FORMEforme | 312 | 06 そもそも想像力とは何か?自由に思いをはり巡らせる行為に対し、苦手意識をもつ児童生徒は少なくない。造形活動の源となる想像力。

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No.02

FORME AND

VISION

線と面

 『みる』は漢字で『目』の下に人を

表す『儿』と書いて『見』です。何

かが単に瞳に映り込んでいる状態で

なく、目を通じて意識的にまたは無

意識に知覚し、何かしらの理解をす

ることを意味します。人は目覚め、

目を開いている間、目には相当量の

視覚情報が飛び込んできます。単純

に目に映るもの全てを同等に受け入

れるのではなく、必要とするまたは

印象の強いものが脳の機能によって

選別され、その対象がこう見える、

こうだと思われると理解します。

 ここではその『形の認知』に焦点

を当て、図を用いて探ります。

 今回の図は同じ長さで幅の違う

「線」を並べたものです。上方のい

くつかは、ほぼ無条件に

「線」とし

て理解するかと思います。下へ向か

い、幅が徐々に広がると「面」の認

識が加わってきます。「線」よりも

「面」の認識が強まったとき、対象へ

の理解が長方形などの矩形へと変化

します。

そして「面」として理解す

ると同時に、

その形を捉えるために

周りをかたちづくる輪郭を意識しま

す。「線」

が「面」に切り替わったとき、

人は想像上の「線」を描きます。

山本和久

 グラフィック・デザイナー 多摩美術大学

グラフィックデザイン科卒

 「目でわかる、目で感じ

る」を最小限の表現で最大限伝えるグラフィックをコ

ンセプトに活動。 w

ww

.donnygrafi ks.com

phot

o: M

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uki Y

amas

hita

私の風景の中に人物が出てくることは、まず無いと言ってよい。その理由の一つは、私の描くのは人間の心の象徴としての風景であり、風景自体が人間の心を語っているからである。

―東山魁夷

forme | 312 | 04

晩鐘[紙本着色/ 81.5×115 cm]1971 北澤美術館蔵 東山魁夷[1908 ~ 99]05 | 312 | forme

 小さな紙が教室の片隅に積まれてい

ます。その佇まいが誘うのでしょうか。

「これ使っていい?」などと言いながら

子どもは紙を手に取り、おもいおもいの

絵を描き始めたりします。それは、周囲

の環境と感応しながら自らの可能性を

開いていく姿と言えます。

 ものにはその特徴から人の行為を触

発する作用があります。絵を描く子ども

と用紙の間にもそうした関係が見られ

ます。

 小さな紙であれば細部に集中して描

き、豆本や絵手紙にするかもしれませ

ん。手にとって動かしながら好みの見え

方を探して台紙に貼ったり、何枚か見比

べて集めたお気に入りを友達と交換し

て遊んだりするかもしれません。大きな

紙や長い紙であればスケール感に誘わ

れて移動して描いたり、方向性に誘われ

て下から上へと成長する花や横へ連な

る街、絵巻物や秘密の地図を描いたりす

るかもしれません。

 紙の材質も子どもの行為を誘います。

薄い紙や和紙なら、ふわりふわりとたな

びかせて軽く柔らかな気分を感じつつ、

絵を光に透かしたり、色のにじみを試し

たりするかもしれません。ダンボールな

ら硬さを頼りに力強い描き方を、色紙な

ら地色と描画材の色の描き重ねを、ザラ

ザラやスベスベといった表面の肌触り

ならマチエールを楽しむ描き方を……。

 紙をはじめ、材料が誘う行為は、子ど

も自らが感じ、指向した「したくなるこ

と、できること」と言えます。造形を通

して子どもが動きだす活動のヒント、生

きて働く学びの芽はこうしたところに

も隠れています。

描画用紙の誘い編文

名達英詔北海道教育大学 教授

イラスト

Luis Mendo

forme | 312 | 06

造形活動の源となる想像力。

自由に思いをはり巡らせる行為に対し、苦手意識をもつ児童生徒は少なくない。

そもそも想像力とは何か? 想像することにどのような意味があるのか? 

科学分野と芸術分野、相対する世界で活躍する二人に話をうかがい、想像のもつ力と改めて向き合った。

Photo: Shigemitsu Yanagihara

アーティストの鈴木康広さんの想像が表出する瞬間。描きとめたスケッチをパラパラとめくることにより、思いが具体化される(P10 ~)。

特集

想像のチカラ

07 | 312 | forme

AIの進歩でコンピュータも

想像力を獲得できる!?

 昨年、人工知能(AI)アルファ碁と、

世界で最も強い棋士のひとりと言われ

るイ・セドル九段が対局を行い、AI

が勝ったというニュースが世界中を驚

かせた。また日本では、AIが書いた

小説が、短編小説を対象にした公募文

学賞である星新一賞の一次選考を通過

したことも話題になった。

 これまでは、どんなにAIが発達し

ても、コンピュータは指示されたプロ

グラム通りに動くものであり、人間の

ような想像力はもっておらず、原理的

にももてないだろうと考えられてきた。

しかし、三十年以上に渡ってAIの研

究に携わり、AIによる小説執筆プロ

ジェクトなどに取組む、公立はこだて

未来大学教授の松原仁先生は、将来は、

コンピュータに想像力を獲得させるこ

とも可能だという。

「人間は進化の過程において、何らか

の形で想像力というものを身に着けて

きました。その結果、高度な芸術作品

の創作から日々の暮らしの営みまで、

人間にとって想像力はごく普通の能力

として発揮されています。一方で、想

像力については心理学や脳科学の専門

家でも、その仕組みや獲得方法を、い

まだ明確に解明できていません。しか

し、どんなに神秘的に見えても、想像

力とは合理性があって人間が獲得した

能力なのですから、難しいかもしれま

せんがコンピュータにももてるはずの

力だと思うのです」

AIの想像力が生み出した

将棋の新手「3七銀」

 進化の過程で人間が獲得し、遠くな

い将来、コンピュータも獲得するかも

しれない想像力とは、本質的にどのよ

うなものなのか?

「AI研究をしている立場からすると、

想像力というのは、ランダムにたくさ

んの候補を思いついて、その中からよ

りよいものを拾い上げて行動する能力

ではないでしょうか。人間の場合、本

人にその自覚がないことが多いですが、

無意識のうちに数多くのことを考えて

思いつき、その中から少数のものを選

んで行動しています。たくさんのこと

を思いついて、その中からよいものを

選ぶということが想像力であれば、コ

ンピュータにも獲得できる可能性があ

るといえるでしょう」

 たとえば将棋の世界では、ポナンザ

想像とは枠をはみ出す原動力

人間の進化を支えた無二の能力

Text: Kenji Senuma forme | 312 | 08

という将棋ソフトが、将棋の歴史の中

でも誰も思いつかなかった「3七銀」

という新しい手を生み出したという。

このため松原先生は、少なくとも将棋

や囲碁といった世界では、コンピュー

タが想像性を発揮していると言ってよ

いのではないかと指摘する。

 一方で現在のAIは、ルールや何ら

かの条件下など、一定の枠の中で一番

よい答えを早く見つけることには長け

ているが、人間のように、その枠を超

えて、可能性や成果を広げることはで

きないという。

「私が人間はすごいなと思うのは、そ

のような『枠をはみ出す』という行為

を、かなり小さい子供でもできるとい

うことです。たとえば子供は二、三歳

でも、自分の近くに楽しい遊び場がな

いと、もっと面白い場所を探そうとし

ますね。これは、現在のAIにはでき

ません。やらせたいとは思っているの

ですが、とても難しいことなのです」

既存の枠をはみ出そうとする

科学者にも必須の想像力

 AI研究をはじめとしたサイエンス

の世界は、一見、想像力とは対称的な、

理知的で計算されつくした雰囲気をイ

メージしがちだ。しかし松原先生は、

想像力の無いところには、サイエンス

の進歩もないという。

「太古、人間は生き延びるために、食

料が尽きそうになれば、海の向こうへ

乗り出し、山を越えて見たことのない

場所へ向かったことでしょう。冒険

の結果、幸運に恵まれた一部の人々

は、よりよい環境で生を全うすること

ができました。このように、枠をはみ

出したり、枠を乗り越えたりしようと

いう意識の原動力が想像力であり、私

たち科学者にも必須の能力です。それ

は、好奇心と言い換えることもできる

でしょう」

 誰も見たことのない世界を、自分が

世の中で一番最初に見たい。それがで

きなくても、誰かが初めて見た世界の、

そのよさを理解できることの喜びとい

うのが、科学に携わる人たちの思いな

のだと松原先生は話す。

「私たちは、人間という存在を理解し

たいからAIを研究しています。ヒト

という生き物を理解するための道具と

して、AIをつくっているのです」

思いつきを否定しないことが

子供たちの想像力を育む

 AI研究の第一人者として、大学教

育にも携わっている立場から、教育者

として若い人たちの想像力を育てるた

めにはどうすればよいのかを尋ねた。

「教育に携わる方は、生徒が思いつい

たことに対して、ポジティブな反応を

していただきたいですね。その思いつ

きがよければもちろんですが、そうで

なくても、思いついたことそのものを

評価してほしいのです。最近の子供た

ちは、思いつくという経験や行為が

減っているのではないでしょうか? 

よい事を思い付くというのは、まず何

かを思い付いた後のことです。たくさ

んの事を思い付く習慣をつけさせ、そ

れを否定しないということが、想像力

の涵養に大切なのだと思います」

松原 仁 まつばら・ひとし

一九五九年東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修

了。二〇〇〇年より公立はこだて未来大学システム情

報科学部教授。著書に『鉄腕アトムは実現できるか―

ロボカップが切り拓く未来』(河出書房新社)、「ロボッ

トの情報学

2050年ワールドカップ、人間に勝

つ!?」(NTT出版)ほか。

想像のチカラ特集

「3七銀」 2013 年に行われた将棋の第 71期名人戦。ポナンザの棋譜を研究していた森内俊之名人は、ポナンザの新手「3七銀」を用いることで羽生善治三冠に勝利した。

09 | 312 | forme

わき出たものを見て

自分の内面を知る

 ユニークな視点で日常を切り取った

立体作品、映像作品で私たちの感性を

揺さぶる鈴木康広さん。そこには豊か

な想像力が働いているように感じるが、

作家である鈴木さんは、想像という行

為をどのように捉えているのだろうか。

「考えたくなくても心や頭に浮かんで

しまう、体の内側からおのずとわいて

くる。そういった動きが、僕にとって

の想像です」

 例えば「楽しいことを想像して」と

言われて生み出したイメージは、意図

的につくり上げたものだ。これは鈴木

さんにとって想像ではなく「考え」に

近く、意図せずしてあふれ出てくるも

のが、想像。だからそれは楽しいもの

とは限らず、むしろつらさを伴うこと

の方が多い。世の中に戦争をモチーフ

にした芸術作品が多いのは、凄惨さが

多くの人に想像をもたらしたからだと

鈴木さんは推測する。

 睡眠中に見る夢は、想像が表出した

ものの一つだという。

「その人の中にあるものが、無意識に

立ち現れた結果だと思います。夢とい

う形以外にも、ジェスチャー、鼻歌、

スキップなどの身体表現として想像が

表出する人もいるかもしれません。意

識できない領域に自然と反応すること

に人間の体の豊かさを感じます。逆に

言うと想像は、自分がここに心を動か

されていたんだ、と気づかせてくれる。

想像に意識を向けるということは、自

分を観察することでもあると思いま

す」

想像が想像を呼び

作品へと昇華

 想像が不意に浮かんでくるものであ

る以上、時間が経つと忘れてしまう。

鈴木さんは、スケッチとしてノートに

描き留めることによってそれを防ぐ。

大学時代から描き溜めたノートは、現

在およそ三百冊。これをアトリエに置

き、ランダムに見返して、思い浮かん

だことを作品の着想とするケースが多

い。

「スケッチを描くときは、未来の自分

に向けて手紙を書くような気持ちです。

見返すときは、『今日のために描いた

んだ』と思いながら、過去の自分の断

片と向き合います」

 楕円が二つ並んでいるだけ、といっ

たシンプルで抽象的なスケッチも多く、

想像とは抑えきれない切実なもの

〝ふとした瞬間〞をとらえて

東京大学先端科学技術研究センター 1 号館ギャラリー Text: Yusuke Koyama (ONSONO) forme | 312 | 10

見た時の興味や気分によっては描いた

当時とは違ったものに見えてしまうが、

それがねらいの一つだ。新たに見えて

きた風景が心の中にあるものを呼び覚

まして、別のスケッチが生まれたり、

作品のきっかけになったりする。

 そのようにスケッチを繰り返しなが

ら、どんな素材を使ってどんな表現手

法をとれば、現実の世界にアウトプッ

トできるかを無意識のうちに考えてい

る。同じモチーフを何度かスケッチす

ると頭の中に完成形が思い浮かぶ。「実

現できないものは描かない、描いたか

らには実現できる」という自分なりの

ルールもあるという。

 二〇〇四年に発表した「キャベツの

器」は、グラフィックデザイナーの原

研哉さんに展覧会への出品を誘われて

つくった作品。「H

APTIC

(触覚を刺

激する)」というテーマを念頭に置い

て過去のスケッチをめくると、触発さ

れて浮かんできたアイデアはノート一

冊分になった。その中で原さんが気に

入ってくれたのがキャベツの器だった。

「でもこれは難しいよね?」と言う原

さんに、「できないものは描かないよ

うにしています。次の打ち合わせまで

につくってきます」と答えた鈴木さん。

実際に形にして持って行ったところ、

非常に驚かれたという。

図工・美術の授業を

自分を見つける場に

 鈴木さんのこのような「想像」観を

もとに、図工・美術の授業の可能性に

ついて尋ねてみた。

「決められた時間の中で『楽しい世界

を想像して絵を描こう』と言われたら、

僕でも何も思いつきません。そこに想

像が入り込む余地はなく、むしろ想像

を追い出すような時間になるのではな

いでしょうか」

 社会には、時間内に目的に沿って意

図的に何かをつくり上げなければいけ

ない場面が多々ある。それを上手にこ

なすためには、自分の感性に響くもの

も響かないものもえり好みせず、多く

の情報の中から取捨選択して適切に組

み立てる力が必要だ。極めて重要な力

ではあるが、それが図工・美術の授業

で磨くべき力であるとしたら寂しい、

と鈴木さんは漏らす。

「思わず生まれた心のつぶやき、耐え

きれない自分といったものに目を向け

ない限り、おもしろい作品にはならな

いと思います。図工や美術が、体の中

から聞こえてくるものに気づくきっか

けとなるといいのですが」

 感性に任せて作品をつくった子ども

は、そこに自身の想像が含まれている

ことを自覚していないだろう。しかし、

その作品に対して周囲の子どもや教員

が「こんなの僕には描けないよ」「私

はこの作品を見てこんなふうに感じ

る」と思い思いの言葉を発する場があ

れば、作者である子どもは、自分の中

に眠っていた想像を自覚するかもしれ

ない。

「だから大事なのは、授業外の時間の

過ごし方なのかもしれません」と指摘

する。想像がわく、ふとした瞬間は、

「絵を描こう」「粘土でつくろう」と決

めてから現れるのではない。だから生

活の中でその瞬間に出会ったときに、

キャッチするための感度を高めておく

必要がある。鈴木さんは常にノートを

持ち歩き、スケッチとして描き付ける

ことによって感度を高めてきた。

「人によっては文章にすること、誰か

に話すことなどがスケッチの代わりに

なるかもしれない。子どもたちが無意

識のうちにわいてくる声に気づき、内

なる自分に目を向けるきっかけを増や

すことができれば、それが創作意欲の

源泉を掘り起こすことにつながるので

はないでしょうか」

鈴木康広 すずき・やすひろ

一九七九年静岡県生まれ。東京造形大学卒業。見慣れ

たものや現象を独自の視点で捉え、世界の見方を広げ

る作品を次々と発表。代表作に《まばたきの葉》《空気

の人》など。

想像のチカラ特集

「キャベツの器」はキャベツの葉の婉曲した形状を皿に見立てた作品。本物のキャベツの葉を型どり、紙粘土で成形。皿を組み合わせると結球したキャベツになる。 Cabbage Bowls for TAKEO PAPER SHOW 2004 "HAPTIC"

11 | 312 | forme

之先

儿目儿

第十五回

パロディのことば

 パロディ。すでに誰かが作った作品を、表

向きは大幅に利用しながら、ずれを持ち込ん

で別の意味を加える表現形式。要は「替え歌」

のことだ、といえばわかりやすいでしょうか。

 パロディが世間で話題にのぼるとき、いつ

も問題とされるのは主にふたつの観点です。

すなわち、笑えるか否か、そして、許される

か否か。デジタルデータでコピーしやすい環

境が日増しに広がる一方で、どんな小さなコ

ピーでも見逃すまいとする監視社会も同時に

進展している今日、特にパロディは危なっか

しい方法として敬遠されることが多いようで

す。じっさい公表すれば権利侵害の対象とな

ることもあります。けれども、木々の成長や

私たちの心の中を法で縛れないように、法律

と芸術はそれぞれ別個の論理、別個のことば

を持っています(芸術なら法律を破っていい

という意味ではありません)。ここはひとつ、

芸術のことばに耳を傾けてみましょう。

 一見すると他人の作品を馬鹿にするようで

あったり、他人の成果を盗むようであったり

するパロディ。それはどういう仕組みによっ

て、表現と言えるのか。

 パロディという表現の大きな特徴は、標的

(元ネタ)にする作品がいかに作られたのかを

無視して、作品の外観を表面的にだけ扱おう

とする点です。現代美術に対してよく、抽象

画と壁紙の見分けがつかない、という言い方

東京オリンピック[103 × 72.8cm]1962 東京国立近代美術館蔵 ※ 1990 年復刻版 亀倉雄策[1915 ~ 97] Photo:MOMAT / DNPartcom 写真:早崎治、フォトディレクター:村越襄 

forme | 312 | 12

がありますね。それは抽象画と壁紙の成立ち

を考慮しないからですが、パロディはそれと

同じく、あえて作品の成立ちをスキップして

表面だけを真似るのです。そこでパロディが

真に対立するのは、標的にくっついたオリジ

ナリティという考え方です。外観でオリジナ

ルかどうかを判断するならば、外観を真似す

るパロディは泥棒のように思えます。けれど

も、そもそも作品がオリジナルであるかどう

かを、外観だけで判断すべきでしょうか。そ

れこそを、パロディは問うています。

 さて、まさしくパロディと呼べる横尾忠則

のこの作品。ここでは、社会に流通する商標

などを次々に作品に取り込んで、一般的な

オリジナリティの考え方にこだわらないポッ

プ・アートの態度が、「芸術品」ならぬ「芸術貧」

と呼ばれています。表面的に同じに見えても、

成立ちが異なるならば別の作品が生まれ得る

――それを堂々と宣言するところにこの作品

の、またはパロディの意義があるのだと思い

ます。ちなみに亀倉雄策は、このパロディの

的確さから、抗議しなかったというエピソー

ドが残っています。

 法に照らしてアウトかセーフかを考える時

点で、すでに私たちは法の考え方、つまり外

観だけで作品を測る観点の虜にあるといえま

す。作品がどのようにして成り立っているか。

それはこの連載でずっと意識してきたことで

すが、その観点をあえて除去するパロディは、

「まず見る」ことの広さを反省的に考えるのに

最適の材料であるといえるでしょう。

成相

肇 なりあい・はじめ

東京ステーションギャラリー学芸員。一九七九年生まれ。

府中市美術館学芸員を経て、二〇一二年から現職。主な企

画展に「石子順造的世界」、「ディスカバー、ディスカバー・

ジャパン」など。

POP で TOP を! [22.6 × 14.9cm]1964 頃 横尾忠則[1936 ~]「パロディ、二重の声――日本の一九七〇年代前後左右」(東京ステーションギャラリー ~ 4 月 16 日)にて展示中

13 | 312 | forme

 金竜小学校の中島綾子先生の実践

「まぼろしの花」では、花をかく活

動に入る前に行った、「花について

のイメージを話し合い」「紙粘土で

花の種をつくる」というプロセスの

中に、子どもが自然に自分の中でイ

メージをふくらませられるヒントを

見ることができました。

 授業の流れをたどりながら、先生

のねらいや、どのような手だてをさ

れたのかについてお話を伺いました。

「まぼろし」を思いえがく

 この題材は「花」をかくという

テーマがはっきりしています。で

も、ただ花をかくのではなく、「ま

ぼろしの花」なんだという期待感を

もって想像してほしい。このような

テーマが強い題材の場合、はじめは

ぼんやりとしていても「不思議な感

じ」「暗い場所で咲いている」「光り

輝いている感じ」といった自分なり

のイメージをもつことが大切だと考

え、導入で子どもたちとまぼろしの

花とはどんな花なのか話をしました。

手を動かして見つける形

 想像してかくといわれても、自分

だったら何をかいていいのか困って

しまうのではないかなという思いが

ありました。具体的な形は、実際に

手を動かしながら出てくるもの。種

をつくるならそんなに抵抗感はない

はずです。紙粘土を選んだのは、触

るのが楽しく、カラーペンで色がつ

けられて手軽にできるからです。そ

んなに凝らないで、ただの丸い形

だっていい。紙粘土を触っているだ

けでも偶然に形や色が出てくるので、

できた種が花を想像するきっかけに

なるのではと考えました。

つくったものから離れる時間

 種をつくったあとすぐかくのでは

なく、一週間おきました。こうして

時間をおいて、次の授業で改めて自

分がつくったものを目の前にすると、

少し客観的に見えてきて「もっとこ

うしてみよう」と、また違ったもの

が生まれてくるおもしろさがありま

す。でも全く見ずにおくのではなく、

一人ひとりの種をパッケージして図

工室前にかけておきました。それは、

廊下を通るときに自分や友だちの種

をちらっと見て、「次は花をかくん

だな」という期待感をもってほしい

という思いがあったからです。これ

も子どもがテーマに入り込めるよう

なしかけのひとつです。

じわじわと花をかく

 前の週につくった種から芽が出て

育っていくことを想像しながら、指

でかきました。筆を使わなかったの

は、少しずつしかかけないからです。

その間に、次はどう成長させようか

と考える時間ができる。絵の具を指

でのばすだけでも新鮮でおもしろい

し、絵の具の感触を感じることでか

く線も変わります。徐々にイメージ

ができてきたら、細かい部分は筆で

かいたりなど、表したい感じに合わ

せて自分で決めるようにしました。

 「まぼろしの花」というのは単に

形や色がおもしろい花を考えるので

はなく、もっと自分の感覚をひらい

て、自分らしい形や色を探って表す

きっかけとしてのテーマです。絵に

入る前から段階をふむことで子供た

まぼろしの花

東京都台東区立金竜小学校

 中島綾子

文•伊部玉紀

授業実践学びのフロンティア小学校 3・4 年向き

想像をふくらませるきっかけを散りばめて

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ちが空想の世界に遊び、絵の具の感

触や色と遊び、そうして少しずつ

個々が自分の思いに入り込んでいく

流れにしようと思いました。

想像する力は未来をつくる

 図工で子どもたちが何かを表すと

き、机に向かって「う〜ん」と考

えてひねり出すというより、自分の

手を動かしたときに生まれたものを

見て、それを残すのか残さないのか、

もっと変えていくのか、そのように

ライヴ的に出てくる部分が大きいと

思うし、そのように子どもたちがつ

くっていける授業にしたいと思って

います。

「想像力」というと、何もないとこ

ろから生まれるひらめきのようにも

思われますが、私は、未知のものへ

のわくわく感とともに、「とにかく

やってみよう」とアクションを起こ

したときに出てきたものをおもしろ

がれる力なのではないかと思いま

す。材料に触れて、自分なりのいい

形や色をつくっていく活動は、「こ

れおもしろい!」「なんか違うかも」

などと思う〝自分〞と、材料やテー

マ、場など〝自分の外側にあるもの〞

の行き来です。そうやって考えてつ

くっていくプロセスをおもしろがれ

ること。この力は、この先子どもた

ちが大人になったとき、いろいろな

場面で彼らの助けになると思ってい

ます。

photo: Kazue Kawase (YUKAI)

指 導 計 画

時間

領域

材料・用具

学習目標

主な学習内容

主な評価の観点

4 時間

A表現(2)

段ボール、水彩絵の具、カラーペン、紙粘土

不思議な種から咲く、誰も見たことも聞いたこともないようなまぼろしの花を、想像を広げて絵に表す。

●「まぼろしの花について想像する●まぼろしの花の種をつくる●種から出てくる芽や葉を成長させ、まぼろしの花を表す

●まぼろしの花を想像して、絵に表すことを楽しもうとしている。

(造形への関心・意欲・態度)●まぼろしの花を想像して、伸びる芽や花などの表し方を考えている。

(発想や構想の能力)●表したいことに合わせて、材料や用具の使い方を工夫している。

(創造的な技能)●自分や友人のかいた絵を見て、互いの作品のよさや面白さを味わっている。(鑑賞の能力)

15 | 312 | forme

はじめに

 今回は、自然の色の美しさを発見

し、同じ色をつくる授業を紹介しま

す。

 授業をはじめる上で大切にした

かったのは、自然の色づくりから子

どもたちが、①自然に愛情をもって

接し、②生活の中にある美しさを発

見し、③自分の住む町を大切しよう

という思いが芽生える、そんな時間

を生み出すことでした。

 使用する道具は絵の具セットと小

さめのスケッチブックです。鉛筆は

使用しません。できあがった色を絵

筆につけ、直接スケッチします。こ

のほうが、自然とじかにつながって

いる感覚が強いと思います。

授業実践

 今回の授業は、新緑の五月に行い

ました。晴れた日と雨の日の両方

で授業ができれば、もっといいと思

います。理由は、晴れの日はもちろ

んですが、雨の日には、雨滴が草花

を濡らし、自然の色々をますます美

しくしてくれるからです。もちろん、

季節を変えて授業することも可能で

す。四季折々の美しさを、子どもた

ちはきっと見つけるはずです。

 授業は、校庭に出て美しいと感じ、

さらに表現したいと思った色の草花

を、見つけることからはじまります。

ここから、ひとりひとりの「美しい」

という感じ方の違いが、視覚的に表

れます。そしてお互いが見つけた美

しさについて対話も生まれます。

 教室に戻った子どもたちの制作は、

まず草花の観察からはじまります。

子どもたちは色を介して、自然と対

話するのです。対話(コミュニケー

ション)は言葉だけでなく、色でも

できることを学びます。

 しかし自然の色を再現することは、

簡単なことではありません。何度も

混色をしながら、本当の色を探し続

けます。制作中のパレットや試し塗

りカードを見ると、子どもの試行錯

誤が分かります。

 そしてようやく見つかった色を、

絵筆にしみこませ草花をスケッチし

ます。形と色がひとつになって画面

に広がるこの段階に入ると、すべて

が筆先に集中され、教室が一気に静

かになります。

 またこれまで学んだことを生かし、

にじみ、ぼかし、ドライブラシ、点描、

重色など、表現したいものに応じて、

技法を選びます。絵の具と水の配分

量についても注意深くなります。

 何人かが、摘んだ草花を筆洗容器

の中に浮かしていたので、理由を

尋ねると、「草花が萎れないように」

とのこと。自分が見つけた自然の美

しさを、少しでも長く留めておきた

いという気持ちでしょう。

終わりに

 自然の色は美しさだけでなく、人

の力では動かすごとのできない強さ

をもっています。そのことを子ども

は、制作がはじまってすぐ感じ取っ

ていると思います。だから自然の色

に近づくには、謙虚な気持ちで目の

前の美しさに、自ら入っていくこと

になります。自然の色と対峙するよ

うな関係でなく、自然の色の中に自

分がいる関係です。

色ミッケ

 

固有色を見つけて自然の美しさを味わおう

兵庫県佐用町立上月中学校

 伊勢

幸弘

授業実践学びのフロンティア中学校 2 年生向き

forme | 312 | 16

 そう考えると、子どもの色は、自

然の再現であると同時に、その子の

心の色だと言えます。ですから私は、

できあがった色をありのままに受け

入れるようにします。もしそのとき

否定的なことを言えば、子どもの心

を否定することになるからです。子

どもが安心して表現できる環境をつ

くることは、いつも意識しています。

 最後に生徒の感想を紹介します。

印象に残っているのは、

どんな雑草でも

光や水によって

美しいものに変わり、

その草の固有色をしっかり

つくることさえできたら、

とてもかわいくて

味のある絵になるということです。

私はこの作業が魔法みたいで

すてきなものなので

もっとやりたかったです。

道に生えている草をもっと

よく観察したいです。

指 導 計 画

時間

領域

材料・用具

学習目標

主な学習内容

主な評価の観点

3 ~ 4 時間

A表現(1)(3) B 鑑賞(1)

スケッチブック、絵の具セット、草花や貝殻など 

●自然や身近な環境の中にある造形的な美しさを感じ、新たな表現を工夫して創造的に活動する。●自然への見方を深め、その美しさを味わう鑑賞の能力を高める。

●草花を選ぶ●選んだ草花と同じ色をつくる。●絵筆でスケッチする。●友だちの作品を鑑賞し、そのよさを味わう。

●生活の中にある美しさを見つけ、課題を克服しながら、主体的に活動できたか

(美術への関心・意欲・態度)●感性を働かせ対象を見つめて、主題を深く追求できたか

(発想や構想の能力)●自然から見つけた色や形の特徴を基に、創意工夫しながら創造的な表現活動ができたか

(創造的な技能)●見つけたよさや美しさの価値について、友だちと伝え合い、見方や考え方を広げたか

(鑑賞の能力)

Photo: [Top] Shigemitsu Yanagihara17 | 312 | forme

その四   科学館

そぞろみ部の発足から一年、商店街、植物園、城など異なる顔をも

つ場所を歩きながら、自由気ままに観察を続けてきた。造形的なま

なざしで周囲を眺めてみると改めてたくさんの小さな発見がある。

今回のターゲットは冬休みの子どもたちで賑わう科学館。ギネス世

界記録にも認定されているプラネタリウムを擁する名古屋市科学館

(愛知県名古屋市)にやってきた。

そぞろみポイント

一 

球体のある街

 アメンボをデザインしたマンホー

ルに気をとられ、足元を見ながらそ

ぞろ歩く一行。ふと見上げると、建

物の陰から巨大な球体が少しずつ姿

を現してくる。金属光沢のあるその

構造物は宇宙船のような圧倒的な存

在感を醸し出す。真下に来ると、両

脇の建物にすっぽりと挟まれて少し

窮屈そう。もちろん、これは単なる

装飾ではない。プラネタリウムを上

映するための必然的な形体である。

半球型のものも含めて、科学館建築

がつくりだす特異な風景は入る前か

らワクワク感を高める。一歩足を踏

み入れると、受付の背面を埋め尽く

す数字や記号。〝2H

2 O

⇅2H2

+O2

や〝N

A

=6.022

×1023

〞などが理科

の教科書のように所狭しと並んでい

る。とは言え堅苦しい「勉強」とい

う印象は受けない。この先に広がる

ワンダーランドへのプロローグ。

そぞろみポイント

二 

科学を魅せる

インスタレーション

 コインロッカーもひとつずつ元素

記号がふられていて遊び心たっぷり。

一一三番目は既にニホニウム(Nh)

に対応済みだ。たまたま空いていた

フッ素(F)に荷物を入れていざ展

示室へ。理工館の二階から三階にか

けての吹き抜けを使った「水のひろ

ば」は、くるくる回る水車や張り巡

らされたチューブ、上下に動く

チェーンが織りなすダイナミックな

展インスタレーション

示装置。さしずめ水の流れをモ

チーフにしたアッサンブラージュと

いったところだろうか。しかもただ

見るだけではなく参加型になってい

る。自転車をこいだりポンプを押し

たり、他にもボタン一つで竜巻が発

生する「竜巻ラボ」もある。言葉で

説明しようとすると難しいことでも

直感的に伝えるための空間づくり。

何気なく置かれたハニカム構造の椅

子にも何らかの意味があるのではと

勘繰ってしまう。

そぞろみポイント

三 

見えないものも見えてくる

 科学館が扱っているのは身の周り

のあらゆる事象。その中には視覚的

に把握できないものも少なくない。

風、音、光……それらを目に見える

かたちに置き換える工夫にも注目し

たい。風船を使えば風の流れが見え

てくる。テーブルの上の砂は音に反

応して波形を描く。音声の振動を可

視化する機械を使えば自分の声をス

ケッチできる。カメラごしにリモコ

ンを覗くと見えない光が浮かび上が

る。赤R

緑G

青B

の光の三原色が映しだす

カラフルな影絵で遊べるコーナー。

回転盤を回せば次々と色が変化する

偏光板はキネティック・アートの仕

組みにも使えそう。一方で、見えて

いるのに気づいていない科学の世界

もある。往路で見かけた道端のマン

ホールも科学技術の産物として展示

されていた。名古屋城のプラモデル、

天日にがり、鉛筆……日常に溢れる

ものを別の視点からとらえ直すプロ

セスはそぞろみ部にも通じる。プラ

ネタリウムで紹介されていた「宵の

明星」を西の空に眺めながらそんな

ことを考えた。

部長 市川寛也 いちかわひろや(テキスト担当)

筑波大学芸術系助教。妖怪研究家。一九八七年

生まれ。まちを歩きながら何かがいそうな場所

を探し出し、その土地に固有の物語をつくる「妖

怪採集」を各地で実践している。

副部長

 danny

 だにー(イラスト担当)

イラストレーター。一九八七年生まれ。京都精

華大学卒業後、イラストレーターとして、書籍、

web、広告などの媒体で活動中。色鉛筆で自

然や日常の風景を描く。

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19 | 312 | forme

 高校生は学業や部活動に忙しく、美術館に足を運

ぶ機会が少ない年代だと言われます。そんな高校生

に、その年代だからこそ感じられることを大切にす

るような機会を提供したい、という願いをもった

我々は、水戸芸術館現代美術ギャラリーの教育プロ

グラム「高校生ウィーク」にもかかわっている筑波

大学の市川寛也先生に監修をお願いし、高校生を対

象とした企画を立ち上げました。それが《高校生と

まちとアートをつなぐ》です。

 第一弾は二〇一五年冬に開催した「放課後美術館

プロジェクト」。高校生たちに、美術館を身近に感

じてもらい、作品について伝えるという美術館の機

能を体験してもらうことをねらいとした企画です。

 あべのハルカス美術館、国立国際美術館に協力い

ただき、まずは美術館の裏側を見学し、展示の工夫

などについて学びました。そして対話をしながら作

品を見て、その感想を形や色で伝える活動をした後、

あべのハルカス美術館で開催された「光のワンダー

ランド 魔法の美術館」のギャラリーガイドを、言葉

だけでなく形や色も使って作成、配布しました。

 美術館の役割は、まさにまち(の人)とアートを

つなぐことですが、参加者は、作品の魅力を伝える

という活動の中でその一端に触れ、美術についての

新しい視点を身につけてくれたようです。

 二〇一六年の夏には「あべの妖怪研究所―見え

創造の

つばさを広げて

こども美術館 スカイミュージアムの取組み

高校生とまちとアートをつなぐ

Vol.3

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ないものの見つけ方̶

」を開催しました。妖怪と

は、普段の生活の中で理解できない事象の原因とし

て、人々が想像力を働かせてつくりだしたものです

が、場所との関係が非常に深く、当館のある阿倍野

にも様々な伝承が残っています。そんな妖怪を探す

だけではなく、つくりだそうという企画です。

 まちを歩き、妖怪の伝承が残る場所を見て回るこ

とから活動はスタートしました。その後、国立民族

学博物館にご協力いただき、世界中に残る豊かな想

像の産物に触れる体験を経て、もう一度阿倍野界隈

を歩き、妖怪のいそうな場所を探して、妖怪を考え

表現しました。つくりだした妖怪は「小さな妖怪展」

として当館で展示し、多くの方に見てもらいました。

 参加者は、普段とは違う目でまちを見て回ること

で、まちのもつ新しい顔を発見することができたの

ではないでしょうか。

 高校生を対象とした企画は、こども美術館という

空間で収まるのではなく、まちにでて高校生とアー

トをつなぐ活動、アートを通して高校生とまちをつ

なぐ活動でありたいと考えています。そして、これ

らの体験をきっかけに、高校生が主体的にまちと

アートにかかわっていけるような人になってくれる

ことを願ってやみません。

今後の予定

「常設展」

四月一日〜(予定)

「形と色のセッション!」(『マティスとルオー』関連企画)

四月二十九日、三十日

詳しくはhttp://kodom

o-sky.jp/

をご覧ください。

こども美術館

スカイミュージアム

〒五四五―六〇二七

大阪市阿倍野区

阿倍野筋一―一―四十三

あべのハルカス27階

TEL

・FAX

 〇六―六六九〇―〇九〇七

E-M

ail

 info@kodom

o-sky.jp

photo: Maki Arimoto21 | 312 | forme

山口晃

第十五回

1126,976,264

文:田野隆太郎写真:高橋宗正

バイクにまたがる武士がいれば、菅笠の船頭の船に乗る会社員がいる。

金雲が浮かぶ鳥瞰図に屹立するのは、超高層ビル。

作家はなぜ、古今東西の万象を混在させるのか。

知的でクールな表面に隠れていたのは、古典への熱き思い。

日本人としての絵画表現を現代に更新しつづける彼の原動力に迫る。

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 今回は、現代美術を扱うとあるギャ

ラリーからはじめたい。東京は市ヶ

谷、装飾を排した建物の二階。受付

には、『室町バイブレーション』なる

タイトルが見える。天井から垂れた

紗をくぐったその先、まず目に入っ

たのは正面の壁に掛かる四枚のキャ

ンバス。白地に墨らしき筆跡で、そ

れぞれシンプルな線が引かれている。

一枚は黒塗り。どうやら四枚のコン

ポジションで壁面を演出しているよ

うだ。

 別の壁には、真っ白なキャンバス

が二枚。おそらく未完成。他には、

額装の小品や着物の女性画、建築物

の構造を模したような立体が掛かっ

ている。

 当然、これらすべてをつなぐ仕掛

けがあるはず。とりあえずメインの

四枚がある壁に近づき、高い位置に

掲げられた作品を見上げる。と、墨

の背後、地の部分だと思っていたキャ

ンバスから形がウワッと現れた。縦

に伸びる墨線には、電信柱と電線の

群れ。円形の墨線からは、太陽の周

縁のようにメラメラと発光するその

形が浮かびあがった。

 ここで作者の登場。大きなキャン

バスを抱えている。昨日で展示が終

了し、会期中に描き終わらなかった

作品をアトリエに持ち帰り描いてい

たとのこと。挨拶もほどほどに、白

地の部分が新たに図像として立ちあ

がったことの驚きと、電柱というモ

チーフの新鮮さを伝える。

 「せっかく隠れているわけですか

ら、意外性があった方がいい。尚かつ、

腑に落ちた方がみなさんにとっては

嬉しい、ということがあるでしょう

から」と、笑みを浮かべる。

 山口晃、日本の美術界を代表する

作家だ。

 屏風絵や絵巻などの伝統技法に、

現代的なモチーフを混在させるユ

ニークな作風で知られる。〝平成の

大和絵師〞と呼ばれる彼が緻密に描

く鳥瞰図は、百貨店や地下鉄という

都市建築に寺院風の屋根や太鼓橋が

違和感なくつながり、武士がバイク

にまたがり、菅笠の船頭が司る船に

会社員が乗る。卓越したその画力で、

古今東西の万象を多層化させたエン

ターテインメント空間を成立させる。

 だが、展示された墨の連作、どう

やらいままでの作風と趣きが異なる。

 「自分が動いて、それによって絵が

現れるっていうのは西洋絵画からす

ると邪道なわけですよね。透視図法

というのは見るべき一点が設定され

ますから。どうしても消失点に正対

する位置で見ることになる。向こう

の人はキュビスムによってみずから

それを壊していったわけですけども、

東洋の絵っていうのは、これが当た

り前だった。それなのに、なぜ後追

いで日本人がキュビスムをやったん

だっていうことがあるわけです。忘

れてないか、って」

 これまでメディアを通して知って

いた穏やかな人柄と軽妙洒脱な語り。

23 | 312 | forme

いかにも古典のパスティーシュなど

を得意するその作家像が伝わってい

たが、いざ対面すると、諧謔的な言

い回しの中にどこか〝熱さ〞を感じる。

 『オイルオンカンヴァス』と題し

た先ほどの四枚の作品は、京都の西

本願寺の襖絵にインスパイアされた。

白書院という建物に案内され、雨戸

が開けられたその瞬間のこと。墨

で平べったく描かれているだけだと

思った竹が、射しこんできた光で前

に迫り出し、前後に蒔かれていた背

景の金雲が奥まった。驚愕したのは、

両者の間に信じられないほどの奥行

きが生まれたこと。竹と金が、地と

図の関係を超え自由自在に行き来す

るような視覚体験は、西洋絵画を見

ている時には到底起こりえない。控

えの間での思いがけない体験だった。

 その襖絵に導かれて描いた本作は、

金泥の代わりに油絵の溶き油を使っ

た。だから、溶き油で描かれた電信

柱やレーザー線は、一見すると余白

にしか見えない。見る方が、光を受

けるポイントに動いてはじめて像が

立ちあがる。墨と金というミニマル

な画材で、最大限の奥行き効果を演

出してきた近世の絵師へのリスペク

トなのだ。

 それにしても、山口はなぜ東洋の

墨と西洋の溶き油を同居させ、過去

にも、日本的な空間認識をベースに

油絵を描くという離れ技を行ってき

たのか。西洋の絵画制度をいかに受

容するかは、近代以降の作家なら通

らざるを得ない問題なのだろうが、

ここまでこだわりつづけるのが不思

議だ。

 彼も多分にもれず、絵が好きな子

どもだったという。

 もっと上手くなりたいと迷いなく

進んだ東京藝術大学では油絵を専攻。

そこで遭遇したのは、西洋の周回遅

れのトレンドを喜んで受け入れつづ

ける日本のアカデミズムだった。す

でに描くことの楽しみを純粋培養さ

せていた彼の歩みは、一旦止まるこ

とになる。

 「向こうの人は〝フランス料理が料

理である〞という顔をしているわけ

です。『あなたの国はバターを使わ

ないんですか?』という風に。でも、

お出汁にバターを混ぜたら台無しな

わけです。そういう葛藤を日本の学

生さんは日々やっていまして。でも

向こうの人も、自分たちの料理が

世界料理だなんて言ってないんです。

日本人が『フランス料理にお出汁を

使ってみたら』って返しても、『もう

フォンドーボーが利いてるんで』っ

て言っているだけで。要するに、日

本が進んで植民地化されていったわ

けです。日本人が『バター使わない

の?君は』って言うわけです、同じ

日本人に。あの辛さですね」

 わたしたちが日頃使う〝美術〞は、

明治期に翻訳された言葉だ。導入さ

れたこの時から日本人はそれまで積

み重ねてきた成果を脇にやり、目の

前の風景を西洋流の二次元世界に変

換する技術の習得を命題にした。外

圧によってではなく、みずから選択

したのだ。その文脈に馴染めない自

分を知った山口は、絵を見ることも

描くことも楽しめなくなった。すべ

てを批判的に見るだけのそんな彼に

目を開かせてくれたのが、江戸以前

の古典、特に室町の絵画だった。

 「出会ったことで減点法が加算法

になったといいますか。日本の絵は、

どう考えても油絵科で習った価値

観で見ていると分からないんですね。

でも、日本の絵を見つづけると凄ま

じく気持ちよいことがおこる。これ

が日本の人が連綿と求め続けてきた

ことであり、それを体験すると自分

が再生産できるっていうんですかね」

 たとえば雪舟。日本と中国の水墨

画の区別がつかないと、雪舟の山水

画は中国の先人の亜流にしか見えな

い。だが、その空間性を強く意識す

ると、中国の絵は西洋絵画に近いしっ

かりとした三次元性を持ち、反対に

雪舟の絵は、隈取りなどを用いて平

たい面を重ね、特殊な奥行きを獲得

していることがわかった。雪舟はも

ちろん写実的にも描ける。しかし、

絵は写真とはちがう。結局、絵は三

次元を二次元に変換するイリュー

ジョンなのだから、自分の脳内にあ

る景色をも範疇に入れ、キャンバス

に写しとることのできない対象の本

質をも求めるべきではないか。彼は、

先人たちの、風景を咀嚼したうえで、

モチーフの持つ実物性とそれを超え

る精神性を調和させた創作に大きく

心を動かされた。

 山口は、古典を単なる歴史の記号

としてではなく、実際に対面し「凄

まじく気持ちのよい」と感じる根拠

を探っていった。その過程で分かっ

たのは、明治以来、日本人は自国の

絵画を評する適切な〝言葉〞を持ち

得ていないということ。自分たちで

評価軸をつくらないと、その文化を

西洋の素数で因数分解するしかない。

自国の文化特有の素数で割ってはじ

めて、成してきたことがわかる。

 新しい評価軸を〝言葉〞で確立し

たいという思いが、小林秀雄賞を受

けた『ヘンな日本美術史』という著

作になり、言葉によらない〝感覚〞

が絵画になった。

 展示室奥の一角にある茶室で、残

る一作を眺める。雪舟の弟子筋の

山水画を再構築した作品だ。暗い中、

目を凝らすと墨で隈取りされた岩が

薄らと光を放っている。問えば、岩

の部分だけをくり抜き、背後に光源

を仕込むことで雪舟の特殊な奥行き

表現を探求したのだという。

 なぜインスタレーションまで動員

し、ひとつのテーマを深化させてい

くのか。山口は、欧米の作家ならひ

とつの手法だけで会場を構成するで

しょうねと言い、こう付け加えた。

 「見るっていうことは暴力的といい

ますか、見る人はレッテルを貼りた

いんですよね。これは芸術です。こ

forme | 312 | 24

1126,976,264

室町バイブレーション(2016 年個展 DM のための原画)[紙・鉛筆・ペン・水彩/ 28.8 × 19.2cm]2016 Courtesy Mizuma Art Gallery

れは娯楽です。貼れば安心なんです

よ。世界がすべて可視情報で埋まっ

ていくわけですから。不可知のもの

があったら、不可知というシールす

ら貼っておきたい。それ以上見なく

ていいですからね」

 彼が表現手法の異なる複数の作品

で構成するのは、それらの奥にある、

自分が本当にやりたいと思っている

ことを想像して欲しいという合図な

のだ。では、絵の前に立った自分は、

何を見ていたのかと考える。すでに

知る情報で安易に解釈していなかっ

たか。作品自体を虚心坦懐に見ただ

ろうか。そして、キャンバスの奥を

想像できたか。

 山口は、下描きに最大限の時間を

掛ける。仕上がらなければ、途中経

過まで見せる。結局、絵の中には答

えはないということなのかもしれな

い。そこには、答えを求めた痕跡が

ある。なぜなら、彼はキャンバスに

写し得ないものを探し、描くからだ。

それは、風景に写実性だけを求めな

かった先人と同じ。山口は、先人か

ら技術だけではなく、その姿勢を

学びとったのだ。彼がいう素数には、

他の借り物ではない独自の表現を探

求するという作家のあるべき姿への

共感と矜持が含まれているのだと思

う。

 彼は、作家になったいまも古典絵

画の前に繰り返し足を運んでいる。

そこでは、近世だけではない日本の

近代洋画の前にも立っているという。

敬遠していた作品を、室町の絵師に

見出した素数で割ることができるの

か試しているのだ。自分が知らぬ間

に付けていたレッテルを剥がす――

人間が必然的に持ってしまう先入観

に抵抗しながら、作家として新たな

表現の可能性を見出そうしているの

だと思う。その結果が、異なる表現

手法で現れる。一見クールに見える

作品の奥にある作者の熱。それを想

像しつつも、わたしたちはあらゆる

思い込みを排除して作品を見たいと

思う。一度貼ったレッテルがあれば、

想像力で破る。わたしたちはいわば

自由に解釈するという素数を持てば

いいのだと思う。なぜなら、目の前

にあるそれは、あらゆる可能性を疑

わない作者が現在進行形で探し求め

ている、過去には存在しなかった絵

なのだから。

山口晃 やまぐちあきら

一九六九年、東京生まれ、群馬県桐生市に育つ。

96年東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油

画)修士課程修了。二〇一三年自著『ヘンな日

本美術史』で第十二回小林秀雄賞受賞。鳥瞰図・

合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、イン

スタレーションなど表現方法は多岐にわたる。

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図画工作、美術の授業で学んできたこと、

それを生かすとどんな見え方が広がって、

どんな未来が描けるでしょうか。

今回は、第六回高校生アートライター大賞を受賞した

中村陽道さんです。

東京都立工芸高等学校

中村陽道 さん

Text: Eiichi Hosokawa(ART DIVER) Photo: Tomonori Ozawa

 小さい頃から絵を描くことやモノづくりが好きで、専門学科のある高校に進みました。そこで僕はデザイン科に所属し、主にグラフィックデザインの勉強をしてきました。 2 年生の授業の課題で、高校生アートライター大賞に応募することになりました。展覧会を見るのが好きなので、表参道のスパイラルガーデンで開催された「ARTs of JOMON」展についてのエッセイを書くことにしたのです。それまでは、モダンな

ものや先鋭的なものに惹かれがちでしたが、「縄文」をテーマに現代作家が作品をつくったこの展覧会は、芸術に対するイメージをがらりと変えました。 なぜ、人には芸術が必要なのでしょうか。古くから繰り返されてきた表現の歴史は、激しい川の流れを連想させます。表現物は一つの岩となり、川の流れをほんの少し変えていく。その小さな岩を残すことこそが、人が生きる証になるのだと、

「ARTs of JOMON」展を見て直感しました。現代にまで強い影響を与え続ける縄文の造形に、人が表現をすることの意味

を感じたのです。 感じたことを言葉で表現するのは、理解するということです。逆に、言葉にならないものは、理解が十分でないこともわかりました。僕は、美術大学のデザイン科への進学を希望しています。将来何になるかは決めていませんが、感覚と言葉の二つを往復しながら、川の流れをほんの少し変えるような「生きる証」となる表現を残せたらいいなと、ちょっと大げさですが……、今は考えています。

感じることと言葉にすること

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EUREKA

vol .2

video: Takaumi Furuhashi (WAKE UP!)

普段何気なく見ている世界

であっても、いつもとは異なっ

た視点や考え方で眺めてみる

ことで、「見ていたはずなの

に見えていなかった世界」を

発見することがあります。今

回取り上げるのは太陽がつく

りだす影です。いったい何の

影なのか、その動きや形や大

きさ、影がうつる場所や周囲

と影との関係など、気になっ

てしまう部分は出てくるで

しょうか。お風呂の中で大発

見をしたアルキメデスのよう

に、視点を変えて日常を見

てみると、思わず「E

ureka!

と叫んでしまうような驚き

に出会えるかもしれません。

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