鹿町中が 役者! 【主催】埼玉県   【共催】 (公財)埼玉県芸術文化振興財団 【協力】小鹿野町  助成: (一財)地域創造 鹿鹿写真提供:©山口 清文 彩の国 埼玉県 埼玉県マスコット 「コバトン」 「さいたまっち」 鹿鹿2017 12.17 開場 12:30 開演 13:00(16:30 終演予定) 会場 埼玉会館 大ホール 本日のフェスティバルは、埼玉県文化振興基金で開催しています。 埼玉県文化振興基金は地域文化の振興のために設立した基金です。昭和 59 年度の設立以来、多くの方々からの御寄附に支 えられ、県民の皆様の自主的な文化活動への助成や地域の文化振興を目的とした事業のために活用しています。 【発 行】埼玉県県民生活部文化振興課 〒330-9301 さいたま市浦和区高砂 3-15-1 TEL.048-830-2879 【監 修】小鹿野町教育委員会 【写 真】山口 清文(小鹿野町広報大使) 小鹿野町では、町内各地で定期的に歌舞伎が上演されています。 地元を訪れ、澄んだ空気の中で、常設の掛け舞台や祭り屋台(山車)での芝居見物をお楽しみください。 小鹿野歌舞伎定期公演の御案内 定期公演のお問合せ0494-75-0063 (小鹿野町教育委員会社会教育課) 299 299 藤倉 三山 日尾 飯田 般若 長留 両神薄 河原沢 伊豆沢 小鹿野 両神小森 下小鹿野 上飯田歌舞伎 ◇鉄砲祭り・八幡神社 ◇12月第2日曜日と前日 小鹿野歌舞伎の一年を締めく くる舞台は、張出・花道付き屋 台で上演されます。 小鹿野屋台歌舞伎 ◇小鹿野春祭り ◇4月第3土曜日の前日 祭り初日の夕刻、二基の屋台はそれぞ れに張出舞台と花道を広げ、小鹿野歌 舞伎、若衆歌舞伎、そして子ども歌舞伎 が奉納されます。 小森歌舞伎 ◇諏訪神社祭り ◇10月第2土曜日 「小森祭りと文化を守る会」が発 足。地元有志が熱の入った歌舞 伎を奉納しています。 歌舞伎・郷土芸能祭 ◇小鹿野文化センター ◇11月第3日曜日と前日 小鹿野町主催で行われる文化イベント。歌舞 伎はもちろん、神楽、獅子舞、八木節、秩父囃 子など、町内の30を超える伝統芸能団体が2 日間に渡り、熱演を繰り広げます。 津谷木歌舞伎 ◇お天狗様・木魂神社祭り ◇5月3日 下小鹿野津谷木集落のほど近 く、小高い山の頂に常設され る歌舞伎舞台。 十六歌舞伎 ◇日本武神社祭り ◇3月第2土曜日 小鹿野に春を告げる、通称「十六歌舞 伎」。地元の十六若連が奉納し、神楽 殿兼用の常設舞台で演じられます。 奈倉歌舞伎 ◇妙見宮祭り ◇10月第1土曜日 妙見宮は小鹿野町の北東端、 奈倉地内。全国でも珍しい女 性だけの歌舞伎一座。 春祭り 赤平川 薄川 宗吾神社 宇賀神社 諏訪神社 古鷹神社 八坂神社 御霊神社 倉尾神社 小森川 小鹿野町役場 小鹿野庁舎 小鹿野町役場 両神庁舎 きむすび は現存する歌舞伎舞台

小鹿野歌舞伎 - Saitama Prefecture...小鹿野すが、町中が役者といわれるほどに沿って広がる静かな山間の町で水源とする赤平川や小森川・薄川まれる名峰二子山や両神山などを立公園・県立西秩父自然公園に含市の西に位置し、秩父多摩甲斐国

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 小鹿野歌舞伎 - Saitama Prefecture...小鹿野すが、町中が役者といわれるほどに沿って広がる静かな山間の町で水源とする赤平川や小森川・薄川まれる名峰二子山や両神山などを立公園・県立西秩父自然公園に含市の西に位置し、秩父多摩甲斐国

小鹿野歌舞伎

埼玉伝統芸能フェスティバル

町中が役者!

【主催】 埼玉県   【共催】 (公財)埼玉県芸術文化振興財団【協力】 小鹿野町  助成: (一財)地域創造

演目

小鹿野子ども歌舞伎

「口上」

「傾城阿波の鳴門どんどろ大師門前之場」

小鹿野歌舞伎保存会 

「仮名手本忠臣蔵六段目

勘平腹切之場」

こう

じょう

けい

せい 

あ   わ    

なる  と                   だい  

し  もん 

ぜん 

の  

か   な  

で  ほん

ちゅう

しん 

ぐら

ろく

だん 

め  

かん 

ぺい

はら

きり 

の  

写真提供:©山口 清文

彩の国埼玉県 埼玉県マスコット

「コバトン」「さいたまっち」

小鹿野歌舞伎(小鹿野町)

2017

12.17日開場 12:30 開演 13:00(16:30 終演予定)

会場 埼玉会館 大ホール 本日のフェスティバルは、埼玉県文化振興基金で開催しています。埼玉県文化振興基金は地域文化の振興のために設立した基金です。昭和 59 年度の設立以来、多くの方々からの御寄附に支えられ、県民の皆様の自主的な文化活動への助成や地域の文化振興を目的とした事業のために活用しています。

【発 行】埼玉県県民生活部文化振興課     〒330-9301 さいたま市浦和区高砂 3-15-1 TEL.048-830-2879

【監 修】小鹿野町教育委員会【写 真】山口 清文(小鹿野町広報大使)

小鹿野町では、町内各地で定期的に歌舞伎が上演されています。地元を訪れ、澄んだ空気の中で、常設の掛け舞台や祭り屋台(山車)での芝居見物をお楽しみください。

小鹿野歌舞伎定期公演の御案内

◆定期公演のお問合せ◆ ☎0494-75-0063 (小鹿野町教育委員会社会教育課)

299

299

藤倉

三山

日尾

飯田

般若

長留

両神薄

河原沢

伊豆沢

小鹿野

両神小森

下小鹿野

上飯田歌舞伎◇鉄砲祭り・八幡神社◇12月第2日曜日と前日小鹿野歌舞伎の一年を締めくくる舞台は、張出・花道付き屋台で上演されます。

小鹿野屋台歌舞伎◇小鹿野春祭り◇4月第3土曜日の前日祭り初日の夕刻、二基の屋台はそれぞれに張出舞台と花道を広げ、小鹿野歌舞伎、若衆歌舞伎、そして子ども歌舞伎が奉納されます。

小森歌舞伎◇諏訪神社祭り◇10月第2土曜日

「小森祭りと文化を守る会」が発足。地元有志が熱の入った歌舞伎を奉納しています。

歌舞伎・郷土芸能祭◇小鹿野文化センター◇11月第3日曜日と前日小鹿野町主催で行われる文化イベント。歌舞伎はもちろん、神楽、獅子舞、八木節、秩父囃子など、町内の30を超える伝統芸能団体が2日間に渡り、熱演を繰り広げます。

津谷木歌舞伎◇お天狗様・木魂神社祭り◇5月3日下小鹿野津谷木集落のほど近く、小高い山の頂に常設される歌舞伎舞台。

十六歌舞伎◇日本武神社祭り◇3月第2土曜日小鹿野に春を告げる、通称「十六歌舞伎」。地元の十六若連が奉納し、神楽殿兼用の常設舞台で演じられます。

奈倉女歌舞伎◇妙見宮祭り◇10月第1土曜日妙見宮は小鹿野町の北東端、奈倉地内。全国でも珍しい女性だけの歌舞伎一座。

春祭り

◉◉

◉◉◉

赤平川

薄川

宗吾神社

宇賀神社

諏訪神社

古鷹神社

八坂神社

御霊神社

倉尾神社

小森川

小鹿野町役場小鹿野庁舎

小鹿野町役場両神庁舎

きむすび

は現存する歌舞伎舞台

Page 2: 小鹿野歌舞伎 - Saitama Prefecture...小鹿野すが、町中が役者といわれるほどに沿って広がる静かな山間の町で水源とする赤平川や小森川・薄川まれる名峰二子山や両神山などを立公園・県立西秩父自然公園に含市の西に位置し、秩父多摩甲斐国

演目

紹介

1

 小鹿野町は埼玉県の西部、秩父

市の西に位置し、秩父多摩甲斐国

立公園・県立西秩父自然公園に含

まれる名峰二子山や両神山などを

水源とする赤平川や小森川・薄川

に沿って広がる静かな山間の町で

すが、町中が役者といわれるほど

歌舞伎がさかんな町です。小鹿野

の市街地は、江戸時代初期に作ら

れ、生糸や農産物の交易を中心と

して発展してきました。美しい自

然にも恵まれる環境の中、「花と

歌舞伎と名水のまち」という横顔

を生かし、伝統文化を核としたま

ちおこしを展開しています。

 江戸時代に江戸・京都・大阪と

いった大都市で発達した歌舞伎

は、娯楽として日本中の村々に広

まっていきました。それぞれの土

地では、見るだけでなく自分たち

で演じて楽しむ地芝居が誕生しま

した。その数は数千ともいわれ、

小鹿野周辺でも江戸時代後半か

ら、生糸生産の好況などを背景と

した豊かな経済基盤が祭りや歌舞

伎熱を支えてきました。

 小鹿野町内では昭和四十六

年から始まった毎年十一月の

郷土芸能祭をはじめ、年六〜

七回定期的に歌舞伎が上演さ

れています。

 上演される舞台は町内に常

設舞台が十か所残り、掛け舞

台や祭り屋台(山車)に芸座・

花道を張り出す舞台もありま

す。江戸時代から引き継ぐ衣

裳・小道具、かつら、

大道具等もほぼ自前

で手作りのものが

多く、義太夫

(弾語り)、下座

(三味線・笛・太鼓)、

化粧、振り付け等すべて町民

でこなし「地芝居のデパート」

ともいわれています。

 小鹿野町では、歌舞伎を町

の文化使節として派遣する地

域間文化交流公演も好評を得

て百か所以上で公演するな

ど、歌舞伎のまちづくりを進

めています。

小鹿野歌舞伎のあらまし

13時 《開演》

「口上」 小鹿野子ども歌舞伎

あいさつ 埼玉県知事 上田 清司

13時15分《事前解説》

「傾城阿波の鳴門

  どんどろ大師門前之場」

   小鹿野子ども歌舞伎

14時30分《休憩》 20分間

14時50分《事前解説》

「仮名手本忠臣蔵六段目

      勘平腹切之場」

     小鹿野歌舞伎保存会

16時30分《終演》

 ※

進行状況により、時間が前後するこ

  とがあります。

プログラム

けい

せい

あ 

わ   

なる

こうじょう

ほんちゅうしん

ぐら

ろく

だん

かん

ぺい

はら

きり

の 

だい

もん

ぜん

小鹿野市街地

小鹿野歌舞伎保存会の紹介

 

秩父地方での歌舞伎上演の歴史

は古く、秩父神社大祭(秩父夜祭

り)にあわせ、江戸時代中期から屋

台芝居が行われていました。小鹿野

町奈倉にある妙見宮に、寛政四年

(一七九二)の坂ば

東どう

三さん

十じゅう

郎ろうによる歌

舞伎の上演の記録が残っています。

 

その後、文化・文政期(一八〇四

~三〇)に秩父市下吉田市出身の

坂東彦五郎が江戸で修業を積み、

秩父に帰って若い衆に歌舞伎を教

えたことを発端に一気に広まりま

した。その後、勇ゆ

佐さ

座ざ

、天てん

王のう

座ざ

大やま

和と

座ざ

と引き継がれ、小鹿野の大

和座は長瀞の和い

泉ずみ

座ざ

とともに明

治・大正期に歌舞伎の最盛期を作

り、秩父地域はもとより大里郡、

児玉郡、比企郡から群馬県まで興

行を行っていました。

 

しかし、昭和に入ると映画の流

行により一座の経営もままならな

くなり、高た

砂さご

座ざ

、秩ちち

父ぶ

座ざ

、梅ばい

松しょう

座ざ

と変遷しました。戦後、新大和

座も誕生しましたが、テレビの普

及、高度経済成長、社会構造の変

口こ

上じょう

 

口上は、歌舞伎上演の前に役者が華やか

な裃かみしも

姿すがたで、お祝いやお礼などを古式ゆかし

く趣向をこらして挨拶するものです。

 

子ども歌舞伎上演の前に必ず行われるよ

うになり、たいへん好評を得ています。

《出演者名》

口上

小島

由衣 

小学4年生

          

(写真右)

口上

出浦

美衣 

小学2年生

          (写真左)

化などの影響を受け、昭和四十年

代以降は衰退の時期を迎えました。

道具類も老朽化し、役者も観客も

少なくなり、このままでは消滅し

てしまう危機感が高まりました。

 

昭和四十六年、町内の郷土芸能

を一堂に集めた「郷土芸能祭」が

始まり、故郷の大切な文化遺産を

守ろうという機運が高まり、旧大

和座系の役者と町内各地で地芝居

を続けてきた人たちが合同して昭

和四十八年に小鹿野歌舞伎保存会

が結成されました。歌舞伎保存会

は昭和五十年に埼玉県指定無形文

化財の保持団体として指定を受け

るなど、徐々に高い評価を受ける

ようになりまし

た。多くの後継

者を育てながら

伝統を受け継ぎ、

小鹿野歌舞伎の

活躍は今また全

盛期を作ってい

ます。

宗そう

吾ご

神社(小鹿野町)舞台での奉演

木き

魂むすび

神社祭りにて

Page 3: 小鹿野歌舞伎 - Saitama Prefecture...小鹿野すが、町中が役者といわれるほどに沿って広がる静かな山間の町で水源とする赤平川や小森川・薄川まれる名峰二子山や両神山などを立公園・県立西秩父自然公園に含市の西に位置し、秩父多摩甲斐国

三四

傾け

城せ

阿あ

波わ

の鳴な

門と

どんどろ大だ

師し

門も

前ぜ

之の

場ば

小鹿野子ども歌舞伎

小鹿野子ども歌舞伎の紹介

 「傾城阿波の鳴門」は伊達騒

動に題材をとったお家物。明和

五年(一七六八)の初演。

 

徳島の藩士阿あ

波わの

十じゅう

郎ろ

兵べ

衛え

主君のために盗賊となり、その

妻お弓ゆみ

は親を探しに来た娘おつ

るに母と名乗らずに帰す「巡礼

歌の段」が有名です。

 

大阪上うえ

本ほん

町まち

のどんどろ大師門

前がこのお芝居の舞台。「どん

どろ」とは「土ど

井い

大おお

炊いの

頭かみ

」の

屋敷中にあった大師堂なので

「土どいどのだいし

井殿大師」と呼ばれ、それ

がなまって「どんどろ大だい

師し

」に

なったものです。

 

徳島藩のお家騒動にからん

で、十じゅう

郎ろ

兵べ

衛え

・お弓ゆみ

の夫婦は主

君の重宝、盗まれた刀を探すた

め、大おお

阪さか

玉たま

造つくりに

盗賊銀十郎と名

を変えて住んでいます。

 

お大師様の縁日に巡礼姿の娘

おつるがはるばる徳島から父母

 

二百数十年の伝統を誇る小鹿野

歌舞伎の歴史の中で、子ども歌舞

伎もいくつかの変遷がありまし

た。子ども歌舞伎の創始は初代音

羽屋を名乗った坂東彦五郎で、西

秩父の少年を集めて「勇ゆ

佐さ

座ざ

」と

いう子ども芝居の一座を組織した

といいます。明治から大正にかけ

て秩父地域の歌舞伎は最盛期を迎

えましたが、この間、上飯田で子

ども歌舞伎が盛んであったとも伝

わっています。

 

小鹿野の町場での子ども歌舞

伎は大正七年から十三年まで、

大和座の太夫としても活躍した

花はな

柳やぎ

楽らく

寿じゅ

が指導したものです。

五歳から十七歳までの少女たち

が長唄・常と

磐わ

津づ

・清きよ

元もと

などの習

を尋ねてきます。お弓ゆみ

は我が子

とわかりますが、そこで親子の

名乗りをしたのでは、我が子に

どんな災いがかかるとも限らな

いので、涙を飲んで別れます。

お弓ゆみ

は、名残惜しげに見送りま

すが、ここで別れては今度いつ

会えるかわからないと追いかけ

ます。

い事と一緒に歌舞伎を教わりま

した。 

 

小鹿野の春祭りでは屋台の上

で昼は少女たちによる所作が、

夜は張り出し舞台で夜通し子

ども歌舞伎が上演されていまし

た。この一座は大変な人気を博

し、各地を巡業して回ったとい

うことです。

 

昭和に入り映画に娯楽の座を

うばわれ、戦時中は歌舞伎もま

まならない状態でしたが、昭和

二十二年頃、花は

柳やぎ

楽らく

寿じゅ

師、海老

沢千代師により子ども歌舞伎が

《その後のあらすじ》

 「十じゅう

郎ろ

兵べ

衛え

住家の段」では、

お弓ゆみ

と別れた後、十じゅう

郎ろ

兵べ

衛え

はお

つると出会い、我が子と知らず

に、金欲しさに手にかけて殺し

てしまいます。帰ってきたお弓ゆみ

から我が子と聞かされて嘆き、

悲嘆にくれます。そこへ追っ手

が迫り、夫婦は家に火を放ち立

ち去ります。おつるの亡骸の懐

から出てきた手紙に刀盗賊の居

場所や名前など細かく記されて

いました。十じゅう

郎ろ

兵べ

衛え

は無事、主

家の家宝を取り戻し、その功を

もって帰参を許されました。 

❖あらすじ

第 10 回全国子供歌舞伎フェスティバル in 小松       おつる と お弓

妙林と妙珍

出演準備中

楽屋風景

出演の合間に宿題

浅草奥山こども歌舞伎まつり出演時 浅草お練り 小鹿野春祭り 子ども屋台歌舞伎 おつる

お 

小林

奈々未

中学2年生

おつる

小林

紀心

小学4年生

尼妙林

飯塚

若那

中学2年生

尼妙珍

猪野

大我

中学2年生

お 

村上

りん

小学6年生

庄屋清エ門

中野

結太

中学1年生

町人喜助

関口

耀琉

小学4年生

町人大助

日野原

大麒

小学4年生

町娘母志づ

力山

純美礼

小学4年生

町娘おさき

中野

楽々

小学3年生

町娘おみよ

柴﨑

美帆

小学1年生

師匠・義太夫

柴﨑 

好一

       小鹿野歌舞伎保存会副会長

       小鹿野子ども歌舞伎代表

 配 役

復活し昭和三十年頃まで続けら

れました。

 

現在、子ども歌舞伎に取り組ん

でいるのは、上か

町ちょうの子どもたちを

中心とし、町内広く募集したメン

バー、歌舞伎のあとつぎを育て伝

統を守ろうと昭和六十二年に復活

しました。今では、春祭りの上演

に加え、県外まで活動の範囲が広

がっています。

 

近年では、伝統と格式を誇る長な

浜はま

曳ひき

山やま

子ども歌舞伎(滋賀県)、

小こ

松まつ

曳ひき

山やま

子ども歌舞伎(石川県)

とならんで、日本三大曳山子ども

歌舞伎とも称されています。

Page 4: 小鹿野歌舞伎 - Saitama Prefecture...小鹿野すが、町中が役者といわれるほどに沿って広がる静かな山間の町で水源とする赤平川や小森川・薄川まれる名峰二子山や両神山などを立公園・県立西秩父自然公園に含市の西に位置し、秩父多摩甲斐国

五六

仮か

名な

手で

本ほ

忠ちゅう

臣し

蔵ぐ

六ろ

段だ

目め

勘か

平ぺ

腹は

切き

之の

場ば

小鹿野歌舞伎保存会

 

寛延元年(一七四八)、大阪

竹本座で初演された人形浄瑠

璃。作者は二代目竹田出い

雲ずも

・三

好松し

ょう

洛らく

・並木千せん

柳りゅうら。歌舞伎

の初演は、同年十二月。「菅す

原わら

伝でん

授じゅ

手て

習ならい

鑑かがみ」「

義よし

経つね

千せん

本ぼん

桜ざくら」

並ぶ時代物三大名作といわれま

す。

 

赤あ

穂こう

浪ろう

士し

の吉き

良ら

邸討ち入り

を、「太平記」の時代に移し

て書かれ、浅あ

野の

内たく

匠みの

頭かみ

は塩えん

冶や

判はん

官がん

、吉き

良ら

上こうず

野けの

介すけ

が高こうの

師もろ

直なお

大おおいしくらのすけ

石内蔵助が大おお

星ぼし

由ゆ

良ら

之の

介すけ

と名

前を変えて登場します。

 

塩えん

冶や

家の家臣早はや

野の

勘かん

平ぺい

と腰元

おかるは、城外で逢引きし、主

君塩え

冶や

判はん

官がん

の松の間の刃傷とい

う大事の場に居合わさなかった

不覚を恥じ、おかるの実家があ

る京都郊外の山崎に落ちていき

ます。

 

勘かん

平ぺい

は山

崎で猟師と

して暮らし

ていまし

た。おかる

の父、与よ

市いち

兵べ

衛え

は、勘かん

平ぺい

の心を察

し、勘か

平ぺい

内緒でおか

るを祇園へ

百両で売ってしまいます。半金の

五十両を縞し

の財布に入れ急ぐ帰

り道で、定さ

九く

郎ろう

に斬りつけられ、

五十両を奪われてしまいます。

 

勘かん

平ぺい

は暗闇の山中で猪と思っ

て鉄砲を撃ちましたが、弾が定さ

九く

郎ろう

にあたってしまいました。

近づいた勘か

平ぺい

は人を撃ったとあ

わて、薬を探そうと財布に手が

触れます。仇あ

討うち

の一味に加わ

るための金欲しさから財布を奪

い、千せ

崎ざき

弥や

五ご

郎ろう

に金を渡します。

(以上五段目から)

《ここから六段目》

 

祗園の一文字屋からお才さ

と女ぜ

衒げん

(女性を遊女に売ることを業

とした人)の源げ

六ろく

がおかるをつ

れに来ます。勘か

平ぺい

は自分のため

に身を売るおかるに感謝します

が、話を聞くうち昨夜猪と思っ

て鉄砲で殺し、財布を奪ったの

は実は舅

しゅうと

与よ

市いち

兵べ

衛え

ではなかっ

たかと思ってしまいます。その

後猟師たちが与よ

市いち

兵べ

衛え

の死骸を

運んでくると女房おかやは勘か

平ぺい

が金欲しさに舅しゅうとを

殺したと思い

込みます。そこへ不ふ

破数右衛門

と千せ

崎ざき

弥や

五ご

郎ろう

が来て不義不忠の

金は受け取れぬといいます。言

い訳なさに勘か

平ぺい

は切腹、昨夜の

出来事を詳しく話すと、いきさ

つが明らかになり、勘か

平ぺい

は一いち

味み

連れん

判ぱん

に加わることを許され、

息絶えます。

❖あらすじ

息絶える勘平、ラストシーン

お才、源六、おかる、おかや 駕籠に乗るおかる

《見どころ》

 

薄幸の若侍として哀れを美的に

演じる勘か

平ぺい

の役は、典型的な二枚

目の役で昔から誰もが演じたがっ

たといいます。

 

自分のために身を売るおかるに

対する愛情、誤解が重なりやむな

く腹を切らなくてはならなくなる

心情を表現するなど難しい役です

が、観客の視線を一身に受け役者

冥利につきるものです。小鹿野歌

舞伎保存会の役者たちも先輩たち

が得意としてきた演目を受け継ご

うとセリフの強弱、感情の入れ方、

手指の向きなど細かいところまで

指導を受け、稽古を続けてきまし

た。

こうの

もろ

なお

師直

えん

や はん

がん

塩冶判官

人物相関図

かお

よ 

ぜん

顔世御前

斧九大夫

おの

さだ

ろう

おの

く だ

ゆう

斧定九郎

いち

べ え

与市兵衛

おかや

てらおかへい え も ん

寺岡平右衛門

早野勘平

おかる

千崎弥五郎

不破数右衛門

めっぽう弥八

種子島六蔵

狸の角兵衛

さい

げん

ろく

お才

たぬき 

かく べ え

 た

ねがしま

ろくぞう

はち

ふ わ

かず

え も ん

せんざき

や ご

ろう

源六

いちもんじや

祇園の一文字屋

殿中で斬りつける

元塩冶家家老

今は高師直方

は、

この場面の

登場人物

猪と思い鉄砲で撃つ

斬りつけ

金を奪う

塩冶家家臣

塩冶家家臣

塩冶家足軽

顔世御前腰元

猟師仲間

幕府執事

家計を助けるため、一文字屋に売られる

夫婦

親子

親子

夫婦

夫婦

舅 姑

はや 

の 

かん

べい

早野勘平

関口

邦夫

妻・おかる

黒田  

母・おかや

小澤

幸男

一文字屋・お才

神田 

源 

栗原

国男

小鹿野歌舞伎保存会副会長

不破数右衛門

新井

公裕

千崎弥五郎

小島

康弘

めっぽう弥八

中里

貴久

種子島六蔵

磯田

剛志

狸の角兵衛

新井

安行

駕籠屋

出浦

健男

駕籠屋

関口

正明

師 

栗原

国男

義太夫

柴﨑

宇平

監修・黒衣・舞台担当

堀口

武治

小鹿野歌舞伎保存会会長

かつら・床山

黒沢

シズノ

かつら

鳥山

民子

かつら

小澤

美代子

衣裳・小道具

三枝

藤太郎

小鹿野歌舞伎保存会副会長

大道具

小澤

幸男

化 

関口

邦夫

化 

中里

貴久

化 

新井

公裕

化 

黒田  

小松

恒夫

つ 

茂木  

鳴り物

森川

文行

三味線

田隝

文子

三味線

高岸

茂子

三味線

斉藤

勝代

三味線

小池

正之

三味線

原 

三味線

天沼

阿友子

三味線

飯塚

光留

 配 役

 裏 方

着付け柴﨑

芳江

着付け高橋京子

着付け

中野 美菜子

着付け

柴﨑

文代

黒衣・舞台担当

飯塚  

黒衣・舞台担当

富田

美博

黒衣・舞台担当

田端

克次

黒衣・舞台担当

日野原

和彦

黒衣・舞台担当

中澤

敏幸

黒衣・舞台担当

小林

伸治

記録

山口

清文

小鹿野歌舞伎保存会顧問

記録

丸山  

小鹿野歌舞伎保存会顧問

記録

高岸

友行

 

小鹿野歌舞伎の舞台は、役者・義太夫・裏方にいたるまで、すべて小鹿野町の方により、

支えられています。

舞台裏方仕事の様子

着付け

下座音楽