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26 LIBRA Vol.12 No.2 2012/2 ── これまで数多くの作曲を手掛けられ,ピンク・レディ ーをはじめ,多くの歌手を育てていらっしゃいます。作曲 家というお仕事,あるいは,プロデューサーともいうべき お仕事をどのようにお考えですか。 作曲と歌手を育てることは同列のように思います。 作曲家としては,自分の気が向くままに曲を作る, その曲を他人に歌ってもらう。つまり,第三者を介 して自分の作品を発表するわけです。自分の作品を 歌ってくれる人を探す,才能を発掘して育てていく というのは, プロデューサーのような仕 事なのでし ょうね。 また,作曲とともに,編曲もやりますが,やはり, メロディーは音楽の主役ですね。12 個しかない音を 駆 使していくことはエンドレス。 どんなにリズムが 良くても,メロディーがない作曲家は残らないでし ょう。 ── メロディーは大切ですね。 もともと,日本の歌は,詞があって曲を付けてい たのです。昔は「詩人」が作っていた詩,つまり, 文学を節(メロディー)にのせて,情緒あるものに していたのですね。メロディーは補助的なものだっ たのです。ですから,今でも「作詞・作曲」とい います。このような言い方は日本だけで,諸外国で は逆なのですよ。でも,私は,音楽家ですが,言 葉の大切さを強く意識しています。歌を聞く人々に は,メロディーに乗りながら言葉にひたってほしい。 そのためには,正しくて,表現力が豊かな言葉が必要 なのです。 ── 阿久悠さんとのコンビで,ピンク・レディーの「UFO」 など,多くのヒット曲を生み出されました。 阿久さんとのコンビでは,作曲が先で,後から詞 を付けました。言葉の後付けは,まさに職人芸でし たね。阿久さんによって,歌謡曲は社会を映す鏡 になったといえるでしょう。「U F O」の場合は,ま 都倉俊一 さん 作曲家・JASRAC 会長 1970 年代以降「ジョニィへの伝言」「どうに もとまらない」「あずさ2 号」,一世を風靡した ピンク・レディーの「UFO」をはじめとする数々 のヒット曲。今でもカラオケで振付を思い出し ながら歌ったり,ふと口ずさんでいる方も多い のではないだろうか。今月号のインタビューで は,作曲家の都倉俊一さんにお話をうかがった。 また,現在,一般社団法人日本音楽著作権協会 (JASRAC)会長として,精力的に取り組まれ ている活動についてもお聞きした。 (聞き手・構成:中島美砂子) INTERVIEW:インタビュー 

インタビュー 作曲家・JASRAC会長 都倉俊一さ …26 LIBRA Vol.12 No.2 2012/2 これまで数多くの作曲を手掛けられ,ピンク・レディ ーをはじめ,多くの歌手を育てていらっしゃいます。作曲

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Page 1: インタビュー 作曲家・JASRAC会長 都倉俊一さ …26 LIBRA Vol.12 No.2 2012/2 これまで数多くの作曲を手掛けられ,ピンク・レディ ーをはじめ,多くの歌手を育てていらっしゃいます。作曲

26 LIBRA Vol.12 No.2 2012/2

──これまで数多くの作曲を手掛けられ,ピンク・レディ

ーをはじめ,多くの歌手を育てていらっしゃいます。作曲

家というお仕事,あるいは,プロデューサーともいうべき

お仕事をどのようにお考えですか。

 作曲と歌手を育てることは同列のように思います。

作曲家としては,自分の気が向くままに曲を作る,

その曲を他人に歌ってもらう。つまり,第三者を介

して自分の作品を発表するわけです。自分の作品を

歌ってくれる人を探す,才能を発掘して育てていく

というのは,プロデューサーのような仕事なのでし

ょうね。

 また,作曲とともに,編曲もやりますが,やはり,

メロディーは音楽の主役ですね。12個しかない音を

駆使していくことはエンドレス。どんなにリズムが

良くても,メロディーがない作曲家は残らないでし

ょう。

── メロディーは大切ですね。

 もともと,日本の歌は,詞があって曲を付けてい

たのです。昔は「詩人」が作っていた詩,つまり,

文学を節(メロディー)にのせて,情緒あるものに

していたのですね。メロディーは補助的なものだっ

たのです。ですから,今でも「作詞・作曲」とい

います。このような言い方は日本だけで,諸外国で

は逆なのですよ。でも,私は,音楽家ですが,言

葉の大切さを強く意識しています。歌を聞く人々に

は,メロディーに乗りながら言葉にひたってほしい。

そのためには,正しくて,表現力が豊かな言葉が必要

なのです。

── 阿久悠さんとのコンビで,ピンク・レディーの「UFO」

など,多くのヒット曲を生み出されました。

 阿久さんとのコンビでは,作曲が先で,後から詞

を付けました。言葉の後付けは,まさに職人芸でし

たね。阿久さんによって,歌謡曲は社会を映す鏡

になったといえるでしょう。「UFO」の場合は,ま

都倉俊一さん

作曲家・JASRAC 会長

 1970 年代以降「ジョニィへの伝言」「どうにもとまらない」「あずさ 2 号」,一世を風靡したピンク・レディーの「UFO」をはじめとする数々のヒット曲。今でもカラオケで振付を思い出しながら歌ったり,ふと口ずさんでいる方も多いのではないだろうか。今月号のインタビューでは,作曲家の都倉俊一さんにお話をうかがった。また,現在,一般社団法人日本音楽著作権協会

(JASRAC)会長として,精力的に取り組まれている活動についてもお聞きした。

(聞き手・構成:中島美砂子)

INTERVIEW:インタビュー 

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27LIBRA Vol.12 No.2 2012/2

ず先にタイトルをもらったのですが,その時,「ユ

ーエフオー」とするのか,「ユッフォ」と発音するか,

皆で議論しました。私は後者の方が響きがいいと感

じました。

 私は,理屈を考えては新しいものは生まれないと

思っています。イノベーションは遊び,遊んだ者が

勝ちですね。今まで多くのレコード会社の会議に出

てきましたが,会議ではめったに斬新なアイデアは

出ません。音楽は会議で作るのではありません。

── 曲作りで苦労されたことはありますか。

 70年代では,常時30名ほどのアーティストの面

倒を見ていました。当時,1人のアーティストのた

めに3か月に1度は新曲を作らなければなりません

でしたし,その他にも,LPレコードやCM,ドラ

マの音楽も作っていました。徹夜で何千曲も書いて

きましたね。1日5曲作ったこともあります。とこ

ろが,80年代になると,自分が音楽を作る機械み

たいに思えて,自分が摩耗するのではないかと恐怖

感を覚え始め,気分一新ロサンゼルスに生活の拠点

を移したこともあります。

── 最初に音楽に触れられたのは,4歳のころ,バイオ

リンを習われました。

 バイオリンは母の気まぐれですね。私は最初に触

れる楽器はピアノが良いと思いますよ。どんなこと

でも同じでしょうが,不断の努力をして,非常に苦

しい状態が続くうちに,ある時,ふっと快感を覚え

る。特に楽器を習得する場合,その時の心地よさ

との巡り合いが非常に大切なのです。

── 最近,口ずさめる歌謡曲が少なくなったという声を

聞きます。

 音楽は楽しくあってほしい。しかし,最近の音楽

の中にはコンピューターのプログラマーが音を繋げ

ただけのつまらないものも多くなってしまったよう

に思います。コンピューター用ソフトがすべてを作

ってしまう。こうした手法は音楽にとって破壊行為

です。もっと広い視点から考えると,ワープロばか

りに頼ってしまうと字を書けなくなるのと同じで,

コンピューターに依存して人間の動物的な本能が摩

耗あるいは萎縮しつつある。そのような現代におい

て,いつ人間が本来の姿に回帰するのだろうかと思

うことがあります。また,コンピューター・グラフ

ィックスに慣れてしまって,人間の汗や涙を感じな

い若者が増えつつあると言われます。どんなに素晴

らしい最新のデジタル技術で作った音も,バイオリ

ン奏者50名による生演奏には到底かないません。

── 2010年8月に日本音楽著作権協会(JASRAC)の

会長に就任されました。いわゆる違法コピーの問題など

難しい課題に取り組まれていらっしゃいます。

 現代社会において,デジタル技術はなくてはなら

ないものになっています。しかし,一方で,著作物

の違法コピーが容易かつ大量に可能となり,深刻な

問題を引き起こしています。特に,若者は「違法」

とは思っておらず,罪悪感がないのです。私たちは,

私的録音録画のもとになっている機器に対して広く

課金していくべきであるという私的録音録画補償金

制度の必要性と充実を主張していますが,そのよう

な考え方に対しては,著作権規制が強すぎるという

意見があります。しかし,著作権をしっかり保護し

INTERVIEW:インタビュー 

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28 LIBRA Vol.12 No.2 2012/2

ないと文化は死んでしまいます。つまり,著作権を

保護しないと,芸術で飯を食う人がいなくなる,自

由に才能を伸ばすことができない,豊かな文化が生

まれないということになるのです。JASRACの活動

を通じて社会に「著作権」という意識を根づかせ

ていきたいと思っています。

 また,デジタル技術は日々進歩していきます。そ

のスピードには実に目まぐるしいものがあります。

そうすると,技術規制のいたちごっこになって,と

どまるところを知らないでしょう。そのような状況の

もとで,社会がどのように技術を利用していくかと

いう問題は非常に重要ですし,新しく発生する法的

問題への対応,権利の概念の見直しも必要になるで

しょう。

── 私たち弁護士も新たな法的問題に積極的に取り組

んでいく必要があります。

 どのような理屈で著作権を保護していくか,著

作権者が自分の権利を守るために相談できるように

するにはどうすればよいか,を考えてほしいと思い

ます。また,若いクリエーターたちの著作権を保護

することにも目を向けてほしい。若者たちが気軽に

相談できる場所が少ないと感じています。

── JASRACでは,こうした著作権保護に関する活動

とともに,東日本大震災復興支援のために積極的に取り

組まれています。

 JASRACでは,著作権管理事業者として相応し

い支援活動は何かを考え,「こころ音ね

プロジェクト」

を始めました。これは,被災地からの復興と音楽

文化の振興のために,著作権者から申し出があった

作品について,著作物使用料を拠出していただくと

いうものです。私が作曲した,ピンク・レディーの

「ペッパー警部」と「サウスポー」を皆さんがカラ

オケで歌うと,その著作物使用料が震災の復興に

充てられます。是非カラオケで歌ってください。

──はい,歌わせていただきます。お忙しいところ,あり

がとうございました。

不断の努力をして,非常に苦しい状態が続く

うちに,ある時,ふっと快感を覚える。特に

楽器を習得する場合,その時の心地よさとの

巡り合いが非常に大切なのです。

都倉 俊一

プロフィール とくら・しゅんいち4歳よりバイオリンを始め,小学校,高等学校を過ごしたドイツに於いて基本的な音楽教育を受ける。のち,独学で作曲法を学び,学習院大学在学中に作曲家としてデビュー。その後,アメリカ・イギリスで作曲法,指揮法,映像音楽を学び,海外各国で音楽活動を行う。JASRAC会長のほか,文化審議会委員,日本作曲家協会常務理事,全日本音楽著作家協会理事,日本作編曲家協会理事,日本音楽著作家連合相談役も務める。主な作品に,ピンク・レディー「UFO」,狩人「あずさ2号」,ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」,山本リンダ「どうにもとまらない」など。

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