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11Tennessee Williams Something Unspoken ―“ something unspoken”と CORNELIA GRACE落 合 和 昭 1 something”の意味するもの ···································· 11 2 CORNELIA GRACE、多神教とキリスト教 ···················· 19 3 something unspoken”········································· 26 4 結び ························································· 32 1 something”の意味するもの Tennessee Williams (1911-1983)Something Unspoken は、最初、 27 Wagons Full of Cotton and Other One-Act Plays (1946)の増補版(expanded version)である 27 Wagons Full of Cotton and Other One-Act Plays (1953)に、Talk to Me Like the Rain and Let Me Listen…とともに、新たに加えられた一幕劇である。その後、この劇 Garden District: Two Plays Something Unspoken and Suddenly Last Summer(1959) の中に、Suddenly Last Summer (1958) とともに、収められた。 Something Unspoken の初演は、1955 6 月、New Jersey Lake Hopatcong Lakeside Summer Theatre であった。その後、1958 2 月に、New York off-BroadwayYork Theatre で、 Suddenly Last Summer とともに、いわゆる、‘double bill’、「二本立て」として、Garden District という「題名」の下に、上演された。 この Something Unspoken という「題名」には、漠然とした意味を表す

Tennessee Williams のSomething Unspokenrepo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28987/spffl064...落 合 和 昭 -12- “something”が使われているが、Williams は、この劇以外にも、“something”を

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Tennessee Williams の Something Unspoken ―“something unspoken”と CORNELIA と GRACE―

落 合 和 昭

1 “something”の意味するもの ···································· 11

2 CORNELIA と GRACE、多神教とキリスト教 ···················· 19

3 “something unspoken”········································· 26

4 結び ························································· 32

1 “something”の意味するもの

Tennessee Williams (1911-1983)の Something Unspoken は、最初、27 Wagons Full

of Cotton and Other One-Act Plays (1946)の増補版(expanded version)である 27

Wagons Full of Cotton and Other One-Act Plays (1953)に、Talk to Me Like the Rain

and Let Me Listen…とともに、新たに加えられた一幕劇である。その後、この劇

は Garden District: Two Plays ― Something Unspoken and Suddenly Last

Summer(1959)の中に、Suddenly Last Summer (1958)とともに、収められた。

Something Unspoken の初演は、1955 年 6 月、New Jersey 州 Lake Hopatcong の

Lakeside Summer Theatre であった。その後、1958 年 2 月に、New York の

off-Broadway、York Theatre で、Suddenly Last Summer とともに、いわゆる、‘double

bill’、「二本立て」として、Garden District という「題名」の下に、上演された。

この Something Unspoken という「題名」には、漠然とした意味を表す

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“something”が使われているが、Williams は、この劇以外にも、“something”を

「題名」に使った作品をいくつか書いている。いくつかといっても、かなり多

い気がする。まず、短編小説では、The Coming of Something to Widow Holly (1943)、

Something About Him (1946)、Something by Tolstoi (1985)の三編を書いている。The

Coming of Something to Widow Holly は短編集 Hard Candy (1954)に収められ、

Something About Him (1946)、Something by Tolstoi (1985)は短編集 Collected Stories

(1985)に収められている。“Something by Tolstoi”が出版されたのは 1985 年であ

るが、じっさいに書かれたのは、それよりも、五十五年ほど前の 1930 年か、

1931 年頃、すなわち、彼が二十歳前後の作品と考えられている。そのため、「題

名」に“something”を含む、この三編の短編小説のすべてが彼の初期の作品に

属していることになる。

この三編の短編小説を、書かれた順に、見てみると、Something by Tolstoi で

は、派手好きな妻の Lila はボードヴィルの世界で活躍する自分を夢みている。

彼女は、その夢の実現のために、本屋を経営している、おとなしく、まじめな

夫の Jacob のもとを去るが、彼女は、十五年後に、再び、戻ってくる。しかし、

妻を心から愛していた夫は、妻が去った後、日々のつらさからか、完全に人が

変わってしまい、帰ってきた妻の Lila が自分の妻であることがわからない。妻

は客になりすまし、悲恋物語の本を探しているふりをする。夫の Jacob は彼女

が探しているのは“something by Tolstoi”ではないかと言う。そのため、この「題

名」は Tolstoi によって書かれた作品を暗示していることになる。

The Coming of Something to Widow Holly では、三人の下宿人を持つ下宿屋の女

主人である未亡人 HOLLY は下宿人どうしの激しい争いに心を悩ましていた。

偶然知り合うことになった、超自然的なことを言う A. Rose から、彼女は彼が

別の惑星から地球に送られてきた人間であると言われて驚く。やがて、下宿人

の一人が爆発物で下宿屋を爆破してしまう。そのようなとき、今では、

Christopher D. Cosmos になった A. Rose が現れて、まるで魔法のように、下宿屋

を元の形に復元する。彼は彼女にすべてのものを焼き払い、新たに、生活を始

めるように勧める。彼女は彼の言葉に従い、彼を新しい相手として、新たな生

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活を始める。ここでは、未亡人の名前が HOLLY で、“holy”、「神聖な」を連想

させ、さらに、神の世界も暗示している。また、Christopher D. Cosmos という

名前は、文字通り、“cosmos”、「宇宙」を連想させ、さらに、彼が行った下宿屋

の復元は、まさに、キリストの「復活」を連想させる。そのため、この短編小

説の「題名」、The Coming of Something to Widow Holly の中の“something”には、

HOLLY に訪れた「新生」、「新たなる生命」が暗示されているように感じられ

る。

Something About Him では、働き者で、人に親切である、雑貨屋の店員 Haskell

は、客たちが上役に“something about him”と告げ口をしたため、店を解雇され

る。彼は何一つ悪いことはぜず、人に対して、よくしてあげようと、絶えず、

考えている、人のいい人物である。そのやさしい心遣いが、普通の人々のレベ

ルから見れば、度を過ごしているように思われたので、まわりの人々から、彼

には何か下心があるので、そうしているのではないかと疑われたのである。そ

のため、この「題名」の“something”の中には、告げ口の中に含まれる、「何か

よくないこと」という意味が込められている。また、主人公 Haskell のように、

たとえ善意の固まりのような人でも、どこかに、他の人々とは違ったところが

あるだけで、追い出される人間の孤独が漂っている。

この三編の短編小説では、Williams が、“something”の中に、それぞれ、異な

る意味を込めていることがわかるが、彼がそれぞれの異なる“something”の意

味を明確にしようと思えば、いつでも、明確にできたはずである。読者(観客)

にとっても、これらの“something”の意味するものを理解することはそれほど

むずかしいものではない。何故、彼はこれらの“something”の意味を明確にし

ないで、わざわざ、“something”という曖昧な言い方をしているのであろう。彼

は、意味を明確にできるにもかかわらず、あえて、意味を明確にしていないよ

うに思われる。このことは、いったい、何を意味しているのだろうか。

Williams は、この三編の短編小説以外にも、“something”をつけた「題名」を

持つ作品を書いている。しかし、それは上述した三編の短編小説の「題名」の

つけ方とは少し異なる。彼の“something”をつけた「題名」は、大きく分けて、

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二つに分類できる。その一つは、上で見てきたように、“something”に何も修飾

語をつけていない場合である。もう一つは、この拙論の中で取りあげている

Something Unspoken の「題名」に見られるような「題名」のつけかた、すなわ

ち、「something+過去分詞(または、形容詞)」の形を取る「題名」である。そし

て、この形をとる「題名」は、Something Unspoken の「題名」に限らず、その

他の作品の「題名」の中にも、ときどき、見うけられる。

それらの「題名」を、まず、年代順に見ると、この Something Unspoken より

も十三年も前の 1945 年に書かれた Williams の劇、Something Wild in the Country

の中でも、“something wild”という表現がすでに用いられている。この Something

Wild in the Country という「題名」は、それ自体では、人工的に手が加えられて

いない、自然におけるありのままの姿、野性を連想させる。彼は、この劇を書

いてからまもなくして、この劇の「題名」を Battle of Angels (1940)に変える。

この「題名」からのみ連想すれば、これは『天使の争い』を意味しているので、

キリスト教の中における葛藤が色濃く出ているように感じられる。さらに、

Battle of Angels は、それから十七年の歳月を経た後に、書き直されて、Orpheus

Descending (1957)という「題名」、『地獄のオルフェウス』に変えられている。こ

の「題名」の中の“Orpheus”はギリシャ神話に登場する竪琴の名手で、その音

色は鳥獣草木すらも魅了したと言われている。彼は死んだ妻の Eurydice を追っ

て、地下の世界へ降りていくという話である。Williams はこの神話から「題名」

を取り、Battle of Angels を Orpheus Descending という「題名」に変えた。この

「題名」からはギリシャ神話の世界、多神教の世界が連想される。この劇は、

二年後の 1959 年に、Williams 自身が脚本を担当し、監督 Sidney Lumet、主演

Marlon Brando で映画化されているが、そのとき、「題名」は、さらに、「逃亡す

る者」、「放浪する者」を意味する The Fugitive Kind に変えられている(1)。この

「題名」からは、Orpheus Descending という「題名」に暗示されているギリシ

ャ神話の世界や多神教の世界が消え、アメリカ社会の主流から取り残された者、

底辺でしか生きられない者を暗示しているように感じられる。この劇の「題名」

の変遷を見ると、Williams は、「題名」を変えながら、“something wild”の意味

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を探っているようにも感じられる。

彼は 1940 年に書いた劇に Something Wild in the Country という、ありのまま

の野性を暗示する「題名」をつけたが、同じ 1940 年に、その「題名」を Battle

of Angels という、キリスト教の中における葛藤を暗示する「題名」に変えてい

る。Something Wild in the Country という「題名」は彼の中にあるピューリタン

的禁欲主義に対する、ありのままの野性的な感情を暗示していると思われる。

しかし、その「題名」が Battle of Angels に変えられると、今度は、ピューリタ

ン的禁欲主義の中における葛藤が暗示されているように感じられる。さらには、

Williams は、それから十七年の歳月を経た 1957 年に、Battle of Angels を Orpheus

Descending というギリシャ神話の「登場人物」から名を借りて、劇の「題名」

にしている。この十七年間で、Williams の中で、キリスト教からギリシャ神話、

一神教の世界から多神教の世界へ移行が生じているとも考えられる。さらに、

この劇は、1960 年に映画化されたときには、The Fugitive Kind という「題名」

に変えられている。映画では、「逃亡する者」、「放浪する者」を意味する「題名」

がつけられ、キリスト教にも、ギリシャの多神教にも属さない「逃亡する者」、

「放浪する者」を暗示しているような気がする。Something Wild in the Country

が書かれて以来、二十年の間に、書き直されながら、四度(映画も含めて)も、

その「 題名」が変えられたことになる。この一連の改題の中にも、Williams

の心の変遷を見る思いがする。

さらに、Something Wild in the Country という「題名」は Williams が書いた

Something Wild…というタイトルの短い演劇論を思い出させる。それは Williams

が 27 Wagons Full of Cotton and Other One-Act Plays (1949)の第二版に載せてい

る Something Wild…という序文である。この序文は、最初から、この一幕劇集

の序文として書かれたのではなく、最初は、その前年の 1948 年に、これとは

別の「題名」、On the Art of Being a True Non-Conformist という「題名」で、11

月 7 日付けの The New York Star に掲載された。その中で、Williams は、彼なり

に、演劇のあるべき姿について書いている。その中に、

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In my opinion art is a kind of anarchy, and the theater is a province of art.

What was missing here, was something anarchistic in the air. Art is only anarchy

in juxtaposition with organized society. It runs counter to the sort of orderliness

on which organized society apparently must be based. It is a benevolent anarchy:

it must be that and if it is true art, it is. It is benevolent in the sense of constructing

something which is missing. (p845)

(下線は筆者)

という部分がある。彼は「芸術はある種のアナーキーであり、演劇は芸術の一

分野である」と言っている。すなわち、彼は演劇も含めた芸術はある種のアナ

ーキーであると言っている。さらに、彼は「芸術は、組織化された社会と並ん

で置かれたときのみ、アナーキーになる」と言って、芸術は組織化され、秩序

化された社会と真っ向からぶつかるものであるとも言っている。しかし、その

アナーキーは社会に対する悪意に満ちたものではなく、「それは善意のアナーキ

ーである」。というのは、「それは、(社会に)欠けているものを作り出してくれ

るという意味で、善意である」と言っている。彼の「芸術はある種のアナーキ

ーであり、演劇は芸術の一分野である」という言い方は、言い換えれば、「芸術

は something wild…でなければならない」ということになるだろう。彼にとって

は、芸術の中には、絶えず、something wild…が存在していなければならないの

である。

また、彼は、その中で、彼が関係した劇団 The Mummers がアメリカの劇作家

Irwin Shaw(1913-84)の Bury the Dead (1936)を手がけているときの様子につい

て、

…I guess it was all run by a kind of beautiful witchcraft! It was like a definition

of what I think theater is. Something wild, something exciting, something that you

are not used to. Offbeat is the word. (p848)

(下線は筆者)

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と書いている。「それは私が考えている演劇の定義そのものに似ていた」と絶賛

し、彼らには、「something wild、エキサイテイングなもの、人が慣れていないも

の」があり、「まさに、型破りな世界である」と言っている。ここでも、彼は、

演劇にとっては、‘something wild’、すなわち、‘offbeat’(「型破りな」)ものが

重要であると言っている。

さらに、最後に、

Community theaters have a social function and it is to be that kind of an

irritant in the shell of their community. Not to conform, not to wear the

conservative business suit of their audience, but to let their hair grow long and

even greasy, to make wild gestures, break glasses, fight, shout, and fall

downstairs! When you see them acting like this-not respectably, not quite decently,

even!-then you will know that something is going to happen in that outfit,

something disturbing, something irregular, something brave and honest.

The biologist will tell you that progress is the result of mutations. Mutations

are another word for freaks. For God's sake let's have a little more freakish

behavior-not less.

Maybe 90 per cent of the freaks will be just freaks, ludicrous and pathetic and

getting nowhere but into trouble.

Eliminate them, however―bully them into conformity―and nobody in

America will ever be really young any more and we’ll be left standing in the dead

center of nowhere.

(下線は筆者)

と書いている。この中で、彼は「それ(地方劇場)は、その地方という殻の中で

は、ある種の刺激剤であらねばならない」と言っている。彼にとっては、それ

は、その地域社会においては、“something disturbing, something irregular, something

brave and honest”、「心を乱すようなもの、不規則なもの、勇気があり、正直な

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もの」でなければならないのである。これが彼の言う“something wild” である。

もし社会がこれらのものを抹殺しようとしたり、また、無理やりに、社会的に

順応させてしまえば、アメリカ人はみな年寄りばかりになってしまい、やがて、

アメリカ人は何もないところに取り残されることになると言っている。

Williams はアメリカ社会が“freaks”、「常識的な社会からの逸脱者」を受け入れ

るような懐の深さを示してくれることを望んでいる。

当時のアメリカ社会や演劇には、秩序的なもの、常識的なもの、型にはまっ

たものが蔓延し“something wild”が欠けていていることを嘆いている彼の姿が

思い浮かぶ。それは、また、当時のアメリカ社会は演劇だけではなく、当時の

彼自身についても言えるのではないだろうか。彼はピューリタン的な禁欲主義

の蔓延る南部や家庭に育ち、その中で、彼の中にある同性愛的嗜好に、しだい

に、気づかされてくる。しかし、その嗜好は、彼の強いピューリタン的禁欲主

義を持ってしても、けして抑えることができないほど激しい感情であった。そ

れは、彼にとっては、まさに、“something wild”であり、“something disturbing,

something irregular, something brave and honest”であったと思われる。心の底から

沸き上がる、この激しい感情は抑えれば、抑えるほど強くなる。彼はこの

“something wild”の存在を認め、それをあるがままに受け入れることに決めた

のだろう。そのときから、彼は自分が新しく変わっていくのを感じ、新たなる

道へ踏み出したように感じたかもしれない。彼は、その思いを原点にして、劇

の中でも、アメリカ社会の中でも、この“something wild”の存在が認められ、

それが受け入れられるようになることを強く望んだに違いない。それによって、

自分が変わったように、劇が変わり、アメリカ社会が変わると思ったのではな

いだろうか。

Williams は、晩年になって、Something Cloudy, Something Clear (1981)という

劇を書いている。この「題名」には、単に、「something+形容詞」という形が

使われているというだけではなく、この形を二つ並べて、「題名」にしている。

彼は 1983 年 2 月 24 日に亡くなっているが、この劇は、その一年半前の 1981

年 8 月 24 日に、Jean Cocteau Repertory によって上演されている。さらに、この

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劇は、翌年の 1982 年 2 月に、同じ Jean Cocteau Repertory によって再上演され

るが、事実上、この劇が、彼の生前に、New York で上演された最後の劇となる。

彼は、この劇の「題名」の中に、二つの“something”を登場させているが、こ

の劇の中で、主人公である作家(明らかに、Williams 自身)は白内障を患ってい

る右目を通して見たものを“something cloudy”と呼び、健康な左目を通して見

たものを“something clear”と呼んでいる。Williams 自身も、作家であり、白内

障を患っていたことから考えて、この主人公は Williams の分身であると考えて

いいだろう。Williams は、最晩年になって、彼自身、世の中のすべてのものを、

“something cloudy”、すなわち、病気の目で見ながら、もう一方で、“something

clear”、すなわち、健康な目で見てきたという思いを強くもったに違いない。

Williams にとっては、おそらく、“something cloudy”とは“something wild”のこ

とであり、ギリシャ的な多神教の世界や芸術家の世界を表し、“something clear”

とはキリスト教的一神教の世界を表しているのかもしれない。

このように、彼は、「something+形容詞(過去分詞)」を、いくつかの作品で、

「題名」として、用いているが、この Something Unspoken も、その流れの中に

ある。

2 CORNELIA と GRACE、多神教とキリスト教

この一幕劇は、1953 年、今から、半世紀以上も前に出版されているので、も

し二人の女性の「登場人物」の間に、じっさい、レスビアン関係が存在してい

るとすれば、それは、当時では、人前では、‘something unspoken’、口に出すの

もはばかれる話題であり、公の席で、話題になることはけしてなかった。もし

二人がレスビアン関係にあるとすれば、二人は、当時の南部社会の厳格なキリ

スト教的道徳観からすれば、完全なる“freaks”、「常識的な社会からの逸脱者」

ということになる。Williams は、後年、自ら、彼自身が同性愛者であることを

告白し、1955 年初演の Cat on a Hot Tin Roof の中でも、今から見れば、かなり

控えめな形ではあるものの、「登場人物」の間で、男同士の同性愛を語らせてい

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るが、それに先立つこと、二年前の 1953 年に、Something Unspoken の中で、二

人の女性のレスビアン関係を暗示的にではあるが、書いていることは興味深い。

そのため、女性間の同性愛、男性間の同性愛という違いはあるものの、Something

Unspokenは、見方によっては、同性愛をかなり前面に押し出したCat on a Hot Tin

Roof の、いわば、先駆け的作品と見ることができるだろう。彼は、この劇の中

で、まず、女性間の同性愛を、いわば、試験的に書き、その後、さらに、Cat on

a Hot Tin Roof の中で、男同士の同性愛を書いたことになる。しかし、前にも書

いたように、皮肉なことに、Something Unspoken の初演は、1955 年 6 月、New

Jersey 州 Lake Hopatcong の Lakeside Summer Theatre であり、Cat on a Hot Tin Roof

の初演は、1955 年 3 月 24 日、New York の Morosco Theatre であるので、後か

ら書かれた Cat on a Hot Tin Roof の方が、前に書かれた Something Unspoken より

も、約三ヶ月ばかり前に上演されて、観客の知ることとなった。それだけでは

なく、Cat on a Hot Tin Roof はかなり大きな注目を浴びたために、Something

Unspoken は目立たない位置に甘んじなければならなくなった。

Williams の作品の中では、多くの場合、主人公たちは、いろいろな意味で、

“freaks”、「常識的な社会からの逸脱者」である。Something Unspoken の主人公、

CORNELIA は南部に住む裕福な年配の未婚婦人である。彼女のように、南部の

裕福な家の女主人は、社会的にも、経済的にも、成功した家系に属しているの

で、通常では、彼女が“freaks”、「常識的な社会からの逸脱者」であると言われ

ることはけしてないだろう。しかし、主人公 CORNELIA と彼女の秘書、GRACE

の間には、Something Unspoken という「題名」が示しているように、秘密めい

た‘something unspoken’がある。この‘something unspoken’は、その語句の意

味が示しているとおり、この一幕劇の中では、「台詞」や「ト書き」において、

終始、その内容が明確に語られることはない。そのため、観客や読者はその

‘something unspoken’が何であるかを、「台詞」や「ト書き」を通して、推測

する以外に方法はない。おそらく、多くの読者は、その「台詞」や「ト書き」

の背後にある‘something unspoken’の中に、かすかな性的な匂いを感じとるこ

とだろう。二人の女性の間に存在する性的な匂いと言えば、同性愛、すなわち、

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レスビアン関係である。しかし、二人の間に、じっさいに、レスビアン関係が

あるのか、それとも、ないのか、そのどちらかであるかを明確に答えることは

むずかしい。そのような関係が、あるような気もするが、ないような気もする

というのが多くの読者(観客)の感想だろう。

この劇は「登場人物」が二人しか登場しない「二人芝居」である。その「登

場人物」の一人、CORNELIA について、Williams は、冒頭の「ト書き」の中で、

Miss Cornelia Scott, 60, a wealthy southern spinster,・・・ (p275)

(点線部分は省略部分)

と書いている。この CORNELIA という名前は、二世紀のローマ時代、典型的

な賢夫人として知られている、Tiberius と Gaius Gracchus の母、CORNELIA を

思い出させる。しかし、じっさい、この劇の主人公 CORNELIA は妻にもなっ

たこともなけば、母になったこともない。彼女は、“spinster”と書かれているよ

うに、六十歳になるまで、独身を通してきた。また、同じ冒頭の「ト書き」に

は、続けて、

…, a silver tray of mail, and an ornate silver coffee urn. An imperial touch is

given by purple velvet drapes directly behind her figure at the table….(p275)

(下線は筆者、点線部分は省略部分)

と書かれていて、その中では、「郵便用の銀製のトレイ」、「凝った装飾が施され

たコーヒー入れ」、「壮麗な感じのする、紫のヴィロードのカーテン」というよ

うに、「背景」には、ローマ時代の皇帝の館の品々を連想させるようなものが配

置されている。

GRACE は、彼女の「台詞」、

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GRACE: … Also I know that when a silence between two people has gone on for

a long time it’s like a wall that’s impenetrable between them! Maybe between us

there is such a wall. One that’s impenetrable. Or maybe you can break it. I know I

can’t. I can’t even attempt to. You’re the strong one of us two and surely you

know it.―Both of us have turned gray―! But not the same kind of gray. In that

velvet dressing gown you look like the Emperor Tiberius!―In his imperial toga―

Your hair and eyes are both the color of iron! Iron gray. Invincible looking!

People nearby are all somewhat―frightened of you. They feel your force and they

admire you for it. … ―Oh, you’re a fountain of wisdom! Yes, you have your―

fortune ―all of your real estate holdings, your blue chip stocks, your―bonds,

your―mansion―on Edgewater Drive, your― shy little― secretary, your―

fabulous gardens that Pilgrims cannot go into… (p292)

(下線は筆者)

の中で、CORNELIA について、下線部分にもあるように、“In that velvet dressing

gown you look like the Emperor Tiberius!―In his imperial toga―Your hair and eyes

are both the color of iron! Iron gray. Invincible looking!People nearby are all

somewhat―frightened of you. They feel your force and they admire you for it…―Oh,

you’re a fountain of wisdom! Yes, you have your―fortune”、「そのヴィロードのドレ

ッシング・ガウンを着ていると、テイベリウス皇帝に似ているわ!、一皇帝の衣

服を着て―、あなたの髪と目は鉄の色をしている!鉄灰色。無敵に見えるわ!

近くにいる人はみんなあなたのことを少し恐れている。彼らはあなたの持つ力

を感じ、そのために、あなたを賞賛している。、、、それに、あなたは知恵の泉そ

のものよ! そう、あなたは―財産―も持っている。」と言っている。

GRACE は、CORNELIA をローマの第二代皇帝 Tiberius(42B.C.-A.D.37、皇位、

A.D.14-37)にたとえて、彼女の持つ威厳と力を賞賛している。さらに、

CORNELIA は泉のように湧き出る知恵を持ち、多くの財産を持っているとつけ

加えている。

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Williams は、積極的に、主人公 CORNELIA がローマ時代を連想させる「登場

人物」であることを、その名前だけではなく、人物描写や「背景」においても、

知らせようとしている。そのため、CORNELIA に関する「ト書き」や GRACE

の CORNELIA に関する「台詞」から、CORNELIA がローマ時代、すなわち、

多神教の世界を暗示しているように感じられる。

もう一人の「登場人物」、GRACE については、

Grace Lancaster is 40 or 45, faded but still pretty. Her blonde hair, graying

slightly, her pale eyes, her thin figure, in a pink silk dressing gown, give her an

insubstantial quality in sharp contrast to Miss Scott’s Roman grandeur. (p275)

(下線は筆者)

と書かれている。彼女の名前、GRACE は、キリスト教において、最も重要な

価値を持つ、‘grace’、神の「恵み」、「恩寵」を意味するので、彼女の名前がキ

リスト教を連想させると言ってもいいだろう。上の引用文の下線部には、

GRACE の姿格好は、「MISS SCOTT(CORNELIA)のローマ的な威光とは好対照

をなして、弱々しい感じを与える」と書かれている。CORNELIA は「ローマ的

威光」に満ちた、堂々たる女性であり、GRACE 自身も、彼女の「台詞」の中

で、CORNELIA が女性であるにもかかわらず、ローマの第二代皇帝 Tiberius に

たとえるほど、彼女の威光と力に満ち、さらには、豊富な知恵や財産までも持

っている。そのような威厳と富に満ちた CORNELIA に対して、GRACE の与え

る印象はそれとは、まさに、正反対であると言っていいだろう。GRACE の「少

し白髪が混じったブロンドの髪、活気のない目、ピンクのシルクのドレッシン

グ・ガウンに身を包んだ、痩せた身体」は、CORNELIA と比べると、生命力や

威厳に著しく欠け、“an insubstantial quality”、「弱々しい(実質のない)特徴」を持

っている。このように極端に異なる二人、ローマの威光に満ち、皇帝 Tiberius

のような CORNELIA と、痩せていて、「弱々しい(実質のない)特徴」を持った

GRACE の間で、‘something unspoken’、すなわち、レスビアン関係が暗示され

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落 合 和 昭

-24-

ている。

これらの「台詞」や「ト書き」から、もし二人の間にレスビアン関係が存在

しているとすれば、ローマの第二代皇帝 Tiberius にたとえられている

CORNELIA が男役で、GRACE が女役であるとの連想は可能である。それにし

ても、この二人の間のレスビアン関係は何を暗示しているのであろうか。寓意

的に見れば、そこには、CORNELIA が表しているローマ的な多神教の世界と

GRACE が表しているキリスト教的な世界の間に、レスビアン関係が成立して

いることになる。それは多神教の世界と一神教であるキリスト教の間のレスビ

アン関係はその両者の融合を暗示しているとも感じ取れる。さらに、

CORNELIA が南部の裕福な女性であり、GRACE がその秘書であること、すな

わち、二人の関係が主従関係にあること、また、CORNELIA という名前がロー

マの多神教を暗示し、GRACE という名前がキリスト教を暗示していることか

ら、この家では、ローマの多神教の世界がキリスト教の一神教の世界を支配し

ているようにも、前者が後者を圧倒しているような印象も与える。

CORNELIA の家は、いわゆる、南部における、代々続く名家であるので、彼

女自身も、Confederate Daughters の会員になっている。Confederate Daughters は、

おそらく、The United Daughters of the Confederacy のことであろう。この会の前

身、The National Association of the Daughters of the Confederacy は、1894 年 9 月

10日に、Tennessee州のMrs. Caroline Meriwether GoodlettとGeorgia州のMrs. Ann

Davenport Raines によって、Tennessee 州 Nashville に創立され、その後、1919

年 7 月 17 日に、The United Daughters of the Confederacy と名称が改められた。

この会は、その名が示すとおり、南北戦争当時、南部連合国(南軍)に属した家

族の子孫(女性のみ)からなる団体である。その会の目的は南部の歴史的遺産の

保存、南軍子孫の教育の普及、南北戦争時代、及び、南北戦争後の南部復興に

寄与した女性の働き、南軍子孫の家族間の友好等であるが、南部の極めて愛国

的色彩が強い団体である。彼女は、彼女自身の「台詞」の中で、

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… I have served as Treasure for three terms, twice as Secretary, once as

Chaplain-and what a dreary office that was with those long-drawn prayers for the

Confederate dead!-Although I’ve served on the Board for, let’s see, fourteen

years!-Well, now, my dear, the point is simply this. If Daughters feel that I have

demonstrated my capabilities and loyalty strongly enough that I should simply be

named as Regent without a vote being taken-by unanimous acclamation!...

と言っている。この団体に所属している CORNELIA の家系は、いわば、南部

の中心をなす核を作ってきた家系である。彼女は、この会の「会計係」、「幹事」、

「(集会の)祈祷人」、「評議員」を十四年間にわたって歴任したので、今度は、「理

事」に選ばれても当然であると思っている。しかし、その選挙結果を、電話で

Confederate Daughters の同僚から聞かされた彼女はひどく落胆する。支部に来て

から、まだ、一年も経っていない Mrs. Hornsby が選ばれ、長年にわたって、様々

な役について貢献してきた彼女が選ばれなかったのである。彼女の社会的地位

がしだいに落ちてきていることがわかる。このことは、第二次世界大戦後、十

年近くなって、古い南部が、その影響力を失いつつあり、それと同時に、新し

い南部が台頭しつつあることを示している。CORNELIA が属している古い南部

が、しだいに、新しい南部に取って代わりつつある様子が感じ取れる。

彼女が理事の選挙に落ちたとき、彼女は、負け惜しみのように、Daughters of

the Barons of Rennymede、Colonial Dames、Huguenot Society に入る資格があるの

で、Confederate Daughters を脱会するつもりでいることを、暗に、におわしてい

る。Daughters of the Barons of Rennymede は 1215 年 6 月 15 日に、イギリス南部

の Rennymede の貴族たちが国王 John に Magna Carta に署名させた歴史的大事件

に端を発した会で、そのときの貴族の女性子孫たちにによって創設された、一

種の愛国団体である。ちなみに、それには、男性版 Sons of the Barons of

Rennymede もある。Colonial Dames は独立戦争の時に活躍した子孫の女性たち

が創った会であり、Confederate Daughters に似ている愛国団体である。また、

Huguenot Society は John Calvin(1509-64)の流れをくむフランスのプロテスタン

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-26-

トで、信仰の自由を得るために、アメリカへ逃れてきてユグノー派が創った会

である。CORNELIA が Huguenot Society に入る資格があるということは、彼女

自身、プロテスタントのユグノー派の流れをくむ家系に属していることになる。

と言うことは、彼女は、外見上は、ローマ的多神教を暗示しているが、その内

実は、キリスト教に属していることになり、すでに、彼女の中に、多神教とキ

リスト教が存在することになる。

3 “something unspoken”

この章では、この劇で言及されている“something unspoken”をできるだけ詳

細に追っていきたい。

Williams が、“something unspoken”について、この劇の中で、最初に言及して

いる部分は「ト書き」、

There is between the two women a mysterious tension, an atmosphere of

something unspoken. (p275)

(下線は筆者)

である。この中で、彼は、二人の女性「登場人物」、CORNELIA と GRACE の

間に、「不可解な緊張感」、「something unspoken の雰囲気」があると書いている。

そのため、この劇の「題名」になっている“something unspoken”は、この二人

の女性の間で、あえて語られることのない話題、しかも、ある種の「不可解な

緊張感」を伴う話題であることが察しられる。

しばらくすると、その「ト書き」を裏付けるような「台詞」、

CORNELIA: Several times lately you’ve rushed away from me as if I’d suddenly

threatened you with a knife.

GRACE: Cornelia! ―I’ve been ―jumpy!

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Tennessee Williams の Something Unspoken

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CORNELIA: It’s always when something is almost-spoken- between us! (p285)

(下線は筆者)

が、二人の間で、交わされる。すなわち、CORNELIA によると、GRACE は、

「最近、数度にわたって」、CORNELIA からナイフで脅かされたかのように、

突然、あわてて、彼女のそばから立ち去ろうとする。“when something is

almost-spoken- between us”、「二人の間で、何かがもう少しのところで話されよ

うとしているとき」に限って、GRACE は CORNELIA のそばを立ち去ろうとす

る。CORNELIA はその“something unspoken”のことを口に出して、話そうとす

るが、GRACE は、その話を聞きたくないのか、その話を避けようとしている。

しかも、CORNELIA によると、GRACE がそのような態度をとるのは、彼女

が私設秘書として働き始めてから十五年になるにもかかわらず、「最近」にな

ってからである。さらに、GRACE は、話をそらせるかのように、蓄音機をか

けて、

GRACE: Something very light and quiet, then, the old French madrigals, maybe?

(p285)

(下線は筆者)

と言う。おそらく、GRACE が避けようとしている話題は暗く、騒ぎを起こし

そうな話題であると感じたのか、彼女は、それとは反対に、古いフランスのマ

ドリガルのように、“Something very light and quiet”、「とても明るく、静かなも

の」を蓄音機にかける。すると、それに対して、CORNELIA は

CORNELIA: Anything to avoid a talk between us? Anything to evade a conversation,

especially when the servant is not in the house? (p285)

(下線は筆者)

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落 合 和 昭

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と言う。彼女は、GRACE が、蓄音機にレコードを、“Anything to avoid a talk

between us?”、「二人の間の話を避けるためのもの」、“Anything to evade a

conversation”、「会話を避けるためのもの」として利用していると思っている。

これらの二人の「台詞」のやりとりから、CORNELIA は二人の間にある

“something unspoken”について、すすんで話すことを望んでいるが、GRACE

はそのことが語られることを嫌っているだけではなく、そのことが語られるこ

とを恐れている。GRACE はその“something unspoken”が口に出されて語られる

ことに、かなりの動揺を示していることが感じられる。それは、さらに、二人

の次の「台詞」のやりとり、

CORNELIA: I don’t want thanks from you either. All that I want is a little return

of affection, not much, but sometimes a little!

GRACE: You have that always, Cornelia.

CORNELIA: And one thing more: a little outspokenness, too.

GRACE: Outspokenness?

CORNELIA: Yes, outspokenness, if that’s not too much to ask from such a proud

young lady!

(下線は筆者)

の中に見られる。この中で、CORNELIA は彼女が GRACE に求めているのは「少

しばかりの愛情のお返し」と「少しばかりの率直な言葉」であると言っている。

CORNELIA から見ると、GRACE は自分の気持ちを率直に語ろうとしないだけ

ではなく、逃げ回っているとしか見えない。おそらく、GRACE のほうは、「少

しばかりの愛情のお返し」を「少しばかりの率直な言葉」で述べることは、お

互いのレスビアン感情を明らかにすることであると考えているように思える。

それに対して、CORNELIA はお互いの感情を相手に「少しばかりの率直な言葉」

で語ったほうがよいと感じているようにも思える。二人は、外見上は、極めて

平静を装いながらも、次の「ト書き」、

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There is a strained silence. The clock ticks. Suddenly Grace reaches across to

touch the veined jeweled hand of Miss Scott. Cornelia snatches her own hand

away as though the touch had burned her.

(下線は筆者)

が示しているように、二人の間には、「緊張した沈黙」が漂っている。また、

CORNELIA に至っては、GRACE の手が彼女の手に「触れたとき、(CORNELIA

は)まるで火傷をしたかのように」、さっと手を引っ込める。この「触れたとき、

(CORNELIA は )まるで火傷をしたかのように」という表現は、まさに、

CORNELIA におけるレスビアン感情の極度の高まりを示していると言ってい

いだろう。そのため、レスビアン感情は、CORNELIA の中で、ほとんど沸騰点

近くにまで高まっていると思われる。

ここでは、“something unspoken”が語られることについて、二人の間で、明ら

かに、考えが対立している。多神教を連想させる CORNELIA は“something

unspoken”を話題として取り上げることを何とも思っていないが、キリスト教

を連想させる GRACE が“something unspoken”の内容が語られることに反対し

ているという構図が浮かび上がってくる。このことは、見方によっては、多神

教のほうがキリスト教よりもレスビアン関係に罪意識をもっていないだけでは

なく、多神教のほうがキリスト教よりもレスビアン関係に寛大であるようにも

感じられる。

二人の間で交わされる、次の「台詞」のやりとり、

CORNELIA: Please turn off the victrola. [Grace rises and stops the machine.]

Grace!-Don’t you feel there’s-something unspoken between us?

GRACE: No. No, I don’t.

CORNELIA: I do. I’ve felt for a long time something unspoken between us?

GRACE: Don’t you think there is always something unspoken between two

people?

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CORNELIA: I see no reason for it.

GRACE: But don’t a great many things exist without reason?

CORNELIA: It’s very simple. It’s just that I feel that there’s something unspoken

between us that ought to be spoken….Why are you looking at me? (p290-291)

(下線は筆者)

の中では、この劇の「題名」になっている“something unspoken”が四回にわた

って、繰り返し使われている。この中で、CORNELIA が「私たちの間には、長

いこと、話されなかったことがあると感じてきた。」と言うと、GRACE は「(人

間なら)、二人の間に、いつも、話されないことがあるとは思わない?」と、他

人事のように、一般論化して、答えるだけである。ここでも、CORNELIA は、

いままで、二人の間で、語られてこなかった話題を積極的に取り上げようとし

ているが、GRACE は、人間の間では、語られないことがあるのは当然である

と言わんばかりに、それを話題として取り上げるのを避けようとしている。

さらに、GRACE は

GRACE: You say there’s something unspoken. Maybe there is. I don’t know. But

I do know some things are better unspoken. Also I know that when a silence

between two people has gone on for a long time it’s like a wall that’s impenetrable

between them! Maybe between us there is such a wall. One that’s impenetrable.

Or maybe you can break it. I know I can’t. I can’t even attempt to. You’re the

strong one of us two and surely you know it… (p292)

(下線は筆者、点線部分は省略部分)

と言う。この中で、彼女は「話されないほうがいいものもいくつかあるのを知

っている」と言って、どうしても彼女はそれを話題として話そうとしない態度

を見せる。GRACE にとっては、話さない状態があまりにも長く続いたので、

それが「打ち破ることのできない壁」を作ってきた。彼女はその壁は「おそら

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Tennessee Williams の Something Unspoken

-31-

く、あなた(CORNELIA)はそれを打ち破ることができるかもしれない」が、「私

にはできないことはわかっている。私はあえてそうしようともしない」と付け

加えている。CORNELIA は“something unspoken”を語ることができるが、GRACE

には、どうしてもできない。すなわち、多神教の世界を象徴する CORNELIA

には“something unspoken”を語ることができるが、一神教であるキリスト教を

象徴する GRACE には、それができないことが強調されている。それが

“something unspoken”の内容である。

また、GRACE は

GRACE: I am―very―different!―Also turning gray but my gray is different. Not

iron, like yours, not imperial, Cornelia, but gray, yes, gray, the―color of a

…cobweb… [She starts the record again, very softly.]―Something white getting

soiled, the gray of something forgotten. (p292)

(下線は筆者)

と言う。彼女は、この「台詞」の中で、彼女自身と CORNELIA との違いを明

らかにしている。彼女の髪は白髪になってきているが、それは、CORNELIA の

ように、皇帝の堂々とした灰色でもなく、鉄灰色でもなく、くもの巣(くもの巣

には、「頭の混乱」の意味もある)の灰色であり、“Something white getting soiled, the

gray of something forgotten”、「白かったものが汚れたものであり、忘れられたも

のの灰色である」。キリスト教を象徴する GRACE は自らをそのように描写して

いると言うことは、キリスト教自体が「くもの巣の灰色」であり、「白かったも

のが汚れたものであり、忘れられたものの灰色である」と言っているようにも

聞こえる。GRACE の言葉からは、キリスト教を象徴する GRACE は干からび

て、生命力を失いつつあるが、多神教を象徴する CORNELIA は鉄のように堅

固で、威風堂々としている様子が伝わってくる。

GRACE は、また、

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GRACE: …You mustn't expect me to give bold answers that make the house

shake with silence! To speak out things that are fifteen years unspoken!―That

long a time can make a silence a wall that nothing less than dynamite could break

through and ―[She picks up the phone.] I’m not strong enough, bold enough, I’m

not―

(下線は筆者)

と言っている。彼女は十五年、すなわち、CORNELIA の施設秘書をしていた歳

月は「ダイナマイトでなければ、破壊できないような、沈黙の壁を造り上げて

しまった」と言っているが、この壁は CORNELIA が築いた壁ではなく、GRACE

が自ら造り上げた壁のように感じられる。

この二人の関係は、多神教は積極的に道徳的、倫理的な問題に取り組もうと

しているが、キリスト教はそれらの問題を真っ向から取り組もうとはせず、回

避しようとしているという構図が見える

4 結 び

この劇の主人公 CORNELIA は、確かに、ローマ時代の多神教を連想させる

一方で、彼女自身、Huguenot Society に入る資格があると言っている。Huguenot

Society に入る資格とは、当然のことながら、彼女はプロテスタントのユグノー

派に属しているということである。そのため、厳密に言えば、彼女はプロテス

タントのユグノー派の流れをくむ家系に属していることになる(A Streetcar

Named Desire (1947)の主人公 BLANCHE も、やはり、ユグノー派に属していた

金持ちの娘であったが、没落した家の娘であった)。ユグノー派は、神学者 John

Calvin が指導者となって、十六世紀から十七世紀にかけてのフランスに興った

プロテスタントであったが、カソリックの多いフランスでは、少数派であり、

迫害を受けたため、彼らは、やがて、自由を求めて、アメリカへ移住してきた。

CORNELIA は彼らを先祖に持つ家系に生まれたと想像できる。そのことは、ま

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Tennessee Williams の Something Unspoken

-33-

た、CORNELIA は、最初から、異教である多神教の世界に育ったのではなく、

プロテスタントの世界に育ったことになる。そのため、彼女が表している多神

教の世界は、ユグノー派の世界と比べると、彼女自身が、より後年になって、

身につけた世界であるということになる。これらのことから、彼女の中では、

多神教がキリスト教を押さえ込んで、その上に多神教が居座っている形になっ

ているのか、それとも、多神教とキリスト教が、仲良くとまでは言わないまで

も、相手の世界を認めながらも、共存しているのか、それとも、多神教がキリ

スト教を駆逐して、多神教のみが存在しているのか、そのいずれかになると思

われる。いずれの場合においても、彼女の中においては、キリスト教は支配的

ではないことになる。

そのような状況に置かれている彼女が、明らかに、キリスト教の世界のみを

表している GRACE と、積極的に、レスビアン関係を持とうとしていることは、

いったい、何を意味しているのだろうか。南部の旧家で生まれ育った

CORNELIA が、アメリカの他の地域と比べても、極めてキリスト教的色彩が強

く、保守的であると言われている深南部の中で、多神教を表しているというこ

とは、多神教の世界が南部の堅固であったキリスト教の世界にくさびを打ち込

み、そこに根付き始めていることを暗示しているのだろうか。また、その

CORNELIAがキリスト教を表しているGRACE とレスビアンの関係を求めると

いうことは、CORNELIA の多神教と GRACE のキリスト教の融合を暗示してい

るのであろうか。この劇が書かれた 1950 年代になると、キリスト教は、GRACE

に関する描写の中にも見られるように、彼女が「少し白髪が混じったブロンド

の髪、活気のない目、ピンクのシルクのドレッシング・ガウンに身を包んだ、

痩せた身体」になり、“an insubstantial quality”、「弱々しい(実質のない)特徴」を

持つようになってしまったように、キリスト教自体も、GRACE のような身体

的特徴を持つようになり、もはや、人々に生きるための十分なる生命力を与え

る力を失ってしまったのだろうか。そのような状況の中で、キリスト教が生き

残るためには、多神教との融合が必要であるという意味で、CORNELIA と

GRACE のレスビアン関係が暗示されているのだろうか。それとも、それほど

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落 合 和 昭

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一般的に考える必要はなく、Williams が、個人的に、キリスト教の世界だけで

は、息苦しく、閉塞感を感じているので、新たなる多神教の力を求めているの

であろうか。劇の中では、CORNELIA は GRACE に積極的に近づこうとしてい

るが、GRACE は、むしろ、彼女から離れようとしている。これは多神教がキ

リスト教との共存を望んでいるが、キリスト教が多神教との共存を頑なに拒ん

でいることを暗示しているのだろうか。

この劇は、一幕劇という短い劇の形をとっているが、「筋」と「登場人物」の

関係はかなり複雑である。まず、CORNELIA と GRACE は、外見上、それぞれ、

多神教とキリスト教を象徴している。しかし、多神教の象徴であるはずの

CORNELIA は南部の名家の家系に属しているだけではなく、キリスト教プロテ

スタントのユグノー派にも属している。そのため、彼女においては、キリスト

教と多神教が、すでに、共存しているように感じられる。その二人の間で、レ

スビアン関係が暗示されているが、CORNELIA はレスビアン関係に積極的であ

るが、GRACE はその関係に極めて消極的であり、その関係から逃れようとし

ている。その CORNELIA は、南部社会において、社会的な力を失いつつあり、

彼女は新しい人に取って代わられようとしている。彼女が属している南部の旧

家や古い秩序が、しだいに、その影響力を失っている現実が見えてくる。ここ

には、キリスト教と多神教、南部の古い秩序、道徳の衰退、新しい波の到来が

複雑に絡まっている。しかし、そのような中で、はっきりしていることは、こ

のような状況にいる二人にとっては、生きていく上では、お互いが必要な存在

なのである。それが証拠には、二人は、十五年の長きにわたって、同じ屋根の

下で、主人と私設秘書として、生活している。おそらくは、この劇で描かれて

いる「時間」の後、すなわち、これから先ずっと、二人は、今までと同じよう

に、生活していくと思われるからである。相容れない者どうしが、お互いの必

要性のため、同じ屋根の下で、生活を続けている。

このような新しい波が押し寄せている状況の中で、GRACE の言動は、

Williams の目に映った、当時のキリスト教の現状を表しているのではないだろ

うか。劇の最後に、CORNELIA は、彼女が「理事」に選ばれなかったので、た

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Tennessee Williams の Something Unspoken

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だちに辞表を書くと言ったとき、GRACE は鉛筆とノートを取りに行くために、

部屋を出て行くが、そのときの彼女の様子について、Williams は、劇の最後の

「ト書き」の中で、

...and a slight, equivocal smile appears momentarily on her (GRACE) face; not

quite malicious but not really sympathetic. (p296)

(下線は筆者)

と書いている。「理事」に選ばれなかったのは、CORNELIA にとっては、不幸

であるにもかかわらず、GRACE をそのことを聞いたとき、ほんの短い時間で

あるが、顔にわずかに意味不明の笑いを浮かべる。それは悪意に満ちた笑いで

はないが、真に同情的な笑いでもない。この笑いこそ、Williams の目に映った

キリスト教の姿ではなかったか。

彼は、1972 年 4 月 29 日付けの Saturday Review (2) に掲載された、Jim Gaines

とのインタヴューの中で、

“...Of the short plays, I think I like best ‘The Unsatisfactory Super’,

‘Something Unspoken’, ‘Auto-Dafe’, and ‘27 wagons Full of Cotton’”

(下線は筆者、点線部分は省略部分)

と答えているので、彼にとっては、記憶に残っている一幕劇の一つであるに違

いない。それは、おそらく、彼にとって、最も根本的なことを描いた一幕劇で

あると感じたのであろう。

Williams は、「ト書き」では、劇の「場所」を明確に設定はしていないが、

CORNELIA の「台詞」の中で、

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落 合 和 昭

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CORNELIA: My dear Grace, There are two chapters of Confederate Daughters in

the city of Meridian…

(下線は筆者)

と書いているように、彼は二人の女性のレスビアン関係を暗示する、この劇の

舞台をアメリカ深南部の Meridian に設定している。Meridian は Alabama 州との

州境に近い Mississippi 州にあり、やはり、Alabama 州との州境に近い Mississippi

州ある、Williams の生まれ故郷 Columbus から、距離にして、四十五キロほどし

か離れていない場所である。彼の生まれ故郷に近い町がこの劇の「場所」であ

る。彼は南部における新しい波を肌で感じつつあったのかもしれない。それも

そのはずである。当時の公民権運動の新しい指導者、Martin Luther King 牧師

(1929-1968)が Montgomery Bus Boycott に勝利したのが、この一幕劇の初演と同

じ 1955 年であった。

おわり

テキストは

The Theartre of Tennessee Williams Volume 6 Something Unspoken (p275-298)

A New Directions Book 1981

を用いた。引用文の末尾のページ数はすべてこのテキストによる。さらに、

Tennessee Williams: Plays 1937-1955 Something Unspoken (p858-p872) The

Library of America 2000

も参考にした。

Page 27: Tennessee Williams のSomething Unspokenrepo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28987/spffl064...落 合 和 昭 -12- “something”が使われているが、Williams は、この劇以外にも、“something”を

Tennessee Williams の Something Unspoken

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1.Williams は、アイオワ大学時代に、The Fugitive Kind という「題名」の劇を

書き上げている。この劇は、1937 年の 11 月 13 日と 12 月 4 日に、The

Mummers によって、Wednesday Club で上演された。そのため、少し紛らわ

しいが、映画の The Fugitive Kind は劇 The Fugitive Kind の映画化ではなく、

あくまで、Orpheus Descending の映画化したときにつけた「題名」であり、

映画の The Fugitive Kind と劇の The Fugitive Kind とは直接的な関係はない。

ということは、じっさいは、彼はこの劇の「題名」と同じ「題名」を、いわ

ば、復活させる形で、二十三年後の 1960 年に、Orpheus Descending の映画

化したときにつけている。彼は Orpheus Descending を映画化したとき、別の

「題名」をつけようと思えば、いくらでもつけられたはずである。それにも

かかわらず、何故、わざわざ、以前に書いた劇の「題名」を、たとえ映画の

「題名」にせよ、再び、「題名」として用いたのであろうか。

2.Conversations with Tennessee Williams Edited by Albert J. Devlin University Press

Mississippi Jackson and London 1986 A Talk about Life and Style with Tennessee

Williams (p213-p223)

参考文献

1.Critical Companion to Tennessee Williams: A Library Reference to His Life and

Work by Greta Heintzelman and Alycia Smith/Howard Facts On File, Inc. New

York 2005

2.The Tennessee Williams Encyclopedia by edited by Philip C. Kolin Greenwood

Press Connecticut, USA 2004

3.The Kindness of Strangers: The Life of Tennessee Williams by Donald Spoto Little,

Brown and Company Boston Toronto 1985 Chapter 6 The Noon-Day Devil

(1948-1957) p183-216

4.A Dictionary of American History by Thomas L. Purvis Blackwell 1995