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  • 悪徳の都に浸かる

    晃甫

  • 【注意事項】

     このPDFファイルは「ハーメルン」で掲載中の作品を自動的にPDF化したもので

    す。

     小説の作者、「ハーメルン」の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を

    超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。

      【あらすじ】

     何の因果か二度目の生を受けた男。

     立っていたその場所は、世界屈指の悪の都だった。

     輪廻転生モノ、若干の勘違い成分含。

  •   目   次  

    Main

     001 悪徳の街に彼らは立った 

    ──────────────────────────────────────────

    1

    ────

     002 本名不詳の男 

    22

    ────

     003 隻眼の修道女 

    41

     004 二挺拳銃と呼ばれるに至るま

    ──────────────

    で 

    62

    ──

     005 ラブレス家の女中 

    86

     006 四者四様デッドチェイス 

    ──────────────────────────────────────────

    107

    ─────

     007 猟犬の結末 

    126

    ──────

     008 泥の妖精 

    155

    ────

     009 第一の分岐点 

    177

    ─────

     010 開戦の狼煙 

    200

    ──

     011 片翼の妖精は笑う 

    222

    ────

     012 束の間の日常 

    253

     013 GO THE EAST 

    ──────────────────────

    279 014 異国の地にて彼らは集う 

    ──────────────────────

    298 015 犇めく悪党達は交わる 

    ──────────────────────

    321 016 蠢く悪意と良心の狭間で 

    ──────────────────────

    345 017 TOKYO SHOCK 

  • ──────────────────────────────────────────

    369 018 交錯する思惑の先に重なる決

    ──────────────

    意 

    390

     019 そして四者は動き出す 

    ──────────────────────────────────────────

    412

    ──

     020 彼らは戦地へ赴く 

    433

     021 HELL PARADE 

    ──────────────────────────────────────────

    456

    ───

     022 亡霊たちの行進 

    478

     023 狂乱の始まりは小さな息吹と

    ─────────────

    共に 

    503

    ───

     024 悪党達の輪舞曲 

    523

     025 FUJIYAMA GANG

    ────

    STA ADVANCE 

    548

     026 やがて来る嵐の前に 

    575

     027 迷い込んだ哀れな子羊たちへ

    ────────

    送る鎮魂歌 1 

    600

     028 迷い込んだ哀れな子羊たちへ

    ────────

    送る鎮魂歌 2 

    621

     029 舞台は整い、役者は集う 

    ──────────────────────

    650 030 紙一重の交錯は更なる混沌を

    ─────────────

    運ぶ 

    669

    ───

     031 巨影に潜むモノ 

    691

    ───

     032 騒乱の中心部へ 

    714

    ──────

     033 黄金夜会 

    736

  • ──

     034 跳梁跋扈の別天地 

    760

    ──────

     035 我々の戦 

    785

     036 JAPANESE AWAK

    ──────────────

    E 

    811

     037 SHOW MUST GO 

    ────────────

    ON!! 

    831

    ─────

     038 オールイン 

    854

    ───

     039 死の舞踏、序章 

    876

    ───

     040 死の舞踏、一章 

    898

    ───

     041 死の舞踏、二章 

    924

     042 死の舞踏は悪夢の夜へと 

    ──────────────────────────────────────────

    950

     043 そして狂宴が始まる 

    973

    ───

     044 夜は未だ明けず 

    996

     045 誰にでも平等に、朝陽は昇る

    ───────────────

     

    1021

     046 RIOT BEGINS W

    ────

    ITH SILENCE 

    1050

     047 Welcome to th

    ──

    e Black Party 

    1073

    ──

     048 悪意と殺意と真意 

    1097

     049 Opening of WA

    ──────────────

    R 

    1123

    ───

     050 クイックドロウ 

    1148

     051 FINE LINE 

    1167

    Other

  • ─────────

     後日談 1 

    1194

    ─────────

     後日談 2 

    1211

    ─────────

     前日譚 1 

    1230

    ─────────

     前日譚 2 

    1249

  • Main

    001 悪徳の街に彼らは立った

      世界にこんなにも荒んだ場所があるなんてことを、俺は知らなかった。

     日本で生まれ育ち、そしてその生涯を終えられた事がどれほど幸福だったのかを、俺

    は知らなかった。

    波野なみの 

    理一りいち

     ────

     それが、俺の前世から受け継いできた名前だ。

     前世から受け継いできた、と言うように俺には前世での記憶がある。所謂『転生者』と

    いうやつだ。

     とは言ってもよくあるテンプレ的な神様との対話だとか、不慮の事故で天命を全うす

    ることなく死んだとかいうことは全くない。ごく普通の一般家庭に生まれ、ごく普通の

    大学を出て、ごく普通の会社で働きながら愛する人を見つけて一緒になった。ごく有り

    ふれた人生をそれなりに楽しんで、最期は家族全員に看取られて老衰で逝った。どこに

    居る人間でも体験するような、そんな普通の人生だった。

     ああ、これで先立った妻に会いに行ける。そう考えていた事まで鮮明に思い出すこと

    1

  • が出来る。

     だからこそ、初めは自分の置かれている現状を正確に理解することが出来なかった。

     気が付くと、全く見覚えのない土地に立っていた。

     映画やドラマで急に場面が切り替わるかのように、七十九年の生涯を閉じたと思った

    瞬間だ。たった一瞬で、全く見知らぬ土地に放り出されていた。

     その時の自身の心境を一言で表すなら『これなんて夢?』である。漫画なんかでよく

    あるように頬を抓ってみても痛みはしっかりと感じる。空一面に広がる青空はとても

    夢や幻なんかには見えない程に綺麗で美しい。風に乗って感じる草木の匂いも、この現

    状が紛うことのない現実であることを示していた。

     通常、こんな意味不明の事態に陥ってしまえば半狂乱になりそうなものだが、不思議

    なことにそうはならなかった。

     理由は大体分かっている。俺は一度、死んでいるからだ。前世で一度死を経験してい

    る者にとってみれば、今更何が起ころうがそう取り乱したりはしないらしい。この世で

    最も忌み嫌われるものを経験しているからだろうか。自分の場合は寿命なので、受け入

    れざるを得なかったという方が正しいが。

     兎も角、前世のあの時点で俺は既に死んでいる。何がどうしてこの状況になったかは

    さっぱりだが、これはロスタイムや延長戦のようなものだと思えた。

    2 001 悪徳の街に彼らは立った

  •  本来であればそこで終わっていた筈の命が、どういう訳かこうしてまだ続いている。

     よくよく自分の身体を確認してみれば肉体もよれよれのジジイではなく、若々しい張

    りのある肉体だった。正確な年齢までは分からないが、恐らくは二十代前半から半ば辺

    りだろう。鏡がないので確認できないが、触っただけでもはっきりと分かる豊富な毛髪

    がいい証拠だ。まだ禿げていない。これは大事なことだ。

     神様なんてものの存在はこれっぽっちも信じちゃいなかったが、これは生涯真面目に

    働いて生きてきた俺への神様からのご褒美なのかもしれない。

     ふさふさと風に靡く髪の毛を弄りつつ、居るかどうかも定かでない神とやらに心の内

    で感謝した。

     どうせなら、楽しく過ごしていきたいものだ。

      ────そう思っていた時期が、俺にもありました。

      オカシイ。

     異変に気付いたのは、この見覚えのない地に立っていた日から何日か経ってからのこ

    とだった。

     まず前世で有ったものが存在しない。スマホや電気自動車なんてものはその概念す

    3

  • ら存在していないらしい。あるのは画面の存在しない最初期の携帯電話と市街地の至

    るところに設置された見慣れない形の公衆電話。それに排気ガスを撒き散らす年代物

    のディーゼル車。公衆電話なんてとっくに絶滅したと思い込んでいた俺は唖然とした。

     そして地名。こちらも俺が前世で記憶しているものとは微妙に異なっていた。仕事

    とは関係なく世界の地名にも明るかった俺でも聞いたことのないような地名が幾つか

    あったのだ。

     この時点で自身が見ず知らずの外国の地に立っていることは理解できていた。

     何せ街を歩く人間は黒人白人ばかりで日本人らしき人間は全く見当たらない。話す

    言語も基本的に英語。日本語は全く通じなかった。英語が話せたことが救いで、なんと

    かこの街の名称などの基本的なことを聞くことが出来たのだ。

     その話によればこの街の名は────ロアナプラ。

     …………。 

     無意識のうちに頬を冷や汗が伝った。

     この名称、どこぞの漫画で読んだことがあった。確かそう、主人公の日本人がとある

    事情から海賊紛いの仕事を一緒にこなすようになるという話のガンアクション。アニ

    メ化もされていたあの漫画。

     つうか、『BLACK LAGOON』だ。

    4 001 悪徳の街に彼らは立った

  •  読んだのはまだ若かった頃なので詳しい記憶は曖昧だが、間違いないのは平然と殺人

    なんかが行われる裏の世界を描いた漫画だったということだ。登場キャラたちは皆一

    癖も二癖もあるような連中ばかりで、必ず銃を携帯している程の危険地帯。それが物語

    の中心地、ロアナプラだったのである。

     やべ、そう考えたら周りの連中が全員殺人者に見えてきた。というか皆俺の方を見て

    いる。当たり前か、今の俺の格好はサラリーマン時代に着用していたスーツというこの

    場に酷く合わないものなのだ。このままではいつ強面の奴らに声を掛けられるかた

    まったもんじゃない。

     取り敢えず今はこの場を離れることが先決だ。

     なんで漫画の世界に転生してしまったのだとか、神様特典的なものは何一つないのか

    とか、言いたいことは色々とあるがそれもこの先命が続けばの話。このまま何もするこ

    となく生きていけば間違いなく近いうちに死ぬ。此処はそういう場所なのだ。延長戦

    で与えられた命にまだどこか違和感を感じるが、ただ死ぬのは嫌だ。折角漫画の世界に

    来たというなら、原作キャラの一人や二人に会ってみたいとも思うし。

     取り急ぐべくは寝床と金だ。

     この二つが無ければ始まらない。 

     寝床に関しては最悪の場合野宿でも構わない。治安最悪のこの街の外で夜を明かす

    5

  • というのは正直非常に不安だが、女子供というわけでもない。変なチンピラたちに絡ま

    れたりしない限りは大丈夫だろう。それよりも問題なのは金銭である。タイの通貨な

    んてものを持っている筈もなく、おまけに良心的な人間なんてものもこの街に居るとは

    思えない。

     これはまずい。そこいらの路地裏で野垂れ死んでいる未来が容易に想像できた。

     何も持たない、正真正銘手ぶらからのスタート。

     俺こと波野理一という青年は、本当に何もないまっさらな状態でこの世界で生きてい

    くことを余儀なくされた。

     さて、前置きが少しばかり長くなってしまったが、これが俺がこの世界にやって来た

    経緯である。

     今一度言っておこう。

     俺の前世での名前は波野理一。この世界での呼び名は────。

       1

      

    6 001 悪徳の街に彼らは立った

  •  ロアナプラという街は、一言で言えば犯罪都市。

     そうロックは黒人の大男に言われていた。

     度重なる不運。彼は今の自分の置かれた立場をそう思うことしか出来ないでいた。

    特別何かに秀でていたわけではない。父や兄が官僚だったこともあって一浪の末に国

    立大学に入学。その後一流企業に就職したが毎日をただ怠惰に過ごしていた。これと

    いった目的があって入社したわけでもない。ただ、体裁を保つため。

     それがいけなかったのだろうか。

     ロックこと岡島緑郎は考える。

     視界いっぱいに広がる大海原をぼけーっと眺めながら、彼は渡された煙草を吸った。

    「……って、やっぱりおかしいだろこんなの!」

    「騒ぐなよロック。今更どうしようもねぇんだ」

    「大体あの女が俺を人質にするとか言い出すから!」

    「オーケー、だったらレヴィに今すぐ引き返せと言ってきな。風通しが良くなるぜ」

     にやりと笑うその大男にロックは言い返すことが出来なかった。

     風通しが良くなる、という言葉が冗談でないことを既に体験しているからだ。あの女

    なら平然とやるだろう。人を殺すという行為に何の躊躇いも持っていないようなあの

    女なら、いとも容易く。

    7

  • 「…………」

    「分かったら港に着くまで大人しくしてな。何もしやしねぇよ、仕事さえ無事に終われ

    ば後は関係ねぇ。晴れて俺たちともオサラバさ」

    「はあ……、なんでこんなことになっちまったんだ……」

     そもそもの発端は、時を少しばかり遡る────。

     旭日重工。

     その資材部東南アジア課。それがロック、岡島緑郎が勤めていた職場だった。日本で

    も大企業と呼ばれる一流企業の一つだ。

     特に何のやりがいもなく働いていた彼のその日与えられた仕事は、支社長であるボル

    ネオという男性に一枚のディスクを届けること。目的地である支社へは船を使わなく

    てはならなかった為、彼は何の疑いも抱くことなく、用意された船へと乗り込んだ。

     その数時間後、彼の乗った船は海賊紛いの二人組にあっさりとジャックされた。

     今思い返してみても、その手際は見事としか言えない。どうやら船の側面に小型の

    ボートをつけていたらしいその二人は流れるような動作で乗組員たちを拘束して集め

    た。当然、その中には自身も含まれていた。

     そしてどうやら、二人の目当てのブツは自分自身が持っているらしい。

    日本人

    ジャパニーズ 

    「ヘイ

    。テメエが旭日重工の社員か?」

    8 001 悪徳の街に彼らは立った

  •  英語で話しかけられたが、仕事柄英語を始めとする言語には堪能だった岡島はどもり

    ながらも眼前の女へと返答した。

    「あ、あぁ。そうだけど……」

     チャッ、と。

     目の前の女はごく自然な動作で、ホルスタから銃を抜いて岡島へと突き付けた。

    「オーケィ。ディスクか何か持ってんだろ、出しな」

    「な、何でお前らに渡さなくちゃいけな────」

     最後まで言葉を言い切る前に、冷たく固いものが額に宛がわれた。ゴリ、と捩じるよ

    うにしながら女は言う。

    「日本人、悪いがこれはお願いでも提案でもねぇ。命令だ、do you unders

    tand?」

     日本に居たままでは決して見ることは叶わなかったであろうその武器を前に冷や汗

    が止まらない。

     彼にしてみれば自分はただ与えられた仕事をこなそうとしたに過ぎない。だという

    のにどうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか。正常な思考が定まらないまま、岡

    島は命惜しさに厳重に保管していた一枚のディスクを手渡した。誰しも命は惜しい。

    たとえこの失態によって職を失おうが、我が身が一番大切である。

    9

  •  女は渡されたソレを一瞥し、銀に光る銃をホルスタへと戻した。

     ホッ、と胸を撫で下ろす岡島だが、次の瞬間には甲板を勢いよく転がっていた。

     銃弾をぶち込まれたわけではない。女の拳が鼻っ面に叩き込まれたことによる衝撃

    だと理解したのは、鼻から垂れる血が甲板を汚してからだった。

     鉛玉を食らわなかっただけマシなのかもしれないと思ったのは、このすぐ後のこと

    だ。

    「おいダッチ。コイツどうする?」

    「どうしたもこうしたもねぇ。他の乗組員と一緒に縛って放置だ。運が良けりゃフィリ

    ピン海軍かなんかが助けてくれるだろうさ」

    「態々縛り直すのも面倒だ。膝の辺りを撃っちまった方が早い」

    「必要ねぇ。これだけありゃあ十分だ」

     どうやら他の乗組員たちを縛り終えたらしい黒人の大男が女の手からディスクを受

    け取る。

     ダッチと呼ばれたサングラスの大男は乗組員たちに追跡はするなと告げると、そのま

    まそそくさと自らの船へ戻っていった。

     ああ、ようやくこの悪夢から解放される。今度こそ安堵した岡島だったが、どうも彼

    の不幸はこんなところで終わってはくれないらしい。

    10 001 悪徳の街に彼らは立った

  •  ぐいっと。

     先程収められていた筈の女の銃口が、彼の首元に突き付けられていた。

    「……え、」

    「何呆けた声を出してやがる。お前も一緒に来るんだよ」

     そんなわけで無理矢理船に連行されて以下略。

    「……何で拐われなきゃいけないんだ……」

    「まだ言ってんのかロック。男なら潔く受け入れやがれ」

     時は戻り、再び甲板の上。

     三本目の煙草に火を付けたダッチを横目に、ロックというあだ名を付けられた青年は

    途方に暮れていた。これからどうなるのだろうか。旭日重工が自身を擁護してくれる

    とは思えない。会社のためにトカゲの尻尾切りにされるなんてことは容易に想像出来

    た。

     事実、先程繋がった通信では上司に直接『南シナ海に散ってくれ』と告げられたのだ。

    この時点でロックに人質としての価値は失われた為、ガンマンの女、レヴィが始末しよ

    うとした所をダッチが宥めて今に至る。

    「くそ、くそ……。あいつら、俺のことなんて何とも思っちゃいない」

    「スケープゴートにされたのは同情するがなロック。今は取り敢えず落ち着けよ」

    11

  • 「落ち着く? これが落ち着いていられるかよ! 俺のこの先の人生が全く見えなく

    なっちまったんだぞ! 死んだことにされるんだ!」

     今思い返してもショックで受け入れることが出来ないでいるロックに、ダッチは数秒

    沈黙して。

    「良し、飲むぞ」

     …………。

    「へ?」

    「ムカつくことがあったってんなら飲んで忘れるのが一番だ。こうして出会ったのも何

    かの縁。酒くらいは奢ってやる」

     いつの間にか酒を飲む流れになっていた。

     いや、ロックとしてもこの何とも言えない気持ちを流すためにも飲むという選択肢は

    大いにアリだが、如何せん周りの連中が胡散臭すぎる。

     大男の黒人に超絶短気な女ガンマン。おまけに自称天才ハッカーときたもんだ。

     正直、こんな面子に囲まれて飲む酒の味が分かるかどうか怪しかった。

    「……もうどうにでもなれ」

     半ばヤケを起こしながら、ロックは諦めの溜息を吐きだした。

     こうなってしまったことはもう仕方がない。まずは腰を落ち着けてこれからの事を

    12 001 悪徳の街に彼らは立った

  • 考えよう。そう結論づけて、ロックはカモメの飛び回る空を見上げる。

     こうして彼を乗せたままの魚雷艇は、犯罪都市ロアナプラへと戻っていったのだっ

    た。

        2

      「で、何しに来たんだよ」

    「あら、随分と機嫌が悪そうね」

    「お前が来るとロクなことにならないからだ」

     ロアナプラの一角に佇む小さなオフィス。その室内に置かれた椅子に座る俺の前に

    は、数人の人間が立っていた。

     目の前で妖艶に微笑む女に、俺は不機嫌な表情を崩さないまま答える。

     この無法都市に放り出されて早十年。なりふり構わず生きてきた結果、この街でそれ

    なりの地位を手に入れていた。

    13

  •  いや、うん。俺には行き過ぎた扱いだとは思うのだけれど、この街では地位が高くて

    困ることはない。貰えるものは貰っておくのが信条である俺としては、例えそれが偽り

    の評価であっても受け入れておくべきだと考えてのことだ。バレた時が怖いけど。

     さて、今俺の目の前に立つこの女は俺の友人というかビジネスパートナーというか、

    いつのまにかこうして仕事を依頼されるようになった。それ以前は鉛玉を相手にブチ

    込むために本気の殺し合いなんかもしたが、ほんとどうしてこうなったんだろうか。

     堂々とした振る舞いを崩さない女。名をソーフィヤ・イリーノスカヤ・バブロヴナ。

     この街での通称は、バラライカ。

    火傷顔

    フライフェイス 

     そう、あの『

    』である。

     彼女との出会いは俺がこっちの世界に来た十年ほど前に遡るが、それを今説明したと

    ころで何の意味もないので割愛させてもらう。

     とにもかくにも、俺はこうしてこのロアナプラを牛耳る人間の一人とコネクションを

    持つことに成功した。これは非常に幸運なことで、彼女の後ろ盾があるというだけでこ

    の街ではかなり過ごしやすくなるのだ。

     おんぶにだっことか言うんじゃねえぞ。

     綺麗な金髪を靡かせながら、バラライカはさっさと本題を切り出した。

    「旭日重工の件は知っているかしら」

    14 001 悪徳の街に彼らは立った

  • 「まあな。一応耳には届いているよ」

     俺の返答に、彼女は満足げに頷いて。

    「流石、それなら話は早いわ。どうも連中、E・O社を雇って機密保持を目論んでるみた

    いなの。このままだとダッチたちが心配だわ」

    「……それで、俺にどうしろってんだ?」

    「言わなければ判らない程バカではないでしょう?」

     ブルーグレイの瞳が、俺を真っ直ぐに見据える。

     俺なんかが対処するよりも、彼女が出張る方が余程早く片がつくんじゃないかと思う

    んだが、どうやら彼女もそこまでして派手に動きたくはないらしい。旭日重工との商談

    もこのあとに控えているそうなので、あまり派手にやりすぎると面倒事になるのだと

    か。

    「アナタなら上手くやるでしょう?」

     ニコッと。

     何も知らない人間が見れば見惚れてしまうような笑みを浮かべるバラライカ。

     しかし彼女の本性を知っている人間が見れば、その笑みの裏で何かを企てていること

    は明白だった。かと言って、ここで無理だと依頼を断ることも出来ない。彼女の信頼を

    失うということは、そのままロアナプラでの信用を失うことに直結するからだ。

    15

  • 「分かったよ。ダッチには俺から話をつけておく。必要があればE・O社を迎撃する。

    それで異存は?」

    「無いわ。貴方に限ってミスを犯すなんてこともないでしょうし」

    「随分と買ってくれてるみたいだな」

    「当然でしょう? 私と互角に遣り合える人間なんて、この街には片手の指にも満たな

    いもの」

     それだけ言い終えると、彼女は同志数名を引き連れてこのオフィスから出て行った。

     E・O社、エクストラ・オーダー社と言えば傭兵の派遣を行っている会社だ。あまり

    この街に関わる事案には首を突っ込んではこなかったのだが、今回は旭日重工からの依

    頼ということで詳細は聞かされていないのだろう。E・O社の中には生粋のジャンキー

    も少なくないので、自ら首を突っ込んできたという可能性もあるにはあるが。

     煙草を一本懐から取り出して咥える。

     肺いっぱいに取り込んだ煙を吐き出しながら、椅子に掛けてあったグレーのジャケッ

    トを手にとって立ち上がる。先ずはダッチに会いに行こう。この時間なら多分イエ

    ローフラッグにいるだろうし。そこで話をつけておけばいいだろう。久しぶりに俺も

    飲みたい気分だしな。

     そういやあ、この件があった時って主人公サマがこの街にやって来るんじゃなかった

    16 001 悪徳の街に彼らは立った

  • か?

     参ったな。何年もこの世界に浸ってるとそこらへんの知識も曖昧になってくる。

     十年という年月の長さを改めて実感しつつ、軽い足取りでオフィスの階段を下りて

    いった。

       3

      「ひどい」

     そう溢したのは、本日めでたくロアナプラ初上陸となった日本人、ロックだった。

     ダッチに連れられるがままやってきたイエローフラッグという名の酒場。飲む、と聞

    いて単純に居酒屋なんかを想像していたロックにしてみれば、目の前の光景はその居酒

    屋からはかけ離れすぎていた。

     まるで西部劇に出てくる荒れ果てた酒場みたいだ、とはロックの率直な感想である。

    「ひどいぞこの酒場は。まるで地の果てだ」

     そんなロックの言葉に反応したのは、彼の隣の席でグラスを傾けていたダッチだ。

    17

  • 「地の果て、ね。うまい喩えだなロック。ここは元は南ベトナムの敗残兵が始めた店で

    な、逃亡兵なんぞを囲ってるうちに気がつきゃ悪の吹き溜まりだよ」

     拳銃装備がデフォな酒場なんてのは聞いたことがないロックにすれば、何の装備も持

    たない自分が急に怖くなってきた。

     例えるならライオンの檻に迷い込んだハムスター状態だ。

    「居酒屋のほうがいいや……」

    「まあそう言うな。ついでだ、ちっとばかしこの街について教えておいてやろう」

     バーカウンターに腰掛ける二人の前に、新たなボトルが置かれる。それを片手で器用

    に開けつつ、ダッチは正面を向いたまま口を開いた。

    「なに、難しい話は一個もねえ。教えるのはこの街で絶対に怒らせちゃいけねえ人間た

    ちだ」

    「それって、この街を取り仕切ってる奴らとかか?」

    「いい線は行ってるが、そういうわけでもねえ。まぁ聞け」

     ダッチのボトルから注がれた液体を口に含んでロックは彼の方へと視線を向ける。

    その際、あまりの度数の高さに驚愕したのは秘密だ。

    「先ずはバラライカ。このロアナプラの実質的支配者と言ってもいい。ホテル・モスク

    ワの大幹部だ」

    18 001 悪徳の街に彼らは立った

  • 「ホテル・モスクワ……?」

    「表向きはブーゲンビリア貿易って名前なんだがな。早い話がロシアンマフィアだよ」

    「っ!?」

     マフィアなどというものに当然馴染みのないロックにはバラライカという人物を想

    像することは出来ないが、ダッチが怒らせるなと言うくらいだ。この街に滞在する僅か

    な間であっても、決して鉢合わせないようにしようと固く心に誓った。

    「次にシスターヨランダ」

    「シスター?」

     先程までマフィアが中心だった話で唐突に出てきたそのワードに、ロックは首を傾げ

    た。

     シスターとは教会に仕える修道女だ。神に仕える身の人間が、この街で怒らせてはい

    けない人間に分類されていることに違和感を感じる。だがロックの予想とは異なり、こ

    の街のシスターという輩はそこいらの神の使いではないらしい。

    「暴力教会なんて呼ばれている教会の大シスターだ。この街で唯一武器の販売を許され

    た教会でもある」

    「ぶ、武器の販売!?」

     教会がそんなものを取り扱っているなんていう事実に驚きを隠せないロック。ロシ

    19

  • アンマフィアの次は危険極まりないシスターたちである。平和の国日本で人生の大半

    を過ごしてきたロックには想像できない世界だった。

     しかし彼の驚愕は、更に続くことになる。

    「後は、そうだな。三合会ってのもあるが……、今言った奴らはまぁこの街の人間なら誰

    もが知ってる常識さ」

     グラスを呷って、ダッチはそこで言葉を切った。

     おもむろにロックへと顔を向けて、右手の人差し指をピンと立てる。

    「一人だ。本当の意味で怒らせちゃいけねぇのはな」

     言葉の意味が分からず、ロックは首を傾げる。

     先程ダッチの口から語られたロシアンマフィアや暴力教会に、一人という単位は当て

    嵌らない。バラライカやシスターヨランダのことを言っているというのなら一応の筋

    は通るが、彼の口ぶりからするに彼女たちのことを言っているのではないのだろう。

     今日足を踏み入れたばかりのロックですら、この街が常識はずれな場所であることは

    理解している。通り過ぎる人間の全てが犯罪者に見えてしまっているくらいだ。

     そんな街で過ごすダッチをして、怒らせてはいけないという人物。ロックは無意識の

    うちに生唾を飲み込んでいた。

    「一人……?」

    20 001 悪徳の街に彼らは立った

  •  戦々恐々としながらのロックの問いかけに、ダッチは小さく頷いた。

    「ああ、たった一人だ。この街を牛耳ってるマフィアどもよりも恐ろしいのはな。こい

    つさえ怒らせなけりゃ、とりあえずはロアナプラで生きていける」

     グラスに残った酒を飲み干して、ダッチは告げた。

    「────ウェイバー。そいつはそう呼ばれてる」

        

    21

  • 002 本名不詳の男

       4

      日本の見慣れた居酒屋とは似ても似つかない酒場のカウンター席。

     今日この日、全くもって理不尽な解雇通告を受け取った日本人ロックはなんとはなし

    にその名前をオウム返しのように呟いた。

    「ウェイバー?」

     酒を飲んでいたこともあり、いつもよりも少しばかり声が大きくなっていたことも

    あったのかもしれない。

     しかしそれ以上に、その名前はイエローフラッグの中によく響き渡った。

     理由は簡単。今までバカ騒ぎしていた店内の連中が、嘘のように静かになってしまっ

    たからだ。そのことに疑問を覚えるロックに、ダッチがその解答を示した。

    「その名前、あまり大声で言わない方がいいぜ。言ったら呪い殺されるわけじゃねえが、

    この街に来て日が浅い連中はソイツの逸話に震えあがっちまうからよ」

    22 002 本名不詳の男

  •  そう言い新しいボトルを開けるダッチは、口にしているにも関わらずそういった負の

    感情は抱いていない様子だった。

     ますます分からない。ロックは徐に店内を見渡した。

     どう見たってカタギの人間には見えない。店内に設置された丸テーブルに着いてい

    るのは全身刺青の黒人だったり顔中ピアスだらけの強面、その隣に着く女たちも一般人

    とは思えない派手で露出の高い衣服を纏っている。テーブルの上のカードやグラス、財

    布なんかと平然と肩を並べて鎮座している拳銃が、しかしながら不自然と思えない程に

    使い手の連中が恐ろしいのだ。

     そんな連中が名前を聞いただけで思わず口を閉じる程の人間。店の中央で乱闘紛い

    の殴り合いを起こしていた男たちまでがその手を止め、こちらを見ていた。

     恐怖の象徴のような存在なのかと思えば、ダッチは気安くその名を口にしている。一

    体どんな人物なのか、ロックの中でウェイバーと呼ばれる人間の人物像が全く定まらな

    い。

    「気になるのかい? ウェイバーのことが」

    「あ、えっと」

    「ベニーだよ。反対側で飲んでるタフで知的な変人のお仲間さ」

     ベニーと名乗る金髪髭面の青年は、ダッチやレヴィとは異なる雰囲気を醸し出してい

    23

  • た。

     どちらかと言えば、ロック自身に近いものを感じる。明白な戦闘タイプでないという

    だけなのかもしれないが。

     それを伝えると、ベニーは小さく笑った。

    「ボクは情報系統が担当だからね、二人みたいに敵本陣に突っ込んでドンパチやるなん

    てことはしないよ」

    「……あんたはどうしてこの街に?」

    「二年くらい前かな。以前はフロリダの大学に通ってたんだけど火遊びが過ぎてね、当

    時のマフィアとFBIを同時に怒らせちゃったんだ」

     何でもないように話すベニーだが、ロックは思わず持っていたグラスを落としそうに

    なった。

     マフィアとFBIから同時に追われるなど異常だ。日本で言えばヤクザと特殊警察

    から追われるようなものである。一体どんなことをすればそんな事態に陥るのか。

    「暫く逃げてたんだけどやっぱり捕まっちゃって、スーツケースの重石代わりに詰めら

    れそうになっていたのをレヴィに助けてもらったんだ」

    「レヴィってあの女ガンマンか」

     ちらりとロックは後方の丸テーブルに目をやった。

    24 002 本名不詳の男

  •  机上に置かれたバカルディをロックでもなくストレートで豪快に呷る彼女の姿は、ど

    うしても人助けをするようには見えない。ふと視線が合えば、今にも噛み付いてきそう

    な険呑さだ。

    「あれでも彼女、かなり大人しくなったらしいんだけど」

    「は、あれで?」

    「彼女ね、ラグーン商会に入る前は一時期ウェイバーの所にいたんだよ」

     またウェイバー。姿さえ知らない人間が、この街の多くの人間に関わっている。

    「ボクもそれ以前の彼女は知らないけど、今じゃすっかり丸くなったってウェイバーが

    言ってたよ」

    「ベニーはそのウェイバーって人には会ったことあるのか?」

    「勿論、ラグーン商会とも馴染みがあるよ」

     そう答えてベニーはウォッカの入ったグラスに口を付ける。アルコール度数はそれ

    なりに高い筈だが、ベニーはまるでジュースでも飲むようにそれを飲み干してみせた。

     この街の人間は総じて酒が強いのだろうか。そうロックが思ってしまう程、この酒場

    の酒の種類は偏っていた。特例でミルクなども出してくれるようだが、基本的にビー

    ル、次いで度数の高い酒がカウンターの奥に並んでいる。高級酒は少ないようだが、大

    衆酒場などこのくらいのものだろう。

    25

  •  ロックの手元にもダッチに注がれた酒が残っている。カクテルなんて気が利いたも

    のがあれば酔いもある程度コントロールできるが、この場にそんな洒落た酒があるわけ

    がない。どころかソーダも見当たらない。皆ストレートかロックが基本だ。

    「っと、すまねえ電話だ。ベニー、少し出てくる」

    「誰からだい?」

    「ウェイバー」

     ぶふぅッ、とロックは口に含んだ液体を吐き出しそうになった。それをなんとか寸で

    のところで堪えて、口と鼻を押さえながらダッチを見る。

     携帯を耳に押し当てて店の奥に消えていくダッチの声からは、先程までの陽気さは消

    えていた。

    「どうしたんだろう」

    「さぁ、でも彼が電話をかけてくるときは決まって仕事絡みだから、大方今日の件と関係

    してるんじゃないかな」

    「今日の件って、俺から奪い取ったあのディスクのことか?」

     昼間のことを思い出して顔を青褪める。銃口を突き付けられたことを鮮明に思い出

    してしまった。あれに勝る恐怖は、もしかすると今後訪れないのではないだろうか。そ

    うロックに思わせるほどの恐怖だったのだ。

    26 002 本名不詳の男

  •  因みに、聞けばベニーはその時魚雷艇内部で通信役を担っていたらしい。時折ダッチ

    が耳元の無線に話しかけていたが、その相手はベニーだったのだ。

    「そう。詳しい依頼内容はダッチしか知らないからボクもさっぱりだけど、ホテル・モス

    クワからの依頼だし後ろに大きな獲物でも掛かってるんじゃないかな」

    「ホテル・モスクワって、さっき言ってたこの街の……」

    「ロシアン・マフィアだね。この街が一応街としての形態を保っていられるのは彼らの

    おかげでもあるんだよ」

    「……? どういうことだ?」

    「こと戦闘に関してホテル・モスクワは随一だ。それがロアナプラで抑止力になって

    るってこと。じゃなきゃ今頃世紀末だ」

     日本人なら知ってるだろう? 北(ピー)の拳さ。ベニーは楽しそうに呟いた。なん

    でも日本の漫画やアニメは大のお気に入りなんだそうだ。

     そういった方向には詳しくないロックだったが、流石に北斗の(ピー)は知っている。

    適当に相槌を打ったロック、それがベニーは嬉しかったらしい。日本の漫画などこの街

    で理解できる人間などいないからか、彼の口からは洪水のように次々とアニメや漫画の

    話が溢れてくる。

    「おうベニーボーイ。そこらへんにしといてやれ、ロックが引いてるぜ」

    27

  • 「お帰りダッチ、電話はもう済んだのかい?」

     ダッチが電話から戻ってきたことで、ベニーのアニメ論は終わりを迎えた。そのこと

    に内心で安堵しつつ、しかしダッチの次の言葉で再び身体を強ばらせることになる。

    「ちいとばかり面倒なことになった。なんでも連中、傭兵派遣会社を────」

     ダッチの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

     瞬間、店内で閃光と共に爆発が巻き起こった。次いで轟く銃声。これが奇襲であるこ

    とに気がついたのは、ラグーン商会の面々だけだ。他の人間はそのことに気がつく前に

    蜂の巣にされるか、爆発に飲み込まれて焼死体になっている。

     爆発の寸前にシャツの襟を引っ掴まれカウンターへと放り込まれたロックは、なんと

    かその命を取り留めていた。見れば隣には飄々とした表情のレヴィ、反対にはやれやれ

    と肩を竦めるベニーの姿がある。

    「な、なんなんだ一体!?」

    「大方ディスクを奪われたお前んとこの会社が雇ったんだろうよ。いきなり手榴弾とか

    やってくれるじゃねえか」

     言いながらレヴィはホルスタに収められていた二丁の拳銃を引き抜く。弾倉を確認

    し、その口元を獰猛に歪める。その瞳が黒く、そして濁っていくような錯覚を覚えて

    ロックは背筋を震わせた。

    28 002 本名不詳の男

  •  だが戦闘態勢に移行していく彼女に、一言物申したい人間がいたらしい。同じくカウ

    ンターに身を隠していたこのイエローフラッグの店主、バオである。

    「やいレヴィ! またてめーらか! 一体何度この店壊しゃあ気が済むんだ!? 後で修

    理代請求すっからな!」

    「あいよー」

    「軽い! 全く誠意を感じねえよコンチクショウ! おいダッチ! しっかり耳揃えて

    払ってもらうからな!!」

    「あいよ」

    「ダメだこいつら死ねばいいのに!!」

     バオの叫びも銃声の中に消えていく。

     カウンターには防弾整備が施されているらしいので今は平気だが、このままでは埒が

    明かない。早急にこの状況を打開したいダッチは両手に拳銃、ベレッタM92FSln

    oxを構えたレヴィへ声を荒げて。

     二挺拳銃

    トゥー

    「行けレヴィ! 

    の名は伊達じゃねえってところ見せてやれ!」

     その直後、レヴィが動いた。

     一瞬にしてカウンターから飛び出し、空中で相手を確認、挨拶がわりとばかりに鉛玉

    をブチ込む。相手は手榴弾爆発による粉塵のせいか照準が定まっていないようだ。そ

    29

  • んな相手に容赦無く発砲。いくつもの血飛沫が酒場の壁を彩っていく。

     ここでようやく向こうも只者ではないと気がついたのか、イエローフラッグの正面に

    構えていたらしい人間たちの一斉射撃が起こる。外観が変わるほどの銃弾の嵐を凌ぐ

    べく、レヴィは再びカウンター裏へと飛び込んだ。即座に空になったマガジンを引き落

    とし、新しいものを装填する。

    「へいダッチ、アイツら一体なんなんだ」

    「おそらくアイツらがディスクを奪い返そうとする連中が雇った奴らだ」

    「掃除していいんだよな?」

    「愚問だ。だがここじゃ分が悪い、ウェイバーにゃあ悪いが一先ずこの場を離れよう」

    「サンセー」

     ダッチの提案にベニーが右手を挙げる。

     レヴィも特に異論は無いようで、ロックの首根っこを引っ掴んだまま店の裏口から抜

    け出す。尚も銃撃は止まないが、それらを一切無視して適当な車に四人は乗り込んだ。

    運転席にベニー、助手席にダッチ、後部座席にロックとレヴィを乗せた年代物のディー

    ゼル車は、敵の追撃を掻い潜りながら大通りへと走り出した。

      5

    30 002 本名不詳の男

  •   黄金夜会、と呼ばれる勢力がロアナプラには存在する。

     この悪徳の都と呼ばれる悪の巣窟の、実質的な支配者たちと言っていい連中たちのこ

    とだ。

     まずホテル・モスクワ。タイ支部の頭目であるバラライカを筆頭に部下も含めた全員

    が一線級の実力者たち。

     張維新

    チャン・ウァイサン 

     次に三合会。こちらは香港マフィアで、タイ支部のボスの名前は

    という。

    黒服にサングラスという出で立ちのおっさんだが、俺も人のことは言えない。

     そしてコーサ・ノストラとマニサレラ・カルテル。イタリアンマフィアとコロンビア

    マフィアの組織である。

     他にも幾つか傘下の組織はあるものの、これらの四つを総称して『黄金夜会』という

    認識で問題はない。この黄金夜会はロアナプラという地で多くの権利を有している。

    具体的にはその地位と利潤、この街で発生する収益には、全て黄金夜会が一枚噛んでい

    る。

     それぞれが圧倒的な規模の組織であることは言うまでもなく、この東南アジアの中で

    も重要な拠点となるであろうロアナプラを支配したいとの思惑から集まった。

     だが衝突したところでメリットはないと、こうして一時停戦のような形で纏まってい

    31

  • るのだ。当然ながら共存意識などはこいつらに存在しない。隙あらば咬み殺す所存で

    ある。

     弱肉強食。いつの世も変わらぬ不変の真理だ。

     弱者は淘汰され、強者だけが生き残る。そうして形成されていったロアナプラのシス

    テムとも言うべき黄金夜会。

     その中の一人に、どういうわけか俺は数えられているわけだが。

    「……どうしてこうなったんだ」

     そのせいでここ数年、俺へ突っかかってくるような人間はすっかりいなくなってし

    まった。いや、不要な荒事を避けるという意味では全く以って助かるんだけれど。

     なんでもこの街の若者の間では、俺に楯突くとその場で殺されるという与太話が実し

    やかに囁かれているらしい。とんでもない誤解だ、幾ら何でも即射殺なんてしない。

     それもこれも、恐らくはバラライカや張と密接に関わってしまった故のことだと考え

    ている。

     黄金夜会の一大勢力、そのトップたちだ。関係を持っている人間なんてのはそう多く

    ない。直通の番号を知っている人間なんてのは極少数だ。俺はそれを知っている。昔

    殺し合った仲ではあるが、今ではどちらともビジネスパートナーだ。ホテル・モスクワ

    や三合会に比べれば俺の経営する仕事なんてのはちっぽけだが、それでも二人は対等に

    32 002 本名不詳の男

  • 扱ってくれている。

     言ってしまえば俺はきっと二人の紐みたいなものなのだ。今与えられている地位な

    んかもお零れを頂戴しているだけで、決して俺一人の力で掴み取ったものではない。

     とは言えだ。例えどんな経緯があろうと、今こうして俺がこの悪徳の都である程度の

    地位を有していることには違いないわけで。

     折角所有している諸々の権利をそのままにしておくのもどうかと思うのである。身

    に余ることくらいは承知しているが、宝の持ち腐れとするには惜しいものだ。

     そこで数年前の俺が思い至ったのが個人経営の万事屋の真似事だ。

     この街にやってきてから築いた人脈を使い、依頼された仕事をこなしていく。その幅

    も今ではすっかり広がって、当初は郵便配達や逃げた妻探しだったのが今では逃げ込ん

    できたミャンマーの過激派部隊の殲滅なんてものが飛び込んできたりするのだ。

     流石に一人で現役軍人たちを相手にしたときは死ぬかと思った。今思い出しても肝

    を冷やす。なんだか知らないうちに相手が全滅していたのが幸いだろう。特に何かを

    仕掛けた覚えはないんだが、何故か張には褒めそやされた。

    「と、一応電話くらいしておいたほうがいいか」

     イエローフラッグへ向かう道すがら、ふと足を止めた。

     このまま直行しても問題はないが、いざ行ってみてその場にダッチが居なかった場合

    33

  • を考えると探すのが面倒だ。そう思い、ポケットに突っ込んであった最初期の携帯電話

    を取り出して耳に押し当てる。

     通話はすぐに繋がった。

    『もしもし』

    「ああダッチ。俺だよ」

    『一体どうしたってんだ』

     唐突に俺から電話が掛かってきたことを疑問に思っているであろう彼に、俺はさっさ

    と本題を切り出すことにした。

    「今バラライカから依頼受けてるだろう?」

    『何で知ってんだ?』

    「本人から聞いたんだ。それでだ、どうも旭日重工は極秘にE・O社を雇って証拠隠滅を

    目論んでるらしい。まだそのディスク持ってんだろう? なら早いうちに届けること

    をおすすめするぜ、いつ襲撃されるかわからないからな」

    『そいつはご丁寧にどうも。俺だっていつまでもこんな爆弾抱えたくはねえ、直ぐにで

    もバラライカに渡しに向かうさ』

    「それなんだけどな、俺今イエローフラッグに向かってるから、なんなら代わりに渡して

    おいてやろうか?」

    34 002 本名不詳の男

  •  これは単なる親切心だ。

     しかし、ダッチはその提案に首を横に振る。

    『申し出は有り難いがこれはラグーン商会が受けた仕事だ。こんなんでもプロなんで

    な、最後まできっちりやり通すさ』

    「ご立派だな」

    『アンタに言われてもな』

     その後二言三言適当に言葉を交わし通話を終える。

     これでバラライカに依頼されたうちの一つは片付いたことになる。あと残るのはE・

    O社の迎撃だが。

    「レヴィだっているし、俺必要ないんじゃねえかなぁ」

     表通りを再び歩き出した俺はそう独りごちる。

     彼女と共に過ごしたのは三年程だけだったが、恐ろしいスピードで強く逞しくなって

    いった。精神的に成長したことが大きな要因なのだろう。俺はただ寝床と簡単な依頼

    の世話をやいてやったくらいなので全く以て大したことはしていない。

     始めは寝込みを襲われそうになったり(物理)、背後から刺されそうになったり(物理)

    したが、今ではすっかり大人しくなった。

     なんとなく生前の自分の娘や孫と重ね合わせてしまって放っておけなかったのが彼

    35

  • 女を家に寄せた理由なのだが、結果的には良かったと納得している。

     あれだけ犬歯を剥き出しにして警戒していたのに、今では会うたびに身を寄せてくる

    のだ。たまに犬の耳と尻尾が幻視できそうになる。普段の冷徹な彼女からは信じられ

    ないだろう。俺だって信じられないもの。

     昔のことを思い出していたからか、俺は通りの向こうが騒がしいことに今更ながら気

    が付いた。

     多くの野次馬が集まってきているようで人だかりが出来ているが、その先にあるのは

    目的地でもあるイエローフラッグの筈だ。

     首を傾げながらも、俺はその野次馬の群れの元へと向かう。

    「……うわぁ」

     視界に広がった光景は、思わず額に手を当てたくなるようなものだった。

     このロアナプラきっての大衆酒場、イエローフラッグは消滅していた。より正確に言

    うならば、全壊していた。

     こりゃまだバオが怒り心頭だろうなと店主の形相を想像する。実に鮮明に映し出さ

    れてしまった。

     詳しい状況は未だ判断できないが、恐らくは危惧していたことが起こったのだろう。

    周囲に見られる銃痕や装甲車のタイヤの跡などからそう当たりを付ける。

    36 002 本名不詳の男

  •  確認の意味も込めて、俺は近くにいた野次馬の一人に声を掛けた。

    「なあ」

    「あん? なんだよ────って、ううウェイバーッ!?」

     青年が振り返り、俺を視界に収めたのと同時の驚愕の声に、周囲の野次馬たちの視線

    がイエローフラッグから俺へと一斉に切り替わった。

     皆が皆どう表現したらいいのか分からない、酷く色褪せた表情を浮かべている。なん

    だどうした、別に取って食ったりしないぞ俺は。声をかけた青年に至っては既に涙目な

    んだが。

    「これ、なにがあったか見てたか?」

    「いいい、いいえ! 俺も爆発音がしたから覗きにきただけで! なんにもお伝えでき

    るようなことは!」

    「そうか。ありがとうな」

     ジャケットのポケットから煙草を取り出し、口に咥えて火を点ける。

     まずったな、これじゃ迎撃するにも追わなくちゃならん。なんとかラグーン商会だけ

    で切り抜けてはくれないだろうか。

     尚も俺の周りから動こうとはしない野次馬たちを不思議に思いながらも、面倒なこと

    になったと内心で頭を抱えそうになる。吐き出された煙は、星の見え始めた仄かな夜空

    37

  • へと消えていった。

       6

       青年はこの瞬間、初めて恐怖というものを身近に感じた。

     拳銃で撃ち合ったことはある。ナイフで斬り合ったこともある。しかし、人に声を掛

    けられただけでここまで濃密な死を思い描いたのは生まれて初めてだった。

     声を掛けてきたのは、この街において絶対に怒らせてはいけないという男。本名不

    明、通称ウェイバー。東アジアの国を思わせる顔つきに黒髪、黒のパンツにグレーの

    ジャケットという出で立ちの男は、この野次馬があふれる衆人観衆の中、誰にも気付か

    れることなくここにやって来たのだ。

     実際、声をかけられるまで誰もこの男が居るなど気がつかなかった。気配を一切感じ

    ないのだ。だからこそ、恐怖は倍増する。

     青年は聞かされていた。ウェイバーに関する様々な逸話を。

     曰く、彼のジャケットのボタンが掛けられていないときは決して正面に立ってはいけ

    38 002 本名不詳の男

  • ない。

     曰く、完全武装した他国の軍隊をたった一人で制圧した。

     曰く、ロアナプラを裏で牛耳っているのは彼である。

     曰く、半径三メートル以内で不穏な動きを見せれば射殺される。

     などなど。

     こういった話を挙げていけばきりがない。

     そしてそれがただのデマでないことは、青年が今身を以て実証していた。

     脚が無意識のうちに震え、奥歯が噛み合わない。何を質問されたのかすら覚えていな

    い。実際の言葉を交わしたのほんの僅か。時間にしても十秒にも満たないだろう。

     たったそれだけの時間にも関わらず、その場にいた野次馬たちは完全に男の発してい

    る気に圧されていた。周囲の人間たちも彼の逸話は耳にしていることだろう。だから

    動かない、動けない。今ここで僅かでも動けば撃たれる。そう誰もが本気で思っていた

    のだ。

     加えて今のウェイバーのジャケットはボタンが掛けられていない。噂が本当である

    ならば、シャツとジャケットの間に吊るされたショルダーホルスタには彼の愛銃が眠っ

    ている筈だ。それを目覚めさせてはいけない。この場にいる全員の総意であった。

     青年は必死に恐怖を堪えながら、ウェイバーがこの場を離れるのを待った。

    39

  •  彼は懐から取り出した煙草に火を点けて煙を燻らせると、そのままどこかへと立ち

    去った。

     彼の姿が完全に見えなくなった瞬間、青年は地面に倒れるようにして座り込む。

     あれが、この街の頂点に君臨する人間の一人。

     汗も滲むほどの暑さだというのに、どうしてか身体の震えは止まらなかった。

    40 002 本名不詳の男

  • 003 隻眼の修道女

      1

      結論から言えば、ダッチたちラグーン商会は無事にE・O社の傭兵どもを撃滅するこ

    とに成功したそうだ。

     そうだ、と俺の主観でないのは、これがバラライカから聞いた話であるためだ。

    戦闘ヘリ

    ガンシップ 

     何でもE・O社の

    までもが出張ってくる事態に発展したそうだが、居合わせ

    た東洋人によるギャンブラーもびっくりとんでも大作戦によってその戦闘ヘリを木っ

    端微塵にしてやったのだとか。バラライカもその現場を生で見ていたわけではないの

    で詳細な状況説明はなされなかったが、どうもその東洋人とやらを彼女はいたく気に

    入ったようである。受話器越しに聞こえる彼女の声音はいつもより半音程高かった。

     何度も言うようではあるが、バラライカはこの街の実質的支配者にして生粋の軍人

    だ。彼女の御眼鏡に適う人間自体それほど多くない。

     昨日今日この街にやってきたばかりの人間がそれをやってのけてしまうのだから、や

    はり原作の主人公というのは侮れないものだと染み染み思う。俺もそんな不思議と周

    41

  • りに認められるような人望が欲しかったよ。代わりに手に入ったのは不思議と周りか

    ら避けられる畏怖だからな。

     なんだよこれ、ちっとも欲しくねえや。

     それにしても何て無謀な作戦を思いつくのだろうか。普通魚雷を戦闘ヘリに当てて

    堕とすなんて考えは頭の片隅にすら浮かばない。いくら追い込まれていたとは言えだ。

     聞く分には面白いからいいんだけれど。

     とまぁ、この話はこのくらいにして。

    件くだん

     

     の事件から一夜明けた翌日。俺が営む万事屋の極々小さなオフィスに、ラグーン

    商会の面々が雁首揃えて立っていた。

     只でさえ大きくないオフィスだ。そこに俺を含めて五人も居座れば、当然暑苦しさや

    息苦しさなんてものを感じてしまう。俺は後ろの窓を全開にして、少しでも空気を入れ

    替えようと試みる。しかしながら今日は全くの無風であった。照り込む日差しがジリ

    ジリと首筋を熱していく。少しの気休めにもならなかった。

     諦めてデスクの椅子に座り直し、改めて正面のラグーン商会を見つめる。

     一番右からサングラスのせいで表情が読めない仏頂面の筋肉野郎ダッチ。いい加減

    髭の手入れくらいしろと思わなくもない金髪ベニー。今にもこちらに駆け出してきそ

    うな、お預けでもくらってんのかと疑いたくなる程落ち着きのないレヴィ。そしてそし

    42 003 隻眼の修道女

  • て、妙に表情の堅い初対面の東洋人が一人。

    「で? 直接ここに顔出した理由はなんだ」

     いつまで経っても会話が始まらない様子だったので、俺の方から口火を切った。

     これ幸いとダッチが頭を掻きながら口を開く。

    「昨日の事の顛末はもうアンタのことだから知ってるとは思うが、一応礼を言っておき

    たくてな。ありがとよ、あの電話がなけりゃ、俺たちゃイエローフラッグで愉快な死体

    になってたかもしれねえ」

    「冗談止せよ。あんな銃撃くらいでくたばる様なタマじゃないだろう?」

     実際銃弾くらいなら平気で跳ね返しそうな肉体をしているダッチである。確かにベ

    ニーやロックは当たり所が悪ければ死ぬ可能性は低くないが、レヴィが死ぬなんて今と

    なっては考えにすら浮かばない。

    「あのタイミングで電話を掛けてきたってことは、奇襲の時間帯まで予測してたのか?」

    「まさか。偶然だよ。俺が予知能力者にでも見えるのか?」

    「……アンタなら例えそうだとしても驚かねえよ」

     俺のジョークにしかし、ダッチは小さく息を吐きながらも真顔で答えた。おかしい、

    これはロアナプラジョークだというのに。予知能力なんてものは所詮空想の世界にし

    か存在しないのだ。そんなもの持っていれば今頃俺は一滴の血も流すことなくこの街

    43

  • を支配できただろう。

     ダッチと同じようにベニーも肩を竦めていることに釈然としないものを感じるが、こ

    こで会話を止めるつもりはない。

     おそらくは今日のもう一つの用件であろう彼、黒髪の東洋人へと視線を向けた。

    「それで? 彼のことは紹介してくれるんだろうな」

    「おっとそうだった。こいつ、ロックって言うんだがな。昨日付でラグーン商会が雇う

    ことにした」

    「へぇ」

     ダッチの親指が指し示す先で、ロックはがちがちに緊張しているようだった。

     まさか俺の根も葉もない噂を真に受けているのではあるまいな。普通に考えれば有

    り得ないって分かるだろう。

     ほらロック、挨拶しろとダッチに促され、ロックは一歩前に出る。

    「は、初めみゃ!」

     噛んだ。リテイク。

    「は、初めまして。ロックといいます」

    「おう、よろしくなロック。俺はウェイバー、しがない個人経営者だ」

     俺が差し出したその手を、ロックは幾許かの逡巡ののち取ってみせた。

    44 003 隻眼の修道女

  •  なんだろう。やはり日本人同士感じるものでもあるのか、どことなく落ち着く。実家

    で母親の作った味噌汁を飲む、そんな気分だ。

    「あ、あの」

    「ん、済まない」

     そんなほっこりとした気分に浸かっていたら、ロックが不安そうな声を上げた。どう

    もそのまま手を握り続けてしまっていたらしい。

     しかし許して欲しい。ああした安らぎはこの街では金塊以上に貴重なのだ。外へ出

    ればいつ鉛玉が飛んでくるか分からない危険度上限を振り切っているロアナプラでは、

    こんなにも暖かな気持ちを得ることはまず出来ない。返り血で物理的に温かくなるこ

    とはあれども。

     ロックの言葉に反射的に手を離して、俺は一言謝罪した。

     少し口元をヒクつかせながらも愛想笑いを浮かべ、元の立ち位置へと戻るロック。そ

    れに代わるように、いや、押しのけるように前へ飛び出してきたのは案の定レヴィだっ

    た。人目も憚らず俺の方へ飛んだかと思えばデスクを越えて俺の胸へと豪快なダイブ

    を決めて見せた。背中へと両腕を回され、顔をぐりぐりと押し付けられる。ご機嫌に左

    右に揺れている尻尾は、果たして俺の幻覚なのだろうか。

    「会いたかったぜボォス! 何で最近は顔出しに来てくれないんだよぉ!」

    45

  • 「レヴィ、レヴィ。分かったから一旦離れろ、暑いしお前を見てるロックの顎が外れそう

    だぞ」

    「知らねえよロックの顎なんか。勝手に外しときゃいいんだ。それよりもボス、今から

    マーケット行こうぜ」

    「待て待てレヴィ、ひっ付き過ぎだ。それに今日は野暮用があってな、昼まで時間は取れ

    そうにない」

    「ええぇ?」

     ピンと立っていた犬耳がしゅんと垂れたような気がした。心なしか尻尾にも先程ま

    での元気がない。

     一体いつからこうなってしまったのだろうか。気が付けばとしか言い様がないのが

    本当のところだが。他人には一切触れることを許さない研ぎ澄まされた刃のような鋭

    さを持つ彼女が、どうしてこうも俺にべったりになってしまったのか。

     一緒に過ごした三年間、それを思い返すことでその理由に近づくことができるかもし

    れないが、今はそれをしている時間はない。

    「レヴィ、あんましウェイバーを困らせるなよ」

    「チッ、分かってるってダッチ」

     そう言って渋々、かなり名残惜しそうに俺の膝の上から降りるレヴィ。ちらちらと向

    46 003 隻眼の修道女

  • けられる彼女の視線は大変愛らしいが、この後に控えている野暮用をすっぽかすわけに

    もいかないのだ。

    「新入りの顔見せも済んだし、俺たちはそろそろ退散させてもらう。この後も仕事が

    入ってるんでな」

    「そうか、態々足を向けて貰って済まないな」

    「アンタに足を運んでもらうほうが気が進まねえよ」

     小さく手を挙げたダッチは、俺に背を向けてオフィスから出て行く。それに続いて残

    りの三人もそそくさと部屋から出て行った。

     唯一レヴィだけが最後まで俺から視線を外さなかったが、ダッチに腕を引っ張られで

    もしたんだろう。四人分の階段を降りていく音が聞こえなくなったのを確認して、時計

    を確認する。午前十時。時間にしては些か早い気がしなくもないが、間違いなく起きて

    はいるだろうし大丈夫だろう。

     無造作に引っ掛けてあったジャケットに袖を通して外へ出る。

     まだ朝だというのに、今日もロアナプラは蒸し暑い。出来るだけ影の伸びているとこ

    ろを移動していこうか、少しでも気休めになればそれでいい。子供のようなことを考え

    ながら俺が今日向かう先、そこはここロアナプラの中でも一等特別な場所である。

    「行きますか。暴力教会」

    47

  •   2

      ウェイバーの経営しているオフィスへ行くことをロックが聞いたのは、出発の僅か五

    分前のことだった。

     昨日この悪徳の都へ初めて足を踏み入れた青年は晴れてラグーン商会の一員となっ

    たわけだが、どうやらウェイバーなる人物に顔見せを行わなくてはいけないらしい。

     ダッチやレヴィ、ベニーはさして緊張している様子はない。何せ何度も顔を合わせて

    いるとのことだ。今更会うくらいどうってことないのだろう。

     だがロックは違う。勿論ウェイバーとはこれが初対面になるわけで、昨日のこの街の

    若者たちの表情を見るにそれはもう恐ろしい男なのではないかと想像してしまうのだ。

     そんなことはないとダッチやベニーに言われてもロックの恐怖は払拭されない。あ

    のレヴィと行動を共に出来るだけでぶっ飛んでいる人間であることに違いはないのだ。

    まさか会って早々撃たれたりはしないだろうか、そんな不安が脳裏を過ぎる。

    「心配すんな、アイツは自分のオフィスん中じゃ撃ったりしねえ。片付けが面倒なんだ

    とよ」

    「外なら撃つのか!? 片付けが無ければ撃つのか!?」

    48 003 隻眼の修道女

  • 「ぎゃーぎゃー喚くな。とっとと乗れ」

     顔を引き攣らせたままのロックを車の後部座席に押し込み、全員が乗ったのを確認し

    てベニーが緩やかに車を発進させた。

     ウェイバーのオフィスはここから車で十分程の場所にあるらしい。至って普通の建

    物だそうだ。

    「お、俺の紹介のためだけにいくのか?」

     顔を青くしたロックが助手席に座るダッチに尋ねた。

    「それもあるが本題は昨日の件だ。ウェイバーがあのタイミングで連絡をくれたおかげ

    で俺たちは蜂の巣にされずに済んだからな。その礼を言いに行くんだよ」

    「わざわざ? 電話じゃなくて?」

    「アイツは仁義ってもんを大切にしてるんだ。お互い顔の見える場所で感謝を述べるっ

    てのは、大事なことだぜロック」

     そういうものなのか、とロックは思う。

     ダッチの話を聞く限り、ウェイバーという人間はそこまで恐ろしい人間では無いよう

    な気がする。

     しかし、ならあの酒場での人間たちの反応は何なのだ。何も無ければあんな異常な反

    応が起こる訳が無い。やはり彼の人間像がブレている。直接会ってしまえば、その人間

    49

  • 像もきちんと定まるのだろうか。

    「ねえダッチ。やっぱり彼は全部分かっててあのタイミングで連絡を寄越したのかな」

     正面を見て運転したままのベニーが呟いた。その問いに、ダッチは腕を組んで。

    「だろうな、幾ら何でもタイミングが良すぎる。大方奇襲の時間帯まで予測してたんだ

    ろう、俺に連絡を入れるだけなら奴のオフィスでも出来る。道すがら連絡を入れるなん

    て面倒なこと普通はしねえ」

    「やっぱり? 彼には予知能力でもあるんじゃないかい?」

    「ま、聞いたって偶然だとか言ってはぐらかされるんだろうがな。いつものことだ」

     四人を乗せた車は、朝のロアナプラを北へ進んでいく。

     この時間になれば多くの人間たちは活動を開始するようで、いくつかのマーケットに

    は多くの住人たちの姿が見受けられた。

     と、ここでようやくロックは今まで触れようか触れまいか悩んでいたことを前の二人

    に質問することにした。先程までとは別の意味で顔を引き攣らせたロックが、おずおず

    と手を挙げる。

    「あのー」

    「どうしたロック」

    「さっきからレヴィが変なんだ」

    50 003 隻眼の修道女

  • 「ああ、いつものことだ気にすんな」

     さらっと。そう返してダッチは顔を正面に戻した。

     いつものことなのか、へえそっか。と安易に納得できればそれで良かったのだが、生

    憎ロックは隣の女ガンマンの変貌っぷりに戸惑っていた。昨日までの彼女と180度

    違うのだ。どこまでも黒く、底知れない冷たさを帯びた瞳は、今は爛々と輝いている。

    大好きなおもちゃを前にした子供のようだ。大きく開かれていた股は女性らしくぴっ

    ちりと閉じられ、そわそわと落ち着きのないレヴィは隣のロックなど眼中に無いようで

    ある。

     そういえば、ベニーがレヴィは以前ウェイバーのところで厄介になっていたと言って

    いた。その所為なのだろうか。

     ロックの目には、今一瞬レヴィの頭に犬耳がついていたような気がした。

    「着いたぜ、ここだ」

     車を路上に止めて降りれば、二階建ての白っぽい建物が飛び込んできた。これがロア

    ナプラで絶対に怒らせてはいけない人物が住むオフィスだそうだ。無意識のうちに

    ロックは生唾を飲み込む。ダッチたちに続いて、オフィスへと続く階段を昇っていく。

    一階は倉庫になっているらしく、彼の住処は主に二階の部屋なのだそうだ。

     階段を昇って一番奥の部屋の扉を、ダッチが軽く叩く。

    51

  • 「ウェイバー、いるか。俺だ」

     返事は直ぐに返って来た。

    「開いてるぞ」

     ドアノブを回し、室内へと入る。

     ロックの目に飛び込んできたのは、どこにでもあるような応接用のソファとデスク、

    そしてその椅子に腰掛ける男の姿だった。

    (黒髪……日本人か……?)

     ウェイバーなんて呼ばれているのだからてっきり屈強なアメリカ人あたりを想像し

    ていたロックである。まさか自分と同じ東洋人であるなど想像もしていなかった。

     見たところ別段際立った身体的特徴は見られない。言ってしまえばどこにでもいる

    普通のオジサンといった感じだ。ガタイで言えばダッチの方が全然大きい。

     本当にこの男が? そう疑問を持ってしまうのも仕方のないことだった。

    「おはようダッチ。なんだラグーンの面子全員いるじゃないか」

     ウェイバーは前に並んだラグーン商会の面々を一通り眺める。

     やはりというか、その仕草に恐怖を感じるような部分は無かった。

     この時点で、ロックの中でウェイバーという男はそこまで警戒するような人間ではな

    いと結論を出そうとしていた。彼に関する話をダッチから聞く限り別段恐れる部分は

    52 003 隻眼の修道女

  • 無いし、ロアナプラの若者が恐怖しているというのも噂だけが一人歩きしているのだろ

    うと当たりをつける。

     ダッチとウェイバーが会話している横でそう考え事をしていたロックは、唐突にその

    会話の矛先が自身に飛んできたことで危うく心臓が飛び出しかける。

    「彼のことは紹介してくれるんだろうな?」

    「おっとそうだった。ロック、」

     ダッチに言われるがまま、ロックは一歩前に出た。

     なんとなく面接官を前にした就活生のような感覚を思い出す。

     自己紹介をすべく、一度落とした視線を正面に戻した瞬間、ロックは本気で息が止ま

    るかと思った。

    「ッ!?」

     ウェイバーが自身へ向ける視線が、最初と全く異なっていた。

     値踏みするような視線。ともすれば心の内側まで見透かされているような気がして

    くる。どこまでも黒く、底の見えない瞳は一切の揺らぎを見せることなくロックを捉え

    ていた。戦闘に移る際のレヴィも同じような瞳をしていたが、彼の場合はより深く、言

    い知れぬ恐怖を抱かせる。

     心臓の鼓動が早くなる。その音はロック自身にもはっきりと聞こえていた。張り詰

    53

  • めた緊張の中、意を決して口を開く。

    「は、初めみゃ!」

     噛んだ。死にたくなった。

    「は、初めまして。ロックと言います」

     今度はなんとか噛むことなく名乗ることが出来た。

     ウェイバーの視線は、未だ自身を捉えて離さない。と、そこで彼は一度瞼を閉じた。

    ほんの一瞬、ロックから視線が外れる。

     再び彼の瞼が持ち上がったときには、先程までの重圧が嘘のように霧散していた。

    「おう、よろしくなロック。俺はウェイバー、しがない個人経営者だ」

     後ろに立つダッチの「なにがしがないだ」という呟きは、ウェイバーには聞こえてい

    なかったらしい。

     極々自然に差し出された彼の手をロックは取った。ロアナプラにおいて多くの逸話

    を持つ彼の掌は、予想外にも至って普通だった。所々にマメはあるが、ゴツゴツしてい

    るわけでもない。

     そうロックが感じているように、ウェイバーも握手を通して何かを感じているよう

    だった。握られた手がいつまでも離されない。肉体の接触によって、何かを読み取って

    いるかのようだった。

    54 003 隻眼の修道女

  • 「あ、あの」

    「ん、済まない」

     声を掛ければ、彼はすんなりと握っていた手を離した。

     握られていた手は、いつまでも熱を帯びていて冷める気配がない。

     底が知れない。率直にロックはそう思った。同じ東洋人ということで初めはどこか

    親しみを覚えていたが、今はそうした親近感はどこかへ消し飛んでしまっていた。なん

    といっても悪徳の都の住人である。つい昨日まで陽の当たる場所で生きてきた自分と

    は、そもそも価値観から違うのだろう。

     彼のような人間が多数存在するというこの街で果たして生きていけるのだろうか。

    いきなり先行きが不安になってきた。

    (ま、まあダッチやベニーも一緒だし、それにレヴィだって……)

     ラグーン商会のエースアタッカーである女ガンマンの方へ視線を移す。

     そこに、彼女の姿は無かった。

     ロックが彼女の姿を見失うのとほぼ同時に、ドスンという物音。

     音のしたほうへ視線を向けると、ウェイバーにしがみついているラグーン商会のエー

    スの姿があった。

    「会いたかったぜぇボォスっ!!」

    55

  •  腕と脚をがっちりウェイバーの背中に回して、彼の胸板にぐりぐりと頭を擦り付け

    る。その動きに合わせて揺れる彼女のポニーテールが、ロックには犬の尻尾のように見

    えてしまった。

     車内でも彼女の様子がおかしいことには気が付いていたが、これは予想の斜め上すぎ

    る。なんだこの光景は、あれが昨日見事なまでの腕を披露したガンマンなのだろうか。

    「まーた始まった」

     ダッチにしてみれば見慣れた光景なのか、後頭部に手を当ててぼやくだけである。横

    に並ぶベニーも苦笑いだ。

    「ダ、ダッチ。あれは一体どういうことなんだ?」

    「なに、ありゃあいつものことだ。レヴィにとってウェイバーは父親みてえなもんだか

    らな、甘えてんのさ」

    「恋人じゃないってところがまたなんとも言えないよね」

    「レヴィが唯一懐いてる人間だ。どっちかっつーと犬と飼い主みてえだけどな」

     そう言いながら笑うダッチとベニー。

     あの狂犬を飼い慣らせる人間がこの世に存在するとは思っていなかった。開いた口

    が塞がらない。

     ロックの驚愕など全く意に介さず、レヴィは嬉しそうにウェイバーに語りかけてい

    56 003 隻眼の修道女

  • る。

     あんな表情もするのかと、ロックは半ば呆然と思うのだった。

      3

      リップオフ教会。

     ロアナプラで唯一