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ウウウウウウウ https://www.iwanami.co.jp/book/b265861.html ウウ ウウウ ウウ 2005/05/12 -1 ウウ ウ ウウウウ -2 まままま ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 一、。、。、、。 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 、体、。、、、。一、、体。 -3 ウウウウウウウウウ 一。 ウウウウ 、、体。 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 、一一。、、。、、。体。 ウウウ 、、ウ ウ ウウウウウウウウウウウウウウ ウウウウウウウ ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ ウウウ ウウウウウウウウウウウウ 。、 。、。、 「」 -4 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 、体、、。体、。 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 、、。、一、、。C、。、体。、、一。ウウ 、。 ウウウウウウウ ウウ -5 ウウ ウウウウ ウウウウウウウウウ 1 ウウウウウウウウウウウウウウ 15 ウウウウウウウウウウ 21 ウウウウウウウウウ 45 ウウウウウウウウウウウ 67 ウウウウウウウウウウウウウウウウウ 79 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 91 ウウウウウウウウウウウウウウ 111

_x0001_€¦ · Web viewウイルスと人間 著者山内一也 著出版2005/05/12 p-1 ウイルスと人間 山内一也 岩波書店 p-2

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Page 1: _x0001_€¦ · Web viewウイルスと人間  著者山内一也 著出版2005/05/12 p-1 ウイルスと人間 山内一也 岩波書店 p-2

ウイルスと人間https://www.iwanami.co.jp/book/b265861.html著者 山内一也 著 出版 2005/05/12

p-1

ウイルスと人間  山内一也  岩波書店

p-2まえがき

ウイルスが発見されたのは一九世紀の終わりで、ウイルス学の歴史は百年ということになる 。私がウイルス研究の世界に入り込んだのは五〇年前で、ウイルス学が進展し始めた時期であった。そしてこれまでに、動物実験を中心としたウイルス学研究から現在のウイルスの遺伝子操作にいたるまで、ほとんどすべてのウイルス研究の段階を身近に経験することができた。

振り返ってみると、当初からウイルスは感染症の病原体であるという認識のもと、ワクチンによる急性ウイルス感染症の予防がウイルス学における重要な課題としてとらえられてきた。その成果として天然痘根絶を初めとして、狂大病、麻疹、ポリオなど昔から人類を苦しめてきた危険なウイルス感染症は制圧されてきた。一方で、野生動物から突然感染して社会に大きな衝撃を与えるエマージングウイルスの問題が二〇世紀終わり頃から注目されるようになり、この十年はどの間に危険な病原体としてのウイルスの実態を紹介する書籍が相次いで出版された。

p-3私自身もエマージングウイルスに関する一般向け解説書をいくつか出版した。

しかし、もっと広い視点から眺めると、ウイルスは生物の細胞に寄生する生命体である。ヒトの遺伝子が三万くらいあるのに対して、ウイルスはその一〇〇分の一以下の遺伝子を持っ

ているにすぎない。それにもかかわらずウイルスは、八個の遺伝子の教を持つインフルエンザウイルスがスペイン風邪で数千万人の死亡を引き起こした例にみられるように、すさまじい力を発揮することがある。三〇億年前には地球上に出現していたと推測されるウイルスが、わずか二〇万年前に出現した人類に対して、なぜこのような影響を与えているのか。人類よりもはるかに長い歴史を持つウイルスの生命体としての存在意義は何なのかという疑間が浮かんでくる。

このような問題を考えていたときに、岩波書店編集部田中太郎氏から科学ライブラリーに、これまでの私の解説書とは異なる切り口でウイルスについて書いてほしいとの依頼を受けた。そこで、すぐに頭に浮かんだのは「ウイルスと人間」というテーマであった。とはいっても、これまでにこのテーマをまともに取り上げたことはなかった。また、この視点で書かれている海外の書籍もみあたらなかった。先にテーマを決めたことが、私にとって新しい挑戦への出発点になったのである。

p-4本書では、病原体としてのウイルスだけではなく、ウイルスの別の側面をいくつか紹介した

が、これらはいまだに仮説の段階のものである。地球上でもっとも微少な寄生生命体としての

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ウイルスの存在意義についての新しい視点が開かれることを期待して、あえて私の個人的見解も付け加えてある。本書の執筆にあたっては、私の所属する日本生物科学研究所で研究を続けられている国立遺伝

学研究所名誉教授石浜明博士から、進化の推進力としてのウイルスの意義などについて貴重なご意見をうかがうことができた。また、国立予防衛生研究所と東京大学医科学研究所で私の研究グループの一員であった京都大学教授速水正憲博士からは、レトロウイルスの進化の問題などについて、有益な助言をいただくことができた。C型肝炎ウイルス発見の経緯については、国立感染症研究所官村達男博士から貴重な資料を提供していただいた。東京大学医科学研究所教授甲斐知恵子博士からは、本書の仝体についてご意見を多くいただいた。また、岩波書店編集部の田中太郎氏と桑原正雄氏には、専門的になりがちな文章を一般向けに直していただいた。これらの方々に、この場を借りて感謝の意を表したい。 

二〇〇五年四月山内一也

p-5目次はじめに

1 ウイルスの歴史は長く、人間の歴史は短い 12 進化の推進力となったウイルス 153 ウイルスはどのような「システム」か  214 ウイルスと生体のせめぎ合い 455 ウイルスに対抗する手段 676 現代社会が招くエマージングウイルス 797 エマージングウイルスの時代をどう生きるか 918 人間とウイルスの関係を考える 111

p1

1  ウイルスの歴史は長く、人間の歴史は短い

ウイルスという言葉は昔から使われていた

ウイルスという言葉はギリシア時代から使われていた。ギリシアの医師で医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、病気はウイルス(病毒)とミアズマ(療気)という二つの毒により起こると述べている。ウイルスはヘビの毒や狂犬の唾液のように目に見える毒、ミアズマとは沼のよどんだ水、動物の死体、埋葬されていない人の死体から出る目に見えない気体のことである。紀元一世紀、ローマのケルサス(Celsus)は狂大病について「犬が凶暴だった場合には、ウイルス(病毒)を吸い玉で抜き取らねばならぬ」と記載した。もちろん当時、狂大病はウイルスのような病原体によるものとは認識されていなかったが、ラテン語のウイルスには「粘液」の意味もあるため、犬の粘液状の唾液でうつることは気づかれていたのかもしれない。

p2

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それ以後、ウイルスという言葉は毒薬、毒液という意味で使われてきた。一七九六年にジェンナーは、牛痘の病変の膿を接種する種痘によって天然痘の予防が可能であることを明らかにしたが、一八〇七年イギリスの湖畔詩人の書いた文章には「牛痘ウイルス」という言葉が出てくる。その頃にはウイルスが感染性の実体を指す用語になっていたのであろう。

一八世紀初めに、アジアからヨーロッパに牛の急性伝染病の牛疫が侵入し猛威を振るった。この一世紀でヨーロッパの牛一億頭が死亡したと伝えられている。一八六五年には、この牛疫

がイギリスに侵入した。その年にウイーンで開かれた国際獣医学会議で、イギリスの獣医学者でエジンバラ獣医大学の創立者であったジョン・ガムジーは、牛疫の本体について「ウイルス」の用語を使い、これが呼吸や接触を通して動物の体内に入って病気を起こすと述べている。なお、彼はそれまでにイギリス政府に対して、牛疫対策として検疫と殺処分を求めていたが無視された。そして、イギリスは一人九六年にかけて牛疫の大流行による大きな被害を被ったのである。

一方、ドイツでは一八七六年、コッホが初めて炭疸菌の分離に成功した。続いて結核菌、コレラ菌、チフス菌、赤痢菌と続々と細菌が分離されて細菌学の狩人の時代が始まった。フランスではパスツールが一八六〇年に、ワインやビールの発酵が生きた微小な生命体による

p3ことを証明しており、一八七八年にはパスツールの業績をたたえて「微生物」という用語がフランスのセ ディヨーにより提唱された。パスツールは一八七九年にはニワトリコレラ菌と炭疸菌がワクチンで予防でき ることを証明し、一八八五年にはワクチンによる狂大病の発病防止に成功してワクチンの概念を確立した。そして感染・発病してから回復後に免疫を残すような実体をウイルスと呼び、一八九〇年にはすべてのウイルスは微生物であるとはっきり述べている。一九世紀の終わりにはウイルスの用語は微生物学の中に定着していたとみなせる。

ところで、日本では一九五三年にウイルス学会が設立されたときに、ウイルスの名称が正式に決められた。それまでは「病毒」の方が普通で、日本細菌学会の一部で取り上げられていた。中国では今でも病毒が正式名称である。

ウイルスはどこから来たか

ウイルスはいつ地球上に出現したのであろうか。まず、生物の誕生から眺めてみよう。生物界は真正 細菌、古細菌、真核生物の三つの大きなグループに分類されている(図1)。真正細菌とは普通の細菌のことで、古細菌は温泉のような高温(八〇度以上)や高い酸性(pH3以下)といった極限の環境

p4で増殖する細菌である。これらの祖先は約四〇億年前に生まれたと考えられている。これらの細胞には核がないため原核細胞と呼ばれる。核を持った真核生物の出現は二〇億年くらい前で、これが植物と動物へ進化した。

ウイルスはこの二つの生物界すべての生物に対して見いだされている。細菌に対してはバクテリオファージと総称されるウイルスが多数見いだされている。古細菌のうち、アメリカのイエローストーン国立公園で分離されているスルフォロブス菌から見いだされたウイルスの蛋白質を調べてみると、

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p5細菌ウイルス(バクテリオファージ)や動物ウイルス(人のアデノウイルス)と立体構造に類似性があるこ とが認められている。この結果から、三つの生物界が分岐した三〇億年以上前から、共通の祖先のウイルスが存在していたのではないかという見解が出されている。 それではウイルスはどのようにして生まれたのだろうか。これには三つの説がこれまでに提唱されている。第一は、ウイルスは細菌のような大型の微生物が退化したものという説で、一九二〇年代にはこの説が一般的に受け入れられていた。しかし、細菌が退化して生じたと考えられているものには、細胞内の 小さな器官であるミトコンドリアがあるが、細菌が退化してウイルスの形態を示すようになった例はまったくみつかっていない。したがって、この説は現在では考えにくいとみなされている。

ほかの二つの説は、ウイルスと細胞のどちらが先に生まれたかという点で大きな違いがある。ウイル スの方が細胞よりも先に現れたという説は、生物の遺伝情報はDNAに担われているが、ウイルスの場合にはDNAだけでなくRNAに担われたものがあることから、提唱されたものである。地球は四六億年前に生まれ、四〇億年前に生命の情報を持ったRNAが生まれ、RNAワールドが栄えた。二五億年前の単細胞の化石が見つかっていることから

p6この頃にDNAワールドに変わったと考えられている。少なくともRNAウイルスはそのRNAワールドの時代の遺物ということになる。この説には反論が多いが、今でもこれを支持する見解もある。

細胞の後にウイルスが現れたという説が現在では有力で、ウイルスは細胞の遺伝子が外に飛び出して蛋白質の殻を獲得し、自己増殖できるようになったものと考えられている。細胞内には動く遺伝子であるトランスポゾンやレトロトランスポゾンがある(第2章参照)。これらがウイルスの祖先で、ほかのRNAウイルスでは、細胞のメッセンジャ-RNAがRNAを合成する能力を獲得し、細胞を飛び出したものが祖先であろうと説明されている。

野生動物から生まれた人のウイルス

人類は地球上にもっとも遅く出現した哺乳類である。ネズミは六〇〇〇万年前、牛、豚などは五四〇〇万年前に出現した。直立二足歩行を始めた猿人がアフリカに出現したのは五〇〇万年前、ホモ・サピエンスの出現はわずか二〇万年前である。したがって人類が出現する以前に、すでにほかの哺乳類にウイルスは寄生していた。そして人が狩猟採集生活で野生動物に接触した際に、そのウイルスによる感染が起きていたと考えられる。気候が温暖な地域

p7では、ジャングルに生息するサルから蚊を介して黄熱ウイルスによる感染が起こり、寒冷地域では狼から狂犬病ウイルスに感染することがあったはずである。これらのウイルスは、旧石器時代にすでに人間に感染を起こしていたウイルスの原型とみなすことができる。

感染して回復した人はウイルスに免疫ができるため、もはやウイルスは感染できない。ウイルスが人類の間で存続するためには、多数の人の集団があって免疫のない人が常に存在していなければならない。しかし、狩猟採集生活では、人類はせいぜい百人を超える程度の小さな集団であったため、ウイルスが存続することは起こりえなかったはずである。

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家畜からのウイルス

 人間は一万年前にアフリカからチグリス・ユーフラテス川やインダス川流域に移動して農耕生活を始め、牛、馬、羊、豚などの家畜の利用を始めた。それまでのように移動することなく、定着した生活となり、人間の集団規模は一〇倍から一〇〇倍以上に拡大した。家畜との密接な接触から家畜のウイルスによる 感染も起きてきた。しかし、ウイルスに対す

る防御機構である免疫が成立すると、ウイルスは排除されて人は回復し、もはやそのウイルスには感染しなくなる。したがって、常に感受性のある人にウイルスを伝播しなければウ

p8イルスは死に絶えてしまう。そのためには空気感染のように高い効率で感染を広げる必要がある。こうして人から人に伝播されている間に、家畜のウイルスが人にだけ感染するように変異を起こして、人のウイルスになったものがでてきたと推測されている。

その代表的なものとして、麻疹(はしか)ウイルスと天然痘ウイルスがある。麻疹ウイルスは牛の急性伝染病である牛疫ウイルスに、人が八○〇〇年ほど前に感染したものに由来すると考えられている。なお、犬のジステンパーウイルスも牛疫ウイルスに由来すると考えられている 。犬はもっとも古い家畜であり、人と同様に牛からの感染の機会を多く持っていたはずである。

天然痘は四〇〇〇年前に、馬か牛のウイルスが人に感染して人のウイルスになったものと考えられている。アメリカ大陸に天然痘ウイルスと麻疹ウイルスが持ち込まれたのはコロンブスによる新大陸発見の後である。アメリカ大陸では家畜の飼育はほとんど行われていなかった。したがって、アメリカ大陸で家畜のウイルスが人のウイルスになる機会は少なかったのであろう。

ほかにも家畜由来の人ウイルスはあるはずであるが、おそらく天然痘や麻疹のように大流行を起こさなかったために記録として残っていないものと思われる。新大陸に存在していなかったウイルスに

p9ついて、家畜のウイルスと共通の遺伝子を持つものを探していくと、家畜から感染したウイルスがみつかるかもしれない。

系統進化とともに受け継がれたウイルス

ウイルスによっては、系統進化とともに人に受け継がれて人ウイルスになったと考えられるものがある。これらは一般にあまり重い病気は起こさず、体内に一生の間持続感染を起こすものである。そのため、系統進化の初期に感染したウイルスが胎盤で親から子へと垂直感染することにより、また、家族内の密接な接触による水平感染により、受け継がれてきたものであろう。

この種のウイルスで代表的なものはヘルペスウイルスである。鳥類と哺乳類には数多くのヘルペスウイルスがあるが、無脊椎動物のカキやホタテ貝にはカキヘルペスウイルスが寄生している。脊椎動物の出現は五億三〇〇〇万年前と推定されているので、それ以前にすでにヘルペスウイルスは存在していたことになる。脊椎動物では魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類のいずれにもヘルペスウイルスが見いだされている。魚類ではサクラマスヘルペスウイルスが鮭やウ

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ナギで見つかっており、両生類では蛙のヘルペスウイルス、爬虫類ではトカゲのイグアナヘルペスウイルスがある。

p10なおついでだが、現在問題になっているコイヘルペスウイルスは、電子顕微鏡で見た形態な

どから二〇〇〇年にヘルペスウイルスと命名されたものであるが、最近のウイルス遺伝子解析の結果からは、哺乳類、鳥類、爬虫類のヘルペスウイルスとは異なるグループと見なされることから、ヘルペスウイルスではないとして、コイ腎炎鯉壊死病ウイルスという別の名前も提唱されている。

人のヘルペスウイルスとして代表的な単純ヘルペスウイルスは、ほとんどすべての人が子供のときに感染するもので、一生、神経細胞の中に潜んでいる。風邪を引いたり強い紫外線にあたったりすると、ウイルスが神経細胞から唇の粘膜の上皮細胞に運ばれて増殖を始め、口唇ヘルペス潰瘍を作る。防御機構である免疫反応でウイルスは排除されて病変は治るが、神経細胞の中のウイルスはそのまま残る。子供のときにかかる水痘もヘルペスウイルスによるもので、水痘ウイルスもまた神経細胞に潜んでいる。そしてときに神経の周辺で増殖して帯状疱疹を起こす。サルには単純ヘルペスウイルスと非常によく似たヘルペスBウイルスがある。これもまた一

生、神経細胞に潜んでおり、ときにヘルペス潰瘍を起こす。水痘ウイルスときわめてよく

p11似たヘルペスウイルスもサルにはある。人のヘルペスウイルスとサルのヘルペスウイルスは霊長類の 進化の初期に、人とサルの共通の祖先が感染し、系統進化で受け継がれてきたものであろう。

ところで、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)は、主に母親から乳を介して子に垂直感染するもので、ヘルペスウイルスと同様に、霊長類の進化の初期に人とサルの共通の祖先が感染して受け継がれてき たものと考えられていた。しかし、京都大学、速水正憲博士のグループは、HTLVと多くの種類のサルT 細胞白血病ウイルスについて、それらの遺伝子を比較した結果、霊長類の進化の初期から比較的最近 まで、サルから人への感染が何回にもわたって起きてきているという考えを発表している。すなわち、現 在のHTLVには系統進化とともに受け継がれてきたものと、サルから感染したものの両方が存在しているということになる。

現在も生まれている新しい人ウイルス

動物のウイルスが人ウイルスに変異する事態は二〇世紀以降でも起きている。エイズの原因である ヒト免疫不全ウイルスHIVには1型と2型の二つがある。HIV‐1はアフリカでチンパンジーから、

p12HIV12はアフリカのスーティマンガベイというサルから、いずれも二〇世紀になってから人が感染したと考えられている。HIVは麻疹や天然痘ウイルスのように空気感染などで人から人に伝播することはない。それが人の間で広がっていったのは、性的接触や薬物注射といった人為的な原因によるものである。

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現在、第二のエイズにつながるかもしれないと危惧されているウイルスがある。サルフォーミイウイルスという、もともとサルのレトロウイルスの一種であるが、最近、アフリカのカヵメルーンで行われた調査の結果では、多くの村人、とくに野生動物の肉(ブッシュミート)のハンターに無症状感染を起こしていることが確認されている。アフリカの多くの地域では蛋白源をブッシュミートに依存しており、中央アフリカ、コンゴ共和国からカメルーンにかけてのコンゴ河流域だけで、二〇〇三年には一〇〇万トンから五〇〇万トンのブッシュミー トが消費され、その多くはサルの肉であったという。サルを食料にすることと、森林破壊によリサルとの接触機会が増加したことから、新しいサルのウイルスによる感染が起きていると推測されているのである。もしも、このウイルスが人の間で広がる事態が起こると、新しい人ウイルスが生まれる可能性がある。

p13二〇世紀後半から促進されているウイルスの変異

過去三〇年ほどの間にヘルペスウイルスやヒト免疫不全ウイルスに対する抗ウイルス剤が開発されて、これらの感染症はある程度抑えることができるようになった。しかし、抗ウイルス剤はウイルスを死滅 させるものではなく、ウイルスの増殖を阻止し発病を抑えるものである。ヘルペスウイルスではアシクロ ビルという抗ウイルス剤が良く効くが、病変が治ってもウイルスは神経細胞に潜んでいる。HIVではいくつもの抗ウイルス剤が開発され、現在では三種類以上の抗ウイルス剤を併用する高活性抗レトロウイ ルス療法で発病は抑えられる(第5章参照)。しかし、ウイルスは染色体の中に潜んでいる。これらの体 内に潜むウイルスは抗ウイルス剤の影響下で、変異を起こして耐性ウイルスとなる。インフルエンザウイルスに対しても最近タミフルなどの効果的な抗ウイルス剤が用いられるようになり、感染の初期に服用 すれば発病を抑えることができる。しかし、この場合にも耐性ウイルスの出現が問題になりつつある。

ウイルスの長い歴史で、抗ウイルス剤にさらされる事態はほんの二〇ないし三〇年の出来事にすぎない。そして、その間にウイルスは薬剤に対抗して、かつてなかったスピードで変

p14異を進めていることになる。

一九六〇年代からは、ブロイラー産業が発展して大規模養鶏が行われるようになった。もともと鳥インフルエンザウイルスは、その自然宿主の鴨では病気をほとんど起こさない。それが狭いスペースの中で多数が飼育されている鶏の間で広がっている間に、鶏の免疫系が産生する抗体の影響の下で変異が進み、高病原性鳥インフルエンザのような鶏に致死的なウイルスとなり、さらには人にも感染するようになった。ウイルスがその長い歴史の中で、抗ウイルス剤や抗体のようなウイルスの変異を促進する影響を受けるようになったのは、この半世紀以内のことである。

p 15

  2  進化の推進力となったウイルス

ヒトゲノムに残るウイルスの足跡

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人やマウスのゲノム(遺伝子の全体を指す用語)の中には、レトロトランスポゾンと呼ばれる配列がある。この領域はRNAに転写され、逆転写酵素の働きでDNAが合成されて、それがふたたびゲノムの中に挿入されることで、自分のコピーを無限に増やすことができる。活性を持っていて自ら移動できる要素であるため、「寄生体のようなDNA断片」とも呼ばれている。このレトロトランスポゾンには、人ではLINE(長い散在因子)とSINE(短い散在因子)などがある。これらはウイルスの原始的形態や機能を備えた因子であって、ウイルスの祖先と考えられている。

ヒトゲノムが最近解析された結果、その約二〇億塩基対のDNAの中で、驚いたことに

p 16レトロトランスポゾンはほぼ半分を占めることが明らかにされた。レトロトランスポゾンは自分のコピーをどんどん挿入できるため、新しい遺伝情報を持ち込むことができる。生命の誕生以来、原核細胞から真核細胞へ、そして多細胞生物、さらに脊椎動物へと進んだ生物進化の過程で、レトロトランスポゾンの爆発的増幅がゲノムサイズの拡大をもたらしてきた(図2)。ウイルスの祖先がゲノムヘの多様性をもたらして進化の推進力として働いていたといえるのではなかろうか。

生物は基本的にはウイルスの子孫?

細胞に核があることを最初に見いだしたのは、スコットランドの植物学者ブラウンである。一八三一年、蘭を顕微鏡で観察していた際に、彼は新しい構造をみつけて「核」と名付けた。それ以来、植物や動物は核が存在することから真核生物と呼ばれるようになり、核が進化の推

進力になっていると信じられてきた。この核がどのようにして生まれたかは生物学の大きな謎である。二〇〇四年七月に進化生物学者が核の起源について議論を行い、そこで二つの仮説が示された。第一は、細菌と古細菌のいずれもその細胞の膜から栄養分をとりこんでいるが、地球環境の変化で古細菌が細菌に寄生するようになり、古細菌は自分で栄養分をとる

p 17 (図)

p 18必要がなくなった。その結果、古細菌の細胞膜が細菌の中で核になったという仮説である。すなわち、細菌と古細菌合体説である。第二は、真核細胞が古細菌や細菌の後で生まれたのではなく、それ以前にすでに出現していた

というものである。これら二つの仮説の根拠は本書のテーマと離れるので割愛し、核はウイルスに由来するという第二の仮説を紹介する。

この説ではウイルスは細胞よりも先に出現していて、後に細胞に寄生して増殖するようになったという前提にもとづいている。そして、ウイルスが古細菌と共存した結果、ウイルスDNAと古細菌DNAがウイルスの中で一緒になり、新しい遺伝子構造物として核が誕生したと主張している。実際に核とウイルスの間には興味ある共通点が存在している。いずれも基本的に蛋白質の皮に包まれたDNAの塊であって、しばしばその周りには膜が存在している。ほかの共通点として、たとえば、原始植物の紅藻では、核は感染性のウイルスのように細胞から細胞へと

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移動できる。一般に細胞核もウイルスも、蛋自質や脂質を産生する機構を欠いている。大型の複雑な形態のDNAウイルスであるポックスウイルスやアフリカ豚コレラウイルスは、核の祖先と考えられるウイルスの特徴を備えている。そのほかにもいくつか

p 19真核生物の核がウイルスにより生まれたものと仮定すれば、我々はもとをたどればウイルスの子孫ということになる。

ABO血液型の維持に一役買っているウイルス

人のABO血液型は霊長類の進化の初期に生まれてきたと考えられている。これはABOの二つの遺伝子座により決められているもので、A型物質とB型物質は優性遺伝の糖鎖転移酵素であるが、0型物質はその機能が欠けている。そのため、0型の人にはA型物質とB型物質に対する自然抗体があるが、A型の人にはB型物質、B型の人にはA型物質に対する自然抗体があるものの、いずれにも0型物質に対する自然抗体はない。

動物は急速に進化する細菌などの病原体から身を守るために、常に多様性を獲得する必要がある。ヒトの血液型にA型、B型、AB型、0型という四つの型がみられる理由についても、細菌感染に抵抗力のある個体が選択されつづけてきたためという考え方が一般的であった。一方、インフルエンザウイルスでは、ウイルス粒子を包んでいるエンベロープにABO血液型物質が含まれていて、それがヒトに現れるABO血液型の頻度に影響を与えているのではないかという見解も出されていた。後述するように(第3章)、ウイルスのエンベロープには

p 20細胞膜の成分の一部が取り込まれるため、ABO型物質も含まれている可能性がある。

そこで、組換えDNA技術でA型物質またはB型物質を産生している細胞を作り、それに麻疹ウイルスを感染させてみると、A型、B型どちらの細胞から産生されたウイルスも、O型血液を加えることで感染力を失った。これは、0型の人に存在する、A型またはB型物質に対する自然抗体の働きによると考えられる。この現象は麻疹ウイルスだけでなく、エンベロープを持ったほかの多くのウイルスでも起こりうる。その結果、0型の人はA型、B型、またはAB型の人で増殖したウイルスに対しては感染しにくいということになる。A型、B型、AB型の人は0型物質に対する自然抗体を持っていないため、0型の人で増殖したウイルスに感染しやすくなる。そうなると、いずれ0型の人が大半を占めるようになってしまう。

そこで、四つの血液型を維持するには、A型、B型、AB型に有利な条件も必要になる。細菌によっては細胞の血液型物質などの糖鎖に結合して感染すると考えられるものがある。数学モデルで計算してみると、細菌が0型物質の方に結合して攻撃すれば、ウイルスによって損なわれたバランスが修復されるという結果になった。

これは単なる作業仮説にすぎないが、ABO型の多型性の維持に、ウイルスと細菌の両方が関わっている可能性を提唱したものである。

p 21

3 ウイルスはどのような「システム」か

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ウイルスの種類

ウイルスは細胞生物すべてに寄生している。すでに述べたように、原核生物の細菌にはバクテリオファージが寄生し、古細菌にもいくつかのウイルスが見いだされている。真核生物では植物、無脊椎動物、脊椎動物すべてにウイルスは存在している。もっとも原始的な単細胞真核生物のアメーバで増殖するウイルスも見つかっている。これは、イギリスの病院で肺炎が発生したために空調機のクーリングタワーの水を調べたところ、偶然に水中のアメーバで見つかったもので、その直径は四〇〇ナノメートル(一ナノメートルは一〇億分の一メー トル)と、最大サイズの天然痘ウイルスの倍近くもあり、細菌に似ている(mimic)ということから、ミミウイルスと命名された。

p 22ウイルスのもっとも簡単な分類は、核酸のタイプにもとづいて行われる。すなわち、DNA

とRNAのどちらを持っているかということである。ウイルスの核酸はカプシドと呼ばれる蛋白質の殻に包まれている。さらにその外側をエンベロープと呼ばれる膜に包まれているウイルスがあり、これはエンベロープウイル スと呼ばれている。エンベロープにはウイルス蛋白のほかに、細胞から飛び出す際に取り込まれた細胞 膜の脂質が含まれている。ウイルス粒子の大きさや形態はまちまちでそれらを模式的に図3、4にまとめてある(エンベロープは棘のような形で示されている)。

ウイルスは究極の寄生性生命体p 23SARS(重症急性呼吸器症候群)も鳥インフルエンザも、ウイルスによって起こる感染症で

ある。しかし、SARS菌とか、鳥インフルエンザの病原菌という言葉をよく聞く。一般の人々にとって、ウイルスと細 菌の区別はあまり認識されていないのである。もっとも、起きてくる病気にはよく似た面があるためやむを得ないが、両者の間には大きな違いがある。

p 24細菌は細胞膜に包まれた単細胞である。細菌の増殖は細胞の三分裂により行われる(図5)。

細菌には遺伝情報としてのDNAと代謝機構が備わっている。そのために、外界でも増殖できる。一方、ウイルスには遺伝情報としてDNAまたはRNAがある。しかし、その情報にもとづい

て子孫のウイルスをつくるための代謝機構もエネルギー産生機構もなく、それらは寄生している細胞に依存している。細胞の外ではウイルスはまったく増殖できない。

当初、ウイルスは小型の細菌と考えられていた。しかし、後述するように、タバコモザイクウイルスの結晶化が行われ、それに感染性が見いだされたことから、ウイルスは無生物という考えが強くなってきた。事実、タバコモザイクウイルスの結晶化の功績に対して与えられたノーベル賞は医学、生理学賞ではなく、化学賞であった。

ところが、前述のアメーバで見いだされたミミウイルスは、これまでのウイルスの概念に新たな問題を提起している。ウイルスの定義について、フランスのノーベル賞受賞者のアンド

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レ・ルヴォフは一九五七年に、①ウイルス粒子の少なくとも一辺のサイズが二〇〇ナノメートル以下であること、②一個だけの核酸を持つこと、③エネルギー産生に働く遺伝子

p 25(図)

p 26が存在しないこと、④完全に細胞内でのみ増殖し、三分裂での増殖は行えないことをあげた。最初の三つの条件はミミウイルスで満たされている。四番目についてはまだ明らかになっていないが、一応、ミミウイルスは通常のウイルスとみなされる。しかし、その大きなゲノムには、蛋白質の合成に働く酵素の遺伝子と、DNAの修復に働く酵素の遺伝子が多数含まれていることがわかり、その結果、ミミウイルスは細胞に寄生する生物とウイルスの中間に相当するものではないかとして興味が持たれている。

ウイルスの増殖プロセス

ウイルス増殖は宿主の細胞内で行われる。ウイルスは細胞に対して通常の仕事を中止させて、自分の増殖に必要な素材を提供させ、細胞のエネルギーを利用して自分のコピーを作成する。

ウイルス増殖の時間的経過は模式的に図6に示したとおりである。まず、ウイルスは標的となる細胞を認識し、その細胞膜に吸着して細胞の中に侵入しなければならない(図5参照)。ウイルスが認識する細胞表面の受容体はウイルスによって異なる。細胞の中で、まずウイルスは蛋白質の殻を脱ぎ捨てて裸となり、ウイルスのDNAもしくはRNAが複製される。

p 27一方、ウイルスのDNAまたはRNAの情報にしたがって、ウイルス蛋白が合成される。この

時期には感染性を持ったウイルスは見つからなくなるので暗黒期と呼ばれる。次に、複製されたDNAまたはRNAと、それらから合成されたウイルス蛋白をもとに子のウイルス粒子が組み立てられて、感染性のウイルス粒 子が細胞の外に放出される。その際に細胞を破壊して飛び出すウイルスもあれば、細胞膜から植物の 芽が出るように出芽するウイルスもある。この一連の過程は、増殖速度の速いポリオウイルスの場合は 六ないし八時間くらい、増殖速度の遅いヘルペスウイルスでは四〇時間で終わる。ポリオウイルスの場 合、一回の増殖で一個の細胞の中で一〇万個くらいのウイルスが産生される。動物の個体でみると、一日の間に天文学的数字のウイルスが生まれることになる。

ウイルスのはじめての分離

一八九六年、コッホ門下のフリードリッヒ・レフラーとポール・フロッシュはドイツ政府の命令を受けて、畜産に大きな被害を与えていた口蹄疫の予防法の研究を始めた。彼らは口蹄疫を細菌による病気と考えていた。すでに同僚の北里柴三郎とエミール・ベーリン

クが、抗毒素によるジフテリア菌に対する免疫に成功していたので、口蹄疫にかかった牛の水疱中の漿液に抗毒素が含まれていると考え、それによる予防を期待したのである。そこで、一八

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八〇年代からパスツール研究所で使われていた素焼きの陶器で作った細菌濾過器を通して細菌を除去した後、牛に注射したところ、予想に反して牛は発病してしまった。何回も実験を繰り返した結果、彼らは口蹄疫の病原体が細菌濾過器を通過する微小なもので、これが増殖することにより病気が起こると結論し、一八九七年にその結果を発表した。動物ウイルスの最初の報告である(図7)。同じ年、オランダではビョルン・バイアリンクが、タバコ産業に大きな被害を与えていたタバコモザイク病の病原体の分離に成功した。病気にかかったタバコの葉をすりつぶし、細菌濾過器を通過させて健康なタバコの葉に塗ることで病気が起こることを見いだしたのである。

p 29彼はこの病原体を「生きた液性の伝染体」であって、溶けているものは分子と考えた。そして、

病原体は生きた細胞の細胞質内に取り込まれ、そこで増殖すると考えた。これは病原分子説であって、現在のウイルスの概念にあてはまる画期的な見解であった。しかし、蛋白化学は生まれたばかりで巨大分子の概念がなかった時代、この説は有機化学者の通念からあまりにかけはなれたものであって、猛烈な反対にあった。このようにして、動物と植物のウイルスが同時に見いだされた。しかし、それは病気を指標として病原体の存在を理解していたのであって、その実体を見ていたものではなかった。細菌は顕微鏡でその 形態が観察されていたが、ウイルスの形態が明らかになったのは、四〇年以上後の一九二九年に、タバコモザイクウイルスについて電子顕微鏡の像が発表されたときである。

DNA二重らせん構造の発見で明らかになったウイルスの本体

バイアリンクの斬新な考えを除けば、当初、ウイルスは小さな細菌と考えられていた。ところが、一九二五年にアメリカのウエンデル・スタンレーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、これに感染性のあることを明らかにした。その結果は、ウイルスが自己増殖する蛋白質であるという考えを産み出した。

p 30スタンレーは一九四六年、純粋なウイルス蛋白質の調製の功績でノーベル化学賞を授与された。一九五三年にDNAの二重らせん構造が報告され分子遺伝学が始まった。アメリカのアルフレツド・ハーシーは細菌のウイルスであるバクテリオファージについての研究で、ウイルスはDNAまたはRNAのいずれかの核酸を保有していて自己複製を行う粒子であり、細菌とは本質的に異なることを示した。ここで初めてウイルスの本体が明らかになったのである。ハーシーは一九六九年に「ウイルスの複製機構と遺伝子構造に関する諸発見」でノーベル医学。

生理学賞を授与された。

ウイルスの存在はどのようにして確かめるか

すでに述べたように、百年あまり前からウイルスは動物や植物での病原性を指標として見つかってきた。その後、数多くのウイルスが分離されたが、そのほとんどはマウスやモルモットのような実験動物に接種して病気が起こることを確認する手段に依存していた。ウイルスの量

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を調べる場合には、サンプルを希釈していって、動物に接種し発病が起こらなくなる最大希釈からウイルス量が求められた。たとえば、動物を発病させる最高の希釈が一〇万倍であれば、

p 31そのサンプルには一〇万単位のウイルスが含まれると判断するのである。ただし、その中にどれくらいのウイルス粒子が含まれているのかはわからない。

この方法は、数多くの動物を使わなければならないし、動物には個体差もあり、また、すでに感染している動物が含まれるといった問題があった。そこで、孵化鶏卵を使う方法が一九二一年に発表された。もっともよく用いられたのは天然痘ウイルスの研究などである。その場合、鶏の卵は二一日で孵化するが、一二日頃前後になると、卵の殻の膜の下に漿尿膜が見えてくる(図8)。これは鶏胚を包む膜で血管に富んだ組織である。この膜の上に、たとえば天然痘ウイルスのサンプルを加えると、二、三日でウイル

p 32スに感染した場所の組織が斑点として見えてくる(図9)。その数がサンプル中のウイルス量を反映している。実験動物よりも単純な宿主である孵化鶏卵による方法はさらに改善された。現在でもインフルエンザウイルスの分離やワクチンの製造には孵化鶏卵が用いられている。孵化鶏卵に代わって、試験管内培養した細胞でウイルスを増殖させるのに成功したのはアメリカのジョン・エンダースである。後述するように一九四九年、彼は人の胎児の腎臓などの細胞を培養する方法を開発し、それを使ってポリオウイルスを増殖させることに成功し、ウイルスに感染した細胞の破壊を指標としてウイルス量の測定ができることを発表した(図10)。続いて一九五四年には同じ方法で麻疹ウイルスを分離した。これらの成果が後にポリオワクチンや麻疹ワクチンの開発につながった。エンダースは細胞培養でのポリオウイルスの研究に対して、一九五四年に

p 33ノーベル医学・生理学賞を授与された。動物から孵化鶏卵、そして培養細胞とウイルス研究の手段は変わっていったが、いずれの場合も、動物に対する病原性もしくは細胞への毒性を指標としてウイルスの 存在を確認していた。すなわち、ウイルスそのものを見ているのではなく、ウイルスの生物活性からその存在を推測していたのである。

p 34一九七〇年代半ばに生まれた組換えDNA技術によりウイルスの遺伝子を検出することで、ウ

イルスの存在を検出することが可能になった。とくに、最近ではポリメラーゼ・チェーン反応(PCR)でウイルス遺伝子の一部分を増幅することにより、非常に高い感度で短時間にウイルスを検出できるようになった。しかし、ウイルスを増殖させるためには、今でも動物または細胞に依存しなければならない。多くの場合、ウイルスの分離にはさまざまなエピソードがある。とくに代表的なウイルスに

ついて、その実例を紹介する。

ポリオウイルス分離までの長い道のリ

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オーストリアのカール・ラントシュタイナーは一九〇八年、ポリオの研究のためにサルの使用を希望したが高価なために許可されなかった。たまたま梅毒の実験で使い残しになっていたサルが手に入り、その脳内にポリオで死亡したウイーンの子供の脊髄の乳剤を注射した結果、サルにポリオを起こさせるのに成功した。翌年には細菌濾過器を通過させても同じ結果になることを見いだし、ポリオの病原体がウイルスであることを初めて証明した。彼は

p 35ポリオウイルスの最初の発見者ということになるが、その後、ウイルス学から離れて免疫学

の研究に専念し、ABO血液型を発見した。その功績で一九二〇年にノーベル医学・生理学賞を受賞した。ポリオウイルスの本格的研究が始まったのは、ラントシュタイナーの実験から四〇年後のことである。第二次世 界大戦終了後、ハーバード大学のジョン・エンダースは組織を試験管内で連続培養する研究を始め、一九四八年には研究所の向かい側にある産院から得た死亡した胎児の組織の培養を試みていた。彼が目指していたのは水痘やおたふくかぜのウイルスであったが、その培養びんが余った。そこで彼は、フリーザーの中に保管してあったポリオウイルスを感染させたマウスの脳のサンプルを加えてみたのである。そのウイルスは、一九二九年にミシガン州ランシングでポリオにより死亡した青年の脊髄と脳の乳剤を、ハツカネズミに感染させることで分離され、ランシング株と名付けられていたものであった。数日後に胎児の細胞が死んでいるのが観察された。彼は、ウイルスが細胞を破壊したと考え、新しい組織の培養に加えることを繰り返し、一三代、延べ二二四日間にわたる実験でこのことを確認した。この結果、ポリオ ウイルスが細胞培養で増殖し、さらに細胞を死滅させる効果を示すことが明らかになった。

p 36これを彼は細胞病原性と名付けた。この成果は一九四九年の『サイエンス』誌に発表された。

そして一九五〇年代初めからポリオフクチン開発が急速に進み始め、一九五三年にはソークワクチンと呼ばれる不活化ポリオワクチンがジョナス・ソークによって開発され、ポリオ制圧の第一歩が始まった。

麻疹ウイルスの分離

一九一一年、麻疹患者の血液をサルに接種して麻疹に特徴的な発疹が生じることが示され、麻疹がウイルスにより起こる病気ということが明らかにされた。しかし、麻疹ウイルスの本格的研究はエンダースの細胞培養の成功まで待たなければならなかった。ポリオウイルスの分離・増殖に成功したエンダースは、麻疹ウイルスの研究を一九五三年から開始した。翌五四年になって少年の寄宿学校で麻疹の流行が起こり、病気になった少年のうがい水を培養細胞に接種することを試みた。そのうち、発疹が出てから二四時間もたっていない一三歳のデイヴィッド・エドモンストンの血液やうがい水を接種した人の胎児の腎臓細胞に、たくさんの核を持った大きな細胞が出現していた。ポリオウイルスの場合のように細胞破壊ではなかった。このような変化をエンダースたちは見たことがなかったので、別の培養細胞に植え継

p 37

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いだところふたたび同じ変化が起きた。二回の植え継ぎの結果、彼らはこれがウイルスによる変化であることを確認した。こうして麻疹ウイルスは初めて分離された。

現在では、これは麻疹ウイルスにより細胞同士が融合してできる巨細胞(図 11)であることがわかっている。エドモンストン株と命名されたこのウイルスは、培養細胞を何代も植え継いだ後、多数のサルで調べた結果、弱毒化されたウイルスになっていることが確認され、麻疹ワクチンの候補として一九五八年には臨床試験が実施鋤され、一九六一年には麻疹ワクチンに関する国際会議が巨開かれ、麻疹予防が世界各国で開始された。

麻疹ウイルスについての基礎的研究もまたエドモンストン株によって急速に進んだ。しかし、麻疹ウイルスの分離はポリオウイルスなどほかのウイルスと違って容易ではなかった。患者の血液や喉のうがい水を培養細胞に接種してもすぐに細胞には変化が現れず、何回か植え継

p 38がなければならなかった。それでもウイルスが分離できない場合が多かった。日本でも一九六〇年代初めから麻疹ウイルスの研究が始まった。六五年に国立予防衛生研究所(現。国立感染症研究所)に麻疹ウイルス部が設置され、私もそこで麻疹ウイルスの研究に加わった。そのときからの私の研究室員であった小船富美夫博士が、一九八〇年代終わりになってすばらしい成果をあげた。発病後の早い時期であれば確実に、しかも数日という短期間で麻疹ウイルスが分離できる培養細胞系を作ったのである。それまで日本で分離されていた麻疹ウイルスは全部合わせても一〇株そこそこであったのが、それぞれの患者から分離できるようになった。この細胞系はWHOの標準系となり、世界各国で流行を起こしている麻疹ウイルスについて遺伝子構造が明らかにされた。エドモンストン株の性質だけを調べていた麻疹ウイルスの研究が、流行しているウイルスの研究もできるようになったために新たな展開を始め、彼の成果はエンダースに次ぐ大きな突破口と評価されている。

ところで、この細胞系は思いがけない面でも役にたっている。後述するように、世界的な麻疹根絶計画が進みアメリカでは麻疹患者はゼロとなっているが、毎年何人かの麻疹患者が発生している。これは海外から持ち込まれる輸入麻疹であって、その筆頭はじつは日本である。小船博士の細胞で麻疹ウイルスが簡単に分離され、ウイルスの指紋ともいえる遺伝子構

p 39造から、輸入される麻疹ウイルスの身元がすぐに判明するようになったためである。

奇跡的に大事にならなかったマールブルグウイルスの分離

一九六七年八月、西ドイツのマールブルグのベーリンク研究所とフランクフルトのパウル・エールリッヒ研究所、それとユーゴスラビア・ベオグラードの血清研究所で致死的な出血熱が発生した。患者はアフリカのウガンダから輸入したアフリカミドリザルに接触していた人たちであった。

マールブルグ大学公衆衛生研究所長のルドルフ・ジーゲルト教授を中心とするチームは新しいウイルス感染を疑った。当時、出血熱の原因ウイルスとしてまず考えられたのは、アルボウイルスと呼ばれる、昆虫など節足動物が媒介するウイルスの一群であった。しかし、それまでに分離されていたアルボウイルスのどれとも関係がないことがわかった。

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原因ウイルスの分離はウエルナー・スレンスカ博士を中心としたジーゲルト教授チームにより行われた。ウイルス分離の一般的な方法である培養細胞を初め、マウスやモルモットヘの接種が試みられた。そして、患者の血液を接種されたモルモットで軽い発熱が見いだされた。そこで熱が出たモルモットの血液を別の健康なモルモットに接種することを繰り返しているうちに、

p 40最終的にはすべてのモルモットが死亡するようになった。一二月初めには死亡したモルモットの血液の中に電子顕微鏡でウイルスの粒子が見つかり、マールブルグウイルスと命名された(図12)。

この粒子はさまざまな形をしていて、その一つに弾丸のような形のものもあった。これに似た形のウイルスは狂大病ウイルスであるため、最初は狂大病ウイルスの属するラブドウイルス科の一つと推測されたが、その後の研究でまったく別の新しいウイルスであることがわかり、フィロウイルス科という新しい分類名が付けられた。

私は一九七四年、マールブルグ大学にジーゲルト教授を訪問した。そこで案内されたのは古びた動物実験室であった。これは二〇世紀初めにベーリンクが使っていた当時のままのものであった。ベーリンクは一九世紀終わりに北里柴三郎と共同でジフテリアと破傷風の抗毒素療法を発見し、一九〇一年に第一号のノーベル賞を受賞した人である。マールブルグ市は中世の面影を残した美しい町で、中央には聖エリザベト

p 41教会があり、その前の広場では日曜マーケットが開かれて多くの人が集まる。そのすぐ隣りがマールブルグ大学のキャンパスであり、その一角でマールブルグウイルスが分離されたのであった(図13)。

実験者の防護はマスク、白衣、手袋といった古典的な手段にだけ依存していた。非常に危険な実験として、かなりの批判もあったが、ジーゲルト教授は緊急事態でやむを得なかったと私に語った。

現在ではマールブルグウイルスは、同じフィロウイルス科で致死率の高いエボラウイルスと同様に、最高の安全対策設備を備えたレベル4実験室でなければ取り扱えない。

遺伝子だけが見つかったC型肝炎ウイルス

一九二〇年代からウイルス性肝炎の研究が始まり、糞便で感染するA型肝炎と血液から感染するB型肝炎の存在が明らかになり、一九七〇年代にはこの二つの肝炎ウイルスが同定されて、

p 42それぞれの検査法が確立した。その結果、輸血での肝炎感染の多くは防止できるようになったが、ほかの病原体が原因と思われる肝炎が問題になってきた。これらはA型でもB型でもないことから、非A非B肝炎と呼ばれた。

この原因であるウイルスは、それが増殖する細胞が見つからず、実験動物ではチンパンジーしか感染しなかった。そのため、一九八九年になってやっと本体が明らかにされたのであるが、

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ウイルスとして分離されたのではなく、アメリカのバイオテクノロジー企業のカイロン社のマイケル・ホートンをリーダーとする研究グループにより遺伝子として見いだされた。

まず、病原体はRNAウイルスであることが推測されていたため、慢性の非A非B肝炎の患者の血液が接種されて慢性肝炎になっていたチンパンジーの血液からRNAのサンプルを抽出し、それを鋳型として逆転写酵素で相補的DNA(cDNA)の断片を作った。それを細菌ウイルスであるラムダファージに組み込み、大腸菌に感染させた。組換えラムダファージの中にウイルスの遺伝子配列が組み込まれていれば、大腸菌にはその配列から作られたウイルス蛋白が産生されていることが期待された。このようにして作成したラムダファージのクローンについて、病原ウイルスに対する抗体が含まれていると考えられる非A非B肝炎の患者の血清と反応するクローンを探した結果、ただ一個のクローンだけが反応した。非A非B

p 43肝炎患者の血液を接種したチンパンジーの血清で調べてみると、接種前の血清は反応せず、接種後の血清だけが反応した。このDNA断片を足がかりに、このDNAと一部重複するDNAを次々につなぎあわせてゆくことができた。その配列はヒトの遺伝子とはまったく相同性を持たず、かつ既知のウイルスとも 異なっていた。この結果から、このクローンは原因ウイルスのゲノム由来とみなされ、原因ウイルスはC型肝炎ウイルスと命名された。

このクローンから産生させた蛋白質を抗原とした検査法が並行して開発された。まず、アメリカで集め られた一〇名の非A非B肝炎患者の血清で調べ、この検査法で陽性になることが確かめられた。しかし、この成績だけではC型肝炎ウイルスが非A非B肝炎の原因と断定するには不十分であった。

そこで大きな貢献を果たしたのは、日本で一九七〇年代から輸血後肝炎の研究で集められていた血 清であった。国立東京療養所東京病院の片山透博士は手術後に輸血を受けた患者を追跡調査し、輸血後に非A非B肝炎になった患者の血清を集めて病態別に整理・保存していた。一方で輸血に使われた献血者の血清も保存されていた。国立仙台病院の菊地秀医師も同様の努力を行っていた。国立予防衛生研究所の官村達男博士は、

一九八二年から一年間カリフォルニア大学で非A非B肝炎の

p 44原因ウイルス遺伝子を分離する研究をこのホートン博士と共同で開始していた。日本で非A非B肝炎に感染させたチンパンジーの肝臓組織を用いての実験であったが、残念ながらウイルス遺伝子を見いだすことはできなかった。その五年後にホートンたちはC型肝炎ウイルスの遺伝子断片の分離に成功し、日本で集められていた血清を用いてのウイルスの同定を官村博士に依頼したのであった。それらの血清を携えて渡米した際のことを官村博士は以下のように述べている。「まるでこの日を予測したかのように、詳細なデータの完璧に揃った膨大なサンプルは世界的にも比類のないものであった。一九八八年五月の時点で明らかになっていたCDNAの解析結果はきわめて有望なものではあったが、まだ断定はできなかったので、このような貴重な材料検体を提供する片山、菊池両先生の決断はそうとう勇気のいることであった。調べた結果は劇的だった。東京郊外や仙台の輸血後肝炎患者の血清にも特異的な抗体が検出された。しかも輸血に用いられた血液でも抗体陽性のものが見つかった。」 この結果から、C型肝炎ウイルスが全世界を通じて非A非B肝炎の主な原因であることが確定したのである。その後、C型肝炎ウイルス

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の全遺伝子の構造は明らかになったが、細胞で感染性ウイルスを増殖させることはいまだにできていない。

p 45

4  ウイルスと生体のせめぎ合い

ウイルスの体内への侵入

ウイルスはほとんどの場合、口、呼吸器、消化器、泌尿・生殖器のように、外界に開いている部位の粘膜から侵入する。ほかに、出血性結膜炎ウイルスのように眼の粘膜から、もしくは、いぼのウイルスのように皮膚から直接侵入するものもある。また、黄熱ウイルスやウエストナイルウイルスのように蚊が媒介するウイルスは、毛細血管の中に直接注入される(図14)。増殖する部位はウイルスによって異なり、麻疹ウイルスやインフルエンザウイルスなどは呼吸器粘膜、ポリオウイルスは消化器粘膜で増殖する。さらに麻疹ウイルスはリンパ節などで増殖し、血液を介して全身に広がる。一方、インフルエンザウイルスは肺の組織で増殖するだけで

p 46血液にはほとんど出てこない。そこで、麻疹ウイルスの場合には全身感染、インフルエンザウイルスでは局所感染となる(図15)。増殖したウイルスは多くの場合、侵入経路を伝わって体外に排出されてはかの人へ感染を伝播

する。その中でももっとも効果的な感染は呼吸器を介したものである。たとえば、激しいくしゃみでは数百万個の飛沫が飛び出し、時速一五〇キロメートルに達する高速で飛散する(図16)。飛沫の直径が五マイクロメートル以上では一ないし二メートルの範囲に感染を起こし、これは飛沫感染と呼ばれる。SARSコロナウイルスの場合はこれに相当する。五マイクロメ―トル

p 46(図)p 47(図)

p 48以下では、空気中に浮遊し空気の流れで広がるため、もっと遠くまで感染を起こすことができる。これは、エアロゾル感染もしくは空気感染と呼ばれ、麻疹ウイルス、水痘ウイルスなどがこれに相当する。 空気感染で広がることでもっとも有名なウイルスは、牛や豚に急性感染を起こす口蹄疫ウイルスである。 これに豚が感染した場合には、吐く息の中に一日あたり一億感染単位ものウイルスが含まれるので、このウイルスを広げるのに豚は重要な動物と考えられている。

p 49イギリスで一九七〇年に発生した口蹄疫は、ウイルスがフランスからドーバー海峡を越えて風で運ばれたものと考えられている。牛は一日に一五〇立方メートルの空気を吸い込むので、その際に口蹄疫ウイルスも吸い込んで感染したと推測されているのである。

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ウイルスはどのようにして病気を起こすか

ウイルスに感染した細胞は、ウイルスにハイジャックされた状態になる。ウイルスは細胞の代謝系を自分の都合のよいように利用するため、細胞の正常な機能が損なわれ、ときには細胞が破壊されてしまう。ウイルスは次から次へと周辺の細胞に感染を広げて自分のコピー を作っていく。そのために組織全体が壊されていく。

ポリオウイルスは、消化管から侵入して最初に腸内で増える。多くの人ではウイルスの侵入部位で免疫反応が起きてウイルスは排除される結果、ほとんど症状に気づかないまま回復するが、ときに神経を伝わって脊髄の神経細胞に到達することがある。そこでウイルスが増殖すると脊髄の神経細胞が破壊されるために、ポリオの症状である神経麻痺が起きてくる。

ウイルスが直接、細胞を破壊するのではなく、本来は防御機構としての免疫反応が細胞破壊を引き起こす例も多い。日本脳炎ウイルスのように脳の神経細胞に感染して増殖するウイルスの場合、

p 50身体の免疫反応はウイルスに感染した細胞も異物と認識して破壊する。その結果、起きてくるのが脳炎である。麻疹ウイルス感染の場合、前述のように血液を介して広がるウイルスは皮膚にも到達する。麻疹に特徴的な発疹は、ウイルスに感染した皮膚の上皮細胞を免疫反応が攻撃するために起きてくる(図15参照)。B型肝炎ウイルスに感染した場合にも、肝臓が破壊されるのは、ウイルスの直接作用ではなく、免疫反応によると考えられている。すなわち、免疫反応は防御だけでなく症状を引き起こす原因にもなる両刃の剣ということになる。

もっと複雑な発病のメカニズムが、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)で見られる。HIVは身体のリンパ組織で増殖するため、リンパ球を破壊する。いうまでもなく、リンパ球は免疫反応の担い手である。防御の中枢となるリンパ組織がウイルスに乗っ取られてリンパ球が破壊されるために、免疫能力仝体が低下してしまう。免疫能力が正常な人ではほとんど病気を起こさないウイルスや細菌の感染は日和見感染と呼ばれているが、HIV感染では免疫不全の状態が徐々に進行して日和見感染が重症となる。これがエイズであって、エイズの症状はHIVが直接起こしているものではなく、免疫不全の状態ではかのウイルス、細菌、原虫などの感染により引き起こされるものである。

p 51ウイルスの生存戦略

ものすごい増殖能力を持ったウイルスであるが、我々の体はこれらのウイルスに対するさまざまな防御機構、すなわち免疫機構を持っていて、ウイルスの増殖を抑え、ウイルスを死滅させる。

しかし、ウイルスもそれなりの生存戦略を持っている。そのひとつは持続感染である。ヘルペスウイルスの場合には、免疫反応が及ばない神経細胞の

中に潜伏し、ほとんどウイルス増殖を起こすことなく一生の間、共存する。そしてときにウイルスが活性化されて排出され、ほかの人にウイルスを伝播する。

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また、宿主との関係から病原性を変化させることもある。脊椎動物の間で伝播されるウイルスは、それを媒介する蚊にはほとんど病気を起こさない。逆に蚊に感染するが蚊によって脊椎動物間で媒介されないウイルスは、蚊が成虫になる前に蚊を殺してしまう。そこで垂直伝播の可能性を高くするためには、病原性を減少させる方が有利となる。

あるいは、免疫反応をごまかして生き延びようとする高度な戦略をとるウイルスもある。これには、天然痘ウイルスやヘルペスウイルスがある。これらのウイルスは、感染した細胞の

p 52遺伝子を自分の粒子に持ちこんでいて、その中には、免疫反応にかかわる補体制御蛋白質と同じ配列の蛋白質の情報を持つ遺伝子がある。補体は血液中にある一群の蛋白質で、ウイルスなどの異物を排除する重要な免疫反応の担い手であるが、適当に制御しないと異物だけでなく自分の細胞までも破 壊してしまう。それを制御している蛋白質と同じものをウイルスが持っていると、ウイルスが補体の働きで 破壊されることはなくなると考えられている(図 17)。

一方、空気感染などでほかの人に急速に感染を広げる戦略をとるウイルスがある。そのひとつである 麻疹ウイルスでは興味深いデータがある。北大西洋にファロエ島という孤島があり、ここで一七八一年に麻疹が発生したが、それが終息した後、麻疹は六五年間まったく発生しなかった。

一八四六年に一人の麻疹患者が島に来て麻疹の流行が起きた。しかし以前の麻疹流行の際に麻疹にかかった人は発病しなかった。

p 53免疫を獲得した人が増えて麻疹ウイルスの伝播が止まってしまい、麻疹ウイルスは島から消滅していたのである。イギリスで一九四四年から二十数年にわたって行われた調査では、麻疹ウイルスが持続するには人口二五万人から四〇万人の集団が必要という結果が得られている。ファロエ島の人口は少なすぎたのである。

天然痘ウイルスは三〇%くらいの人を死亡させる。回復した人ではウイルスは排除されていて、強い免疫が残るため、一生、天然痘にはかからなくなる。どちらにしてもウイルスは死滅することになる。そこで、ウイルスは急速に新しい人に感染を広げて存続してきたわけである。天然痘ウイルスのこの戦略にはウィークポイントがあった。天然痘ウイルスは人にしか感染できず、一方、人の方には種痘という有力な武器があった。そこで天然痘が発生した地域に重点的に種痘を行うことで天然痘の広がりは阻止され、その結果として天然痘根絶が成功したのである。昆虫により感染を広げる戦略をとるウイルスもある。もっとも典型的なものは黄熱ウイルス

で、これは蚊が媒介している。黄熱には森林型といって、森の中でサルから蚊を介して感染するタイプと、都会で人から人に蚊を介して広がる都市型の二種類がある。都市型の場合、黄熱患者は重い症状のために動けなくなる。その結果、蚊は追い払われることなく、長い時間を

p 54かけてたっぷりと患者の血を吸うことができ、さらに多くの人にウイルスを伝播することになる。これもウイルスの巧妙な戦略という見方ができる。

動物種を変えて広がるインフルエンザウイルス

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インフルエンザウイルスにはA、B、Cの三種類があり、人に感染を起こしているのは主にインフルエン ザAである。インフルエンザウイルス粒子の表面にはエンベロープがあり、そこから二つのウイルスタンパク質が棘のように突き出ている。一つはヘマグルチニン(HA)と呼ばれ、もう一つはノイラミニダーゼ (NA)と呼ばれる酵素である(図18)。HAには一五種類の

p 55亜型があり、NAには九種類がある。これらのうち、人に感染するのは主にH 1N 1、H2N2、H3N2であるが、鴨にはHAとNAのすべての亜型が見つかっている(図19)。自然界でこのようにすべての亜型を持っているのは鴨だけである。鴨ではインフルエンザウイルスはほとんど病気を起こさない。そして鴨の腸管で増えたウイルスが糞便とともに湖の中に排泄される。北海道大学の喜田宏教授のグループは、シベリア、アラスカなど野生の鴨の生息地の調査を長年にわたって続け、鴨のインフルエンザウイルスはほとんど変異を起こさないまま、冬は凍った湖の中で生き続け、翌年生まれた子鴨に感染を広げていると推測している。鴨ではインフルエンザウイルスは共存しているのである。秋に越冬するために中国に飛来する鴨は、まずアヒルに感染を広げる。アヒルは鴨が家畜化さ

れたものであるため、鴨がアヒルの周囲に飛来するものと思われる。そしてアヒルから鶏へと感染を広げる。鴨から直接、鶏に感染が広がることはほとんどないと考えられている。鴨のインフルエンザウイルスは当初は鶏には病気を起こさない。しかし、鶏では鴨に見られ

るような共 存関係はなく、抗体が産生されてウイルスを排除しようとする。この抗体が選択圧となって、鴨のインフ ルエンザウイルスが鶏の間で広がっている間に遺伝子に変異が起きて鶏に病気を起こすようになる。病 原性があまりにも強くなると宿主の鶏はすぐに死亡してしまうが、

p 56大規模養鶏の環境では感受性を持った鶏が多数飼育されているため、ウイルスは広がり続ける。人でも同様に抗体の選択圧でインフルエンザウイルスは常に変異を起こしている。そのために、イ ンフルエンザワクチンは流行しているウイルスのタイプに合ったものを使わなければならない。このようなインフルエンザウイルスの変異は連続変異と呼ばれているが、このほかに、不連続変異により、まったく新型のインフルエンザウイルスが生まれることがある。人は鳥のインフルエンザウイルスには普通

p 57は感染しないが、豚は鳥インフルエンザウイルスにも感染する。そのため、豚が鴨のインフルエンザウイルスと人のインフルエンザに同時に感染すると、豚の体内で二つのウイルスの間で遺伝子の交換が起きて、新型のインフルエンザウイルスが生まれることがある。これは再集合体と呼ばれている(図20)。一九五七年の香港風邪と一九六八年のアジア風邪は、不連続変異で生じた再集合体のインフルエンザウイルスによることが証明されている。すなわち、鴨からアヒル、そして豚へとウイルス感染が広がり、そこで生まれた再集合体ウイルスが大流行を起こしたという図式が推測されているのである。

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p 58奇妙に遅く進行するスローウイルス感染

一九五〇年代初めまで、ウイルス感染は二つのタイプに分けられていた。第一は急性感染で、もっとも代表的なものは麻疹である。麻疹ウイルスに感染すると数日の潜伏期の後に発病するが、間もなく防御のための免疫反応が起こり、ウイルスは身体から排除されて回復する。この全体の経過は二、三週間で終わる。第二は潜伏感染である。その例としては水痘がある。水痘ウイルスはヘルペスウイルスのひとつで、子供のときに感染し、一週間くらいで回復する。しかし、ウイルスは神経細胞の中に一生の間潜んでいる。大人になって再発することがあり、その際には神経に沿って皮膚に病変が出てくる。これが帯状疱疹である。第二は慢性感染で、代表的な例はC型肝炎である。C型肝炎ウイルスに感染しても多くの場合、最初は無症状で、ウイルスは身体の中で増え続ける。そして長い年月の後に発病する。

一九五四年、これらの三タイプのほかに、新たに第四のタイプのウイルス感染の概念が、アイスランド大学実験病理学研究所長のビョルン・シーグルドソン教授により提唱された。当時、アイスランドでは羊の間にスクレイピー、ビスナ、マエディ、ヤーグジークテというp 59四つの病気が起きていた。これらの病気は感染してから発病するまでに数ヵ月から数年と長い。

一旦、発病すると症状はゆっくりと、しかし着実に悪化し、最後には死亡した。これらの特徴は上にあげた三つのタイプのいずれとも異なることから、彼は第四のタイプとしてスローウイルス感染と命名したのである。これらの病気の進行状況を図21に示した。ビスナとマエディは同じウイルスにより起こることがわかり、現在ではビスナ・マエディウ

イルスと呼ば れている。これはエイズの原因である、ヒト免疫不全ウイルスと同じグループに属する。ヤーグジークテは別のレトロウイルスであることが明らかになっている。シーグルドソンのスローウイルス感染には

p 60一九六七年に新たに亜急性硬化性仝脳炎(SSPE)が加わった。これは百万人に一人というきわめて稀な神経疾患である。この原因は麻疹ウイルスである。子供のときの麻疹は急性感染の経過で回復するが、麻疹ウイルスが脳内に潜伏して、平均六年くらいの後に神経症状を示すようになる病気である。発病してから後はスローウイルス感染の典型的な病態を示す。今でもなぜ、麻疹ウイルスがこのような長期間潜伏して病気を起こすのか、そのメカニズムは不明である。

一方、アメリカのカールトン・ガイジュセツク博士は、パプア・ニューギニアの先住民の間に発生していたクールーが感染症であることをサルヘの接種実験で証明し、これがクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)およびスクレイピーと同じタイプの病原体によることを明らかにした。その業績で彼は一九七六年にノーベル医学・生理学賞を受賞したが、受賞講演で彼はこの病原体を普通のウイルスとは異なる非通常ウイルスと呼んだ。ガイジュセックのCJDに関する実験を発展させたのは、九州大学立石潤教授のグループであ

る。一九七七年にCJDをマウスに伝達することに成功したのである。非通常ウイルスの本体は微生物学の謎であったが、一九八二年にアメリカのスタンレー・プルシナー教授が、遺伝物質である核酸を持たず、蛋白質を本体とするプリオン説を提唱し

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p 61現在ではこの説を支持する証拠が蓄積してきている。こうして、当初はスローウイルス感染として研究が 進められた領域が、プリオン病の概念へ進展したのである。そして、一九八六年、イギリスで発生が確 認されたBSEもまたプリオン病であり、BSE対策はプリオン説にもとづいて実施されている(金子清俊 『プリオン病の謎に挑む』岩波科学ライブラリー参照)。プルシナーはその業績に対して一九九七年にノーベル医学・生理学賞を受賞した。日本では立石教授のCJD研究と私たちのSSPEの研究を基盤として、厚生省遅発性ウイル

ス感染調 査研究班が一九七六年に発足し、これに一九八〇年代初めに帯広畜産大学の品川森一教授のスクレ イピー研究グループが加わり、プリオン病の研究が四半世紀以上続けられてきている。二〇〇一年九 月に発生したBSEは大きな社会的パニックを引き起こしたものの、わずか一ヵ月後に一連の対策が実 施されたのは、このような長期間の研究蓄積があったためである。

動物の生態系とウイルス

ウイルスは単に病気を起こしているだけではなく、長い年月の間には宿主動物の生態環境の維持にかかわっている側面もあるという見方がある。そのような例として、南アメリカ産のリスザルが保有する

p 62ヘルペスサイミリウイルスがある。これはリスザルにはまったく病気を起こさないが、マーモセットやタマリンでは致死的な白血病を引き起こす。一九七〇年代、アメリカでマーモセットを使ったガンウイルスの研究が盛んになったとき、マーモセットのコロニーが全滅する事態が起きた。これは、一緒に飼育されていたリスザルからのヘルペスサイミリウイルスの感染が原因であった。

自然界ではマーモセットとリスザルの生息環境は異なっているが、それにはこのようなウイルスによる競合する動物種の排除が関わってきたのかもしれない。

一方、現在ではウイルスが動物の生態系に悪影響を与える例が増えている。アフリカではチンパンジーやゴリラの生息数が、エボラウイルス感染により激減している。これはおそらく人間が森林に入り込んで、エボラウイルスの自然宿主の生息域を乱したために、チンパンジーなどへの感染の機会が増しているためと考えられている。同様の事態として、一九九四年にはアフリカのタンザニア国立公園で、ライオンがイヌジステンパーウイルスに感染して約三分の一のライオンが死亡したことがある。これは人間の生活域が広がり、犬から感染が広がったためとみなされている。すなわち、これらの事態はウイルスの仕業ではなく、人間が引き起こしていることになる。

p 63種を越えるウイルス

ウイルスが感染し増殖する動物種は、ウイルスによって異なっている。ほかの動物種に感染を起こすことは起こらないのが普通である。しかし、ときにはかの動物種に感染して大きな被害を与えることがある。その代表的な例を二つ紹介する。

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一九八八年四月頃から北ヨーロッパの海岸に多数の死んだアザラシが打ち上げられ、八月までに北西ヨーロッパの海では一万八〇〇〇頭以上のゼニガタアザラシが死亡した。その後、北アイルランド沿岸ではネズミイルカの大量死亡が起きた。同じ頃、シベリアのバイカル湖ではバイカルアザラシの数千頭に達する大量死が起きていた。一九九〇年にはスペインの地中海沿岸でマイルカの死亡が見いだされた。いずれも犬のジステンパーに似た症状であったことから、最初はイヌジステンパーウイルスが原因と考えられた。それまでイヌジステンパーウイルスは食肉類裂脚類イヌ上科の動物にだけ感染が起きていた。アザラシは同じ食肉類の鰭脚類のアザラシ科に分類されているが、イルカは鯨類で食肉類とはまったく別の目に属する。このように異なる動物種の間で同じウイルスが感染を起こしていることは当初、理解できない現象であった。間もなく、死亡したそれぞれの動物から

p 64ウイルスが分離され、遺伝子が解析された結果、マイルカはマイルカモービリウイルス、ネズミイルカはネズミイルカモービリウイルス、ゼニガタアザラシはアザラシジステンパーウイルスと命名された新しいウイルスに感染していたことが明らかになった。それぞれに固有のウイルスが原因であったが、これらは互いによく似たウイルスであり、おそらく同じ祖先ウイルスから分岐したものと考えられる。

一方、バイカルアザラシの場合はイヌジステンパーウイルスの感染であった。一九九七年にはカスピ海のアザラシで同様の病気が起こり、これもイヌジステンパーウイルス感染であった 。これらの場合、陸生動物から海生哺乳類に種を越えたウイルス感染が起きていたのである。別の例では、一九七六年から七八年にかけて子犬の突然死が注目され、とくに一九七八年に世

界各国で数千頭の子犬が死亡する事態になった。日本でも愛犬家に大きな衝撃を与えた。下痢などの消化器症状と心筋炎が主な症状であった。間もなくこれがパルボウイルスによる感染であることが明らかにされた。犬にはそれまでにパルボウイルスが見つかっていたが、この流行を起こしたウイルスは新しいタイプのもので、イヌパルボウイルス2型と命名された。欧米で保存されていた犬の血清を調べた結果、このウイルスは一九七四年にギリシアの

p 65犬で抗体が見いだされたのがもっとも早く、それ以前の血清では抗体はまったく見つからなかった。そこでこの頃に突然出現したまったく新しいウイルスと推定された。パルボウイルスはカプシドと呼ばれる殻に包まれたウイルスで、カプシドを形作っている蛋白質の遺伝子を調べてみると、カプシド蛋白質のわずかの変異により猫、狐、ミンクなどの食肉類の間で種を越えた感染の起きていることが疑われている。イヌパルボウイルス2型では猫のパルボウイルスが変異を起こして犬に感染するようになった可能性が高い。

種を越えるウイルスはなぜキラーになるのか

ウイルスは本来、宿主の動物にはほとんど病気を起こさないのが普通であり、これがウイルスの存続の戦略でもある。ところが別の動物種に感染すると重症感染になることがある。たとえば、ラッサウイルスはマストミスと呼ばれる大型の蓄歯類に一生の間、持続感染するが、マストミスには病気は起こさない。ウイルスは尿に排出されてほこりとともに舞い上がり、それを人が吸い込むと感染し、重い出血熱になる。自然宿主以外の動物に感染した場合、重症になり、

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ときには致死的になるのはなぜか、その理由はよくわかっていないが、以下のような自然免疫のバランスの攪乱がひとつの可能性としてあげられている。

p 66異物として侵入する病原体に最初に対応するのは自然免疫である。自然免疫については次章で詳しく述べるが、自然免疫のひとつとして、異物が侵入するとそれを排除しようとして白血球が集まり炎症が起きてくる。当然、ウイルスも排除の対象になる。その炎症の原因になっているのは白血球が産生する一群の生理活性物質であって、炎症性サイトカインと呼ばれる。その中でも最近、TNF(腫瘍壊死因子)‐α が炎症性サイトカインとして注目されている。ところで、古くから人に感染してきた病原体に対しては身体の方が適応していて、炎症性サイトカインの産生はうまく調節されている。しかし、新しい病原体が侵入した場合、そのバランスが損なわれて、炎症性サイトカインが嵐のように激しく放出される。このサイトカイン・ストームが重い炎症を起こすことになる。

一九九七年に香港で人に致死的感染を引き起こした高病原性鳥インフルエンザウイルスは、それまで人にまったく感染したことのなかったウイルスが遺伝子変異により、人に感染するようになったと考えられる。このような新しいウイルス感染の場合、TNF‐α など本来はウイルスの排除に働くはずの炎症性サイトカインが多量に放出された結果、肺組織の破壊を引き起こし、致死的結果を招いたと推測されている。SARSの場合の肺炎でも、同様にサイトカイン・ストームの関与の可能性が指摘されている。

p 67

5  ウイルスに対抗する手段

ウイルス感染からどのようにして回復するのか

体内に侵入するウイルスは生体にとって異物であるため、それを排除しようとする防御機構が働く。咳やくしゃみは侵入したウイルスを一部排除しており、胃酸では多くのウイルスが死滅する。眼の結膜では涙で不活化されることもある。これらは単純な物理的ないし化学的な排除機構である。

ウイルスが細胞内に侵入して増殖し始めると、ウイルスの種類には関係なくただちに防御機構としてのいくつかの免疫反応が起きてくる(図22)。まず、異物を取り込んで消化してしまう役割を持つ細胞としてマクロファージがある(表1)。ウイルスはマクロファージに取り込まれ、その細胞の中に存在する種々の酵素で消化されてしまう。ウイルスに感染した細胞

p 68(図)

p 69はナチュラル・キラー(NK)細胞と呼ばれるリンパ球の一種で破壊される。また、ウイルスに感染した細 胞ではインターフェロンが作られて放出される。(インターフェロンにはα、β、γ の三種類があり、ここで働くのは α と β インターフェロンである。なお、γ インターフェロンは免疫細胞が産生するもので免疫増強などの働きを示す。)これは正常な細胞に働いてウイルスに対する抵抗性を与えるため、ウイルスがほか の細胞に広がるのを阻止する。発熱は

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ウイルス感染に普通に見られるものであるが、体温が上がることは免疫反応を強める働きを持っている。これらは侵入したウイルスを単に異物とみなして起きてくること から、非特異的防御または自然免疫と呼ばれている。ウイルス感染後、数日してから細胞性免疫、ついで液性免疫が成立してくる。細胞性免疫は細胞傷害性T細胞

p 70の働きに依存している。液性免疫はB細胞が産生する抗体(免疫グロブリン)の働きによる。ウイルスによって、麻疹ウイルスのように細胞は破壊しないで放出されるものと、ポリオウイルスのように細胞を破壊して細胞外に放出されるものがある。抗体は細胞外のウイルスに結合して感染性を失わせるもので、これは中和と呼ばれている。しかし、麻疹ウイルスでは細胞が生きている限リウイルスが放出されており、抗体は細胞の中のウイルスには作用しない。そのため、感染した細胞を破壊しなければならない。その役割を担うのが細胞傷害性T細胞である。ポリオウイルスの場合には、細胞はウイルスにより破壊されているので、細胞外のウイルスを中和することで、ほとんどのウイルスは排除されることになる。

これらの一連の防御機構でウイルスは排除され、感染した人は回復する。細胞傷害性T細胞やB細胞は排除したウイルスを記憶しており、ふたたび同じウイルスが体内に侵入すると、今度はただちに働いて症状が出る前にウイルスを排除する。そこで、この免疫は獲得性免疫と呼ばれている。

ワクチンによるウイルスの制圧

ワクチンは、ウイルスに感染した際と同様の獲得免疫の状態を人為的に作るものである。

p 71後述するように、感染して発病した人を治療できる抗ウイルス剤は非常に限られており、し

かも体内のウイルスを抗ウイルス剤だけで排除することはできない。ワクチンによる予防がウイルス感染に対するもっとも有効な手段である。

ワクチンによるウイルス感染の予防は、ウイルスの存在が明らかになるはるか以前に、ジェンナーによる種痘、パスツールによる狂大病ワクチンの開発で始まった。その後、多くのウイルス感染がワクチンによって予防されるようになった。

ワクチンによるウイルス感染との戦いは、戦略的に見ると、達成状態によって、制圧、排除、根絶の三段階に大きく分けられている。第一段階の制圧は、ワクチン接種により、ウイルス感染の発生頻度や激しさを無害なレベルに

まで減少させることができた状態をいう。たとえば日本での麻疹はこれに相当する。かつてはすべての人がかかる麻疹であったが、日本では一九六〇年代半ばから麻疹ワクチンの接種が始まり、一九八一年から全国の三〇〇〇カ所の病院で発生状況を調べている。その結果では、患者数は一九八四年には一二万人であったのが、二〇〇三年には七八〇〇人となり、二〇〇四年にはさらに激減してきている。排除の状態に今一歩という段階とみなせる。第二段階の排除は、ウイルス感染の発生は阻止できたが、ふたたび侵入するおそれがある

p 72

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ため、常に制圧する努力の継続を必要とする状態である。アメリカでは麻疹の発生はゼロの状態になり、国内からの排除は達成されたとみなされている。しかし、国外から旅行者が持ち込む輸入感染が続いているため、ワクチン接種を中止することはできない。第三段階の根絶は、ワクチン接種を中止しても、もはや感染が起こらない状態を指す。これが達成されたのは天然痘だけである。現在、WHOは天然痘根絶に次ぐ目標として、麻疹とポリオの根絶に向けて予防接種拡大計画を進めている。ポリオはほとんどの国で排除に成功しているが、もっとも多くの患者を出しているインドでの制圧が進み始めたことから、WHOは二〇〇五年には患者発生をゼロとし、三年後の二〇〇八年に根絶宣言を出す日標で努力している。麻疹ではまだ、根絶への見通しはたっていない。

限られたウイルスに対して開発されている抗ウイルス剤

細菌感染の多くは抗生物質により治療可能になった。最初に発見されたペニシリンは、細菌の細胞膜の外側にある細胞壁の合成を阻止する作用を持つ。細菌の細胞壁は動物細胞には存在しない独特の壁であるため、人の細胞には悪影響を与えないで細菌の合成だけを阻止できる。すなわち、副作用を示すことなく細菌の増殖を阻上できるので、選択毒性が高い薬と

p 73呼ばれている。このほかの抗生物質も、細菌に固有の蛋白質合成経路や核酸合成経路を阻止する。

一方、ウイルスは最初に述べたように動物細胞に依存して増殖している。そのため、ウイルス増殖を阻止する物質は同時に人の細胞にも悪影響を与えることになり、抗生物質のように選択毒性の高い薬を開発することは難しい。その結果、これまでに開発されてきた抗ウイルス剤は非常に限られており、実際に臨床に使われているのはヘルペスウイルス、インフルエンザウイルス、ヒト免疫不全ウイルスに対する薬のみである。ヘルペスウイルスではアシクロビルが一九八〇年代から使われていて、ヘルペス角膜炎や口唇ヘルペス、もしくは帯状疱疹の治療に効果をあげている。ヘルペスウイルスのDNA合成の際に働くウイルス由来の酵素が、細胞のもつ酵素とは若干異なっていることを利用して、ウイルスのDNA合成を阻害するものである。ヘルペスウイルスは神経細胞に潜んでおり、それが目の粘膜などに運ばれて増殖するために病気を起こしており、その部分でのウイルス増殖がアシクロビルで阻止されて回復はするが、神経細胞中にはウイルスは潜んだままであり、完仝に排除することはできない。東南アジア産のサルの多くにはヘルペスBウイルスが潜んでいる。これに人が感染すると

p 74致死率が七〇パーセントという重症となり、回復した人でも重い神経後遺症が残る。サルに咬まれてもすぐにアシクロビルを用いれば助かる例が増えてきたが、再発の危険性があるために薬をずっと飲み続けなければならないと報告されている。

インフルエンザウイルスに対してはザミナビル(商品名、リレンザ)とオセルタミビル(商品名、タミフル)が日本では二〇〇一年に認可されている。インフルエンザウイルスは第4章で述べたように、その粒子の表面にヘマグルチニン(HA)蛋白とノイラミニダーゼ(NA)という酵素を持っている。HAはウイルスの細胞への吸着に働くものであり、ノイラミニダーゼは新しく作られたウイルスがほかの細胞に広がるときに必要なものである。この二つの薬は

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どちらもノイラミニダーゼ酵素の活性を担う部分に栓をしてウイルスの広がりを阻止するもので、プラグ薬とも呼ばれている。ただし、効果は限られていて、感染したと思われる初期に服用すれば発症を抑えることができ、症状が現れてからでは一日半くらいの間に用いれば、症状の続く期間を二、三日短縮できるというものである。それでも、高齢者などでは死亡のリスクを半減できるという程度の利点はある。この薬を正しく使うためには、単なる風邪ではなくインフルエンザにかかったことを確かめることが必要で、そのための検査薬も販売されている。一方、これらの薬に対する耐性ウイルスの出現も問題になっている

p 75ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に対する抗ウイルス剤は、図 23 に示したようなHIVの独特の増殖様式を標 的として開発されてきた。HIVは免疫反応の重要な担い手であるCD4T細胞に感染し、それを破壊する ことで最終的にエイズを起こす。HIVには三つの重要な酵素があり、その一つ、逆転写酵素は、ウイルスのRNAをDNAに転写する。転写されたウイルスDNAは細胞の核の中に移行し、そこでインテグラーゼという酵素により細胞の染色体に組み込まれる。CD4T細胞は外部から微生物などの異物が侵入すると分裂して免疫反応を引き起こすが 、細胞が分裂する際に染色体の中のウイルスDNAから子のウイルスRNAとウイルス蛋白質が新たに作られる。

p 76HIVには固有のプロテアーゼ(蛋白質分解酵素)があり、これによりウイルス蛋白質から不要な部分が切り取られ、ウイルスRNAとともにウイルス粒子に組み立てられて、子のウイルスとなって細胞の外へ放出され、ほかの細胞へと感染を広げていく。HIVに対する抗ウイルス剤としては、この逆転写酵素の阻害剤とプロテアーゼ阻害剤が開発

されていて、逆転写酵素阻害剤には二つの異なるタイプのものがある。現在、エイズの治療には、これらの三種類以上の薬が併用されていて、高活性抗レトロウイルス療法(HAART)と呼ばれている。アメリカでの最近の統計を見ると、一九九〇年代になってこの治療法が普及し始めて、エイズの患者数と死亡者の数はともに減少し始めた。しかし、一方でウイルス感染者の数はいまだに増加を続けている(図 24)。

このような事態になっている主な原因として、この治療法により発病が阻止され、ウイルス保有者は健康人と同様の生活を送れるようになり、エイズはもはや致死的な病気ではないとみなされるようになってきたこと、すでに過去の病気と信じる若者も増え、感染防止対策をとらなくなってきていることがあげられている。実際には、これらの薬は単に発病を阻止しているだけであって、ウイルスを排除しているものではない。染色体に組み込まれたウイルスはそのまま残っており、機会があればふたたび増殖を始める。また、薬に耐性のウイル

p 77スの出現で、新薬の開発とウイルス耐性出現という事態が繰り返されるおそれもある。アメリカの疾病制 圧予防センター(CDC)では、二〇〇三年にHIV流行阻止のための新しい戦略計画を立てて、HIV感染 者が広がっている事態を認識させようとしている。抗ウイルス剤の開発では別の動きもある。バイオテロ としてもっとも危険性の高い天然痘に対処するためである。これにはシドフォビルという薬が候補として期待されている。これはサイトメガロウイルスというヘルペス群のウイルスによる網膜炎の治療に用いられているものである。マウスの実

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験では天然痘ワクチンの成分であるワクチニアウイルスなどに効果が認められており、サルの天然痘に相当するサル痘ウイルスの

p 78感染実験でも、ある程度の治療効果が認められている。しかし、耐性ウイルスの出現が見いだされているので、耐性の天然痘ウイルスが生まれるおそれがある。

p 79

6 現代社会が招くエマージングウイルス

感染症の克服は幻想――エマージング感染症の認識

一九世紀半ばに、各種の病原細菌の分離により細菌学が進展し始め、一九世紀終わりには初めての動物ウイルスとして口蹄疫ウイルスが分離された。二〇世紀前半に、抗生物質により細菌感染の多くは治療可能になり、ワクチンの開発により多くの急性ウイルス感染の予防が可能になった。微生物学の最大の成果として、一九八〇年に天然痘の根絶がWHOにより宣言された。この頃から、人類は感染症を克服できるという考えが広まり、感染症への関心は薄れていった。

しかし、一九八一年にはアメリカでエイズ患者が初めてみつかり、全世界に広がり始めていた。その後、あいついで新しい感染症が世界各地で発生した。感染症の克服は幻想にすぎなかった。

p 80一九九二年、WHOと全米科学者協会はエマージング感染症の国際監視計画に関する会議を開

き、次のような声明を発表した。「最近になって新しく出現(emerging)、または再出現(re-emerging)した感染症が数多くある。動物や植物の世界でも同様のことが起きて、経済や環境に危険をもたらしてきている。世界全体がいまだに感染症に対していかにもろいかということを示したものである。ヒト、動物、植物の感染症の地球規模での監視体制の確立が急務である。」なお、厚生労働省では「新興・再興感染症」という和訳を使っている。

エマージングウイルスはほとんどが動物由来

エマージング感染症の中でも、ウイルスによるものが社会に大きな衝撃を与えており、エマージングウイルスと呼ばれている。そして、そのほとんどは動物由来のものである。

これまで述べてきたように、現在、人のウイルスとなっているものも、もとをただせば動物から感染したもの、もしくは人類の進化の過程で動物から受け継いできたものということになる。しかし、現在では人の間で広がっているものを人ウイルス、動物の間で広がっているものを動物ウイルスとして、両者は区別されている。そして、動物から人に感染を起こしp 81ているものが人獣共通感染症の原因として問題になっているのである。

ところで、「人獣共通感染症」という言葉の由来であるが、これは英語のズーノーシス(zoonosis)を訳 したもので、ギリシア語で zoon は動物、nosos は病気を指す。すなわち、英

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語では「動物由来感染 症」ということになる。 ズーノーシスという言葉は昔からあったが、中世までは動物の病気という意味で、人の病気と区別さ れていた。一九世紀になって、動物由来の人の病気の意味が加わり、それ以後、動物由来感染症のみを指すようになった。そのきっかけは、食肉店の従業員に化膿病変などが見つかった際に、医師がこれ は人の病気ではなく、動物の病気にかかったものとみなして、ズーノーシスと呼んだことであった。一八 六三年に出版された獣医学辞典には、ズーノーシスは動物の病気と、動物から人がかかる病気の二つと書かれている。これが現在では動物由来の人の病気だけになったのである。すなわち、動物由来ヒト 感染症ということになる。

人から動物に感染するヒト由来動物感染症もある。これは英語でアントロポノーシス(anthoroponosis)と呼ばれている。ギリシア語で anthoros は人、nosos は病気である。サルでの赤痢や麻疹がその例で ある。タンザニアのゴンベの森ではチンパンジーの生態観察で有名なジェーン・グドールが、チンパンジーでのポリオの流行を報告している。これも人から

p 82の感染によるものである。このほかに、人の単純ヘルペスウイルスがペットのサルに致死的感染を起こすこともある。これは前に述べたサルのヘルペスBウイルスが人で致死的感染を起こすことの逆ということになる。最近問題になっているものに、絶滅危惧種であるアフリカのシママングースにヒト型結核菌の感染が広がっていることがある。ヒト由来動物感染症は野生動物の生態系に悪影響を与える面がとくに問題になっているのである。

エマージングウイルスはどのように出現しているのか

二〇世紀後半から出現したエマージングウイルスを表2に整理してみた。その存続の場となっている自然宿主は、リフトバレーウイルスの場合に羊や牛といった家畜であることを除けば、すべて野生動物である。 これらエマージング感染症の出現の背景には現代社会の発展がかかわっている。主な背景を表3に整理したが、そのうち、代表例を紹介する。

野生動物の輸入で発生した代表例は一九六七年、ドイツとユーゴスラビアで発生したマールブルグ病である。マールブルグウイルスはエボラウイルスときわめて近縁のウイルスで、

p 83(図)

p 84その自然宿主はまだわかっていないが、アフリカの熱帯雨林に生息する野生動物である。公衆衛生基盤の破綻による例としては、一九七六年にザイールで発生したエボラ出血熱がある。

エボ ラウイルスは九〇%にも達する非常に高い致死率の病気を起こすが、人から人への感染伝播は濃厚接 触でしか起こらない。ザイールでは劣悪な病院の環境のもと、注射器の使い回しなどで多数の人に感染 が広がった。これは先進国では起こりえない事態であった。ダム開発がきっかけになった例としてはリフトバレー熱がある。この原因ウイルスは一九二

一年に東アフリカで分離されたもので、羊や牛の間で蚊によって媒介されている。人への感染は主に獣医師や食肉処理に従事する人たちに限られていた。ところが一九七七年にエジプトで数百万人が感染し、数千人が死亡する大

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p 85きな被害が出た。突然このような大発生になった背景としては、一九七〇年にアスワンハイダムが完成し、人と家畜の移動のパターンが大きく変わったためと推測されている。リフトバレー熱の発生はその後拡大し、現在ではアフリカ大陸を超えて、イエメンとサウジアラビアにまで広がっている。医療技術による例としては、エイズがあげられる。エイズは一九七〇年代にアフリカで広

がっていたが、 その要因のひとつに天然痘ワクチン接種に使った注射針が滅菌されずに用いられたことが推測されている。一九八〇年代からは血液製剤による薬害エイズ被害が起きた。気象変化によるものとしてはハンタウイルス肺症候群がある。この原因はハンタウイルス属のシンノンブレウイルスで、シカネズミが保有するウイルスである。シカネズミは昔からこのウイルスを持っていたのに、一九九二年に突然に人への感染が起きた理由としては、エルニーニョが疑われている。前の年のエルニーニョにより近来にない大雨が降り、松の実が大豊作となり、それを餌とするシカネズミの大発生が起こり、人との接触の機会が増えたためと推測されているのである。

グローバリゼーションが世界的伝播をもたらした例としては、昨年発生したSARS(重症急性呼吸器 症候群)がある。それまでのエマージングウイルスは、濃厚接触以外には人か

p 86ら人への感染伝播を起こしていなかった。しかし、SARSの場合には飛沫感染で人の間に広がった。このような人の間で容易に伝播されるウイルスが出現した場合、グローバル化した現代社会では、きわめて短期間にウイルスが全世界に広がることをSARSは示したのである(図25)。

エマージングウイルスの人への感染は、ほとんどの場合、自然宿主動物から直接起きている。しかし、野生動物から家畜が感染し、家畜から人が感染するという形になると、家畜と人は密接な接触があるため、人の間での大きな感染につながる。

その例としてニパウイルス病と鳥インフルエンザがある。ニパウイルスはオオコウモリが保有するウイルスである。マレーシアでは一九九〇年代半ば

から養豚が盛んになった。これはシンガポールが畜産公害のために養豚を止めて輸入に頼ることになったのがきっかけで、マレーシアからの豚の輸出が急激に増加したためであった。そして、養豚場は郊外のオオコウモリの生息する森にまで広がり、そこで豚が感染し、豚の体内で増えたウイルスに人が感染したのである。このとき、患者は最初、日本脳炎と診断された。日本脳炎ウイルスは蚊により媒介される。そこでマレーシア政府は殺虫剤による蚊の対策を行ったが、豚の移動禁止措置はとらなかった。

p 87(図)

p 88そのため、感染した豚は各地に運ばれてしまった。さらに、豚には日本脳炎ワクチンが接種

された。豚では人のように一本ずつ注射器を変えるようなことはせず、同じ注射器が使われる。これはエボラウイルスが病院内で広がった場合と同じ状態である。鳥インフルエンザウイルスは本来、野生の鴨が保有するウイルスである。鳥インフルエンザ

ウイルスは鶏に感染するが、人が感染したことはなかった。しかし、一九九七年に香港で鶏か

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ら人への感染が起こり、六人が死亡した。前に述べたように、渡り鳥の鴨から鶏にウイルスが感染し、鶏の間で感染が広がっている間にウイルスの変異が起こり、鶏にきわめて高い病原性のウイルスが生まれ、それに人が感染したと考えられている。

現在の養鶏は工場なみになっている。そのようなところに感染力の強いウイルスが入り込むと急速に広がる。大規模養鶏が鳥インフルエンザの大発生をもたらしているのである。

二〇〇四年にはタイ、ベトナム、中国などで発生し、日本でも四カ所での発生が起こり、三〇万羽にのぼる鶏の殺処分が行われ、エマージング感染症の実態を身近に体験することになった。タイなどでは人が感染し死者が出たが、これは生きた鶏が市場で売買されるため、それからの感染によるものであった。日本のように食鳥処理場で食肉となって市場に出てくるところでは人への感染が起こることはない。

p 89野生動物ではなく、近代畜産により新たに生み出されたエマージング感染症はBSE(牛海綿状脳症)である。病原体はかつてはスローウイルスとも呼ばれていたが、現在ではプリオンと呼ばれる蛋白質と考えられている。家畜の餌として食用動物のくず肉を肉骨粉として家畜の餌に用いるリサイクリングで牛の間に広がった新しい感染症であり、人で変異型クロイツフェルト・ヤコブ病を引き起こしたことを示す科学的証拠が蓄積している。それに加えて、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が輸血を介して人から人に伝播される危険性も問題になった。それまでにイギリスでは血液製剤用の血液は外国から輸入し、輸血用の血液は病原体が付着する可能性のある白血球を除去して用いていた。輸血による感染が疑われ た二人の例が二〇〇四年に見つかってからは、一九八〇年以後に輸血を受けた人は献血を禁止する措置が追加された。イギリスのBSEは、最初は一頭の感染牛からリサイクリングで一八万頭を超える発生につながったと考えられる。同様に、一人の変異型CJD患者の血液からでも、対策を講じないで野放しにすれば、BSEと同様の大きな広がりになるおそれがあるため、きわめて厳しい予防原則にもとづく 対策が実施されているのである。家畜の代わりにペットが媒介する例も起きている。二〇〇三年にアメリカで発生したサル痘

である。サ ル痘の名前はサルで見つかったために付けられたもので、実際にはリスやネズミなどの

p 90齧歯類がこのウイルスの自然宿主である。ところで、アメリカでサル痘が発生したことはこれまでなかった。これはアフリカのガーナからペット用として輸入されたアフリカオニネズミという大型の誓歯類がサル痘ウイルスに感染していて、ペットショップの同じ部屋で飼育されていたプレイリードッグに感染を広げ、プレイリードッグから人が感染したものと推測されている。この発生では少なくとも七五名が感染し一九名が入院した。ペットショップは自然の生態系では接触することのない動物が一緒に飼育されるため、ペットブームの現在、同様の事態は日本でも起こる可能性があることを認識しなければならない。

p 91

7  エマージングウイルスの時代をどう生きるか

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二一世紀はエマージングウイルスの時代

二〇世紀後半から未知のウイルスが突然出現し、人に致死的感染を起こす事態が毎年のように起きている。そのもっとも典型的なものは、二〇〇三年に中国大陸で発生したSARSである。原因のコロナウイルスを保有している野生動物はまだ明らかになっていないが、このウイルスに感染した人の咳やくしゃみによる飛沫感染で人々の間に広がり、八〇〇〇人あまりの患者と八〇〇人近くの死者を出したのち終息した。その数ヵ月後、今度はアジア地域で鳥インフルエンザが大発生を起こし、大量の鶏の殺処分のニュースが連日報道されている。本来、鳥インフルエンザウイルスが人に感染することはなかったが、一九九七年に香港で初めて人に感染を起こし六名の死者を出した。今回の鳥

p 92インフルエンザも同様のウイルスによると考えられている。もしも人から人に感染が続けば、鶏の間で病原性の強いウイルスが広がったように、人の間で広がるインフルエンザウイルスが出現するおそれがある。また、人インフルエンザウイルスと鳥インフルエンザウイルスの両方に感受性のある豚では、二つのウイルスの間でウイルス遺伝子の組み替えが起きてまったく新しいウイルスができてくることがある(第4章参照)。アジア諸国で感染が拡大しているうちに、人や豚が鳥インフルエンザウイルスと人インフルエンザの両方に感染して、再集合体の新型インフルエンザウイルスが出現するおそれもある。

そのような事態が起こると、インフルエンザウイルスはSARSコロナウイルスよりも強い感染力を持っているため、SARSの場合を上回って世界各国で同時多発する事態になりかねない。一九一八年のスペイン風邪では世界で五億人が発病し、死者は二〇〇〇万人とも四〇〇〇万人とも言われている。もちろん、現在ではインフルエンザウイルスに対する抗ウイルス剤もできており、ウイルス学的診断も迅速にできるようになっている。それでも最悪の場合には、世界中で一五億人が重症感染を起こし五億人の死者が出るという推定もある。したがって新型インフルエンザウイルスの出現に備えて万全の態勢が求められているのである。

p 93SARSの原因解明の背景二〇〇三年三月、WHOは中国、香港、ハノイで発生した原因不明の重症肺 炎について、重症急性呼吸器症候群(SARS)と命名して、発生地域への旅行中止の勧告を行った。このような勧告が出されたのはWHOの五〇年にわたる歴史で初めてであった。ベトナム・ハノイのWHO事務所のカルロ・ウルバーニ医師が重症肺炎の重大性にいち早く気が付いたことが、この素早い対応をもたらしたのであった。彼自身、SARSに感染して二月末に死亡した。WHOはSARSの病原体の解明と検査法の確立のため、九カ国、一三の研究施設による国際的共同研究ネットワークを結成した。すでにWHOは新型肺炎の世界的監視のためにインフルエンザ監視ネットワークを立ち上げていたので、それがそのままSARS研究ネットワークになったのである。ネットワークが立ち上げられてすぐに、フランクフルトのベルンハルト・ノホト病院に入院していた患者のサンプルからウイルスが分離され、遺伝子構造 から、メタニューモウイルスと呼ばれるパラミクソウイルス科に属することが明らかにされた。このウイルスは、二〇〇一年に

p 94

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オランダのアルバート・オスターハウス博士が分離していたものであった。同じウイルスの分離は香港大学とカナダでも確認された。

一方、アメリカ疾病制圧予防センター(CDC)では、約二〇人の研究者が自分の研究を中断して、原因ウイルスの解明に取り組んだ。まず、これまで多くのエマージングウイルスの分離に役立ってきたヴェーロ細胞にウルバーニ医師のサンプルを接種した結果、一つのウイルスを見いだした。電子顕微鏡で調べたところ、これはコロナウイルスに特徴的な形態を示していた。コロナウイルスの名前は球形のウイルス粒子の周囲に太陽の王冠のような構造が存在することから付けられたもので、ほかのウイルスと容易に区別できる特徴的なものである(図 26)。

人には軽い風邪を起こすコロナウイルスがある。鶏、牛、豚、猫など多くの動物にも固有のコロナウイルスが見つかっている。しかし、分離されたウイルスの遺伝子構造を調べた結果、それまでに見つかっていたコロナウイルスとは別のものであった。

こうして、原因ウイルスとしてメタニューモウイルスと新種のコロナウイルスが浮かんできた。これに対する回答は、メタニューモウイルスの分離者でもあったオスターハウス博士のグループによるカニクイザルヘの接種実験で得られた。それぞれのウイルスを鼻から接種

p 95(図)

p 96したところ、新種コロナウイルスでは軽い肺炎が起こり咽頭や糞便にウイルスが排出されることが確かめられた。メタニューモウイルスではこのような結果は得られなかった。

感染症の病原体を確定する場合、昔はコッホの三原則が使われてきた。これは一八八四年に結核菌の分離に成功した際に、コッホが提唱したものであった。ウイルスの場合には、一九二七年にこの原則が修正されたものがある。SARSの場合、SARS患者で新種コロナウイルスがみつかり、ほかの病気では見つからない。人に近縁の動物すなわちサルでSARS様の病気を起こし、同じウイルスが分離されたことが、コッホの三原則を満たしたのであった。すっかり忘れられていたこの原則が二一世紀初めのエマージングウイルスの原因解明に役だったという、きわめてドラマティックな出来事となった。そしてWHOは四月一五日、研究ネットワークを立ち上げてから一カ月後に、新種のSARSコロナウイルスが原因と確定した。なお、この研究の中心になったオスターハウス博士のオランダ・ユトレヒト大学獣医学部での学位論文は、猫のコロナウイルスである伝染性腹膜炎ウイルスであった。彼は思いがけず昔の研究テーマに戻ったのである。振り返ってみると、このような短期間に原因が解明されるという、これまでにない画期的な成果は、

p 97本来は競争相手である研究者同士による国際協力のもと、伝統的ウイルス学の手段と遺伝子工学、さらに一九世紀の細菌学の基盤となったコッホの三原則に支えられて得られたものであった。

野生動物由来の未知のウイルス

野生動物がどれくらいのウイルスを保有するのか、研究の対象にならない限りほとんどわからない。

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一九五〇年代終わりから、ポリオワクチンがサルの腎臓細胞で製造されるようになり、その結果、それまで知られていなかったSV40ウイルスを初め、数多くのウイルスがサルの腎臓細胞から分離されてきた。同じ頃、クールーやクロイツフェルト・ヤコブ病がサルに実験的に伝達できるようになり、サルヘの脳内接種実験が全米の霊長類センターで精力的に行われた。それらのサルの脳からクールーなどの原因ウイルス分離が試みられた結果、副産物として培養細胞で八〇種類近い新しいウイルスが分離されている。これらのウイルスの病原性はほとんどわかっていない。

オーストラリアでは、人への致死的感染を起こしたヘンドラウイルスの自然宿主がオオコウモリ

p 98であることが明らかになったことから、オオコウモリについての研究が始められた。その結果、狂大病ウイルスと同じグループのコウモリリッサウイルスが分離され、これは人への致死的感染も起こした。また、流産を起こした豚からメナングルウイルスが分離され、人では軽いインフルエンザ様の病気を起こした。マレーシアではヘンドラウイルスに類似のニパウイルスが人と豚に致死的感染を起こし、これの自然宿主もオオコウモリであった。そこで、オオコウモリについての調査が始められ、その結果、チョーマンウイルスが分離された。これの病原性は明らかになっていない。このようにして、オオコウモリから五つの新しいウイルスが分離されたことになる。

ウイルス分類国際委員会は種として三六〇〇以上のウイルスを認めており、株やタイプまで広げると三万以上のウイルスが全世界の研究室に保存されていると推定している。そのうち哺乳類、鳥類に感染するウイルスは約六五〇種が見いだされている。しかし、これは氷山の一角にすぎない。

SARSの教訓

ウイルス感染に対するもっとも効果的な対策はワクチンによる予防である。天然痘および

p 99狂大病は有史以来、人類を悩ませてきたもっとも恐ろしいウイルス感染症であるが、ウイルスが発見さ れる以前に、天然痘は一七九六年にジェンナーの種痘により、狂大病は一八八五年にパスツールのワ クチンにより予防が可能になり、その結果、天然痘は根絶され、狂大病も多くの国で制圧されてきている。  しかし、エマージングウイルスの場合、このような対策は不可能である。新たに出現したウイルスに人々は免疫をもっていない。ワクチンも利用できない。このようなウイルスの出現に対しては、どのように対抗したらよいのであろうか。

ここで二一世紀に初めて出現したSARSでの対策を振り返ってみよう。ウイルスに国境はないため、グローバル化した現代社会は、ウイルスにとって一つの地球村のようになっている。そのためにSARSは、発生当初に中国が情報を隠蔽している間に世界中に広がったのである。この事例は国際的監視体制、とくに情報の透明性と共有化の重要性をあらためて認識させてくれた。

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SARSが残した最大の教訓は、集団防衛によるウイルスの封じ込めの重要性を示したことである。WHOによるSARS制圧に貢献したのは、発病した患者を迅速に見いだして隔離し、患者に接触して感染したおそれのある人については健康監視や隔離を行うという対策であった。

p 100これは昔、ペストやコレラが流行したときに行われていた公衆衛生対策そのものであった。

この公衆衛生対策により第二次世界大戦後、天然痘、ペスト、コレラなどの伝染病が制圧され、その結果として公衆衛生への関心は低下してきた。一九八一年の公衆衛生審議会の答申に見られるように、集「団から個へ」の対応が提唱されてきた。

しかし、SARSはまさにこの忘れられかけていた公衆衛生対策により制圧されたのである 。もしも新型インフルエンザが発生すれば、その短い潜伏期と強い感染力のために、SARSの場合よりも制圧ははるかに困難になるであろう。

ところで、検疫という言葉を広辞苑で見ると、「伝染病を予防するために(中略)消毒・隔離などを行い、個人の自由を制限する行政処分」となっている。公衆衛生対策では、社会を守るために、ある程度個人の自由が束縛されることになる。日本では明治以来百年間にわたって伝染病予防法による感染症対策が行われてきた。当初は警察権力の下で、後に厚生省の時代になってからも、ハンセン病にみられるような人権侵害が起きてきた。伝染病予防法は一九九九年に感染症法に生まれ変わったが、当初、専門家による作業部会の原案では「強制隔離」「隔離を含む行動制限」といった表現が用いられていた。しかし、人権への配慮が強く求められた結果、隔離の用語はなくなり、

p 101都道府県知事が入院勧告を行うこととされ、勧告に従わない者については入院させることができるという文言に変えられている。

かつては集団の利益は個人の利益に勝ると考えられたが、個人の意志や権利意識が尊重される現在、このような対応はやむを得ないであろう。しかし、一方でSARSの再来、もしくは新型ウイルスの出現の事態が起これば検疫。隔離にもとづく集団防衛に頼らなければならなくなる。個人の人権を尊重した上での集団防衛という難しい問題が浮上してきていることを広く社会は認識し、議論を深める必要がある。

日本の対策はどうなっているか

日本の感染症予防対策は一八九七年(明治三〇年)に制定された伝染病予防法にのっとって行われてきた。伝染病予防法はコレラ、赤痢、天然痘など、人から人への感染の伝播の防止を対象としたものであり、動物から人への感染防止はとりあげていなかった。

とくに人獣共通感染症の重要な感染源は野生動物であることから、輸入野生動物の検疫は公衆衛生上の重要な課題である。しかし、これまで日本では、動物検疫は家畜伝染病予防法による家畜と、狂犬病予防法による犬だけが対象となっていて、野生動物の輸入は野放しであった。

p 102

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伝染病予防法制定百年後の一九九九年に「感染症の予防及び感染症の患者の医療に関する法律」(通称、感染症法)として大幅改定され、また狂犬病予防法の対象動物種も拡大された。ここで初めて動物から人への感染防止という視点が盛り込まれたのである。

しかし、現実に感染症法と政令であらたに検疫の対象となったのは、サルのエボラ出血熱とマールブルグ病、猫、狐、スカンク、アライグマの狂大病であった。日本は野生動物の輸入大国である。財務省の調査では二〇〇三年には哺乳類が八五万頭、鳥類が四〇カ国から約一七万羽、爬虫類が約五〇カ国から八八万匹、両生類が約一〇カ国から一万匹が輸入されていた。

この法律制定後に、ウエストナイル熱、高病原性鳥インフルエンザ、サル痘、SARSなど動物由来感染症が発生し、プレイリードッグ(ペスト)、イタチアナグマ、タヌキ、ハクビシン(SARS)についても輸入禁止措置が行われた。これらの事態も踏まえて大幅に改正された感染症法は二〇〇三年一〇月に成立した。感染症は四類に分類されていたが、改正された法律では五分類となった。その中に設けられた新しい四類にはこれまで規制されていなかった動物由来感染症の主なものが含められp 103それらの媒介動物については、輸入届け出制度が創設された。これは実際には許可制度であり、実質 的禁止措置になるものと思われる。その結果、動物由来感染症に対してなんらかの規制が行われる体制ができてきた(図 27)。この改正の作業の段階で思いもよらない問題が明らかになった。ネズミの死体が年間一六〇万匹も 輸入されていたのである。ハリーボッターの影響でペットとしてのフクロウの人気が高まったためかどうかはわからないが、

p 104ペットの野生動物の餌にするためである。ネズミの死体は冷凍海老と同じように凍結した塊のまま、ペット飼育をしている人の家のフリーザーに食品と一緒に保管され、電子レンジで解凍されてペットに与えられていた。ネズミ死体の輸入も今後は実質上禁止されることになった。

危険なウイルスを実験に用いる場合、もっとも危険にさらされるのは実験者である。そしてもしも感染すれば、潜伏期の間は気が付かないまま社会生活を行っている間にウイルスを広げてしまうおそれもある。ウイルスなど病原体の安全管理のために、WHOはバイオセーフティ・マニュアルを作成しており、多くの国がこれを基礎とした国の指針を設けている。しかし、日本ではいまだにできていない。感染症法はあるが、これは病気を対象としたものであって、病原体を対象としたものではない。日本では一九七〇年代に国立予防衛生研究所(現。国立感染症研究所)が自主規制のための実験室安全管理規定を作成し現在にいたっているが、多くの研究機関はこの国立感染症研究所の指針を参考にして自主規制の指針を作っている。じつは一九八〇年代初めに組換えDNA実験指針を作成したときから、私たちは病原体についての国の指針の必要性を訴えてきた。本来、組換えDNA実験指針は病原体の指針を基盤

p 105としたものであるが、その基盤がないまま運用されてきた。しかも、二〇〇四年からは生物多様性条約により組換えDNA実験指針は法律になっている。基盤のない法律ができているわけである。国の指針作成は阪神淡路大震災の後、国会で病原体管理についての質問が出た後、文部省が取

り組んだことがある。その結果、「大学等における研究用微生物安全管理マニュアル(案)」が一九九八年に作成されたが、その後、国会での追究もなかったためか、現在ではこの案の存在を

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知る人もほとんどいない。 SARSが封じ込められた後、二〇〇三年九月にシンガポールでSARSウイルスの実験室感染事故が起きた。同じ年の一二月には台湾で、二〇〇四年には中国でも同様の事故が起きた。実験室からSARSが再発生するおそれが問題になったのである。シンガポールの事故についてのWHO調査団の報告書は、シンガポール環境省の実験室安全管理基準の改善を勧告している。この事件について日本のマスコミは他人事のような報道をしていた。二〇〇四年、厚生労働省が調査したところ、八つの施設がSARSウイルスを保管していることが明らかになった。日本では実験室の基準も操作手順も自主規制で、実験者の訓練や実験室の整備がどのようになっているのかまったくわからない。もしもシンガポールのような事態に

p 106なったとき、国の指針の改善ではなく、作成そのものが勧告されるであろう。

自主防衛できないレベル4ウイルス

エボラウイルスなどもっとも危険なウイルスは、バイオセーフテイレベル4実験室(P4実験室)で取り扱わなければならない。これは日本では私たちが中心になって一九八〇年に国立予防衛生研究所に建設された。しかし、地元の武蔵村山市は住民への事前説明が不十分であったとして、市長が厚生大臣あてに実験停止と施設移転を求める要望書を提出し、その後も厚生大臣が代わるたびに提出されている。そこで厚生労働省の指示によりレベル3のウイルスを用いた実験だけが行われている。

これまでに日本ではラッサ熱の患者、エボラ出血熱が疑われた患者などが見いだされているが、アメリカ疾病制圧予防センター(CDC)に検査を依頼して事態を切り抜けてきた。しかし、これは国としての正式依頼ではなく、研究者の個人的つながりによるものであった。

一方、世界各国でレベル4実験室の建設ラッシュが起きている。建設されたものと計画中のものとして、私が知る限りでもアメリカでは八カ所以上、南アフリカ、カナダ、ドイツ、フランス、オーストラリア、ロシア、スウェーデン、台湾がある。

p 107エマージングウイルスの多くはアジアで発生している。マレーシアでニパウイルス感染が起きた後、アジアでのレベル4実験室の必要性が提唱された。しかし、日本のウイルス学は世界でもトップレベルでありながら、まったく協力できていない。

近代医療に伴う新たな感染症の潜在的危険性

臓器不足の決定的解決手段として豚の臓器を用いる異種移植が期待されている。しかし、豚では病気を起こさないウイルスであっても、人の体内で新たな病原性を示すような新しいタイプのウイルスに変異して、これまでにないエマージングウイルスになるおそれはないかという、潜在的危険性が問題になってきた。とくに豚にはブタ内在性レトロウイルスが潜んでいる。これが臓器を移植された人で病原性を示すウイルスに変異し、最悪のシナリオでは第二のエイズウイルスになるかもしれないという問題が提起されている。そのため、異種移植の臨床試験実施の際の安全確保を目的として、WHOの国際指針を初めとして、欧米や日本で国の指針が作ら

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れている。 医療による恩恵とウイルスによる潜在的危険性のバランスという難しい問題の解決が求められている。

p 108バイオテロの危険性

二〇世紀には、感染症の制圧という光の部分がクローズアップされた。一方、陰の側面としてのバイオテロが二一世紀における新たな問題となってきた。バイオテロの現実性が認識されたのは、オウム真理教による炭疸菌やボツリヌス毒素の散布

であった。アメリカはこの事態を深刻に受け止め、それ以来バイオテロ対策を強化してきたが、二〇〇一年に炭疸菌粉末を入れた手紙を送付するという予想もしなかった手段による炭疸菌テロが起きた。一方、日本はバイオテロの危険性を世界に発信した国であるが、バイオテロの危険性に対する認識はいまだに低い。

現在、天然痘ウイルスによるテロが大きな問題になっているが、日蹄疫ウイルスのように、人の健康被害ではなく、家畜への被害を通じて国家経済に影響を及ぼす農業テロも大きな関心事になっている。

さらに、遺伝子工学により自然界には存在しない危険性の高いウイルスを人為的に作成する可能性も明らかになってきた。その一例を紹介してみよう。

オーストラリアでは野ネズミの繁殖を抑制する目的でマウスの不妊ワクチンの開発を行って

p 109いたが、思いもかけない結果が得られた。ネズミの天然痘ウイルスに相当するマウスポックスウイルスに卵子表面の蛋白質の遺伝子を組み込んで受精を阻止する計画であった。この際に、免疫力を高めるためにサイトカインの一種であるインターロイキン4の遺伝子を組み込んだところ、できてきた組換えウイルスはもとのマウスポックスウイルスよりもはるかに強い病原性を示し、しかも、あらかじめ免疫を与えておいたマウスにも感染を起こしてしまったのである。マウスポックスウイルスを天然痘ウイルスに置き換えてみると、天然痘ワクチンによる免疫が効かない強毒の天然痘ウイルスができてしまったことになる。天然痘ワクチンの免疫効果は主に細胞傷害性T細胞(第5章参照)によるもので、インターロイキン4がこのT細胞の働きを阻害したのが原因と考えられた。

この結果を公表すべきかどうか、研究チームは一八ヵ月かけて実験成績を確かめ議論を重ねた上で、バイオテロの危険性を広く理解してもらうためにあえて論文に発表したのである。

もうひとつの例は天然痘ウイルスのわずか十一個のアミノ酸の配列を天然痘ワクチンの成分であるワクチニアウイルスに組み込んだところ、天然痘ウイルスに似た性質が加わってしまったという実験成績である。いずれも応用面もしくは基礎的な面で重要な研究であるが、そこで得られた結果はバイオテロに

p 110悪用されるおそれがある。科学研究の推進とバイオテロ防止のための研究規制という難しい問題につながったのである。p111

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8 人間とウイルスの関係を考える

人と平和共存の道をたどるウイルス

ウイルスの究極の生存戦略は平和共存である。野生動物の社会では、新たに入り込むウイルスはいずれ、動物とともに進化して共存するようになる。その代表的なものとして、オーストラリアで野ウサギの間で広がっているウサギ粘液腫ウイルスの例を紹介する。

オーストラリアでは、一九世紀の終わりに偶然ヨーロッパから持ち込まれた野ウサギが、天敵のいない新天地で猛烈な勢いで繁殖してしまった。そこで、野ウサギ退治のために一九五〇年、ヨーロッパからウサギ粘液腫ウイルスが輸入され放出された。このウイルスは蚊が媒介するもので、ウサギでは百パーセント近い致死率を示すものである。ウイルスが放出された最初の年には野ウサギはほとんど全滅し、生き残ったものは〇・ニパーセントにすぎなかった。

p112ところが七年後には致死率は二五パーセントにまで低下した。これはウイルスの病原性が低下

し、一方でウイルスに抵抗力のあるウサギの数が増えていったためである。五〇年後の現在、ウサギの数はもとに戻り、病原性が低下したウイルスは野ウサギの間で定着してしまった。別の例として、アフリカミドリザルでのサル免疫不全ウイルス(SIV)がある。SIVはHIVと同じ祖先に由来するウイルスである。アフリカミドリザルの二〇〜三〇パーセントはこのウイルスに感染しているが、エイズを発症していない。長年にわたってSIVの研究を行っている京都大学の速水正憲博士によれば、かつてSIVにはHIVと同様に活発な時代があって、アフリカミドリザルは絶滅の危機に瀕していたかもしれないが、ウイルスが平和共存の道を選んで病気を起こさなくなったものであろうという。現在、HIVでも病原性が低下したウイルスが見いだされており、一方で、HIVに感染して十数年経っても発症が見られない人も見いだされている。速水博士は、HIVでも人との共存の道が始まっているのではないかと推測されている。

ウイルスにとっての人間社会p113

ウイルスはあらゆる生物に寄生して増殖する生命体であり、ウイルスにとってみれば、地球上の生物の中で人間はとるにたらない存在にすぎない。しかし、人間社会に入り込んだウイルスは、ほかの生物に寄生した場合と異なり、さまざまな影響のもとで存続しなければならない。ワクチンによる免疫に対抗しては変異を起こし、抗ウイルス剤に対しては抵抗性を獲得しなければならないのである。

一方で、過密な人口のもとで航空網が発達した人間社会は、ウイルスにとっては人の間で広がる能力を獲得すれば、ほかの生物社会には見られない好都合な環境となる。その典型的な例はSARSコロナウイルスで、数週間の間に全世界に広がった。幸い、SARSの流行はWHOが中心になって行われた公衆衛生対策で四ヵ月という短期間に

終息した。しかし、このような効果的な病気の封じ込めがなかったとしたら、SARSコロナウイルスは、人間社会に定着してしまったであろう。動物界に入り込む植物ウイルス植物に寄生

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するウイルスは植物の間でのみ広がり、動物に感染することはない。しかし、唯一の例外として植物ウイルスに由来すると考えられる動物ウイルスが一種類見いだされている。

p114それはサーコウイルスと呼ばれる、もっとも小型のDNAウイルスで、子豚の発育を阻害するために最近、養豚産業で重要視されているものである。サーコウイルスには、バナナやココナツに感染するものもあり、植物サーコウイルスと呼ば

れていたが、最近、ナノウイルスという新しい名前で呼ばれるようになった。サーコウイルスとナノウイルスの間では、ウイルス増殖に重要な働きをする遺伝子が非常によく似ているが、最近の研究成績から、サーコウイルスはナノウイルスが、カリシウイルスと呼ばれる動物のウイルスとの間で遺伝子交換を起こしたために生まれたものと考えられている。おそらく、植物の樹液に含まれていたナノウイルスにたまたま動物がさらされて感染を受け、動物の体内でカリシウイルスと遺伝子交換がおきたのではないかと推測されているのである。

一方、バナナやジャガイモに狂大病ウイルスや小児の下痢症のウイルスの遺伝子を組み込んで、それをワクチンに用いようとする研究が盛んに行われている。これは食べるワクチンであって、値段が安く注射器も不要という大きな利点があるため、とくに発展途上国向けの夢のワクチンとして期待されている。しかし、サーコウイルスのように、植物のウイルスと動物のウイルスが混じりあうおそれを指摘する意見も出されている。ワクチンの開発研究が植物のウイルスを人間社会にもたらす潜在的危険性も考慮しなければいけないというわけである。

p115人の命を支えるウイルス

ウイルスは進化の推進力として働いていた側面はあるものの、一般には病気の原因とみなされるだけであった。ところが、最近、ウイルスが人間の命を支えている可能性がはじめて明らかにされた。それはヒト内在性レトロウイルスと呼ばれるウイルスで、これが妊娠中の 母親の胎内で胎児を保護する重要な役割を担っているという考えである。胎児は父親と母親の遺伝形質を受け継いでおり、父親由来の組織成分は母親にとっては異物であるため、胎児はいわば父親の臓器を移植したような状態である。そのため、胎児は本来ならば母親の免疫反応で拒絶されてしまうはずである。この拒絶反応から胎児を守っているのは、合胞体栄養細胞が形作っている一層の胎盤をとりまく膜である。これにより、拒絶反応の担い手である 母親のリンパ球は胎児の血管に入るのを阻止されている。一方で胎児の発育に必要な栄養分や酸素はこの膜を通過することができる。合胞体栄養細胞は胎児の栄養細胞どうしが融合して作られるものであるが、妊娠した際にどのようなメカニズムで作られるのかは、長い間、謎であった。

p116その融合を引き起こしているのが、ヒト内在性レトロウイルスのエンベロープにあるシンシテ ンと呼ばれる蛋白質であるという証拠が二〇〇〇年に発表された。ヒト内在性レトロウイルイスは二五〇〇万年くらい前に霊長類の染色体に組み込まれたと考えられているウイルスで、ふだんは冬眠状態で親から子に受け継がれてきている。シンシテ ンは、細胞を融合させる働きをイ

Page 42: _x0001_€¦ · Web viewウイルスと人間  著者山内一也 著出版2005/05/12 p-1 ウイルスと人間 山内一也 岩波書店 p-2

示すが、これが女性の妊娠初期の胎盤が作られる時期に合胞体栄養細胞に多量に作られていることが明らかにされたのである。

人類が出現する以前から地球上に存在していたウイルスは、単に病毒としてではなく、シンシテ ンのように、寄生する宿主に役立っている側面を持っているのではなかろうか。イp117

山内一也1931年生まれ。北里研究所、国立予防衛生研究所、東京大学医科学研究所教授を経て、現在、日本生物科学研究所主任研究員、東京大学名誉教授。著書に『狂牛病と人間』(岩波ブックレット)、『キラーウイルス感染症』 (双葉社)、『異種移植』 (河出書房新社)、『プリオン病』 (近代出版)ほか多数。訳書に『異種移植とはなにか』 (岩波書店)、『カミング・プレイグ』 (河出書房新社)ほか。