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平成 30年度 教育相談年報 ―三重県総合教育センターにおける取組と実際― 三重県教育委員会事務局 研修企画・支援課 教育相談班

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み ち の り

平成 30年度 教育相談年報

―三重県総合教育センターにおける取組と実際―

三重県教育委員会事務局 研修企画・支援課 教育相談班

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目 次

Ⅰ 三重県の教育相談体制の一層の充実に向けて 1

1 面接相談の概要 4 2 電話相談の概要 4

3 SNS相談の概要 4 4 教職員研修の概要 5

Ⅱ 調査研究

グループイメージデザイン法による子ども理解 7

~事例の考察を通して~

「教育相談についての普段づかいのワークシート」における 15

集団での学び

平成30年度「子どもLINE相談みえ」の実施結果 22

Ⅲ 論文

家族同席面接のあれこれ 28

教育相談における横と縦の視点 34

心理臨床の専門性とは何か ―回復という視点から― 38

プレイセラピーについてよく聞かれる質問について 44

Ⅳ これまでの取組から

日常の支え 47

心理療法における出会い 48

あとがき 49

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Ⅰ 三重県の教育相談体制の一層の充実に向けて

三重県総合教育センターでは、複雑化・多様化した子どもたちの心の問題解決を図るため

「教育相談事業」を実施しています。この事業では、臨床心理相談専門員(臨床心理士)を

活用し、専門的教育相談(二次的教育相談)及び教職員への教育相談研修を実施するととも

に、教育支援センター等との連携を深め、県全体の教育相談体制の一層の充実に向けて取り

組んでいます。

専門的教育相談(面接相談、電話相談)

臨床心理相談専門員(臨床心理士)を中心に専門的教育相談(二次的教育相談)を実施

し、子どもや保護者を直接支援しています。

対 象:幼児から高校生までの子ども、保護者、教育(保育)関係者 相談内容:不登校、子どもたちの「心の問題」、「からだの問題」、「人間関係の問題」、

「行動の問題」、「生き方の問題」、「保育・子育ての問題」など

教育相談事業

三重県の教育相談体制の一層の充実に向けた取組

総合教育センター

学校

教育支援センター

教育相談研修の

実施

調査研究

管理職への支援

いじめや体罰に関

する電話相談、

SNS相談の実施

学校の教育相談

体制支援

スクールカウンセ

ラー等との連携

子ども・保護者

専門的教育相談の実施

教育支援セン

ターとの連携

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※総合教育センターの二次的教育相談機能

不登校や子どもたちの心の問題等に対し、学校や教育支援センターでは教育相談

(一次的教育相談)を行っています。しかし、さまざまな状況から、学校や教育支

援センターの対応だけでは解決が難しいケースもあります。そのようなケースに対

する教育相談(二次的教育相談)を引き受けられるよう、総合教育センターに臨床

心理相談専門員(臨床心理士)を配置し、二次的教育相談機能の充実を図っていま

す。

教育相談研修

全国的に著名な心理臨床の実践家や臨床心理相談専門員(臨床心理士)の専門性を活か

した教育相談研修を実施し、教職員の教育相談にかかる力量の向上を図るとともに、学校

の教育相談体制を支援しています。

学校等の教育相談体制支援

学校や教育研究会の事例検討会に臨床心理相談専門員(臨床心理士)を派遣し、心理

臨床的視点から子どもの心の理解を深め、子どもや保護者へのかかわり方、チームによる

支援の仕方、校内教育相談体制のあり方等について、一緒に考えています。 スクールカウンセラー等との連携

スクールカウンセラーや相談員を対象とした事例検討会を実施し、互いの交流や臨床

心理相談専門員(臨床心理士)との連携を深めています。また、臨床心理相談専門員によ

るスーパーバイズを実施しています。

一次的教育相談と二次的教育相談

※複雑化・多様化した不登校、問題行動等の困難なケースへの支援 ※教職員への教育相談にかかる指導・助言 など

臨床心理相談専門員(臨床心理士)による専門的教育相談(二次的教育相談)

一般的教育相談、電話相談など

総合教育センター

教育支援センター 相談機関

子ども 保護者

学校

学級担任 生徒指導担当 養護教諭 その他教職員

教育相談担当教員 スクールカウンセラー 心の教室相談員

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教育支援センターとの連携

臨床心理相談専門員(臨床心理士)の専門性を活かし、心理臨床的な視点から教育支

援センター担当者の力量の向上を図る研修を実施しています。また、教育支援センター

と連携した研修を各地域で実施し、学校、教育支援センター、総合教育センターがより

連携を深める機会としています。 いじめや体罰に関する電話相談、SNSを活用した相談

子どもたちが安心して学校生活を送ることができるよう、いじめや体罰に関する電話

相談、SNSを活用した相談を実施しています。

調査研究

子どもの心の理解と対応について臨床心理相談専門員(臨床心理士)が調査研究を行い、

学校での子どもへのかかわりに活かしてもらえるよう情報発信しています。現在「グルー

プイメージデザイン法」「教育相談についての普段づかいのワークシート」を作成し、教

職員研修で活用する取組をすすめるとともに、これまでの調査研究内容を学会等でも情

報提供しています。 ※臨床心理相談専門員(臨床心理士)の専門性を教育相談研修に活用する取組

総合教育センターには、心理臨床の専門性を備えた臨床心理相談専門員(臨床心理士)

を配置しています。教育相談研修の内容、企画・運営に臨床心理相談専門員(臨床心理士)

の専門性を活かすことにより、教職員が、子どもの心の理解と対応、スクールカウンセ

ラーとの連携、チームによる支援などについて、より実践的に学べるよう取り組んでいま

す。平成30年度は、教育相談研修22講座のうち15講座で講師を務めるとともに、基

本研修でも講師を務めるなど、心理臨床的な視点から教職員の学びを支援しました。 ※三重県教育相談体制の充実推進協議会

平成15年度、当センターでは、京都大学名誉教授の藤原勝紀先生を委員長として、「三

重県教育相談体制の充実推進協議会」を設置しました。この協議会で審議を重ねていただ

き、「三重県の教育相談体制についての提言」をまとめていただきました。 この提言は、子どもたちの心の問題の解決に向けて、臨床心理相談専門員(臨床心理士)

による専門的な教育相談(二次的教育相談)を実施すること、教職員の教育相談にかかる

資質向上を図り学校の教育相談体制を充実させること、子どもを支援する機関や人々の

連携を強化することなどに取り組んでいくことを求めています。 当センターは、この提言を受け、県の教育相談体制の充実に向けて取り組んでいます。

三重県の教育相談体制についての提言 学校を中心に据えた心理臨床的な視点から子どもたちの心豊かな成長を支援す

るために、関係諸機関との連携を活かし専門的・全体的に子どもたちの心の問題解

決に取り組む教育相談体制の中核となる教育相談センターの設立

・SCが有効に機能する

校内体制づくり支援

・学校、相談機関、地域、

・教育相談の専門性を備

えた教職員の育成

・教育支援センター担当

者の育成

・高度な専門性を備えた

臨床心理士を活用した

二次的教育相談の実施

・教職員への指導・助言

教育相談行政機能 専門的教育相談機能 「人づくり」機能

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1 面接相談の概要

年 度 平成27年度 平成28年度 平成29年度 平成30年度

面接相談件数 6495 6757 6426 6333

年間を通じ途切れなく面接相談の申込みがあり、依然として高い相談ニーズがありまし

た。これは、当センターの二次的教育相談機能が広く周知されたことも理由として考えら

れ、学校やスクールカウンセラーから紹介されるケースが毎月数多く寄せられています。

相談内容については、校種にかかわらず「不登校」の相談が多くを占めています。また、

多動性や衝動性、パニックなどにどうかかわればよいのかを考ようとする「行動関係」の

相談も多くなっています。特に小学生では、「行動関係」が相談内容の4割以上を占めて

おり、「不登校」は3割以上となっています。

また、様々な不適応症状を表しているケースや発達障がいが背景にあるケースなどへの

対応方法をともに考えるため、学校関係者とのコンサルテーションも行いました。

2 電話相談の概要

年 度 平成27年度 平成28年度 平成29年度 平成30年度

電話相談件数 2137 2763 3086 3355

本年度の相談件数は昨年度に引き続き3,000件を超え、相談件数は昼夜を問わず年々

増加しています。これは電話相談のニーズがさらに高まっていることを示しており、今後も

この傾向が続くと予想されます。 相談内容は様々ですが、面接相談とは異なり、対人関係や学習のつまずきなどの「性格一

般」が最も多く、次いで家庭環境などが複雑に絡み合った「不登校」にかかる相談が多くなっ

ています。 電話の中で個々のケースごとに的確な対応をすることは難しいこともあり、来所相談を

すすめる場合もあります。 また、いじめや体罰に関する相談については、県教育委員会の関係部署とも連携し、迅速

な対応を行っています。

3 SNS相談「子どもLINE相談みえ」の概要

相談件数は1005件で、中学生、高校生からの電話相談件数の約3倍の相談が寄せら

相談件数

5月14日~3月31日 1005

相談内容内訳

友人関係・学校生活 587

(うち「いじめ」) (251)

学業進路 35

家庭 110

その他 273

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れており、子どもたちが相談したい時に気軽に相談できる新たな相談窓口になっている

と考えられます。

最も多かった相談内容は友人関係・学校生活で、友だち関係の修復、部活と勉強の両立

など、生徒の日常生活にある相談が寄せられました。いじめに関する相談は全相談件数の

約3割でした。

4 教職員研修の概要

登校を渋る、学校に来られない、授業を妨害する、教室を飛び出す、キレて暴れたりす

るなど、子どもたちの心の問題は、ますます複雑化・多様化しています。

こうした子どもたちの心の理解と対応について、教職員が心理臨床的な視点から子ども

の心を理解し、子どもとの日々のかかわりのなかで適切な対応がとれるよう、また、学校

の教育相談体制を支援するため、下記のような教育相談研修を実施しました。

教育相談ベーシック研修(年8回) 「子どもの発達と心の理解 ~事例をとおして~」

講師:放送大学教授(臨床心理士)大山泰宏 先生

「教育相談のエッセンス ~事例をとおして~」

講師:京都大学大学院教授(臨床心理士) 桑原知子 先生

「思春期臨床を考える ~事例をとおして~」

講師:島根大学教授(臨床心理士)岩宮恵子 先生

「学校で活かす心理臨床の知恵~事例をとおして~」

講師:奈良女子大学大学院教授(臨床心理士) 伊藤美奈子 先生

「教育相談の基礎 1」、「教育相談の基礎 2」、

「描画表現の体験をとおした子どもの心の理解」、「子どもたちの人間関係の理解」

講師:臨床心理相談専門員、教育相談班研修主事

ケース・カンファレンス(年3回) スーパーバイザー:京都大学名誉教授(臨床心理士) 藤原勝紀 先生

教育相談担当教員研修(5日間講座)

「教育相談担当教員の役割や子どもの見立て、事例の書き方などを学ぶ」

講師:臨床心理相談専門員、教育相談班研修主事

「医療との連携について学ぶ・事例検討①」

講師:三重県立子ども心身発達医療センター発達総合支援部

医療連携課 課長 髙橋悟 さん

「福祉との連携について学ぶ・事例検討②」

講師:県教育委員会事務局 生徒指導課

スクールソーシャルワーカー 藤澤香津子 さん

※第4日・第5日は教育相談ベーシック研修の中から2つを選択して受講

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教育相談地域支援研修

①教育支援センター担当者研修(年5回)

講師:臨床心理相談専門員

②地域連携講座(年3回)

講師:臨床心理相談専門員

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Ⅱ 調査研究

グループイメージデザイン法による子ども理解~事例の考察を通して~

臨床心理相談専門員 土井奈緒美 松本拓磨 樹下勝弥 要約

今年度、私たち研究グループは、グループイメージデザイン法を先生方と私たちファシリ

テーターと共に行ってきました。この論文では、グループイメージデザイン法を行うことが

教師の本来もつ能力の向上にいかなる有用性をもつのかについて事例を通して考察しまし

た。そのなかでグループイメージデザイン法を行うことが個々の教師の子ども理解につな

がるとともに、参加者全員でグループイメージを共有することで教師同士の情緒的な関係

が深まり、子どもたちを教師全体で見守る動きが生じる可能性が感じられました。

問題・目的

「どうやったらクラスの仲間づくりが進むだろうか」「気になる子どもへの対応が分から

ない」…そういった子どもたちの人間関係に心を悩ませている教師は多くおられるだろう。

そういった教師の相談に乗りつつ、教育相談資質の向上に役立つ方法はないだろうか…。そ

の発想を原点に、当研究グループが開発および研究を行ってきた方法がグループイメージ

デザイン法(平成 30 年度、グループイメージ構成法より改称)である。 教育現場においては、心理臨床の分野における一対一の関係には収まらない様々な人間

関係が存在している(子どもと子ども、子どもと教師、教師と教師、学校と病院や福祉など

の他機関など)。当研究グループはそういった多様な人間関係について身振り手振りを交え

ながら語る教師と少なからずお会いしてきた。そういった経験から、教師は多様な人間関係

を内的なイメージによってとらえているのではないかと考えた。そこで、教師のもつ内的な

人間関係イメージを視覚的に表現することが教師への臨床心理的援助につながるのではな

いかという発想から開発された方法がグループイメージデザイン法である。具体的には、台

紙の上に子どもたちをめぐる多様な人間関係についての内的なイメージ(以下、グループイ

メージと呼ぶ)を磁石などの円形目印(以下、キャラクターマーカーと呼ぶ)を用いて視覚

的に表現してもらう方法である。教師が語り手、我々臨床心理相談専門員が聴き手となるこ

とで教師にグループイメージデザイン法に協力していただいた。これまで研究を続けるな

かでグループイメージを視覚的にグループイメージ図として表現してもらうことで、グ

ループイメージを臨床心理相談専門員と共有できる(高山ら, 2010)ことや、共有されたグ

ループイメージ図をもとに人間関係について語ることが新たな気づきにつながること(西

澤ら, 2011)が分かってきた。さらに、特定の「気になる子」をめぐる人間関係に絞って表

現してもらうことで、時系列に沿ったダイナミックな語りが生じてきた(西澤ら, 2014)。グループイメージについてのダイナミックな語りは、語り手が自らのなかでグループイ

メージをとらえなおし、今後の関わりに活きるのみならず、聴き手においても教育相談的な

関わりを学ぶ上で大きな示唆を与える可能性がみえてきた(松本ら, 2015)。それは事例検

討にも似通うところがあり、教師の教育相談資質の向上にもつながるのではないのかと思

われる。そこでグループイメージデザイン法を数人の教師集団で行い、複数の聴き手により

グループイメージから生まれるダイナミックな語りを共有するという方向性での研究を

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行ったところ、グループイメージを共有することへの難しさがみられるという課題が残っ

た(西澤ら, 2016)。そこで複数の聴き手の中に臨床心理相談専門員がファシリテーターと

して入り、グループイメージデザイン法を行った結果、グループイメージデザイン法が媒介

となり、教師自身が本来持っている能力の活性化が生じている可能性が示唆された(西澤ら, 2017)。それでは、グループイメージデザイン法はどのように媒介となり教師自身の本来持

つ能力が活性化されるのだろうか。 グループイメージデザイン法は、元来、教師のもつ内的なグループイメージを視覚的に表

現するために開発された方法である。そこでは、いかなるグループイメージ図が構成される

かというところに焦点を絞っていたのでこれまで「グループイメージ構成法」という名称を

用いてきた。現在は参加者全員でグループイメージ図をデザインしていくプロセスそのも

のが重要になってくるとの考えから、本年度より「グループイメージ構成法」から「グルー

プイメージデザイン法」に改称した。 本研究においては、グループイメージデザイン法を複数の教師及びファシリテーターと

共に行うことが、教師の本来もつ能力の向上にいかなる有用性をもつのかについて事例を

通して考察することを目的とする。とりわけ、グループイメージデザイン法を行うことで語

り手が自らのなかのグループイメージをいかにとらえなおすのか、そして、参加者全員でグ

ループイメージを共有することがいかなる動きを生じるのかという二点について検討した

い。 方法

【グループイメージデザイン法の手続き】 1.事前準備

① 参加者の中から語り手を一人選んでもらった。 ② 語り手に、気になる子を一人思い浮かべてもらった。(以下、その子どもをαと呼ぶ) ③ αについて簡単な情報をフェイスシート(資料 1)に記入してもらった。

2. グループイメージデザイン法 ① フェイスシートを用いて、αについての簡単な情報を全員で共有した。 ② 語り手にキャラクターマーカーを用いて台紙の上にαを置いてもらった。 ③ キャラクターマーカーを自由に動かしたり台紙に書き込んだりしながら、αをめぐるグループ

イメージを表現しながら語ってもらった。 ④ 参加者から語り手に質問をしてもらいながら、ディスカッションにより理解を深めていった。

3. 振り返り ① ディスカッション終了後、グループイメージデザイン法を行った感想を自由に語ってもらいつ

つ、その場を閉じた。 事例とその概要

【グループイメージデザイン法の参加者】 X 小学校3年の担任をしている教師3名(ここでは P 先生、Q 先生、R 先生とする)。語

り手は P 先生だった。P 先生は X 小学校に今年度赴任された。Q 先生は昨年度もこの学年

を担任されていた。R 先生は若手教員であった。そこに臨床心理相談専門員がファシリテー

ターとして1名入った。 【気になる子】P 先生が担任しているクラスの男児 A、小学3年生、 【気になるところ】表情が分からない。いつも不満げな表情をしている。特定の誰かにではなく、誰

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に対しても悪口を執拗に言ってしまう。 【倫理的配慮】 グループイメージデザイン法の参加者に本研究の趣旨及び内容を伝えた。また参加者及び事例

に登場する子どもたちのプライバシーが保護されることを伝え、研究の協力を得た。なお、ここで紹

介する事例はプライバシーへの配慮のため、内的な真実はそのまま残るよう努めたが、事実に関し

ては変更を加えている。ここで掲載するグループイメージ図はプライバシーへの配慮のため、再現

したものを表示する。 【グループイメージデザイン法の様子】 P 先生が「男児 A がしつこく隣の席の女児 B に悪口を言って

いたところ、B が泣き出してしまった」というエピソードを語

られたものの、それ以上話題が広がらず、ファシリテーターと

しては行き詰まった感じがあった(図 1)。そして、P 先生が「Aは常にぼーっとしていて喜怒哀楽がないように感じる」と述べ、

R 先生も「確かにぼーっとしている」と A の様子を語ったとこ

ろ、Q 先生は「喜怒哀楽の中の“怒“だけ感じる」と述べ、グ

ループイメージ図に“怒”の文字が書き足されたものの、P 先生

はそれほど腑に落ちていないようだった(図 2)。そんな中、P先生が「意欲がないところが A と同じ感じの男児 C がいて。仲

もよいけれど、お互い頑固なため喧嘩になることも。喧嘩にな

ると C は理屈が言えるけど、A は言われれば言われるほど黙る

感じ」と語った(図 3)。Q 先生が「A も C も二人とも話すうち

に折れるっていうのがないなぁ」と感想を述べた。そこで、ファ

シリテーターが<A は言い返せないところがある?>と尋ねた

ところ、P 先生は「言葉で出すタイプじゃないから思うことは

伝えられないと思う」と述べた。さらにファシリテーターが<

言い返せないもやもやを他の子にぶつけてるところはある?>

と尋ねると Q 先生が「一緒にいる子を楽しくさせない雰囲気は

作るなぁ」、P 先生が「ぶつける相手はいつも隣の席の子で特定

の誰というのはない」と述べられ、ファシリテーターが、P 先

生のキャラクターマーカーを置くように促した(図 4)。そんな

中、Q 先生が「かるた大会のときに A が不機嫌そうに黙ってて、

周りの子が声をかけても A はにらむだけ。考えてみると、でき

ないことを心の中では気にしているのかも。できないからつま

らないって素直に言えると楽になるのかも…」と述べたところ、

P 先生が「そうか!それでしんどいのかも!」と腑に落ちた感

じであった。P 先生が「A が心を許せる友だちって誰なのか

なぁ」と思いをはせるなか、P 先生は「思い出した!A には大

好きな女児 D がいるんです! D も A のことが好き。このこと

をなぜかすっかり忘れていました。このことは言おうと思ってたのに」と忘れていたことを

不思議そうに語った(図 5)。それを受け Q 先生が「A にも人間味があるんやな」としみじ

みと述べた。 方法 3.の振り返りにおいて、P 先生が「自分が見えていないときの子どもの様子を話して

もらうと、知らなかったと思うと同時に、つながっている気がするというか、私も実はそう

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思ってますっていうことがあって、良い気づきになりました」と語り、その場が閉じられた。 考察 1

この事例は、いつも不満げな表情をし、誰に対しても悪口を言ってしまう A について考

えたグループイメージデザイン法である。P 先生がいかに A をめぐるグループイメージに

ついての理解を深めていったのかについて考察したい。 まず、グループイメージデザイン法は P 先生が A の直近のトラブルを語り始めるところ

から始まる。A が隣の席の B にしつこく悪口を言っていたというエピソードからは A は他

児との関係において悪口という不快な方法をとらざるをえなかったことがうかがえる。そ

して、それ以上話題が広がらず行き詰まった感じがあったのも、P 先生がそのような A と

どのように関係を結べばよいのか困惑していたためと思われる。P 先生は A の不満げな表

情は感じ取っていたものの「A には喜怒哀楽がないように感じる」と述べていたことから

も、A の情緒を受け取りづらい状況にあったことが分かる。そして、P 先生は意欲がないよ

うにみえるところが A と同じ感じがする男児 C について語った。それにより、喧嘩の際に

言われれば言われるほど黙ってしまう A のあり方が C と対比する形で浮かび上がり、それ

がグループイメージ図(図 3)にも表現された。それを受け、Q 先生も「二人とも話すうち

に折れるっていうのがないなぁ」と述べており、A は喧嘩になると自ら折れることはない

が、黙ってしまうことが分かった。 そこでファシリテーターが A について<言い返せないところはある?>と介入したとこ

ろ、A は喧嘩のときのみならず、日常的に言葉で思うことを伝えることが難しいという P 先

生からみた A の理解が話された。そしてファシリテーターの促しによるものではあるもの

の、グループイメージ図には P 先生を表すキャラクターマーカーが置かれた(図 4)。喜怒

哀楽がないように感じていた A が、本当は感情がないわけではなく、思っていることを伝

えることが難しいということに思い至り、P 先生が A の言葉にならないメッセージを受け

止め始めたようだった。 それを受け、Q 先生がかるた大会のエピソードを話し出した。そのなかで Q 先生が、Aは本当はできないことを心の中では気にしているのかもしれないことや、できないからつ

まらないという感情を素直に伝えることが難しい可能性を語った。それが P 先生の情緒的

な部分に働きかけ、「そうか!それでしんどいのかも」と A のしんどさが P 先生の腑に落ち

たようであった。つまり、P 先生の心の中に A は自分ができないことを気にしているもの

の、それを言葉に表現することができずに怒りによる悪口という表現で他児とトラブルを

起こしてしまうという理解が生まれた。その理解は、図 4 からみえてきた A は言葉で思う

ことを伝えることが難しいという P 先生の思いと、A は上手にできないことを気にしてい

るのかもしれないという Q 先生の思いが相互作用し、生まれ出た理解であった。 A への理解が生まれたところで、P 先生は「A が心を許せる友だちって誰なのかなぁ」と

A が怒り以外の感情を表現できる友人について思いをはせており、このことからは P 先生

の情緒的な部分が活性化されてきたことがうかがえる。それにより A が大好きな女児 D の

登場につながった(図 5)。図 5 には、これまで他児と関係を結ぶことが難しいと思われて

きた A が実は情緒的な関係を結んでいる他児が存在していたという新たなグループイメー

ジが表現された。そして、P 先生は「このことをなぜかすっかり忘れていました。このこと

は言おうと思っていたのに」と述べた。このことからはグループイメージデザイン法により、

P 先生の中の情緒的な部分が活性化され、本来知っていたはずだが見えていなかった A の

人間らしさに触れることにつながったことが分かる。

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この事例の経過からは、P 先生が A をめぐるグループイメージを思い起こし、それを視

覚化することで、グループイメージ図に留まり考えることができたことが分かる。そしてグ

ループイメージ図から感じた A の理解を伝え合いグループイメージを共有していくなかで

P 先生の情緒的な部分が活性化され、A と他児との情緒的なつながりがグループイメージ図

にあらわれたと考えられる。 また、グループイメージデザイン法を行うなかで P 先生の思いと Q 先生の思いの相互作

用から A についての新たな理解が生まれたことからは、グループイメージデザイン法を行

うなかで参加者のグループイメージの変容が重要であったことが分かる。そこで、グループ

イメージデザイン法を行った際に参加者のグループイメージにいかなる変容が起きるのか

について考察したい。 考察 2

考察1において、A についての理解が深まるにあたりグループイメージデザイン法の参

加者のグループイメージの変容が重要な役割を果たしていたことを述べた。そこで、ファシ

リテーターを行った筆者の中にある参加者に関してのグループイメージをグループイメー

ジ図として視覚化し、グループイメージデザイン法を行うことでいかなる心の動きが生じ

たかについて考察する。 まず、上記のようにグループイメージデザイン法の始まりの時点では P 先生は A とどの

ように関係を結べばよいのか困惑していたことがうかがえる。そこでは P 先生と A との間

には内的な距離があったと思われる。そして、P 先生と R 先生は A には喜怒哀楽がないよ

うに思われると述べていたのに対し、Q 先生は怒りの感情のみ感じると述べており、教師に

よって A の捉え方が異なっていたことが分かる。その時点での参加者のグループイメージ

を視覚化したものが図 6 である。図 2 と図 6 を比べてみたところ

図 2 からは A は怒りという形でしか他者とつながることが難し

いこと、図 6 からは先生方と A との間に内的な距離が生じてい

ると共に先生方それぞれにも内的な距離があり、事例の中でもグ

ループイメージデザイン法を行った場においても、それぞれの登

場人物間に内的な距離が生じていたことが図に表された。 そして、P 先生が C との対比で A について語ると、Q 先生も「二人とも話すうちに折れ

るっていうのがないなぁ」と述べ、教師間で話し合いが活性化されると共に教師間で感じ方

を共有する動きが生じ始める。それを受け、P 先生は A には本当に感情がないわけではな

く、思っていることを伝えることが難しいという理解を深めていった。そこで、Q 先生がか

るた大会のエピソードを語った。そのエピソードは P 先生や R 先生とはこれまで共有され

ていなかったエピソードであり教師間で知らない情報を共有することができたといえよう。

そして P 先生の思いと Q 先生の思いの相互作用が生じ、A は自分ができないことを気にし

ているもののそれを言葉に表現できずに怒りによる悪口で表現してしまうため他児とトラ

ブルを起こしてしまうという理解につながった。その時点での先生方のグループイメージ

を視覚化したものが図 7 である。図 7 は、それぞれの先生と Aとの内的な距離が縮まるとともに、先生方の間でもつながりが

生じてきていることを表している。図 4 と図 7 を比べてみたと

ころ、図 4 からは特定の友人とのつながりがないように思われ

ていた A に C とのつながりが生じていること、図 7 からは A と

P 先生との間、そして先生方の間につながりが生じてきたこと

図6 グループイメージデザイン法の様子を表したグループイメージ図

A

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がうかがえる。ここでもまた、事例の中でもグループイメージデザイン法を行った場におい

てもそれぞれの登場人物間の内的な距離が縮まり関係が深まっていったことが分かる。 P 先生の心の中の情緒的な部分が活性化され、P 先生は A が大

好きな女児 D のことを思い起こした。Q 先生の「A にも人間味が

あるんやな」という発言からは Q 先生の中においても A に対する

情緒的な理解が深まったことが分かる。P 先生は振り返りにおい

て「自分が見えていないときの子どもの様子を話してもらうと、

知らなかったと思うと同時に、つながっている気がするという

か、私も実はそう思ってますっていうことがあって、良い気づきになりました」と述べた。

ここでいう「つながっている」とは単なる情報共有にとどまらず、参加者同士の思いが相互

作用し新たな理解を生み出したという心の情緒的な面でのつながりを指していると考えら

れる。グループイメージデザイン法終了時の先生方のグループイメージ図を視覚化したも

のが図 8 である。図 8 は、A とそれぞれの先生とのつながり及び先生方同士のつながりが

生じたことを表している。図 5 と図 8 を比較すると、図 5 にはクラスの中で他児とのつな

がりが見えてきたこと、図 8 には教師同士のつながりにより学年全体で A を見守る関係性

が生じてきたことが表された。 この事例においては、A が他児と情緒的につながることが難しいと思われていたものの、

実は他児とのつながりが生じていたことがグループイメージ図にあらわれた。そういった

グループイメージデザイン法のプロセスのなかで、先生同士のつながりが生まれ、学年全体

で子どもたちを見守る関係が生じていったことが分かった。つまり、事例の中での情緒的な

つながりが生じていく様子がグループイメージデザイン法の場においても再現されたとい

えよう。 まとめ

本研究においては、グループイメージデザイン法を複数の教師及びファシリテーターと

共に行うことが、教育相談資質の向上にいかなる有用性をもつのかについて事例を通して

考察した。 その結果、グループイメージを視覚化することで、参加者全員でグループイメージ図に留

まり、考え、グループイメージを共有していくなかで情緒的な部分が活性化され、子どもへ

の新たな理解につながることが分かった。さらに、グループイメージデザイン法を行うこと

が個々の教師の子ども理解につながるとともに、参加者全員でグループイメージを共有す

ることで教師同士の情緒的な関係が深まり、子どもたちを教師全体で見守る動きが生まれ

る可能性が考えられた。グループイメージデザイン法の事例の中で表現されたグループイ

メージ図のみならず、グループイメージデザイン法を行った場のグループイメージについ

ても同時に考えることが子どもたちの理解につながると考えられる。 文献

高山敬子、広木芽枝、西澤伸太郎(2010):教室内の人間関係に関する教師へのインタビュー 法

の開発、平成 21 年度教育相談年報『道程』、56-76、三重県教育委員会事務局研修企 画・支援室教育相談グループ

西澤伸太郎、高山敬子、久保田美法(2011):教室における「グループイメージ構成法」の再検討

―方法論の見直しと事例の検討―、平成 22 年度教育相談年報『道程』、39-60、 三重県

教育委員会事務局研修企画・支援室教育相談グループ

A

図8 グループイメージデザイン法の様子を表したグループイメージ図

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西澤伸太郎、高山敬子、松本拓磨(2014):「グループイメージ構成法」の開発的研究・3 ~ 個人

の人間関係に焦点を当てて~、平成 25 年度教育相談年報『道程』、8-14、三重県 教育

委員会事務局研修企画・支援課教育相談班 松本拓磨、高山敬子、西澤伸太郎、(2015):「グループイメージ構成法」の開発的研究・4~教育

相談機能を活性化させる方法としての側面を考える~、平成26年度教育相談年報『道程』、

6-15、三重県教育委員会事務局研修企画・支援課教育相談班。 西澤伸太郎、松本拓磨、土井奈緒美(2016):「グループイメージ構成法」の開発的研究・ 5 ~グ

ループワークとして用いる試み~、平成 27 年度教育相談年報『道程』、9-14、 三重県教

育委員会事務局研修企画・支援課教育相談班 西澤伸太郎、松本拓磨、土井奈緒美(2017):「グループイメージ構成法」の開発的研究・ 6 ~学

校現場でのグループ研修法としての活用に向けて~、平成 28 年度教育相談年報『道程』、

6-11、三重県教育委員会事務局研修企画・支援課教育相談班

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資料1

フェイスシート

気になる子どもについて 性別: 男 ・ 女 当時の学年: 幼 ・ 保 ・ 小 ・ 中 ・ 高 ( )年生 気になる(なった)ところ:

家族(分かる範囲でかまいません)(○をつけてください) 父 ・ 母 ・ 兄 ( )人 ・ 姉 ( )人 ・ 弟 ( )人 ・ 妹 ( )人 ・ 祖父 ・ 祖母 その他( )

心の準備 気になる子どもと関わりのある子どもや大人を思い起こしてみましょう。

(気になる子どもとよく遊んでいる子どもや、よくトラブルを起こしている子ども、その子どもによく対応している大人など)

気になる子どもと、他の子どもたちや大人たちとの人間関係を頭の中で思いえがいてみましょう。

グループイメージデザイン法では、キャラクターマーカーを用いてその人間関係を実際に図にしていただき、考えを深めていきます。

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「教育相談についての普段づかいのワークシート」における集団での学び

臨床心理相談専門員 粟飯原拓也 松波美里 加藤のぞみ

要約 「教育相談についての普段づかいのワークシート」(以下ワークシート)

1の持つ、集団コ

ンサルテーション作用について検討しました。グループワークの場面で受講生は、同質性

と異質性などの集団の体験をして、これまでの反省からこの先の準備へ、心境の変化を学

びとして得ました。今後、グループ構成の配慮やワークの進行の構造化が、ワークシート

の活用として浮かびます。 1.問題 日々忙しい学校の中で、教師はいかに教育相談的な姿勢について学びを得ていくのであ

ろうか。このような命題について、教師が子どもたちと関わる日常の中にヒントを得ようと、

西嶋ら(2012)から「教育相談についての普段使いのワークシート」の開発がすすめられ、

その改訂を重ねてきた。教育相談的な学びが生じることについて西嶋ら(2012)は、日々子

どもたちと関わる自分自身やそのかかわりの内容について「自己吟味によって気づきを得

て手がかりを創出していく」という“セルフコンサルテーション”という機能を見出した。

これについては、ワークシートに関する研修のアンケートをKJ法を用いて分析した粟飯

原ら(2013)でも、「振り返りを通して新しい気づきを得ていくことができること」が示唆

され、セルフコンサルテーション機能としての側面が実際に生じると考えられる。ただこれ

らは、あくまで教師が一人で振り返るための、個人的な使い道を前提としている。 一方で、小橋ら(2014)からは、ワークシートの集団での活用の可能性が示唆されてき

た。また、近年の学習指導要領の改訂など子どもたちにとっても集団での学び合いは重視さ

れてきている。“学びの共同体”を提唱する佐藤(2018)は、「協同的学び」において「聴き

合う関係」を重視している。聴き合うことによって学び合いが生じることは、教師の学び合

いでも生じると想定される。そこで、粟飯原ら(2018)では、集団利用に向けた改訂のとり

くみとして、研修会で話し合いに取り組むことによる研修効果について検討した。ここでは、

普段のかかわりを振り返るという共通の体験をした教師同士が、その体験に基づいて議論

することでそれぞれに気づきを得る学びの場が展開されたとし、それを“集団セルフコンサ

ルテーション”とした。しかし、集団で活用することによって、教育相談について学ぶため

の“場”が機能することが示唆されたものの、その“場”がどのように機能するかについて

は詳しく検討されていない。 そこで、本稿では、ワークシートを用いた研修場面において、個人ワークから集団での話

し合い(グループワーク)にかけて、どのような学びが生じるかについて検討する。 2.目的 ワークシートの集団活用においてどのような学びが生じるのかについて質的に分析し、

その研修効果について検討する。 1

「教育相談についての普段づかいのワークシート」については、三重県総合教育センターWeb ページに

掲載しています。<URL; http://www.mpec.jp/?page_id=135>

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3.方法 3-1.実施方法 2018 年 8 月に開かれたP市の教育相談に関する研究部会において、ワークシートを用い

た個人ワークとグループワークを実施し、アンケートを実施した。調査協力者である研修の

受講生はP市教育相談部会に所属する小中学校教諭・養護教諭など 17 名(男性 4 名、女性

13 名、職歴 5~35 年)であった。ワークシートについての講義の後、受講生を 4 グループ

に分けて、ワークシートの個人ワークを実施した(約 25 分)。その後、“ワークシートから

考えたこと、感じたことについて話をしてください”という教示のもとでグループワークを

実施した2(約 25 分)。その研修効果について調査するために、個人に対して、実施過程に

おいて考えたことについて自由記述を求めるアンケートを実施し、その場で回収を行った。 3-2.材料 3-2-1.「教育相談についての普段づかいのワークシート」 粟飯原ら(2018)において作成されたものを使用した。ワークシートは、1.教師の姿勢

のチェックリストと、2.「気になる子ども」の記述シートの 2 部で構成される。1.教師

の姿勢のチェックリストは、日々の実践における自身の姿勢ついて教育相談という観点か

ら振り返るためのチェックリストであり、12 項目について“はい”と“いいえ”の 2 択で

回答するものである。2.「気になる子ども」の記述シートは特定の「気になる子ども」に

ついて、項目に沿って知っていることを記入するシートである。 3-2-2.アンケート 研修の中で考えたことについて自由記述を求めた。項目は研修の各段階で個々人にどの

ようなこころの動きがあったかを調べるために、“①.ワークシートを記入している時に、

どのようなことを考えましたか?1.「教師自身のチェックリスト」を書いている時 2.

「『気になる子ども』の記述シート」を書いている時”“②.話し合いをしている時に、どの

ようなことを考えましたか?”“③.話し合いの後に、どのようなことを考えましたか?”

という項目を設定した。さらに、ワークシートの集団活用方法の改善を検討するために“④.

集団での話し合いを通して気づきを得ていくためのヒントがあれば教えてください。(例:

話し合いの進め方、テーマ、グループ構成、等)”、“⑤.その他、ワーク全体についてご感

想やご意見があれば、お書きください。”という項目を加えた 5 項目から構成された。 4.結果 アンケートの結果全受講生 17 名から回答が得られた。そのうち 3 名のアンケートには無

記入の質問項目があったものの、今回は質問項目に関係なく記述を分割したため、すべての

記述を有効とみなした。 記述内容は複数の意味が含まれている場合は可能な限り短い単位で分割し一つの切片と

した。結果、189 個の切片が得られ、それらの切片を KJ 法によって分類し、第 1 階層から

第 4 階層のまとまりが得られた(表1)。以下、第 4 階層は≪≫、第 3 階層は〖〗、第 2 階

層は【】、第 1 階層は〔〕で見出しを示し、図解した結果を図 1 に示した。なお、図は切片

ではなく第 1 階層のグループから示したものである。 第 4 階層の大きな 2 つのまとまりが得られたところで、アンケートに回答された内容の

全体がおおむね把握できたと判断し、《学びあいの手だて》と《準備する成果》にそって文

2

グループワークの様子を見るために、4グループ中 3グループに筆者らが参加した。受講生には、筆者

らは見守り手であり、話し合いは受講生で進めてもらう旨を伝えた。

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章化に進んだ。

4-1.KJ 法による文章化

(1)学び合いの手だて ワークシートを用いた研修は、受講生に〔整理〕や〔スッキリ〕など【気持ちの整理】を

もたらした。普段の学校生活を振り返ることは一方で、〔はじめて〕で〔にがて〕な、【敬遠】

したい気持ちを引き起こすものでもあった。

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その中でグループワークは、一緒にワークに取り組んだメンバーとの間に〔気をつかわな

い〕〔同じだ(ほっとする)〕などの【共通点】と、〔共感体験〕や〔共感の姿勢〕〔聞いても

らえた〕などの【受け取る態度】を感じさせた。集団が体験させたこれらの〖同質性〗は、

通じ合える人間関係であり、受講生が日常について振り返る支えとなった。一方では〔違い

を知る〕や〔立場の違う人と話す〕などの【新規性】も、集団は受講生に感じさせた。そこ

から〔自分の経験〕が浮かびあがったり、または〔アドバイス〕をもらうといった【異なる

視点】の存在との出会いも生じさせた。これら〖異質性〗の体験は、普段の自分の考え方と

は異なったものによる学びを推し進めた。 そうしたグループワークは、より実りのあるものとなるために、〔グループのすすめ方〕

や、構成人数が〔4 人〕であること、また〔時間の長さ〕に関してなどの【グループ構成】

に関する提案を、受講生に思い浮かばせた。さらにチェックリストでの〔二択の難しさ〕や、

〔調査者に向けて〕の謝辞などの【意見・感想】も抱かせた。こうした《学び合いの手だて》

は、ワークシートが与えた学びの仕組みで、受講生は感情を動かしながら気づきを得ていっ

た。 (2)準備する成果 受講生は、ワークシートの研修で〔子どものようすが浮かぶ〕体験をした。〔気になる子〕

の様子が浮かんだり、〔その子の気持ち〕が想像されたりと、【子どもの振り返り】をした。

また〔自分自身〕の普段の学校生活や、〔自分の時間〕が持てているかなどの【自分の振り

返り】、自身と子どもの関係性に関する〔かかわりの振り返り〕もした。 そうした振り返りの中で、受講生は〔反省〕や〔無力感〕を感じた。子どもを充分に〔見

れてない〕のではないか、〔問題ばかり〕見ているのではないか、と考えた。これまでの学

校生活での子どもへの対応は、充分に機能する良い結果を及ぼすものでは無い、と受講生は

【反省】して自らを責めた。しかし受講生は、過去に向かうだけではない、〖準備〗という

未来に向く視野の広がりも、ワークシートの研修から得た。学校で〔職員間の共有〕を充実

させていくことを考えたり、〔保健室運営〕など自らの位置づけを思いえがくなどの【組織

としての動き】の重要性を、2 学期以降の学校生活にかかわり意識した。また〔子どもとか

かわる時間をつくる〕こと、〔子どもを知る〕ように心がけることなどの【子どもに関心を

もつ】ことも意識した。また時に〔立ち止まる〕ことや、子どもや同僚と〔雑談〕するなど

の【余裕をつくる】大切さを意識した。受講生はワークシートの研修から、《準備する成果》

という学びを得て、自らの無力さを後悔しつつも、一人では無く仲間とともに困難に取り組

む、学校の資源を再確認した。 4-2.グループワークの作用 最後にグループワークの作用に着目したい。グループワークの性質として現れた〖同質

性〗と〖異質性〗は【気持ちの整理】の支えに繋がっていた。加えて、ワークシートの記述

だけ行う個人のワークでは【反省】に留まってしまうところを今後の準備に繋げる作用が

あったと感じられた。よって、それらの関係を図 1 に矢印で表した。その背景には、調査者

が実際にグループワークに参加した際、その場の雰囲気や各受講生の聴き方、受け取り方が

受講生の語りを促し、支えになっていると感じられた体験があった。また、単純に比較はで

きないものの、グループワークを行わなかった粟飯原(2012)では、反省は見られたもの

の、準備に向かうこころの動きは現れなかった。 さらに、KJ 法で得られた階層内の切片について、アンケートのどの質問の回答が集まっ

ているかを確認した。【反省】に含まれる切片は 25 の内 19 片が①-1、①-2 の回答であり、

〖準備〗は 38片の内 28片が②~⑤の回答であった。統計的な根拠があるわけではないが、

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【反省】は個人ワーク時の回答が多く、〖準備〗はグループワーク以降の回答が多いことが

わかった。 これらから、個人ワークでは【反省】に留まりやすいこころの動きが、グループワークで

の体験やグループの性質に支えられ〖準備〗に向かった可能性が考えられた。 5.考察 今回の研修で受講生は、これまでの反省から、この先の準備へ向かう心境の変化を学びと

して得た。「反省だけではなく、気づきを得るための振り返りにつなげて欲しい」(粟飯原ら,

2018)ワークシートは、後向きから前向きへ姿勢の変化を受講生にもたらして、この変化

が学校での日常にもつながったことが期待される。こうした研修体験は、そもそも場に学び

の土壌が存在していたことや、チェックリストにこの先を尋ねる欄が増設されていた以外

に、グループワークでの体験から生じたようである。準備として受講生に浮かんだのが、2

学期以降の組織的な動きや雑談する関係の必要性など、人間関係に関わる内容だった点に、

人間関係を用いた研修であるグループワークの影響を見出せる。例えば、この先の学校生活

で持ちたい人間関係として、実際にグループワークでの体験をあげた記述がアンケートに

はあったが、そこには集団の体験が個人の気づきを促進すると同時に、この先の目標のよう

なものになって気づく内容を方向づけた、集団セルフコンサルテーション(粟飯原ら,2018)の展開を想定できる。 そうした気づきを受講生にもたらした集団の体験として、同質性と異質性が存在した。同

質性は、構成員間の属性の共通性やワークでの個人の発信へ集団が示した受容的姿勢の体

験で、教育相談の部会という場によっても強まり、分かり合える一体感につながった。異質

性は、新規性や異なる視点など、自らのとは異なる日常との出会いで、学びにつながる視野

の広がりをひきおこした。これらの体験について、問題解決に向けた集団のやりとりに、構

成員間の等質性や異質性が及ぼす影響が社会心理学で指摘されていて、重点は個人の体験

ではなく作業のアウトプットにあるものの、今回の研修体験をとらえる参考にできる。異質

性は、集団に対人葛藤を引き起こしつつ、創造的なパフォーマンスをもたらす一方で、等質

性は、活発だが課題と無関係な話題を引き起こすという(山口,1997)。そうした異質性に

関して、構成員の発想の多様さが集団としての発想の多様さにつながる(三浦・飛田,2002)程度は、取り組む課題が構成員にとってなじみが少ない時に、より顕著だという(飛田,

2014)。 今回、同質性と異質性という集団の体験は、個人の学びを守りつつ推し進めていたと考え

られる。集団の体験が、個人の学びに及ぼした保護的作用と促進的作用は、記述シートの各

欄の働きに類比できる。記述シートの欄は書き込まれた内容を守りつつ、そこに情報を書き

込むよう受講生に強いて(粟飯原ら,2013)、二律背反的な性格を持つ。情報を書き込む、

欄が無言のうちに示す前提は、空白で残ると不全感を受講生にひきおこす。グループワーク

の体験は、一つは異質性という、自分のできていない取り組みとの出会いをもたらし、参考

になる以外の、焦りや孤立も受講生に抱かせたようである。ただしこうした出会いには、私

という存在を際立たせ、自他境界の形成を促進する学びの種としての面を見出せて、「私な

り」(小橋ら,2012)のかかわりを探るセルフコンサルテーションの目的との関連も考えられ

る。一方グループワークの自発的展開としては、話題提供者の反省で終わらないようなメン

バー間の配慮に調査者が同席し、同質性という構成員のバランス感覚が、個人のマイナスへ

の気持ちの落ち込みを回避させ、学びを守った場面のようにとらえられていた。例えば異質

性という出会いが、単なる傷つきに終わらず、受講生の学びとなってゆく時、そこに現れて

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きた私を孤立させない、仲間意識という同質性が作用するのではないか。そうした両面を

持った学びの体験が、受講生に、反省から準備へ、まなざしの方向転換をもたらしたと考え

られる。 6.今後に向けて 今回の調査からは、ワークシートでのグループワークについて、メンバー構成の工夫や進

め方の構造化などの改良が浮かぶ。エンカウンターグループのメンバー構成に、自然に任せ

る方法と、目的に沿った展開のために構成する方法があるという(村山,2014)。受講生の

経験年数は、集団の同質性・異質性として研修体験に影響する可能性を考えられる要因だが、

今回のような非指示的なグループワークはベテラン教師に、より十全に活用されやすかっ

たようである。一方で、手立ての改良の意識など、研修に対する能動的姿勢が若手教師に存

在したことがアンケートにうかがわれ、めあての設定なども含めた、教師がこころを動かし

遊ばせやすいセルフコンサルテーションの枠組み作りが求められる。 また教師が集団でおこなう学びのあり様は、調査の手法を検討しながら、引き続き考えて

ゆきたい。 付記 調査へ御協力頂きましたP市の研究部会の先生方に、御礼申し上げます。尚、調査結

果についてフィードバックを行った際の資料を次頁に添付します。 引用文献 粟飯原拓也・小橋正典・西嶋雅樹(2013).教育相談に関するワークシート作成の試み(2),

三重県教育委員会事務局研修企画・支援課教育相談班 平成 24 年度教育相談年報,42-61

粟飯原拓也・小橋正典・松波美里(2018).「教育相談についての普段づかいのワークシー

ト」の集団利用に向けた改訂のとりくみ,三重県教育委員会事務局研修企画・支援課教

育相談班 平成 29 年度教育相談年報,12-18 小橋正典・粟飯原拓也・西嶋雅樹(2014).教育相談に関するワークシートの web 公開に向

けて,三重県教育委員会事務局研修企画・支援課相談班 平成 25 年度教育相談年報,

15-18 佐藤学(2018).学びの共同体の挑戦―改革の現在―,小学館 西嶋雅樹・粟飯原拓也・小橋正典(2012).教育相談に関するワークシート作成の試み,三

重県教育委員会事務局研修企画・支援室教育相談グループ 平成 23年度教育相談年報,

55-67 山口裕幸(1997).メンバーの多様性が集団創造性に及ぼす影響,九州大学教育学部紀要(教

育心理学部門),42(1),9-19 三浦麻子・飛田操(2002).集団が創造的であるためには-集団創造性に対する成員のアイ

ディアの多様性と類似性の影響-,実験社会心理学研究,41(2),124-136 飛田操(2014).成員の間の等質性・異質性と集団による問題解決パフォーマンス:課題の

困難度の影響,人間発達文化学類論集,20,29-36 村山正治 編著(2014).「自分らしさ」を認める PCA グループ,大洋社

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平成30年度 「子どもLINE相談みえ」の実施結果

1.目的

子どもたちが安心して学校生活を送ることができるよう、SNSを活用した相談「子ど

もLINE相談みえ」を開設し、より相談しやすい環境を充実させるとともに子どもたち

のいじめをはじめとするさまざまな悩みの相談に対応する。 2.実施状況

(1)実施期間

平成30年5月14日(月)から平成31年3月31日(日)

(2)相談時間

平日の午後5時から午後9時まで

(3)対象生徒

三重県内の中学生、および高校生(およそ105、000人)

(4)使用SNS

無料通信アプリ「LINE」

(5)相談内容

いじめをはじめとするさまざまな悩みの相談や通報

(6)周知方法(周知カードおよび案内チラシを生徒に配付) <周知カード> <案内チラシ>

(表)

(裏) 3.結果概要

(1)友だち登録総数 1,490人 (2)有効友だち登録数 760人 (3)相談件数 1,005件 (4)1日あたりの平均相談件数 4.6件 (5)1件あたりの平均相談時間 1時間2分 (6)1日あたりの最大相談件数 19件 <5/30(木)、6/25(月)>

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- 23 -

●相談件数

・相談開始後は多くの相談が寄せられるが、相談件数は徐々に減少する傾向がある。 ・相談受付開始学年を順次拡大して実施した。継続学年の相談件数増が予想されたが、相談

件数はほぼ一定数で推移していた。 ・新たに相談対象となった学年の相談件数は、月曜日が多く、次第に減少していく傾向がみ

られた。 ・生徒に周知を行うと、相談件数・友だち登録数・有効友だち登録数が増加した。

0

5

10

15

20

5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23

相談受付開始時の相談件数の推移

継続学年 新対象学年

中1開始日 高1開始日 中2開始日 高2開始日 中3開始日

高3開始日

02004006008001000120014001600

0

5

10

15

20 人数

相談件数

日付

年間相談件数の推移相談数 友だち追加 有効友だち

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- 24 -

●男女比 ・校種を問わず、女子からの相談が多く寄せられた。 ・女子の相談の割合はどの校種でも80~90%であり、男子の相談の割合は、全体の 15%であった。

●学年別相談件数

中学

1年

中学

2年

中学

3年

中学

学年不明

高校

1年

高校

2年

高校

3年

高校

学年不明

不明

件数 181 135 60 70 150 152 40 52 165

・中学生は1年生、2年生の順に相談が多く寄せられた。高校生は1年生、2年生からほぼ

同数の相談が寄せられた。 ・中学生、高校生ともに3年生からの相談件数が少なかった。

0% 20% 40% 60% 80% 100%校種不明

高校生

中学生

全体

男女比

女子 男子 不明

050

100150200

中学1年 中学2年 中学3年 中学不明 高校1年 高校2年 高校3年 高校不明 不明

学年別相談件数

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- 25 -

●いじめに関する相談の件数と全相談件数に占める割合 5 月 6 月 7 月 8 月 9 月 10 月 11 月 12 月 1 月 2 月 3 月 合計

いじめ 50 73 35 14 26 12 10 4 4 15 8 251

全体 161 221 151 63 70 61 50 31 24 91 82 1005

% 31 33 23 22 37 20 20 13 17 16 10 25

・全相談件数に占めるいじめに関する相談件数の割合は25%であった。 ・いじめに関する相談が多く寄せられたのは、相談開始直後の5月と6月、および夏休み明

けの9月であった。 ●曜日ごとの相談件数と平均相談時間(学校開校日、夏季冬季休業期間)

月 火 水 木 金

相談件数 166 187 204 161 159

平均相談時間(分) 55 64 55 69 62

月 火 水 木 金

相談件数 22 24 31 22 29

平均相談時間(分) 76 54 79 78 63

・学校開校日・長期休暇日とも、相談件数が最も多かったのは、水曜日であった。長期休暇

日では、金曜日にも多くの相談が寄せられた。

0.0

50.0

100.0

05

101520253035

月 火 水 木 金

夏季冬季休業期間

平均相談時間

0.020.040.060.080.0

050

100150200250

月 火 水 木 金

学校開校日

平均相談時間

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- 26 -

●時刻別相談件数 <学校開校日> <夏季冬季休業期間>

・中学生の相談は、学校開校日では相談開始直後の17時台が最も多く、19時台に少な

かった。休業期間では18時台が最も多かった。

・高校生の相談は、学校開校日ではほぼ一定の件数であるが、休業期間では20時台が最も

多かった。

●内容別相談件数

0204060

中学生

048

1216

中学生

0204060

高校生

048

1216

高校生

020406080

100120140160180

中学生 高校生 不明

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- 27 -

中学生 12 164 0 28 10 14 96 26 5 13 1 0 4 73

高校生 6 91 1 32 7 14 88 53 10 52 4 0 1 35

不明 5 27 0 11 3 7 9 24 2 17 2 0 1 57

全体

23 282 1 71 20 35 193 103 17 82 7 0 6 165 ・相談内容別にみると、「友人関係」、「学校生活」、「家庭」、「恋愛問題」、「心身の健康」に

関する相談が多く寄せられている。 ・「友人関係」に関する相談は中学生が高校生の約2倍の相談件数となっている。一方、「家

庭」に関する相談や「心身の健康」に関する相談は、中学生より高校生の方が多い傾向が

あった。 4.考察

SNS相談には電話相談と比べ年間を通して多くの相談が寄せられている。これはSN

S相談が相談者にとっていつでも気軽に相談できる窓口として受けてとめられたのではな

いか。電話相談も例年同様の件数が寄せられていることから、相談者は相談したい時に相談

窓口を選択して相談することができたと言えそうである。SNS相談を選択する理由は、相

談内容を他人に聞かれず気兼ねなく相談できること、相談者のペースで相談できること、使

い慣れたLINEアプリで相談できることが考えられる。 寄せられた相談の約3割はいじめに関する内容であった。また思春期特有の悩みや性に

関する相談も寄せられている。SNS相談は日常の生活のなかで誰かに相談したくてもで

きない場合、あるいはちょっとだけ話してみたいといった場合に対しても、安心で相談しや

すい窓口となっていると考えられる。また、SNS相談の特徴として、いつでも読み返すこ

とができる記録型の相談であることがあげられる。相談員の受容や励まし、アドバイスを読

み返すことで、生徒はその後の思考や行動に生かすといった心の整理ができるのではない

だろうか。 半面、SNS相談は相談の主訴の確認に時間がかかるようであった。さらに、文字を中心

としたやりとりであり、相談者の言葉に込められた気持ちや複雑な感情を理解するために

は、SNS相談特有の相談スキルの向上が必要であるとも言われている。勇気を出して相談

に訪れた相談者の気持ちに応えるためにも、電話ではちょっと話しづらくてという思いに

応えるためにも、丁寧に応答を重ね、文字にならない思いを十分聞き取っていくことが今後

も求められ続けていくのだと思う。

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- 28 -

Ⅲ 論文

家族同席面接のあれこれ

臨床心理相談専門員 松本拓磨 はじめに

筆者がセンターに着任して、7年目が終わろうとしています。これまで繰り返し、心理療

法プロセスを支えるにはどうしたらいいか考えてきましたし、過去の年報でも一部書いて

きましたので内容としては重複するのですが、改めて長めに書いてみたいと思います。 「規矩作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな」とは千利休の言葉とされま

すが、相談業務についてもあてはまることかもしれません。さて、自分は2回目の臨床心理

士資格の更新を迎えて、守破離のどこにいるかと言えばまだまだ守だろうと思います。ただ、

家族同席面接(以下家族面接)については、自分の学んだ大学院での訓練はありませんでし

た。かといってそれが自分にとって破や離にあたるかといえばそうでもないと思ってきま

した。現在私が師事している人は個人面接を中心としたオリエンテーションですが、個人面

接に導入するまでの家族面接や、個人面接の折に触れて家族面接を行うことの重要性を説

く人です。そういったオリエンテーションでない人にとっては、破や離にあたることなのか

もしれないと、どこか人ごとのように考えていたのかもしれません。 実際に家族面接をしてみると、個人面接と違う形でクライエントの役に立っているので

はないかという感覚と、普段自分が行っている個人面接を違う視点から考えることができ

るところもあります。感覚、というのは不確かさを含む表現ですが、反論の余地のある提案

を行いたい私にとっては、ちょうどいい強さの言葉でもあります。

セラピストの万能感を緩和するもの

セラピストにとって家族面接をすることで重要と思われるのは、目の前で家族が当人に

どう関わっているかを見ることを通じて、セラピストが個人面接をしているとどうしても

陥りがちな、「自分がこの人を治している」「自分がこの人を治そうと思う」という思い上が

りに気づかせてくれることです。人によって、これは責任感や、困難な過程を引き受ける覚

悟だと言うかもしれません。確かに、万能感と責任感は区別すべきですが、ここではひとま

ず、私はこうした考えの万能的な側面を考えています。 こうした万能感については、専門家としての訓練の過程で客観化し、各セラピストが取り

組むことが求められますし、そうすることは専門家としての当然の姿勢と考えられていま

す。しかしながら、セラピスト本人の気づかない形でクライエントに悪影響を与えるという

のがこの万能感の恐ろしいところでもあります。それは一度退治したらもうやってこなく

なる怪物ではなく、セラピストがクライエントとの出会いをおそれるたびにセラピスト自

身を守ろうと生まれる憎めないやつであって、その結果セラピストはクライエントの姿が

見えなくなり、必要な心的接触が難しくなります。場合によっては、クライエント側は「こ

んなことをしても意味がない。」「期待するだけ無駄だった。」という思いに至るでしょう。

確かに、心的接触を避ける距離感をむしろ必要としている人もいますが、万能感がその調整

に役立つかといえばそうではないでしょう。万能感は互いの距離感を正しく測れなくさせ

るところがあり、むしろ距離感の混乱を引き起こすものです。 こうした万能感を客観化する作業は、いわゆるスーパーヴィジョンや心理治療をセラピ

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- 29 -

ストが受ける中でなされるものでもあるでしょうし、私たちがクライエントに出会う場面

そのものの中に、構造的に組み込む必要があるものでもあるでしょう。これは個人面接では

不可能だというわけではありませんが、より顕著な形で体験できる家族面接から個人面接

に輸入され、徐々になじんでいく類のものだろうと私は思います。 個人の主訴は、どこからやってくる?

さてここまでは、「クライエントの役に立つためにセラピストが必要な仕事をするための

技法」としての側面を指摘しましたが、ここからは問題点を整理しながら、どういった場合

に家族面接が個人面接に先立って重要になるか、見ていこうと思います。 伝統的なカウンセリングでは、個人が主訴を持っていることが前提とされています。つま

り、自分は○○で困っていて、それをなんとかしたいと思っているから相談にやってくる、

ということです。また、そうした困りごとを何らかの形で解決するためにカウンセリングを

しましょう、というのが契約になります。こうした契約が成立する際に、二つの考えるポイ

ントがあるように私は思います。一つ目は、果たしてその人の困りごとなのか、二つ目は自

分の困りごとを自覚しているのか、ということです。「個人が主訴を持っている」の「個人」

と「主訴を持っている」のそれぞれに対応した考えるポイントです。 二つ目の、自分の困りごとを自覚しているか、に関しては、家族面接も個別面接も、さほ

ど変わりがないように思います。というのは、どちらのやり方であっても対話をしていく中

で、ああ自分の困っているのはこれだったんだ、と整理されて自覚することが可能になるこ

とは珍しくないからです。そうして自覚された問題に対して、ではこういうカウンセリング

をしていきましょう、どう思われますか、というのは契約の提案として成り立つでしょう。

問題は、困りごとがあるとして、それは果たしてその人の困りごとなのか、という一つ目の

ポイントです。 はたしてクライエントの問題に由来する困りごとなのか、というのは難しい問いです。困

りごとというのはたいていの場合、相互的なもので、誰のせい、と明確にできないことが

多々あります。カウンセリングは伝統的に、困ることのできる人、言い換えれば、問題を無

視したりせずに引き受けることのできる人を対象に行われてきたものですから、その人の

せいで起こっている問題でなくても、その人が困っているのであれば、その人を足掛かりに

問題を解決していこうとするアプローチです。個別面接の成果の多くはこうした取組で挙

げられていると私は思います。 ただし、このやり方は周囲の問題をクライエントが引き受けることを容認する側面があ

り、クライエントのオーバーワークにつながる可能性もあります。そのプロセスを経てクラ

イエントが周囲から引き受けている問題をクライエント自身が改めて周囲に突き付け返し、

解決していくことは素晴らしいのですが、私としては非常に人を選ぶ方法でもあるという

のが実感としてあります。こうしたアプローチは個人として非常に強靭で成熟した人間像

を想定しています。クライエントによっては、持ちこたえられないこともありますし、自分

はそれを引き受けないと言う選択をする自由も当然あります。専門家としては、そのことを

仕方ないでは済ませられません。こうしたプロセスに持ちこたえるのが難しい人をどうす

れば心理的に支援することができるのかを、考える必要があります。また、クライエントが

周囲の問題を引き受けないことを決断できることは大変重要な相談の成果と私は思います

が、引き続きクライエントが周囲から悪影響を受けることが続いている場合、そのままでい

いのだろうかという疑問は残ります。これは特に、加害・被害関係についての相談でそうだ

と思います。

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- 30 -

アセスメントとしての家族面接

親子で来談した際に、多くの場合、子どもの問題として主訴が語られます。それは不登校

や非行といった社会的な場面で生じる問題であったり、原因不明の身体症状であったり、子

どもの発達上の遅れであったり様々です。まずはじめに、心理的なアプローチの適応ケース

かどうかが見立てられます。当然、心理的なアプローチが適応でないなら、他のアプローチ

が必要になります。ここでは、心理的なアプローチ(例えば、カウンセリングやプレイセラ

ピー)が適応と思われるケースとして、当人の感情表現が適切にできないために問題が生じ

てきている、と見立てられるケースを想定しています。ですが、心理的なアプローチが仮に

適応であったとしても、先ほど述べたように、それは問題を起こしている当人にアプローチ

するべきなのか、家族をはじめとした周囲に働きかけるべきなのか、その双方なのか、と

いった判断も必要です。 そしてこのアプローチする対象をどうするかというのは厳密には分けられないことでも

あります。例えば、子どもに心理療法を行うとして、心理療法が進んでいく過程で子どもが

以前より自分の感じていることを表現できるようになっていくことが一般的に生じますが、

子どもが以前より自分のことを表現してくるというのは、周囲の人にとって負担と受け止

められることも実際にはあります。赤ちゃん返りのような状態を通して、自分の感情表現を

身に着け直していくタイプの子どもの場合、身近な大人には文字通り赤ちゃんを育て直す

ような負担がかかることになります。しかも、体は成長していますから赤ちゃんよりはるか

に大きく、パワーもある場合がほとんどです。 昨今、通常の子育てにおいても、親子だけでやっていくことの難しさが指摘されています

が、こうした心理療法のプロセスを周囲が支えられそうか、アセスメントしなければならな

いことが分ります。ですから、問題を起こしている子どもにアプローチする場合でさえ、家

族を支え、その家族をまた支える学校を始めとした地域の資源とのつながりの状態を見立

て、不足があればそこを構築していく必要性が見えてきます。そうした取り組みの中で、子

どもを取り巻く社会の課題という壁にぶつかることもあります。ですから子ども個人の心

理療法は非常に社会的なものを考えなければやっていくことができないことがわかります。 私はこのアセスメントの段階で、家族面接を行うことが、ケースを柔軟に支える上で必要

になると考えています。伝統的には、心理療法を受ける子どもを支える保護者を支えるため

に、親の個人面接を同時に行う、親子並行面接というアプローチがとられてきています。で

すが、私はこの親子並行面接に導入するのが適切かどうかを判断するプロセスが必要だと

考えます。家族面接でなくてもこのアセスメントはできますが、その場合まず保護者だけで

来談してもらって、様々な状況を聞いたうえで、子どもへの説明の仕方も含めて相談しなが

ら判断する方が安全と考えられます。ただ、現実には初回から子どもを連れてきたい、とい

う家族も大勢みえます。そうしたニーズに応えつつ、相談が役に立つ枠組みを提供していく

必要があります。 例えば、親子の境界の薄さ、言い換えると親子の密着があり、そのために子どもが自分の

感情を表現できないと見立てられるケースがあったとしましょう。親子で加害・被害関係に

あることもあれば、そもそも相手に訴えかける力が弱い子どもに対して、親が甲斐甲斐しく

世話をしなければ生活が成立しない場合もあるでしょう。目標として、それぞれの親子が具

体的に時間と空間を別々に過ごす試みをすることが重要であるということに、私は異論あ

りません。ですが、その試みを行う前に、どうしてその親子は密着している必要があるのか、

今別々に過ごして、個別の面接プロセスを歩むことが十分可能と思われるのか、アセスメン

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トしないならば、どうなるでしょうか。 幸い、何割かのクライエントは、こうしたアセスメントをしなくても、心理療法プロセス

を利用するための準備が整っています。だからこそ当センターへ来談に至る、ということは

少なくないのでしょう。当センターへ個別面接の形で来談を続けて、時間をかけて問題に取

り組むことができるのはこうした人たちが中心です。あるいは、準備が整っていなくても、

問題にとり組む過程でこれまでになかった人とのつながりが生じてきたり、当初セラピス

トが見立てられていなかったクライエントの良い面が発揮されるようになることもありま

す。私はこうしためぐり合わせに居合わせる時、神様の存在を考えないわけにはいかなくな

ります。 ただ、先ほども述べたようにこうしたプロセスを利用できない人、あるいはまだ準備が

整っていない人もいます。そうした人々が来談をやめられるとき、当機関の対象外と言うの

は簡単かもしれません。しかし、そうした人々の受け皿があり、そこを紹介できる場合でな

いのにそのことを口にしてしまうなら、自分を専門家と言ってもいいのだろうか?という

思いも私にはあるのです。これは母子密着の問題が、「クライエントを手放せないセラピス

ト」という形で担当者である私とクライエントの間に転移されている、という指摘もできる

かもしれません。そのことも充分ありえると同時に、私は、親から、あるいは子からの密着

するニーズが、ある種の必要性に迫られて生じていることを身をもって知る事にもなりま

した。こういった理解なくして、分離を促すことは相手(子どもも親も)を非常に追い詰め

ることになることを私は学びました。着任当初私は、中断の直接の(直近の)きっかけを考

えることに終始していましたが、今ではそうした人々をより以前の段階で個別面接以外の

必要な支援につなげるためには何ができるのだろうか、と考えるようになってきています。

そうしてアセスメントの問題にようやくたどり着きました。 家族面接の適応の範囲が広いことを指摘した海外の論文(Copley, 1991)もありますが、

何ぶんこうした判断は非常にローカルなもので、私自身、すべての来談者に適応するのがよ

い、と言い切るつもりはありません。そう言い切ってしまうのなら、すべての人に個別面接

を導入すべき、という主張と同じです。柔軟に対応していく必要がある以上、こだわること

は大事ではないのです。むしろ、より柔軟で複雑な思考を支えてくれる参照点として考える

のはどうでしょうか。

個人になる以前の世界へと関わること

先ほど例にあげた親子の密着というのも、実のところそれぞれが個人として独立してい

ることを前提とした視点です。それぞれの人間がいて、密着しているというわけです。です

が、見方を変えるなら、まだそれぞれが個人として分化していない一つのまとまりとして考

えることも可能です。まとまりが徐々に分化していくプロセスそのものを家族面接で抱え、

その後個別面接が可能になればそちらに導入していきます。子どもの問題として表れてい

るけど、これはいったいどこからやってきたことなのだろう、と考えてみるというわけです。

この視点自体は、個別面接からスタートしても考える必要があります。ですが、家族のやり

とりを、誰それの問題とせずに、家族全体の動きとしてある程度許容しながら会うというの

は、個別面接ではどうしても難しくなる構造があります。それについては後述します。 おそらく家族面接が有効なのは、問題は噴出しているけれどもまだ誰も自分がそのこと

に関与していることを引き受けたくないか引き受けられない状態だろう、というのが現在

の私の見解です。個人として問題は引き受けられないが、誰かと一緒なら、誰かの責任にし

ながらであれば問題に取り組むことが出来る、そんな時です。それはちょうどハンカチ落と

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しでハンカチが誰のもとに落ちるかまだわからない、皆が緊張した状態を支えるための方

法といえるかもしれません。面接は当然緊張したものになりますが、個人になる事(分離の

痛み、責任を突き付けられること)は保留することができ、少なくとも家族にとって耐えが

たくなっている緊張を耐えて家族のために考える人間がいるということを示すチャンスも

あることでしょう。 自発的な来談ではなく問題行動から当センターを紹介された場合、こうした傾向はよく

見られると思います。また、保護者が子どもを半強制的に連れてくる場合も同様です。誤解

してほしくないのですが、そういった紹介や来談の仕方を非難しているわけではないので

す。どうしてもそういったやり方以外では来談が難しい方々に、どうやって「あなた方の味

方がいること」を伝えることができるかということなのです。 個別面接は、どうしても個人の責任を前提としてしまうところがあると私は感じていま

す。もちろん、そのことこそ個人面接がクライエントにとって役に立つための重要な要因で

す。ですが、まだ準備が出来ていない人もいます。家族面接では「家族が語ったこと」「家

族がしたこと」「家族皆で考えること」として扱えますが、個別面接ではどうしても「あな

たが語ったこと」「あなたがしたこと」「あなたが考えること」になってしまうのです。各々

のセラピストはそういったことを自覚しつつ、クライエントに必要な距離感を保とうと

様々な工夫を凝らしますが、これは構造的な問題でもあります。クライエントの振る舞いを

回避的と言うとき、こういった構造的なことから相手をそのようにふるまわせてしまって

いるという側面を忘れてはいけないのだと思います。 個別面接は、家族面接である程度、「これはこの人が取り組んで、それはあの人が取り組

んで、このことはあなたが私と一緒にやろう」ということが見えてきてからが、本領発揮で

す。この状態であれば、個別面接が進展していく際にどうしても生じてしまう苦しい状況を、

各自の支え合いで生産的に乗り切る可能性が高まると言えないでしょうか?さて、これは

さらに拡大すると家族だけでなく、学校や関係機関、最終的には社会全体も含めたものに

なっていくのですが、ここでは話は広げずに家族のことにしておきます。 家族面接というと家族内の葛藤が噴出しやすく、精神的に参っている親や子どもにとっ

ては逆に追い詰めるのではないかという指摘もあるかもしれません。心理職というのは親

子の葛藤を実際以上に強く想定する傾向があります。先ほども言いましたように、すべての

家族に適応すべきと主張しているわけではありません。確かに、逆に家族を追い詰めること

もあるのです。もともと一体で境界のなかったところから、個に別れていくというのは言う

ほど簡単ではないのです。 ですが、こういった側面と同時に、家族が話す言葉を借りて、あるいはそこに隠れつつ、

個人の思いが語られたり、あるいは慣れ親しんだ人に守られながら、見知らぬ他人であるセ

ラピストの態度や言葉を見たり聞いたりできる安全な状況という側面もあります。そうし

た家族の助けをセラピスト自身も借りながら、家族の困りごとを考え取り組む人として、

ゆっくりと関わり始めることが可能です。このプロセスが、セラピストの万能感を緩和して

くれます。そしてそういった関係づくりができてからは、葛藤が噴出する場面でさえ、クラ

イエントは、この状況を目の前の人になんとかしてほしいのだという思いを抱えているの

かもしれません。面接室で、日々繰り返されている葛藤場面が繰り広げられたとして、今こ

こで介入してほしいというニーズもあるのではないでしょうか。その際も、セラピストは自

分だけの力ではなく、葛藤の中で自分を見失っている家族に呼びかけ、本来その人々が持っ

ている健康な力を味方にしながら、相談を進めていくこともできるかもしれません。個別の

ニーズに対応していくのは、その後になることもあります。中には、個別面接へ導入せずと

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も、家族それぞれが元あった力を取り戻し快方に向かうこともあります。 こういった場で事例を挙げて紹介することができませんので、実際のところはどうなん

だろうと疑問を持たれることかと思います。また、ここで挙げた問題点を私がすべて解決で

きているわけではありません。ですが、個人を取り巻く家族の状況は非常に複雑で、その複

雑さに少しずつ取り組んでいく必要があり、そのためには様々な視点を持たなければなら

ないのでしょう。そのためには、私は慣れ親しんだ個別面接以外のやり方に「出ていく」必

要がありました。やはりそれはちょっとした「破」や「離」でもあったのだと思います。 文献

Copley, Beta(1991): Exploration and therapy in family work, EXTENDING HORIZONS Psychoanalytic Psychotherapy with Children, Adolescents, and Families, Chap 3, pp47-64, Karnac, New York.

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- 34 -

教育相談における横と縦の視点

臨床心理相談専門員 松波美里

○要約

本論文では,子どもが学校に行くことの動機となるものについて考えることを出発点と

して,横と縦という言葉をキーワードに子どもの心について考える視点を整理し,それら

の関係について考察しました。その子を取り巻く横のつながりと,その子の自己が成長す

るという縦の力があり,それらはお互いに作用しあっていると考えられ,横のつながりが

自己の成長の土壌となりうることが考えられました。教育相談的な視点としては,横と縦

の両方の視点をもって子どもをみることが重要と考えられます。

1.はじめに

学校で不適応が生じると,“この子に何があったのだろう”と原因を考えるだろう。その

ようなとき,まずは“友達との間でトラブルがあったのだろうか”“クラスの中では明るく

振舞っていたのに”など,その子が友達や集団の中でどんな様子だったかと考えることが多

い。また,保護者や子ども自身からも,新しい環境に入る時に “友達とうまくやっていけ

るだろうか”“なじむことができるだろうか”などの不安はよく聞かれ,大きな関心事であ

る場合が多い。それほどに,学校という場は子どもたちの横のつながりを重視していると考

えらえる。 しかし,学校で体験することは,もちろん友達との関係だけではない。本論文では,その

子自身が育っていくときの,その子について考える際の教育相談的な視点として,横と縦と

いう言葉をキーワードとして整理し,考えてみたい。 2.横の視点と縦の視点

まず,学校に行くということについて,横の視点と縦の視点に関して考えてみることとす

る。ここでいう横のつながりとは,先ほども触れたように,その子をとりまく友達関係,ク

ラスメイト,部活の先輩後輩などとのつながりである。それは同年代だけでなく,もちろん

先生とのつながりや家族同士のつながりもある。その他にも,習い事での仲間,登校班,下

校途中で出くわす近所の方…細かく考えていくと,その子をとりまく関係は驚くほど広い。

そのような横のつながりは必ずしも具体的な人間関係に限らない。学校というものは行く

ことになっているものなのだから行くのだ,というような世間一般の意識,社会的なルール,

そのようなものも含めてよいだろう。学校へ行く,ということにおいて,横のつながりとい

うものは,強力に作用しているものと考えられる。 しかし,そのようなルールがあるから,友達がいるから,ということだけで学校に行くわ

けではない。先ほど述べた横の視点だけでは欠けているものはなんだろう,それは「自分」

というものである。他の誰でもない自分,自分でしかない自分―そのように自分や世界を認

識している自分自身のことである。例えば,学校では新しいことができるようになったり,

知らなかったことを知ることでおもしろみを感じたり,色々なことを経験していく。このよ

うにして,自分の好きなもの,嫌いなもの…といった自分らしさが積み重なり,他の誰でも

なく自分でしかないという感覚,自己意識が成立してくると考えられる。高石(1996)は自

己意識を獲得しはじめる時期に,心理療法でしばしば用いられる風景構成法という風景を

描いてもらう描画法に,世界を真上から眺めるような「真上の視点」が現れることを指摘し

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ている。このように,自己意識の成立には,世界や自分自身を俯瞰的に眺めるような意識が

関係していると考えられる。このようなイメージから,ここでは自己意識の成長ということ

を,横のつながりとの対比として,縦の動きとして検討していきたい。 3.横と縦の関係性

縦の動きは自己意識の成長につながっていると述べたが,それはしばしば,横のつながり

を否定することで生まれてくるといっても過言ではない。河合(2000)は「目に入ってくる

本,景色,他人など,外へ関心が向けられて,それに没入しているのが普通の状態であるの

に対して,主体とは外への関心が否定されて,自分自身に注意が向けられることによって成

立してくる」と述べている。その最初期として考えられるものに,3 歳前後の子どもが,親

が言うことに何でも嫌と言うような,いわゆる“イヤイヤ期”といわれる時期がある。それ

は,親との密着した日々から,「イヤ」と言うことによって,個としての自分が芽生え始め

るといってもよい。これは親にとっては大変に手こずるものではあるが,そのような小さな

自我の芽生えから始まり,そのような自分をもって世界を探索し始めるとき,家族よりも広

い社会へと広がっていくのである。 そのようにして広がってきたその子の世界であるが,思春期にさしかかる頃に,またふと

自分というものが強く意識される時期がある。その一つのあらわれとして,小学校の中・高

学年あたり,いわゆる前思春期と呼ばれる時期に報告例が多い自我体験というものがある。

これは,突然に“私はなぜ(他の誰でもない)私なのだろう”と感じるものであり,西村

(2004)は「自分は他の誰とも違う自分自身にほかならないという意識で,他者を含むす

べてから離れた存在に気づくこと」としている。また,その体験を経て「名前で呼ばれてい

る自分,自分の肉体,血縁を持った古い関係,家族や文化,故郷それらのものから全く自由」

になり,「環境の中で養われる存在ではなく,独立して生きる存在」へと変容していくとし

ている。つまり,今まで自分が守られていた横のつながりに対して,ふと疑問を抱くような

ものであり,今までの世界から飛び出そうとするような動きでもある。このような体験は,

周囲から隔絶しているという感覚が伴う故に,強烈な孤独の体験として報告される場合も

あるが,思春期以降の自己意識の確立へとつながる契機であるとも考えられている。この自

我体験は皆が経験するものではないとされているが,自己意識の確立へと向かう中で横の

つながりを否定する動きが生まれること,否定の動きが時に学校に行かないという形とし

てあらわれることもあることは,この流れを追っていくと理解に苦しくないであろう。 4.現代における横と縦

しかしながら,このような自己意識の確立といわれるものと学校に行かないというもの

との間には,ここ最近において少しずつ隔たりが生まれてきたようにも思われる。現代にお

いてはここまで明確に自己意識を獲得できていることは少ないと言わざるを得ないかもし

れない。例えば,広沢(2015)は学生相談に訪れる現代の大学生の印象として,「自己表現

が画一化されている」(理想像として,「明るい」「元気」「ポジティブ」など,否定的な自己

像として「弱気」「(周囲の人に)おびえてしまう」「(周囲から)受け入れられない」など)

こと,「自己不確実感が強い」(理想的な自己像をもっていた青年が,日常の些細な契機で一

気に「自分らしさがわからない」と困惑する)こと,「悩み方がわからない,悩みを悩めな

い」(「自分とは何か」に対して,ただ苦悩に身をゆだねている感がある)こと等をあげてい

る。そして現代の自己像として,「自己の統一や一貫性への志向が減弱していても,それが

ある程度容認され,しかもそのようなものとでも機能するなんらかの自己の在り方が育ち

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始めている時代」というように,新たな自己の在り方が存在するのではないかと述べている。 このような指摘は,実際の臨床場面においても実感するところは多い。例えば,相談の場

に来ているが,悩むことはないと言ったり(それはその場への拒否だけでなく,本当に悩み

がないようなのである),好きなものを尋ねても,ある程度好きではあるがそれ以上に深い

追及が見られず話が深まらなかったりするような場面である。このような場面に出くわす

度に,現代の子供たちにおいては,自分がどうしたいかということに,横のつながりという

ものが深く絡んでいるように感じることがある。 例えば,臨床場面で思春期の子を中心として Youtuber やオンラインゲームの話を聞くこ

とが多い。Youtuber とは,基本的に様々な実験やドッキリといった企画,ゲーム実況など

の自主制作動画を投稿している人である。実際に見てみると,それは確かに刺激的で面白い

ものであるが,1 つの動画を見ると次から次へと関連動画が呈示され,見ている本人の“こ

れを見たい”という目的や意志は失われてしまうのではと,そんな気もしてならない。しか

し,そこには,自分の手に届きそうな身近さと,学生同士のようなノリがあり,そのような

“仲間内感”が子どもたちに魅力を感じさせているのではないかとも思える。また,オンラ

インゲームにおいても,一見横のつながりを失い,自分の殻に閉じこもってしまっているよ

うであるが,その中では日常とは違う世界とつながり,その世界におけるマナーというもの

が存在している。そして,そのマナーは,案外対面の対人関係において基本的にもっている

マナーと大きく違わないのではないか,と思われるようなものもある。すなわち,周囲を否

定して自分の内にこもりながらも,好きなものの中に横のつながりを求めているようなの

である。 しかし,そのようなネット上で体験される横のつながりは,そこから脱却しやすいという

ことに特徴があるのではないだろうか。例えば,オンラインゲームのチーム内でトラブルが

生じたときには,そのゲームを辞めるという対処ができるのである。現実場面においては,

横のつながりでうまくいかなかった時に,失敗するにせよ,成功するにせよ,それに直面し

て苦しみ,なんとかしようとする心のプロセスが生じる。そこにその子の縦の力の成長を期

待することができるのである。しかし,そこから脱却するという形で自分の中に閉じこもる

ことが比較的容易になされうると,その子の中で成長として積みあがっていきにくくなる

と考えられる。鷲田(1999)は,自己の同一性,自己の存在感情は,「他者によってあるい

は他者を経由して与えられるものであって,自己のうちに閉じこもり,他者から自分を隔離

することで得られるものではない」と述べる。すなわち,完全に周りから隔たってしまって

いる場合には,本当の意味で縦の動きは生まれてはこないのであろう。 5.教育相談における横と縦

最後に教育相談ということに話を戻して,子どもたちの心が縦にも横にも成長していく

中で,大人はどのようにかかわることができるだろう,ということについて考えてみたい。

小山(2014)は,セラピストとの人間関係の中で世界への安心感を体験していくことで,他

者との実際の関係を深め,実際場面での経験を積んでいったケースを紹介している。ここで

は,心理療法の場で,現実場面で経験してきたことを対象化して語ることで,「他者への認

識を常に新たにしていき,自らの在り方についても内省を深めていった」のである。つまり,

セラピストとの間で自分について考えることによって,自分というものを保ちながらも世

界にも関わっていくということがなされている。横のつながりというものを支えとするこ

とで,自己の安全は保たれながらも自己を対象化させていくことが,縦への動きにつながっ

ていくのではないか,ということである。

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これは,縦へと動いていこうとする子を無理に横のつながりへと引き寄せればよいとい

うものでもない。そうではないが,縦へと成長する子に対して,それに関心をもってか関

わってくれる人がいるということが大切だと思われるのである。教師は学校という場で横

のつながりを作り出す存在である。クラス運営,友人関係の把握,教師自身との関係,いろ

いろな側面から仲間を作り出そうとする。それは非常に大切なことである。河合・中村(1993)が,他者と関わりながら,具体的な“生”を経験することではじめて自己が成立するさまを

<経験あっての自己>と述べているように,関係の中で,あるいは関係に支えながら,様々

な経験をしていくことで自己というものが育っていくと考えられる。そのような仲間づく

りをすることの意味として,その子の自己意識を成長させる土壌をつくるのだ,という縦の

視点をもっておくと,学校に足が向かないなどを呈した子に対して,わけのわからないもの

としてばかりや,横のつながりへと無理やり引き戻そうとするばかりでなく,関わる側が余

裕をもって理解を示すことができるようになるのではないだろうか。 引用文献

広沢正孝(2015).学生相談室からみた「こころの構造」―<格子型/放射型人間>と 21 世紀

の精神病理,岩崎学術出版社 河合隼雄・中村雄二郎(1993).トポスの知―箱庭療法の世界,TBSブリタニカ 河合俊雄(2000).心理臨床の基礎2 心理臨床の理論,岩波書店 小山智朗(2014).主体生成プロセスをまなざす観点呈示の試み―「垂直をめぐる動き」「水

平をめぐる動き」という観点,京大心理臨床シリーズ 10 心理療法における「私」との

出会い―心理療法・表現両方の本質を問い直す(皆藤章・松下姫歌編)創元社 西村洲衛男(2004).自我体験とは,<私>という謎―自我体験の心理学(渡辺恒夫・高石恭

子編),新曜社 高石恭子(1996).風景構成法における構成型の検討,風景構成法とその後の発展(山中康

裕編),岩崎学術出版社 鷲田清一(1999).「聴く」ことの力―臨床哲学試論,TBS ブリタニカ

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心理臨床の専門性とは何か ―回復という視点から― 臨床心理相談専門員 加藤のぞみ

要約

本稿は、心理臨床の専門性について基本に立ち返り、自分の経験から改めて考えたもので

す。相談者の抱える悩みや問題は、あくまでも相談者のもっている力で向き合うことが重要

であり、当然ながらセラピストは決して相談者の代わりになれません。その前提に立って、

相談者の前で他者であり続けることが専門性だといえます。簡単なようで難しい、この前提

の持続を可能にするのが治ること(治すこと)ではなく回復するという視点です。抱えてい

る問題が根本的に解決しなかったとしても、こころの回復は可能です。そして回復であれば、

治せなくても周囲の人が相談者に力を与えることもできます。これらを忘れずとどまり続

けることが、心理臨床の専門性だと考えます。 1.はじめに

数多くの相談を担当するにつれて、自分が目の前の相談者の力になれているかわからな

くなることが正直ある。相談者のこころの支えになれているような感覚になれるときもあ

れば、全く何の力にもなれていないように感じることもある。そもそも、こころを支えると

はどういうことなのか。臨床心理士という立場で相談を受けているものの、そこで期待され

る「専門性」とは一体何か。いわゆる普通の悩み相談と何が違うのか。これら「専門性」に

対する問いは、これまで何度も論じられてきており、そこに筆者が新たな知見を加えられる

とは思わない。今回は「心理臨床の専門性」について、あくまでも基本に立ち返り、また自

身の経験を通して改めて考え、整理してみる機会としたい。

2.相談者の思いとズレ

多くの相談者が、抱えている苦しみや問題をどうにか解決してほしいと思い、相談機関を

訪れる。そして、その問題の解決は個人の心理的なことにとどまらず、心理的なことへ影響

を及ぼす現実的な側面、例えば経済面や対人関係といったものから、学習面での課題などが

含まれる。当センターで行っている教育相談では、その名称も影響してか、“不登校である”

“授業中にじっとしていられない”という、学校場面において目に見える問題によって相談

に訪れる方が多いように感じる。つまり、最初から自分のこころの悩みを相談したいと来談

されカウンセリングを希望される方は少ない。にもかかわらず、筆者は当センターを訪れた

方が抱えている問題に関する気持ちや思いといったような“こころのこと”に焦点を当て話

を聴いている。ここにはある種のズレが生じていると考えられる。 相談者は、表面化している問題を解消してもらいたいと訪れた機関で、その問題にまつわ

る苦しみや葛藤を話すことになる。なかには、問題についての苦しみや葛藤もなく、どうし

てその問題が起こっているのかわからない、悩んでもない、という人もいる。紹介された人

に行きなさいと言われたから来た、という人もいる。どういう経緯で訪れたとしても、そこ

にいる治療者(臨床心理士など、相談を受ける人のことを指す。以下、セラピストとする。)

と出会い、話すよう促され語ったり表現したりすることになる。 このように、本来の自分の目的や希望とは違うことをしているにも関わらず、現実的に表

面化している問題は、当然のことながら解決してもらえない。これだけみてもかなりフラス

トレーションのたまる場面のように思える。しかし、現実には継続して何回も足を運び相談

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を重ねて、エネルギーを得て問題を解決していく人がいる。これは一見するととても不思議

なことのように感じる。どうしてこのようなことが起こりうるのか。そのフラストレーショ

ンに相談者はどうやって耐えているのか。ここには、“何を(what)”相談しているのか、

という表面的なことではなく、“どのように(how)”相談しているのかということが関係し

ているのではないだろうか。セラピストと相談者の間に何が起こっているのか、まず考えて

みたい。

3.「治せない」セラピスト

「治してもらえる人」として期待されるセラピストに、相談者の抱えている問題を解決す

る力、つまり「治す」力はない。医者が体を治療するのと同じように、こころは「治療」で

きないし、体のように解剖してみることもできない。そもそも“こころ”は目に見えない。

相談者の悩みや考えは 100%セラピストが理解できるわけではないし、相談者自身も把握し

きれていないこともある。またある程度相談者が自分で理解できていたとしても、それを完

全に正しく言葉にするのは難しい。仮に完全に言葉にできたとしても、セラピストが 100%正しくそれを理解できるとも限らない。そんな多重のズレが生じている可能性が前提に

あった上で、相談者とセラピストのやり取りが生じている。 しかし、「治してほしい」「どうにかしてほしい」と訪れる人に、ただ「私には治せません」

と答えるのは不十分であり不適切だろう。相談者は答え(ここでは NO という答えになる)

を求めているわけではないからだ。では、苦しんでいる人に、「治す」という形ではなく応

えるにはどうしたらいいのだろうか。 これまで筆者は、「一緒に考えましょう」と何とか絞り出し、その場その場での苦しみは

消せないながらも、自分なりに頭を働かせ考えて浮かんだことを伝え、その人の抱えるどう

しようもできない問題に向き合ってきたつもりだった。自分には目の前の人の抱える問題

はどうにもできないと思い知りながら、その無力感のようなものに耐えながら、苦肉の策の

ような言葉を伝えることもあった。目の前の人のこころが、来た時よりも少しでも軽くなる

ようにと思い、気持ちの面では一生懸命だったとも思う。 実際、その一生懸命さをこころの支えにしてくれる人もいた。しかし、本来的に言えば、

一生懸命だけでは何の問題解決にもならない。しかも、セラピストの一生懸命さが逆に相談

者のこころをさらに苦しませることもある。あるいは、その一生懸命さを自分のこころの糧

にして、筆者に頼ることで何とか日々を過ごしていく人がいたとして、これでは極論すれば

筆者と会い続けなければ生きていけないということになる。 では、どうすればいいのか。その一生懸命さは専門性といえるのだろうか。もちろん人の

熱意によってこころを打たれることはあるだろうが、それは専門家でなくとも、誰でもでき

うることではないだろうか。 さらに、一生懸命さだけではどうにもできないこともあった。悩みが現状として、とても

苦しいものであればあるほど、筆者は言葉をなくし、その苦しさに圧倒され、相談者と共に

その圧力に耐えるしかない時間を過ごしていた。セラピストである筆者は限られた時間耐

えれば、その時間が終わるが、相談者の苦しみは終わらない。ややもすれば、目の前で自分

と同じように苦しむセラピストを見て、自分の抱えている問題の苦しさを思い知らされる

こともあっただろう。これでは何のために相談に来たのかわからない。 そして「治る」とか「治らない」ということを考えた時、何年もかけて相談で会い続けて

いる人が、同じようなところで堂々巡りを繰り返していると、その変わっていかなさについ

て、無意識のうちに腹立たしく思っている自分がいることにも気づいた。過去には筆者のそ

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の怒りのために傷つき、相談に来られなくなった人もいた。こういった考え方になってしま

うと、結局は解決を相談者任せにしてしまっていて、懸命にしようと思っていた「一緒に考

える」こともできていないのではないだろうか。 セラピストは、ただ一生懸命にその人の気持ちになって考えるだけでもなく、解決をその

人任せにして「治らない」ことを嘆くでもない姿勢が必要となる。相談者の抱える苦しさを

推し量り、一緒に耐えながらも、前を向く術を探すべきではなかろうか。そのためには、ま

ず問題や症状を“治せない”“解決できない”という呪縛を解き放つ必要がある。

4.「治す」ことからの脱却

そもそも「治す」というのは、何か悪いところを見つけて修正したり、改善したりして解

決する方法ではないだろうか。医者にかかる時を想像してみれば、「治る」とは薬の力や外

科的な治療法によって、自分ではよくわからないうちに生じることがわかる。治すことは一

見万能のように思えるが、このように考えると自分以外の力が及ぶことが多く、自分自身の

力としてはむしろ無力だ。したがって、再び同じようなことになっても、同じように自分以

外の力を求めて解決することになる。 もちろん、十分な休息をとるだけで治る軽い風邪もあるし、あらかじめ免疫力を高めるべ

く体力をつけるなど予防する方法もあるだろう。しかしその場合でも、自分の細胞を自分の

意思で自由自在に動かし、ウイルスを退治したわけではない。つまり、その「治療法」は自

分ではコントロールできないものと言える。だとすれば、こころが辿るプロセスは「治療法」

ではなく「回復法」と考えた方がいいかもしれない。 ケガや風邪の回復法は様々あるが、その人の持っている力を最大限高める方法が選ばれ

ることが多いだろう。例えば“安静にする”や“休息をとる”“栄養を補給する”などであ

る。さらに、自分のもっている力を高めるということを考えると、そこに人の支えが力とな

る可能性を見いだすことができる。これは「治る」という文脈では難しかったところである。

「治る」文脈では、悪い部分に直接効くものしか解決に結びつかないので、治せる人しか力

になれない。しかし「回復する」文脈では、たとえ風邪やケガが治せなくても、心配してく

れたり、看病してくれる人の存在が、回復に向かう人の力になる可能性を秘めている。病原

となるものを直接治療できる薬でなくとも、栄養のある食べ物が回復を早めることもある。 こころのこととしても同じであろう。目の前に苦しい現実問題が積み重なり、その現実問

題が容易に解決できないようなものであった場合、「治す」文脈では、何もできなくて身動

きが取れなくなるだろう。しかし、「回復する」と考えると、回復に向かう力に繋がる方法

を考えることができる。つまり、苦しい現実問題がすぐに解決できなかったとしても、その

困難な状況をいかに生き抜くかを考えることができるということだ。このように「治す」か

ら「回復する」へと向かう方向を変えることが、セラピストの発揮できる一つの専門性だと

言えるだろう。 5.回復する力を見定める —アセスメント—

セラピストの専門性として回復へと向かう方向への変換ということを挙げた。しかし、回

復に向かうこころの支えになる他者はセラピストだけではない。相談者の周囲にいる、家族、

友人、恋人、同僚、上司、クラスメイト、教師など、様々な人が回復へと向かうこころへエ

ネルギーを与えることができる。人だけではない。その人が好きなもの―食べ物、小説、ア

ニメ、ゲーム、曲、服、動物、イベント、スポーツ、アウトドアなど―も回復へのエネルギー

になり得る。となると、回復を支えることがセラピストの専門性とは言えないのではないか。

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では、治すことから回復することへと変換する以外に、セラピストができ得ることは何か。

それは、その人にとって何が回復へのエネルギーとなるかを見定めるということではない

だろうか。これが心理臨床の言葉では「アセスメント」にあたると考える。 アセスメントとは査定ともいわれ、面接や検査を通してその人のこころの状態を判断す

るものである。しかし、何のためにアセスメントをするかと考えると、単に「病気かどうか」

「健康かどうか」をみるためではない。相談者にとって何が回復へのエネルギーとなるかを

判断するために、その人のこころの状態がどのようなものであるかを捉える必要がある。そ

れは、こころの状態によって、ある人には回復へのエネルギーになるものが、ある人にとっ

てはエネルギーにならない場合があるからだ。また、周囲の関わりも同様で、力になる場合

もあれば、むしろ力を削ぐ方向に働く場合もある。このように“その人にとって”どうか、

ということを適切に見定めることがセラピストには求められる。そこには精神医学や心理

学、精神疾患に関する知識も不可欠であろう。 ただ、この見定めるということは、“言い当てる”こととは違う。筆者はここも勘違いを

していたように思う。専門家と考えると、セラピストは相談者よりも相談者のことを知って

いるように思われやすい。筆者にしても、相談者よりも一歩先に進んで、その人のできるこ

とできないことを正確に捉えなければならないと思い込んでいた。そんな時、その人の人生

を生きたことのない他人が、できていること・できていないことを指摘するというのは傲慢

な考え方だと指摘されたことがあった。確かに、その人の人生を歩んできたのは紛れもなく

その人自身であり、これから歩んでいくのもその人自身である。相談者の人生を本当の意味

で体験していないにもかかわらず、その話を聞いてセラピストがほんの少し想像しただけ

で、できている・できていないなど到底語れるわけがない。 では言い当てずに見定めるとはどうすることなのか。それは、相談者その人との間で確か

め合い共有する中で捉えていくしかないのではないだろうか。つまり、相談者に教えてもら

うしかないともいえる。藤原(2008)は、臨床心理士の存在意義を論じる中で「総体として

の暮らしに生きる当事者個人が、個人として生きること自体を専門性として自ら主体機能

を活性化するためにこそ、他者である臨床心理士は、本質的に援助者の位置に留まらざるを

得ないところに、あえて存在理由を自覚する専門性にあるのではなかったか」と述べている。

つまり、ここでいうセラピストのもつ専門性とは、相談者が知りえないことを知っているこ

とではなく、相談者のことは本人しか知らないとわかりながら、他者として相談者の力を発

揮できるよう支えるということなのだろう。そして、相談者の語る話に耳を傾ける中で、何

が回復するエネルギーになっているのかを把握し相談者に伝えるということも求められる

だろう。 子どものことで相談に来ている保護者に対しても同じことが言える。保護者が語る子ど

もの様子から子どものことを想像することもあるが、子どものことは子どもが語ることか

らしか、本当の意味では分かりえない。子どもが何も語らなかったり、子どもが自室に籠っ

て保護者との接点が少ない場合、子どものことが見えなくなることもある。子ども本人のこ

とだけに焦点を当てようと思うと、保護者の相談は行き詰ってしまう。だからこそ、先ほど

の回復の視点が必要になってくるのではないだろうか。子どもをどうにかしたいという治

す文脈に囚われないことはもちろん、子ども自身の回復について考えるだけでは十分では

ない。子どもを支える保護者の回復を支える、という意識をもつ必要があり、そう考えれば

保護者を子どもに関わる当事者として支援することができる。

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6.最後に —どう会っていくか—

これまで、相談者が前を向く術の一つとして回復という視点で述べてきた。目の前の相談

者が回復していくために、その力になるものを一緒に考え支えていくという視点である。こ

う考えると、問題自体が語られなかったとしても相談を聞くことができるだろう。もちろん、

問題を語らないこと、語れないこと、触れられないことや気持ちについて考える必要がある

のは言うまでもない。 例えば、学校に行けないということで連れて来られた子どもに会っていて、その子どもが

学校のことを全く語らず、自分の好きなゲームの話を延々としているとしよう。保護者に家

での様子を聞くと、家でもゲームばかりしていて困っているという。そうした場合、セラピ

ストは悩みを聞けていないんじゃないかと焦ったり、楽しいことをしているだけでいいの

かと罪悪感を抱いたりするかもしれない。家でも相談に来ることも同じなんじゃないかと

思うかもしれない。ここで回復という視点で考えた場合、ゲームをすることがある意味その

子どもの回復力を支えている可能性を考えることができる。また家では一人でしている

ゲームを、相談に来ることでセラピストに語ることができるとも考えられる。楽しいことを

人と共有することは、その子どもの回復への支えになるように思う。その一方で、学校のこ

とを考えている子どもにもこころを寄せたい。学校など現実から目を背けゲームに逃げて

いると捉えられることもあるだろうが、こころのことは表面にあらわれる態度と必ずしも

一致しない。学校のことを考えないようにしているということは、むしろ何かしていないと

考えてしまって苦しい状態だともいえる。単純に回復だけを考えればいいとは思わないが、

相談に来て主体的に相談者が表現することを意味があることだと捉えるための視点として、

回復という視点を生かすことができると考える。 もうひとつ例を挙げたい。相談者の現実が待ったなしの状況にあり、瞬時に判断すること

や即効性のようなものを求められるとき、話を聞くセラピスト側に余裕がなくなり、どう

会っていいかわからなくなることがある。実際、そうなったとき筆者は「治せない」呪縛に

陥ることが多かった。ここでも回復ということを考えてみる。待ったなしの現状を生きてい

るその人であっても、今日までの日があることを忘れてはならない。今日まで生きて目の前

に来てくれたその人は、悩みを抱えながら生きてもいるが、24 時間 365 日ずっとそのこと

だけに囚われているわけではないかもしれない。その隙間があるかないかでも状況はずい

ぶん違う。そして、抱えている悩みと待ったなしの現状がどう絡み合っているかを見定める

必要もあるだろう。 例えば数日後に仕事を辞めるかどうか決める面談があり、その答えを出さなければなら

ないと焦って来談されたと考える。相談者としたら誰かに決めてほしいという思いもある

かもしれないが、セラピストには決められない。それは、当然のことながら、決めた先をセ

ラピストが相談者に代わって生きていけないからである。納得のいく決定というのはおそ

らく難しい場合が多いだろうが、悩んだり葛藤したりして妥協しつつその決断に至る経緯

を支えることはできる。何より、何に決めたかではなく、その相談者が自分で決めた、ある

いは決まったことを受け入れたことに大きな意味をもたせることができる。このように考

えると、決断はその導き出した答えに意味があると考えるだけでは物足りない。自分が決め

た道や、やむを得ず決まった道であっても、それを進んでみようとほのかであっても思えた

相談者自身の気持ちや意志が重要だと考えることができる。そうすれば、セラピストが決め

られないことに頭を悩ませなくてもよくなり、相談者の気持ちや歩みを支える方にエネル

ギーを注ぐことができるだろう。 筆者はどこかで相談者を勝手に肩代わりして、“どうして変われない”“ここが問題なのに”

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と、もどかしく思ってしまうことが多かったと思う。それはやはり、自分には治せる力がな

いとわかっていても、治る(治す)ことにこだわっていたからだと考える。あくまでも主体

は相談者にあり、その人が回復するために援助することが心理臨床の専門性であると考え

ると、そこに留まり続ける難しさも同時に痛感する。どんな状況であっても、セラピストは

相談者の代わりにはなれないこと、あくまでも相談者の持っている力で生き抜いていかな

ければならないことを忘れずに、これからも相談に臨みたいと思う。 <文献>

藤原勝紀(2008):教育心理臨床パラダイムの提案 藤原勝紀(編)「現代のエスプリ別冊 教育心理臨床パラダイム」至文堂

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プレイセラピーについてよく聞かれる質問について

臨床心理相談専門員 樹下勝弥

要約

プレイセラピーについて、よく質問を受けることについて考えていくことを目的として

いる。特に、日常生活で遊んでいることと、プレイセラピーで遊んでいることに違いがある

のかということを意識している。ここでは、ウィニコットの理論を踏まえて考えているが、

筆者は 1、プレイセラピーを受けに来る子どもには、その日常での遊びということが十分に

出来ていない状態にある場合が多いこと、2、セラピーを特徴づける枠の有無が日常での遊

びとプレイセラピーの違いとして示した。

1. はじめに

「プライセラピーって遊んでいるだけじゃないの?」「どうして遊んでいるだけで良くな

るの?」「プレイセラピーって家で遊んでいるのとは違うの?」と質問を受けることが度々

ある。また、直接セラピストに質問はしないものの、そのように疑問に思っている方も多い

ように思う。私が直接質問された時には、その都度、自分なりにお答えしているが、「家で

遊んでいるのとは違うの?」という問いには自分なりに違いを伝えようとしつつも、返答に

窮することもある。そこで、前二つの質問について現時点での自分の理解についても触れつ

つ、プレイセラピーと日常生活での遊びの違いについて考えてみようと思う。

2. プレイセラピー(遊戯療法)とは

まず、これら3つの問いを考えるためには、プレイセラピーとは何かということに触れて

おく必要がある。プレイセラピーとは、「言葉では自身の気持ちを伝えることが難しいと捉

えられる、主に子どもに対して用いられる遊ぶことを介して行われる心理療法の総称であ

る」と言える。ここでいう“遊ぶこと”という言葉には、ごっこ遊びや人形遊び、オセロや

将棋といったルールのある遊び、粘土や折り紙、絵を描くこと、スポーツのような遊びなど、

様々なものが含まれる、かなり広い意味合いを持っている。また、大人であれば自身の内面

を言語的に表現する事が可能であるため通常言語面接の形態が取られるが、子どもに対し

ては大抵プレイセラピーが用いられるため、子どもの心理療法とプレイセラピーは同義と

考えられる。「心理療法の総称である」というのは、プレイセラピーにおいてはセラピスト

が精神分析的な見方や、ユング心理学的な見方、来談者中心療法的な見方など理論的背景が

異なっていたとしても、プレイセラピーに対しての統一された理論に基づいて行われてい

るわけではないことや、複数の理論を使い分けながら行われることも実際には多いためで

ある。

3. プレイセラピーの始まり

プレイセラピーの始まりは S・フロイトの、精神分析を子どもにも応用しようという試み

から始まった。しかし、S・フロイトは子どもを直接の対象としてはおらず、その後の A・

フロイトや M・クラインによって子どもを直接の対象とした分析が行われるようになった。

A・フロイトは子どもにも言語による自由連想が可能であり、そのための導入として遊びを

捉えており、遊びそのものを分析対象とはしていなかった。一方、M・クラインは遊びその

ものを分析対象としており、それを解釈することが治療につながると主張し、両者は激しい

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論争を繰り広げていった。その少し後になり、遊ぶことの持つ意味が注目されるようになる。

例えば、D・W・ウィニコット(1979)は「遊ぶことそれ自体がひとつのセラピーである(中

略)子どもたちが遊べるようにアレンジすることは、それ自体が、直接的で普遍的な適用性

のある心理療法であり、それは遊ぶことへの肯定的な社会的態度の確立を含んでいる。」と

述べ、遊ぶことの持つ治療的効果について言及している。

ここで、当然の疑問として、上述した、日常生活での遊びについて、『遊ぶことそれ自体

がひとつのセラピーであるならば日常での遊びもセラピーと言えるのではないか』という

疑問が出てくるであろう。そこで次に日常生活での遊びと、プレイセラピーでの遊びとの違

いについて考えてみることにする。

4. 対象の違いと枠の存在

まず、第一にプレイセラピーで対象としている子どもたちの多くは、“遊ぶこと”が十分

にできていない状態にある場合が多いということが言える。さらに言えば、子どもが十分に

自分自身の持つ力を発揮し、心を使って遊ぶということが滞っているように感じられる。

“遊ぶこと”についてウィニコット(1979)は遊ぶことを特徴づける没頭(preoccupation)

した状態にあること、それは年長の子どもや 大人の集中に似た、引きこもりに近い状態

である。遊んでいる子どもは、容易に離れられない領域におり、そこはまた容易に侵入を許

しえない領域でもある。この、遊ぶことの領域は、内なる心的現実ではない。それは個人の

外側にあり、しかし外的世界ではない。 (ウィニコット,1979)

と、遊ぶことを完全に内的なことでも、完全に外的なことでもない第三の領域に位置付け

ている。この第三の領域をウィニコットは「可能性空間,potential space」と呼び重視して

いる。さらに、「心理療法は、ふたつの遊びの領域の重なり合い、つまり患者とセラピスト

の遊びの領域の重なり合いのなかで起こる。もしセラピストが遊べないとしたら、その人は

心理療法に適していないのである。もし患者が遊べないならば、患者を遊べるようにする何

かがまず必要」とセラピストの可能性空間と子どもの可能性空間の重なりが必要だと述べ

ている。このことから、日常生活での遊びにおいて、子どもの心的現実と外的世界の中間領

域である可能性空間で遊ぶことがなされているのであれば、日常生活での遊びとプレイセ

ラピーには大きな違いがないと言えるかもしれない。しかし、現実の日常生活では、この「可

能性空間」や「領域の重なり合い」を持った遊びをすることは容易ではない。それは、社会

構造が変化してきていることにより、時間や場所、遊び相手を確保することが難しくなって

きていることや、母子関係も要因だと考えられるが、それらの結果として「遊ぶこと」が十

分に出来ずにいた子ども達が、問題行動などにより身近な大人に連れられプレイセラピー

を受けにくる。そして、セラピストは遊べない子どもを「ふたつの遊びの領域が重なり合う」

ように多大な労力を使い子どもが遊べるようにしようとしていく。そのためにプレイセラ

ピーではプレイルームという部屋を用意し、子どもが自由に自身の力を発揮し、主体的に自

身を表現できる場所を保証している。そこでは、日常生活での遊びのような外からの影響に

よって遊びを中断させられたり、邪魔されたりせずに、50 分間という時間は大人(セラピ

スト)を独占することができる。これらは、いわゆる“枠”と呼ばれるもので「自由で守ら

れた空間」というものを作り出すことに大きく役立っている。この枠というものの存在は筆

者が日常での遊びとプレイセラピーの違いと考える第二の要素でもあるが、一つ目に挙げ

たことと独立したものでもない。枠に関する詳細は様々なところで述べられているが、ある

程度日常から切り離し非日常的な特別な時間と空間を作り出すことに寄与している。ここ

で、日常・非日常という言葉が出てきたがセラピー場面においてはこのように非日常を外的

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な枠によって作り出しており、セラピストの内的な枠の態度とも合わせ、『ここでは自分を

表現してもいいのだ』という安心感を子どもが持つことによって「遊ぶこと」を促していく。

このようにして、プレイセラピーでは、セラピストと子どもとの関係性を軸として子どもが

主体的に生き生きと自身を表現することによって、自分自身の課題に取り組んで行きセラ

ピーが展開していく。

5. 終わりに

今回、「プライセラピーって遊んでいるだけじゃないの?」「どうして遊んでいるだけで良

くなるの?」「プレイセラピーって家で遊んでいるのとは違うの?」という 3 つの問いを出

発点として考えてきたが、主としてウィニコットの理論を軸として考えている。そのため、

別の理論から見ていけば全く異なる考えに至ることは十分に考えられる。しかし、実際問題

として数多くの理論を踏まえつつそれぞれの観点から述べていくことは時間的にも紙面的

にも難しいためこのような形となった。

6. 文献

D,W,ウィニコット 1971 Playing and Reality Publications Ltd. London.(橋本雅雄約

『遊ぶことと現実』 岩崎学術出版社 1979) 津田真知子 1999 遊戯療法における移行対象関係―遊ぶことの体験 現代のエスプリ 遊

戯療法 至文堂 小松貴弘 1999 A・フロイトからウィニコットまで―精神分析における遊戯療法 現代

のエスプリ 遊戯療法 至文堂

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Ⅳ これまでの取組から

日常の支え

臨床心理相談専門員 粟飯原拓也 自分よりも長い期間に渡り、班によってはぐくまれてきた魚が、持ち場を去りました。待

合スペースの水槽という、魚の日常から飛び出したと耳にしています。その不在を意外な来

談者からも尋ねられて、代々の研修員の先生にお世話を受けてきた姿が、多くの人にとって

の日常の一部になっていたと、改めて知りました。日常は揺らぎ失われた時に、その存在を

気づかせます。長年ご一緒したケースが問題解決した時、喜ばしさとともに、定期的な約束

のあった曜日時間、一抹の寂しさが生じます。またはケースの不測の事態に際し、それまで

継続した来談が可能であった状況を、むしろ奇跡的であったと感じます。 毎朝清掃業者の方に整えていただく相談室も、来談者とカウンセラー両者にとって日常

の景色なのですが、こころという、目には見えないものに取り組んでいく時のお守りである

ように感じます。学校ではどうでしょうか。夏に緊急支援で訪れた他県の小学校では、豪雨

の被害を受けた校舎の日常を取り戻すべく、先生方が施設の復旧作業に汗を流しておられ

ました。発災から半月、被災した交通網による混乱が、現地生活には生じていました。自身

がその一部に加わった時、土地勘もある同行者を得たことは幸いでした。それでも学校への

車での移動中に出会う標識ごとで、常に目的地と遠ざかるような選択が、結局、一番スムー

ズな道のりとなった、“いそがばまわれ”の逆説を地でいく道路状況は、特殊環境に投げ込

まれ見通しを持ちづらい心もとなさもあいまって、日常がひっくりかえっている印象を与

えました。 政策会議でもお伝えしたのですが、日常が揺らぐ現地で感じたことが、子どもと先生方と

の日常のやりとりの重要さであったことも逆接的と言えるかもしれません。何もかもが一

変したわけではないが、何かが今までとは違う、漠然とした喪失は、ストレスや緊張感を

人々に与えるものだったと思います。そうした状況が、どう影響を子どもに及ぼしたかを適

切に判断する為にも、出来事以前からの様子の把握が先生方に求められていました。身近に

あると気づきづらい安心材料を見つめ直したり、むしろ恒常的にストレスを与えることに

慣れ親しんでしまった状況を距離をとって眺めることは、緊急時以外、多忙な教師の普段か

らの自己管理としても重要です。そんなお手伝いに少しでもなればと、「普段づかい」と名

づけた研修の手だてを開発してきましたが、昨年 3 月には臨床心理士の全国的な研修会で、

三重県の教育相談活動として森川泉先生に御紹介いただきました。 学生の頃に、来談者にとって非日常な時間空間の面接場面が、カウンセラーの側で日常化

しやすいことに無自覚でいる危険性を諭す恩師の文章に出会いました。今でも日々の業務

で、立ち戻りたい教訓である一方、来談が定期的になっていくとき、相談場面が、来談者に

とっても毎日の生活空間とは異なる、一つの日常となっているよう感じることがあります。

心理支援についての新しい資格は、密室性などの非日常とは異なる専門性をえがいて、より

一層の社会性や責任をカウンセラーに求めています。日々の相談業務への影響も無縁では

なく感じますが、日常か非日常か二者択一ではない、日常の多重さを生きていくときに、自

らのよって立つものとして、これまで保護者や先生方からおあずかりしてきた子どもの成

長への願いを、変わらず大切にしたいと感じます。

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心理療法における出会い

臨床心理相談専門員 土井奈緒美 私がこの職場に就任し4年目の終わりが近づいてきました。4年の歳月のなかで私は多

くの子どもや保護者の方と出会ってきました。心理療法においてクライエントとの初めて

の出会いは非常に重要なものです。初めてのクライエントと出会う際、私は、一体どのよう

な方がいらっしゃるのだろうか、といつも期待と不安で胸がいっぱいになります。クライエ

ントもまた同様に緊張されて来談されます。学校から紹介されたものの、一体何を話せばよ

いだろうかと思っている保護者の方や、よく分からないままに連れてこられ困っている子

どもなど、様々な思いを抱えていらっしゃいます。クライエントとの初めての出会いは「イ

ンテーク面接(受理面接)」と呼ばれますが、そこではその方に対しどのような援助ができ

るのかを見立てる必要があると言われます。それと同時に私は、感覚的な言葉で恐縮なので

すが「良い出会い」ができたかどうかを重視しています。例えば、学校への不満について語

られるお母さんのその怒りの背後にある不安の気持ちに気づくことができた場合。または

緊張で固まっていた子どもが共に遊んだりお話したりするなかで少し笑顔が出てきた場合。

そういった「こころ」が通じ、「こころ」に寄り添うことができるような出会いが「良い出

会い」ではないかと感じます。初めての出会いの際には、顔を合わせるという物理的な出会

いのみならず、「こころ」が出会えるような「良い出会い」ができるように心がけています。 私は、コメンテーターという立場で事例検討会に参加する際には、先生とその子どもとの

初めての出会いがどのようなものだったのかをお尋ねするようにしています。事例検討会

で検討する子どもは、不登校や問題行動などの何かしら気になるところが顕在化した子ど

もの場合がほとんどです。そこで用いられる資料には、例えば、いつ頃から学校を休みだし

たかなど、気になることが生じ始めた頃からの情報が書かれている場合が多いのではない

かと感じます。そういった情報に加え、その子どもとの初めての出会いがどのようなもの

だったのか、「良い出会い」ができたのかどうかという視点を加えることで、その子どもの

イメージが膨らむように思います。心理療法における初めての出会いはお互いに初対面で

の出会いです。それに比べると、学校現場における初めての出会いには心理療法における出

会いよりも様々な出会いが想定されます。初めての出会いが一学期の始業式でそのときに

交わした言葉から「良い出会い」ができる場合もあるでしょう。または、学校内で顔を見る

機会はあったものの、言葉を交わし「こころ」を通わすことができたのは、出会ってから数

か月経った後という場合もあるでしょう。実際にそういった出会いの体験をお聞きするこ

とで、私の中でイメージが広がり、子どもへの理解が広がるように思います。 心理療法においてはクライエントとセラピストとの関係の中でお互いがお互いに影響を

与え合いながら心の変容が促されます。まずその最初の段階としての初めての出会いを大

切に今後もクライエントとお会いしていきたいと思います。

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あとがき

本年度も、三重県総合教育センターにおける教育相談事業の取組の一端を、教育相談年報

「道程(みちのり)」にまとめることができました。ぜひ、多くの方々にお読みいただき、

ご指導をいただければ幸いです。

当センターでは、臨床心理相談専門員を6人配置するとともに、教育相談に係る研修講座

を実施してまいりました。子どもたちの行動や言葉のわずかな変化等の兆候を察知し、不安

や葛藤等の内面の感情に寄り添った支援ができるよう、教職員が教育相談に係る力量を高

めるとともに、子どもたちへのかかわりの質を高めてもらうための取組を進めてまいりま

した。全22講座中14講座においては臨床心理相談専門員が講師を務め、事例検討も取り

入れながら子どもの心に想いを巡らせながら研修を進めることができました。また、「グ

ループイメージデザイン法」「教育相談についての普段づかいのワークシート」の調査

研究をさらに進め、教育相談研修での活用や東海北陸教育研究所連盟研究協議会の場で三

重県の取組として情報発信させていただく機会にも恵まれました。さらに、7月豪雨被災地

活動に臨床心理相談専門員を派遣するなど、臨床心理相談専門員の専門性を広く学校現場

等で活かせる取組を前進させることができたのではないかと思っています。

教育相談件数は、依然として高い数字が続いています。子どもや保護者、学校の期待に応

えるため、当センターが果たす専門的教育相談(二次的教育相談)の役割は、年々大きくなっ

てきていると感じています。当センターに相談すれば何とかなる、こうした期待に精一杯応

えていくために、今後もさらに当センターの教育相談体制の充実を図っていきたいと考え

ています。さらに今年度は県内中高生を対象にSNSを活用した相談窓口「子どもLINE

相談みえ」を開設しました。窓口には子どもたちからの電話相談を大きく上回る件数の相談

が寄せられおり、子どもたちが相談したい時に気軽に相談できる新たな相談窓口になるの

ではないかと考えています。

子どもたちの心の問題は複雑化・多様化しており、学校では今後も心の支援を充実させて

いくことが大切です。「道程(みちのり)」は、当センターの取組の一端ではありますが、学

校の教育実践の一助としてご活用いただければ幸いです。かけがえのない子どもたちの笑

顔のために、これからもみなさんと一緒に歩んでまいりたいと考えています。

最後になりましたが、三重県の教育相談を見守り、大きな視野からのご助言を賜りました

京都大学名誉教授の藤原勝紀先生に厚く御礼を申し上げます。

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平成30年度 研修企画・支援課 教育相談班 スタッフ一覧

班長 大瀧 剛

主幹兼研修主事 西田 佳弘

主幹兼研修主事 加藤 桂輔

研修主事 中谷 洋祐

臨床心理相談専門員 粟飯原 拓也 松本 拓磨 土井 奈緒美

松波 美里 加藤 のぞみ 樹下 勝弥

西澤 伸太郎

研修員 中西 康之

教育相談嘱託員 鈴木 繁美 加納 圭子 荻原 くるみ

■ 発 行 平成 31 年 3 月 31 日

■ 編集者 三重県教育委員会事務局 研修担当(総合教育センター)

研修企画・支援課 教育相談班

〒514-0007

三重県津市大谷町 12 番地 TEL 059-226-3728

FAX 059-226-3706