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Kobe University Repository : Kernel
タイトルTit le 農民離村の実態 : 兵庫県多紀郡篠山町岡野校区の調査
著者Author(s) 川那部, 治良
掲載誌・巻号・ページCitat ion 兵庫農科大学農業經濟,2:15-45
刊行日Issue date 1957-03
資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文
版区分Resource Version publisher
権利Rights
DOI
JaLCDOI 10.24546/81006221
URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81006221
PDF issue: 2021-04-19
農
民
離
村
の
実
台旨
l兵庫県多紀郡篠山町岡野校区の調査|
第
一
序
説
H.ま
え
が
口調査地区の概況
同
調
査
の
方
法
第
二
本
論
付
男
子
の
部
その一在村、離村の検討
その二通勤者の検討
その三職業の検討
その四離村と素質との関連の検討
口
女
子
の
部
その一既婚女子の部
その二未婚女子の部
第
三
む
す
び
司、
農民隣村の実態
(職業と素質との関連をも含む)
(附嫁yc先地域、配適者の職業と素質との関連性)
(附離村と素質との関連性)
ー
l
'EaSF
那
部
}五 治
良
一六
第
序
説
付
ま
/t.
カf
き
我が国農村、農家の特殊性、特に第一次世界戦争ブ
lムに起因する我国資本主義の急速な発展による近代都市の形成
と相まって当然生起した兼業農家激増の現象により、我が国農民の離村は昭和五、六年の昭和農業恐慌により活溌佑し
叉満洲事変より日支事変への進展に至る戦時産業の劃期的生産拡充の過程に即応して異常の激増を示したのであるが、
阻和二十年の終戦と共に応召出征将兵の帰還、海外移住者叉は在外官民の帰還は比較的安住の地たる農山村への帰村と
なり、叉戦時中よりの都市擢災者の疎開入村の人口は相当の期間減少せず、昭和二十五年頃迄は可成り著しい増加を来
したのであるが、二十六年以降は停滞状態となり、二十九年には一%ばかりの減少を見たのである。(第一表)
第一表
農家人口の推移
昭 調和 査
一 ー ー 一 } 一 ー 年一一一一一九 八 七 ムノ、 五 一一 次項年 年 年 年 年 年 年
ー 一一-八 四
月 月 月 月 月 月 月 目
実i¥ 八 八 /¥ 八 七・ 七
総、 、 、 、
七 ムノ、 五 ー 七 一一四 O 七 四 一O O O O O 九 ー 数
万人
指
一一一一一 一一一一, 一一一 O O 九 七 ムノ、 四 一 ノ{、 O 口
一ノ且、a 九 四 九 ムノ、 O O 数
実
一 、 農、 、 、 、 、
-t; イゴ 七 七 七 ノ、 四ノム、 九 九 五 /¥ 五 ー
O O 五 ノム、 一 O 四 数 家
万
指 人
一一一一一一 ーO 一一 O 一 O O )1., O O 九 O ーノ』¥ O 口
七 七 /¥ 七 四 ノム、 O 数
農
百 家
四 四 四 四 四 四 四 分率人四 四 ムノ、 七 .tノ、a . 一.
%口1
0 九 七 九 O /¥
更に最近にあっては、米作農家たることを止めて離農した世帯の人口は二十八米穀年度中(前年の十一月一日より当
年の十月末日迄)に約十万人、二十九米穀年度に約八万人、三十年度九万人と略々年々九万人内外の離農の線が示され
(日本農業年鑑一九五七年より収録)
ている。
今や戦後満十二年を経過し、あらゆる秩序は回復し、産業の恢復見るべきものがある
3
然して農村人口の停滞性、離
村向都の傾向は戦前同様の蛾烈の一途を辿っている。
私はここに明治末期より大正年聞に叉現在に到るまで(第一次大戦、第二次大戦を通じ)四十数年間に一日一り一校区の
全卒業生につき、現在の動向についての静態調査(一九五六年八月末日現在)を基とし一校区農村出身者の在村、離村
の状況を確めることとした。
元より農村出身者の離村傾向を考察するに当り、離村熱最も匝盛とせられる青壮年者につき広地域に一日一り大数観察を
なす事が最も理想的と考えられるが、種々の理由によりこの度は只の一校区についてのみ調査することとした01
尚地元
校長本庄氏の特別の好意により、明治四十四年以来の学籍簿を全部閲覧することを得て、明治四十四年三月の卒業生よ
り昭和二十八年三月(二十七年度)卒業の者に到る迄実に四十三年間に一日一る一小学校卒業生の現況を調査することが出
来た。即ち本調査対象の年令層は、明治四十四年卒業生は五十八才に当り、昭和二十八年三月卒業生は十六才に当り、
既に中学校を卒業し、義務教育を修了したものということになる。
本調査地区は多紀郡篠山町岡野校区であり、
三男との関連性、その卒業時における成績と離村との関係、職業と卒業時における成績との関連等に関して分析検討を
一九五六年八月をを期し、農民離村の事象と、在村、離村市中、長男及ニ
なすこととした。
仁コ
調査地区の概況
本地区は昭和三十年四月篠山町に合併せられるまでは一農村岡野村を形成していた。部落は十一に分たれ、総一戸数回
-七
農民離村の実態
一因一一各一
一圃周一
図一区一
二比一
笠野一
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Eふ
接
ilJ
外
0" ~>o岩崎伺:<,';手@戸It.却川ム卸ホ品寸't.f.
19 rft!J印式ムのみ下$
Ji、
O六一戸、人口二
、二三九人を
縦し、農家戸数二五九戸を数
える。篠山町の西部K位置し
柏原に通ずる県道(大阪、福
知山聞を結ぷ幹線)
は本地区
を東より西に横断して西紀村
宮田に抜ける。
本地区の東部には朗ては篠
山七
O連隊の兵常があったが
終戦と共に、その敷地には神
戸医大予科、篠山農業高等学
校(前身多紀実業学校)が設
置せられ、前者は昭和二十四
年より現在の兵庫農科大学と
して利用せられ、練兵場跡は
ζ
れらニ校の附属農場となっ
.. 、3
0
マ、puvヲ〆一
(第一
一閃岡野地区路間
参照)本
地区の広茅六
・入方粁、
田ニニ
O町八反歩、畑一二町五反歩、農家一戸当耕地反別八反九畝歩(郡平均は七反四畝歩で、之に比し、可成り大き
い)を示し、山林は二八町五反歩に過ぎない。
主な農産物は米四、六一七石(一九二町四反歩、反政二石四斗)、麦七
Oニ石(六一町六反歩、大麦を主とする)で
あり、米麦作を主作とする単作農業地帯である。湿田の多い為もあるが、伝統の冬期酒造出稼まの影響として二毛作面
積の少ないことは当然と云わねばならない。
家畜は役肉牛ニ
O五頭を主とし、他に僅かに養鶏があるのみである。
冬期の酒造出稼ぎは約百名と推定せられ、社民は十二名あり、各部落に亘り、農家戸数の約四割より出労している。
尚常勤通勤者はその勤め先、国鉄、郡各種団体勤務者、地万円公務員、篠山町所在の芦森製紐工場等に日々通い、その
数叉百名に近く、農外所得に依害する兼業農家の数は極めて多い実情である。
農家の内訳は専業五
O、第一種兼業一五三、第二種兼業五九となっており、専業農家の数は農家一戸数の二割にも満た
ず、八割迄は兼業農家が占めている現状である。
本地区の人口の推移は次の通りである。
第二表
岡野地区人口の推移
昭大正
和
十五 四 九 四年 年 年 年
戸
一 四 四 一ブし 。占ノ、一 I2-g O i¥、 数
※ ※ ※ 人
一、 、 、 、
O 五
口二四
備
考
農民隣村の実態
(註)
本表中※印の大正九年より昭和十年に至る
人口が一戸数に比し過度に多いのは東浜谷所在
の篠山七十連隊の兵員の数をも加算されてい
るものであり、略々二千人が同地区の真実の
常住人口と見て差支ないとおもわれる。この
事は昭和十年の男女制人口数を対照せられて
JL
昭和
ー ー
十 十 十 十
一 五 一 五 十年 年 年 年 年
推 推定 定
四 四 五 一一:;:: O O O 巴ノ民ム、 ムノ、{ ノ¥ O O 四 五
※
ー ー 一一一、 、 、 、 、ー i¥. 八 七O O 一 一
九 一 八白 r、. 五
男
一f、一一四女
九O 一
日
調
査
の
方
法
二O
も分る。
即ち昭和三十一日停の一戸数は大正四年に比し
約一割の増加と見てもよい。
(兵庫県統計書より)
した。 調
査は小学校の学籍簿により基本調査簿を作成し、同時に卒業時の成績を調べて、上、中、下の三通りに分つことと
(勿論、年度により学籍簿の記載様式異なり、或は甲乙丙に、或は上中下に分たれることもあり、劃一化するこ
とは中々至難であったが、相当手を加えることとした。)
調査方法は個別聴取りに依り、単身部落に入り、予め依頼済みの区長や有力者夫婦など三、四人を相手とレて、帳簿
記載の該部落出身の個人々々につき、その現住地、職種等につき聴取したのである。
元より、外来者にして浮動性ゐるもの、破産同様で離村後否としてその消息を絶っている者等の動向不明のもの男五
O名、女六七名もある。叉特に男子の死亡者中戦死者頗る多く七九名にも達し死亡者一一七、、女子死亡者七回名、計
二七
O名、更に戦時中の疎開児童も若干ゐり、従って叙上の各人員の員数を基本調査簿面の人員数より減じた鏡りの男
六四四名、女六
O五名についての分析であることに御注意願いたい。
本分析の妥当性は必ずしも肯定されるべきものではない。伺となれば或一時点を以て現に実在する幾伺かの生存せる
一校区出身の人々を対象とし、且不明なるものぞ除いてのものであり、或年配者同胞について云えば、その青壮年期に就
職離村をなしていたやも知れず、斯かる場合が完全に把握出来ない憾みもある。叉本論にゐつては一々全年代別に表示
するを避け、昨年夏現在満年令を以て五年毎の年齢階級に分ち、分析検討をなした。従って五年毎の年齢階級による大
体の離村、在村の様相は把握し得ているものと信ずる。
尚元より、一村地区、僅か四百余世帯による資料でゐり、離村或は潜在労力等に関する一般的論理、傾向等に背馳す
るが如き現象が表われている如き乙となしとしない。
先輩大家の御批判を頂きたいとおもう。
第
本
=<>骨
量同
(→
男
子
の
部
その一
男子の在村、離村別、離村先別構成を部落別に調べれば第三表、第四表の通りであるが、農家一一戸当耕作反別と離村
率とを対照するとき、一脈の関連性を見出すが、例外も厳然と寄在する。即ち大野、矢代においては共に一一戸当耕作反
別が村平均反別を上廻るにも拘らず、離村市中は高率を示している。(三九%以上)
我国農家にあっての潜在失業の存する階層はその一一戸当り耕作反別は先ず普通五反歩未満の零細農家群に多いとせら
れているが、木地区の状況より見れば、その裏作率等より見て八反歩未満と見て差支なく、然かもたとえ一一戸当平均耕
作反別の多い部落においても離村意欲旺盛且伝統的に後進者を誘う農村社会の親和性よりすれば、部落的に偏って離村
の傾向が見られることも無理からぬものと云えよう。この例外として矢代部落があげられる。
在村、離村の検討
-離村率は農家、非農家の出身別によって異江るが、農家三七・O%、非農家四八・五%となり、その聞に約一O%の
相異を見出すが、総平均離村市中は四ニ・六%を示す。
隣村先は二五八名中、都市一七九名(六九・四%)町村七九名(三
0・六%)であり、都市中六大都市一二二名でそ
良民隣村の実態
第三表
部落別在村者、離村者内訳詞ベ
吹風東西有矢大今野西東 部
計 岡岡 浜浜 落
上深屋屋居代野福尻谷谷 名
八 一一数総
九 六六四七六九四七七七A O 九八八七五五一三三五六
区死亡、
一 不四 一五四一一二一二一二 明4ノ、a 二九 O 四四三三九三八一 B 分
A ノ4 、. 一一 B 四 四一 O 六五六二五五五 の四 七九八三一二八 四 O 七五
差 内
在
/i、 二七五三二三 一三三三村
ノ、 五七七九二八八五二四九 者
一訳離
一一 村五 二四四二二三、 一 二 一/i、 ニ二一四九四 O 九八三六 者
大一 都一 一 一 一一 一 ¥、 ーー・ー一 一ー 二六六四 O 九 五三六二九 市 離一
中村
一都
一 先四 O 二四 O 七二二 O 三 三 一 市
小別
一 都 内一一 O 一二六二四 o-一三三 市
訳町
七 一一 一九 O 三九四 O 九 三五八五三 村
(註)死亡者、不明者中戦死者七九名を占め大戦の犠牲者多かったことを示しておる。
第四表
長 吹風東西有矢大男
計 問問比率
上 深 屋 屋 居 代 野
四七 四五七五三五
一 六六四一五七九
一七 一一 一 一 一 一
一一 一五 二九三八六六三
四 一四 O 五一回二六三
一 三四二三四四三一五 七 三一四九七三九. -・・・・・・
O 三三一四三二 O
一セ ムノ¥ 4ー二. 一一 一 三 四 二 六 五 九
八 一 一一一 O 三八六三八七
-- 一七 O ニニ九二二三
一四 四 O 四五五五七四 ji、 O 三 o0 三七
-・・・・・ムノ、 五 OOi¥OO三八
一 一二六八七六九 O
O 五 O 一六 O 四
の約七割を占め、爾余は京阪神地方を中心とする衛星都市である。
更に六大都市への離村者中六割は大阪市であり、之に次いで神戸、京都、東京の順であることが解る。
尚離村者中の町村への離村(都市以外への離村)を分析すれば、
七九名の内訳は郡内七O名であり、その八八%以上
を占め、郡外は九名のみであり、叉その大部分は多紀郡内の町村に離村するものであることを示し、その内約七割四八
人は郡の首邑篠山町に集中し、同町において、商業、俸給宣活、雑職(大工、左官、植木職その他の日稼ぎ)等に従っ
ているが、離村後の農業従事者は殆ど全部縁組的離村即ち婿養子縁組による離村者であり、近隣農村において農業に従
事している者である。
町村への離村者の業種別の内訳は次の通りである。
交通業
商工業
O
公務員
会社員
四
農業
雑業
卒業年次別(年令別)離村者内訳表は第五表の通りであり、叉その離村率は年令三一
l四五才の階層が伺れも四O%
以上ぞ占めて、ピークをなしている。その原因はその階層に属するものは未だに戸主として父があり、若く公り向都し
農民隣村の実態
二四
第五表
年次別離村者調べ
(昭和三十-年八月末日現在)
長 昭昭和
昭 昭 昭 昭大正
大 大 明和 和 和 和 手日 正 正 治
男 -ー 一 .ー ー 四 学一ノム、 四 九 四 九 四 i¥ 四
$ の 計 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年
百 業悶 大
分 一 一 ー ー 一 和 一 正 年ー 一 一八 五 j¥、 一一ー 八 一 七 一 次比 一年 年 年 年 年 年 年 年 年 年
一一 一 一 一 四 四 五 五 年一 一ムノ、 九 一 1、a 一 ノ-~、 一 占ノ、 一 ムノ、
以四 四 五 五八 O 五 O 五 O 五 O 五 上 令
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七 ー 一 一 ー 一 一 一 闘世一一 五 九 七 ー 九 五 -ノM、 七 七 一五 一 村四
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( ( 一 ( 〆ー、 戸、 ( 戸五、 ,向、者四 O 四 四 ノ、 j¥ 出
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一 一 四 四 四 自ffi身一 一 一 一 一
七 J"L 八 五 七 ムノ、 七 村. O 四 j¥、 ノム、 四 四 九 七 1u 率
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」ノ、 ( r園、 ( f、 f一、 ( ,園、者七 四 ノム、 八 O 出% ) 、--' ) ) 、-' ) ) ) )
一自並
四 五 五 五 七 ー 五 五 四 O 身i¥ ーノ』、
一j¥ 八 O 四 四 O 村. .
五 九 一 O 四 O 五 四 O 率%
備考
(2) (1)
一六l
一八才は特に高校在学中の年令なる為特に之を区劃した。
離村者の()内数字はその内の長男の数を示す。
昇二回
年4ト
ヤA
ri.ノ
舟;f、1
-¥¥/つ
討さ
聞
/AWJ
174'114
!』必
j川和
ムマーか
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ど
に
お同士レイI
10
16 1'1 /1
ムム L.<6
JC
ょ。
",,0
て各種の職業にあり、叉世帯を持って充分生計を保ち
得丹子弟の故山円も都市においてなす万がより好都合で
あるが為であり、更に都市における労働市場としての
価値高く停年或は身体衰弱する迄は都市に住居するも
の多きが為であり、四六|五
O或は五一|五五才の層
ともなれば三
O引台に落ち、可成りの人々が帰付する
事実を示す。
(第二図参照)
本表において一八才以下のもののネが一二・四%を
占めているに過ぎないのはその大部分が高等学校に在
学中であって、在学率が極めて高いが為である。
更に部落別離村者を表示し、汀長男の数を調べると
第四表の通りであり、農家よりの離村者中、長男は
五・一%を占め、叉非農家よりの離村者にあっては長
男四四・六%を一万し、農家非農家の聞に大きい差異が
異論の余地がない。
わず離村をするものと見てよいが、農家にあっては、長男在村の原則は依然無意識の裡に強い通念となっていることは
認められる。非農家にあっては殆ど長男、二三男を問
更に離村者の職業別内訳を見れば第六表の付同の通りであり、便宜上農家出身者、非農家出身者とのこつに大別した
が、何れにおいても商業、俸給生活者、工業の順である。
農民離村の実態
二五
第六表
←)
農
家
出
身
者
離村者の職業別内訳
二六
百一二二三三四四五五
年
分 計ムノ、 ーーー 占ノ、 ーーーー ムノ、 ーーーー ムノ、 -ー -ノA、a
二1二1 三1三1 四1 四1五1 五1以…
比O 五 O 五 O 五 O 五」二 令|
農七
一O 一 000三ニ O 三 O 四一 業%
商一ノ占、 四 一
八 七 五五五二六一三七三業
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四二八三五七七二七村[-ノM、
i¥ 二 八六四!四三 O 七九Y一D 率 l
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一良
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一一 一一 一
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占ノ、
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一
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八 一一一一
一 二三六八五
一七 四一一一一 一一一一一 一五 O 三三
四 二五五七三八 九 二 三 八 八
O 二 O 三二五
第七表
在村農業者長男、二三男別内訳
百二長
分 、 長二
二比長一 男男
男児別
男男
五
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三七 二四以
% 上
五一
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四占ノ¥
二ー二 ノム、 ー一九 五一 五
O 四一
四六 一o 0 八二 四
五
一ノ、
一八八二 二九 四
O
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五
一ノ、
一八 一一
八二 五三O
一一
四五 一一八二 一 一一 一
一五
一九
一八 一四六 一一 一
一一O
二七 一え口‘
五四 四三
七コ-ノu、 二ー::.
言十-9出
(註)
本表において一六
l一八才の年令階層を除いたのはその大部分が高校在学生であるためである。
但し非農家出身の工業就業者の率は農家出身者に比し、遥かに高い事は争えない事実である。叉之に反し、農業者に
おいて交通業就業者が工業者に変らぬ位高率でゐることは注目してよい。
在村農業者の長、二一二男の内訳については第七表により充分表われているが、長男はその約四分の三を占め、二三男
は僅かに四分の一のみである事実は長男在村の旧来よりの確然たる傾向を端的に表わしていると云える。
(第八表をも
参照されたい)然し三一1
三五才及び二一ー二五才の階層において可成り長男の在村が低率を示し、二三男の在村が高
農民離村の実態
二七
ニ八
第付八
表農
長家
の二
部扇別離村の比較
】附通勤者調べ
通在 一二二三三四四五五 年
勤村者 計九 一 ノム、 ー- 占ノ、 - ノ占、- .~ノ、a
J守』3
中二|二1 三1 三1 四1 四1 五1 五l 以-
率の O 五 O 五 O 五 O 五上 級
一
一j¥、 -・ 一一 一一--圃・4・・- 刷M・・4‘一一 一ー ・・・・4・ 在
O 五 O 四七ー七一九 六(
七四
'"" '"" 一 〆~ 〆-、 ,ー旬、 p画~ ,田町、 戸田『 村 長
一五二二四四九二二% ) ~、-' ,ーJ 、-'、-'、-'、-'、-'、-'
青E
四一 O 五九四三五三五七 村
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一 一二四二一二二三ニー一 五五三ー四二四四三
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一 一 r司、 ~、 r句、 戸田町、 戸,、、 r司、 '"" 〆圃~ ,圃h、 ~i 五 一六四四二三二三 O
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一
一一 言十一 一 一一一 一一ー 一一一 一 一一一 一一 一一 O 九二二九三二八六
国E 男五 六四五五六六六六六九 O 三九九三三八 六六 村
一一 O 六回四一六二六j 六 E事
%1
本表にはごハ
l-八才級を省いた。その理由はその階層は高校在学生多く、離村率等の考察の対象となし得ないからである。
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九 五 六 八 O 一三二
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四六五四七一三四八二 O 七一四三 O
-・・・・・・一五 O 一四三三 O
五一ーム 五 O 一一一九一,--、 二ハ 一一二
ー-1::::, 1::::町a、戸ゴ田, ,五-、 f一-、 〆一~ 戸一戸司、
見'-'I '-'苧'-' '-' '-'
四二三七八九四五三
/¥ ーー -ー四六三三九六七六
ノ、五五六 O 六七五五 O 三一 O 六一 O
'. ハ O 入ふ許 O 七四 O
率を示しておることは、彼等の家庭にあっては長男の戦死者が多く、従って二三男の在村が目立っており、彼等が何れ
も農業に従事している事は只に本地域のみの傾向でなく、多かれ少かれ全国共通に表われている点であろう。
更に第八表は長、二三男別の離村傾向の比較であるが、農家にあっては、長、二三男の聞に確然たる差異が認められ
長男の一九%に対し、二三男のそれは五九%を示し約三倍であり、年令階層の上下を問わず高率を示している。然るに
非農家においては、長男四八%、二三男六五%を示し、その聞に殆ど大差は認め難いが、離村意欲は極めて旺盛であり
長男、二三男を通じ五六%の離村率を示し、叉在村者にあっても通勤率高く、近時の近郊農村の特質を具備するものと
(この傾向は僻阪の農山村又は純山村においては相当異なって来ることは勿論である。)
みてよい。
その
通勤者の検討
次に通勤者についての検討であるが、
(第九表参照)農家にあっては長男、二三男の聞に殆ど差異少く一九才以上につ
いての通勤率は長男ニニ・七%、二三男二九・一%を示し(一部の例外は見られるが)叉非農家にあっても長男、二三
男の聞に始ど差異を見、す、通勤率は六割足らずの処であるが、非農家における通勤者の在村者に対する百分比は明かに
農民離村の実態
二九
O
農家におけるそれを凌駕することは明かである。
(本調査においては上層、下層別の仕訳が出来なかったことは遺憾で
あるが、逝勤をなしている男子はむしろ上屑が多い傾向にあることぞ聴取した)
通勤移動はその主体は男子に見る乙とが出来、階間の上屑のもの程より多く出労通勤する傾向があり、叉男子は女子
よりも旺盛な通勤意欲を持ち、特に高校卒業後の離村の手蔓少い農家、非農家の子弟は、長男、二三男を間わず、叉経
営の大小を問わず、幾何かの俸給に魅力を感じて、通勤可能の範囲において、離農通勤を志す事象は相当強い。
第九表
通勤者の長男、二三男別通勤率調べ
付
農
家
出
身
者
一二二三三四四五五 年九一占ノ、ームノ¥司ーノム¥ー占ノ、 ノ寸』コ
計 |才階二二三三四四五五以
O 五 O 五 O 五 O 五上 屑
在
ー村
長八 一 一ー一一一一一一 一一 一一一O 五 O 四七一七一九六 者
通
勤
四 一一 ー五二二四四九二二 者
通勤
ー 二三ー三二四 -- 者 男一 百ー 六五五一六三二六二一 分-・・・・七 七 O 三八三五九九五 比
%
在
村 一/1、 一 一一 ー一ノム¥ 四二三三七二七六二 者
遜
勤 一ー一五 一六四四二三二三 O 者
通勤
一 二二三三二二二五者 男
一 百九 五 七 o0 八五八 O
分一 O 二八八五 O 五 o0 比
%
口
非農家出身者
年
令
階
層
五六才以上
五一
l五五
四六!五
O
四一
l四五
三六
i四O
三一
l一二五
二六
i三O
二一
l二五
一九|ニ
O
'fa--言一日
その三
職業の検討
長村
..,ι 咽
通
勤
男
者
五七
在
村
者
通
動
男
者
通勤者百分比
在
三六九四六六三五 O四
二四
通勤者百分比
。一一一二三三五五一一
0%
六
0・0
三三・三
一一一三・三
五0・O
七五・
O
五五・五
八三二二
六六・七
三六五 O 二二三一 O
。。五三
O%一
一00・0
=一一一一・一一一
五
0・0
五0
・。。
一00
・。五0
・。三一一一・三
五九
更に調査対象全員について、在村、離村別にその職業別人員を調べると第一
O表の通りであるが、出身の農家、非農
家たるを間わず、農業従事者の全員に対する比率が僅かに三割に充たないことは、本地区内の殆どの部落が純農村部落
で且その一一戸当耕作反別においても県平均は勿論、比較的耕地反別の多い多紀郡の平均(七反四畝歩)をも遥かに凌駕
する本地区における農村労力の行き詰り、潜在労力の存在を如実に物語って余りありとおもわれる。
更に之を仔細に検討すれば、俸給生活者を筆頭として、商業、工業、交通業に赴くもの之に次ぐが、之を年令階層別
にニ大別すれば(昭和七、八年小学卒業ぞ境とする)若い青壮年眉ご六|三六才)にあっては俸給生活者、商業、工
農民離村の実態
業)交通業の順であるが、中老年眉(三七才以上)において工業、俸給生活者の率が減少し、同時に農業の占める率が
青壮年層のそれに比し一三%も高いことは、長男、二三男の別に拘らず、四O才前後に至って、都市における職場を失
って帰村するものが可成りあることを示している。叉青壮年層において学主の多いのはその大部分を高校学生が占めて
いて、高校教育の普及を物語る。
第
-O表
職業別員数調べ
付
品主
括
表
百 離 在 在
分 計関t村
比 村 村 iJU
一 農一 一 一九
九 一 七八 一 九 業ー%
ーー商
ノ占¥ 一O 七 一
O 一 四 九 Zぎ守ミ全
一工
O ムノ、 五 一
四 七 O 七 業
交
;I、五 一 通
一五 五 一 四 業
俸一 給l¥ 一
生ノ¥ 五
活l¥ 七 四者
其
ムノ、
四 一の
四 O 一 八 他
一学
O ムムノ、
-ノ、
四七 ー
ぷに1-
一O ム 一O ノ、 一
四 五 l¥ O 五 九 一ノ』、 計
同
明治四四年l昭和七年(小学卒業年次)
(三七才以下)
百 自E 在 在
分 言f 離村
比 村 村 iJU
一農
七九 八
五 ーノ』、 九 七%
ー 商一O 五 一一
」ノ、, ノ、 業一
工
;1、}
一一ー 一 七 四
交
九 一 一 一O O 業
俸一 給ノ占、
四 一 生
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八 一 一の
一ー 五 -ノU¥ f直
学
生
メ口L
O
?13ilo 四
O l 九 む 計
日
昭和八年l二八年(三六
l二ハ才)
百 離 在 在
分 言f 離村
比 村 村 ilU
!一ー 農
四九 九
七 { ノ、 四 一 業%
一 商
一 五 一一一一,i、 一 業
一 工
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交
l¥ 一 一 通
一 一 業一
俸
一 給一O 七 四 芸者l¥ 五 一
四一
九 九 七 一 他
一 学
七占ノ、 占ノ、
一 七 一 五 生
一d口L
一O 一 ーO 八 五O 九 O 九 計
その四
離村と素質との関連の検討
農民離村の現象は夙に衆知の事実であり、且俗に良質農民の離村が喧伝せられ、残存農村民の素質の劣悪化が普通常
識佑せられる所であるが、実際は如伺でゐろうか。
之につき、木地区の調査の結果を説明しよう。
(第一一表)
考察の中心として考えられる在村者、在村者中の農業従事者、離村者、離村者中のその行先別(大、中小都市、町村
別)による素質の比較をすることとする。
ζ
こに素質というのは、人物の素質の優劣を評定するに当り、教育程度のそれよりも、素質判定上幾分合理的と考え
られるものは尋常科卒業時における成績評価でゐるとする東京教育大学野尻教授の説に基き、素質良否判定の基礎とす
ることとした。
その理由は現代の教育が少くとも我国にあっては教育の門戸は人間の素質の上よりも、経済的条件により多く恵まれ
ていると云うことが出来る。従って高い教育を受けた者は、
一般的には経済的に高いレベルのものではあっても厳密な
る意味においての素質の優秀な者であることを決して表わしてはいない。この意味よりするも、高等教育を受けたもの
農民隣村の実態
四
のみを素質高いものと見ることは誤りであろう。
叉現代においてこそ義務教育たる中学校卒業後、高校(特に当地域には手近に高校及び農業高校があり、通学に極め
て便利であるという原因にもよるが、八、九割迄高等教育を受けしめているが、現在の四
O才以上のような中老以上の
年令階層にあっては、殆ど小学叉は高等小学卒業を普通としていたのであり、従って素質判定の資料としては教育程度
のそれよりも、尋常小学卒業叉は高等小学卒業時における成績評価が比較的合理的となるのではないかと思われる。
第一一表
在村者、在村農業者、隣村者(地域別)素質の比較
す下 す 中 す上る l乙 る l乙 る 11: 者 属 者 属 者属
百 人 百 人分 分比 数 比 数
在
一 四 F 四 村|四 一 一
四四 五 四 ノ占、 ーー- 一 者|% % 号合
一 五 一四 一 O 九
四 ,ノ』、
五 占ノ、 九 占ノ、
一 四五 七 七
一 八五 七 五 三 O /九
一 四 一 村市四 一
八
I~ 七 J¥
一五 ノー』、 九 者の
離中
一 四 一 村都
九 ムノ¥ 四 市
一 ー 一 J¥
O 四 ーノ』、 ,¥、 者の
離町
一 四 ーー村村
四 」ノ、A・ 九 〆¥
一 一 一O ,¥、 七 者の
(備考)
右表中該当人数に対し、本表が充たない理由は学籍答申成績不明の者若干名あった為その数だけ不足となっている。
即ち第一一表において在村者(第一欄)離村者(第三欄)の二大別による成績との関連性は殆ど差異が認められず、
只僅かに中席者が離村者に多きを見る反面、在村者に上質者が若干多いことを示しているのみで、劣質者においてはそ
の百分率は差等を認め得ない。
在村者中農業従事者は中庸の者多く、上質者は少い。従って結局、在村者、離村者の聞にはその素質において殆ど差
等は見られず、寧ろ在村者の方が幾分良質と見て差支ない。
次に'磯村者を大都市、中小都市、町村の三つに区分して見るとき、大都市向の者と町村向の者とはその百分比殆ど変
らず、上、中に属するもの約八六%を占めるが、中小都市に向って離村した者は劣質者の比率可成り多きを見る。この
ことは単にその行先がその都部別たることとは殆ど無関係であり、寧ろその職業種別による分析により、そ乙に可成り
の径庭あるを見出すのではなかろうか。
この観点より、その職種別分析は第一二表を参照せられたい。
第一二表
各業種別素質の比較
す下 す中 す上
iit る i乙 る t乙 る 』己
者 同 者 属 者 属
ー百 人 百 人 百 人 百 人
分 分 分 分
比 数 比 数 比 数 比 数
俸在
一 給村
O 一 ノム¥ 生者O
五 一 Ji 活中. 一 一O 五 七 一 Ji、 i¥ 五 r:¥ 者の手ら 号志 号会 %
俸離
一 給村
O -- 占ノ、 生者O
-/、4
七 一 一 O 活中一 一O 四 i¥ 五 一 O ブし 九 者の
商自fi
一 村
O 一 四 業者一O 一 七 O 中七 一 ー
O 占ノ¥ 四 」ノ、. 者の
一一工離1
村
O 四 一 業者一 一O ノ一」、 。中四 一 ー
O 一ノ』、 四 五 O 九 九 者のl
交離
一 iせ通O 七 一
業ZO 一 七 一 ー 一O 八 四 O 四 一ノ』、 者の
第二一表により、在村、離村の如何に拘らず、俸給生活者(殆どが教職員、公務員、団体勤務者である)の素質の優
秀性が目立つ。即ち上又は中の良質者が九O%以上を占めるが、之に反し商工業従事者特に工業従事者の劣等者の率の
高いのが目立つ。交通業(国鉄、パス、連送会社、電信郵政関係)に従事するものは中位成績の多いことを示しでいる。
自民民雌村の実態
,五
二ハ
仁二)
女
子
の
部
その
既婚女子の部(附、嫁ぎ先地域、配過者の職業と素質との関連性)
本地区において本調査の対象となった女子は七六六人であり、その内死亡八四名、不明六六名、疎開ニ
O名を除き、
五九六人についての検討をなした。
第一三表はその結婚の有無(未亡人も無の内に入れた)死亡、不明(疎開をも含む)及び出身農家、非農家別の内訳
を示す。死亡が男子に比して透かに少いのは男子特有の戦死のない為であり、二一
l二五才の年令眉に不明の者が多い
のは疎開者がニ
O人を占めている為である。尚一六
l一八才の階層五四名の内三人名の学生(高校生)がある。
第一三表
女子被調査員全員数内訳詞べ
一一二二三三四四五 年Jノ、a ム/[, - 占ノ、 ーーー ムノ、 一・ー ムノ、 - fd
言十 i 才一二二三三四四五以 階
八 O 五 O 五 O 五 O 上 層
総七 一 一一一占ノ、 五回二九 0 0 0七五r:. 、 四 O 八八七三四八四 数
死
八 一一 一 一一四 000七六 三 O 四四 亡
疎 不開
八 一 一一を
J、 O 五九六七 O 六九四 合 明む
五(差被調
九 五三九八八八六五三 査
ノ、 四五九五-四 O 八五六 引) 数者
「一一一
四五 七 八七五五三
四 O 四四九 O 四九 O 囚婚
の
無有
一〆-ー、、を未r:. 、 五三四 合亡 無
一 四一五六四六九五二一 u'人、、-〆
農家 結
五 四六 六五五四三 d: 、婚
一 O 三ー五六六 o0 二 り夫者有
非農 の
i¥ -・ -・.・・-ー- 一言R 内
一 O 一三四四八九 O 二 よ 訳
り
出身別(農家、非農家別)による配遇者職業別の検討は第一四表の通りでゐるが、之によれば、農家出身子女にして
農家に嫁するものは半数に過ぎず、商業、俸給生活者之に次ぎ、交通業、其他、工業の順であるが、非農家の子女は商
業を第一とし、農業、俸給生活者之に次ぎ、其の他、交通業、工業の順である。特に注目すべきは、非農家より農家に
嫁する者が二割もあり、農家子女の農家への半数に過ぎない比率と好対照をなしている。
叉俸給庄活者がニ表共に高率を示すことは農村の子女が如何に俸給生活者に魅力を感じているか、
農家で結婚適令の男子が相当多く通勤していることをも物語るものと云えよう。
叉逆に実質は兼業
第一四表出身農家、非農家別配退者職業調べ
(→
農家出身子女
百一一二二三三四四五
年」ノ、 占 u -ーーノ¥ー宇 Aノ、ノ、・ー
分 計 l才l寸ヨ〉
階
比一二二三三四四五以 周八 O 五 O 五 O 五 O 上
農
四一
九七
ーーーーーーー一一一一一一一
ノ~、 五 lニ O 八三七一三一 業%
商
一」ノ¥a
五 一七 オし I 0 八九八九四八三 業
ヱ
一 一九 四 I 0 一四二二三一一 業
交
七通
一. 一五 I 0 二七七五三一 O 業
俸
一給生
ノ¥五 一一 活
七 九 |一九二四九五五四 者
其
のノ、 一
一O ー I 0 一 五二四四二三 他
一一 計五 四六六五五四三
|三一五六六 o0 二
農民離村の実態
七
八
口
非農家出身子女
百 ー一二二三三四四五 主君」ノ、a 占)u -ー~ノ、4 ー. ~ノu、 一ー~ノ、a ーー-
zと'J〉分 計 i 才 階比
ー二二三三四四五以周
八 O 五 O 五 O 五 O 上
渓
一一一
一O 七 1 0 三三四二一三一 業%
商[
ー一五. 一jし 1 0 二四五六ー二一 業
工
一八4
一 1 0 ー 00-0-0 業
交
一通ー
一 一
ー O 1-三三一 O 一一 O 業
一俸給
一 生ー一 活
O 七 1 0 三四 O 五 三 二 O 者
其
一 のノ、
一。 1 0 - 0 四四三ー O 他
一O
百十O 八 a・・・4・ - .司恒国. 圃副圃・. 一
O 一 | 一 三 四四八九 O ニ
嫁入先の地域別の検討に移る。第一五表により之を見れば、嫁入先の地域については農家、非農家たるを問わず、約
四分の三は町村(その八五
l九O%は郡内町村)に嫁し、残り四分の一の大部分は大都市に出ている。
大都市中、大阪市半数以上を占め、神戸之に次ぎ、阪神間の中都市尼崎市、西宮市にも相当嫁し、阪神両都市及び之
を結ぶ線への結婚離村の率は相当高率を示している。
(都市中、大都市への嫁入はその三分の二叉はそれ以上を示す)
更に本地区よりの離村先地域と本人の素質との関連性を見ることとする。素質の判定資料としては前章男子の項の所
説をそのま〉乙訟にも適用する乙ととした。
(第一六表)
第一五表
嫁入先地域別内訳
内 町 中 大 都
訳 都市
計 戸郡-̂-郡-- ふ刊. 都町
市 市村
外内 へ J¥ J¥ 53U
人
E霊一一一一
五 ーーー ニーニ ムノ、 一 五
一 五八三 ムノ、 四 数 家
百 よ
一O 六七 一 一 分 りO 七七四 O 五
O 一 四五 O 五 比%
人
非
戸、 五六 一 良一 九 一 O ムノ、 五 数
家
百
一よ
O 一六 七 一 分O ー三四 七 i¥ り
O - 0 ー 四 五 比%
人
l口L
四三八 二 四 ノム、
四 四九三 一 九 数
百
一O 六七 一 分
言十O 七六四 九 五
O 八六四 七 九 比%
第一六表
嫁入先地域別と素質との関連
町村 中 大 都市J ¥ 都
---、、 都 町を在市 市
合む村者村
J¥ J¥ 53U 一、、ーー"人
上一 の
一 一O 七 数 成績
11:: 属
百 する
一 分も
八 四 九の|
i¥ 四 一 比%
人
中一 のムノ、一 ー 成五 一 五 数 績
l乙属
百 する
四 五 分も
一 のi¥ ムノ、. . .
比%
人
下の
四 一 ー
貫盛I主E主 I 四 O 七 数
属百 す
る
一 一 ー 分 のも四 四
比|. O 四 七
%
大都市は六大都市を指し、中都市は人口十万以上の都市、小都市は人口十万未満のものとした。
第二ハ表を検討すれば、都市、町村への縁組離村者の聞に大差は認め難いが幾分町村への者が都市への者より勝れて
いることを示す。都市の内においては大都市向のものがより上質者を多く出している様であり、中小都市向きのものが
農民離村の実態
九
四O
一番劣ることとなる。
次に配偶者の職業と本人(妻)の素質との関連性を見る乙ととする。
即ち地域を度外視して、夫の職業のみにより分析を試みたのが木表である。
第プ也表
(第一七表)
国偶者の職業と女子の素質との関連性
俸 エ 商 農 職
給 業 業 業 業
者 者 者 者 の
の の の の 穏
妥 妥 実 安 .8U
人|
上の
五成績
七 五 一 数l乙属
百 する
四 一 四 ー 分も
七 九 O 九の. . . .
四 四 比%
人
中
一 の
一 一 O 成績
五 Jノa¥ 数11: 属
百 する
一 四 五 分も
一 の九 九 一 五
七 四 九 五 比%
人
T川 I
一 一 一 成績O 七 一 /¥ 数
l乙属
百 する
ー 四 一 分も
一 の一一 五 五. 九 九 四 比
%
女子の素質とその配偶者の職業との関連性については第一七表の如く、農業者の妻となったものは中席以上のもの多
く概して良質と云えるが、商業者に縁付いた者は農業者の妻に比し可成り優秀であるが、俸給生活者の妻は更に優秀且
劣悪者が少くなっているが、之に反し工業者の妻は明かに劣っていることが分る。之より、俸給生活者の妻の素質の良
一面正業者を配偶者とするものの素質の劣悪
好な乙とは農村より良質の子女を離村ぜしめる傾向にあることが分るが、
なことは都市向の子女の素質をして必ずしも良好ならしめない一因をなす。叉同時に所謂工業都市(尼崎市、堺市の如
き)向きのものに劣悪者の多い因をなしているとも云えるJ
その
未婚女子の部(附
離村と素質との関連性)
未婚者の年令別、在村、離村別内訳は第一入表の通りである。未婚者中四
O名の学生(内学生二名、高校生三八名)
があるが、之を除き一
O二名の内ニ入名が離村しているが(中小都市を主として、大都市、町村の順に)コ二才以上の
女子の離村先が町村であるのは美容師として篠山町に開業しているものであり、三
O才以上になって独身離村をなすも
のが皆無となっている。
即ち女子にあっては移動就職の気分を誘発するのは矢張り三
O才迄であるということを裏書しているようである。
第}八表
未婚者の内訳
一ーー 一一一 一一 一一 一 一 年ムノ、 ーーー ノム、 ー-ー 占7Lf:.、
d寸s3h
言十 階四三三二二一 層O 五 O 五 O 八
未
一婚
四 四三五者
一 一四六五一四 数総
学
四O 0 0 0一一八 生
在
七 一一一 一一 一村
四 一三四四二 O 者
隊
ー 一村
一七 O 一二 O 八六 者
大
都離
七 o 0 一四一一 市
村
中
一小先都
一 o 0 一二五五 市
内
町
訳
七 0 - 0四二 O 村
恭一戦前、女子の移動は最盛期を満二一才とし、それより毎年逐次移動は規則正しく漸減の傾向を辿るといわれていたが
戦後においては義務教育の延長に伴い、
一六|ニ
O才の時期を最盛期として漸減し、満二六|三
O才で殆ど姿を没する
ょうである。
恭(野尻重雄氏「農民離村の実証的研究」第二章
移動年令に関する分析
-七六l一九
O頁)
更に未婚者の在村、離村別の職業内訳を表示すれば第一九表の通りであるが、在村者にあっては通勤者としての事務
員(公務員、団体等勤務)工貝(篠山町唯一の製紐工場である芦森工場の女工員が殆どを占める)がその大部分を占め
農民離村の実態
四
四
るが、離村者にあっては定住出稼ぎの代表的職業とも云うべき女中が筆頭を占め事務員、工員、百員等之に次ぐ。
第一九表
未婚者、,在村離村者別職業調ぺ
付
在
村
者
一・- 一ー- 一一 一一 -・・・ .圃圃聞.
年六ー六一九六
J寸』=3 L 計
層階四三三二二 一O 五 O 五。八
事
務
一一・ 一七 O 二 O 一四 O 員
看
護
一 00--00 婦一
工
一一 O 一二二四二
庖
一 0 0 0 0 0- 員
交
通
一 00000- 業
手
四 一 一一} O 一二三 六 伝
口
離
村
者
一一一 一一一 一一 一ー 一 一年
ムノ、 ームノ、 -ー J ムU ムノ、d寸』コ
計層階四三三ニニー
O 五 O 五 O 八
保
一 o 0:0 - 0 0 母
事
務四 00-ニ ー O
員
交電
換一 000-00
手話
ヱ
四 0-0二一 O員
広
四 000二一一員
女}
O 0 00一四五中
其
の四 - 0 一一一 O
他
lロh
- 一一i¥ ー一二 O 八 六 計
平均
一 五 二三二二三 離一七 O 五三一七七 村
-・一 o 0 三七六五 率一
%
最後に未婚女子の在村、離村者と素質との関連につき検討を加えて見ょう。
(第二
O表)
第二
O表
在村、離村者別素質との関連性の検討
人
百
分
九%
比
人
数
分
数
百
分
比
在
村
者
二四
七
一六・四%
離
村
者
ノ、
二三・
O
四
五一ニ・九
占
ノ、
二一ニ・
O
本表によっても分る様に、在村者の方が粒が揃っているように見え、農村に素質悪いものが残るということは木地区
にあっては杷憂ともいえる。
乙の事は離村者の内で余り頭脳を働かさない女中が相当多数を占めている点からも伺いとれる。更に部落的に女子離
村の風は偏り、離村者二八人中、有居、西岡屋、東問屋、野尻でニ
O人を占め、七割以上を示す。
叉、女子の離村が比較的男子に比し、貧困な家において、より旺盛なのは前述の男子の上田階層よりの活漉な離村と
好対照であり、この事も卒百に表現せられている。
第
む
す
び
以上本論において述べた男女別一小学校区の農民離村の実状を本分析により把握し得た事象を簡潔に次に掲げる。
(甲)
男子について
付
各部落共に離村率高く、然かも離村状況は農家一戸当耕作反別の広狭に拘泥せず、離村に関しては伝統的に部落
色を有するものであること。
農民離村の実態
四
四四
口
離村率(ここにいう離村率は木地域小学校の学籍簿による村民を対象として、その全員に対し離村者の百分比を
称する)は概して非農家出身者に高く、農家出身者に比し約一O%高い。
国伺
離村先はその七割は都市、残り三割は町村であり、都市の内七O%は大都市でゐり、町村の内七O%は多紀郡内
の首巴篠山町で伺らかの職業に就き居住している。
離村者の年次別離村率の傾向は、農家出身者にあっては殆ど正しいカ
lブを描き三六1
四O、四一
l四五才のも
のを最高のピ
Iクとしているが、非農家にあっては、年令階層に関せず、且その率は圧倒的に高い。
長男の離村は、農家にあっては断然低くj
非農家にあっては四八%を示し、半数に近い。
内離村者の職業別内訳は、農家、非農家の聞に大差ないが、何れにおいても商業第一を占め、工業或は俸給生活者
交通業之に次ぎ、第二次又は第三次産業への移行は著しいものがある。
同在村者中における通勤率は長男、一一三男の聞には大きい差異は認められないが、農家出身者と非農家出身者との
聞には大なる差があり、非農家の離村は明かに旺盛である。
刊離村者と在村者との素質上における差異は殆ど見られないし、叉地域的に大都市、中小都市、町村への離村者間
にあっても、大した差異は認められないが、職業による素質の相違は相当あり、特に在村、離村ぞ間わず、俸給空
活者の素質は極めて良好であり、工員の素質は劣悪である乙とが目立つ。
国(乙)
女子について
付
農村女子の配遇者中、最も多数を予想せられる農家(農業従事者)の比率が比較的低く、四三四人中、
であり、百分比四四・二%でゐり、農家出身者よりの率も半数に過ぎず、残りの半数は農業以外の職にあるもの
たとえその家は兼業農家ではあっても、通勤俸給生活者その他農外所得により生計を立てつつあるもの)に縁付く
が、逆に非農家よりはその一二%が農家の妻女となっているものがあることは対照的である。
一九二人
口
嫁入先地域と本人の素質との間の関連性には確たる差異は認め難いが、町村への縁付離村者は都市への縁付流出
者に比して中庸のもの多く、劣質のもの少く、粒において揃っているようである。
同
配偶者の職業と女子の素質との関連であるが、之叉男子の素質と職業の種別との関連性の聞において著しい傾向
があると同じく、判然とその傾向を見出し得る。即ちその出身の農家、非農家たるぞ間わず、俸給生活者の妻が最
高を一示し、商業者、農家之に次ぎ、(農家は中庸のものが多い)工業者の妻の素質は最も劣る。
元よりこの現象は、工業者はその殆どが平工員即ち一般の職工に過ぎず、大工業家叉は企業主の許に嫁したもの
の数は殆ど皆無に等しい事情にも因る。
伸一未婚女子の離村の傾向はその最も離村熱旺盛なのは一六iニOの年令階層であり、二一|二五才の階層となれば
判然と低下する。(元より二六才以上の年令階層はその該当人員も少く、之を以て結論-つけることは当らない)
岡本地区は郡内首邑筏山町の一部をなし、通勤に便利な為、町役場その他各種公共団体、中小企業商工業(特に本
地区東問屋に所在する芦森製紐工場)
への通勤者等相当多くを占め、之等子女の現金収入に依存する零細兼業農家
の実態を具現しているものと云える。
以上私は一校区の学籍簿を基として、所謂一小学校同窓生全部(学籍簿に記載ある白のは少くとも全部包含した)に
ついての離村、在村の現象につき、叉更に素質と職業、地域との関連に就いて検討をなしたのであるが、一面本地区へ
の人口の逆流現象(「帰村」「入村」といわれる。野尻重雄氏「農民離村の実証的研究」三五八
l三九七頁、第五篇、
第一章、移動の逆流現象と其の性格、参照)をも同時に考究して初めて意義を有することは当然でゐるが、今回は都合
により、以上の論及に止めた。
私は更に丹波の一農村一校区のみに止まらず、更に進んで純山村1
農山村のニ校区を選ぴ、近く検討の歩を進めたい
と考えている。
ーーー三二、一二、
一五ーーー
農民離村の実態
四五