14
89 5 GDP の決定 前章では,一国全体のリアルな(実物的な)経済活動をとらえる統計としての GDP が, どのように計算され,どのような意味を持つのかを考察してきました.本章では,この GDP の大きさがいかにして決定されるのか,そしてどのような要因に影響されるのかを 考察していきます. ところで,ここまで為替レートと利子率の決まり方について議論してきましたが,いず れも市場における需要と供給の相互作用によって決められると結論づけてきました.本章 でも同様に,製品・サービスの総生産額である GDP は,製品・サービスへの需要と供給 の相互作用によって決まるというストーリーを展開していきます.以下では,最初に一国 内で生産される製品・サービスへの「総需要」がどのような要因に影響されるかを考察し ます.次に,「総供給」についてみた後,総需要と総供給の相互作用がいかにして GDP 決定するかを考察します. 5.1 製品・サービスへの需要 一国内で生産される製品・サービスへの需要は,どのような要因に影響されるのでしょ うか.これは,購入するのが誰かによって異なります.たとえば,政府が製品・サービス の購入を増やす理由と私たち一般家計が増やす理由とが異なるであろうことは,比較的容 易に理解できるでしょう.企業が購入を増やす理由も,家計や政府とはまた異なるでしょ う.したがって,製品・サービスの需要の決定要因を考察する際には,以下のように需要 者によって(すなわち購入目的によって)分けて考えるのが合理的です. A 家計による需要 消費需要Consumption demand, C B 企業による需要 投資需要Investment demant, I C 政府による需要 政府需要Government demand, GD 外国による需要 輸出需要Export Demand, EX これは,前章の GDP 統計において,国民の支出を支出者によって「消費」「投資」「政

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89

第 5章

GDPの決定

前章では,一国全体のリアルな(実物的な)経済活動をとらえる統計としての GDPが,

どのように計算され,どのような意味を持つのかを考察してきました.本章では,この

GDPの大きさがいかにして決定されるのか,そしてどのような要因に影響されるのかを

考察していきます.

ところで,ここまで為替レートと利子率の決まり方について議論してきましたが,いず

れも市場における需要と供給の相互作用によって決められると結論づけてきました.本章

でも同様に,製品・サービスの総生産額である GDPは,製品・サービスへの需要と供給

の相互作用によって決まるというストーリーを展開していきます.以下では,最初に一国

内で生産される製品・サービスへの「総需要」がどのような要因に影響されるかを考察し

ます.次に,「総供給」についてみた後,総需要と総供給の相互作用がいかにして GDPを

決定するかを考察します.

5.1 製品・サービスへの需要

一国内で生産される製品・サービスへの需要は,どのような要因に影響されるのでしょ

うか.これは,購入するのが誰かによって異なります.たとえば,政府が製品・サービス

の購入を増やす理由と私たち一般家計が増やす理由とが異なるであろうことは,比較的容

易に理解できるでしょう.企業が購入を増やす理由も,家計や政府とはまた異なるでしょ

う.したがって,製品・サービスの需要の決定要因を考察する際には,以下のように需要

者によって(すなわち購入目的によって)分けて考えるのが合理的です.

A 家計による需要 → 消費需要(Consumption demand, C)

B 企業による需要 → 投資需要(Investment demant, I)

C 政府による需要 → 政府需要(Government demand, G)

D 外国による需要 → 輸出需要(Export Demand, EX)

これは,前章の GDP統計において,国民の支出を支出者によって「消費」「投資」「政

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90 第 5章 GDPの決定

府支出」「輸出」に分けて考えたのと,発想としては同じです(第 4章参照).

ところで,消費需要・投資需要・政府需要には,自国製品・サービスだけでなく外国製

品・サービスへの需要も含まれています.したがって,上記 4つの需要を合計すると,自

国製品への真の需要を上回ってしまいます.そこで,自国製品への真の需要を求めるため

には,上記 4つの需要の合計から自国民による外国製品への需要,すなわち輸入需要を差

し引かなければなりません.

E 外国製品への需要 → 輸入需要(Import demand, IM)

自国製品・サービスへの需要の合計–総需要–は以下のようにして求められます.

自国製品への総需要 =消費需要+投資需要+政府需要+輸出需要−輸入需要 (5.1)

以下,それぞれの需要について,どのような要因に影響されるのか確認していきま

しょう.

5.1.1 家計による需要:消費需要

ある 1年間に家計がどれだけの製品・サービス購入しようと考えるかは,概ねその年の

家計の所得総額に影響されると考えられます.ところで,第 4 章で見たとおり,家計の

所得(GNDI)は一定の仮定のもとで生産(GDP)に等しくなります*1.従って,製品・

サービスに対する家計の需要は GDPが大きいときほど大きくなる,と考えることができ

ます.

GDP(所得)

消費需要

Y

C

60

300 500 700

230350470

図 5.1: 消費需要と GDP(所得)の関係

GDPと消費需要の関係を図示したものが図 5.1です.図 5.1には,消費と GDPの関

係に関する以下の 3つの「仮定」が表現されています.

仮定 1 GDP(所得)が大きいほど消費需要が大きい.↔ グラフは右上がり.

*1

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5.1 製品・サービスへの需要 91

仮定 2 GDP(所得)がゼロであっても一定量の消費は行う. ↔ 切片が正.

仮定 2 GDP(所得)の増加分すべてを消費にまわすことはしない. ↔ 傾きが 1より小

さい*2.

仮定 2はある意味当然です.たとえ所得がゼロ(GDPがゼロ)だとしても,生きるの

に最低限必要な購入は実行しようとするでしょう.

仮定 3 については,次のように考えてみて下さい.すなわち,昨年までは年間所得が

500万円で,そのうち 350万円を製品・サービスの購入にあてていたとします.そして,

今年は所得が 501万円に増えたとしましょう.仮定 3は,増えた 1万円をそのまま全部

使ってしまう(=今年は 351万円を製品・サービスの購入にあてる)ことはない,という

ことを意味しています.すなわち,所得が 1 万円増えたとしても,増えた分のすべてを

財・サービスの購入にまわすのではなく,一部は貯蓄するということです.

ところで,家計の消費額に影響を与える変数は GDP以外にも考えられますが,図 5.1

ではそれらの変数は一定として,GDPのみが変化したとき消費がどう変化するかを描い

ています.たとえば,所得以外に家計の「マインド」も消費支出に影響を与えると考えら

れますが,図 5.1は消費者のマインドを一定として,GDPの変化とともに消費需要がど

う変化するか,すなわち GDPの影響のみを表しています.

では,消費者のマインドの変化の影響は,図ではどのように表されるでしょうか.GDP

が同じ 500 であっても,人々が将来に対してより楽観的な場合には,消費支出は 350 で

はなく 450 となるかもしれません.これは,図でいえば,人々が楽観的な場合にはグラ

フが上方にシフトすることを意味します(図 5.2).逆に,人々がより悲観的になれば,同

じ GDP のもとで消費需要は減少するでしょう.このように,消費需要に影響を与える

GDP以外の要因が変化すると,グラフそのものが上下にシフトすることになります.こ

の点は後に重要になってきますので,ここで理解しておいてください.

GDP(所得)

消費需要

Y

C

61

500

350450

消費者のマインドが好転すると,

以前と同じ所得でも消費需要は

増加する.

図 5.2: 消費マインド好転の影響

*2 グラフの傾きとは,横軸の変数(ここでは GDP)が 1増えたとき,縦軸の変数(ここでは消費)がいく

つ増えるかのことです.視覚的にはグラフの傾斜のことです.GDPが 1増えるときに消費需要も 1増え

るならば(=増えた所得すべてを使ってしまうならば),傾きは 1になります.

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92 第 5章 GDPの決定

5.1.2 企業による需要:投資需要

上では,家計による製品・サービスの購入額が家計の総所得である GDPに強く影響さ

れることを見ました.では,ある 1 年間に企業がどれだけ工場や機械設備を購入するか

は,やはり GDPに影響されるのでしょうか.

一般に,企業が製品を購入する主な目的は,将来の急な需要増に備えて在庫を増やして

おくことであったり,やはり将来の需要増に備えて生産能力を増強するための機械設備の

購入です.したがって,こうした意思決定は企業の将来予想に強く影響されるものであっ

て,今年の GDP にさほど強く左右されるものではないでしょう.そこで,ここでは現

実の一次近似として,企業の需要は GDPに影響されないと考えて話を進めていきます.

すなわち,GDP が 500 兆円であろうが 700 兆円であろうが投資需要は一定ということ

です.

一方で,企業の投資意欲は債券の利子率に強く影響されると考えられます.これは,一

般に企業は工場や機械設備の購入資金を銀行からの借入や債券・株式の発効によって賄う

ためです.すなわち,銀行貸出や債券の利子率が投資の「費用」となっているのです.し

たがって,利子率が高いときには,在庫の増強や新規の工場建設や機械設備導入による将

来の収入増が相殺されてしまうかもしれません.非常に高いリターンが期待される工場建

設のみが実行されることになるでしょう(=投資計画は小規模になる).反対に,利子率

が低いときには,それほど高いリターンの期待できない工場建設であっても投資コストを

上回るため,多くの工場建設が計画されることになります(=投資計画は大規模になる).

以上より,利子率と企業の投資需要の間には図 5.3のような右下がりの関係があると考

えられます.

62

投資需要

利子率

I

i

120

0.02

160

0.01

図 5.3: 投資需要と利子率

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5.1 製品・サービスへの需要 93

5.1.3 政府による需要

上では,企業による意思決定がその年のGDPにほとんど影響されないことを見ました.

同様に,政府による購入計画の決定も GDPの規模には影響されないと考えられます.

貨幣供給量のところで中央銀行の意思決定を考えたときと同じ論理が,ここでも通用し

ます.すなわち,政府は主として政策的意図によって製品・サービスの購入計画を決めて

いるのであって,その決定は GDP(家計の所得の総額)に強く左右されることはありま

せん*3.GDPが 500兆円であろうが 700兆円であろうが,政府の政策判断や政策目的が

変化しない限り,政府の購入計画は一定と考えられます.

一方で,政府の政策判断や政策目標が変化すれば政府支出は変化します.たとえば,政

府が景気を下支えする必要が生じたと判断すれば,自ら率先して需要を喚起すべく購入を

増やそうとするでしょう.反対に,政府が景気をクールダウンさせる必要が生じたと判断

すれば,購入を縮小させるでしょう.また,政府が政策目標を景気の安定から財政赤字の

縮小に変更する場合も,政府は購入を抑制しようとするでしょう.

5.1.4 外国による需要:輸出需要

我が国の製品・サービスに対する需要を構成する最後の要因,すなわち外国居住者の日

本製品に対する需要 –輸出需要– は GDPにどう影響されるでしょうか.常識的に,非居

住者の意思決定が「日本の」GDP と関係あるとは考えられないので,輸出需要は GDP

とは無関係で,GDPが変化しても影響を受けないと仮定して問題はないでしょう.

一方で,日本製品に対するアメリカの需要は,アメリカの所得(=アメリカのGDP)か

らは強い影響を受けると考えられます.すなわち,アメリカの家計の支出はアメリカの家

計所得とともに増えますが(これは日本の家計の消費需要を考えたときと同じロジックで

す),増えた分の支出のいくらかは日本製品にも向けられるでしょう.従って,アメリカ

の GDPの増加は日本の輸出需要を増加させると考えられます.

さらに,輸出需要は為替レートによっても大きく影響されると考えられます.これは,

たとえ日本製品の円建価格が一定であっても,為替レートが変化することでドル建の価

格が変化するためです.たとえば,1000円の日本製品をアメリカ居住者が購入する場合,

*3 「政府の支出は税収に支えられている.ところで,税収は GDP(家計の所得)と関係があるのだから,

政府の購入も GDPの大きさに影響されるはず」と考える方もいるでしょう.実に論理的な発想です.し

かし,政府の(今年の)購入は必ずしも(今年の)税収に制約されるとは限りません.国債を発行して借

金をし,税収以上の購入をすることも可能なのです.そして,政府の場合,その信用力から一般家庭に比

較して支出が収入に制約される度合いは低くなっています(このことが現在の日本のような問題を引き起

こしている根本的理由ですが…).そう考えると,やはり政府の支出計画の決定がその年の GDP に特別

強い影響を受けることはないという仮定も,それなりに妥当であると言えます.

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94 第 5章 GDPの決定

為替レートが 100円であれば 10ドル必要になります.

1000円

100円/ドル= 10ドル

しかし,為替レートが 105円に上昇すると (円が減価,ドルが増価すると),必要なドルは

約 9.5ドルへと減少します.1000円

105円/ドル= 9.5ドル

ドルの増価は「1ドルで購入可能な円の量の増加」を意味するため,同じ円建価格の製品

であっても,アメリカ人がそれを購入するのに必要なドルの量(これを「ドル建価格」と

いう)が減少するのです.

このように為替レートの上昇によって日本製品のドル建価格が低下すれば,アメリカ製

品の価格が不変であっても,アメリカ人は相対的に安価になった日本製品で相対的に高価

になったアメリカ製品を代替しようとするでしょう.すなわち,アメリカ製品から日本製

品へと支出をいくらか移すと考えられます.したがって,為替レートの上昇(円の減価,

ドルの増価)は日本の輸出需要を増加させると考えられます.

5.1.5 外国製品への需要:輸入需要

所得額は,家計のその年の支出額全体に影響を与えるのであって,「自国製品にいくら,

外国製品にいくら」という生産国別の支出計画に影響するわけではありません.利子率

も,企業の投資額全体に影響を与えるのであって,「自国製品にいくら,外国製品にいく

ら」という生産国別の支出計画に影響するわけではありません.政府の場合も同様です.

これは,消費需要・投資需要・政府需要には外国製品への支出も含まれていることを意味

します.したがって,自国製品への総需要を求めるためには,これらから外国製品への支

出 –輸入需要– を差し引く必要があります.では,私たちの輸入需要はどのような要因に

依存するのでしょうか.

第 1に,私たちの外国製品への需要は私たちの所得,すなわち GDPに依存すると考え

られます.先に家計の消費需要が家計の所得(GDP)とともに増加すると仮定しました

が,増加する支出の一部は外国製品にもまわるでしょう.したがって,輸入需要は GDP

とともに増加すると考えても問題ないでしょう.

さらに,輸入需要も,輸出需要と同様に為替レートによっても大きく影響されると考え

られます.これは,たとえアメリカ製品のドル建価格が一定であっても,為替レートが変

化することで円建の価格が変化するためです.たとえば,10ドルの日本製品を日本人が

購入する場合,為替レートが 100円であれば 1000円必要になります.

10ドル× 100円/ドル = 1000円

しかし,為替レートが 105 円に上昇すると (円が減価,ドルが増価すると),必要な円は

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5.1 製品・サービスへの需要 95

1050円へと増加します.

10ドル× 105円/ドル = 1050円

ドルの増価は「1ドルを購入するのに必要な円の量の増加」を意味するため,同じドル建

価格の製品であっても,日本人がそれを購入するのに必要な円の量(これを「円建価格」

という)が増加するのです.

このように為替レートの上昇によってアメリカ製品の円建価格が低下すれば,日本製品

の価格が不変であっても,日本人は相対的に安価になった日本製品で相対的に高価になっ

たアメリカ製品を代替しようとするでしょう.すなわち,アメリカ製品から日本製品へと

支出をいくらか移すと考えられます.したがって,為替レートの上昇(円の減価,ドルの

増価)は日本の輸入需要を減少させると考えられます.

5.1.6 製品・サービスへの総需要

ここまで製品・サービスへの需要を需要者ごとに,それぞれどのような要因によって影

響を受けるか考察してきました.これら消費・投資・政府支出・輸出を足し合わせて輸入

を差し引けば, 製品・サービスへの需要の合計,すなわち「総需要」になります.

総需要 =消費需要+投資需要+輸出需要−輸入需要= C(Y ) + I(i) +G+ EX(E0, Y

∗)− IM(E0, Y ) (5.2)

いま私たちは GDPがどのような水準に決定されるかに関心があります.そこで,この

総需要が GDPにどう影響されるかを見てみましょう.その際,総需要に影響する他の変

数は止めておく必要があります(そうでないと GDP の純粋な影響を見ることはできな

い).さしあたり,以下のように設定しておきましょう.

i = 0.02

G = 50

E0 = 100

Y ∗ = 800

なお,利子率が固定されれば投資需要も固定されます.いま,利子率が 0.02の場合の

投資需要を 160としましょう.

また,為替レートとアメリカの GDPが固定されていれば,輸出需要も固定されます.

いま,為替レートが 100円でアメリカGDPが 800の場合の輸出需要を 50としましょう.

従って,上の設定は次のことを意味しています.

I = 160

G = 50

EX = 50

E0 = 100

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96 第 5章 GDPの決定

当たり前の話ですが,GDP 以外の変数を固定すれば,GDP から影響を受けない需要

(投資需要,政府需要,輸出需要)は全て固定されます.

以上の設定のもとで,GDP(所得)のみが変化するとき総需要はどう変化するでしょ

うか.表 5.1はひとつの仮想例です.I,G,EX は固定されたまま,GDPの変化とともに

C と IM のみが変化し,それに従って総需要が変化していく様子を確認できるでしょう.

GDP(所得)の上昇とともに消費需要 C が増加しますが,同時に外国製品への需要 IM

も増加していきます.しかし,増やした分の支出すべてを外国製品にまわすということは

ないので,GDPの上昇とともに国内製品への総需要は必ず増加します.

表 5.1: 総需要の数値例

総需要

GDP C I G EX IM C + I +G+ EX − IM

300 230 160 50 50 70 420

400 290 160 50 50 90 460

500 350 160 50 50 110 500

600 410 160 50 50 130 540

700 460 160 50 50 150 580

これを図示すると,図 5.4 のようになります.注意すべきは,この直線はあくまで

i, G,E0, Y∗ を一定値に固定して描かれたものだということです.従って,これらの変数

のいずれかが変化すれば,GDPと総需要の関係はまた違ったものになります.すなわち,

総需要曲線はシフトすることになります.

900,100,50,02.0*

0==== YEGi

300 500 700

420

500

580

GDP(所得)

総需要

Y

のときのGDPと総需要の関係

( )100,50,50,1600==== EEXGI

図 5.4: GDP(所得)と総需要の関係

次に,製品・サービスの供給について簡単に説明し,いよいよ総需要と総供給の相互作

用による GDPの決定について考察していきましょう.

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5.2 製品・サービスの総供給 97

5.2 製品・サービスの総供給

製品・サービスの供給と GDPの関係は明快です.すなわち,GDP自体が最終生産物

の総生産額を表していますから,GDPの大きさと製品・サービスの供給量とは完全に一

致します.たとえば,GDPが 500であれば,それは 500の最終生産物が生産し,供給さ

れるということです.同じく,GDPが 700であれば,700の最終生産物が生産・供給され

ます.したがって,GDPと総供給の関係は図 5.5のように傾きが 1の直線で表されます.

°45

300 500 700

300

500

700

GDP(所得)

総供給

Y

図 5.5: GDP(所得)と総供給の関係

5.3 GDPの決定:製品・サービス市場の均衡

貨幣市場と同様,製品・サービスの総需要(図 5.4)と総供給(図 5.5)を同じ平面に描

くことで,GDPを介して需給が一致することを見ることができます.

°45

500300 700GDP(所得)

総需要・総供給

Y

総供

総需要

総需要

総供給

図 5.6: 製品・サービスの需給の一致

図 5.6からわかるように,GDPが 500のとき,製品・サービスの需要と供給がちょう

ど一致しています(総需要・総供給ともに 500).このとき,製品・サービス市場は均衡状

態にあります.なぜなら,GDPが 500のとき,企業が生産した量にちょうど見合うだけ

の需要がありますから,売れ残って余計に在庫を増やしてしまったり,逆に製品が不足 し

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98 第 5章 GDPの決定

て想定外に在庫を減らしたりすることがありません.したがって,企業は生産(GDP)を

変える理由がありません.来年度以降も同じ 500だけの製品・サービスを生産するでしょ

う.すなわち,ひとたび 500だけの製品・サービスを生産するようになれば,もはやそこ

から生産量を変える誘因は企業にはありません.500が均衡 GDPなのです.

一方,GDPが 500より小さい水準にあるとき何が起こるでしょうか.たとえば,GDP

が 300 のとき,図 5.6 からわかるように製品・サービスへの需要は供給を上回っていま

す.このとき,企業は今年の生産に加えて昨年までに積み上げてきた在庫を放出するこ

とで,今年の生産を超える需要に対応します.しかし,結果として企業は想定外の在庫減

にみまわれて,予定していた購入(=在庫の積み増し)ができなくなります.したがって,

来年度以降はこのようなことがないよう生産(GDP)を増やすのです.需要が供給を上

回る限り,企業は在庫減にみまわれて翌年の生産を増やしていきます(図中矢印).そし

て,生産をちょうど 500まで増やした時,もはや在庫減にみまわれることはなくなり,そ

れ以上生産を増やす誘因を失います.

GDP が 500 より高い水準,たとえば 700 であるときはちょうど逆のことが起こりま

す.すなわち,製品・サービスの供給が需要を上回っていますので,売れ残りが生じ,企

業の在庫が想定した以上に積み上がる結果になります.当然,企業は必要以上に在庫を抱

えることを嫌がりますから,翌年以降は生産(GDP)を減らすことになります.供給が

需要を上回る限り,企業は在庫増にみまわれて翌年の生産を減少させていきます(図中矢

印).やがてちょうど 500まで減らしたとき,もはや想定外の在庫増にみまわれることも

なくなり,それ以上生産を減らす理由はなくなります.

以上のように,GDPが 500以外の水準にあるとき,企業の自主的な行動の結果 GDP

は 500へと向かっていきます*4.そして,ひとたび 500に到達すると,もはや企業に生産

を変える理由は存在しません.したがって,「GDPは製品・サービスの需給が一致するよ

うな水準に決まる」と言ってよいでしょう.

製品・サービス価格の短期的な硬直性

ここまでの話で,注意深い読者は第 1~3章と本章の間にひとつの決定的な違いがある

ことに気付いたかもしれません.第 1~3章では「価格」が動くことによって 需給が調整

されたのに対して,本章では価格は一切姿を現していません.すなわち,第 2章ではドル

の需給を一致させるよう,ドルの価格である為替レートが変化しました.同様に,第 3章

では,貨幣と債券の需給を一致させるよう,債券の価格(およびその裏側である利子率)

が変化しました.これに対し,本章では,製品・サービスの需給を一致させるようそれら

の価格が動くのではなく,需要量にあわせて供給量が直接変化することによって需給が一

*4 余談ですが,ここで「消費需要曲線の傾きが 1より小さい」という仮定が効いてきます.もし傾きが 1よ

り大きいと,場合によっては総需要曲線の傾きが 1 を超えてしまいます.このとき,GDP が 500 に吸

い寄せられるメカニズムは機能しません.むしろ,500から離れていく力が働いてしまうのです.この点

は,傾きが 1より大きい総需要曲線を書いて,自分で確認してみるとよいでしょう.

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5.4 均衡 GDPの変動 99

致するというストーリーが展開されました.この違いは,本講義のこれまでの話が「短期

の」経済変動を扱っているということ,そして短期においては製品・サービスの価格はそ

れほど大きくは動かないと考えられていることに起因します.

一般に,新たに供給されるもの(フロー)に比較してすでに存在しているもの(ストッ

ク)が圧倒的に多いような場合には,「数量」の変化は全体の取引量のごく少数を占めるに

すぎず,「価格」の変化による需給調整が支配的になります.反対に,フローに比較して

ストックが少ない市場では,価格よりも数量の変化による調整が支配的となるのです.前

者の例は外国為替市場や貨幣・債券市場です.これらの市場では,過去に発行された借用

書(円建・ドル建の債券や貨幣)が大量に蓄積されており,日々取引されている一方,短

期間で新たに発行される借用書はそれらストックに比較すれば無視し得る量です.定義に

よってストック量は短期的には変化できませんから,価格変化によって需給を調整するし

かありません.一方,製品・サービスについては,そもそも過度の在庫(=ストック)を

抱え込まないように企業家が意思決定を行うわけですから,短期であっても在庫の取引と

いうのは量的にそれほど多いものではありません.したがって,新規に供給される製品・

サービスの取引が大部分を占めることになり,数量の変化で需給を調整することが可能と

なります.

こうしたストックとフローの相対的重要性の相違に加えて,製品・サービスの価格には

短期的な硬直性があることも知られています.実際,為替レートや株価の変動については

日々耳にするのに,私達にとってもっと身近な製品・サービスの価格が大きく変動す る

場面に出くわすことは稀でしょう.たとえば,ポテトチップの価格が数カ月で 3割増しに

なったり,美容室のカット料金が先月から 3割低下したりすることはまずありません.製

品・サービス価格が短期的硬直性を示す理由については様々な仮説がありますが,経験的

事実として短期的にはこれらの価格は動きにくいと考えることができます.当然ながら,

たとえば 5年・10年といったより長いタイムスパンで経済を見る場合―いわゆる長期的

な経済の変動―には,製品・サービス市場であっても価格の変化が起こると考えなければ

なりません.

5.4 均衡 GDPの変動

ここでもう一度,図 5.4および図 5.6の総需要曲線が総需要に影響を与える GDP(所

得)以外の要因を一定として描かれたものであることを思い出してください.具体的に

は,図 5.4の総需要曲線あるいはその背後にある表 5.1は,利子率,政府需要,為替レート

および外国の所得を特定の値に固定した上で(i = 0.02, G = 50, E0 = 100, Y ∗ = 900),

自国の所得と総需要の関係を表したものです.したがって,これら前提となる変数の値が

変化すれば,総需要曲線自体を書き直す必要があります.すなわち,総需要曲線がシフト

することになります.

図 5.7からわかるように,総需要曲線がシフトすれば,製品・サービス市場の需給を一

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100 第 5章 GDPの決定

°45

500300 700GDP(所得)

総需要・総供給

Y

図 5.7: 均衡 GDPの変化

致させる GDPの水準も変化します.これは,利子率や為替レートが異なる値をとれば,

以前と同じ GDPであっても総需要の水準が変化してしまうため,もはや以前の GDPで

は需給を均衡させることができないからです.したがって,新たな条件のもとで需給を均

衡させるためには,異なった水準の GDPが必要となります.すなわち,均衡 GDPが変

化するのです.

以下,どの変数のどのような変化が総需要をどのように変化させ,均衡 GDPをどう変

化させるかを確認していきましょう.

利子率の変化

私たちはここまで,利子率を 0.02に固定して GDPと総需要の関係を考えてきました.

では,利子率が 0.01 である場合には,GDP と総需要の関係はどう変わるでしょうか.

今,仮に利子率が 0.02から 0.01へと低下すると,投資需要が 160から 220へと増えると

仮定します.すると,表 5.2のように全ての GDP(所得)の水準において投資需要が 60

だけ増加しますので,総需要も全ての GDP の水準において 60 だけ増加します.なお,

他の変数(G,E0, Y∗)は一定のため,他の需要項目は変化していません.

表 5.2: 利子率低下の効果

総需要

GDP C I G EX IM C + I +G+ EX − IM

300 230 160→220 50 50 70 420→480

400 290 160→220 50 50 90 460→520

500 350 160→220 50 50 110 500→560

600 410 160→220 50 50 130 540→600

700 460 160→220 50 50 150 580→640

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5.4 均衡 GDPの変動 101

全ての GDPの水準において総需要が 60だけ増えるということは,グラフ上では総需

要曲線が 60だけ上方にシフトすることを意味します(図 5.8).従って,均衡 GDPは増

加します.

°45

500 600

67

のときの

総需要曲線

01.0=i

のときの

総需要曲線

02.0=i

GDP(所得)

総需要・総供給

Y

投資需要の増加

図 5.8: 利子率低下と均衡 GDP

利子率の低下は,どのようなメカニズムで均衡 GDPを増加させるのでしょうか.引き

続き図 5.8を用いて確認してみましょう.

利子率が低下する前,GDP500で製品・サービスの需給は一致し,市場は均衡していま

す.ここで利子率が 0.01に低下すると,投資需要が増加するため,その分だけ総供給 500

を総需要がはみ出ることになります.企業はさしあたりは在庫を放出することで超過需

要に対応しますが,次期以降は在庫を減らさずに済むよう生産を拡大していきますので,

GDPは増加していきます.やがて GDPが 600まで増加すると,新たな利子率の下で総

需要と総供給が再び一致し,もはや在庫減にみまわれることもなくなるため,企業は生産

をそれ以上増やそうとはしなくなります市場は再び均衡を実現するのです.

利子率の上昇については,全てが反対になります.すなわち,投資需要が減少し,全て

の GDP の水準において総需要が同額だけ減少します.これは総需要曲線が下方にシフ

トすることを意味しますので,総供給曲線との交点は右側に移動し,均衡 GDPは減少し

ます.

政府需要,為替レート,外国所得の変化

利子率以外の変数についても,同じように考えれば均衡 GDPに及ぼす効果はわかりま

す.すなわち,投資・政府・輸出需要のいずれかを増加させるような変化–政府需要の増

加,為替レートの上昇(輸出需要の増加),外国所得の増加(輸出需要の増加)–あるいは

輸入需要を減少させるような変化–為替レートの上昇–は総需要を増加させ,均衡 GDPを

増加させます.反対に,需要を減少させるような変化–政府需要の減少,為替レートの低

下(輸出需要の減少,輸入需要の増加),外国所得の減少(輸出需要の減少)–は総需要を

減少させ,均衡 GDPを減少させます.

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102 第 5章 GDPの決定

本節の冒頭でみたように,利子率・政府需要・為替レート・外国所得の値が与えられれ

ば総需要曲線の形が決まり,総供給曲線との交点から均衡 GDPが決まります.そして,

これらの変数の値が変化すれば総需要曲線の形状が変化し,総供給曲線との交点すなわち

均衡 GDPも変化します.これは,いわば利子率・政府需要・為替レート・外国所得が均

衡 GDPの値を「決めている」と言うこともできます.

利子率

為替レート

政府需要 総需要

=総供給

外生変数

内生変数

日本のGDP

アメリカのGDP(所得)

図 5.9: GDPの決定

この図をみて勘のいい人はすぐに気づいたと思いますが,ここで GDPを決める変数と

して登場する利子率と為替レートは,資産市場および外国為替市場では決められる変数で

した.すなわち,為替レートは利子率によって決められる変数であり,利子率はGDP(所

得)によって決められる変数でした.ここからわかることは,どちらかがどちらかに一方

的に影響を与えるのではなく,これらの変数間に相互作用があるということです.GDP

は利子率を決めつつも,利子率によって決められるという関係にあるのです.

これまでは,こうした市場間の相互作用は意図的に無視して話を進めてきました.たと

えば資産市場の分析においては,「利子率は GDPによって影響されるが,利子率の変化

は GDPには影響しない」として,資産市場から製品・サービス市場へのフィードバック

を意識的に捨象しました.同様に製品・サービス市場の分析においては,「GDPは利子率

によって影響されるが,GDPの変化は利子率には影響しない」として,今度は製品・サー

ビス市場から資産市場へのフィードバックを捨象しました.しかし,私たちのマクロ経済

の描写を完成させるためには,この相互作用を正面から取り入れる必要があります.すな

わち,GDP・為替レート・利子率が相互に影響しあう状況において,経済はどのような状

態に落ち着くのか,それはどのようなショックにどのように影響されるのかを考察する必

要があるのです.

次章では,これまでに築いてきた 3つのモデル–為替レート決定モデル(第 2章),利子

率決定モデル(第 3章),GDP決定モデル(第 5章)–を結合することで,こうしたGDP-

利子率-為替レート間の相互作用を取り入れたマクロ経済全体の動きを描写するモデルを

構築します.そのうえで,経済がどのような水準に落ち着くのか,外的なショックにどう

反応するのかを考察していきます.