6
単元の確認 中学校やこれまで学習したことを参考に,下の年表中の太枠のおもなできごとを中心 とした,この時期の日本や中国の歴史についてふり返り,グループのメンバーで話し合ってみよう。 act.1 グループ内で役割①~④を決め,それぞれ自分が担当するミッションについて考えよう。 *中学校のときの知識と比べて,どのような違いがあるかという視点を意識してみよう。 *メモ欄には,自分が担当する箇所は,ほかの人への説明を,ほかの人が担当した箇所には, 説明された内容を書こう。 act.2 『明解 世界史A』1部3章4節  「東アジアの大変動」 単元を貫く問い :単元のラストで明らかに! ・欧米諸国の東アジア進出について,中学校時代に学習した知識をふり返る。 ・この単元について,自分が考える軸となるテーマを設定する。 1800 1850 1900 仏:ナポレオン ,皇帝に 即 位 全 体:ウィーン体 制 確 立 仏:七月革命 英:選挙法改正等の自由化改革 仏:二 月革命 → 諸 国 民 の 春 イタリア王国成立 ドイツ帝国成立 ベルリン会議の開催 バルカン戦争 第一次世界大戦 中南米諸国で独立運動 →モンロー宣言発布 ゴールドラッシュ発生 南北戦争 フロンティアの消滅 パナマの独立 異国船打払令 ペリー来航 日米 和 親 条 約・日米 修 好 通 商 条 約 大政奉還,王政復古の実施→諸改革の実施(明治維新) 大日本帝国憲法制定 日清戦争 日露戦争 アヘンの輸入禁止 アヘン戦争勃発 →南京条約締結 太平天国の乱発生(滅満興漢) アロー戦争発生 洋務運動の実施(中体西用) 日清戦争 辛亥革命→中華民国成立,清朝滅亡 ミッション①- 南京条約(アヘン戦争)と日米修好通商条約において,イギリスやアメリカは, ミッション①- 東アジアに何を期待していたのだろうか。 南京条約 第2条 清国皇帝陛下は英国臣民がその家族従者を携えて広東,厦門,福州,寧波及び上海の市町において商業に従事 するため迫害または拘束をこうむることなく居住するを得しむべきことを約す。またグレートブリテンおよびアイ ルランド女王陛下(イギリス女王)は監督官または領事官を任命して前記各市町に居住せしめ,該地方の清国官 憲と右商人との間の通信の仲介者たらしめ下に定むるごとき清国政府の税金および料金が適当に英国臣民に より納付せらるる様監督せしむべし。 日米修好通商条約 第3条(抜粋) 下田箱館の外,次にいうところの場所を,左の期限より開くべし,神奈川・長崎・新潟・兵庫(時期省略)(中略)こ の箇条のうちに載たる各地は,亜墨利加人に居留を許すべし(中略)双方の国人品物を売買すること総て障りな く,その払い方等については,日本役人これに立ち会わず,諸日本人亜墨利加人より得たる品を売買し,あるい は所持する共に妨げなし, (後略) 第4条 総て国地に輸入輸出の品々,別冊の通り日本役所へ運上を納むべし(以下略) 出典:政策研究大学院大学 データベース「世界と日本」戦前日本政治外交文書より現代仮名づかいにあらためた。 出典:『近代史史料』1965年,吉川弘文館より現代仮名づかいにあらためた。 今日の目標 ミッション②- 日朝貿易,清朝貿易の側面から見た場合,日清戦争はなぜ起こったのだろうか。 出典:『岩波講座 世界歴史22 帝国主義時代I』1969年,岩波書店 表1 朝鮮輸出貿易における日清比較 (単位:メキシコ・ドル) 表2 朝鮮輸入貿易における日清比較 (単位:メキシコ・ドル) 百分比(%) 清国 日本 3 97 3 97 2 98 9 91 9 91 2 98 4 96 6 日本への輸出 377,775 488,041 783,752 785,238 1,122,276 3,475,098 3,219,887 2,271,928 清国への輸出 9,479 15,977 18,873 71,946 109,798 70,922 136,464 149,861 1885年 1886年 1887年 1888年 1889年 1890年 1891年 1892年 94 百分比(%) 清国 日本 19 81 17 83 26 74 28 72 32 68 32 68 40 60 45 日本からの輸入 1,377,392 2,064,353 2,080,787 2,196,115 2,299,118 3,086,897 3,226,468 2,555,675 清国からの輸入 313,342 455,015 742,661 860,328 1,101,585 1,660,075 2,148,294 2,055,555 1885年 1886年 1887年 1888年 1889年 1890年 1891年 1892年 55 年代 日本 中国 ヨーロッパ アメリカ

「東アジアの大変動」...act.2 ワークシート1 『明解 世界史A』1部3章4節 「東アジアの大変動」 単元を貫く問い :単元のラストで明らかに!・欧米諸国の東アジア進出について,中学校時代に学習した知識をふり返る。

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単元の確認 中学校やこれまで学習したことを参考に,下の年表中の太枠のおもなできごとを中心とした,この時期の日本や中国の歴史についてふり返り,グループのメンバーで話し合ってみよう。

act.1

グループ内で役割①~④を決め,それぞれ自分が担当するミッションについて考えよう。*中学校のときの知識と比べて,どのような違いがあるかという視点を意識してみよう。*メモ欄には,自分が担当する箇所は,ほかの人への説明を,ほかの人が担当した箇所には, 説明された内容を書こう。

act.2

ワ ー ク シ ー ト 1

『明解 世界史A』1部3章4節 「東アジアの大変動」単元を貫く問い :単元のラストで明らかに!

・欧米諸国の東アジア進出について,中学校時代に学習した知識をふり返る。・この単元について,自分が考える軸となるテーマを設定する。

1800

1850

1900

仏:ナポレオン,皇帝に即位全体:ウィーン体制確立仏:七月革命英:選挙法改正等の自由化改革仏:二月革命→諸国民の春

イタリア王国成立ドイツ帝国成立ベルリン会議の開催

バルカン戦争第一次世界大戦

中南米諸国で独立運動 →モンロー宣言発布

ゴールドラッシュ発生

南北戦争

フロンティアの消滅

パナマの独立

異国船打払令

ペリー来航日米和親条約・日米修好通商条約大政奉還,王政復古の実施→諸改革の実施(明治維新)大日本帝国憲法制定日清戦争

日露戦争

アヘンの輸入禁止

アヘン戦争勃発 →南京条約締結太平天国の乱発生(滅満興漢)アロー戦争発生洋務運動の実施(中体西用)

日清戦争

辛亥革命→中華民国成立,清朝滅亡

ミッション①- 南京条約(アヘン戦争)と日米修好通商条約において,イギリスやアメリカは,ミッション①- 東アジアに何を期待していたのだろうか。南京条約第2条清国皇帝陛下は英国臣民がその家族従者を携えて広東,厦門,福州,寧波及び上海の市町において商業に従事するため迫害または拘束をこうむることなく居住するを得しむべきことを約す。またグレートブリテンおよびアイルランド女王陛下(イギリス女王)は監督官または領事官を任命して前記各市町に居住せしめ,該地方の清国官憲と右商人との間の通信の仲介者たらしめ下に定むるごとき清国政府の税金および料金が適当に英国臣民により納付せらるる様監督せしむべし。

日米修好通商条約第3条(抜粋)下田箱館の外,次にいうところの場所を,左の期限より開くべし,神奈川・長崎・新潟・兵庫(時期省略)(中略)この箇条のうちに載たる各地は,亜墨利加人に居留を許すべし(中略)双方の国人品物を売買すること総て障りなく,その払い方等については,日本役人これに立ち会わず,諸日本人亜墨利加人より得たる品を売買し,あるいは所持する共に妨げなし,(後略)第4条総て国地に輸入輸出の品々,別冊の通り日本役所へ運上を納むべし(以下略)

出典:政策研究大学院大学 データベース「世界と日本」戦前日本政治外交文書より現代仮名づかいにあらためた。

出典:『近代史史料』1965年,吉川弘文館より現代仮名づかいにあらためた。

今日の目標

ミッション②- 日朝貿易,清朝貿易の側面から見た場合,日清戦争はなぜ起こったのだろうか。

出典:『岩波講座 世界歴史22 帝国主義時代I』1969年,岩波書店

表1 朝鮮輸出貿易における日清比較(単位:メキシコ・ドル)

表2 朝鮮輸入貿易における日清比較(単位:メキシコ・ドル)

百分比(%)

清国 日本

3 97

3 97

2 98

9 91

9 91

2 98

4 96

6

日本への輸出

377,775

488,041

783,752

785,238

1,122,276

3,475,098

3,219,887

2,271,928

清国への輸出

9,479

15,977

18,873

71,946

109,798

70,922

136,464

149,861

1885年

1886年

1887年

1888年

1889年

1890年

1891年

1892年 94

百分比(%)

清国 日本

19 81

17 83

26 74

28 72

32 68

32 68

40 60

45

日本からの輸入

1,377,392

2,064,353

2,080,787

2,196,115

2,299,118

3,086,897

3,226,468

2,555,675

清国からの輸入

313,342

455,015

742,661

860,328

1,101,585

1,660,075

2,148,294

2,055,555

1885年

1886年

1887年

1888年

1889年

1890年

1891年

1892年 55

年代 日本 中国 ヨーロッパ アメリカ

ミッション③- 下の絵はどんな事件のどんな状況を表したものだろうか。

ミッション④- 当時の日本政府は辛亥革命をどのように考えていたのだろうか。

今日の授業を通してイメージした,この単元で学習することについて生じた疑問を問いの形で(~だろうか,~ではないのか等)表現してみよう。

君主立憲制の樹立による中国時局収拾に関する対英申し入れ

◎私にとってのこの単元の問い(この単元の私の学習テーマ)

◎今日をふり返って

年 組 番 名前

自分以外のグループメンバー

[補足]中国同盟会を設立して,三民主義を掲げた孫文は1911年に辛亥革命を起こし,清朝の打倒と共和政の樹立をめざした。中国は秦の始皇帝から清朝にいたるまで,皇帝(天子)が治める帝国であった。

目下清国において根本的論議の主題となれるは君主共和両制の得失論なりといえども,共和制度のごときは(中略)これを現下の状況に鑑みるに清国においてこれが実行の用意ありとも思惟するを得ず,ことに革命軍の実情にして前記のごとくなる限り共和制の実現は,到底その望みなき次第にある,(中略)帝国政府はこの際一方満州朝廷(清朝)をしてこの主義を承認しもって永く社稷(国家)を保つの得策なることを自認せしめ,一方革命軍をして共和説の遂に空言に終わり,これがためかえって国家の存立を危くしいたずらに漢人の難苦を招くが如き悲境に陥るのおそれあることを了解せしめ,(中略)清国に重大なる利害を有する諸国間の協調により朝廷の存立と漢人の地位の尊重とをはかることとなすを得策なりと思考する次第なり。

出典:『近代史史料』1965年,吉川弘文館より現代仮名づかいにあらためてある。

act.3

該当するところに◯をつけよう。 右に行くほど達成度が高い。ConnectionやExtensionsが増えるといいね!

問いを表現する

資料の読み解きと歴史の用語

Ideas(知識) Connection(つながり) Extensions(応用・発展)

話し合い・記述

・史料の読み解きと共有を通し,中学校で学習したことや史料から読み取ったことと,今社会で起こっていることを関連させた問いを表現することができた。

・中学校のときに学習した諸事件がどのような史資料をもとに書かれているかを理解し,学習した知識の再構築ができる。

・自分の意見と相手の意見を総合して,より高度な新しいアイデアを生み出すことができる。

・史料の読み解きと共有を通し,中学校で  学習したことに対し,別の考え方の可能性があることを示す問いを表現することができた。

・これまで学習した歴史や政治の用語を今日の資料の中に正しく位置づけて理解し,考えることができる。

・自分の考えと相手の考えの,共通点と相違点がそれぞれにどこにあるのかをつかみ,正しく関連づけすることができる。

・史料の読み解きと共有から,疑問に思ったことを表現することができた。

・資料を読んで,書いてある内容が正確にわかる。

・自分の考えを文章にしてまとめることができる。・話し合いで,相手の言いたいことをくみ取ることができる。

(      )

図版:美術同人社

ワ ー ク シ ー ト 2

欧米の東アジア進出は,現在の日本や自分自身の生活に何をもたらしたのか。単元の問い :欧米の東アジア進出は,現在の日本や自分自身の生活に何をもたらしたのか。

・欧米の東アジア進出と日本における明治維新の経緯を,両者の関係をふまえて正しく理解できる。・欧米の進出によって東アジアにもたらされた「主権国家」の概念が何を生み出したのか考察することができる。単元の目標

本時の問い :日本の歴史にとって近代化はよいものだったのだろうか,悪いものだったのだろうか。

・ここまでの学習をふまえ,欧米の来訪による東アジアの変化は,発展だったのか否かについて自分の見解をもてる。・明治維新による日本の主権国家化をさまざまな角度から考察し,自分なりの評価をすることができる。本時の目標

(個人)

(グループ)

ワーク① 資料①,②から,欧米の進出による東アジア(日本と中国)の開国と交易の自由化は経済的にどのようなことをもたらしたと考えられるか読み取りなさい。

(個人)

(グループ)

ワーク④ 資料⑤から,明治新政府は北海道の人たちや沖縄の人たちをどうしようとしていたのかを読み取り,ワーク③で読み取った内容と比較して,国家がめざしていた方向性と合致していたかを考えなさい。

(グループ)

ワーク③ 資料④から,廃藩置県によって明治新政府がどのような国家をめざしていたかを読み取りなさい。

(個人) 漱石の考えは

私はこの見解に 賛成 / 反対  理由は

(グループ)

ワーク② 資料③から,当時の知識人の一人である夏目漱石が,日本の開化についてどう考えていたかを読み取り、この意見に賛成か反対か,自分の見解を明らかにして示しなさい。

WORK

WORK

WORK

WORK

この単元の学習を通して自分が感じたことをまとめなさい。また,学習を通して自分の「問い(課題)」に生じた変化を確認するため,新たに「問い(課題)」を立てなさい。

各項目に対して,該当すると思われるものに◯をつけよう。 ConnectionやExtensionsが増えるといいね!

資料の読み解き

歴史や事件の用語

Ideas(知識) Connection(つながり) Extensions(応用・発展)

話し合い・記述

最初に立てた問いと,その問いに対する自分なりの解答。

単元を学習したうえでの新しい問い。

・読み取ったことや歴史の知識をもとに現在の社会や自分の周囲について考察し,根拠のある問題の解決法を人に説明することができた。

・歴史上起こったできごととできごとのつながりを通し,大きな物語の中に位置づけることによって,できごとに新しい意味づけをすることができた。

・自分の意見と相手の意見を総合して,メンバーと協力してより高度な新しいアイデアを生み出すことができた。

・資料から読み取ったことを,これまで学んだ知識と結びつけて考察し,日本の近代化についての理解を深めることができた。

・これまで学習した歴史や政治の用語を今日の資料の中に正しく位置づけて理解し,考えることができた。

・自分の考えと相手の考えの共通点と相違点がどこにあり,なぜそうなるかを話し合うことができた。

・資料を読んで,必要な情報を正確に読み取り,理解することができた。

・資料に出てくる用語や事件が,何を意味するするのかわかった。

・自分の考えを文章にしてまとめ,メンバーに伝えることができた。・話し合いで,相手の言いたいことをくみ取ることができた。

(個人)

(グループ)

ワーク⑤ ここまで学習したことと資料⑥から,近代国家のもつ性格についていろいろな角度から考え,日本や東アジアにとって,近代化はよかったと思うか,悪かったと思うか,自分の考えをまとめなさい。

WORK

年 組 番 名前

自分以外のグループメンバー

(      )

まとめ

ワ ー ク シ ー ト 2 資 料 編

[ 資料① ] アロー戦争後の中国と日本の生糸輸出量

[ 資料② ] 明治維新以後の日本の産業構造と経済

[ 資料④ ] 明治天皇による廃藩置県の詔

出典:顧国逹,濱崎實,宇山満「清末期における中国生糸輸出量変動の要因分析(1868~1911)」1995年,日蚕雑 64(2),pp.110~116より

出典:経済企画庁『平成12年度 年次経済報告』(経済白書)出典:経済企画庁『平成12年度 年次経済報告』(経済白書)

(1):輸出(総)量は5ヶ年平均値。(2):1881年までの柞蚕糸には少量の粗家蚕糸を含む。1担を60.453kgとして算出。China Maritime Customs:Annual Trade Reports and the Trade Returns of the Various Treaty Ports,1868-1912。1俵を60.0kgとして算出。日本農林省蚕糸局(1962):蚕糸業要覧,A-6。

備考 1:1940年以前と1960年以降は,概念上必ずしも一致しない。 2:1885~1940年の政府サービスは公務のみ。 3:不動産業の付加価値には,帰属家賃も含まれている。 4:四捨五入により,それぞれの足し上げが各産業合計,総合計と一致しない場合がある。

備考 1:1955年でリンクして,90年価格としている。 2:実質国民所得=名目国民所得/GNPデフレータ

第1表 清末期・明治期における日中両国生糸輸出量の推移(1868~1912年)

第2-序-2表 経済構造の変化 産業構造の変化 第2-序-1図 1人当たり実質国民所得の推移

年 次

暦年

合計

188545.2

14.7

0.8

10.7

3.2

40.2

2.5

3.5

100.0

39.4

21.2

1.8

15.0

4.5

39.4

3.7

3.1

100.0

30.2

29.1

3.4

20.6

5.0

40.7

6.5

2.9

100.0

18.8

47.4

2.7

37.0

7.7

33.8

4.9

3.4

100.0

12.8

40.8

1.5

33.8

5.5

46.4

11.4

3.5

7.4

7.3

7.4

6.2

3.3

100.0

5.9

43.1

0.8

34.9

7.5

50.9

13.9

4.1

7.8

6.7

9.3

6.1

0.0

100.0

3.6

37.8

0.5

28.2

9.0

58.7

14.8

5.0

9.1

5.9

11.3

8.2

4.4

100.0

1.7

31.7

0.2

22.6

8.9

66.7

11.3

4.7

13.5

6.3

17.5

8.0

5.3

100.0

1900 1920 1940 1960 1970 1980 1998350

300

250

200

150

100

50

01885 1900 1915 1930 1945 1960 1975 1990 98

第一次産業(農林水産業)

第二次産業

鉱業

製造業

建設業

卸売・小売業

金融・保険業

不動産業

運輸・通信業

サービス業

政府サービス

その他

第三次産業

中 国(1)

家蚕糸 柞蚕糸

輸出量(t) 輸出量(t)割合(%) 割合(%)

生 糸輸出量

生 糸輸出総量

1868~1872 3,383.7 3,137.1 92.7 246.6 7.3 583.4

1873~1877 4,287.4 3,978.6 92.8 308.8 7.2 834.3

1878~1882 4,359.7 4,090.0 93.8 269.7 6.2 1,111.1

1883~1887 4,190.9 3,647.6 87.0 543.3 13.0 1,620.8

1888~1892 5,478.8 4,458.2 81.4 1,020.6 18.6 2,608.0

1893~1897 6,157.1 5,173.5 84.0 983.6 16.0 3,102.1

1898~1902 7,290.9 6,085.4 83.5 1,205.5 16.5 3,862.9

1903~1907 6,684.5 5,104.4 76.4 1,580.1 23.6 5,274.0

1908~1912 8,296.1 6,273.5 75.6 2,022.6 24.4 8.567.5

朕惟に,更始の時に際し内以て億兆を保安し外以て万国と対峙せんと欲せは,宜く名実相副ひ政令一に帰せしむへし,朕曩に諸藩版籍奉還の議を聴納し新に知藩事を命し各其職を奉せしむ,然るに数百年因襲の久き,或は其名ありて其実挙らさる者あり,何を以て億兆を保安し万国と対峙するを得んや,朕深く之を慨す,仍て今更に藩を廃し県と為す,是務て冗を去り簡に就き有名無実の弊を除き政令多岐の憂無からしめんとす,汝群臣其れ朕か意を体せよ

[ 資料③ ] 講演「現代日本の開化」に見る,夏目漱石の近代化評

西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって,日本の現代の開化は外発的である。こゝ に内発的というのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのをいい,また外発的とは外からおっかぶさった他の力で已むを得ず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと,西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが,御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開化はだいぶ勝手が違います。(中略)これを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるということに帰着するのである。むろん一から十までなにからなにまでとはいわない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎まなければ悪いが我我の開化の一部分,あるいは大部分はいくら己惚れてみても上滑りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実已むを得ない,涙を呑んで上滑りに滑ってゆかなければならないというのです。

出典:大久保利謙編『近代史史料』1965年,吉川弘文館より,片仮名を平仮名にあらためてある

出典:江藤淳・吉田精一編『夏目漱石全集 第九巻』角川書店

(t) (t)

日 本(2)

(年)

(万円,90年価格)

(構成比:%)

[ 資料⑥ ] パスカルによる国境と戦争に対する考察

パスカル『パンセ』の一節 なぜ私を殺すのだ。̶ ̶なんだって。君は水の向こう側に住んでいたのではないか。友よ,もし君がこちら側に住んでいたとしたら,私は人殺しになるだろうし,そして君をこんなふうに殺すのは正しくないだろう。だが,君が,向こう側に住んでいる以上,私は勇士であり,そしてそれが正しいことなのだ。

[ 資料⑤ ]「新しい日本」に対する統合

第一条 北海道旧土人ニシテ農業ニ従事スル者又ハ従事セムト欲スル者ニハー戸ニ付土地一万五千坪以内ヲ限リ無償下付 スルコトヲ得第二条 前条ニ依リ下付シタル土地ノ所有権ハ左ノ制限ニ従フへキモノトス  一 相続ニ因ルノ外譲渡スルコトヲ得ス  ニ 質権抵当権地上権又ハ永小作権ヲ設定スルコトヲ得ス  三 北海道庁長官(北海道知事)ノ許可ヲ得ルニ非サレハ地役権ヲ設定スルコトヲ得ス  四 留置権先取得権ノ目的トナルコトナシ  2 第三条ノ規定ニ依ル没収ヲ受クルコトナキニ至リタル土地ニ付テハ前項ノ規定ハ之ヲ適用セズ此ノ場合ニ       於テ譲渡又ハ物権ノ設定行為ハ北海道庁長官(北海道知事)ノ許可ヲ得ルニ非ザレバ其ノ効カヲ生ゼズ但シ       相続以外ノ原因ニ因ル所有権ノ移転アリタル後ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ第三条 第一条ニ依リ下付シタル土地ニシテ其ノ下付ノ年ヨリ起算シ十五箇年ヲ経ルモ尚開墾セサル部分ハ之ヲ没収ス第七条 北海道旧土人ノ保護ノ為必要アルトキハ之ニ関スル施設ヲ為シ又ハ施設ヲ為ス者ニ対シ補助ヲ為スコトヲ得

「北海道旧土人保護法」(抜粋) ※1899年に明治政府が制定したアイヌの人たちへの法律

「教育ノ道開クレハ,其他百般ノ事業ハ自然ニ理義弁別シ人心調和シ朝旨貫徹シテ,時勢ノ沿革万国ノ形勢ヲモ知リ,自ラ開化ニ至ルヘシ」(沖縄統治の責任者 河原田盛美)

「言語風俗ヲシテ本州卜同一ナラシムルハ当県施政上ノ最モ急務ニシテ,其法固ヨリ教育ニ外ナラス」(初代沖縄県令 鍋島直彬)

「於是県治上尤モ緊急トスル所ノ教育勧業其他諸般ノ事業ヲ施サン」(第二代沖縄県令 上杉茂憲)

沖縄県設置後の沖縄県に対する教育観

当時の錦絵にみる黒船の来航およびペリー像(インパクト大きかったんだろうね!)

出典:近藤健一郎「学校が「大和屋」と呼ばれた頃:琉球処分直後の沖縄における学校」,『北海道大學教育學部紀要』61,1993年,pp.105~142より

出典:アイヌ政策推進局アイヌ政策課

出典:小川幸司『世界史との対話ー70時間の歴史批評(中)』2012年,地歴社より

パスカルは,17世紀フランスの科学者(「パスカルの原理」等)にして哲学者(モラリスト)。主著『パンセ』では,人間とは何かについて多岐にわたり考察している。

Library of Congress, Prints & Photographs Division, LC-USZC4-1274

Library of Congress, Prints & Photographs Division, LC-USZC4-1307