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NEU-JICA 共同研究ディスカッション・ペーパー アジア通貨危機後のタイ鉄鋼業 ―企業再建・企業間分業・貿易問題― 2003 7 川端 望

NEU-JICA 共同研究ディスカッション・ペーパーkawabata/paper/thaisteel.pdfⅠ タイ鉄鋼業調査の背景と目的 筆者は、2003 年3 月16 日から22 日まで、タイにおける鉄鋼業・需要産業に関する実態

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NEU-JICA 共同研究ディスカッション・ペーパー

アジア通貨危機後のタイ鉄鋼業

―企業再建・企業間分業・貿易問題―

2003 年 7 月 川端 望

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要約 ......................................................................................................................................................4

Ⅰ タイ鉄鋼業調査の背景と目的 ..................................................................................................5

1 NEU-JICA 共同研究の考え方 ................................................................................................5 2 途上国鉄鋼業建設の三つの方式 ...........................................................................................6

Ⅱ タイ鉄鋼業の概観 ......................................................................................................................8

1 鉄鋼業育成政策の経過 ...........................................................................................................8 2 生産構造 ...................................................................................................................................9

Ⅲ 過剰生産能力と財務問題 ........................................................................................................10

Ⅳ 薄板生産における垂直的リンケージと企業間分業 ............................................................12

1 垂直的リンケージの意味 .....................................................................................................12 2 企業間分業の実態 .................................................................................................................13

Ⅴ 鉄鋼貿易問題 ............................................................................................................................16

1 タイ鉄鋼業に対する保護政策 .............................................................................................16 2 再圧延用ホットコイルに対するアンチ・ダンピング課税問題 .....................................17

Ⅵ 途上国鉄鋼業発展への教訓 ....................................................................................................19

1 自由化のタイミング .............................................................................................................20 2 薄板ミル建設の課題 .............................................................................................................20

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要約

タイ政府は鉄鋼業の建設にあたって、外資とローカル資本を動員しつつ、参入制限を

徐々に解除することによって、川下工程から徐々に、国内市場規模の拡大にみあった規模

の生産能力を構築していこうとした。このような方式は、グローバリゼーション下の途上

国鉄鋼業建設にとって注目すべき先例である。

しかし、アジア通貨危機後、タイ鉄鋼業は財務問題を抱えた企業の再建、工程間のコー

ディネーション、安価な輸入品との競争という課題に直面することになった。

ローカルの鉄鋼メーカーは、過剰能力と不良債務を抱えている。政府による不良債権の

買い取りを含めた企業再建策が進められているが、いまだに再建は完了していない。投資

ブーム期に参入を自由化したことが過剰能力を招き、それがアジア通貨危機によって暴露

されてしまったのである。

鉄鋼業の発展にとって戦略的な意味を持つ薄板類市場は、要求される品質に応じて高級

品・中級品・低級品の3つの階層に分かれている。薄板類は完成するまでに何度かの加工

段階を経るが、階層ごとに材料・生産技術・市場の間の垂直的リンケージが存在する。そ

して、高級品のリンケージはもっぱら外資系企業によって担われており、ローカル企業が

担うのは中級品・低級品のリンケージに限られるという階層的分業が成立している。タイ

政府は、ローカル熱延メーカーをアンチ・ダンピング課税によって保護しようとしている

が、再圧延用ホットコイル輸入を制限すれば高級品の垂直的リンケージが寸断されてしま

う。

タイ鉄鋼業の発展過程と現状は、ベトナムを含む途上国鉄鋼業が、グローバリゼーショ

ンの下で発展する上での教訓を示している。それはタイミングの悪い自由化は過剰能力と

財務問題を招いてしまうということと、薄板類生産に参入するに際して一定の戦略と政策

が必要だということである。

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Ⅰ タイ鉄鋼業調査の背景と目的

筆者は、2003 年 3 月 16 日から 22 日まで、タイにおける鉄鋼業・需要産業に関する実態

調査を行った。この調査は、国際協力事業団(JICA)とベトナムの国民経済大学(NEU)

との間で行われている、「グローバル化時代の工業化戦略」に関する共同研究(以下

NEU-JICA 共同研究)の一環であった。調査には、東北大学大学院経済学研究科前期課程 1

年(当時)の三嶋恒平が同行した。本稿は、この実態調査結果をもとにタイ鉄鋼業の現状

と課題を考察し、そこから途上国鉄鋼業建設のための教訓を引き出そうとするものである。

1 NEU-JICA共同研究の考え方

NEU-JICA 共同研究が、日本政府による対外知的支援として行われていることには、い

くつかの政策的意味がある1。

まず、グローバル化時代の工業化戦略が、それ以前とは異なるものになるであろうとい

う含意である。日本や韓国が工業化した際には、政府は、当初国内産業を国際競争から遮

断して保護し、生産性や品質の向上を図ってから対外競争にさらすという「幼稚産業保護政

策」をとることができた。しかし、現在の途上国は、早期の対外開放を要求されていること、

自国の産業基盤が脆弱であることが多いことにより、このような政策をとる余地が限られ

ている。むしろ、対外開放と外資誘致を基調として、先進国の技術や経営ノウハウを取り

入れた生産拠点を構築し、これを多国籍企業が繰り広げる生産ネットワークに参加させる

ことが成長への道であろう。この過程を促進するための、具体的な政策体系が必要とされ

ているのである。

次に、グローバル化時代においても工業化戦略は重要だという含意である。財・サービ

ス・資本市場の統合という意味でのグローバリゼーションに対して、多くの途上国は積極

的にであれ、消極的にであれ、これを受容し、これに適応する姿勢をとっている。その際、

開発援助界に強い影響力を持つ主流派経済学は、基本的に次のように考える。「途上国で

は市場経済の活力が人為的な国家統制によって抑圧されているのだから、経済自由化と対

外開放によって市場経済の活力を開放すればよいのであり、それによって外資誘致と工業

化も達成できる」。しかし、このような主張は一面的である。途上国においては、市場経

済は政府介入によって抑圧されているだけではなく、歴史的な、各社会に独特の困難によ

っても発達を妨げられているのである。各社会の特性に応じて、企業家精神、契約を尊重

する習慣、市場情報の普及システム、長期的視野を促進する取引形態、これらに関わる諸

制度を構築し、市場経済そのものを育成することが必要である。対外開放と外資誘致を基

調とする工業化においても、自由化の順序と速度の調整、外的ショックの緩和、ローカル

1 この項の内容については、大野[2003a][2003b]を参照。

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企業を外資の生産・貿易ネットワークに参加させるための支援など、政府がなすべき事は

多い。また、鉄鋼業を含む資本集約型産業のように、当初ある程度の保護が必要とされる

産業をどう取り扱うかという問題も、依然として存在する。

さらに、グローバル化時代の工業化戦略を、日本が知的支援として推進することには独

特の意味がある。東アジア NIEs、続いてアセアン諸国は、貿易・投資を媒介とし、先進国

を主たる市場とする、明確な序列と構造をもった国際分業ネットワークに参画し、これを

拡大・進化させながら工業化を進めてきた。このネットワークの中では個別産業ごとに成

熟とキャッチアップのダイナミズムが作用し、そのダイナミズムが国単位では産業構造の

高度化をもたらした。この構造転換連鎖は、途上国支援のあり方、また日本経済の今後の

あり方を考える一つの焦点であり、重大な政策課題なのである。

2 途上国鉄鋼業建設の三つの方式

NEU-JICA 共同研究における筆者の担当は鉄鋼業である。今回、タイを調査対象に選択

した理由は、タイ鉄鋼業の発展過程が、グローバル化時代の鉄鋼業育成の一つの先例を示

していると考えたからである。このことを明らかにするために、途上国鉄鋼業の建設につ

いて一般的な事項を述べておく。

鉄鋼業の製造工程を図表1に記す。主要な工程は製銑・製鋼・圧延(または製管)であ

る。圧延後にめっきが施される場合もある。これらの工程は垂直的に連続しており、製銑・

製鋼・圧延工程のすべてを持つ事業所を銑鋼一貫製鉄所という。企業の場合は銑鋼一貫メ

ーカー、あるいは高炉メーカーという。ただし、製銑工程を高炉ではなく還元鉄製造工場

で行う場合もある。事業所の主要なタイプとしては、ほかに製鋼工程・圧延工程を持つ電

炉・圧延ミルと、圧延工程のみを持つ圧延ミルがある。

鉄鋼業は資本集約的な産業である。銑鋼一貫製鉄所の場合は、建設に 50-70 億ドルを要

する。規模の経済の作用が大きく、最小効率規模は 300 万トン/年と言われている。他の

事業所タイプの場合、電炉・圧延は 50 万トン/年、条鋼圧延が 20 万トン/年、冷間薄板

圧延が 20 万トン/年、熱間薄板圧延が 60 万トン/年と言われている。ただし、市場条件

や賃金水準にも左右されるので、途上国ではいくらか小さくなる可能性がある。ここでの

ポイントは、一貫製鉄所と電炉・圧延ミルのそれぞれについて、川上へ行くほど最小効率規

模が大きく、資本集約的になることである。また、電力、水道、港湾・物流などの必要なイ

ンフラストラクチュアも大規模となる傾向がある。

このことから、途上国において鉄鋼業を育成する場合には、労働集約的産業とは異なる

困難に直面する。それは、大規模な資金調達と長期にわたる建設プロジェクトへの固定、

インフラストラクチュアの整備、大型プロジェクトを遂行する技術的能力や管理能力の必

要性など様々である。さらに、経験的に言えば、鉄鋼業において早くから輸出競争力を持

つことは容易ではなく、多くの場合は国内市場向け産業となることが困難を倍加させる。

途上国の小さな国内市場に対して最小効率規模の大きい設備で供給するため、需給見通し

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を誤ってプロジェクトが頓挫したり、低稼働率に追い込まれたりすることも少なくないの

である。

こうした困難があるために、途上国の鉄鋼業は、ほとんどの場合、最終需要家に近い二

次加工・圧延部門から、それも必要資金と最小効率規模の小さい建設用条鋼の分野から開

始される。しかし、一定程度の市場と生産の拡大後に分岐点があり、開発方式が幾通りか

にわかれる。この分岐点は定量的には定めがたいが、定性的には次のように言うことがで

きる2。建設用条鋼はある程度まで電炉・圧延ミルの建設によってまかなうことができるが、

自動車・電機製品・船舶などに使用する鋼板類を一貫生産するには銑鋼一貫製鉄所が必要

である。これら鋼板類の需要が伸び、鋼板用の冷延ミル、熱延ミルの建設が課題となる時

点、あるいはそうした事態が予想される時点が分岐点であると考えられる。

この時点での選択肢の一つは、川上、すなわち製銑・製鋼工程から一貫製鉄所を建設し、

一挙に大量生産を確立する方式である。この場合、巨額の資金、長い建設期間、大規模な

インフラストラクチュアの必要性が大きなリスクとなるため、国有企業による建設を含む、

政府の大規模な保護育成政策が見られることが多い。この方式の成功例としては韓国の

POSCO、中国の宝山製鉄などがしばしばあげられる。しかし、建設が途中で頓挫したり、

稼動後も競争力を得られなかったり、長期間政府の補助を必要としたりする例もインドの

Vizag、ブラジルの Açominas などに見られる3。そして、国際競争が激化し、途上国が急速

な自由化を迫られ、輸出志向産業の振興を優先せざるを得ない今日では、途上国が鉄鋼業

に対してこの方式をとる余地は限られている。

途上国が相対的に採りやすいもう一つの方式は、需要の拡大に応じて単圧の冷延ミル、

熱延ミルを建設していくことである。この場合、資金、建設期間などのリスクは川上から

の建設に比べて小さく、民間企業が担いやすいものとなる。それによって、市場動向や採

算性に応じたフレキシブルな投資を行うことも可能となる。しかし、かつては半製品調達

の問題があり、この方式が本格的に追求された事例はあまりなかった。熱延ミルを建設し

た段階でスラブ半製品の輸入が必要になるが、先進国や中進国が一貫製鉄所による鉄鋼業

建設を行ってきたため、国際商品としてのスラブ貿易が確立しておらず、安定した供給を

確保しにくかったのである。しかし、近年、スラブ貿易が拡大したため、この方式の可能

性も開けてきている。この他、工程毎に投資が行われるため、垂直的に多段階をなす工程

が適切にコーディネートされにくいことも、この方式の問題である。

第三の折衷的な方式として、新技術である電炉・薄板ミルを用いて製鋼工程を確立する

方法がある。1980 年代に、電炉鋼からスラブを製造してコンパクトな熱延ミルでホットコ

2 戸田[1984]第7章を参考に著者の考察をつけ加えた。なお、同書によれば、1980 年代初頭ま

では、途上国において粗鋼消費量が 100 万トン程度、資源保有国においては 50 万トン程度に達

した時点で一貫製鉄所建設が計画されたとのことである。今日では、この数値はより大きくな

っていると考えられる。 3 POSCO、Vizag、Açominas について D’Costa[1999]、宝山について王[1996]を参照。未公刊だ

が杉本[1998]もある。

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イルを製造する技術が実用化された。この技術によって、300 万トンクラスの高炉・転炉

を建設せずに、100万トン規模で製鋼・薄板圧延を建設することが可能になったのである4。

ただし、電炉鋼はスクラップを原料とするため、高品質のスラブやホットコイルをつくり

にくいという問題がある。このため、直接還元鉄工場を併設して、純度の高い鉄源を確保

しようとする動きもある。直接還元鉄工場は最小効率規模が 100 万トン程度なので、高炉

よりは安く、電炉工場とマッチングさせながら建設できるのである。これらの方式は、メ

キシコ、インドネシア、マレーシアなどで追求されている5。

タイ鉄鋼業は、以下で見るように、民間企業と外資企業が主体となって、三つの方式す

べてを試みたが、結果としては第二の方式が中心で、第三の方式も一部実現している例で

ある。その達成と問題点を明らかにすることは、ベトナムを含む途上国の鉄鋼業建設に重

要な教訓となるだろう。

Ⅱ タイ鉄鋼業の概観

1 鉄鋼業育成政策の経過

タイ鉄鋼業は、民間資本や外資との合弁企業によって担われてきた歴史を持つが、1980

年代までは輸入代替をめざす政府の保護政策のもとにあった。結果として、電炉・圧延ミ

ル、条鋼圧延ミル、製管メーカー、鋼板の表面処理メーカーは生まれたが、いずれの企業

も小規模であり、高炉・転炉や鋼板圧延ミルは生まれなかった6。1988 年以後、タイ政府

の政策は二つの段階を経ながら転換した7。まず鋼板事業について、政府は1社のみに独占

的な事業運営権を与える方式をとった。このときに認可を得たのが有力財閥の Sahaviriya

グループであり、同グループが出資する熱延ミルである Sahaviriya Steel Industries(SSI)が

1994 年に操業を開始した。その後、投資委員会(BOI)は熱延薄板事業への新規参入を認

めることを決定した。これに応じて、Nakornthai Strip Mill(NSM)と Siam Strip Mill(SSM)

が参入した。他の鋼板分野でも徐々に参入制限が緩和され、厚板はローカル資本による2

社、冷延薄板は Sahaviriya グループと NKK(現 JFE)などとの合弁企業である Thai Cold

Rolled Steel Sheet(TCRSS)、Siam Cement グループと新日本製鐵(新日鉄)・川崎製鉄(現

JFE)・POSCO などとの合弁企業である The Siam United Steel(1995)(SUS)がまず認可され、

4 電炉・スラブ連鋳機によるホットコイル生産の様々な方式については Hogan[1994]、Aylen[2001]を参照。 5 メキシコの Sicartsa II(現 Ispat Mexicana)については、中岡[1991]を、インドネシアの Krakatau Steel については川端[1997]を参照。 6 タイ鉄鋼業の 1960 年代末の状態について戸田[1970]、1980 年代末の状態について西川[1989]を参照。 7 タイ政府の政策の変遷については、東[1996][1997]を参照。NSM、SSM の設備構成について

は Aylen[2001]を参照。

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さらにその後オーストラリア資本の BHP Steel(Thailand)、Siam Steel Pip(SSP)グループが出

資した Siam Integrated Cold-Rolled Steel(SICOS)が設立された。外資を動員しつつ、川下工

程から徐々に、国内市場規模の拡大にみあった規模の生産能力を構築していったこと、参

入制限を徐々に解除していったことは、グローバル化時代の途上国鉄鋼業のあり方として

注目される。

そしてアジア通貨危機直前には、鋼板の生産体制について、前述の三つの方式すべてが

試みられていた。まず、SSM と SICOS を設立した SSP グループは、電炉・薄スラブ連続

鋳造方式による製鋼工程も併設し、さらに清浄度の高い鉄源を確保するために、別の企業

が計画した銑鉄年産 350 万トンの条鋼用銑鋼一貫製鉄所プロジェクトに出資した。次に、

SSI はスラブを輸入によって全量調達する前提で熱延ミルを本格稼働させた。そして、NSM

は製鋼工程を電炉・中厚スラブ連鋳方式で併設した上で、年産 50 万トンの直接還元鉄工場

を自ら設置して鉄源を確保しようとしたのである8。

しかし、1997 年に勃発した通貨危機は、発展しつつあったタイ鉄鋼業に深刻な打撃を与

えた。銑鋼一貫製鉄所と直接還元鉄工場のプロジェクトは中止された。詳しくは後述する

が、ローカルの熱延ミルや電炉・条鋼ミルは稼働率が急落して経営危機に陥った。需要が

回復してくると、今度は輸入品との競合が問題となり、輸入課徴金、アンチ・ダンピング

課税などが実施された。

2 生産構造

タイ経済は、アジア通貨危機の打撃からようやく立ち直り、再び成長軌道を歩もうとし

ているかのように見える。経済成長率と粗鋼に換算した鉄鋼需要を図表 2、3 に記す。GDP

は 1999 年以後プラス成長に復帰し、その後は図示されていない 2002 年推計も含めて 4-6%

成長で推移している。ただし、建設業、金融・保険・不動産業に関しては、2001 年によう

やくプラス成長に復帰したところであり、生産額は通貨危機以前の水準をはるかに下回っ

たままである。鉄鋼需要は経済成長率よりも大きな振幅を見せており、いまだに通貨危機

以前の水準には回復していないが、インドネシアやフィリピンに比べると順調に回復して

いる。

タイ鉄鋼業の生産能力と生産高を、工程別・製品別にみたものが図表 4 である。ここか

ら読み取れる第一の特徴は、川下である圧延部門の能力が大きく、川上である製銑・製鋼

部門のそれが小さいことである。歩留まりを先進国並みに 96.5%と仮定すると、熱間圧延

能力 1365 万トン/年がフル稼働するためには、1415 万トンの半製品、あるいは半製品に

なるべき粗鋼が必要である。これに対して粗鋼生産能力が 680 万トン/年に過ぎないので

あるから、フル稼働時には 735 万トンの半製品が輸入されねばならない。粗鋼生産はすべ

て電炉でおこなわれているが、主原料はスクラップである。これは建設用条鋼生産におい

てはまったく問題がないが、鋼板生産にあたっては品質面から問題である。 8 通貨危機以前のタイ鉄鋼業の状態については、鈴木[1997]、川端[1997]を参照。

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第二の特徴は、稼働率が冷間圧延、ステンレス圧延、ブリキ・ティンフリー鋼板製造、

その他表面処理鋼板製造の各工程については高いが、他の工程については非常に低いとい

うことである。稼働率が低い工程は、厚板圧延を除けば建設向け鋼材の比重が大きい工程

である。通貨危機以前に需要を過大に見込んだ設備投資が行われたこと、特に建設業の回

復の遅れが鋼材生産の低迷を招いていることを表している。

タイ鉄鋼メーカーが通貨危機後に抱えた課題は、大きくは三つに分かれる。

第一に、経営危機に陥った企業の再建であり、具体的には過剰生産能力と財務問題であ

る。多くの電炉・圧延ミルや熱延ミルは経営再建中であり、外資系企業についても、通貨

危機後には財務問題が生じた。またタイ鉄鋼市場の見通しは明るくなってきたものの、電

炉や条鋼圧延ミルに見られるような 30%台の稼働率を引き上げることは容易ではない。企

業再建の過程で一定の設備淘汰が不可避であろう。

第二に、各工程のコーディネーションである。タイ鉄鋼業は川下から民間企業によって

工程ごとに建設され、しかも一貫体制確立の試みが挫折したため、各企業は原料・母材の

安定した調達をどう確保し、どのような市場に供給するかという問題に常に直面している。

第三に、安値で輸入される製品との競争である。しかし、その様相は複雑である。とい

うのは、ローカル企業が保護措置を求めており、それに応じてとられる貿易政策が経済的

に望ましい結果をもたらしているのかどうか、疑問の余地があるからである。

以下、それぞれの課題について検討していこう。

Ⅲ 過剰生産能力と財務問題

前述したように、アジア通貨危機によってタイ鉄鋼業の抱える過剰生産能力が暴露され

た。より具体的に見ると、稼働率の低迷に苦しんでいる企業は二つのグループに分かれて

いる。一つは、建設用の条鋼生産セクターのメーカーである。このグループはローカル資

本主体であり、世界の多くの国々でそうであるように、比較的小規模の企業が多い。タイ

経済全体の回復基調の中でも建設需要はまったく取り残されているため、いまだに需要の

低迷に苦しんでいる。もう一つは、鋼板生産セクターのメーカーであり、具体的には NSM、

SSM、SICOS である。NSM と SSM は、いずれも電炉・スラブ連鋳機と熱延ミルを完成さ

せて稼働したが、通貨危機後に財務危機に陥り、事実上の倒産状態で再建を模索中である。

SSM は稼働率 50%強で稼働しているが、NSM は 2003 年 3 月現在では停止したままである9。また SICOS は冷間圧延機を設置はしたものの、稼働以前に経営危機に陥った。

なお、日系企業が資本参加している冷延ミル 2 社も通貨危機後に稼働率の低迷と財務危

機に見舞われた10。しかし、両社とも日本メーカーを中心として増資を行うことで財務問

題を解決した。現在、SUS は新日鉄が 36.33%で最大株主となり、JFE、POSCO を含む外

資合計で 80.5%の出資比率を占めている。また TCRSS は JFE が 38.4%、外資合計で 80.4%

9 新日鉄バンコク事務所でのインタビューによる。 10 この段落の情報は、TCRSS、SUS におけるインタビューによる。

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を占めている。いずれも、日系高炉メーカーが最大株主となって経営をリードすることに

なったわけである。また一部製品を輸出にまわしたことと、国内需要が次第に回復したこ

とにより、一時低迷した稼働率も 2002 年には SUS は 70%強、TCRSS は 87%となっている。

外資系親会社の支援と輸出競争力があったことが、ローカル企業との違いであった。

2002 年 10 月現在の報道によれば、タイ鉄鋼業が抱える総負債は 3000 億バーツであり、

そのうち 1500 億バーツが不良債務となっている。さらにそのうち 800 億バーツは、タイ資

産管理公社(TAMC)の管理下に入っている11。

企業再建のために、財務と事業の両面からリストラクチャリングが試みられている。財

務面での方策は、減資およびデット・エクイティ・スワップである。事業面での方策は、

合併・買収を通して優良な設備を統合し、不採算設備を整理することである。

鉄鋼メーカーの再建では、三つの事例に注目が集まっている。

一つは、2002 年 6 月の Millennium Steel 設立である12。同社は持株会社であり、従来

Cementhai Holdings Co.の傘下にあった 2 社と NTS Steel の合計 3 社を傘下におさめること

になる。電炉・条鋼圧延ミルを持ち、丸棒、異形棒鋼、線材、小型形鋼といった条鋼類 170

万トンの生産能力を保有する。合併後の減資、デット・エクイティ・スワップ、ワラント

債の新規発行によって、バランスシートが再建され、同社は 12 月にはタイ証券取引所への

上場を果たした。しかし、建設需要が回復しない限り、条鋼部門の過剰設備は容易に解消

しそうにない。

二つ目は、NSM の再建および SICOS との合併であり、2003 年 5 月末か 6 月初めに合併

契約が締結された13。両社とも債務の多くが TAMC に移管されており、再建は TAMC の監

督下で行われる。NSM の債務はデット・エクイティ・スワップで整理される。さらに NSM

が発行する新株を TAMC が引き受け、そこから得た資金で NSM が SICOS の設備を購入す

る。これによってSICOSの債務が整理されるというしくみである。しかし、TAMCのSomjate

Moosirilert 総裁によれば、NSM は設備の再稼働資金と運転資金として 8500 万ドルを必要

としており、その調達のめどはまだついていない。

三つ目は、SSM の再建である14。この案件をめぐっては、日本とタイの債権者が鋭く対

立している。同社の再建が始まった 2001 年 11 月には、管財人は同社の債務を 260 億バー

ツと見積もっていた。その 80%は伊藤忠商事、住友商事、シティバンク東京支店が保有し

ていた。ところが 2002 年 8 月、Siam Power Generation Co.(Sipco)が 350 億バーツの債権者

として追加された。同社が 1997 年に SSM に電力を販売するための発電所建設を計画した

11 Bangkok Post, October 12, 2002. TAMC は、金融機関の不良債権処理、貸し渋りの解消、国お

よび国民の最小化を目的とし、中央銀行の金融機関再建開発基金(FIDF)の全額出資によって

2001 年に設置された。銀行から不良債権の譲度を受け、債務を再構成している。詳しくは東

[2002]を参照。 12 Bangkok Post, July 9, August 9, 2002、新日鉄バンコク事務所におけるインタビューによる。 13 この合併については、Bangkok Post, June 9, 2003 による。 14 SSM の再建をめぐる問題については Bangkok Post, June 3, 6, 9, 18, 19, 2003 を参照。

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が、SSM が経営破綻したため、燃料ガスの購入だけを履行せざるを得なくなり、損害を蒙

ったということであった。これによって Sipco が 58%の債権を保有することとなり、SSM

の再建プランは Sipco の主張する内容で決定された。日系 3 社は Sipco の債権が他の債権

と同等に扱われることは不適当だと主張したが、中央破産裁判所は 2003 年 6 月に再建プラ

ンを承認した。日系 3 社とタイ産業金融公社(Industrial Finance Corp. of Thailand)、および国

税局は、タイ破産法の一部が憲法に違反していると主張して係争中である。日本側では大

使館や経済産業省も事態を重視しており、この件が日本政府関係者や投資家にタイの事業

環境を再考させるという証言も報道されている15。

このように、過剰能力と財務問題の処理は必ずしも円滑に進展しておらず、そのコスト

をめぐる紛争も生じている。筆者は法的な専門知識を持たないため、紛争化した件につい

ての判断をくだすことはできない。しかし、途上国鉄鋼業育成の見地から強調しておきた

いことは、自由化のタイミングがきわめて悪かったということである。1990 年代半ばの金

融自由化を伴う投資ブーム期に鉄鋼業への参入を自由化したことが過剰能力を招き、アジ

ア通貨危機によってこれが暴露されてしまった。その結果、企業再建の過程で、株主、債

権者、さらに納税者が再建のコストを負い、その比重について争わねばならなくなったの

である。

Ⅳ 薄板生産における垂直的リンケージと企業間分業

1 垂直的リンケージの意味

通常、途上国の鉄鋼市場は、建設需要が先行して拡大する。品種的には条鋼類が中心と

なり、これに亜鉛めっき鋼板、鋼管材料用熱延薄板などの一部鋼板類が加わる。工業化の

進展とともに、造船業からの厚板需要、自動車・電気製品などからの薄板需要が加わり、

鋼板類の市場が比重を増していく。輸入代替の可能性もこの順序に従って生じることが多

いが、多国籍企業の輸出拠点が形成された場合には、早い段階で薄板類の需要が伸びるこ

とになる。よって、条鋼類の輸入代替をある程度進展させた途上国鉄鋼業にとっては、鋼

板セクターの建設が次の重要なステップとなる。多国籍企業が自動車産業、家電産業の生

産拠点を構築しているタイにおいては、鋼板セクターの発達は重要な意味を持っているの

である。本稿は、このうち技術・市場が独自である厚板とステンレス鋼板類を除く、普通

鋼の薄板類市場について分析する。その際、材料から何度かの加工段階を経て製品に至る

までの生産プロセスと、これをめぐる分業構造を重視する。

タイには薄板の熱延工程以後の工程しか存在しないが、それでも熱延、冷延、めっき等

の表面処理という 3 段階の主要な工程が存在する。そして、外資を含む民間企業が工程ご

とに設備を建設していったため、工程間を同一企業が垂直統合しているケースが少ない。

言い換えると、工程間の中間製品の移動は、企業間取引という形態をとっている。このこ

15 Ibid., June 10, 19, 2003.

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とは、市場メカニズムによって取引が効率化される可能性を拓いていると同時に、コスト・

品質・納期の一貫管理という課題をも生じさせている。

ここで問題は、薄板において、一貫管理がどの程度の重要性をもっているかである。つ

まり、高級な製品をつくるためには、それに固有の生産技術と材料が加工の各段階で必要

となるかどうか、また工程間で細かな調整をしながら品質を作り込むことが必要かどうか、

ということである。もしこの答えがイエスであれば、高級品について、材料・各段階の加

工・製品がタイトな関係を持ち、工程に即してみれば垂直的リンケージをなすことになる。

各工程で、高い水準の生産設備が必要であり、さらに各段階を貫く一貫管理がなければ需

要家のニーズに応えられないことになる。逆にこの答えがノーであれば、工程間で特別の

調整をしなくとも、各工程で内外の規格を満たす材料を、一定の水準をもった設備で規格

を満たすように加工しさえすれば、需要家のニーズに応える製品ができることになる16。

このタイトな垂直的リンケージが存在するか、しないかによって、各工程を担う企業間

分業が異なってくると考えられる。途上国において、高級薄板類の需要家は機械・電機・

金属産業を担う多国籍企業の生産拠点であることが多い。先進国の鉄鋼メーカーは、そう

した需要家に供給する能力をもともと持っており、高級薄板類の供給は、ひとまず外資系

企業によって担われる可能性が高くなる。そして、もしも薄板類の生産においてタイトな

垂直的リンケージが存在すれば、ローカルの鉄鋼企業が高級品の市場に参入することは容

易ではなくなるだろう。しかし、もしも垂直的リンケージがルースであり、高級品といっ

ても細かな作り込みをした高級な母材が必ずしも必要とされないのであれば、ローカル企

業がそのリンケージの一部に参入することは相対的に容易となるだろう。

2 企業間分業の実態

今回の調査結果に基づいて、タイ薄板市場の垂直的リンケージと企業間分業を表示する

と図表 5 のようになる。いくらか説明を加えよう。

タイの薄板市場は要求される品質に応じて高級・中級・低級の3つの階層に分かれてい

る17。高級品の市場は、自動車のボディ用亜鉛めっき鋼板・冷延薄板、家電用冷延薄板、

事務機器・オーディオ機器用電気亜鉛めっき鋼板、食缶用ブリキ・ティンフリー鋼板など

からなる。これらの他にも発電機・モーター用の電磁鋼板などがあるが、全量を輸入に依

存しているので図示していない。中級品の市場は、オートバイ部品用の冷延薄板、屋根材・

壁材用の亜鉛めっき鋼板・カラー鋼板、平坦度を要求される鋼製家具用の冷延薄板、ガス

16 藤本隆宏らが定式化しているビジネス・アーキテクチャという見地から言えば、高級な薄板

類は「モジュラー型」ではなく「インテグラル型」の生産工程を持つということになるだろう。

藤本は、自動車用冷延薄板などの高級鋼の製造工程をインテグラル的、建設用厚板やホットコ

イルなど汎用鋼の製造工程をモジュラー的とみなしている。藤本[2001]、9-10 ページ。 17 3層に属する用途については、各社でのインタビュー結果による。なお、これと同じ区分を

しているベトナムのケースについては川端[2003]を参照。

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シリンダー用熱延薄板、自動車構造材用熱延薄板などからなる。低級品の市場は、一般用

途向け鋼管加工用の熱延薄板、ガードレール用熱延薄板、オートバイ修理工場用冷延薄板、

さらに鋼製家具や建築材料のうち平坦度を要求しないものに用いられる熱延薄板・冷延薄

板など様々な市場からなる18。

まず、主要なローカルメーカーがどの部分を担っているかを見よう。薄板生産における

主要なローカルメーカーは、SSI、NSM、SSM であるが、このうち稼働しているのは SSI

と SSM である。SSM は自社製のスラブを用いているが、このスラブはスクラップを主原

料として電炉と中厚スラブ連続鋳造機によって製造される。SSI は、スラブを全量輸入し

て熱間圧延を行っている。同社は主としてイタリアから導入した標準的な生産設備を保有

しており、また現在では JFE の技術協力を受けている。

両社の主要な顧客は一般用途向け鋼管加工業者であり、これは低級品である(a2)19。特に

SSM のホットコイルは、品質上の問題から冷延メーカーには購入されないので、低級品へ

の依存度が高いと推測される20。品質問題が生じるのは、主原料がスクラップであるため、

スラブおよびホットコイルに不純物が多くなってしまうからである(a1→a2)。SSM も操業

停止中の NSM もこの事態は予想していたので、アジア通貨危機以前には鉄源確保のプロ

ジェクトに参加していたのであるが、これらが頓挫したため清浄度の高い鉄源を確保でき

ていない21。一方、SSI は冷延母材、ガスシリンダー、自動車構造材向けなどの中級品も供

給している(c2、e2、f2)22。同社は低級品のホットコイルにはロシア製やメキシコ製のスラ

ブを用いるが(b1→b2)、ロシア製のスラブは、製造時の操業条件が一定していないため品

質が悪く、圧延時に表面に泡が残ることがある23。そのため、冷延薄板の母材として SUS

や TCRSS に販売するホットコイルには、ブラジル製、オーストラリア製、日本製のスラ

ブを用いている(e1→e2、f1→f2)24。TCRSS、SUS ともコストダウンを期待して母材の現地

調達を模索しており、また TCRSS は SSI の親会社である Sahaviriya グループから 15.7%の

出資を受けていることもあって、SSI からの調達を増やしている。SSI からの調達比率は

SUS は 20%弱、TCRSS は約 40%である25。調達に際して、TCRSS の最大株主である JFE

は SSI に技術協力を行っており、SUS はスラブの調達先、成分、熱延の際の温度条件を指

18 鋼板の規格でいうコマーシャルグレードは、低級品と中級品にまたがっている。 19 括弧内の記号は、図表 5 に記した材料・製品の流れとの対応関係である。以下も同じである。 20 新日鉄バンコク事務所、TCRSS、SUS でのインタビューによる。 21 輸入した銑鉄か還元鉄でスクラップを希釈し、不純物の濃度を下げている可能性はある。

SSM ウェブサイトの工程図から判断。http://www.ssmp.co.th/SSMP/process.html (2003 年 7 月

3 日閲覧) 22 SSI でのインタビューと SSI パンフレットによる。 23 SSI でのインタビューによる。 24ホットコイルのまま中級品になる製品については、スラブ製造国を確認できていない(c1→c2)。 25 TCRSS、SUS でのインタビューによる。

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定している26。ただし、SUS、TCRSS の両社は、SSI 製のホットコイルから製造する冷延薄

板の用途を、中級・低級品を含む一般用途向けと中級品の亜鉛めっき原板に限定している

(e1→e2→e3、f1→f2→f3)。SSI 製ホットコイルは表面欠陥の存在など、品質に問題があり、

自動車の車体やブリキ原板などには使用できない27。また JFE が最大出資者の電気亜鉛め

っきメーカーである Thai Coated Steel Sheet(TCS)では、SSI 製ホットコイルを TCRSS で冷

延した材料も使用するが、この場合も、一般向けカラー鋼板などに用途を限定し(e1→e2→

e3→e4)、高度な表面仕上がりを要求されるパソコン、オーディオ機器向けとしては出荷し

ていない28。要するに、SSI 製ホットコイルとその加工品は、低級品と中級品に用途が限定

されるのである29。日本メーカーは、仮に SSI が日本製のスラブを用いて熱延を行ったと

しても自動車用鋼板の要求は満たせないと主張している30。

高級品の製造は外資系企業によって担われ、また材料の調達先も限定される。高級冷延

薄板の場合は、日本製か韓国製のホットコイルを輸入して TCRSS、SUS が圧延する(g1→

g2)。TCS が高級電気亜鉛めっき鋼板を製造する場合は、母材として TCRSS 製の高級冷延

薄板か日本製、韓国製の冷延薄板を使用する(h1→h2→h3)。日系ブリキ鋼板メーカーであ

る Siam Tinplate(STP)がブリキもしくはティンフリー鋼板を製造する場合は、母材として日

本製の冷延薄板か、日本製ホットコイルを SUS で冷延した薄板を使用する(h1→h2→h3、i1

→i2)。その多くは、ローモ板と呼ばれる特殊な冷延薄板である31。日系メーカーは、高級

品の製造には一貫した品質管理が必要であることを強調しており、例えばブリキめっき工

程を持つ STP は、新日鉄に対して製鋼、スラブ鋳造、ホットコイル圧延での作り込みを要

求している32。

まとめると、今回の調査で判明した限りでは、高級品の生産は日本製・韓国製の材料を

使用して外資系企業が行っており、中級品の生産はオーストラリア製・ブラジル製の材料

を使用してローカル企業と外資系企業が分業関係を組みながら行っている。低級品の生産

26 TCRSS、SUS でのインタビューによる。 27 TCRSS、SUS、STP でのインタビューによる。 28 TCS でのインタビューによる。 29 なお、今回の調査では BHP Steel(Thailand)の冷延工場が使用する母材の製造国や品質が不明

である。ただし製品のほうは、フルハード材と呼ばれる未焼鈍の冷延薄板であると判明してい

る。その主要な用途は亜鉛めっき原板だと判断できる。亜鉛めっき鋼板製造設備はめっき槽の

直前に焼鈍設備があるため、冷延薄板を未焼鈍のままにしておくのである。また同社の製品は

全て建設用であり、中級品が多いと推測できる。BHP Steel およびタイ鉄鋼連盟のウェブサイト

による。

http://www.bhpsteel.com/navajo/display.cfm/objectID.78FF7924-14EC-48AB-823DAEC2EAB4C370#1 http://www.isit.or.th/bhp/Index.asp (2003 年 6 月 30 日閲覧) 30 新日鉄バンコク事務所でのインタビューによる。 31 この段落は、SUS、TCRSS、TCS、STP でのインタビューによる。 32 TCRSS、STP でのインタビューによる。

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はロシア製やローカルの製鋼工場製の材料を使用してローカル企業が行っている。高級品

に関しては、個々の工程の技術水準だけではなく、川上工程の製造条件と川下工程のそれ

を調節して一貫管理を行うことが、品質・コスト・納期を維持する上で意味を持っている33。

より高級な材料・母材をより低級な製品に用いることは可能であるが、逆は困難である。

このように、三層の市場に対応して三つの垂直的リンケージが存在し、高級品のそれはタ

イトなものとなっている。そして、三つのリンケージをめぐって外資系企業とローカル企

業との間に階層的な分業が成立しているのである。

Ⅴ 鉄鋼貿易問題

1 タイ鉄鋼業に対する保護政策

タイ政府は 1990 年代以後、一部の軌条や二次製品を除けば鉄鋼製品に対する関税を 20%

以下に抑えてきた。熱延ミル、冷延ミルの操業開始に伴い、それぞれ 10%の関税が賦課さ

れたが、これは国際的に見ても高い水準ではない34。また、AFTA(東南アジア自由貿易地

域)加盟国に対しては関税率を 5%以下とする CEPT(共通効果特恵関税)スキームもすで

に実行されている。

しかし関税のスキームが自由化に向かう一方で、安値輸入品からの保護を求めるメーカ

ーの動きも強まっていった。その頂点は、2002 年の 1 月から実施された輸入課徴金であっ

た。これは、熱延薄板と冷延薄板についてそれぞれ 25%、亜鉛めっき鋼板について 5%、

ステンレス鋼板について 5%、関税に上乗せした課徴金を徴収するものであった。しかし、

この制度は WTO(世界貿易機関)ルールに反する疑いが濃厚であったため、同年 7 月に

停止された。

もう一つの動きはアンチ・ダンピング提訴であった。すでに 90 年代後半からロシア・ウ

クライナ製熱延薄板、ポーランド・韓国製 H 形鋼などに対してアンチ・ダンピング課税が

行われていたが、2000 年代に入って図表 6 に示すような鋼板類に関するさらなる提訴が行

われた。

この他、必ずしも産業保護的な意味だけを持つわけではないが、タイ工業規格(TIS)の

厳守を求める動きも強まり、結果として一部の輸入品がタイ市場から排除されている。

これらの措置の背景には、ローカル企業、とりわけ熱延ミルの経営が思わしくないとい

う事情がある。経営危機にある SSM、NSM はむろんのこと、2002 年に 240 億バーツの売

33 日系メーカーでは「一貫管理で品質を作り込む」という表現をするが、これは高品質の製品を

一定数量つくることだけを意味するのではない。そうした製品を競争力あるコストと納期で、

安定して生産するという意味を含んでいる。 34 日本鉄鋼輸出組合輸出市場調査委員会(現在は日本鉄鋼連盟輸出市場調査委員会)『主要国

の鉄鋼関税率と輸入制限措置および輸出奨励策』第 11 版、1996 年 3 月、第 18 改訂版、2003年 4 月を参照。

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上高、30 億バーツの純利益を計上した SSI も長期的には決して経営が順調ではない35。1994

年の営業開始以来の累損が 82 億 8000 バーツにのぼっているのである。同社は 2002 年に

200 万トンを生産し、16 万トンを輸出したが、2003 年には生産能力の上限である 240 万ト

ンの生産と 24 万トンの輸出とを計画している36。しかし、保護貿易がなければこの高稼働

率を維持できるかどうかは疑問である。

ただし、保護は国民経済の厚生を減じるという一般論でタイの政策を非難するのも単純

すぎるであろう。1990 年代においては、世界的な鉄鋼価格の低迷によって、多くの国で鉄

鋼業が困難に直面した。とりわけ、体制移行の困難に直面したロシア、ウクライナ鉄鋼業

が、外貨獲得のために極端な安値での輸出を行ったことが市況を押し下げた。1996-2000

年に調査開始に至った鉄鋼関連のアンチ・ダンピング提訴案件は、提訴国数 23 カ国、被提

訴国数 43 カ国、延べ件数 248 件に昇った。従来の鉄鋼貿易摩擦と異なり、提訴国が中南米

や東南アジアに広がったこと、全提訴国の 8 割以上でロシア、ウクライナが被提訴国とさ

れたことが特徴であった37。これらの安値輸入品に対して保護措置をとることはやむを得

ないだろう。

2 再圧延用ホットコイルに対するアンチ・ダンピング課税問題

途上国が長期的な工業発展の観点から鉄鋼業を育成しようし、そのためにある程度の保

護措置をかけること自体は、グローバリゼーションによってその余地が狭まっているとは

いえ、否定しがたいことである。著者のインタビュー調査においても、タイのような途上

国で鉄鋼業を発展させるためには、ある程度の保護措置が必要であるという点では、SSI

だけでなく日系鉄鋼企業の間でも意見の一致を見た。

しかし、その程度や方法の妥当性については議論が分かれる。まず、2002 年に実施され

た輸入課徴金は WTO ルールに違反する疑いが強く、タイ政府も一時的なものにとどめざ

るを得なかった。このため、次の方策としてローカル熱延メーカーによる日本を含む 14

カ国を対象としたアンチ・ダンピング提訴が行われたのであるが、この提訴についてはロー

カルメーカーと外資系メーカーの間で深刻な意見の対立が生じた。意見の対立は、冷延ミ

ルが再圧延用に輸入するホットコイルが、アンチ・ダンピング課税の対象とされるべきか

どうかをめぐるものであった。

2002 年にタイはホットコイルを 210 万 7000 トン輸入した。同年に冷延メーカーによっ

て使用されたホットコイルは 187 万トンであったが、うち輸入品が 136 万トンであった。

ただし、このうち 76 万トンは国内で生産できないローモ原板、低炭素鋼板(IF 鋼)など

35 『日刊鉄鋼新聞』2003 年 2 月 10 日付。 36 Bangkok Post, January 18, 2003. 37 日本鉄鋼輸出組合輸出市場課[2000]。

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であることが明確になっており、残り 60 万トンをめぐって意見が分かれた38。SSI を中心

とするローカル熱延メーカーは、これらは自社ですべて製造可能と主張した。これに対し

て SUS と TCRSS は、再圧延用のホットコイルは SSI の製品と競合しないので、課税対象

から除外すべきだと主張した。

双方の意見が対立したまま調査は進められ、2002 年 11 月 8 日、タイ商務省は日本から

の輸入を含めて「クロ」の仮決定を下した。この時点では再圧延用のホットコイルは適用

を除外された。しかし、2003 年 5 月 16 日、商務省は再圧延用も含めて「クロ」の最終決

定を下した。除外されたのはローモ原板、低炭素鋼板と、再輸出用鋼板だけであった。ア

ンチ・ダンピング・マージンは日本 36.25%、韓国 13.96%、ロシア 128.11%などと認定され

た39。

SUS、TCRSS は、再圧延用の全面的適用除外を求めてタイ政府へのはたらきかけを強め

た。両社は、自動車用などの高級品については、再圧延用の高級なホットコイルを輸入し

て冷延することが必要だと主張した。SSI がコスト、ユーザーニーズなどを無視すれば高

級ホットコイルを製造できるかもしれないが、最終需要家の使用承認や品質の安定性を得

ることは困難だというのであった40。また、盤谷日本人商工会議所の佐々木良一会頭は、

アンチ・ダンピング課税によって SUSとTCRSSの顧客 240社が海外からの冷延薄板の調達

を余儀なくされるであろうと指摘し41、タイ工業連盟自動車部品産業クラブの Chawalit

Jariyawatskul 会長は、輸入される冷延薄板は国産品より 15%高くなると主張した42。しかし、

SSI は、自社と、経営が再建されれば NSM と SSM でもすべての製品が製造可能と主張し、

議論はしばらく平行線をたどった43。商務省は、需要産業への広範な影響が生じるとは予

想していなかったようであり、国内で生産できないホットコイルの種類について当事者間

での意見調整を求めた。

SUS、TCRSS、SSI と需要家は協議を重ね、7 月 11 日、自動車、電機、溶融亜鉛めっき

鋼板、電気亜鉛めっき鋼板の四つの業種向けの熱延薄板について、5 年間アンチ・ダンピ

ング課税を免除することで合意した。この決定は、Adisai Bodharamik 商務大臣が議長を務

める、アンチ・ダンピングおよび相殺関税委員会で確認された44。

38 輸入総量は日本鉄鋼連盟のデータ、それ以外の数値は Bangkok Post, June 16, 2003 に掲載され

た SSI の Win Viriyaprapaikit 筆頭副社長の説明による。このため、両者の計算方法が一致して

いないかもしれない。 39 『日刊鉄鋼新聞』2003 年 5 月 21 日付。 40 TCRSS、SUS、新日鉄バンコク事務所におけるインタビュー。『日刊鉄鋼新聞』2003 年 6 月

13 日付。 41 Bangkok Post, May 30, 2003. 42 Ibid., June 4, 2003. 43 Ibid., June 16, 2003. 44 Ibid., July 12, 2003.

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ただし、同時に、冷延メーカーに対して、5年間をかけて輸入を減らすことを要求する

措置が追加された。詳細な部分は不明であるが、2003 年に冷延メーカーが使用を計画して

いるホットコイル 180万トンから当初から適用除外されていた 76万トンを除いた 104万ト

ンをベースとし、輸入比率を 5 年間かけて 45%から 1%まで縮小させるものと報道されて

いる。また、輸入縮小と現地調達拡大のために、SSI と冷延メーカーは、冷延メーカーお

よび川下の需要家の要求に SSI 製ホットコイルを適合させるためのトライアルを行うとい

うことである45。

垂直的リンケージと企業間分業の調査結果に基づけば、SSI や SSM の製造するホットコ

イルと TCRSS、SUS が輸入する再圧延用ホットコイルが競合するとは考えにくい。SSI や

SSM は高級品の垂直的リンケージに参入できず、両社の製品と再圧延用ホットコイルは異

なる用途に使われてきたのである。ローカル熱延メーカーは、TCRSS と SUS がホットコ

イルを日本から輸入するように親会社からの圧力を受けていると主張したが46、そうは考

えられない。TCRSS、SUS は、SSI の要請を容れて同社からのホットコイル調達を年々拡

大し、品質改善にも協力してきた上で、その用途を限定していたのである。したがって、

筆者は、再圧延用ホットコイルはアンチ・ダンピング課税の適用を除外されるべきであっ

たと考える。

タイ政府が、さしあたりは再圧延用ホットコイルも適用除外対象に加えたことは適切で

ある。しかし、輸入比率を年々縮小させる措置を追加したことは、新たな問題を派生させ

るかもしれない。報道されたとおりであれば、この決定は、SSI が次第に高級品を製造で

きるようになることを想定して、冷延メーカーに数値目標つきの現地調達拡大を促すもの

である。WTO ルールとの整合性を問われるかもしれない。また、この決定が実施された

場合、SSI が高級品用ホットコイルを製造する能力の移転を日系メーカーに求める可能性、

SSI が高級品を製造できないまま輸入枠が縮小され、冷延メーカーや需要家の調達に困難

が生じる可能性などが考えられる。今回の決定が垂直的リンケージと階層的分業に対して、

さらにタイ経済に対してどのような影響を与えるか、しばらく観察を続ける必要があるだ

ろう。

Ⅵ 途上国鉄鋼業発展への教訓

過剰能力と財務問題、薄板市場における企業間分業と貿易紛争は、タイ鉄鋼業の緊急の

政策問題である。と同時に、それらはタイ鉄鋼業が抱えるより長期の構造問題を示唆する

ものであり、ベトナムを含む途上国の鉄鋼業建設に一定の教訓を投げかけるものである。

45 『日刊鉄鋼新聞』2003 年 7 月 16 日。Bangkok Post, July 12, 2003. 46 Ibid, June 4, 2003.

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1 自由化のタイミング

前述したように、タイ鉄鋼業が、外資を動員しつつ、川下工程から徐々に、国内市場規

模の拡大にみあった規模の生産能力を構築していったこと、政府がこれを促進するために

参入制限を徐々に解除していったことは、グローバリゼーション下の鉄鋼業育成策として、

現実的な方法であった。しかし、参入が自由化されたのは、金融自由化を伴う投資ブーム

の時期であり、新規参入が巨大な過剰能力を形成してしまった。それはアジア通貨危機に

よって暴露されたが、危機発生後 6 年を経た現在もなお処理が終了せず、債権者間の紛争

が発生している上に、納税者にも負担がかかっている。そうした状態で再度の産業保護が

なされることにより、WTO ルールとコンフリクトを起こすという形式的な意味でも、需

要産業に負担をかけるという実質的な意味でも新たな困難を招き寄せることになっている

のである。

このことは、ベトナムを含む他の途上国にとっての教訓とすべきである。グローバリゼ

ーション下の途上国にとって、工業化全般がそうであるように、鉄鋼業を育成する場合も、

外資導入と自由化が基本方向であることは揺るがないであろう。しかし、それは政府の役

割を一路後退させればよいということを意味しない。タイの経験を踏まえるならば、タイ

ミングの悪い自由化が市場で処理しきれないほどの過剰能力と財務問題を招かないように、

途上国政府は十分注意しなければならないのである47。

2 薄板ミル建設の課題

薄板類における企業間分業の階層性は、途上国における鉄鋼業育成が突き当たる障壁の

所在を示している。タイのようにホットコイルの国内需要が存在し、また財閥という資金

動員力のある経営主体も存在している途上国においても、ローカル企業が熱延ミルを建設

し、安定した利益を上げることは容易ではないのである。それは、比較的工業化とローカ

ル企業の発展が進んだタイでさえも、という意味と、一貫製鉄所でなく熱延ミルの建設で

さえも、という二つの意味を含んでいる。需要産業の集積と資金動員力のある経営主体が

より未発達の国、たとえばベトナムでは、熱延ミル建設にさらなる困難が待ちかまえてい

ると予想せざるを得ない。

タイにおける企業間分業が階層的となる原因は、薄板類の市場が階層をなし、階層ごと

に製品・生産技術・材料のタイトなリンケージが存在することであった。こうした現象が

タイ以外の途上国鉄鋼業に見られるかどうかは、明らかではない。しかし、途上国が外資

系企業によって機械・電機・金属工業を発展させようとするならば、類似の現象が生じる可

47 ベトナムでは、保護貿易と参入自由化があいまって、条鋼ミルの過剰能力が生じている。条

件がやや異なるが、タイの事例に学ぶべきことは多い。川端[2003]を参照。

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能性があると考えることが合理的であろう。ベトナムを含む途上国の政府と企業は、この

ことをよく認識しなければならない48。

市場階層別の垂直的リンケージが存在することを踏まえるならば、途上国の薄板ミルに

は状況に応じていくつかの選択肢がある。

仮に需要産業の集積が一定規模の高級品市場をつくりだしているならば、その垂直的リ

ンケージに参入するという戦略があり得る。この場合、設備のみならず、一貫管理の能力

を獲得しなければならない。そのためには、薄板ミル建設の当初から、需要産業のニーズ

に応える能力を持った外資系鉄鋼メーカーを誘致する、あるいはローカル資本が設立する

企業にそうした外資系鉄鋼メーカーの出資と高度な技術協力を得ることが不可欠である。

高度な技術協力とは、設備の購入・設置だけではなく、操業技術や管理技術の移転をも促

進するような形態のことである。

高級品市場への参入が困難な場合や、需要産業の集積が十分でない場合は、これまでの

タイローカルメーカーがそうであったように、低級品の市場にまず参入し、徐々に技術・

管理の能力を高めて中級品へとレベルアップしていくという戦略もあり得る。この方法は、

当初の技術的な困難は小さいが、低級品を生産する際、ロシア、ウクライナ等、経済的困

難に陥っている国の安値輸出品と競合して利益をあげられなくなる危険がある。したがっ

て、鉄鋼メーカーにとっては、中級品の市場規模が十分であるならば、そこに生産を集中

することも一案である。ただし、この場合も標準的な設備と外資による一定の技術協力は

不可欠であろう49。

また、いずれの戦略が企業によってとられる場合でも、政府は WTO ルールに注意しな

がら、適切な政策をとる必要がある。その一般原則は、国内で生産していないものは保護

しないことである。国産品と競合する過度な安値輸入品の流入について、アンチ・ダンピン

グ、セーフガードなどの措置をとることは有効な選択肢である。しかし、外資系企業が構

築した高級品の垂直的リンケージを破壊するような輸入制限は、需要産業と鉄鋼業の育成

にとって結局はマイナスである。途上国政府は、産業の実態をよく把握し、貿易政策がど

のような効果を持つかを見極めるべきであろう。

(2003 年 7 月 17 日提出)

(2003 年 8 月 11 日。誤記修正。14 ページ本文最終行の「ホットコイル」を「スラブ」に)

48 すでに著者は、JICA の冷延ミルフィージビリティ・スタディ(JICA[2000])と自己の調査に

基づいて、ベトナムの薄板類市場にも階層ごとの垂直的リンケージが形成される可能性を指摘

している。川端[2003]202-206 ページ。 49筆者がベトナムの薄板ミル建設に際して提案しているのはこのような方策である。川端[2003]を参照。

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川端望[1997]「東アジア鉄鋼業の企業類型と貿易構造(Ⅰ)(Ⅱ)」『季刊経済研究』第

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―――[2003]「鉄鋼業――輸入代替産業の現実的オプション」(大野・川端編著[2003]所収)。

国際協力事業団[2000]『ヴィエトナム国鉄鋼圧延工場建設計画調査(フェーズ1)ドラフ

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末廣昭編[2002]『タイの制度改革と企業再編 ―危機から再建へ―』アジア経済研究所。

杉本孝[1998]「宝山製鉄所の研究」東京大学大学院経済学研究科修士論文。

鈴木峻[1997]「東南アジアの鉄鋼業の将来と日本鉄鋼業の役割について」(日本鉄鋼協会

[1997]所収)。

戸田弘元[1970]『アジアの鉄鋼業』アジア経済研究所。

――――[1984]『現代世界鉄鋼業論』文眞堂。

中岡哲郎[1991]「日本鉄鋼業の対メキシコ技術協力とその後(1)(2) -ラサロ・カルデナス

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学経済学会、5 月、7 月。

西川僚一[1989]「タイの経済と鉄鋼業」『鉄鋼界』1989 年 4 月号、日本鉄鋼連盟。

日本鉄鋼協会[1997]『第 34 回白石記念講座 東南アジアの鉄鋼業』7 月。

日本鉄鋼輸出組合輸出市場課[2000]「海外諸国における最近の鉄鋼輸入制限動向」『情報』

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東茂樹[1996]「石油化学・鉄鋼業におけるタイ地場資本の成長」『アジ研ワールド・トレ

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―――[1997]「石油化学・鉄鋼産業自由化へのタイ地場企業の対応」『所報』1997 年 2 月

号、盤谷日本人商工会議所。

―――[2002]「経済制度改革と企業グループの再構築」(末廣編[2002]所収)。

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藤本隆宏[2001]「アーキテクチャの産業論」(藤本・武石・青島[2001]所収)。

藤本隆宏・武石彰・青島矢一編[2001]『ビジネス・アーキテクチャ ―製品・組織・プロ

セスの戦略的設計―』有斐閣。

<タイ鉄鋼業・需要産業実態調査インタビュー・工場見学一覧>

Thai Cold Rolled Steel Sheet Public Co. Ltd.(2003 年 3 月 17 日)

Thai Coated Steel Sheet Company Ltd.(同上)

Sahaviriya Steel Industries Public Co., Ltd.(同上)

Nippon Steel Corporation, Bangkok Office(2003 年 3 月 18 日)

Toyota Motor Thailand Co., Ltd.(同上)

Honda Automobile (Thailand) Co., Ltd.(2003 年 3 月 19 日)

Thai Honda Manufacturing Co., Ltd. (同上)

The Siam United Steel (1995) Co., Ltd.(2003 年 3 月 20 日)

Siam Tinplate Co., Ltd.(同上)

Matsushita Home Appliance (Thailand) Co., Ltd. (2003 年 3 月 21 日)

※インタビューと工場見学の記録は川端と国際協力事業団が保管している。

著者連絡先

〒980-8576 仙台市青葉区川内東北大学大学院経済学研究科

Tel&Fax 022-217-6279

E-mail [email protected]

NEU-JICA 共同研究ウェブサイト

http://www.neujica.org.vn/

NEU-JICA 共同研究日本語ペーパーアーカイブサイト

http://www.grips.ac.jp/teacher/oono/hp/neuj/neujica.htm

GRIPS 開発フォーラム(連携)

http://www.grips.ac.jp/forum/home.html

著者ウェブサイト

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/index.htm

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図表3 アセアン諸国の鋼材見掛消費

0

1000

2000

3000

4000

5000

6000

7000

8000

9000

10000

1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001

千トン

インドネシア

マレーシア

フィリピン

シンガポール

タイ

ベトナム

注:ベトナムのデータが連続して取れるのは 1995 年以後に限られる。

出所:Southeast Asia Iron and Steel Institute ウェブサイトの数値より作成。

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図表4 タイ鉄鋼業の工程別生産能力・生産高

製品 主要企業 推定生産能力

(1000トン)

2002年生産実績

(2002年末見込み)

稼働率

銑鉄・直接還元鉄 0 0 -粗鋼 SSM、NSM、

MillenniumSteelなど6800 2233 32.8%

熱延鋼材計 13650 4867 35.7%

 (うちホットコイル) SSI、SSM、NSM 5700 2097 36.8%

 (うち厚板) Sahaviriya Plate Mill、LPN Steel Plate

500 290 58.0%

 (うち条鋼類) Millennium Steel、SiamYamato Steelほか多数

7450 2480 33.3%

冷延薄板 TCRSS、SUS、BHP、SICOS

2300 1800 78.3%

ブリキ・ティンフリー鋼板 STP、TTP 480 350 72.9%

溶融亜鉛めっき鋼板 BHP、MENAMInstitution、RatchasimaSteel Products

600 225 37.5%

その他表面処理鋼板 TCSなど 200 160 80.0%

鋼管 Sahathai Steel Pipeほか多数

1700 902 53.1%

冷延ステンレス鋼材 Thainox Steel 140 140 100.0%

「熱延鋼材」「冷延鋼材」は次工程用を含んでいる。「その他表面処理鋼板」は電気亜鉛めっき鋼板を含んでいる。出所:日本鉄鋼連盟『世界主要国の鉄鋼需給見通し』2003年1月。

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図表5 タイにおける薄板類製造の垂直的リンケージと企業間分業

出所:各社へのインタビューと各種公表資料から筆者が作成。

SSM:Siam Strip Mill NSM: Nakornthai Strip Mill SSI: Sahaviriya Steel Industries TCR:Thai Cold Rolled Steel SheetSUS: The Siam United Steel(1995) STP: Siam Tinplate TTP: Thai Tinplate TCS: Thai Coated Steel Sheet SICOS:Siam Integrated Cold-Rolled Steel

輸入スラブ[日本、オーストラリア、ブラジル、中国、メキシコ、ロシア、ウクライナより]

熱延ミル[SSI, SSM(NSMは停止中)]

冷延ミル[SUS,TCRSS, BHP(SICOSは未稼働)]

輸入ホットコイル[日本、韓国より]

表面処理工場(TCS、BHP、その他の亜鉛めっき鋼板・カラー鋼板工場)

中級品市場(オートバイ部品、屋根材・壁材、鋼製家具、ガスシリンダー等の製造業者)

高級品市場(自動車ボディ、電機、食缶等の製造業者)

電炉-スラブ連鋳[SSM(NSMは停止中)]

低級品市場(パイプ加工業者、一般用途)

電気亜鉛めっき鋼板・ブリキおよびティンフリー鋼板製造業者[TCS,STP,TTP]

輸入冷延薄板[日本、韓国等より]

輸入冷延薄板

a2a1

b1 b2

c1 c2

e1 e2 e3 e4

f1 f2 f3

g1 g2

h1 h2 h3

i1 i2

d1 d2

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図表6 タイにおける近年のアンチ・ダンピング提訴

対象製品 提訴者 被提訴者 調査開始年月

最終決定 結果

冷延薄板 TCRSS ロシア、ウクライナ、カザフスタン、アルゼンチン

2001年7月 2003年1月 アンチ・ダンピング課税。アルゼンチンは除外。

冷延ステンレス薄板

Thainox 日本、EU、韓国、台湾

2002年2月 2003年3月 アンチ・ダンピング課税。

熱延薄板 SSIと他のローカル熱延メーカー

日本、韓国、台湾、インド、ロシア、ウクライナ、カザフスタンを含む14カ国

2002年7月 2003年5月 アンチ・ダンピング課税。再圧延用は除外するが、輸入逓減措置を追加。

出所:日本鉄鋼連盟輸出市場調査委員会『主要国の鉄鋼関税率と輸入制限措置および輸出奨励策』第18改訂版、2003年4月等から作成。

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