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Title <論文>日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容 : 『教育哲学研究』を事例に Author(s) 佐々木, 基裕 Citation 教育・社会・文化 : 研究紀要 (2015), 15: 1-18 Issue Date 2015/3/20 URL http://hdl.handle.net/2433/198387 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

Title 日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容 ......佐々木:日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容―『教育哲学研究』を事例に―

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Title <論文>日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容: 『教育哲学研究』を事例に

Author(s) 佐々木, 基裕

Citation 教育・社会・文化 : 研究紀要 (2015), 15: 1-18

Issue Date 2015/3/20

URL http://hdl.handle.net/2433/198387

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容

―『教育哲学研究』を事例に―

佐々木 基裕

Postmodernism in Japanese Philosophy of Education: An Analysis of Studies in the Philosophy of Education

Motohiro SASAKI

1. はじめに 1983 年に浅田彰『構造と力』が出版されてから,およそ 30 年の月日がたった.当時「ニュ

ー・アカデミズム」と呼ばれた現象への歴史的な回顧は 2000 年代から評論家・思想史家によ

って行われていたが,近年になって学会を中心としたアカデミズム内部での回顧も行われ始め

ている.例えば『教育社会学研究』では,第 94 集(2014 年)において「教育の社会理論の可

能性」という特集を組み,ポストモダン理論の来し方と行く末が論じられている.吉田(2014)によれば,1980 年代にバーンスティン,ブルデュー,フーコーらを中心としたポストモダン理

論が隆盛したが,2000 年代以後はそれも退潮傾向にあり,それに続く新たな教育の社会理論が

不透明であるという.こうした論調は教育社会学のみならず,教育学を中心としたあらゆるサ

ブ領域においても見受けられる.しかしそこに共通する難点は,「今振り返ればあれはポストモ

ダン的であった」というある種の思い出語りが中心であり,当時の学界において「ポストモダ

ンである/ない」というコードの当事者的なプログラム適用を肌で感じて知っていることを前

提とした議論となっていることである.更に知識社会学的な観点から言えば,そうした「認識」

は「存在」に拘束されるものであるから,ポストモダニズムを回顧するにあたってはポストモ

ダン受容者・回顧者が当該学界においてどのようなポジションに位置する人であったかを検証

するのは重要な作業だと考えられる.そうした認識と実態のズレを把握することによって,当

該学界に特徴的なポストモダニズム受容のあり方が浮かび上がってくるはずである. 本稿では教育学的なポストモダニズム受容研究の端緒として,『教育哲学研究』を事例として

教育哲学界におけるポストモダニズム受容の知識社会学的・科学社会学的な分析を行う.第 2節では,分析対象となる『教育哲学研究』の性格と,教育哲学界におけるポストモダニズム受

容に関する先行研究の整理を行う.第 3 節では,引用分析を用いて『教育哲学研究』における

ポストモダニズム受容過程の実証的分析を行う.第 4 節では,分析結果をもとにして総合的な

考察を行う.

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佐々木:日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容 ― 『教育哲学研究』を事例に ―

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教育・社会・文化研究紀要 第 15 号

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2. 先行研究 2.1. 『教育哲学研究』の社会学的研究 学界ないし学会誌を対象とした研究は,新堀通也を中心とした広島大学系のグループによっ

てこれまで数多くの研究の蓄積がある.そのなかで『教育哲学研究』を題材にしたものとして

は,新富(1978)による研究が挙げられる.新富は 1970 年代の『教育哲学研究』,『教育社会

学研究』,『教育経営学会紀要』,『社会教育学会紀要』の 4 学会誌を比較した引用分析を行って

いる.そのなかで教育哲学会は「専門的パラダイム型」で,「個別・閉鎖的」な性格を持つ学会

と分析されている.論文執筆者の学会加入状況の調査では,他分野に比べて教育哲学は他学会

への加入率が低いという結果が示されている.また引用論文の傾向を見ると,教育哲学「内」

の文献からの引用が全体の 58.9%(教育社会学では 26.2%),一般哲学を含んだ哲学「内」か

らの引用が 90.4%(教育社会学の場合は社会学一般を含んだ社会学「内」が 65.4%)であり,

「内」に閉じる傾向が非常に強い.こうしたデータを提示した上で新富は,限られたデータか

らは明示できないとしながらも,「哲学的方法は他の方法が入り込む余地を与えにくいことを,

あるいは,哲学『外』からの刺激・圧力が少ない」ことを『教育哲学研究』の特徴として指摘

している. 社会学領域において『教育哲学研究』を直接の対象とした研究は,管見の限りでは新富によ

るもののみである.しかしながら教育哲学研究者である鈴木篤は,教育哲学の観点をベースと

しながらも社会学的な視点を盛り込んだ教育哲学界ないし『教育哲学研究』の研究を行ってい

る(鈴木 2013; Suzuki 2010, 2013).一連の研究では,論文によって個々の仮説立ては異なる

ものの,戦後日本の教育哲学界はドイツ中心からアメリカ中心へと方向転換したのかという問

題が中心的な関心として貫かれている.その結論を要約すれば,日本の教育哲学はアメリカ重

点主義的な流行変化の影響の下でも全体的な方向転換は確認されず,今日まで非常にドイツ的

なままであり続けているということになる. 新富と鈴木の研究は方法や観点の上で異なる点もあるものの,『教育哲学研究』という雑誌が

ドイツ哲学を中心とした保守的・閉鎖的な性格を保っているという点に関しては結論を同じく

している.両者の研究ではポストモダニズム受容という点は主題として取り上げられていない

が,上記の検討を踏まえる限り,ドイツよりはフランスを中心とした,必ずしも哲学という領

域には収まりきらない議論によって構成されるポストモダニズムが教育哲学界で受容されたと

するならば,その受容のされ方は特殊なものであったことが想定される. 2.2. 教育哲学会と『教育哲学研究』 教育哲学会は,1957 年に行われた日本教育学会第 16 回大会を起点に発足した学会である.

初代会長(代表理事)は稲富英次郎(上智大学),また顧問に長田新(日本教育学会会長),副

顧問に海後宗臣(日本教育学会副会長)を迎え,学会事務局は上智大学文学部内に置かれた.

1950 年代には他にも日本教育社会学会(1950 年),教育史学会(1957 年)など教育学関連の

学会が相次いで創設されており,その背景としては新制大学院修士課程修了者の出現という構

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教育・社会・文化研究紀要 第 15号

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佐々木:日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容―『教育哲学研究』を事例に―

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造的な要因が大きく影響している.しかし教育哲学会に関してはそれに加えて,成立にまつわ

る政治的な要因が指摘されている.小笠原(2008)によれば,教育哲学会創設の背景には,「道

徳の時間」特設をめぐって日教組と歩調を合わせ政治的立場からの反対論を掲げていた日本教

育学会への反発という事情があった.「日本教育学会の一方向に偏って政治化された姿勢に違和

を感じる学会創設時の関係者たちの姿勢」(田中毎実 2008: 174)が教育哲学会を創設させた誘

因である.日本教育学会とは異なり,「政治」ないし「実践」からは一定の距離を取ること,こ

れが教育哲学会のアイデンティティであると言える.1958 年には第 1 回大会が上智大学で開

催され,1959 年には機関誌『教育哲学研究』が創刊される.以降現在に至るまで,日本の教育

哲学界を代表する学会誌として年 2 回のペースで刊行され続けている. 『教育哲学研究』創刊以後の理論的・思想的潮流については既に多くの議論がなされており,

特に同誌 100 号記念号における論考は後に検討することにするが,その前に指摘しておかなけ

ればならないのは教育思想史学会の存在である.同学会は教育哲学会第 33 回大会「教育にお

ける合理主義と非合理主義」シンポジウムを契機として発足した「近代教育思想史研究会」を

母体として,1990 年に発足した学会である.発足当時は教育史研究者と教育哲学研究者によっ

て構成されていたが,世紀が変わる頃から教育史研究者の参加は減少し,現在は教育哲学研究

者が主たる構成者となっている(川瀬 2009).教育哲学会と共に,現在の日本の教育哲学界を

構成する学会の一つである.同研究会の設立趣意書(1)にその理念が語られている. この試みのねらいは,今日の教育思考の歴史的構造を明らかにする意図で,それの原因と仮

にみなすべき近代教育学を総点検しようとするものです.その意味から言えば,近代教育学

を現代に生かそうとするよりも,現代の教育を創った責任をそこに問う仕事になるでしょう

し,さらには,この仕事を近代教育学批判という思想運動であると表現することもできるか

もしれません. ここでは「思想運動」という言葉に象徴されるように,明確な意図を持ってポストモダン思

想を受容しようとする狙いが示されている.西村拓生は後に同学会を回顧して,「ポストモダニ

ズムの思潮を,教育諸関係の学会のなかで最も”こなした”議論をしていたのが当時の研究会-学会だったことは間違いがない」と述べている(西村 2009a: 161).近代教育思想史研究会の発

起人でもある松浦良充は,教育哲学会との教育思想史学会との関係について,以下のように述

べている. 教育思想史学会に入っていない教育哲学の会員の中には,私たちの会を,一種の分派活動で

ある,と見なしている人もいる.分派しておきながら,結局,似たり寄ったりになっている

ではないか.分派の意味や成果はどこにあったのか,との批判がある.(松浦 2009: 139) 教育思想史学会がポストモダン派教育哲学研究者の「分派活動」であるとするなら,それと

教育哲学会が「似たり寄ったりになっている」ということは,教育哲学会においてもポストモ

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ダニズムが次第に受容されるようになっていったのだろうか. 2.3. 教育哲学史におけるポストモダニズム 『教育哲学研究』100 号記念号第二部「教育哲学研究の展開」では,編集委員会が設定した

10 の個別テーマに対してそれぞれ 2 本ずつ,計 20 本の論稿が掲載され,教育哲学会における

専門的な議論がどのように展開されてきたかが俯瞰されている.この一連の回顧論文では約半

世紀にわたる日本の教育哲学界の理論的動向が検証されており,そのなかでポストモダニズム

に関わる議論も中心的な検討対象の一つとなっている.こうした教育哲学界におけるポストモ

ダン語りにおいて頻繁に参照されているのが「冷戦後教育学」という枠組みである.これは鳥

光(1995)らの議論を下敷きとして,今井康雄が提唱した枠組みである(今井 2004a; Imai 2007).今井康雄と下司晶が執筆した以下の文章は,「戦後教育学」と「冷戦後教育学」との対

立図式を最も簡潔に示したものである. 高度経済成長期から 90 年頃まで,日本の教育学をリードしてきた「戦後教育学」は,保

守対革新,文部省対日教組,国家の教育権対国民の教育権という図式をつくって後者に立ち,

国家の文教政策を批判することを主な仕事としてきた.[中略]しかし,冷戦体制の崩壊とマ

ルクス主義パラダイムの失墜,社会の「ポストモダン」化と「大きな物語」の消失[中略]

という新たな時代への移行によって,前述の二項対立図式は成り立たなくなり,戦後教育学

は力を失っていった. 1990 年以降に登場した新たな教育学研究は,戦後教育学の枠組みを問題視しつつ,それが

依拠していた近代的理念(人権,発達,啓蒙等々)の普遍性を問い直し,近代という時代を

相対化するとともに,ますます複雑化する教育問題の新たな読み解き方を提示してきた.[中

略]こうした新たな研究の動向を,今井康雄は「戦後教育学」に対置させて「冷戦後教育学」

と呼んでいる.(下司・今井 2013: 396)

ここで語られている「冷戦後教育学」の理論的背景として現代思想を位置づける見方は,『教

育哲学研究』100 号記念号における回顧論文の多くで採用されている,1990 年頃を境としてポ

ストモダニズム状況へ議論が展開したという図式のうちにその影響を見て取ることができる.

例えば,100 号記念号発刊当時に代表理事を務めた宮寺晃夫は,教育哲学における教育概念を

検討した論文の中で,ポストモダニズムの影響を次のように述べている. 一九七〇年代から八〇年代にかけて,基礎づけ主義批判,脱構築主義をはじめとして,既成

の理論の枠組みに縛られないポストモダニズムが日本の”現代思想”を席巻した.その後しば

らく間を措いて,それは教育哲学にもおおきな影響を及ぼし,教育哲学の言説に新たな傾向

を生み出した.(宮寺 2009: 59) また,掲載論文を人物の論じられ方の観点から整理した池田全之は,論文末尾で以下のよう

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教育・社会・文化研究紀要 第 15号

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に結論づけている. 実存哲学の影響が色濃かった 1970 年代から,ポストモダン思想の近代教育批判の影響を受

けてテーマの拡大が始まった 1980 年代,そして近代教育批判の意義を受け入れながらも,

改めて教育学のよって立つ基盤を模索し続ける 1990 年代以降と,『教育哲学研究』の全体動

向をまとめることができそうである.(池田 2009: 119-120) このように,教育哲学界におけるポストモダニズムの影響を肯定的に受け止めている論者は

少なくない.その一方で,教育哲学界におけるポストモダニズムのインパクトは認めつつも,

それが教育哲学会ないし『教育哲学研究』においてその形跡が認められるかどうかについては,

批判的な見方も存在する.下司晶は「冷戦後教育学」という今井の枠組みを参照しながら,『教

育哲学研究』における近代論の展開を検討した論文の中で,1980 年代におけるポストモダン的

近代批判の登場を重視しつつ,以下のように記述している.

70 年代から 80 年代の新たな知的動向は,教育学にも,イリイチやアリエス,フーコーやブ

ルデューといった新時代の古典をもたらした.しかし「80 年代=ポストモダン」と一括され

るような時代性を,『教育哲学研究』は反映していない.(下司 2009: 286) また西村拓生は,『教育哲学研究』において何が「論じられなかったのか」という観点からの

検証を行っている.論じられなかったテーマとしてあげられているのは,〈政治〉〈実践〉〈ポス

トモダニズム〉である.前二者については先述した,教育哲学会の成立経緯に由来する性格と

関連づけた説明がなされている.〈ポストモダニズム〉の語られなさについては,以下のように

記述されている. 既に思想界一般ではポストモダニズムの受容が,むしろ一時期の隆盛(たとえば浅田彰の『構

造と力』は 1983 年に出版されている)から下火になりかかった時期に,教育哲学会では未

だポストモダニズムを受け止めかねていた印象がある(さらに言うならば,まさに 1989 年

というタイミングにもかかわらず,冷戦終結という時代の転換も,教育哲学会の議論には反

映した形跡が乏しい.)(西村 2009b: 352) 下司の議論とほぼ重なる指摘であるが,注目すべきは「1989 年」がメルクマールとして捉え

られていることである.もちろんこれは「歴史の終焉」に代表される哲学・思想内在的な議論

への参照も含み込んだものではあろうが,やはり直接的に指示されているのは「冷戦後教育学」

という枠組みであり,冷戦を境として教育哲学界がポストモダン状況へ移行したとする見方を

暗に批判していると読むべきだろう. したがって,考察すべき問題は大きく分けて二つ存在する.第一に,果たして『教育哲学研

究』はポストモダンを正面から受け止めていたのかどうか.第二に,ポストモダン受容を肯定

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するにせよ否定するにせよ,なぜ「冷戦後教育学」と関連づけた見方がこれほどまでに定着し

ているのか.これはいずれも,学問界における知識の正統化と関係する問題である. なお,ここでの引用にも表れているとおり,ここでは「ポストモダニズム」「ポストモダン(思

想)」「現代思想」という言葉はほとんど同じ意味で用いられている.以下本稿でもこの用法に

準じている. 2.4. 引用と正統化 ではどのようにして教育哲学界においてポストモダニズムの「正統化」を検証するのか.本

稿では,Lamont(1987)が提示したポストモダン思想の正統化に関する議論を下敷きとする.

Lamont は,アメリカの文学領域においてデリダがいかにして正統化されたかを検証するにあ

たり,以下の 3 つの要件を提示している.第一に,デリダの議論がアメリカ文学研究の古典と

接続されること.第二に,バルトやフーコーらと同時に輸入され,ひとつのパッケージとして

提出されること.第三に,権威ある大学及び雑誌によって普及させられることである. 第三の要件に関しては,『教育哲学研究』を題材とするため,今回は考慮する必要は無い.残

る二つの条件を検証するために,本稿では著者共引用分析(2)という手法を用いる.学会誌の引

用を科学技術社会論の立場から考察した藤垣裕子によれば,引用とは「他の論文との差違を強

調し,他の論文群の中に当該論文を位置づけする役割を果たす“コンパス”,すなわち方位磁針」

である(藤垣 2003: 60).頻繁に引用される論文は,肯定的な意味でも否定的な意味でも方位

磁針としての機能を担っていることになる.現代思想論者間の共引用関係が強ければ,現代思

想論者はお互いに関係あるものとして意味づけられていると考えられる.つまり,パッケージ

が形成されているということになる.また,現代思想論者と強い共引用関係にある学者は,当

該学界で現代思想を意味づける「コンパス」としての役割を果たしていると考えられる.この

「コンパス」が誰なのかを特定することで,古典との批判・継承関係を検証することが可能と

なる. よって次節で行う分析では,現代思想論者を引用した論文の基礎的な分析を行った上で,現

代思想論者間の共引用関係と,現代思想論者とその他の学者との共引用関係を特定する作業を

行うことになる.

3. 『教育哲学研究』の引用分析 3.1. 基礎集計 分析対象としたのは,第 1 号(1959 年)から第 96 号(2007 年)までの計 703 本の論文(3)

のうち,『現代思想の冒険者たち』シリーズ(4)で取り上げられた現代思想論者(以下では〈冒険

者〉と略称する)を引用している論文である.図 1 は,〈冒険者〉引用論文数と,それが全体

に占める割合を示している.

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教育・社会・文化研究紀要 第 15号

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通時的な推移から,2 つの大きな変動が認められる.1 つ目の変動は 1970 年代である.1960年代の 5.3%から 1970 年代には 16.0%と 3 倍弱の伸び率を示している.2 つ目の変動は 2000年代である.1970 年代から 1990 年代にかけては 10%台で安定した推移しているが,2000 年

代に入ると 32.9%と爆発的な伸び率を示している. 次に,論文種別の観点から〈冒険者〉の引用傾向を確認しよう.『教育哲学研究』における論

文の主要カテゴリは,「論文」,「研究ノート」,「研究状況報告」,「研究討議」,「課題研究」,「エ

ッセー」,「特集」で構成されている.このうち「論文」と「研究ノート」が投稿論文に該当し,

それ以外は依頼論文に該当する.表 1 は,論文種別ごとの〈冒険者〉引用論文数とその比率を

示している.また投稿論文と依頼論文の〈冒険者〉引用比率を比較したのが図 2 である.

表 1 論文種別ごとの〈冒険者〉引用論文数

1960-69年 1970-79年 1980-89年 1990-99年 2000-07年引用なし 89 79 175 145 94引用あり 5 15 26 29 46引用論文比率 5.3% 16.0% 12.9% 16.7% 32.9%

0.0%5.0%10.0%15.0%20.0%25.0%30.0%35.0%

0

50

100

150

200

250

比率

論文数

図1 〈冒険者〉全体の引用論文数

引用あり 引用なし 引用論文比率

5.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 5.9% 5.3%

3/60 0/0 0/0 0/0 0/0 0/0 2/34 5/94

15.1% 80.0% 0.0% 10.0% 0.0% 0.0% 0.0% 16.0%

8/53 4/5 0/0 3/30 0/0 0/0 0/6 15/94

23.6% 57.1% 4.2% 6.4% 0.0% 0.0% 0.0% 12.9%

13/55 8/14 2/48 3/47 0/37 0/0 0/0 26/201

31.7% 0.0% 16.7% 7.3% 12.5% 0.0% 0.0% 16.7%

20/63 0/0 1/6 3/41 5/40 0/19 0/5 29/174

56.8% 0.0% 18.2% 10.3% 7.1% 21.4% 78.6% 32.9%

25/44 0/0 2/11 3/29 2/28 3/14 11/14 46/140

25.1% 63.2% 7.7% 8.2% 6.7% 9.1% 22.0% 17.2%

69/275 12/19 5/65 14/147 7/105 3/33 13/59 121/703

1960-69

1970-79

1980-89

1990-99

2000-07

論文 研究状況報告 エッセー 特集 計研究ノート 研究討議 課題研究

1960-69年 1970-79年 1980-89年 1990-99年 2000-07年引用なし 89 79 175 145 94引用あり 5 15 26 29 46引用論文比率 5.3% 16.0% 12.9% 16.7% 32.9%

0.0%5.0%10.0%15.0%20.0%25.0%30.0%35.0%

0

50

100

150

200

250

比率

論文数

図1 〈 冒険者〉 全体の引用論文数

引用あり 引用なし 引用論文比率

表 1 論文種別ごとの〈 冒険者〉 引用論文数

5.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 5.9% 5.3%

3/60 0/0 0/0 0/0 0/0 0/0 2/34 5/94

15.1% 80.0% 0.0% 10.0% 0.0% 0.0% 0.0% 16.0%

8/53 4/5 0/0 3/30 0/0 0/0 0/6 15/94

23.6% 57.1% 4.2% 6.4% 0.0% 0.0% 0.0% 12.9%

13/55 8/14 2/48 3/47 0/37 0/0 0/0 26/201

31.7% 0.0% 16.7% 7.3% 12.5% 0.0% 0.0% 16.7%

20/63 0/0 1/6 3/41 5/40 0/19 0/5 29/174

56.8% 0.0% 18.2% 10.3% 7.1% 21.4% 78.6% 32.9%

25/44 0/0 2/11 3/29 2/28 3/14 11/14 46/140

25.1% 63.2% 7.7% 8.2% 6.7% 9.1% 22.0% 17.2%

69/275 12/19 5/65 14/147 7/105 3/33 13/59 121/703

1960-69

1970-79

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論文 研究状況報告 エッセー 特集 計研究ノート 研究討議 課題研究

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教育・社会・文化研究紀要 第 15 号

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投稿論文においては,1960年代から 1980年代まで順調に比率が増加し,1980年代から 1990年代にかけて 30%強で停滞した後に,2000 年代になると 56.8%と爆発的な増加を示している.

一方の依頼論文では,1990 年代までは 5%前後で推移していたが,こちらも 2000 年代に入る

と 21.9%と劇的な増加を示している.論文種別ごとの詳細なデータを見ると,2000 年代の特

集論文では実に 78.6%の割合で〈冒険者〉が引用されている.図 1 における分析と照らし合わ

せれば,1970 年代における比率増加は投稿論文での増加が影響したものであり,2000 年代に

おける比率増加は投稿論文に加えて依頼論文における増加が影響していることがわかる. 編集規定に明確な記載があるわけではないが,学会誌の通例からして依頼論文の執筆者はテ

ニュアないしは学界において一定の評価を得ている研究者であると考えられる.その一方で,

投稿論文の場合は事情が異なる.教育哲学界に限らず,日本の人文科学・社会科学における大

学院生数は,1980 年代までほぼ変動がなく,大学院重点化政策が採られた 1990 年代に大幅に

増加するという推移を示す.大学院生の増加を背景として学会誌における投稿論文が「若手の

登竜門」として機能するようになっていることは周知の通りである.そのため,投稿論文にお

ける引用者の属性(5)については時期的な推移を検討する必要がある.Suzuki(2012)は,『教

育哲学研究』の投稿論文において大学院生が占める割合を分析している.このデータを援用し

て,〈冒険者〉引用論文における大学院生比率を検討してみよう(6).表 2 は,投稿論文全体と〈冒

険者〉引用論文における大学院生比率を示している.

表 2 投稿論文における大学院生比率 1959-60 1961-70 1971-80 1981-90 1991-00 2001-05

全体 37.5% 16.0% 23.9% 37.0% 46.2% 58.8%

6/16 13/81 16/67 20/54 30/65 20/34

〈冒険者〉引用 0.0% 25.0% 33.3% 47.6% 45.5% 73.3%

0/0 2/8 4/12 10/21 10/22 11/15

1960-69年 1970-79年 1980-89年 1990-99年 2000-07年投稿論文 5.0% 20.7% 30.4% 31.7% 56.8%依頼論文 5.9% 8.3% 3.8% 8.1% 21.9%

0.0%10.0%20.0%30.0%40.0%50.0%60.0%

図2 投稿 /依頼別に見た〈冒険者〉引用比率

投稿論文 依頼論文

1960-69年 1970-79年 1980-89年 1990-99年 2000-07年投稿論文 5.0% 20.7% 30.4% 31.7% 56.8%依頼論文 5.9% 8.3% 3.8% 8.1% 21.9%

0.0%10.0%20.0%30.0%40.0%50.0%60.0%

図2 投稿 /依頼別に見た〈 冒険者〉 引用比率

投稿論文 依頼論文

表 2 投稿論文における大学院生比率 1959-60 1961-70 1971-80 1981-90 1991-00 2001-05

全体 37.5% 16.0% 23.9% 37.0% 46.2% 58.8%

6/16 13/81 16/67 20/54 30/65 20/34

〈冒険者〉 引用 0.0% 25.0% 33.3% 47.6% 45.5% 73.3%

0/0 2/8 4/12 10/21 10/22 11/15

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ほぼ一貫して,全体の傾向よりも〈冒険者〉引用論文における院生比率が高い.全体の傾向

よりも下回っているのは 1959-60 年と 1991-2000 年であるが,前者は〈冒険者〉引用論文が存

在せず,後者においてはその差が 0.7%であるため, 「ほぼ一貫して」と言って良いだろう. 最後に,各〈冒険者〉の引用論文数を確認しておこう.表 3 は,時期ごとの〈冒険者〉引用

論文数を示している. 表 3 〈冒険者〉の引用論文数

初期から引用されているのは,ハイデガー,アドルノ,ハーバーマス,ガダマーといったド

イツ系の〈冒険者〉であることがわかる.一方で,デリダ,フーコーらフランス系の〈冒険者〉

は主に 2000 年代になってから引用が増え始めている.なお後に共引用分析を行う際には,閾

値の関係上,全期間を通して 5 本以上,かつ各時期区分内で 3 本以上の引用がある時期に限っ

て分析を行う. 基礎集計から導かれる知見をまとめておこう.まず 1970 年代に,投稿論文における若手が

〈冒険者〉 1960-69 1970-79 1980-89 1990-99 2000-07 計ジンメル 1 1ホワイトヘッド 1 1ユング 1 1 1 3カフカ 0バシュラール 0ルカーチ 1 1 2ウィトゲンシュタイン 2 1 4 4 11ハイデガー 3 4 8 4 9 28ベンヤミン 4 1 5バフチン 0バタイユ 0ガダマー 2 3 2 4 11ラカン 0ポパー 1 1 1 3アドルノ 3 1 3 4 11レヴィナス 4 4アレント 2 5 7メルロ=ポンティ 1 3 2 3 9クワイン 1 1レヴィ=ストロース 1 1 2バルト 3 3アルチュセール 2 2ロールズ 1 1クーン 1 2 1 4ドゥルーズ 1 1 2フーコー 1 10 11ハーバーマス 7 3 9 6 25デリダ 1 1 6 8エーコ 1 1 3 5クリステヴァ 0

表 3 〈 冒険者〉 の引用論文数

〈冒険者〉 1960-69 1970-79 1980-89 1990-99 2000-07 計ジンメル 1 1ホワイトヘッド 1 1ユング 1 1 1 3カフカ 0バシュラール 0ルカーチ 1 1 2ウィトゲンシュタイン 2 1 4 4 11ハイデガー 3 4 8 4 9 28ベンヤミン 4 1 5バフチン 0バタイユ 0ガダマー 2 3 2 4 11ラカン 0ポパー 1 1 1 3アドルノ 3 1 3 4 11レヴィナス 4 4アレント 2 5 7メルロ=ポンティ 1 3 2 3 9クワイン 1 1レヴィ=ストロース 1 1 2バルト 3 3アルチュセール 2 2ロールズ 1 1クーン 1 2 1 4ドゥルーズ 1 1 2フーコー 1 10 11ハーバーマス 7 3 9 6 25デリダ 1 1 6 8エーコ 1 1 3 5クリステヴァ 0

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中心となって,ドイツ系の〈冒険者〉を引用し始める.そして 2000 年代に入ると,受容者と

して依頼論文におけるテニュアの研究者も加わり,ドイツ系・フランス系に偏らない多様な〈冒

険者〉が引用されるようになっている. 3.2. 現代思想のパッケージ化 早い者は 1960 年代から引用され始めていた〈冒険者〉は,では相互に関係のあるものとし

て位置づけられていたのだろうか.ここでは共引用分析を用いて,〈冒険者〉間の共引用関係を

分析する.表 4~7 は,1970 年代以降の各時期区分における〈冒険者〉間の共引用強度を示し

ている. 表 4 〈冒険者〉間の共引用強度(1970-79 年)

表 5 〈冒険者〉間の共引用強度(1980-89 年)

表 6 〈冒険者〉間の共引用強度(1990-99 年)

表 7 〈冒険者〉間の共引用強度(2000-07 年)

1970 年代に引用が 3 本以上ある〈冒険者〉は,ハイデガー,アドルノ,ハーバーマスの 3名である.したがって組み合わせは 3 通りあり,そのうち共引用関係は全ての組み合わせで認

められる.しかしそのうち閾値(0.30)をクリアしているのはアドルノ―ハーバーマスの 1 通

りのみである. 1980 年代に引用が 3 本以上ある〈冒険者〉は,ハイデガー,ガダマー,メルロ=ポンティ,

ハーバーマスの 4 名である.したがって組み合わせは 6 通りあり,そのうち共引用関係がある

ウィトゲンシュタイン ハイデガー ガダマー アドルノ レヴィナス アレント メルロ=ポンティ フーコー ハーバーマス デリダ エーコウィトゲンシュタイン

ハイデガーガダマー 0.17アドルノ 0.17

レヴィナス 0.25アレント 0.15 0.22

メルロ=ポンティフーコー 0.21 0.32

ハーバーマス 0.20 0.20 0.18 0.13デリダ 0.20エーコ 0.18

ハイデガー ガダマー メルロ=ポンティ ハーバーマスハイデガーガダマー 0.20

メルロ=ポンティハーバーマス 0.33

ウィトゲンシュタイン ハイデガー ベンヤミン アドルノ ハーバーマスウィトゲンシュタイン

ハイデガーベンヤミン 0.25アドルノ 0.29

ハーバーマス 0.17 0.17 0.38

ハイデガー アドルノ ハーバーマスハイデガーアドルノ 0.29

ハーバーマス 0.19 0.65

ウィトゲンシュタイン ハイデガー ガダマー アドルノ レヴィナス アレント メルロ=ポンティ フーコー ハーバーマス デリダ エーコウィトゲンシュタイン

ハイデガーガダマー 0.17アドルノ 0.17レヴィナス 0.25アレント 0.15 0.22

メルロ=ポンティフーコー 0.21 0.32

ハーバーマス 0.20 0.20 0.18 0.13デリダ 0.20エーコ 0.18

ハイデガー アドルノ ハーバーマスハイデガーアドルノ 0.29

ハーバーマス 0.19 0.65

ハイデガー ガダマー メルロ=ポンティ ハーバーマスハイデガーガダマー 0.20

メルロ=ポンティハーバーマス 0.33

ウィトゲンシュタイン ハイデガー ベンヤミン アドルノ ハーバーマスウィトゲンシュタイン

ハイデガーベンヤミン 0.25アドルノ 0.29

ハーバーマス 0.17 0.17 0.38

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のは 2 通りである.そのうち閾値をクリアしているのはハーバーマス―ガダマーの 1 通りのみ

である. 1990 年代に引用が 3 本以上ある〈冒険者〉は,ウィトゲンシュタイン,ハイデガー,ベン

ヤミン,アドルノ,ハーバーマスの 5 名である.したがって組み合わせは 10 通りあり,その

うち 5 通りで共引用関係が認められる.しかし閾値をクリアしているのは,1970 年代と同じ

くアドルノ―ハーバーマスの 1 通りのみである. 2000 年代に引用が 3 本以上ある〈冒険者〉は大幅に増えて 11 名である.組み合わせは 55通りあることになるが,そのうち共引用関係が認められるのは 13 通りである.ところが閾値

をクリアしているのはそのうちたったの 1 通りのみ,フーコー―アドルノの組み合わせだけで

ある. この分析結果から,〈冒険者〉が互いに関係づけられ,「現代思想」としてのパッケージが形

成されているとは言えない.むしろ時期を経るごとに関係性は弱くなっていると見ることもで

きる.したがって,正統化の第 1 要件である「現代思想のパッケージ化」は,『教育哲学研究』

においては満たされていないということになる. 3.3. ポストモダニズムのコンパス 次に,正統化の第 2 要件である「古典との批判・継承関係」を検討しよう.ここでは,〈冒

険者〉とその他の学者の共引用関係を分析する.紙幅の都合上,今回はハーバーマス,デリダ,

ハイデガー,ウィトゲンシュタインの 4 名に関して分析を行う.表 8~11 は,各〈冒険者〉と

共引用強度の高い学者を示している.

表 8 ハーバーマスの共引用関係 共引用強度 0.30~ Ulich, D., Brezinka, W. 0.25~0.29 Gamm, H-J., Masschelein, J., 宮崎任子,渡邉満,内藤俊史,Benner, D. 0.20~0.24 岡本英明,Klafki, W., Adorno, W., Mollenhauer, K., Gilligan, C., König, E.,

宮崎俊明,Horkheimer, M., Dilthey, W., Wulf, C., Apel, K-O., Koch, L., Thiersch, H., 鯨岡俊

表 9 デリダの共引用関係

共引用強度 0.30~ Austin, J. L., 柄谷行人 0.20~0.24 今井康雄

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表 10 ハイデガーの共引用関係 共引用強度 0.25~0.29 Husserl, E., Bollnow, O. F., Bultmann, R., Löwith, K., Scheler, M. 0.20~0.24 Loch, W., Agamben, G., Held, K., Langeveld, M. J., 中村雄二郎, Dilthey,

W.G.

表 11 ウィトゲンシュタインの共引用関係 共引用強度 0.30~ Kripke, S., Kenny, A., McGinn, C., 黒田亘,飯田隆,Austin, J. L., Bartley, W.

W., 永井均,Apel, K-O., Moore, G. E. 0.25~0.29 柄谷行人,野家啓一 0.20~0.24 Rorty, R., 今井康雄 多様な見方が可能であり,立場によっては解釈も異なるであろうが,ここでは古典との関係,

そして界としての教育哲学という観点からの指摘を行う. 第一に,古典との関係はほとんど認めることができない.第 2 節でも参照した池田(2009)によれば,『教育哲学研究』において 10 年の区切りごとに必ず一度は論じられてきた人物は,

カント,ヘルバルト,キルケゴール,ヤスパースである.池田は各時代において論じられてい

る人物の論じられ方の特徴や差異を明瞭にするために,この 4 名との関係に焦点を当てた分析

を行っている.しかし,今回の分析において,この 4 名と〈冒険者〉との共引用関係は認めら

れなかった.また今井康雄が編者を務めた教科書『教育思想史』(今井編 2009)において古典

とされているのは,ロック,ルソー,ペスタロッチ,フレーベル,ヘルバルト,デューイの 6名であるが,これらの学者との共引用関係も認められない.もちろん個別の研究の中で「古典

の再解釈」としての引用は散見されたが,共引用分析の結果を踏まえれば,そうした傾向は決

して主流ではないということがわかる. 第二に,日本人の学者が一定数挙がっていることが特徴として指摘できる(7).今井康雄(8),

渡邉満(9),岡本英明(10)らは,教育哲学界における現代思想の受容者たちである.つまり彼らは

〈冒険者〉の引用者であると同時に,教育哲学界において現代思想を意味づける役割を既に果

たしていることになる.また,柄谷行人,中村雄二郎,永井均ら教育哲学外の論者が高い値を

示していることも特徴の一つである.彼らは『現代思想』(青土社)などでも活躍し,日本にお

ける現代思想の受容者としてしばしば言及される研究者・批評家である.先に指摘したとおり,

教育哲学界は「外」からの引用を受け入れにくい性格を有していた.その中で,〈冒険者〉はそ

の「外」との繋がりを担保するような役割を果たしていたことが示唆される. この分析結果からは,正統化の第二要件である「古典との批判・継承関係」が成立している

とは言えないということになる.

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3.4. 分析結果の要約 分析結果を,知識社会学的な観点から整理しておく. 引用論文数,また引用者の属性から見れば,『教育哲学研究』における現代思想の受容過程は

クーン流のパラダイム・シフト論(11)に則っているように見える.1970-80 年代に大学院生を中

心とした若手であり,00 年代にテニュアの研究者として活躍した世代が学会の中心へと上り詰

めていくプロセスと,現代思想の受容過程は重なっている.中心的な人物で言えば,1944 年生

まれの森田尚人から,1955 年生まれの今井康雄あたりにかけての世代である.教育思想史学会

を立ちあげたのもこの世代の研究者である.ところが,正統化要件はいずれも満たされなかっ

た.つまり「現代思想」は教育哲学界において正統には位置づけられていないということにな

る.「現代思想」は新たなパラダイムになりうると期待した世代がいた.彼らの成功によって〈冒

険者〉を引用した議論も増加した.しかしオルタナティブになるはずだったものが今現在パラ

ダイムになりきれているとは言えない,これが教育哲学界におけるポストモダン受容の現在の

状況と言える. ここで問いが立てられる.「現代思想」として教育哲学の知の枠組みの中に組み入れられてい

ないのだとしたら,ではなぜ〈冒険者〉の引用がこれほどまでに増加したのであろうか.恐ら

くはここに,教育哲学界固有の現代思想受容のあり方を解明する鍵が存在している.この点に

ついて以下で考察を加える.

4. 考察 「現代思想」が正統に位置づけられないままに引用だけが増加する,この問題に対して示唆

を与えてくれるのは,やはり今井康雄の議論である.今井は,日本の教育学におけるポストモ

ダン体験を 3 つの段階に区別し,その第 3 段階として「『ポストモダン』の日常化」とでも呼

ぶべき現象が生じていると指摘する.やや長くなるが,重要な論点であるから引用する.

1990 年代半ばから,「ポストモダン」という言葉を,時代診断的な現状確認のための用語と

して使うという例が目立ってきた.たとえば黒沢惟昭は,「現代の教育の病理は[…]モダン

的な学校がポストモダン的社会状況において「ゆらぎ」を生じているところに主因がある」

[黒沢 1997: 38]として,様々な教育病理の原因を「ポストモダン的社会状況」に求めてい

る.坂本旬も同様の状況認識を示している.坂本によれば,学校文化と情報文化の間の摩擦

は,「文化様式としてのモダンからポストモダンへの変化のずれがもたらす必然的な帰結であ

る」[坂本 1997: 337]という.興味深いことに,坂本と黒沢の論文には「ポストモダン」に

関する用語解説めいたものは何ら付されていない.少なくとも研究者間では――黒沢と坂本

の論文はいずれも学会誌に掲載されたものだ――,「ポストモダン」という用語はすでに了解

済みの,日常的に使用される言葉になっていることをうかがわせる.(今井 2004b: 98)

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ここで今井が引用している 2 本の論文のうち,1 本は『教育哲学研究』に掲載された論文で

ある(黒沢 1997).今井が問題としているのは,「ポストモダン」という用語に関して研究者

間で了解済みの議論が既になされてはいなかったのではないか,ということである.充分な議

論を踏まえないままにキャッチーな用語だけが先行するという現象を,中村(2007)は「誇大

ターム」という概念で言い表している.中村が問題視したのは高等教育研究領域における社会

学理論解釈の不十分さであり,これを教育哲学「内」と「外」という関係に当てはめれば,今

井の議論とほぼ重なると考えて良いだろう.確かにそうした指摘も教育哲学に内在的な議論と

しては重要だが,知識社会学的に重要なのは寧ろその機能の方である.加藤(2014: 10)は日

本の教育社会学におけるフーコー,ブルデュー,アリエスらの受容を分析し,「当面の解釈のた

めのアドホックな連合としての緩い理論的混合体」が形成されていたことを指摘している.フ

ーコーらの本来の議論射程は教育現象だけに留まるものではないにもかかわらず,その一部だ

けを取り出して拡大解釈し,特定の目的にのみ奉仕させる「ブリコラージュ」的な用いられ方

が行われていたと加藤は言う.ブリコラージュであるがゆえにその連合体は「手頃な『説明』

『解釈』用具」として機能し得た.こうした事情はほぼそのまま教育哲学界にも当て嵌まる.

「現代思想」としての繋がりが正統に位置づけられないままに,「時代診断的な現状確認」のた

めのツールとして〈冒険者〉が利用されたと考えれば,本研究での分析結果と今井の議論は符

合する.〈冒険者〉は飽くまでツールとして機能しているに過ぎず,『教育哲学研究』が研究対

象とするに値する「(教育)哲学者」ではないのだ. 現代思想がブリコラージュ的に手頃な説明解釈のツールとして利用されるという傾向は,い

ま考察にあたって引用した論文群に示されるとおり,教育学関連の他学界で既に指摘されてお

り,教育学全体に通じる重要な論点だとも言えるが,同時に教育哲学界に固有の現象ではない

ということにもなる.では教育哲学らしいポストモダン受容の特徴とは何なのだろうか.本分

析の結果から言えるのは,現代思想の受容者がすぐにそのまま学界内での現代思想を意味づけ

る論者として機能しているということであろう.先に指摘したとおり,教育哲学界は保守的・

閉鎖的な性格を有しており,そうした姿勢こそが教育哲学会を発足させ今日までその独自性を

保たせている要因である.教育哲学界の「内」と「外」との障壁の頑丈さは,その間の経路を

非常に限定的なものにする.それが故にその間を媒介する者のプレゼンスは高まり,媒介する

立ち位置にいない者からすれば,「外」の議論を参照する場合は必ずその「媒介者」(12)を通す

ことが求められる.今井の批判にも関わらず,寧ろ今井が教育哲学界におけるポストモダン議

論を整理すればするほど(「戦後教育学」対「冷戦後教育学」),手頃な説明ツールとしてのポス

トモダン使用にお墨付きを与えるものとして今井の議論が利用される(冷戦を契機としたポス

トモダニズムへの方向転換という言説の日常化).ここに今井に代表される,教育哲学界におけ

るポストモダン「媒介者」の悲哀が存する.教育哲学界におけるポストモダンの功も罪も,す

べては特権的な「媒介者」に帰着させられてしまう.「媒介者」はウロボロスの蛇となり,教育

哲学界の閉鎖性は以前より強固になっていく.ポストモダニズムをツールとして利用すること

が「外」との接続になるという「意識」がもたれていたとしても,「実態」としては「内」向き

の議論へと収束してしまう.これこそが教育哲学界に特徴的なポストモダニズム受容のあり方

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である.

5. おわりに 本稿での分析は知識社会学的な方法によって思想外在的な観点から捉えた見方を採用してお

り,もちろん別様の見方も可能である.下司(2012: 25)は教育哲学におけるポストモダンの

特徴を「コンスタンティヴな導入,テーゼや解釈枠組み」と指摘し,「フーコーやデリダらは基

礎的分析ツールとして,時に『新古典』と呼ばれつつも,分析対象としては確固とした地位を

築いてはいない」という本稿の分析とほぼ同様の見方を提示した上で,「ポストモダン思想を読

解枠組みとして受容することはつまり,教育哲学が同時代の他分野や海外の研究動向にセンシ

ティヴになった証でもある」として,ポストモダニズムの機能を肯定的に論じている.「媒介者」

を通すとしても,それが教育哲学界にあっては貴重な「外」との経路となっていることは確か

である.だが問題があるとすれば,本稿の分析によれば,現代思想を通して参照される「外」

というものが他の学問領域ではなく,所謂一般名詞としての「現代思想」,つまりジャーナリス

ティックな批評家の言説となっていることである.このことを肯定的に捉えている,このこと

が逆説的に教育哲学界の閉鎖性を暗示しているのではないだろうか. 最後に課題を挙げておきたい.本稿では執筆者の属性に関して所属機関や年齢を利用した分

析を行っていない.学閥研究との接続を考えるならば,大学間・世代間の覇権闘争という観点

からの分析が必要である.また教育哲学界における教育思想史学会の役割,また教育学という

界における教育哲学界の立ち位置など,『教育哲学研究』という学会誌に対するメタレベルでの

考察も不十分なものとなってしまった.今後の課題としたい.

〈注〉 (1) 「「近代教育思想史研究会」へのお誘い(設立趣意書)」, 『近代教育フォーラム』創刊号,

p.165-6. (2) Small(1977)が提唱した共引用分析を,著者に特化させた方法.引用元文献が同じ出版

物を引用していれば,それらは類似の主題を扱っているということが基本的な発想となって

いる.著者 A を引用している論文が 本,著者 B を引用している論文が 本あり,著者 Aと B を共引用している論文が 本あったとすると,著者 A-B 間の共引用強度は

N = / という計算式によって求められる.共引用強度が 0.30 を超えていれば,

著者A-B は強く関係していると当該学界で認識されている,と考えられる. (3) 引用分析の性格上,「書評」や「学会報告」など引用文献が存在しない論文は除外した.「研

究討議」,「課題研究」,「エッセー」カテゴリの論文においては引用文献が無い論文も一定数

あるが,今回は表 1 の集計においてはそうした論文は除外していない.また,最初の〈冒険

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教育・社会・文化研究紀要 第 15 号

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者〉引用論文は第 8 号(1963 年)所収,和田修二「教育と宗教」であるため,以降の分析

では便宜的に 1960 年から 10 年ごとの時期区分を採用している.したがって実質的には第 2号(1960 年)以降の分析となっている.

(4) 1990 年代後半に講談社から全 31 巻構成で出版された.今村仁司,三島憲一,鷲田清一,

野家啓一が編集を担当した.各巻 300 頁超の単行本であり,分量・網羅性も高い.また折り

込みの月報に掲載された,いしいひさいちによる漫画が後に『現代思想の遭難者たち』とし

て出版され人気を博すなど,日本における「現代思想」イメージの定着に寄与したシリーズ

である. (5) 論文執筆者の属性は,論文末尾に記載されている情報を参照した.そのため大学院生比率

の分析は可能であったものの,非常勤講師や助手といった「専任/非専任」という分析を行う

ことは今回できなかった.表 2 での分析も,非専任身分での比率を求められれば,より明瞭

な結果が得られるはずである. (6) Suzuki(2012)の時期区分にあわせた分析を行ったため,その他の分析における時期区分

とは 1 年ずれていることには注意されたい. (7) 日本人学者が「多い」かどうかはここでの分析からは言うことができない.この点を追究

するためには,他の学界との比較が必要となる. (8) 「〈知識/行為〉問題の教育思想史的文脈」(1992 年,65 号),「ベンヤミンとデューイ」(1993年,68 号)など.

(9) 「自己形成的トポスとしての「教室という社会」の再構築」(2002 年,85 号)など. (10) 「ボルノウの教育人間学について」(1970 年,22 号),「現代」(1984 年,49 号),「解釈

学の立場から」(1986 年,53 号),「解釈学的教育学の実践哲学的考察」(1989 年,60 号)

など. (11) Kuhn(1962=1971)はパラダイム・シフトを説明するにあたり,マックス・プランクに

よる以下の言葉を引用している.「新しい科学的真実は,それに反対する者たちを納得させ,

理解させることによって勝利するのではなく,反対者たちがやがて死に絶え,新しい真実に

慣れ親しんだ,新しい世代が勝利することによって勝利するのである.」 (12) Featherstone(1991=2003)はポストモダン状況において知的な商品を差異化戦略として

用いる「新たな文化的媒介者」の重要性を指摘し,界において正統とされるもの/されない

ものという区別や従来の象徴的ヒエラルキーの破壊をその効果として挙げている.これは学

者・研究者を想定して用いられているわけではないが,ブルデューの「新たな知識人」を援

用した概念であるとされており,ここでの議論にも応用可能なものと考えた.

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佐々木:日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容―『教育哲学研究』を事例に―

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