとから考えて実践していくこと

の大切さをお話されました。

第2部

 当会の阿知波肇さん「生ゴミの堆肥化と活用につい

て」、稲田幸さん「堆肥化資材の作り方と用途について」の

活動報告をしました。

Report 活躍する学生たち●

「環境学習支援士」会の活動1

 当会はじめての対外的活動としてこのメッセに大学の

支援で参加しました。

 会期の長いメッセなので、当番をきめて支援士会のメ

ンバーが交代で説明員を務めました。滋賀大学のブース

の一角に当会の広報用タペストリーを掲げ、栞・機関誌

を配布し、環境学習活動方針や4つの部会(温暖化防止・

びわこ・自然環境分野・学校地域環境教育)の活動や事

業内容のPRをしました。

 来場者の関心はまずまずで、なかには突っ込んだ質

問をする人もいました。ブースにて早速「大阪能率協会」

から「びわ湖の環境保全活動について」の講演オファー

があり、他に進学

塾からの問合わせ

もありました。

団体紹介

 私たちは、滋賀大学「環境学習支援士」会として、大学で学んでいることを社会に還元し

ていく為に、学生や社会人を対象に平成20年4月に会を結成しました。広報活動と組織の

基礎となる4つの部会を中心に多彩な活動を展開し、みんなの「環境学習支援士」会とし

て育てきました。この1年の取り組みについて紹介します。

教育学部教育学部教育学部教育学部教育学部

滋賀大学「環境学習支援士」会滋賀大学「環境学習支援士」会滋賀大学「環境学習支援士」会滋賀大学「環境学習支援士」会滋賀大学「環境学習支援士」会滋賀大学「環境学習支援士」会教育学部

びわ湖環境ビジネスメッセ(2008.11/5~7 場所:長浜ドーム)

【対象:企業人,一般市民】1Repor t

「学校支援メニューフェアー」に初参加(2009.1/22 場所:大津市ピアザ淡海)

2Repor t

滋賀大学 特色GPフォーラム(2008.11/29 場所:中講義室)

【対象:学生,一般市民】3Repor t 出前講座の紹介【対象:企業人,一般市民】4Repor t

長浜ドーム会場での記念ショット メニューフェアーで

出前講座紹介フォーラムの上

山さん

フォーラムのパネルディスカッション

発表する桑原さん

前田会員のプレゼンテーション

矢橋帰帆島の出前講座での学習風景

2.温暖化のくらしへの影響と身近な防止活動 <大津市民活動センターと共催> (2008.12/7 場所:明日都浜大津)

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稲田会員の活動事

例発表

教育学部

滋賀大学「環境学習支援士」会

22 23

環境問題解決に応える学習リーダーとして活動を始めています

教諭170人に出前授業紹介

 専門的な知識や技能を持つ企業・団体が行う出前授業や

体験学習などの学校支援メニューを紹介する催しが開催さ

れ、県内の小・中学校、高校、特別支援学校の教諭ら約170人

が参加、当支援士会も滋賀大学の紹介で初参加しました。

 模型やパネルで実験の手順や授業の進め方を提案しま

した。支援士会では、「種の不思議教室」「滋賀の伝統食と

食文化教室」「びわ湖の水とプランクトンの教室」を披露し

ました。特に人気があったのは、本物の「種」を見てもらい、

それぞれ飛散していく様を紙の模型で飛ばし種の繁栄の

仕方など子供たちに分かりやすく関心を持ってもらうよう

に配慮した提案でした。

 小学校の先生から、「山の

子学習」のテーマとしての質

問があり様々な分野で「支

援士会」の出前講座ができ

ると自信を深めました。

びわ湖から学ぶ環境マインド

 基調講演では、遠

藤修一教授が、特色

GPの申請に至る歴

史的背景、目的、内

容を写真や資料を

紹介しながら講演さ

れました。特別講演

は、ラムサールセン

ターの武者孝幸副会長に、ラムサールセンターが取り組ん

でいる「KODOMOラムサール」事業について紹介していた

だきました。

 基調講演・特別講演を受け「世代を超えた体験学習をど

のように支援していくか」というテーマで、川嶋宗継教授の

進行でパネルディスカッションが行われました。パネリスト

は講演いただいた遠藤教授、武者氏に、滋賀大学院生の

上山さん、学生の桑原さん、環境学習支援士会から秋山、

佐瀬の4名が加わり活発な討

論が行われました。

1.大阪能率協会(2009.1/28 場所:大阪産業創造館)

 びわ湖環境ビジネスメッセでの依頼結果を受けて講演

を実施しました。タイトルは「びわ湖の環境の現状と保全

活動」で、対象者は一般企業の方々です。講演は上山香織

さん(大学院生)と会員の

前田雅彦・吉川義一の3

名で実施しました。理解

を頂く為、琵琶湖の概要

データのプレゼンテー

ションも行いました。

第1部

「近江のくらしと琵琶湖の環境」について堀越教授の講演

 くらしの環境課題を足もとから考えて実践していくこと

の大切さをお話されました。

第2部

 当会の阿知波肇さん「生ゴミの堆肥化と活用につい

て」、稲田幸さん「堆肥化資材の作り方と用途について」の

活動報告をしました。

Report 活躍する学生たち●

「環境学習支援士」会の活動1

 当会はじめての対外的活動としてこのメッセに大学の

支援で参加しました。

 会期の長いメッセなので、当番をきめて支援士会のメ

ンバーが交代で説明員を務めました。滋賀大学のブース

の一角に当会の広報用タペストリーを掲げ、栞・機関誌

を配布し、環境学習活動方針や4つの部会(温暖化防止・

びわこ・自然環境分野・学校地域環境教育)の活動や事

業内容のPRをしました。

 来場者の関心はまずまずで、なかには突っ込んだ質

問をする人もいました。ブースにて早速「大阪能率協会」

から「びわ湖の環境保全活動について」の講演オファー

があり、他に進学

塾からの問合わせ

もありました。

団体紹介

 私たちは、滋賀大学「環境学習支援士」会として、大学で学んでいることを社会に還元し

ていく為に、学生や社会人を対象に平成20年4月に会を結成しました。広報活動と組織の

基礎となる4つの部会を中心に多彩な活動を展開し、みんなの「環境学習支援士」会とし

て育てきました。この1年の取り組みについて紹介します。

教育学部

びわ湖環境ビジネスメッセ(2008.11/5~7 場所:長浜ドーム)

【対象:企業人,一般市民】1Repor t

「学校支援メニューフェアー」に初参加(2009.1/22 場所:大津市ピアザ淡海)

2Repor t

滋賀大学 特色GPフォーラム(2008.11/29 場所:中講義室)

【対象:学生,一般市民】3Repor t 出前講座の紹介【対象:企業人,一般市民】4Repor t

長浜ドーム会場での記念ショット メニューフェアーで

出前講座紹介フォーラムの上

山さん

フォーラムのパネルディスカッション

発表する桑原さん

前田会員のプレゼンテーション

矢橋帰帆島の出前講座での学習風景

リーダーとして活動を始めていますリーダーとして活動を始めていますリーダーとして活動を始めていますリーダーとして活動を始めていますリーダーとして活動を始めていますリーダーとして活動を始めています

2.温暖化のくらしへの影響と身近な防止活動 <大津市民活動センターと共催> (2008.12/7 場所:明日都浜大津)

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SNS運営井伊直弼の再発見・発信1Repor t

24 25

 市民の視点と感覚から直弼への想いや尊敬の念を表

出できる場として、ブログとSNS(Social Networking

Service)から構成されるWebサイトを開設しました。こ

のWebサイトでは誰もが日記風に直弼への想いを自由

に書き表すことができ、その場を共有することで直弼を

通して彦根の歴史と文化をより一層理解し、彦根への愛

着と誇りを持ってもらおうというのが狙い。歴史の教科

書で習った直弼についての知識だけでなく、市民の知識

と感性を束ねた直弼像を市内外へ発信して、知性と親し

みある直弼像を発掘することで、直弼が生まれ育った彦

根により多くの人が興味を抱き実際に彦根を訪れ、その

歴史と文化を肌で感じるきっかけづくりとしたいと考え

ています。また、直弼の幼少期をイメージしたマスコット

キャラクター『カモンちゃん』を創作しました。愛称は一

般市民から募り、応募総数82件の中から選考委員(井伊

家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務

局長、滋賀大学広報室など5名)により決定。上記Webサ

イトの招き猫の役割を担うとともにグッズ展開なども行

うことで、経済効果への寄与を期待しています。

 教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共

に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流

を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探

究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。

福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。

「工房ふれっしゅ」にて

生産されている彦華堂

クッキーに『カモンちゃ

ん』のシールを添付し、

さらにその新規販路を

開拓することで販売援

助、在庫過多の解消に

成功しました。

今後の展望5Repor t

教育・福祉活動4Repor t

 私たち谷口ゼミは多方面にわたるプロジェクト展開を実

現することができ、様々な方面で評価していただきました。

150年祭は2011年3月まで開催されているので、引き続き

きぐるみやWebサイトを用いて150年祭のPRを実施してい

きます。さらに、『カモンちゃん』の新商品開発や市内小学

校の訪問、彦華堂クッキーのさらなる販路拡大やクッキー

受発注システムの構築、開港150年周年記念イベントを実

施している横浜市との交流などを検討中です。これまでの

活動から一歩踏み込んだ内容でプロジェクトを進めるべ

く、今まで以上に精力的に頑張っていきたいと思います。

経済学部

経済学部 4回生

豊田 悟子

イベント参加およびPR活動3Repor t

 『カモンちゃん』のきぐるみを制作し、昨年10月に開催され

た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下

町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン

トにてPR活動を行っ

ています。また、各メ

ディアからも注目さ

れ、これまで新聞報

道26件、テレビ報道

4件、雑誌2件の取材

を受けています。

キャラクターを利用した商品開発2Repor t

 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、

ハンカチ、巾着、ストラップ、耳かきなどの商品開発を

行っています。販売

は滋賀大学彦根地

区生協、四番町ダ

イニング、彦根らぼ

らとりぃ社、夢京橋

あかり館に委託し

ており、現在は新規

販売店との委託契

約を交渉中です。

はじめに

 私たち谷口ゼミは、2008年6月から彦根市にて開催されている「井伊直弼と開国150

年祭」(以下150年祭)の公募事業の一環として、「知り隊!教え隊!井伊直弼」プロジェクト

を立ち上げました。井伊直弼大老の功績を多くの人に理解していただき、地元の方たちと

一緒に150年祭を盛り上げることを目的とし、2008年4月から活動を開始。Webサイト運

営、商品開発、PR活動、教育・福祉活動という4つの分野において地域貢献活動を行い、

現在もプロジェクトは進行中です。

家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務

Report 活躍する学生たち●

知り隊!教え隊!井伊直弼2

多くの人に彦根の歴史と文化を感じてもらうためのプロジェクトを展開しています

Webサイト「知り隊!教え隊!井伊直弼」

http://naosuke.shiga-u.jp

井伊直弼の幼少期をイメージしたマスコットキャラクター『カモンちゃん』

「ゆるキャラまつりin彦根

」のようす

佐和山小学校を訪問

Page 25: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

SNS運営井伊直弼の再発見・発信1Repor t

24 25

 市民の視点と感覚から直弼への想いや尊敬の念を表

出できる場として、ブログとSNS(Social Networking

Service)から構成されるWebサイトを開設しました。こ

のWebサイトでは誰もが日記風に直弼への想いを自由

に書き表すことができ、その場を共有することで直弼を

通して彦根の歴史と文化をより一層理解し、彦根への愛

着と誇りを持ってもらおうというのが狙い。歴史の教科

書で習った直弼についての知識だけでなく、市民の知識

と感性を束ねた直弼像を市内外へ発信して、知性と親し

みある直弼像を発掘することで、直弼が生まれ育った彦

根により多くの人が興味を抱き実際に彦根を訪れ、その

歴史と文化を肌で感じるきっかけづくりとしたいと考え

ています。また、直弼の幼少期をイメージしたマスコット

キャラクター『カモンちゃん』を創作しました。愛称は一

般市民から募り、応募総数82件の中から選考委員(井伊

家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務

局長、滋賀大学広報室など5名)により決定。上記Webサ

イトの招き猫の役割を担うとともにグッズ展開なども行

うことで、経済効果への寄与を期待しています。

 教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共

に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流

を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探

究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。

福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。

「工房ふれっしゅ」にて

生産されている彦華堂

クッキーに『カモンちゃ

ん』のシールを添付し、

さらにその新規販路を

開拓することで販売援

助、在庫過多の解消に

成功しました。

今後の展望5Repor t

教育・福祉活動4Repor t

 私たち谷口ゼミは多方面にわたるプロジェクト展開を実

現することができ、様々な方面で評価していただきました。

150年祭は2011年3月まで開催されているので、引き続き

きぐるみやWebサイトを用いて150年祭のPRを実施してい

きます。さらに、『カモンちゃん』の新商品開発や市内小学

校の訪問、彦華堂クッキーのさらなる販路拡大やクッキー

受発注システムの構築、開港150年周年記念イベントを実

施している横浜市との交流などを検討中です。これまでの

活動から一歩踏み込んだ内容でプロジェクトを進めるべ

く、今まで以上に精力的に頑張っていきたいと思います。

経済学部

経済学部 4回生

豊田 悟子

イベント参加およびPR活動3Repor t

 『カモンちゃん』のきぐるみを制作し、昨年10月に開催され

た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下

町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン

トにてPR活動を行っ

ています。また、各メ

ディアからも注目さ

れ、これまで新聞報

道26件、テレビ報道

4件、雑誌2件の取材

を受けています。

キャラクターを利用した商品開発2Repor t

 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、

ハンカチ、巾着、ストラップ、耳かきなどの商品開発を

行っています。販売

は滋賀大学彦根地

区生協、四番町ダ

イニング、彦根らぼ

らとりぃ社、夢京橋

あかり館に委託し

ており、現在は新規

販売店との委託契

約を交渉中です。

はじめに

 私たち谷口ゼミは、2008年6月から彦根市にて開催されている「井伊直弼と開国150

年祭」(以下150年祭)の公募事業の一環として、「知り隊!教え隊!井伊直弼」プロジェクト

を立ち上げました。井伊直弼大老の功績を多くの人に理解していただき、地元の方たちと

一緒に150年祭を盛り上げることを目的とし、2008年4月から活動を開始。Webサイト運

営、商品開発、PR活動、教育・福祉活動という4つの分野において地域貢献活動を行い、

現在もプロジェクトは進行中です。

究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。

福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。

「工房ふれっしゅ」にて「工房ふれっしゅ」にて「工房ふれっしゅ」にて「工房ふれっしゅ」にて「工房ふれっしゅ」にて「工房ふれっしゅ」にて

生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂

クッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃ

ん』のシールを添付し、ん』のシールを添付し、ん』のシールを添付し、ん』のシールを添付し、ん』のシールを添付し、ん』のシールを添付し、

さらにその新規販路をさらにその新規販路をさらにその新規販路をさらにその新規販路をさらにその新規販路をさらにその新規販路を

開拓することで販売援開拓することで販売援開拓することで販売援開拓することで販売援開拓することで販売援開拓することで販売援開拓することで販売援

助、在庫過多の解消に助、在庫過多の解消に助、在庫過多の解消に助、在庫過多の解消に助、在庫過多の解消に助、在庫過多の解消に

た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下

町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン

トにてPR活動を行っトにてPR活動を行っトにてPR活動を行っトにてPR活動を行っトにてPR活動を行っ

ています。また、各メています。また、各メています。また、各メています。また、各メています。また、各メ

ディアからも注目さディアからも注目さディアからも注目さディアからも注目さディアからも注目さディアからも注目さ

れ、これまで新聞報れ、これまで新聞報れ、これまで新聞報れ、これまで新聞報れ、これまで新聞報

道26件、テレビ報道道26件、テレビ報道道26件、テレビ報道道26件、テレビ報道道26件、テレビ報道道26件、テレビ報道

4件、雑誌2件の取材4件、雑誌2件の取材4件、雑誌2件の取材4件、雑誌2件の取材4件、雑誌2件の取材

を受けています。を受けています。を受けています。を受けています。を受けています。を受けています。

 教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共 教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共 教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共 教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共

に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流

を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探

究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。

福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。

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生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂生産されている彦華堂

クッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃクッキーに『カモンちゃ

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成功しました。成功しました。成功しました。成功しました。

 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、 滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、

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知り隊!教え隊!井伊直弼2

多くの人に彦根の歴史と文化を感じてもらうためのプロジェクトを展開しています

Webサイト「知り隊!教え隊!井伊直弼」

http://naosuke.shiga-u.jp

井伊直弼の幼少期をイメージしたマスコットキャラクター『カモンちゃん』

「ゆるキャラまつりin彦根

」のようす

佐和山小学校を訪問

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26 27

 私の専攻は管理会計であり、とりわけ組織間管理会計と

呼ばれる領域を専門としています。一般に会計学は、会計

情報の利用者が企業の外部者か内部者かという区別に基

づいて、大きく財務会計と管理会計に大別されます。私が

専門とする管理会計とは、その後者すなわち企業内部者

を対象とした会計であり、経営管理のための会計ともいわ

れます。「会計」といえば、簿記や財務諸表などを想像して

非常に難解なイメージをもつ人も多いかもしれません。ま

た「管理」という堅苦しい言葉がその前に付くため、その実

態を把握しにくいのですが、意外と私たちの日常生活やビ

ジネスに深く関連しています。

 歴史的にみれば,管理会計は19世紀に萌芽し、その後

の産業構造の革新と巨大企業の出現によって生成期を迎

えたといわれています。そしてF.テイラーによる科学的管

理法の提唱にともない、標準原価計算や予算統制といっ

た実務を中心として、管理会計は発展してきました。目標

を設定し、経営実績が予算数値からどの程度乖離している

か、その差異を分析し、次期以降の中長期経営計画や予

算策定に役立てるといったコントロール機能を担う管理

会計は、企業の経営管理システムにおいて重要な役割を

果たしているといえるでしょう。

 Plan-Do-Check-Actionという一連の経営管理サイクル

の中で実施される管理会計実践の有用性は、これだけ情

報技術が発達した現代においても色褪せるものではあり

ません。しかし、ほんの十数年前まで、管理会計実務は一

つの企業の中で完結するものという前提が置かれていた

ように思います。管理会計研究も単独の企業内部に限定

した分析がごく当たり前のように行われてきたのです。企

業にとっては予算データやコストデータは経営上の最も

守秘すべき内容をともなうことからも、こうした考え方は

ごく自然なものだったのでしょう。

 しかし、さまざまに蓄積された管理会計研究を眺めて

みると、必ずしも管理会計技法やその思想が単一企業の

内部に限定的に適用されているわけでないことが明らか

となってきました。たとえば、新製品開発におけるコストマ

ネジメントでは、開発プロセスの源流段階から原価を作り

込む活動が行われます。これは原価企画とよばれ、最終製

品のアセンブリーメーカーは、製品開発のかなり初期段階

から部品サプライヤーと共同で開発業務に携わります。そ

して、時には部品サプライヤーの技術者がアセンブリメー

カーに常駐することもあります。業種によっては、自社製造

コストに占める外部購入費の割合が7割を超える場合も

あるため、企業が単独でコスト低減を行うよりも効果的だ

というわけです。つまり、優れた他社と協調的な関係を構

築し、win-win関係を実現することが重要な成功要因とな

るのです。

 しかしながら、現実にはそれほど簡単な話ではありませ

ん。単独の組織としては自己の利益最大化を前提とした行

動をとる一方で、他社との利害の不一致を調整するため

に、組織境界を超えて様々なコントロールの必要性が生じ

るためです。現在,私が最も興味をもち研究しているのは、

組織を隔てたコントロール・メカニズムがどのように機能

し、管理会計がどのような役割を果たしているのかといっ

た問題です。

 このような問題は、現代の経営環境下では、SCM(サプ

ライチェーンマネジメント)をはじめ、EMS(Electronics

Manufacturing Service)、OEM(Original Equipment

Manufacturer)、ファブレス経営、グローバルソーシング、

アウトソーシング、シェアードサービスなどの新たなビジ

ネスモデル、あるいは戦略的提携や合弁事業などの新た

な組織間関係のあり方とも関連しています。伝統的に単一

組織内に限定的であった管理会計研究の射程を組織の枠

を越えて広げることによって新たな視座を与えることが、

現在の私の研究上の目的となっています。

組織の枠を超えた管理会計研究大浦 啓輔 (経済学部准教授)

関西人はうっとうしい? 関西の人は、関西弁以外の方言を話す人たちから「うっと

うしい」というイメージを持たれがちです。その理由には「話

題を自分のものにしてしまう」「自分の考えを押しつけてくる」

というものが多いようです。本当にうっとうしい人がいるのか

もしれませんが、全員がそういうわけではありません。では、

なぜこのような誤解を受けるのでしょうか? このような疑問

にことばの側面から答えることができるのが、方言学・日本語

学(国語学)という研究分野です。私は、日本語の方言、その

中でも方言の文法に興味を持って取り組んでいます。

原因は文法の違い さて、冒頭の関西人の話に戻りましょう。上のように誤解す

る原因の一つに、関西弁とその他の方言(特に標準語)との

文法の違いがありそうです。例えば次の下線部の表現を自分

自身の方言に翻訳してみてください。

❶何するんだよ。危ないじゃないか!

❷ほら、同級生に松丸っていたじゃない?あの人、滋賀大に

 いるんだって。

 関西弁なら「危ないヤンカ」「いたヤン」のように、どちらも「~

ヤン(カ)」に置き換えることができます。ここから《関西弁の「~ヤ

ンカ」=標準語の「~じゃないか」》という規則を作れます。

 ところが、一筋縄ではいかないのが言葉の面白いところで

す。関西弁の「~ヤンカ」には上の❶❷のような使い方に加

えて、次のような使い方もあります。

❸昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ってんヤンカー。そしたら

 なぁ、松丸先生にばったり会うてめっちゃ恥ずかしかったわぁ。

 他方言を話す人は、この「~ヤンカ」の使い方を「押しつけがま

しい」と感じるようです。試しに、上の❶❷から導き出した規則に

したがってこれを「~じゃないか」に置き換えてみましょう。

❹昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ったじゃない。そうし

 たらね…(略)

 こうしてみると確かに押しつけがましい。こんな言い方を

されたら「いやいや初耳ですけど…」とか「そんなこと知らな

いよ」と思ってしまいます。ところが関西人は❸の例を❹のよ

うなつもり(つまり非難や確認の意味)で使っているわけで

はありません。❸が表す意味を標準語に翻訳してみると、次

のようになるでしょう。

❺昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ったんだよ。そうした

 らね…(略)

 このように、関西弁の「~ヤンカ」は標準語の「~じゃないか」

の意味で使われる時と、「~のだよ」の意味で使われる時がある

のです。冒頭の誤解は、関西人が説明の意味のつもりで使って

いる表現を、非関西人が非難や確認の意味で理解してしまうこ

とによって生じている可能性があります。これで私が「うっとうし

い」と思われる確率が少し減り

ましたね(ほっ)。この例のよう

に、同じ日本語を話していても

コミュニケーション・ギャップが

生じていることがあるのです。

日本語は一つではない 方言を研究していると、我々が話す「日本語」というものは

話し手によって少しずつ違っていて、万人に共通する「日本

語」というものは無いということに気づかされます。このよう

な多様性の中にも規則性を見出す作業は、パズルを解いて

いるようでとても面白いものです。同じ問題意識から、最近

は海外の日本語を調べたりも

していますが、この話は別の機

会に。ことばのしくみを解明す

ることに興味を持たれた方は

是非授業も聞きに来てくださ

い。

松丸 真大 (教育学部准教授)

方言から探ることばのしくみ

非難の意味

説明の意味

確認の意味 南洋群島における調査の一風景

滋賀大学でのフィールドワーク(滋賀県高島市新旭町にて)

今の研究 を語る

Page 27: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

26 27

 私の専攻は管理会計であり、とりわけ組織間管理会計と

呼ばれる領域を専門としています。一般に会計学は、会計

情報の利用者が企業の外部者か内部者かという区別に基

づいて、大きく財務会計と管理会計に大別されます。私が

専門とする管理会計とは、その後者すなわち企業内部者

を対象とした会計であり、経営管理のための会計ともいわ

れます。「会計」といえば、簿記や財務諸表などを想像して

非常に難解なイメージをもつ人も多いかもしれません。ま

た「管理」という堅苦しい言葉がその前に付くため、その実

態を把握しにくいのですが、意外と私たちの日常生活やビ

ジネスに深く関連しています。

 歴史的にみれば,管理会計は19世紀に萌芽し、その後

の産業構造の革新と巨大企業の出現によって生成期を迎

えたといわれています。そしてF.テイラーによる科学的管

理法の提唱にともない、標準原価計算や予算統制といっ

た実務を中心として、管理会計は発展してきました。目標

を設定し、経営実績が予算数値からどの程度乖離している

か、その差異を分析し、次期以降の中長期経営計画や予

算策定に役立てるといったコントロール機能を担う管理

会計は、企業の経営管理システムにおいて重要な役割を

果たしているといえるでしょう。

 Plan-Do-Check-Actionという一連の経営管理サイクル

の中で実施される管理会計実践の有用性は、これだけ情

報技術が発達した現代においても色褪せるものではあり

ません。しかし、ほんの十数年前まで、管理会計実務は一

つの企業の中で完結するものという前提が置かれていた

ように思います。管理会計研究も単独の企業内部に限定

した分析がごく当たり前のように行われてきたのです。企

業にとっては予算データやコストデータは経営上の最も

守秘すべき内容をともなうことからも、こうした考え方は

ごく自然なものだったのでしょう。

 しかし、さまざまに蓄積された管理会計研究を眺めて

みると、必ずしも管理会計技法やその思想が単一企業の

内部に限定的に適用されているわけでないことが明らか

となってきました。たとえば、新製品開発におけるコストマ

ネジメントでは、開発プロセスの源流段階から原価を作り

込む活動が行われます。これは原価企画とよばれ、最終製

品のアセンブリーメーカーは、製品開発のかなり初期段階

から部品サプライヤーと共同で開発業務に携わります。そ

して、時には部品サプライヤーの技術者がアセンブリメー

カーに常駐することもあります。業種によっては、自社製造

コストに占める外部購入費の割合が7割を超える場合も

あるため、企業が単独でコスト低減を行うよりも効果的だ

というわけです。つまり、優れた他社と協調的な関係を構

築し、win-win関係を実現することが重要な成功要因とな

るのです。

 しかしながら、現実にはそれほど簡単な話ではありませ

ん。単独の組織としては自己の利益最大化を前提とした行

動をとる一方で、他社との利害の不一致を調整するため

に、組織境界を超えて様々なコントロールの必要性が生じ

るためです。現在,私が最も興味をもち研究しているのは、

組織を隔てたコントロール・メカニズムがどのように機能

し、管理会計がどのような役割を果たしているのかといっ

た問題です。

 このような問題は、現代の経営環境下では、SCM(サプ

ライチェーンマネジメント)をはじめ、EMS(Electronics

Manufacturing Service)、OEM(Original Equipment

Manufacturer)、ファブレス経営、グローバルソーシング、

アウトソーシング、シェアードサービスなどの新たなビジ

ネスモデル、あるいは戦略的提携や合弁事業などの新た

な組織間関係のあり方とも関連しています。伝統的に単一

組織内に限定的であった管理会計研究の射程を組織の枠

を越えて広げることによって新たな視座を与えることが、

現在の私の研究上の目的となっています。

組織の枠を超えた管理会計研究大浦 啓輔 (経済学部准教授)

関西人はうっとうしい? 関西の人は、関西弁以外の方言を話す人たちから「うっと

うしい」というイメージを持たれがちです。その理由には「話

題を自分のものにしてしまう」「自分の考えを押しつけてくる」

というものが多いようです。本当にうっとうしい人がいるのか

もしれませんが、全員がそういうわけではありません。では、

なぜこのような誤解を受けるのでしょうか? このような疑問

にことばの側面から答えることができるのが、方言学・日本語

学(国語学)という研究分野です。私は、日本語の方言、その

中でも方言の文法に興味を持って取り組んでいます。

原因は文法の違い さて、冒頭の関西人の話に戻りましょう。上のように誤解す

る原因の一つに、関西弁とその他の方言(特に標準語)との

文法の違いがありそうです。例えば次の下線部の表現を自分

自身の方言に翻訳してみてください。

❶何するんだよ。危ないじゃないか!

❷ほら、同級生に松丸っていたじゃない?あの人、滋賀大に

 いるんだって。

 関西弁なら「危ないヤンカ」「いたヤン」のように、どちらも「~

ヤン(カ)」に置き換えることができます。ここから《関西弁の「~ヤ

ンカ」=標準語の「~じゃないか」》という規則を作れます。

 ところが、一筋縄ではいかないのが言葉の面白いところで

す。関西弁の「~ヤンカ」には上の❶❷のような使い方に加

えて、次のような使い方もあります。

❸昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ってんヤンカー。そしたら

 なぁ、松丸先生にばったり会うてめっちゃ恥ずかしかったわぁ。

 他方言を話す人は、この「~ヤンカ」の使い方を「押しつけがま

しい」と感じるようです。試しに、上の❶❷から導き出した規則に

したがってこれを「~じゃないか」に置き換えてみましょう。

❹昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ったじゃない。そうし

 たらね…(略)

 こうしてみると確かに押しつけがましい。こんな言い方を

されたら「いやいや初耳ですけど…」とか「そんなこと知らな

いよ」と思ってしまいます。ところが関西人は❸の例を❹のよ

うなつもり(つまり非難や確認の意味)で使っているわけで

はありません。❸が表す意味を標準語に翻訳してみると、次

のようになるでしょう。

❺昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ったんだよ。そうした

 らね…(略)

 このように、関西弁の「~ヤンカ」は標準語の「~じゃないか」

の意味で使われる時と、「~のだよ」の意味で使われる時がある

のです。冒頭の誤解は、関西人が説明の意味のつもりで使って

いる表現を、非関西人が非難や確認の意味で理解してしまうこ

とによって生じている可能性があります。これで私が「うっとうし

い」と思われる確率が少し減り

ましたね(ほっ)。この例のよう

に、同じ日本語を話していても

コミュニケーション・ギャップが

生じていることがあるのです。

日本語は一つではない 方言を研究していると、我々が話す「日本語」というものは

話し手によって少しずつ違っていて、万人に共通する「日本

語」というものは無いということに気づかされます。このよう

な多様性の中にも規則性を見出す作業は、パズルを解いて

いるようでとても面白いものです。同じ問題意識から、最近

は海外の日本語を調べたりも

していますが、この話は別の機

会に。ことばのしくみを解明す

ることに興味を持たれた方は

是非授業も聞きに来てくださ

い。

松丸 真大 (教育学部准教授)

方言から探ることばのしくみ

非難の意味

説明の意味

確認の意味 南洋群島における調査の一風景

滋賀大学でのフィールドワーク(滋賀県高島市新旭町にて)

今の研究 を語る

Page 28: Anniversary - 滋賀大学Anniversary 創立60周年に 寄せて 特集 滋賀大学広報誌 Vol.30 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目1-1 TEL : 0749-27-7524 E-mail : koho@biwako.shiga-u.ac.jp

昨年夏、滋賀大学経済学部学術後援基金を受け、ポルトガル北部に位置するポルト、アイルランドの首都ダブリン、イギリスのロンドンとケンブリッジを訪れました。アイルランド文学を研究する私にとって、アイルランドやイギリスは「勝手知ったる」という気持ちがある土地ですが、南欧のポルトガルを訪れるのは今回が初めてでした。ポルトではアイルランド文学学会に出席し、研究発表をお

こないました。学会が開催された大学は小高い丘にたち、眼下にポルトの街全体が広がり、遠くには輝く大西洋が見えるという贅沢なロケーションにありました。ポルトは古い港街で、世界遺産にも登録されています。

「ポルトワイン」という甘いワインは、この街で作られています。その昔ポルトワインを運んでいた船をかたどった遊覧船が、観光客を乗せゆっくりと街の中心を流れるドーロ川を大西洋にむかってすすむ様子は、ポルトガルが世界に先立って海外に進出し貿易で栄えたことを思い起こさせました。

ダブリンでは国立図書館や大学図書館で資料を集めるほか、文学館の特別展示や詩の朗読会に足を運び、情報収集に努めました。大学院生時代に暮らした街であるので、なじみの古本屋で本を買い込んだり、お世話になった先生方のレクチャーに出席したりもしました。アイルランドの天気が一年を通して悪いことはよく知られるところですが、昨年の夏は、8月だというのにセーターにブーツ。夜はダウンジャケットやコートといった出立ちでした。さすがに例年はここまでひどくはないはずなのですが、一昨年と昨年は2年続いて「史上最低の夏」だったようです。イギリスでは、ロンドンにある国立図書館とケンブリッジにあるケンブリッジ大学図書館にて、資料を収集しました。改めて、資料の量はもちろんのこと、資料が非常によく管理されていることに感心しました。特にケンブリッジでは、毎朝、古い街並の狭い石畳の通りを抜け、カム川を渡り、ケンブリッジで暮らした作家や詩人たちに思いを馳せながら図書館へ向かう時間が、なんともいえず贅沢でした。有意義な海外研究の機会を与えられたことに、感謝しています。

28 29

 私は、文部科学省の5年間の学士プログラムとして国費留学生にインドで選ばれました。日本語能力が高い学生も応募した中で、私が選抜されたのは幸運でした。 来日後、最も成長した面は、人格形成を通じ、自立性を養えたことです。インドでは、家族と一緒に暮らし、意思決定に家族のアドバイスを貰うことがほとんどでした。日本に来て、初めて、物事を自ら考え、判断するようになりました。さらに、多国籍の人 と々の交流、アルバイト、サークル、インターンシップ等の活動によっても自立性を養えた要因です。なかでも、重要なのは、自国で体験できないものとしてアルバイトがあり、これを通じて社会における働くことの意味と異文化価値観の理解という点で、より一層、成長したと私は確信しております。

1.日本語学校での生活 私は、2005年4月、大阪外国語大学(現大阪大学)で一年間日本語を学びました。勉強を含め、楽しい日々を過ごし、休暇は伝統・異文化を理解するために京都、奈良等様 な々地域を訪れ、貴重なことを体験しました。 しかしながら、ホームシックになることやカルチャーショックを受けたこともありました。宗教的な信仰で、牛肉を食べてはいけない、魚介類にも慣れず、スーパーでは英語が通じない、さらに、料理も出来ない私にとっては、日本での食生活が大きな課題となったときがありました。しかし、徐 に々日本の食文化に慣れ、味噌汁、寿司が大好きになり、毎日を楽しく過ごすことができました。

2.大学での生活 私は、2006年4月に滋賀大学経済学部企業経営学科に入学し、わずか一年の日本語教育だけで大学の勉強が始まりました。私は、日本語の上達、科目でよい成績を獲得すること、異文化コミュニケーションという3点を目標に取り組んできました。この達成を成し遂げるために、一歩一歩、段階

的に行動してきました。 はじめに、留学生が日本語を勉強する機会を、日本人学生には英語を勉強する機会として日本人学生と留学生の交流会を作りました。これは当時の私の聴解力を上達するため、より効率的な方法であると考えたからです。 つぎに、講義にも慣れてきたと思い、課外活動を始めました。これは日本語で実のあるコミュニケーションを取り、また、チームワークも学べると考えたからです。その内容と得たものは、次のように挙げられます。アルバイト 英語の家庭教師とファーストフード店のアルバイトをしました。その理由は、自分の日本語でのコミュニケーションスキルを上達し、日本での働く慣習を知りたいと思ったからです。サークル活動 大学のSIFE(Student in Free Enterprise)というサークルで、地域活性化プロジェクトに参加し(2007年10月~2008年6月)、地域経済を知り、貢献しました。 3つ目として、インターンシップを通じ、地方銀行の内部構造を知り、チームプレーを実習しました。最も印象に残ったのは、与えられた課題に対して、チームメンバーで熱心にそれに向かって力を合わせたことです。

 このように行動をした結果、2007年6月に、滋賀大学経済学部一回生成績優秀者として、2008年7月には、2008年SIFE国内競技参加者として表彰され、上述の目的を達成できたと、私は信じています。 来日する以前の私を振り返ってみて、人格形成を通じた自立性、言語の勉強と大学での勉強、また、習慣・文化・価値観の理解等を出来たことが人生でとても有意義な経験であったと思っています。

海外渡航によって獲得したもの

シャルマ・ムニク(経済学部 4回生)

留学体験記

in AUUS

SSSSSttttttuuuuudddd

ybroo RRRRRep

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菊地 利奈(経済学部准教授)

海 外 研 究 報 告

夏季ヨーロッパ研修

ドーロ川をゆくワイン貿易船をかたどった遊覧船(ポルト)

カム川で昔ながらのパンティングを楽しむ人 (々ケンブリッジ)

400年の歴史を誇るトリニティ・コレッジ(ダブリン)

銅像の街とも呼ばれるダブリンにある詩人の銅像

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昨年夏、滋賀大学経済学部学術後援基金を受け、ポルトガル北部に位置するポルト、アイルランドの首都ダブリン、イギリスのロンドンとケンブリッジを訪れました。アイルランド文学を研究する私にとって、アイルランドやイギリスは「勝手知ったる」という気持ちがある土地ですが、南欧のポルトガルを訪れるのは今回が初めてでした。ポルトではアイルランド文学学会に出席し、研究発表をお

こないました。学会が開催された大学は小高い丘にたち、眼下にポルトの街全体が広がり、遠くには輝く大西洋が見えるという贅沢なロケーションにありました。ポルトは古い港街で、世界遺産にも登録されています。

「ポルトワイン」という甘いワインは、この街で作られています。その昔ポルトワインを運んでいた船をかたどった遊覧船が、観光客を乗せゆっくりと街の中心を流れるドーロ川を大西洋にむかってすすむ様子は、ポルトガルが世界に先立って海外に進出し貿易で栄えたことを思い起こさせました。

ダブリンでは国立図書館や大学図書館で資料を集めるほか、文学館の特別展示や詩の朗読会に足を運び、情報収集に努めました。大学院生時代に暮らした街であるので、なじみの古本屋で本を買い込んだり、お世話になった先生方のレクチャーに出席したりもしました。アイルランドの天気が一年を通して悪いことはよく知られるところですが、昨年の夏は、8月だというのにセーターにブーツ。夜はダウンジャケットやコートといった出立ちでした。さすがに例年はここまでひどくはないはずなのですが、一昨年と昨年は2年続いて「史上最低の夏」だったようです。イギリスでは、ロンドンにある国立図書館とケンブリッジにあるケンブリッジ大学図書館にて、資料を収集しました。改めて、資料の量はもちろんのこと、資料が非常によく管理されていることに感心しました。特にケンブリッジでは、毎朝、古い街並の狭い石畳の通りを抜け、カム川を渡り、ケンブリッジで暮らした作家や詩人たちに思いを馳せながら図書館へ向かう時間が、なんともいえず贅沢でした。有意義な海外研究の機会を与えられたことに、感謝しています。

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 私は、文部科学省の5年間の学士プログラムとして国費留学生にインドで選ばれました。日本語能力が高い学生も応募した中で、私が選抜されたのは幸運でした。 来日後、最も成長した面は、人格形成を通じ、自立性を養えたことです。インドでは、家族と一緒に暮らし、意思決定に家族のアドバイスを貰うことがほとんどでした。日本に来て、初めて、物事を自ら考え、判断するようになりました。さらに、多国籍の人 と々の交流、アルバイト、サークル、インターンシップ等の活動によっても自立性を養えた要因です。なかでも、重要なのは、自国で体験できないものとしてアルバイトがあり、これを通じて社会における働くことの意味と異文化価値観の理解という点で、より一層、成長したと私は確信しております。

1.日本語学校での生活 私は、2005年4月、大阪外国語大学(現大阪大学)で一年間日本語を学びました。勉強を含め、楽しい日々を過ごし、休暇は伝統・異文化を理解するために京都、奈良等様 な々地域を訪れ、貴重なことを体験しました。 しかしながら、ホームシックになることやカルチャーショックを受けたこともありました。宗教的な信仰で、牛肉を食べてはいけない、魚介類にも慣れず、スーパーでは英語が通じない、さらに、料理も出来ない私にとっては、日本での食生活が大きな課題となったときがありました。しかし、徐 に々日本の食文化に慣れ、味噌汁、寿司が大好きになり、毎日を楽しく過ごすことができました。

2.大学での生活 私は、2006年4月に滋賀大学経済学部企業経営学科に入学し、わずか一年の日本語教育だけで大学の勉強が始まりました。私は、日本語の上達、科目でよい成績を獲得すること、異文化コミュニケーションという3点を目標に取り組んできました。この達成を成し遂げるために、一歩一歩、段階

的に行動してきました。 はじめに、留学生が日本語を勉強する機会を、日本人学生には英語を勉強する機会として日本人学生と留学生の交流会を作りました。これは当時の私の聴解力を上達するため、より効率的な方法であると考えたからです。 つぎに、講義にも慣れてきたと思い、課外活動を始めました。これは日本語で実のあるコミュニケーションを取り、また、チームワークも学べると考えたからです。その内容と得たものは、次のように挙げられます。アルバイト 英語の家庭教師とファーストフード店のアルバイトをしました。その理由は、自分の日本語でのコミュニケーションスキルを上達し、日本での働く慣習を知りたいと思ったからです。サークル活動 大学のSIFE(Student in Free Enterprise)というサークルで、地域活性化プロジェクトに参加し(2007年10月~2008年6月)、地域経済を知り、貢献しました。 3つ目として、インターンシップを通じ、地方銀行の内部構造を知り、チームプレーを実習しました。最も印象に残ったのは、与えられた課題に対して、チームメンバーで熱心にそれに向かって力を合わせたことです。

 このように行動をした結果、2007年6月に、滋賀大学経済学部一回生成績優秀者として、2008年7月には、2008年SIFE国内競技参加者として表彰され、上述の目的を達成できたと、私は信じています。 来日する以前の私を振り返ってみて、人格形成を通じた自立性、言語の勉強と大学での勉強、また、習慣・文化・価値観の理解等を出来たことが人生でとても有意義な経験であったと思っています。

海外渡航によって獲得したもの

シャルマ・ムニク(経済学部 4回生)菊地 利奈(経済学部准教授)

海 外 研 究 報 告

夏季ヨーロッパ研修

ドーロ川をゆくワイン貿易船をかたどった遊覧船(ポルト)

カム川で昔ながらのパンティングを楽しむ人 (々ケンブリッジ)

400年の歴史を誇るトリニティ・コレッジ(ダブリン)

銅像の街とも呼ばれるダブリンにある詩人の銅像

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滋賀大学で開講する教員免許状更新講習

滋 賀 大 学 の 新 し い 動 き

 本年、平成21(2009)年度より、いよいよ教員免許状更新講習が始まります。昨年度は予備講習として150人規模で実施しまし

たが、本年度より本格実施となります。これに伴い、受け入れる受講者を1,200人に拡大し、全学体制で教員免許状更新講習に

のぞみます。以下は、滋賀大学が取り組む更新講習の概略と特色です。

 教員免許状更新講習は、教育職員

免許法改正により行うもので、文部科

学大臣の認可を受けた大学、教育機

関が実施するものです。教員は10年

間の有効期間を更新するため、「教育

の最新事情に関する事項(12時間以

上)」と「教科指導、生徒指導、その他

教育の充実に関する事項(18時間以

上)」からなる30時間以上の免許状更

新講習を2年間で受講・修了しなけれ

ばなりません。滋賀大学では更新に

必要な30時間すべてを開講します。

 今回の更新講習は、平成23(2011)

年3月31日の時点で35歳、45歳、55歳

に達し、幼稚園、小学校、中学校、高等

学校、特別支援学校の教諭及び養護

教諭にかかる普通免許状または特別

免許状を有する方が対象です。滋賀大

学では、滋賀県教育委員会と連携し

て、県下の現職教

員の方が優先的

に受講していた

だけるように考え

ています。

 滋賀大学の更新講習は、8月5日

(水)から11日(火)の夏期集中型で実

施します。教育学部のある大津地区を

会場として大半の講座を開講します

が、彦根地区でも選択講座の一部を

開講します。

 昨年度開講した予備講習の経験

を踏まえて、受講者の負担を考えた

講座編成にしました。まず、受講申込

みの段階で選択講座の希望を第1

から第3希望まで書いて頂き、出来る

だけ希望に即した講座を受講して頂

けるようにしました。次に、1人の講

師が1日(6時間)続けて講義をする

のではなく、1日目と2日目、午前と午

後というように2人の講師で3時間ず

つを担当し、合せて6時間とする編成

にしました。

 滋賀大学の更新講習は、現場教師

が日頃の教育実践をふり返り、教師

の実践力を少しでも向上できること

をめざして開講します。そのために、

昨年度実施した予備講習の成果を踏

まえ、講座担当者が開講講座の内容

を充実させるよう取り組みます。

滋賀大学の教員免許状更新講習の詳細は、以下のホームページを参照してください。

http://menkyo.edu.shiga-u.ac.jp/

昨年度の様子1(必修領域:新時代の教師)

昨年度の様子2(選択領域・選択Ⅱ群:琵琶湖と大地の科学)

平成21年度教員免許状更新講習チラシ

平成21年度 教員免許状更新講習 実施日程

選択必修

選択

選択 選択選択

選択 選択

必修必修大津地区

午前

午後

終日彦根地区

8/5(水) 8/6(木) 8/7(金) 8/8(土) 8/9(日) 8/10(月) 8/11(火)

※必 修 領 域:教育の最新事情 選択領域Ⅰ群:滋賀の教育課題 選択領域Ⅱ群:教科指導、その他教育の充実に関する事項

教師の実践力向上をめざす講習

 滋賀大学で開講する講座の一番大き

な特色は、選択18時間の講座を選択Ⅰ群

と選択Ⅱ群に分けたことです。選択Ⅰ群

として「滋賀の教育課題(情報教育、環境

教育、特別支援教育、多文化共生教育、心

と身体の健康、地域学習)」を開講し、選択

Ⅱ群では「教科指導」、「幼児教育」などを

開講します。受講者の方には、選択Ⅰ群を

必ず6時間以上受講していただき、選択Ⅱ

群と組み合わせて18時間としていただき

ます。このことにより、滋賀県の教育課題

と教科指導について充分な理解をしてい

ただけると考えています。

 滋賀大学と県下の大学、短期大学

で連携・協力して更新講習を行いま

す。大津地区では、滋賀短期大学(幼

児教育他)、びわこ成蹊スポーツ大学

(体育他)の講師の先生方と滋賀大学

のスタッフが協力して開講します。

1. 概略 2.受講者 3.開講時期・会場 4.特色

5.連携大学7.最後に

6.講座の編成

[ 教育学部 ]滋 賀 大 学 の滋滋滋滋

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30 31

滋賀大学で開講する教員免許状更新講習

滋 賀 大 学 の 新 し い 動 き

 本年、平成21(2009)年度より、いよいよ教員免許状更新講習が始まります。昨年度は予備講習として150人規模で実施しまし

たが、本年度より本格実施となります。これに伴い、受け入れる受講者を1,200人に拡大し、全学体制で教員免許状更新講習に

のぞみます。以下は、滋賀大学が取り組む更新講習の概略と特色です。

 教員免許状更新講習は、教育職員

免許法改正により行うもので、文部科

学大臣の認可を受けた大学、教育機

関が実施するものです。教員は10年

間の有効期間を更新するため、「教育

の最新事情に関する事項(12時間以

上)」と「教科指導、生徒指導、その他

教育の充実に関する事項(18時間以

上)」からなる30時間以上の免許状更

新講習を2年間で受講・修了しなけれ

ばなりません。滋賀大学では更新に

必要な30時間すべてを開講します。

 今回の更新講習は、平成23(2011)

年3月31日の時点で35歳、45歳、55歳

に達し、幼稚園、小学校、中学校、高等

学校、特別支援学校の教諭及び養護

教諭にかかる普通免許状または特別

免許状を有する方が対象です。滋賀大

学では、滋賀県教育委員会と連携し

て、県下の現職教

員の方が優先的

に受講していた

だけるように考え

ています。

 滋賀大学の更新講習は、8月5日

(水)から11日(火)の夏期集中型で実

施します。教育学部のある大津地区を

会場として大半の講座を開講します

が、彦根地区でも選択講座の一部を

開講します。

 昨年度開講した予備講習の経験

を踏まえて、受講者の負担を考えた

講座編成にしました。まず、受講申込

みの段階で選択講座の希望を第1

から第3希望まで書いて頂き、出来る

だけ希望に即した講座を受講して頂

けるようにしました。次に、1人の講

師が1日(6時間)続けて講義をする

のではなく、1日目と2日目、午前と午

後というように2人の講師で3時間ず

つを担当し、合せて6時間とする編成

にしました。

 滋賀大学の更新講習は、現場教師

が日頃の教育実践をふり返り、教師

の実践力を少しでも向上できること

をめざして開講します。そのために、

昨年度実施した予備講習の成果を踏

まえ、講座担当者が開講講座の内容

を充実させるよう取り組みます。

滋賀大学の教員免許状更新講習の詳細は、以下のホームページを参照してください。

http://menkyo.edu.shiga-u.ac.jp/

昨年度の様子1(必修領域:新時代の教師)

昨年度の様子2(選択領域・選択Ⅱ群:琵琶湖と大地の科学)

平成21年度教員免許状更新講習チラシ

平成21年度 教員免許状更新講習 実施日程

選択必修

選択

選択 選択選択

選択 選択

必修必修大津地区

午前

午後

終日彦根地区

8/5(水) 8/6(木) 8/7(金) 8/8(土) 8/9(日) 8/10(月) 8/11(火)

※必 修 領 域:教育の最新事情 選択領域Ⅰ群:滋賀の教育課題 選択領域Ⅱ群:教科指導、その他教育の充実に関する事項

教師の実践力向上をめざす講習

 滋賀大学で開講する講座の一番大き

な特色は、選択18時間の講座を選択Ⅰ群

と選択Ⅱ群に分けたことです。選択Ⅰ群

として「滋賀の教育課題(情報教育、環境

教育、特別支援教育、多文化共生教育、心

と身体の健康、地域学習)」を開講し、選択

Ⅱ群では「教科指導」、「幼児教育」などを

開講します。受講者の方には、選択Ⅰ群を

必ず6時間以上受講していただき、選択Ⅱ

群と組み合わせて18時間としていただき

ます。このことにより、滋賀県の教育課題

と教科指導について充分な理解をしてい

ただけると考えています。

 滋賀大学と県下の大学、短期大学

で連携・協力して更新講習を行いま

す。大津地区では、滋賀短期大学(幼

児教育他)、びわこ成蹊スポーツ大学

(体育他)の講師の先生方と滋賀大学

のスタッフが協力して開講します。

1. 概略 2.受講者 3.開講時期・会場 4.特色

5.連携大学7.最後に

6.講座の編成

[ 教育学部 ]滋 賀 大 学 の

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 附属図書館本館は、耐震性能向上

のための補強を行います。書庫の床

は、炭素繊維補強工法にて補強の上、

電動式の集密書架を設置し、収蔵能力

を高め、施設の有効活用を図ります。

また、老朽化した空調設備を全面更新

すると共に、内装リニューアル等により

アメニティ改善も図ります。

 さらに、環境・省エネルギー対策とし

て屋上緑化を行います。

 この工事に伴い、図書館は6月中旬

から10月上旬までの間は大合併教室

に機能を移転し、一部のサービスを縮

小して運営することになります。

 この事業の概要については、前号

(Vol.29)にて掲載しており、ここでは省

略しますが、食堂スペースの増設、多

目的ホール等の整備によるアメニティ

改善に加え、耐震改修が行われます。

工事期間中は、食堂機能は停止し、生

活協同組合により弁当等の販売が行

われ、喫茶や売店は営業されます。

 「学生支援」のひとつとして、現在、大

学会館2階を利用している軽音楽部等

の文系サークルのスペースとして、隣

接の小グランドに新たに課外活動施

設(プレハブ工法2階建285m2)2棟を

建設します。また、中島グランドにも体

育系課外活動施設(プレハブ工法2階

建285m2)1棟を建設し、学生のための

施設の充実を図ります。

 施設基盤を支えるインフラ設備で

は、空調設備の充実が特

に望まれております。本学

は昭和50年代に再開発整

備されましたが、空調の整

備は進んでおりませんで

した。中央式の重油焚き

蒸気暖房設備と後付の冷

房設備という状態であり、

老朽化が進んでいます。

 研究棟、第2研究棟、校舎棟、図書館

棟、体育館等の空調方式を全面的に

見直し、マルチ方式の個別空調設備機

器に更新いたします。現在、稼動してい

る重油焚ボイラ設備を廃止し、老朽化

の進んでいる蒸気配管を撤去し、ライ

フライン再生を行い環境対策を実践

し、アメニティ改善を行います。

 この工事は、部屋単位あるいはフロア

単位での工事で、個々の部屋の使用者と

日程を調整しながらの作業となります。

 情報化時代としての機能に欠け、さ

らに修繕部品の入手も困難な状況に

あるため全面更新を行い、リダイアル

発信もできることになります。

 長期にわたり琵琶湖岸に放置状態と

なっていたヨット等の整理保管のため、

滋賀県や彦根市との連携協力により、県

の管理地の占用許可等を得てヨット艇

庫を増築することとしました。この事業

はヨット部OB会による寄付と、平成20年

度剰余金の活用により実施されます。

32 33

平成21年度に着工、竣工する施設整備工事

○附属図書館本館改修

 滋賀大学の施設整備は、平成20年3月に策定された「施設整備マスタープラン」に基本的に沿った整備が計画的に進められ

つつあります。この「施設整備マスタープラン」には、まず、「安全・安心な教育研究環境の再生」、「快適なキャンパスアメニティ

改善」、「学生支援」、「教育・研究支援」、「地域連携・支援」、「機能改善」さらに「環境」への積極的な配慮に取り組む「環境共生型

キャンパスの実現」などの具体的な整備方針が示されています。

 平成21年度は、これらの基本方針に沿って、いくつかの計画が事業化されました。

[ 施設管理課 ]

教育学部創造学習センター完成予想図滋賀大学附属図書館棟改修工事 完成予想図

(5月中旬着工、11月下旬竣工予定)

○教育学部創造学習センター新築

 この事業の概要については、前号

(Vol.29)に掲載しておりますのでここ

では省略しますが、教育学部の顔とし

てのシンボリックな外観と、充実した

内部機能により、学生が主体的に利

活用できる空間とし、「学生支援」と

「アメニティ改善」に寄与するものと

期待されています。

 平成19年度に個室化のための工事

を行い、現在はほぼ満室状態となって

います。今年度は耐震性能向上のた

めの補強を行い、老朽化した外壁の

塗装改修等を実施します。

 平成19年度政府補正予算事業とし

て、平成21年1月に竣工した附属小学

校校舎改修に引き続いての改修であ

り、耐震性能向上のための補強を行

い、内部の機能改善を行います。生徒

の安全を考慮し、夏休みに集中的に

工事を実施する事となります。

 附属学校(特別支援学校も含む)に

ついては、この事業により全ての耐震

化が完了し、大規模地震発生時の児

童、生徒への安全は確保出来ます。

 狭隘な職員室の改善と、機能強化

を図るための模様替えを行います。附

(6月上旬着工、11月上旬竣工予定)

○学生寄宿舎(平津寮)耐震改修(6月下旬着工、12月下旬竣工予定)

○ライフライン再生 (膳所団地受水槽設備更新)(6月中旬着工、10月中旬竣工予定)

○附属小中共用校舎改修(6月下旬着工、12月下旬竣工予定)

○電話交換機設備更新 (石山団地他)(9月上旬着工、11月下旬竣工予定)

○附属幼稚園職員室等改修(6月下旬着工、9月下旬竣工予定)

○課外活動施設新設(4月中旬着工、7月下旬竣工予定)

○ライフライン再生(空調設備更新)(5月初旬着工、11月下旬竣工予定)

○電話交換機設備更新(彦根団地)(9月上旬着工、11月下旬竣工予定)

○ヨット艇庫増築(7月上旬着工、10月下旬竣工予定)

○大学会館改修(7月中旬着工、1月下旬竣工予定)

属幼稚園についてはこの他にも改善

を要する箇所が散在しているためさ

らに具体的な改修計画を立案中であ

り、「アメニティ改善」に向けた整備を

行う予定です。

 飲料水等を供給する受水槽設備の

適切な維持・保全は、安全・安心の確

保のためにも必要不可欠です。インフ

ラ設備の更新として以前から課題と

なっていた膳所団地の受水槽設備の

更新が、平成20年度政府補正予算事

業における「ライフライン再生」として

予算化され、改善整備が実現すること

となりました。

 彦根団地同様に、経年劣化が著し

いことから電子交換機の全面更新を

行います。新しい機能を備えた基盤設

備が装備されます。

また、膳所団地、あ

かね団地の電話交

換機設備について

も更新を計画してい

ます。

 平成21年度に着工、竣工する施設

整備工事は、ここに紹介しました事業

の他にも、多様な財源により何件かの

計画的修繕工事等が実施される予定

です。計画が具体化されれば、その都

度学内周知をいたします。騒音、振

動、臭気等なにかとご迷惑をおかけ

することとなりますが、ご理解、ご協力

のほどよろしくお願いいたします。

 本学では、平成20年度政府補正予

算事業として採択された4件の事業の

実施により、耐震対策が必要な面積

の58%が完了することになります。こ

の他にも耐震対策が必要な建物が存

在しますが、引き続き耐震性の低い

建物から計画的に対策を行うこととし

ています。繰り返しとなりますが、今後

も大学構成員のすべての皆様のご理

解、ご協力をお願いいたします。

彦根地区で行われる施設整備工事

大津地区で行われる施設整備工事 おわりに

滋 賀 大 学 の 新 し い 動 き滋 賀 大 学 の 動 き滋滋滋滋滋

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 附属図書館本館は、耐震性能向上

のための補強を行います。書庫の床

は、炭素繊維補強工法にて補強の上、

電動式の集密書架を設置し、収蔵能力

を高め、施設の有効活用を図ります。

また、老朽化した空調設備を全面更新

すると共に、内装リニューアル等により

アメニティ改善も図ります。

 さらに、環境・省エネルギー対策とし

て屋上緑化を行います。

 この工事に伴い、図書館は6月中旬

から10月上旬までの間は大合併教室

に機能を移転し、一部のサービスを縮

小して運営することになります。

 この事業の概要については、前号

(Vol.29)にて掲載しており、ここでは省

略しますが、食堂スペースの増設、多

目的ホール等の整備によるアメニティ

改善に加え、耐震改修が行われます。

工事期間中は、食堂機能は停止し、生

活協同組合により弁当等の販売が行

われ、喫茶や売店は営業されます。

 「学生支援」のひとつとして、現在、大

学会館2階を利用している軽音楽部等

の文系サークルのスペースとして、隣

接の小グランドに新たに課外活動施

設(プレハブ工法2階建285m2)2棟を

建設します。また、中島グランドにも体

育系課外活動施設(プレハブ工法2階

建285m2)1棟を建設し、学生のための

施設の充実を図ります。

 施設基盤を支えるインフラ設備で

は、空調設備の充実が特

に望まれております。本学

は昭和50年代に再開発整

備されましたが、空調の整

備は進んでおりませんで

した。中央式の重油焚き

蒸気暖房設備と後付の冷

房設備という状態であり、

老朽化が進んでいます。

 研究棟、第2研究棟、校舎棟、図書館

棟、体育館等の空調方式を全面的に

見直し、マルチ方式の個別空調設備機

器に更新いたします。現在、稼動してい

る重油焚ボイラ設備を廃止し、老朽化

の進んでいる蒸気配管を撤去し、ライ

フライン再生を行い環境対策を実践

し、アメニティ改善を行います。

 この工事は、部屋単位あるいはフロア

単位での工事で、個々の部屋の使用者と

日程を調整しながらの作業となります。

 情報化時代としての機能に欠け、さ

らに修繕部品の入手も困難な状況に

あるため全面更新を行い、リダイアル

発信もできることになります。

 長期にわたり琵琶湖岸に放置状態と

なっていたヨット等の整理保管のため、

滋賀県や彦根市との連携協力により、県

の管理地の占用許可等を得てヨット艇

庫を増築することとしました。この事業

はヨット部OB会による寄付と、平成20年

度剰余金の活用により実施されます。

32 33

平成21年度に着工、竣工する施設整備工事

○附属図書館本館改修

 滋賀大学の施設整備は、平成20年3月に策定された「施設整備マスタープラン」に基本的に沿った整備が計画的に進められ

つつあります。この「施設整備マスタープラン」には、まず、「安全・安心な教育研究環境の再生」、「快適なキャンパスアメニティ

改善」、「学生支援」、「教育・研究支援」、「地域連携・支援」、「機能改善」さらに「環境」への積極的な配慮に取り組む「環境共生型

キャンパスの実現」などの具体的な整備方針が示されています。

 平成21年度は、これらの基本方針に沿って、いくつかの計画が事業化されました。

[ 施設管理課 ]

教育学部創造学習センター完成予想図滋賀大学附属図書館棟改修工事 完成予想図

(5月中旬着工、11月下旬竣工予定)

○教育学部創造学習センター新築

 この事業の概要については、前号

(Vol.29)に掲載しておりますのでここ

では省略しますが、教育学部の顔とし

てのシンボリックな外観と、充実した

内部機能により、学生が主体的に利

活用できる空間とし、「学生支援」と

「アメニティ改善」に寄与するものと

期待されています。

 平成19年度に個室化のための工事

を行い、現在はほぼ満室状態となって

います。今年度は耐震性能向上のた

めの補強を行い、老朽化した外壁の

塗装改修等を実施します。

 平成19年度政府補正予算事業とし

て、平成21年1月に竣工した附属小学

校校舎改修に引き続いての改修であ

り、耐震性能向上のための補強を行

い、内部の機能改善を行います。生徒

の安全を考慮し、夏休みに集中的に

工事を実施する事となります。

 附属学校(特別支援学校も含む)に

ついては、この事業により全ての耐震

化が完了し、大規模地震発生時の児

童、生徒への安全は確保出来ます。

 狭隘な職員室の改善と、機能強化

を図るための模様替えを行います。附

(6月上旬着工、11月上旬竣工予定)

○学生寄宿舎(平津寮)耐震改修(6月下旬着工、12月下旬竣工予定)

○ライフライン再生 (膳所団地受水槽設備更新)(6月中旬着工、10月中旬竣工予定)

○附属小中共用校舎改修(6月下旬着工、12月下旬竣工予定)

○電話交換機設備更新 (石山団地他)(9月上旬着工、11月下旬竣工予定)

○附属幼稚園職員室等改修(6月下旬着工、9月下旬竣工予定)

○課外活動施設新設(4月中旬着工、7月下旬竣工予定)

○ライフライン再生(空調設備更新)(5月初旬着工、11月下旬竣工予定)

○電話交換機設備更新(彦根団地)(9月上旬着工、11月下旬竣工予定)

○ヨット艇庫増築(7月上旬着工、10月下旬竣工予定)

○大学会館改修(7月中旬着工、1月下旬竣工予定)

属幼稚園についてはこの他にも改善

を要する箇所が散在しているためさ

らに具体的な改修計画を立案中であ

り、「アメニティ改善」に向けた整備を

行う予定です。

 飲料水等を供給する受水槽設備の

適切な維持・保全は、安全・安心の確

保のためにも必要不可欠です。インフ

ラ設備の更新として以前から課題と

なっていた膳所団地の受水槽設備の

更新が、平成20年度政府補正予算事

業における「ライフライン再生」として

予算化され、改善整備が実現すること

となりました。

 彦根団地同様に、経年劣化が著し

いことから電子交換機の全面更新を

行います。新しい機能を備えた基盤設

備が装備されます。

また、膳所団地、あ

かね団地の電話交

換機設備について

も更新を計画してい

ます。

 平成21年度に着工、竣工する施設

整備工事は、ここに紹介しました事業

の他にも、多様な財源により何件かの

計画的修繕工事等が実施される予定

です。計画が具体化されれば、その都

度学内周知をいたします。騒音、振

動、臭気等なにかとご迷惑をおかけ

することとなりますが、ご理解、ご協力

のほどよろしくお願いいたします。

 本学では、平成20年度政府補正予

算事業として採択された4件の事業の

実施により、耐震対策が必要な面積

の58%が完了することになります。こ

の他にも耐震対策が必要な建物が存

在しますが、引き続き耐震性の低い

建物から計画的に対策を行うこととし

ています。繰り返しとなりますが、今後

も大学構成員のすべての皆様のご理

解、ご協力をお願いいたします。

彦根地区で行われる施設整備工事

大津地区で行われる施設整備工事 おわりに

滋 賀 大 学 の 新 し い 動 き滋 賀 大 学 の 動 き

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CLUB CIRCLE

34 35

伊香具神社の12本足の鳥居谷田 博幸(教育学部教授)

~ 大学とともに発行60年 ~

広報誌『しがだい』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。読者の皆様の声をより誌面に生かすため、率直なご意見ご感想をお聞かせ下さい。なお、「読者アンケート」にご記入頂いたお客様の個人情報は、今後の広報誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。

ご回答はホームページからお願いします。滋賀大学公式HP[http://www.shiga-u.ac.jp/]から「大学紹介」→「広報誌しがだい」

広報誌『        』第30号

読者アンケートご協力のお願い

私たち陵水新聞会は、主に経済学部の学生を対象

とした新聞の作成を行っています。『新聞を通じて学

生に有益な情報を提供し、学生生活の向上に貢献す

る』という目的のもと発足し、現在は年間計8回新聞を

発行しています。

主に新聞に取り上げる内容は本学の学生や先生方

の活動を紹介するもので、学園祭や講演会などの行

事や各部活動の様子などを記事にしています。また編

集員がそれぞれアイディアを持ち寄り、市内の飲食店

紹介や、社会で活躍されている本学卒業生の紹介と

いったオリジナルの特集記事も作成しています。

当会の発足は古く、第1号発行は約60年前に遡り

ます。以来多くの先輩方の手によって記事が作られ、

各時代の滋賀大学と学生の姿を伝えながら今日に

至っています。これまでたくさんの方に協力をいただ

いたおかげで、今年は創刊300号を発行することが

できました。

私たちはこれまで先輩方が残されてきた滋賀大学

の軌跡と現在の滋賀大学の姿を将来に伝えるため、

支えてくださるたくさんの方と協力しながら共に学び

合い、取材や編集の技術を高め合いながらこれからも

より良い新聞づくりを目指していきたいと思います。

JR木ノ本駅で下車し、飯浦方面へ向けて西

へものの20分も歩くと、古戦場として名高い

賤ヶ岳の東の山麓に伊香具(いかご)神社はあ

る。白鳳10年創建と伝えられる式内社で、かつ

ては伊香郡の総鎮守であったという。ここに私

が密かに近江三鳥居の1つと称している鳥居

が存在する。写真に見るように、所謂神明式の

靖国鳥居を基本として、左右に小さな脇鳥居を

配し、さらに2本の柱の前後を稚児柱各4本で

支えるという、神明式三輪形両部鳥居とでも呼

ぶ他ない異容を呈している。足が12本でまさ

に「タコならぬイカだわい」などと言ったら叱ら

れるだろうが、同社ではこれを伊香式鳥居と称

しておられる。記銘がないため正確な建立年代

は不詳だが、渡辺市太郎の『名蹟圖誌近江寳

鑑』に既にその姿が見られるから、遅くとも明

治29年以前に遡ることはたしかだ。一見ジャン

グルジムと見紛うばかりのこの異様な鳥居が何

故この地に建立されたのかは謎だが、これが全

国でも他に例のない珍しい折衷様式の鳥居で

あることは間違いない。日本一柱の多い鳥居を

拝んだ後は、木之本地蔵で知られる浄信寺の

参道にある菓匠禄兵衛に立ち寄り、日本一美味

い草餅に舌鼓を打つのもよいだろう。

過去の陵水新聞

作業の様子

取材の様子

CLUB CIRCLEC陵水新聞会経済学部

近江の散歩

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CLUB CIRCLE

34 35

伊香具神社の12本足の鳥居谷田 博幸(教育学部教授)

~ 大学とともに発行60年 ~

広報誌『しがだい』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。読者の皆様の声をより誌面に生かすため、率直なご意見ご感想をお聞かせ下さい。なお、「読者アンケート」にご記入頂いたお客様の個人情報は、今後の広報誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。

ご回答はホームページからお願いします。滋賀大学公式HP[http://www.shiga-u.ac.jp/]から「大学紹介」→「広報誌しがだい」

広報誌『        』第30号

読者アンケートご協力のお願い

私たち陵水新聞会は、主に経済学部の学生を対象

とした新聞の作成を行っています。『新聞を通じて学

生に有益な情報を提供し、学生生活の向上に貢献す

る』という目的のもと発足し、現在は年間計8回新聞を

発行しています。

主に新聞に取り上げる内容は本学の学生や先生方

の活動を紹介するもので、学園祭や講演会などの行

事や各部活動の様子などを記事にしています。また編

集員がそれぞれアイディアを持ち寄り、市内の飲食店

紹介や、社会で活躍されている本学卒業生の紹介と

いったオリジナルの特集記事も作成しています。

当会の発足は古く、第1号発行は約60年前に遡り

ます。以来多くの先輩方の手によって記事が作られ、

各時代の滋賀大学と学生の姿を伝えながら今日に

至っています。これまでたくさんの方に協力をいただ

いたおかげで、今年は創刊300号を発行することが

できました。

私たちはこれまで先輩方が残されてきた滋賀大学

の軌跡と現在の滋賀大学の姿を将来に伝えるため、

支えてくださるたくさんの方と協力しながら共に学び

合い、取材や編集の技術を高め合いながらこれからも

より良い新聞づくりを目指していきたいと思います。

JR木ノ本駅で下車し、飯浦方面へ向けて西

へものの20分も歩くと、古戦場として名高い

賤ヶ岳の東の山麓に伊香具(いかご)神社はあ

る。白鳳10年創建と伝えられる式内社で、かつ

ては伊香郡の総鎮守であったという。ここに私

が密かに近江三鳥居の1つと称している鳥居

が存在する。写真に見るように、所謂神明式の

靖国鳥居を基本として、左右に小さな脇鳥居を

配し、さらに2本の柱の前後を稚児柱各4本で

支えるという、神明式三輪形両部鳥居とでも呼

ぶ他ない異容を呈している。足が12本でまさ

に「タコならぬイカだわい」などと言ったら叱ら

れるだろうが、同社ではこれを伊香式鳥居と称

しておられる。記銘がないため正確な建立年代

は不詳だが、渡辺市太郎の『名蹟圖誌近江寳

鑑』に既にその姿が見られるから、遅くとも明

治29年以前に遡ることはたしかだ。一見ジャン

グルジムと見紛うばかりのこの異様な鳥居が何

故この地に建立されたのかは謎だが、これが全

国でも他に例のない珍しい折衷様式の鳥居で

あることは間違いない。日本一柱の多い鳥居を

拝んだ後は、木之本地蔵で知られる浄信寺の

参道にある菓匠禄兵衛に立ち寄り、日本一美味

い草餅に舌鼓を打つのもよいだろう。

過去の陵水新聞

作業の様子

取材の様子

陵水新聞会経済学部近江の散歩

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Vol.302009/7

Anniversary

創立60周年に寄せて

特集

滋賀大学広報誌 Vol.30

〒522-8522滋賀県彦根市馬場一丁目1-1TEL : 0749-27-7524

E-mai l : [email protected]. jp

発行日 平成21年7月

発 行 国立大学法人 滋賀大学

編 集 滋賀大学広報部会

SHIGA UNIVERSITY Public information magazine滋賀大学広報誌