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Title ブレンターノ�會政策的自由主義

Author(s) 伊藤, 久秋

Citation 商業と経済, 9(2), pp.114-155; 1929

Issue Date 1929-03-10

URL http://hdl.handle.net/10069/26909

Right

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

商業と經濟

ブレンターノの社會政策的自由主義

伊藤久秋

古き形に於ける自由主義は既に過去の迷妄とされる。誠一に今日はあらゆる方面に於ける統制

の時代である。産業の統制として経済生活の上にも、其様相を示しっゝある此傾向登別に、単

著は既に第二の産業革命をすら云々せんとする周自由主義の故国英膏利に於ける、今より百年

前の情況は今日l=於て最早一種の.『物語的』興味を成せしむるこ亡、甚だ多い。『経済撃の名に

於で』労働立法が反対され、幼年螢働の制限に親の権利の侵害を認めてゐた時代である。

併し我等はなは考慮をめぐらさねほなら聖自由貿易の使徒コブデソの熟叫1『エルサレ

ムが基督敦の費帯地なるが如く、メッカが二メット教徒の崇敬の中心なるが如く、後世の歴

史家にごっては、マンチェスターは印刷術の費明以衆の最大の道徳的運動の費僻地、中心地ビ

して或るであらっ』-1-に潜淋弄る宗教的熱情を、我等は果して翠なる狂信者の璽冒して斥

け去り得るであらうか。

Cf. J. M. Clark, Social Control of Business, 1926, Ch. I .

一二四

定に自由主義は一個の世界観であり、

一種の宗殺であり、信仰である。人間の自然的舎殿、

その高き使命、自然的理性ご自由による其向上の能力、正義さ真理の勝利||自由主義は是等

に訴する信仰でゐる。佃人のみなら争、あらゆる集図、図民、階級の解放、詳4

一一目すれば、如何

なる人も.集闘も階級も、之ルパ』他の何者かの単なる手段ご認め玄るの原理は自由主義の重要内

容を成してゐる。自由主義は信仰、良心の自由であり、研究、一一一一口論の自由であり、出版、結一肱

の自由、契約の自由、濁立自傘、行動の自由であり、卒和の熱変であり、強制さ椛カさ専制に

諒する抗争である。

自由主義をか〈の如く観十る時、そはあらゆる善き物の集合である。

Y-プスキュー、

1汁

チユ

Yゴ

l

、サハミ久よりサハチユア

Y

ト・ミwy

に至る経済率者、猫逸の古典涙詩人、

スピノザよりカントに至る哲卒者、

ミ一プポ

1よb二月革命に至る自由の論客が、その最善ケ提

供して築き上げたる一大伽藍である。此華麗の殿堂は‘然らば何故に庭楼ご化しつ、fのるか。

否、住むぺから、ざる寄屋さ鬼られっ、あるか。その原因には種々ある。

第一に資本主義ぎの不幸なる提携である。自由主義ざ資本主義さは内面的じ何等の関係もな

ぃ。自由主義経済的学の至醇なる代表者は決して資本家階級の利盆を擁護した人達ではない。ア

グム・スーλ

の図富論の中から非資本家的、愛峨労働者的一一一一口設を拾ひ出して来るこさは甚だ容易

プレシタ

Iノの祉合政策的自由主義

一一五

一一六

である。否、彼の深き思想的根披よりして、此一帯は営然である。ただ彼の自由主義は、起りつ

¥A

あるプ

Y

ジヨアジ

1の階級利盆に利用せられた。一労働関係に関する一中世紀的観念を具般化

したる徒弟俊例が一入一一四年廃止せられたる時、プ

Y

ジヨアジ

1は如何に之を歓呼したか。

ミスは寧ろ労働者の利盆の忽に徒弟俊例の廃止を主張したるに、労働者は却てその撤疫を喜ば

やして、プ

Y

ジヨアジーが之に向クて喝釆した。此事買は何を諮るか。

スミスの要求ご議論が、

一入一四年に於ては既じ時代後れさなったこさ子意味する。勿論彼の精紳は、永久に生きる。彼

の自由主義が時代後れざなったのではなく、彼の要求が、此自由主義の最後の目的に不充分な

るこごぞ示したのである。併し階級利盆者は、その精一紳ぞ汲まぬ。その形式に固着して、之

P

延長した。自由主義は共精紳を失へる形式ごして多くのエピプ

1ネシの忽に盆々その形なゆが

められて行った。経済的学は十九世紀中葉までに、英図に於ける黄金時代子形成したが、

一方、

士君

J

十の口にすべからまる「陰欝なる科卒』ざしての批難を培養しっ、あったのも此時代であ

る。カ

1-プイペクスキシの攻撃は、此根強き崎流の汎濫である。

火に十九世紀後竿に於ける帝国主義の興隆は、科率的一般合主義の侍播ご共に自由主義におす

る不信守強めて行った。国際間に於ける信頼さ協調、商業政策上の向由貿易が自由主義の本質

的の要求である。然るに十九世紀の後竿は、

コャア

J7y

、プライトにあらす、

ピ↓ハマ

Y

クの五像

によって代表される。図際関係の武装化、植民、造艦の政策、調外商業上の保護政策は、自由主

義の牙城を侵略した。

マY

クス主義の勃興は同じく此傾向子助長し、時人は自由主義者ぜ表明

するこさに一穂の屈辱ケ成じ、一此合主義者ご名乗るこごに新人たるの誇り守成十るに至った。

最後に世界戦争の勃畿は国家主義を摘が上に高騰せしめ、中央集礎的傾向に於て同一なる赴舎

主義の核行ごならんで、自由主義に肉薄した。自由主義はかくして、今や「時代後れ』ざなっ

?と。併し吾人は認に於て反問しなければならぬ。十入世紀以来の先究者がその全力を傾注して築

き上げたる自由主義は、果して「時代後れ』ざなりたるものか如何。否、何時か「時代後れ』さ

なり符ぺきものであるか如何。問題ケ限局すれば、努働関係を規律せんざする時代の一安求は、

自由主義さ矛盾せ干して、却て之が炉、峨の下に於て、その満足ケ見出すこさを待ぎるものか如

何。約一一一一目すれば自由主義の奨乎の舷承者は、同時に一肱舎政策家たり得,さるか如何。

悦ふにジヨシ・λ

チユア

Y

ト・ミ

Yが経過したる精紳的危機より、新らしき克明ぞ溶びつ〉現

はれたる所詞粧台改良家、一腔合政策家は、前掲の疑問におして或程反の解答を奥へ得たる人々

であるが、その最も平明透徹せる解答を之に向って奥へ、その生涯を通じて之が匁に活躍した

る、否、活躍しっ、ある一人は、之をピ久マ

Yクの父閥、科率的一枇合主義の郷里、加御迩仁於て

νシタ

1ノの枇合政策的自由主義

一一七

一一入

見るのである。私が

Y7プレ

1ノの祉舎政策的自由主義を稀々、詳細に紹介せんざする

は此故である。

プレ

yタ

1ノの一肱合政策的立場は、彼が赴舎政策的学舎の一員ごして匁したる貫際的活勃に於

て明瞭なる外、文筆的には其著「現代の労働者組合』〉号。日常任52a2。。moEJ1PEC出山口

ap

円。日間)民間同∞吋同ロ・吋-M)

『現法律による勢働関係』

kr号。

-zs岳民宮町向。5mg巳05HHο口止問。ロ

同。。宮

(円。昨)N一mH∞ミ)『工業枇労働者問題』。20Ewro〉号岳2Emo(∞のまDtqmω出

g己ぎの甘巳2旬。ロ去のFg

。-855円PH・〉口出J

叶忌山口窓口同∞∞N)

一肱舎政策的学舎の依賜による

『同盟罷業さ労働契約の継続に

就て』

dσ2〉号。円30山口ω窓口

gmg己問。司号室gmag〉号。山門君。円5mg(戸oeN山間同∞QO)図家皐鮮血ハ

中のM

労働組合中。君。円wgEDOの項、『勢働意士山者の保護』ロ2∞の}百円N己ミ〉号。一広三Emg(HCHN)

及び『サシヂカ

yズムさ最低賃銀じ就て』

dtqgda--色町555仏円。ZEE-55(阿古ω)

等に於

て児るこさが出来る。

今私は主ざして、『現注律による労働関係』及び『工業労働者問題』(森戸辰男氏語勢働者問題)の二

者により彼の思想ぞ窺はんごする。

70qSQ・-gaDm.甘ユRXLowS弓ミ宏司E039dqmw寸m.Z50D同

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55-31・

而し『此目的に到達するに二様の道があり、

一見相容れぎるこつの傾向によって代表されて

(1) Die gewerbliche Arbeiterfrage, 55. 905-906; 森戸民男氏語『労働者問題』の語文

存用ふ。三頁一五頁。

llジョン・只チユア

Yト・ミ

Yが其自由論のモットー

εせしクヰY

へY

ム・プオシ・フンポ

Yト

の此言葉は、あらゆる純異なる自由主義者が其標語ざし、旗峨ごすぺき所であらう。各人の最

高、究読の目的は、その有する個性争後揮せしむべく、ぞのカを最もよ〈、最も調和的に完成

せじなるこ芯である。プレンタ1

ノは自由主義者である。此の思想は、彼に於て、経済問題特

に努働問題批剣の標準ざして、其『工業労働者問題』の努頭に掲げられる。『高人最高の完成』

印も『凡ての個人の天資を能きるだけ充分に後達させ、凡ての個人の人格宇飽きるだけ自由に

関展せしめるこさが、人類後展の理想的目的である。』さ仰

居る。其の第一は一肱舎内部に於ける分化の傾向である。

各個人が自分の天資ご人格芝を能きる村いけ充分に成政達させゃうごすれば、文化が内匂的に進

歩するこご含必要ごする。文化の内包的進歩は一枇舎内部に於ける生存保件の不平等守前提し、

就中凡ての進歩の主要俊件たる私有財産権さ相緩権どに挨?』さが最も多い。私有財産権さ相

続犠さ及びそれ等に基いて居る一枇曾内部の分化なしには、文化の内包的進歩を望むこさは能き

ぬ。』例||僚件の不平等を文化的進歩の前提ごし、あらゆる平等論者に謝する一個の自由主義

V

シタ

1ノの枇合政策的自由主義

ご九

一二

O

者の宣一一一一回である。

『併し此分化の傾向のみが濁り勢力を港うする滋には、各人を自己目的の者さ認め子、下居階

級の人々を以て、単に上層階級の享楽のための一手段に、過ぎぬざする思想が泊先はれ来り、蕊に

教化の統一は失はれ、上層階放の文化は下層階級によって脅されも従って現存文化を其徳存続

させて置くぺきやが問題ざされる設になる。夫れ故に、上居階級の天資の能きるだけ充分な関

展を続けて行かうさ思へば、第二の傾向が必要になって来る、印ち文化の成果を能きるだけ多

く民衆に普及させ、彼等をしで盆々文化の徐浮に潤ふこさ多からしめ、以て彼等の天資の飽き

るたけ充分なる俊一迷子可能ならしめんさする傾向が必要になって来る。一枇合的平等の賢現を努

むる此傾向に役立つものは、種々の大なる赴合運動、現今に於ては特に労働者運動である。併

し、若しも私有財産権さ相続格及び之に基く一枇合内部の分化が廃除され、かくて終来に於ける

プレシタ

l

ノによれば、以上二つの相守ふ傾向は.共通な理想的目的、印ち『寓人最高の完

(3) ebenda, s. 6;話番五一六瓦。

文化の内包的進歩が全然妨げられ、之に依って下厨階絞自身が各人の理想的目的、印も彼等の

天資の能きる行け充分な後蓬ご、彼等の人格の能きるねんけ自由な開反さに近づくこさが能きな

くなるさ云ふやうなこさが起つてはならぬならば、此平等の傾向も亦濁りその成を持にしては

ならぬのである。』郎、

成』ご一玄ふ目的に於て其調和黙を見出すのである。此目的に到達するゑに、二つの傾向は互に

他ケ・皆川制し、以て一つの傾向のみが専ら勢力争張るこさケ妨げねばならないのである。換言す

れば文化の内包的進歩を回るご共に、之が外延的進歩合も困るが如く、雨者を調和せしめて行

かねばならないM

のでゐる。

ω

プレシタ

I

ノは此立場より労働者問題に面し、自己の立脚地を名付けて一般合政策的自由主義

ごなした。彼は其綱領会掲げて臼く『一耽ム山口政策的自由主義は、外延的及内包的文化進歩さ各人の

あらゆる材能の最大変展ごの基礎俊件ざして、省業の自由さ注律上の平等ごを飽〈まで主張す

る。同時に一粧台政策的自由主義は承認する、沓来の工業秩序を撤廃しただけで、替業の自由さ

こごから排除きれるやうな結果になるさ一一一一日ふこさを。故に彼等は現在の私有財産制度さ替利秩

(4) ebenda, s. 907;諒書七一入頁。

(5) ebenda, S5・.937-938;詩書一回二頁。

法体上の卒佐一寸さの原則を貫生活に貫現するために、何等積極的施設を行はないならば、却って

有害なる一粧台波態が持・米され、そのために自由は絶滅し、一位合の弱者は文化の進歩や享受する

序の基礎の上に、立治政策ご任意的組織さの方法によって、其の目的に到着せんこさ守努め

る。印ち此の方策によって、彼等は強者の優越なる勢力の濫用に濁して枇合的弱者ぞ保護し、

,弱者をして柏岡給して強者さ経済的利盆の闘争合始め且能く之に堪ふるぞ得しめ、以て替業の

自由ご法律上の平等三の原則佐賀生活に買現せんざするのである。』さο的

V

シタ

1ノの枇合政銭的自由主義

一一一一一

此宣言の中には一肱曾政策上の他の立場の排撃が包合きれてゐる・』さは苧一一回を倹たぬ。

マシチヱ

↓ハタ

I問予波の思想、印も替業の自由さ法律上の平等の賞現によりて自由主義の理想、詩人の才能

の最大なる後展が到達せられ得るものざする一涙の思想に反治するさ共に、反動家印ち傍業の

自由さ法律的平等を以て病弊の根源ざし、ぞれ以前に謝する俊古的思想争根祇注する一波の人

々に野立し、最後に自由の庭菜、物質的平等の貫現、私有財産の撤肢を欲する一枇合主義に濁す

る直裁的反謝を表白せるものである。此最後の黙に関しては其著「M労働関係論』に於ても一式ふ

『我等は生存保件の極端なる相違にも将た又所得赤配の平等にも反謝する。我等は第一のもの

を戚惰統一の一放さして反濁する、我等は大、中、小の所得が相併存するを望むのである、何故

ならば、・かくて初めて戚情の進歩さ其多面性さは可能さなるからであるo之を要約すれば、労

働者問題なるものは、我等にさうでは一枇曾誇階級の差別ケ撤廃するの問題にあら歩して、集合

生活の調和が要求する程度にまで之を留むるの問題であるo::::・生産資料の所有及び相続権

の廃止によって赴曾的階級の差別を減歩るの策のみなら子、勢働者の生活科皮の向上を来さな

い賃銀引上、印も下居階級の欣態を改善するこさなしに只単に上府階級の波態を悪化する所の

賃銀引上も排斥すぺきものである。併し上層階級を少しも慶治するこどな〈して、或は其進歩

を少しも阻害するこぜなくして、此掲げたる目的を到達するこさは出来ないG

勢働者に利盆を

奥ヘ宇有産者?害する所の賃銀引上の排す可きぜ反割に、有産者を犠牲ざして軌労働者の生活程

皮を引上げる所の賃銀引上は正嘗である。これなくんば下層階級が文化の進歩に従来よbヨリ

多く干奥するこごは考ムペくもないからである。』

ε。ρ

プレンタ

l

ノの根本的立場は以上の所によって、明にしたりざして、我等は更に彼が替業の

〈り DasArbeitsverhaltniss gemass dem heutigcn Recht, ss. 313-3 14

自由ご注律的平等の承認により如何なる労働関係が後生したるか、此鐙化の文化的意義さ、ヲぞ

の中に合まれたる、過誌に関して遮る所を一瞥し、般労働問題の経済的基礎に関する其論議を見、

以て彼の一枇曾政策家ざしての偉大なる功績、般労働者国結の主践へさ進みたいさ思ふ。

中世紀的の般労働関係を漆倖化したる所謂エ

yザペユ徒弟俊例は一入一四年七月十四日資本家

方面の代表者の主張によって簡単に-廃止された。勿論此度止以前に於て大部分の重要工業に於

ては既に之が遵奉を見歩、治律上の廃止は単に事賃上の既存朕態を承認したるものである。或

は徒弟俊例の規定が従来なほ憤m白ざして行はれたる小数の工業に於て、一雇主は今や何等の跨路

なく、之な破るこさが出来るに至ったさ云ふまでいあるo併し『徒弟係例廃止の主たる意義

は、之が結局労働者は立法による其欣態の改善に謝する一切の希望を奪はれたこさ、叉労働は一

の商品に過ぎ子、般労働者は商品販頁者に過ぎや欣労働保件の決定は鼠・に一雇主ご労働者さの自由の

V

シタ

1ノの祉AM

財政策的自由主義

一一一一一一

一二四

協定に委せらるぺく、図家は他の商品販真に干渉せぎるが如く叉労働契約にも一-叩干渉せ。さる

ぺきものであるさの観念が之に由て漆律上支配的さなるに至った結に在る。』仰

徒弟保例の廃止は一辰主の主張に基いたものであるo

而して既遁の如く、彼等は、此主肢を匁

すに於てアダム・スミスの紘一議争巧妙に利用したるものである。然らばスミスの率一説ごは如何

なるものであったか。

『哲mAT

的根本概念に於けるさ同じく五日等は又諸岡民の宮に閲する政治論、経済論に於ても側関

質現される。従て先づ第一仁、

一切の改良じ反謝する特様階級の利己的努力より波生せしに過

(1) Arbeitsverhaltniss gemass dem hcutigen Recht. s. 73

四百科僻典編纂者の思想を見るのである。彼等さ等

Lくアダム・スミスは、人山首天賦に於て卒

等なる甲}さを数へる。人類同の相異は天賦の相兵の結果ではなくして、数百、立法或は政治に

相見(がある結果である。なじ戸今、此干渉+伊良川し、岡家権力を自然的自由さ財産及一公序の保護

に制限すべきである。立注者が個人の幸一加に介立するこさは倣慢なる越様である。何物が最も

幸一臓に寄奥すべきかは利己心が各人に数ふる所ではないか。而て凡ての人天賦に於て平等であ

り、同一程,反に於て利己的努力に満たさる、が故に、たい図家が各人子、自然の彼に奥へたる

一切の力さ天資さ守利用する利己的努力に放任する時は、凡ての伺入、従て全般の最大幸福は

ぎぎる現存の経済的立訟を廃し、以て『ゑきしなぺく、行かしむぺき』である、現存の人結局的

経済的秩序に代って、経済的自然法の支配を来さしなぺきであるご。

「此事物の自然の支配』を宣言せしこさよりして、十八世紀の偽蘭西経済的学者はプイジオクラ

ヅトの名を得た。而してアイジオクラットの準設を甚しく不明にし、且、屡々之さ反おせるも

のご考へらる〉所のアダム・λ

ミスの設は、上に説明せし如く、其根本観念に於てプイグオクラ

ヅトさ同一である。

アダム・スミザハはプイジオクラットの説中比較的重要なら玄る準設を駁撃で

したのみであって、而も之ご同時に新たなる誤認J

に落ちたのである。此等の相異を外にして、

彼の主たる功績はたい此率一淑の中、

アダム・

λ

ミスは白らプイジ才グラットである。

最も絢

矧たる卒者的労作訟なした-一ごでゐる。尤も個々の説明に於ては、彼は又、新たなる、濁特の

ものを附け加へた。特に彼は偽蘭西挙者の抽象的誘惑に代ふるに質際生活の熱心なる研究の結

ゆる民族、

あらゆる時代に於ける経済生活の鼓動子悦惚ごして聞くの思ひか」なし、恰も永久の

。)Arbeit5verhaltni55, 55. 62-63・

果を配したる説明を以てし、

AAに読者は、主(亭設が偽蘭西に、淵源するものなるケ忘れて、直接

仁実閣の事情より流出したるものさ信十るのみなら子、一一官に十入世紀の英図ど一宮は歩、又あら

呉川崎に濁するが如く襟ケ正し首を垂れて作立するに至らんごするのである己的

スミλ

さ百科俳此ハ続行疑者乃至プイジオク一フヅトさの関係に就てプ

vyタ

1ノのA

一一回ふ所に濁し

ては異論があらう。近来の卒者は一般にスミスの根本思想は抗に彼の偽蘭西訪問以前に於て確

V

シタ

1ノの社合政筑的自由主義

一二五

一一一六

立されたさ一エふ黙に於て一致してゐる。併し此庭に必しも此賂ケ深く追及するの要はない。プ

イジオクラットさユミスに濁するプレシタI

ノの債値付けや』聞けば足るのである。

プレンタ1

ノは更に

4

一一口を進めて一古ふ。

「然るに営時の偽関西に於て、傍来物を念進的に排尿し、且之に代はる他の一切の積極的建設

を拒否する所の準設が起ったこどは最も怪しむに足らなかったこごである。成程十入世紀のす

べての民族は紹謝的座制ご封建的階級及獅占の特権に苦しめられた。併し世態の険悪なる、偽

蘭西人に於けるが如きは他の民族に於て見るこざが能きない、叉一方、同時に、此朕態の不正

ご醜惑に謝する成先の偽蘭西人に於けるが如く後達せる民族は他になかったのである。営時の

座制図の中、偽関西の如く惑政を施された所はない。:::民衆の放態これより劣悪なるはなか

った。斯の如きmm態の下に於ては、腐敗せる幾多の歴史的権利に謝して「吾人の生れながら有

する」権利営、絶調主義におして、個人の自由さ完成ごを、階級特権に劃しては会人の平等を

ば承認せしむる企以て其使命ざし、経済成文法の滋用に謝して経済生活上の一切の積極的干渉

の排尿を旗峨ざする準設は必然に起らまる含得なかったのである。.

「特に工業は如何さ一エムに、十八世紀の初めの七十五年間は工業は仇関西

μ於ても欧洲の他の

部分さ同じく倫全く小経営の段階にあった。銃惑の如く精々、英図に於ける或数種の工業が既

に大経緯白に漕ぎつけっ、あったのみであるo併し、それも既に述べたこさであるが、小工業は

ぞれ等の家族は、家族員ならざる凡て

の者密工業経緯口より嫉妬深く排尽したのである。偽蘭西でも此墜落は著しい耗皮生じて居つ

ツシアトの手によって、小数家族の猫占どなって居hJ、

之によって妨げられたのみではなく、或職業に特殊の才能含有する所の優越者すら、

た。而て生きんが忽には其爾手の股盆に依頼せねばならない大衆が其能力の最有利なる利用を

その後達

さ利用ごケ妨げられたのである。俊明者達はツシアトの反抗に合って、俊明に関する様利守の

匁に忽ちにして破滅してしまった。各職業皆嫉妬深く他の職業が品物の仕上するこごを禁じた

が匁に、些細な物の製造ケ求むる結局に消費者は幾つもの類似職業に註文をしなければならない

こさが屡々あった。ぞれが匁に一公衆は苦痛守成じ、商品の値は勝負した。此等の弊由一一日に謝して

yトは治々の砕ケ揮って、自然、不易の個人の権利さ消費者の利盆ざケ擁護した。

特に労働者に関して云ふ所を聞くに、チュ

Y

ゴーは臼く『紳は人に慾望企奥へ、此慾望の必要

なる充足手段ざして努働を指示し、以て般労働する権利を各人の財産ざした、而て此財産は最重

大な、最紳翠な、最不易なる財産である』然るに、ツンブトが締立の工業経営を困難にせる局

に、貧民は『親方の支配の下に只不安なる生活合後み、快乏の中に燃悼するか、或は、彼等の

施困を利盆し符ぺき工業を外凶に移すか』の外はないのである。故に此不可一一哉の人権に劃する

νンタ

1ノの枇合政策的自由主義

一二七

一二入

一切の侵害より凡ての者を解放するこぜは最も童英なる正義の命令の一つである。

M労働者は自

出でなくてはならぬ。勢働者三雇主問の従来の接務関係に代って、純然たる契約関係が、従来

一雇主の下にM労働者が屈従したこさに代って、労働以外の他の商品の買手、貢手の問にも行はる

る契約者の同継が、労働契約の締結にあたっても生じなくてはならぬoM労働契約は契約者の同

擦によって法律官爆の一切の干渉から解放されなくてはならぬ。」問

此思想すなはちツシアト制皮の廃止を試みんざする一七七六年二月の勅令の序文に展開3る

る此チュ

Yプ

I

の思想は、プレシタ!ノによれば、同年に↓公刊されたるスミスの大著にも共通

なる思想であって、此議論の中には一反主の利盆ケ特に考慮したる黙は全く之ぞ見るこさが出来

ない。寧ろ働関西経済亭者及アダム・スミスが此等の論著及彼等一一切の議論に於て最も心せる

所は買に貧乏なる下居階放の金一・稀である。

一七七六年のチュ

Y

ゴ!の勅令に濁して雇主は狂的の反抗をなし、労働者が之を政呼したこ

は、三十高の英図労働者は徒品川俊例廃止反おの請願に署名し、

一方、一庇主は此底止や}熱烈に望

(3) ebenda, 5S. 64-66

さは、此思想の傾向を裏書するものであるが、之を経過する三十八年目の一入一四年に於て

んだ事買は如何に解蒋きるぺきものであるか。筒躍な考察が此問題に謝し答キγ奥へる、郎ち一

七七六年には偽関西では小経緯口が一般であり、英闘でも殆んぜ全くそうであった。然るに一七

七六年さ一八一四年ごの問には、

ρ

Yグ

ylプ丸、

アーグライト及ワットの俊明が工業の上に

利用されてゐるo

これが潟に工業経替は一愛された。んすや必然に大経替が重き会占めた。而て

徒弟係例に謝する雇主及労働者の立場が既逃の如く縫ったのも之が免である、徒弟僚例は起り

-米る大工業者にさつては妨害さなり、

M

労働者にさつては保護さなったのであるo

スミスは英国-

富論執筆・常時に於て、未だ大経後の優勢の下に労働者関係が如何に後展するかを知ら宇して、

蛍時専ちなりし小経勝目親方の樵利の濫用にのみ注目し、之におして労働者及↓公衆ケ保護すぺ〈

徒弟保例際協止を主張したのである。すなはも彼は此康止によって猫立工業経後者の増加すぺき

を期待し、却て大経後の成立さ共に著しい工業資本の必要が、如何なる徒弟僚例の制限よりも

遂に大なる狗立工業経純白の障害どなるこさを珠想せ子、

A1や徒弟俊例の墜・なる廃止によって

は、濁立生活者の数を増加するこごは愚か、般労働者の生活ケ危険にし其紋態ケ悪化するに至る

こさを知らなかったのである。

勿論、般労働は他の商品ご何等の区別がな〈、又凡ての入、天賦に於て卒等なるが故に、

の限界を撤

A

厳し専ら自己のカに依頼せしむるこさは、凡ての人を向上せしむるものでゐるさ云

ふ原則が買施ヶ見るに至ったのは大なる進歩である。「之に由て永久に労働者の人格的自由さ法

律的平等さが州労働関係の秩序の基礎さなされたのであるo

今まで後見された所の労働者は、之

νシhF1

ノの社合政筑的自由主誌

一二九

一三

O

に由て一人前の猪立者ご宣言され、今まで雇主に制到し被支配者たる関係にあった労働者に、雇

主さ同一なる権利が奥へられた。』向Il--プ

1

ノは此原則の文化的意義大なる争認める。

凡ての自由主義者亦之に唱和すぺきものである。自由主義の理想は此原則の宣言を必要ざする

からである。訂正すぺきは、此原則に合まる〉快陥であり、補足すぺきは、自由主義の理想を

達する上の不充分であるoプ

V

Y

l

ノの職務は此訂正さ補足の仕事さなる。

彼によれば、

かの原則の第一の誕謬はベ人類の自然的卒等ぞ俄一定したこさである。印も人類

問の差別は天賦の相違の結果ではなく、殺育、法律及び政治の結果である。故に法律政治の干

沙を廃止すれば、凡ての個人は、凡ての経済が均しく到達せんさ求むる目的、印ち最大の純牧

入。γ買視するに必要なる識見さカさを持ってゐるさ一一一一口ふこごが、明白になって来るさ主張する

のである。けれざも凡ての人類は卒等なる材能ざ天資どを持って生れ付いて居らぬ。

一方に天

才がある、他方に鈍物があb、比較的少数なる此等雨極端の中間に

4

非常に多数の凡人が居

には必妥なる異常の勤勉、不携の持久力、及び経済的利盆の精維なる成知争現はすけれざも、

る。経済生活に関しても、非凡なる経済的天資生ぷけて居る者のみは、最高の牧入を獲得する.

4守山4

大多数の民衆は其会勢力を替利に集中するこごなしに、先づ第一に充分確貫旦締立なる所得を

希望するのである。経済の領域に於ても亦、「治律は人間合偉大にしなかったよさの文句が静岡

山吹り、完全なる自由は経済的天才のあらゆる力を後展せしなる生活保件であったけれーとも、経

法的凡席者である多数者は、国結のカに挨つ-〕さなくしては、平凡なる開展診すら遂げ得ない

のである。』向

第二の誤謬は、勢働が他の商品さ同様なる商品であり、労働者が他の商品の貢手三宅も援り

なしご云ム忠惣である。プレシタ1

ノが材労働問題の経済的基礎ざして最も力守注ぎ、力説する

ものは、此結であって、以下私は労働問題脱税生の理論ざして最も模範的さ稗し得べき彼の論旨

を彼の「労働関係論』より紹介するであらう。

プレンタ

1ノの労働商品性質論の出愛知を成すものは、労働さ枇労働力さの区別であるo

彼は

一玄ふ、労働さは労働力の用盆である。而て労働力は人自身に外ならなレ

戸経済財の鼠待の佐川に

人は必十陸ご智さ心さを協働せしなる限り)故に努働は人自身の用盆に外ならないぜ。向

労働が人自身の用盆であるさ一式ふ貼から、

プレンタ1

ノは他の凡ての商品さ労働さの重大相

連企引き出して来る。「併し此相違はY

1

ントジの主張した如く、労働力の用盆されゴる各瞬間

は永久に失はれて佼復され子、労働するか」件ぺかりし時間の損失さ共に労働も損失さるる貼、

従て時間の産物ざしてのM

労働は貯成3れ得な

ν駄に存するのではない。何さなれば此事は労働

アV

ンタ

1ノの枇合政策的自由主お

一一一一ー一

(5) Arbeiterfrage, 55. 920-921;詩書五十入一五十九頁っ(1) Da5 Arbeitsve出altnis5,5. 183

さ他の多くの商品ごの区別ではあるが、これは例へば、家、馬の用盆等凡ての用盆ぎは共通な

る性質であるo勢働さ他の凡ての商品さの相遣は遂に重大である。之を見んが忽に我等は労働

缶、同じく用盆なるが故に勢働さ至大の類似駄をもっ商品ごしての資本用盆さ比殺しなければ

ならぬ。

『資本用盆を見るさ、直に解るこさは、これが資本さ密接、不可離の関係に立ち、資本の運命

は全く其用盆の淫命によって定められ、買に此用盆は資本を完全に支配するにあら、ざれば全く

不可能なるこさである。労働力三の関係亦全く帥絞りである。他人に其労働を震る者は、

つ・まり

業労働力の支配争賃貸するものである。併し労働さ資本用盆の同じいのは此彪までに過ぎな

い。次に共相違が始まる。印も共用人命が商品たる所の資本は自ら亦商品である、その所有者さ

は全く分離せるものであり、之を所有せる者、或は前に之を所有せし者より、

一定の目的を達

する匁に初めて任意に生産されるものである。従て其所有者は被用盆物の存在におして、叉そ

の用盆の提供に謝するさ同じく、責任子有するものである。

「然るじ労働力に付ては会〈迷ふ。労働力は商品ではなく、人自身に外ならないv

。又ぞの所有

者によって任意に生産されるものではなく、従て所有者は自ら其存在に責任あるものではな

く、雨者は不可離の一位ごして現はれ、自己の意思さ濁立に世界に生れる、而て人は自己以外

の目的の必に来るにはあら十して自己目的であるo抹て一方の場合に於ては、販寅者自身は用盆

が頁られる其被用盆物ごは別物であり、被用盆物郎も資本は自ら商品であり.他方の場合に於

ては販究者自身は用盆が頁られる其被用盆物さは同一であ

b、此一被用盆物は商品ではなく、自

己目的であ、り、会経済組織の中心である勃に労働ぜ他の商品さの金相述、印ちヨ

y重大なる相

惑が存在するのであるo荷も或物の用盆ぞ買ふ者は、これによって必然に用盆争奥へる物の上

に支配力を得るのであるから、労働の購買者は英購買によって亦、般労働力の上の支配力、印ち

入金位、従て其享楽力、其享楽、共全肉睦的、智的、道徳的、一枇合的存在の上の支配カを得る

のである。』問

プレンタl

ノは、従て、持働さ其販究者の人格さが絶調不可離の結合をなせる結に努働ケ他

の凡ての商品よb分つ枚本的標準を認huるものである。此相思(に基いて幾多の結果が殺生する

のであるが、支に一つ、商品販究者ざしての-M労働者の一性質が、

M

労働者の地伎を不利盆ならし

は貧乏である。

ji---M労働者は如何なる賃銀、如何なる労働僚件にも、且つ又彼の商品が彼自

(2) ebcnda, ss. 184正

なるに役立てゐる。プレンタI

ノ之を説明して臼く『労働者の商品の此特質よb離れて、労働自

身さは関係ないが.労働の商品ごしての特質さ関聯せる諸影響の後生を容易にし、且.此影響

そのもの守強くする所の一性質が、普通、般労働者の個人に件うてゐる。郎ち原則さしてM労働者

プレシタ

1ノり祉Awu政策的自由主義

一一一一一一一

一三四

身さ密接に結合せるが魚、彼自身に謝する如何なる支配にも従はなくてはならないのである己

J

om,

商品ざしての労働、商品販資者ざしての労働者の此二つの性質、印も労働さ其販貢者の人格

さが不離に結合せるこさ、及び此販頁者が原則ごして食なるこさから、然らば如何なる結果が

生れて京市るか。プレンタ1

ノは進んで此結果の黙検に入る。彼の此論惑は、労働契約が他の商

口問責貝契約さ同一視すぺから.さるケ愈々明瞭に指摘するものであって、労働者問題の危機が如

何にして殺生せるかを-説明し、以て、図結の主張に至る直接のリンクを成すものである。

「労働以外の他の商品の販寅者を観察するに、彼の人格ご彼の商品ごは全然締立してゐるがた

めに、彼は何等購買者ご個人的関係に立つを要しない・』ぜが明である。販頁を矯すがためには

他人の力守滞りるこども能るのでゐる。叉購買者さ個人的関係に入つでも、

'}れは永続的では

ないのである。物の所有権を移す販貞者にあっては這は勿論の事であるo併し資本用盆の販寅

でも同様である、此場合も販賞者さ購買者さの関係は瞬間的に過ぎなじ。雨者相合うて債格は

「然るに労働の奴頁者につレては全く趣を異にする。彼はその用盆を頁る調象物さ別物ではな

ぐ3)ebenda,丹.186

支那はれ、買手は用盆物を占有する、而して買手の人格に謝する関係はこれで終結するのであ

る。

いのである。其用盆を貝ふ者は同時に彼の人格を占有し、主〈行結局を定めるo

而て此関係は瞬間

的関係ではないのであるo:;:・:般労働者さ他の商品販貢者さの此重大相具、印も、彼の人格が

購買者に従属するこさは、購買者がM

労働者の人格の滞在所全決定し、又般労働者の時間診使用す

る方法含決定する時に忽もにして現はれるのである。

『すなはも他の如何なる商品の販責者も、

Ayソンの正常に指摘した如く、自ら其商品の在る

土地に行くこさなくして販頁が能きる。少額づkA

の販貢をする小貢底に於てすら主人は葉商品

の販貨に自ら臨むの要はない。大商人に至つては其帳場からして、数本の手紙を以て世界の或

部の財買を他の部分に移すのである。工業者や卸責商は郵便や注文取伝道じて、其商品の見本

伝送り、静かに家に座しながら、同時に数百の町に於て販寅の締結含匁すのである。併し主人

が個人的に凡ての販真を一々指揮する場合でも、彼が買手を待つのであって、その反謝ではな

〈、寄せ来る多くの人が此場合彼に代って商ロ仰を一地より他の地じ移すのであるo

従て商品の

販貨は彼の人格の滞在所さ、従て又其環境ぎの決定に何等の干渉をなさないのである。

『然るに労働の販寅者についてはさう

tはない。其商品ご不離る可から玄る放に、彼は其見本

訟法るを件ぬ。彼が労働の購買者全求なる甲}さは、此の彼ケ求なるよりも甚しさがため、購買

者は彼の商品争」買はんが忽彼の小屋守訪れはしないMO

労働を資らんが匁には彼自らが何庭にも

V

シタ

lノの枇合政策的自由主誌

一三五

一一ニムハ

出て行かなければならない、

さうして彼が其労働力の用盆の買手を見出す時は)彼は其買手に

従って、その者が彼の商ロ仰を要求するその場所に赴かねばならない。彼の峡労働カ用盆の地は亦

彼の人格の滞在の地である。而して此場所を定める者が労働者の今一存在に及ぼす所の支配たる

や甚しきものである0

『更に般労働者が共商品ご結令せるこさは雷に閣の一定の地に於ける其人格の滞在を決定するの

みならや¥又一定の場所に於ける其滞在を定めるのであるo

従て彼は必要の場合には通風の惑

い、病源の充満した、或は一辰主が、例へば建築物を支へるのに不蛍なる節約をし、これが結局じ

危険に瀕せる場所に其生命ケ賭せねばならない。

『最後に仕事場ご共に又同時に労働者の環境も決定される。印ち般労働者が何人の脇に於て其商

ロ仰を寅るかいv

決定される、而て此決定は枇労働者にさつては至大の意義があるのである。何故な

らば、彼の隣人の不熟練或は不注立は彼の仕事を妨げ、或は無駄にし、谷川に彼の稼高ケ少くす

るこさがゐるのみなら子、隣人の無経験は彼の身位、生命をも危険にするこさがある。.

アダム・スミスの既に逃ぺたるが如く、

M労働者?極て優

良の者の脇に置くこどもあるが、又容易に、極て不良の者に}近づけるのである。かくて販究者

而て最後に此労働者の環境の決定は、

さ商品さの不離の結合が如何なる道徳上の危険を読すかは、瞭ざして明である。あらゆる罪惑

ケ績んだ大浮浪人の脇にゐる若い祭働者を考へて見さへすればよい。

..

「而て商品ごしての労働の特質は其販責者の時間の消費に謝し

τ特殊の影響を及ぼす結にも表

はれるo

凡て他の商品の販寅者は之が販寅に自ら臨む必要がないからして、勿論彼の時間の上

じ完全に自由なる彪分力をもって居り、好むま、に、之を消費するこごが出来る。:・

『之に反して労働者は、その商口仰を責る以上、肉世的、精紳的に拘束せられ、荷も寅らんが匁

には、常に一定の長さをもった時間について責らねばならぬ。而て此時間の決定、郎も何時間

働くべきか、伶分の時間働くか、一化業ケ匁すかの決定は又同時に努働者の肉睦的疲労の程度を

決定するo

ニれによって軌労働者が、其精紳的、道徳的修養にさ、げられる機舎を利用し得る

か、或は其疲労せる、過労の身憾の慰安をば、全然、不健全なる宴楽に求なるかが定まる、又

これは労働者の家族生活、其子弟の殺育の監督、其政治的義務の履行、約一一一一目すれば、彼の金生

活の如何を、決定する己的

以上は労働の特質より来る倫理的結果ごも云ふぺきものであるが、プレ

γタ

l

ノは一史に経済

(4) ebend,i, ss. 187-193

関係に於ける結果をも説明する

Q

般労働が主(販貢者の人格さ不離の結合を有せるこ芝、及び原則

ごしてM労働者の貧なるこさは各勢働者より、販士見係件に謝する一切の勢力を奪ひ去る。これは

、、

各個の場合に於ける保件の決定についてのみならす、般労働者が賂来此係件の上により大なる勢

V

ンタ

lノの祉合政策的自由主義

一三七

一三

λ

力争振ひ得るか否かや左右する関係の規律に就ても同様である。他の商品の販頁者は、場所上

或は時間上有利なる市場ケ捜し得べき地位にある、印ち供給を常に需要に趨合するこさが能き

る。貧乏なる孤立労働者は、之に反して、共生活の維持の結局、絶え子販貨を強ひられてゐる。

終米に於ける有利なる市場守安閉ざして待つこごは出来ないし‘他地方の有利なる只手を確か

めんざするも、その費用がないし、又別れた家族ぞ如何にするかの問題がある。彼じ申出され

たる保件に従ふ外はないのである。然るに此係件は雇主の決定せる所である。雇主は般労働者の

商品の債格を一方的に定なる者であるo

のみなら?此債格を貨併で支梯ふが、貨物で支抑ふか

を定め、般労働者が之を好みのま》消費し得るか、或一は雇主の応又は酒場で消費すべきかを定

め、幾何時間勢働すぺきか、如何なる場所で、如何なる仲間さ勢働すぺきか含定める。

砂田り、 而して孤立せる労働者が努働を資桧へせ宇供給するこさは、彼等をして、労働契約の締結に

一定の瞬間、直に一居主の係件に従はしなる影響をもつのみではなくして、叉需要減退の

際、他の商品の販資者の如〈、商品の供給者を減じ、主一債格を高く保も、更に上勝せしむる'〕

さを不可能にするのである。孤立的労働者は其商品の供給を減少し得ない。然るに需要減退の

場合仕事や見出し得る労働者の数は従来よりも少い。従て彼等の問の競守

-ub然に大ざなり、職

を得ぎりし者の臨時‘迫によって賃銀を盆々低下せしめる。而て賃銀の沈下し得ぺき限界・は、或労働

者階絞に習慣上、生活の維持及び繁殖の忽に要する生活費であるo

困窮さ死は此限界以下に賃

銀の下降するか」妨げる。

需要増加の場令に於ても労働者は他の商品販貢者ご同様なる利盆を引し出すこさが出来な

レ。これは需要の減少に応じてい前口仰の供給を減少し待なかったが結局である。需要が増加する時

第一には、長に臓を失った航労働者印も珠備軍が再び臓を見出し得るに過ぎない。需要が非常に

増加して、此珠備軍を以て其充足ケ結局し得ない時にのみ、労働の債格は騰貴し得るのである。賃

銀の上騰が久しきに互hJ、且つ労働者が其所得の増加を其家族の増加に費さ守して、其慾望の

向上に裂すならば、其生活程反は高められ、賃銀の最低限も移動するであらう。併し賃銀の上

勝が短期間

rけ緩〈に過ぎないM

ならば、

ll騰貴の視はれるこさが遅れるために業期間は短縮

される

ll賃銀騰貴の起った工業は他の峨業から新らしい労働者ぞ吸引するのみで‘再び需要

の減退が起った時には、失職者の数ケ増加せしなるの結果ごなる。か〈て職ケ求むる魚市場に

於て互に相勺ふ多数般労働者の競争により、賃銀は速に低落して生計上不可侠の程度に到り、上

越の生存競争は益々激烈さなるのである。延代の生産方法に於ては熱帯地植物に見る様な急速

な成長ご悲惨な凋落どが逮じ交代して、材労働者に謝し、(之が図結せ、ざる時)各工業に「除剃人

口」を生十るの影響ケ来すがために、

νンタ

lノの枇合政筑的自由主義

l

y・マ

Y

グスは「資本主義的生産方治の人口法則」を

一三九

一四O

云々してゐるo併し之は勢に乗った誇張の言葉である。蓋し努働者に謝する此影響は近代の生

産方法さ必然に結付いてゐるものではないからであるo

併し労働者が孤立せる時は、工業の活

躍ど生産恐慌ごの循環は勿論労働者に大なる不利盆を醸す。活躍の期間は原則ざして短かくし

て、鼠・に生計の向上ヤ来きしむるにも足らないのであるが.

一方凋落の生じた後に労働の供給

ケ増加せしなるには不充分なのである。需要の一時的に増加するこさは他の商品の販頁者にな

-ら常に利盆ケ輿へるのであるが、労働者以孤立せる時、これが忽に永久的には只出品目を受げるに

過ぎないのである。向

次じ他の商品販資者は生産を制限して賂来の市場を好制作せしむるこさが出来る。労働についM

ては之に相蛍する手段は産児制限のみである。併し孤立せる労働者にその事を求なるこさが出

-米るであらうか。又、産児制限じよって彼等は其殺来診獲得し得るであらうか。プレンタ1ノ

は之に答へて一玄ふ、労働者がかの自制の勧奨に従ふ第一の僚件は、明に、彼等が勝家に於ける

る努働者は市場を洞察するこさが能き宇、・来るぺき将来は彼の結婚ケ許すか否かの剣町聞が出来

(5) ebenda, SS. 194-207

共地位の改善のゑには、此の如き数の制限が必要なるこごみ3認識するこどである。併し孤立せ

ない、叉買に彼の最も頼れる人、印ち般労働者指導者は、常に彼等に殺へて、プロレタリアート

のカさMM2

は実数の増加に在。ご云ひ、彼の手近の経験は彼に示すに、結婚の直接の影響は其地

位の改善であるこどを以てする。何ごなれば、家事経済に於ては二人の所得を合した方が之を

分離するよりも有殺であらう、且貧困なる般労働者は自分の子供を以て家族の総所得ケ増す車な

る道具吉見てゐるからであるo

般に労働者の中に産児制限の必要

P認め、之を行ふ者ありざす

4hV4b

、その制限は、

たいv軽卒なる者の益々家族を殖す徐地を奥ふるじ過ぎないM

であらう。故に

労働者の性的自制によって労働の賂来の供給ケ減少させるためには、個人的利盆に訴ムるこ

ご、勝た又孤立的行匁も共に足らない。労働者に向って、此の如き行潟によb、其地位改善を

劫なる凡ての経済的学者は必然に、利己的、個人主義的立場を来て、ゐる。彼等は必然に、各労

働者の其階級会挫に謝する道徳的義務に訴へねばならないのであるo

彼等は一致の行動診要望

し、少くごも、事賃上のll'隔黙の中でもよいが、||組織を前提さするo

最後に労働者の階

級会時、例へば一工業の般労働者が伎に性的節制の必要ぞ認識し、その階級の利益の匁に要求さ

れたる節制を行ふこさを頑ん宇るざするも、此頑ん十るぎ」エムこさは賀行さはならないであら

ぅ。印ち彼等労働者は自己の折角の節制が、共同成の少ない他の者の匁に、無駄口〔目ごならない

さ一玄ふ保詮を得るにあらぎれば、此節制ケ匁さないでゐらう。

故に

llプレンタ

1

ノは結論に向ふ

llかの経済卒者の希望せる性的自制による労働供給の

減少を笈現するには次の佼件が必要であるo

此の如き節制の必要を認識するこご、

M労働者聞に

νシタ

1ノの祉合政筑的自由主誌

反制到の行混合非難する一般的義務概念の存在するニざ、他人の反割の行結局により生子る影響に

謝して、此義務を認め、之に従ひ生活する者を保護するこさ、之であるo

然るに努働者が無組

織の場合は此三要件さも存在しないのであるさ。的

プレンタ!ノは以上の説明を要約して云ふ↓労働者は孤立せる時、共商品が其人格ご不離に

結合せるこさ及び其原則ざして貧なるこさの結果ざして、菅に各瞬間に其労働を頁怒へな〈提

供し、従て労働係件の上に何等の勢力守及ぼさぎるのみならす、又需要の低落にや四つては他の販

資者の如く故意に其商品の供給を減じて債格の低下を妨げる唱}さが飽きす、需要の増加に際し

て永久的利盆少受けるのは只比較的稀有なる前提の下に於てのみであり、且、将来の市場に於

ける其商品の供給にすら彼等は何等の勢力争及ぼさないu

のである。かくして彼等は労働契約の

締結に勝目り、全然、労働購買者の手、印ち依格闘争内の自然的頚散の手中に在るのである、従て

彼等の所得の低下し得る最低限は困窮さ死巳によって定められ、その迭し得る最高限は共同僚

『印ち上の説明に由れば、労働の購買は其販貢者の人格の上、其肉挫的、道徳的、智的、一枇合

くの ebenda, 5S. 20i-2IO

の軽慮によって定めらる、に過ぎぬ。個々の般労働者自らは現在及

m・米に於て賃銀率の上に無カ

であるo而て此経済的特徴が労働者問題の基礎である。

的生存の上に支配力を奥へ、販責保件ケ決定する者は其支配カの皮合、程類を定めるのであ

るO

般労働者が孤立せる時、般労働者の奥り得る文化の程度を定める者は努働購買者であb、般労働者

自身は現在も賂来も此皮令の上には全〈無力であり、彼等が文明及び其進歩じ興るについての

最低の分前を定めるものは困窮さ死己さであり、業最大の分前を定めるものは他人の軽慮であ

るこごが明瞭である。

ji--・若し事買に於て今日の一枇命目的、図家的秩序の存療の下では労働者

が文化に奥bo得る其民会を彼等自らによって定めしむるの可能が存在しないのならば、労働者

が文明の進歩eT享受する上に彼等の同様なるそ痛戚し、彼等の権利の貫現を迫ってゐる今日に

は現枇曾秩序の存績が重大なる危険に瀕してゐるわけであ-る。併し幸なる哉、的労働者に此可能

性会奥へるが忽にはたuv鼠・に今日の赴舎が立脚する法的基本律の貫現ケ忽せば足るのである。』

J

こoh,

V

Y

タl

ノの論逃は切々さして我等の肺肝にせまる。我等は最早・}れ以上彼の固結必要論

争』引用し来るの要なきを成予る。孤立的労働者が如何なる地位に存在するかの論惑は同時に図

の上に大なる立義を有するこごの外に、国結は壁・に表面的に徴候を除去するにざいまらやし

て、弊害の根源に測り、其原因を除かうごする。印も労働者は図結によって他の凡ての商品販

(7)ebenda, SS. 210-212

結必一安の提唱であるからである。併しなほ一一一一一回を附加して本節を結ばぅ。「図結が労働者の数百

究者ご同一の地位に達するからである。国結によって枇労働者は市場に於ける其商品の供給に一

V

シタ

lノの枇合政策的自由主義

一四三

一四四

の支配力を得るのである。これによって労働者は商品の供給に蛍り頁控へをなすこさが出来、

共販責保件の決定に奉加するこさが出来る。従って之によって般労働者は他の販貢者さ同一の猫

立を遣するのであるo

又労働者は之によって、凡て他の販寅者の有するご同様に其人格に闘す

る自由さ自律力争獲得し、これによって其商品さ人格ごの結合するによる不利盆を除き得るが

放に、

つまり之によって其商品は云はャ労働者自身より分離され、以て初めて他の商品さ同様

な商品ぎなるのである。従て図結によって初めて労働は奨の商品己な

b‘労働者は奨の商品販

究者ごなるのである。」さ。似

vyタl

ノによれば労働者は労働組令によって初めて他の商品販支者さ同様に其商品の供

給金規律し得るものである。併し枇労働組合によって果して全労働者階級の地位争改善し得るか

さ云ふ問題ケ解くがために、

プレ

γタ1

ノは更に一つの仕事を必要ごした、常時の支配的準設

{8) <>benda, 55. 215-216

たりし、賃銀基金設を打破するこさであるo

スミスMAぴ共機承者は回総禁止法の不蛍を難十るに黙に於て礁に其卓鬼伝誇り得る。併しλ

ミスはまだ労働者が此回結によって彼等の地位の改善を遣しれM

べきこさケ深く考慮するに至ら

子、彼のυ

継承者に至つては賃銀基金誌の迷妄によって、正静岡なる剣断に達するの遊を遮断せら

れた。賃銀基金設は、買に正統汲経済率の波賂ジヨジ・スチユア

Y

ト・ミ

Yの頭脳ケすら支配し

たものである。此準設は.賃銀は企業者の資本の中から支梯はるさ一一一一口ふ見解より出後し、

の瞬間に賃銀ざして支梯はれ得ぺき資本は確定的でありさし、此全額を賃銀基金ご名付けるo

一定

然る時、賃銀率は躍に此金額の分割さるぺき労働者の数によって定まるこごは明である。労働

者の平均賃銀は此数が一定すれば必然に定まってゐる。企業者

ε雄、此賃銀額に愛化を加へる

こさは能きない。者し労働者中の或部分が凶給によってヨ

y高い賃銀ケ強要し得るざすれば、

これは外の枇労働者ぞ犠牲ごせるものに過ぎないさ。此向学設は極端なるマンチェスタI率一ほの手

に落ちる時、

一見有力なる資本擁護の亭設さ化せられ得る。賃銀の引上は労働者の数を減や

5

る限bJ、賃銀基金を増加するの一念によって達し得るのみ。然るに賃銀基金の増加は一国資本

の一般的増大を前提ざする。約ユ一目すれば、賃銀の引上の問題は一図資本の増大の問題である。

的労働問題の此部分は一個の資本問題に外ならない。

英図に於て此賃銀基金設に攻撃合加へたる者に、

ローンジがあり、

yIントンがある。就中

yIVトンの労働論は、

ジョン・ユチユア

Y

ト・ミ

Yをして移に此準設を劫部するに至らしめた

るものである。狗逸に於ては、早〈へ

Y

マンが之に一撃を加へ、我プ

vyタ1ノが之に最後の

打撃を奥へた。

νンタ

1ノり社合政策的自由主誌

一一四五

一四六

プレンタ1

ノの此論は一入七一年コンラード年報上に後表せる『賃銀勝賞の向学説』(り円。戸。可。

JNOP己

gHhorsEmo円5mgE{門

σgoロ仏O叶

q河口染色。『円。口町門出。

gmFのF843一見切の

HH

戸内包orgw山口。。ロ・

sawmのFOロ]PH

】手口のro:。lH吋)引に於て展開され、更に「現代の勢働者組合』第二容(N号付ユ持仏2

gm-zorgの040持〈O

円。山口PH∞芯)及び「般労働関係論』に於て再読された。

彼に擦れば此亭誌には二個の誤謬があるo

第一に一定の時黙に於て賃銀支挑のため支出され

る資本は確定的であるご云ふのは正しくない。

一健二図の資本さは何?意味するのであるか。

明に生産に用ひられる一闘の財産の部分であるo併し此部分は或時間に於て固定的の愛化し符

‘ざる大きであるかさ云ふに、明にきうではないv。何故ならば、直接の享楽じ役立つ一闘の財産

の部分さ雄、・如何なる瞬間にも、直接に或は信用の基礎ざして生産に役立たせ得るからでゐ

るo又如何なる瞬間にも一闘の生産財は外債によって増され得るのであるo如何なる程度に一因

の財産に投性られるかは宜・に生産的投資より期待され得る利潤の大きにか冶るのであるo

此亭

設の第二の誤謬は、賃銀は労働産物の消費者によって支搬はれ十して企業者の資本の中から支

携はれるさ一宮、広間違った見解にあるのであるo

然るに資本はへ

Y

マンの適切に一疋ふが如く、欲

せらる〉財を一人より他人に移すに用ひらる》運送手段に過ぎぬ。勿論企業者は其資本の中か

ら労働者に、その労働を提供した割合に感じて、

一先づ支給を潟し、之に劃してM

労働産物の所

(1)研究岱菜報第二容第一披一三競所載拙認参照。

有者ごなる。併し事震に於ては決して彼は其資本を手放すのではないのであるo

たい交換によ

って其形密接へるのみである。資本は、或は交換財の額(航労働者は之を賃銀ごして受取る)ごな

h-J、或は、それ自身に於て無償値な原料の上に云はい固定せる所の労働自位さなるo

併し企業

者は永久に資本を此後の形に放置するものではない。彼が般労働ケ買ふのは、たいv之な後に、分

離したる労働を要求しない人に、生産物さして提供せんが潟に過ぎない。彼が其交換債値を労

働産物の形に愛ヘるのは、たいv

之を再び他の債値形態に謝して消費者ご交換ななさんが忽であ

るo

従て労働の異の調債は資本ではなくして、消費者の反割に提供する所のものであるコ併し

消費者が商品に濁して提供するものは決して不愛的固定的の額ではない。此額は消費者の或財

を要求する其度合によって惑って居り、或は其者の全財産に互るこごもあり得る。かの向学説は

賃銀を企業者の資本の中から支挑はる〉ものごして、国結が要求するより高い賃銀は之?消費

者に特嫁し得るこさを看過したるものである。又企業家は若しも賃銀支協に投壱られる額を消

費者が補充する時は、何時でも喜んでより多くの資本を賃銀支携に投十るものであるこさ、並

1J50)

bz、2

( 2) Das Arbeitsverh1iltniss, 232正

びに此の如き場合には彼自身は一定の資本しか有たなかっても、資本は之を借金によって徴達

し得るものなるこどを看過してゐるのである。

llこれプレンタl

ノの賃銀基金排撃の大要で

νシタ

1ノの祉合政策的自由主義

一四七

一四八

更に・進んで彼は、各程の場合に於て企業者が債格の引上により賃銀騰貴の負擦や-免れ得るこ

さを論詮したる後、賃銀の引上、或は時間の短縮は必しも高き労働債格或は少き労働量を意味

するにあら

eさるこさを指摘した。此最後の黙に於て我等は、

Y

ヨ・プレンク1

ノの更に-佃の

間学問的功績に逢着するo

『般労働賃銀及労働時間の労働能率に劃する関係』(己ず

2己

gJ12E-E25ロ〉号。芝

oES仏

〉号。{ZNORNZ吋

-P吋tozozsm)は議合に於ける大蔵大臣カンプρ

クゼジ

(PEH)FP58)の演説に

一個の時事論さして一入七五年に一公刊されたるものである。

更に其後の材料さ研究によって増補されたる版である。「労働関係論』にも其研究の大要が録せ

刺戟され、

一入九三年の第二版は

られる。彼の腿旨は、賃銀の引上、努働時間の短縮は、之に熔じたる能率の増加を件ムこさに

よりて、必しも企業者に不利益を生ヂるものにあらや

J

ご一式ふこさである。高き賃銀さ短かき労

、、

働時間は般労働者の生活程度影高め以てより高き強度訟もって一其仕事に従事し得るの地位に置

、、

〈、且つ又企業者b-して英機械をよりよく利用せしむるに至るものであるさo

勿論高き賃銀が

必しも一角き労働を怠味せざるこさはプ

vyタ1

ノ診待って初めて知り得られた事ではない。彼

は此黙に於てアダム・スミλ

以来の向学者の縫承者たるに外ならない。彼自身スミ九以来の多く

の事者(足。(リロロ0の

Y

∞g一。3

出。

ESFHwgoyophFog-目。円)の設及び経験を紹介し来り、最後に

英国の大企業家プラヅセl(出

Ego-)の貫際的規容を掲げて、此設に千金の重き含附した。プラ

ヅセ1

の経験は、世界各部にわたる自己経鋒の企業に於て、枇労働者の賃銀には高低あるも、枇労

働の債格は同一なるこ芝、郎も同一一織の金銭に製して常に同一堂の労働が提供さる3

こ芝生不

したからである。向

プvyタ1

ノが今、此古き的九千設営繰り返し高唱したる所以は、質際界の大

部分に於て、賃銀低きは労働者合刺戟し、賃銀高きは労働者ケ怠惰ならしなごの謬見が普及して

ゐたからである。グ

1プの勧奨「真理は之を繰り返すを要す』之は此際プ

vyタ

1

ノの遵奉せ

し所であらう。

高賃銀の能率増加は、生活減反の向上に由来するさせば、生活程度の向上守家し符ぺき他の

一つのこえ印も労働時間の短縮が同一の結果?来し得るは、亦見易きの一理である。英図工

場立法の長さ経験は一平安に於て此真理の力強きケ賃設したるものである。プV

ンタ

I

ノは多〈

の質例によって更に此真理ぞ確認した。併し一方に於て彼は亦、高賃銀及び時間短縮が努働能

率に及ぼす好影響には自ら限界ゐるこさ伝指摘した。短期の、或は急激なる、労働保件の改善

は、未だ労働者の生活程度を高むるには足らない。相皆、長期間に互る、又徐々たる改善にょうて

初めて附労働者は獲得せる培加所得さ時間さ営賢明有意義に費し待て、生活程度の向上伊国り得

るのである。又生活程反骨飛躍的に向上せしむるこごは出来ない。文化の恩恵に奥る割合ケ培

V

シタ

1ノの祉AMU

政策的自由主義

一一四九

(3) Uber das Verhaltniss etc., 2. Auft. ss・2--6

一五O

加したりざするも、之を真に自己のものさなさんが忽には先づ此文化に浸

b、之を亨受するの

道を町内子ばなくてはならないからである。而て生活程度の向上ありて初めて能雫の増進は可能で

あるさ。プレンタ1ノは、かくて常時の濁泡には直に一般的に入時間労働診施行すべきにあら

十-工業の種類によりて十時間或は九時間労働を行ふべきこさを逃ぺてゐるのである。判

プレンタ!ノの主張は、彼の門弟ジユ

Yチエ・グIぺYニヅヅ(イ

02mwz-NOIChu-2ER)、

ヅハイマ

1

3吉

NE52)の雨氏により木棉工業及び鍛工業の方面に於て搾認され、米人ジエ

1

ホプ(∞の

rog宮内)亦同様に之を裏書し、其後の多くの質例は最早此貼じ闘し疑なきに至らしめた。

...L-J、

我等は以上、現存秩序の下に於ける労働者向上の可能、而て之がゑに必要なる労働組合の提

唱に就てプレンタ1ノの所設を大腕し得た。加御混一枇合政策的八千合に集りたる多くの向学者中、

モラーが官僚的方向に流れ、

ヲグナーが園家一枇合主義に傾きたるにおして、プレンタ

1

ノが労

働組合による労働者の自助を強調したる根披は、上越の所によりて明であらう。併し、滋に渓

解なきゃう一言すべきこさは、既に彼の根本思想によりて明瞭ではあるが、彼は勿論鋒働者保

護法ケ排斥する者にあら

e

さるこご之であるo婦人及び幼年の法律的保護はヨ一口を倹た子、図結努

働者のカを以てして、なほ遣し得ぎる弊害に謝しては、立法により成人材労働者をも保護するの

シノ

ニ1.

-( 4) Uber das Verhaltniss etc., ss. 33-34

必要あるや」認めてゐるo併し根本的に要求せらる〉は、州労働組合によって、近代立法が労働関

係な取扱ふに蛍て出脱税したる前提骨質現するこさであるo

此組織によって、労働者子他の商人

ご同様の舗立的地位に置くこさである。労働組合は、

かくて自由含根板ごする図民経済の自然。

『又寅際に於て図結による保護は法律による保護よりも労働者にさ

的、必然的補足である。山

って、

ヨリ望ましく、

ヨy有致であり、又ヨ

y逃切であるo』向

彼が労働者問題の解決策に濁して要求する所は、労働者の大衆、印も中席者を眼中に入るぺ

しさ云ふこさである。自己自身を助け得ぎる紋態に在るものは此等の労働者であるからであ

る。又解決策は般労働者ごしての性質に於て労働者の欣態を改善するものでなくてはならない。

道徳上傑出せる者は生産組合を繁柴せしめ得る。併し英数は一般労働者の数に比較すれば問題

私は今本稿を終るぺき時に達した。併し最後に於てなほ数一一一口を附加したい。それはプレンタ

fo 今、d句、M戸、J勾

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さならない。且つ般労働者を労働者の性質に於て向上せしむる方法でもない。一方に於ける立治、

他方に於けるM労働組合が相互に補充しあふM労働関係の規律は、上掲の要求を満足せしむるもの

であり、而も道徳上経済上優越せる労働者が、例へば生産組合によって其能力の最大なる後建

を困るこさは去も害されはしないさ。問illa自由主義者ざしての彼の面白は此黙に於ても頭著

である。

νンタ

Iノの祉合政策的自由主義

一五

4

一五

iノの会事問的生涯を、通じて見らる

λ央闘に謝する興味であるo

妊にして英国に於ける労働者

組合の研究を一公表し、、近くは英園経済史の三冊を著はしたる彼の率的生涯は此資本主義闘にお

する因縁甚だ濃密なるを示してゐるo

そは何故であるかJ

併し私は今彼の心的趣味傾向を探索

しようさするのではない。一此合政策家さしての彼が早くより英閣に着目し、施困濁逸の匁に英

闘の研究に波頭せしこごは、我等後進の結局に何物かケ殺ふる所ありさ考へて、敢て此問題ケ出

すのであるο併し之に諒しては彼自らが矢口解を奥へてゐる。彼の名著「現代の峡労働者組令』第

一答の序文は夫である。

彼は臼〈『英図に於ける経済的事象は単に英吉利図民的の意義を有するばかりでなく、

的意義を有するものである。蓋し一つには、英閣の公的事情は、経済的、一枇合的方面に活動せ

る諸因子の作用を最もつきつめるこごや」詐すからでゐるo

此方面の研究者から、他の亭問の研

究者は理論さ仮定ケ貫際上質験によって検するこごが出来るのに、経済事設を試験すべき賢験

室なるものは存在しないご云ふ嘆盤が既に屡々洩らされてゐるo

併し此嘆整が英図人の研究者

から吐かれるのであったならば全く根擦があるかも知れないが、我々大陸人にさつては決して

同一程皮に根披あるものではない。我々にごつては会英吉利が或程度此積の笠験室である。・次

に英図人は他の如何なる図民よりも大なる程度に於て、図民経済的学の仮定によれば凡ての人を

経済行結局に於て専ら指導する所の利己主義により支配されてゐるo

更に英閣の図家生活は貫生

活上の諸勢力に迄に大なる自由の活動範囲?奥へてゐる。これ等の諸勢力の完全なる作用を一段

から妨げる所の法律的制限が英闘にはない。法律的制限がある場令は、憂慮すべき影響が現は

れた後に、ぞの矯正のAAに起ったものに過ぎない。我猫逸に於ては、或経済政策の影響は他の

原因の影響さ混治し、その表はる、所不純にして、認識し難いものであるが、英国に於ては、

英容中の章一カの訟則の作用

ε謡に似遮ったものがあるのであるo

だから共率向上の意義は迄に

ある。英図の経済方面に於ける会後展は、我図の夫よりも遂に先んじてゐるこごは疑なレ。英

C 4) Die Arbeitergilden d. Gegenwart, 1. Bd. S. VII

大なるこごになる。英国に於て経済上殺生したこさは、我等にさつでも賃際的債値があるので

闘の経済政策は既に早くから我闘の模範ごなってゐる。英国の経済現象は、我図の特殊事情に

より修正せらる〉のみで、克に我闘に於て繰返さる〉が例でゐる。』さ。的

プレシタ1

ノの英図研究が彼の深さ信念より後生したるこ芝、右の一節によって知るこごが

出来る。多くの向学者、殊に狗逸の卒者が、英図の亭設或は英図の事情の研究より注目すべき開

展を}遂げたのは我等後進にさって甚だ興味あるこごである。プレジタ1

ノの赴合政策的自由主

義も英図の卒読ご事情の研先が其土蚤ごなhJ、背骨ごなって、築き上げられたる産物である。

彼がなほ年若き山学徒ごして、自由放任の思想に成染し、英図に渡って工場地の情勢を見卒する

νシぷ

1ノの枇合政策的白由主誌

一五三

一五四

に及び、新らしき希望さ進路さが彼の前に開かれたるか」児るに至った経過は、亦彼の前掲序文

に述べられてゐる。

一八六七年より翌年にかけて、プレンタ!ノはぺ

yyyの王立統計局附属のゼミナ!と貝で

あった。課程の終了に蛍って統計局長エングY(阿口問。])はプレシタ1

ノに劫むるに英図工場地

の見撃を以でした。彼はエングYに伶はれ、又その指導を受けて二個月間工場地を税察し1

敦に掠ったが、彼は更に深く研究ケ続くるの熱望?起こして、

て英図に留まった。以来彼はあらゆる傍働者四位の研究を其主題ざしたが、特に、その蛍時に

エジグY

に議り、その勧奨&符

於て労働者問題解決の手段

εして注目を惹きっ、あった努働組合に興味?寄せたっ併し彼が此

問題の研究に着手した営初に於ては、寧ろ疑惑さ不信を以て之に向ったのである。プレシタ1

ノも砂田時の一般人士さ同じく、利己心の自由なる活動によって経済生活、一枇合生活の諸問題は

立所に解決せらるぎ一式ふ殺義に囚はれ、英図への出後以前には或一小冊子に於て協同組合的運

動さ比較して労働組合運動を断乎ごして否認したほぜであった。然るに九月英図に来って親しく

勢働組合を研究するに及び、彼は此等の偏見より股離した。『図民経済的学の基礎さ矛盾する古こ

ろか、予は経済率上支持し難き若干の黙はあれぎも、ぞの会組織の中に、完全なる向由子基礎

ざする図民経済的学の必然的補足ケ見出したのである。』さ彼自身が諮るσ彼は、かくて個々の労

働組合ケ詳細に調査するご共に、彼の研究は労働組令の起源に及び、労働組合さギ

Yドさの類

似勤、又或程度の悶係は、彼の興味を昂進せしめギY

ドの後生三其後達を叙する一方、般労働組

合の後生さ後達に主力を傾け、彼の名著『現代の枇労働者組合』は成るに至ったのであるop

彼が英国ケ模範ごし筆に口に唱へたる団結の自由は旭国濁迩に於て承認せられ、企業者が労

働組令を完全に了解するこさを以て赴合的卒和の前提ごする彼の見解は今や企業者の大部分か

らも承認された。枇合政策的自由主義の結局に健闘したる彼の生涯は、他の一切の率問的功績を

外にするも、なほ燦ごして売る一大モニユメシトである。

自由主義は一個の迷妄か、我等は改めて反問せねばならぬ。

く5)ebenda, SS. Vllr正

νシタ

Iノの枇合政策的自由主義

一五五

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