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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士) 十世紀初までの日本各宗に於ける 新羅仏教の影響について 福士慈稔 本稿は、 「十二世紀末までの日本仏教に於ける新羅・高麗仏教の影響に関す る研究」の基礎作業に於ける中間発表である。十二世紀末までの日本仏教各宗 にみられる新羅・高麗仏教の影響を明らかにすることを目的とし、その準備と して目録類の整理から十二世末までに日本に伝来されていた新羅・高麗諸師章 疏の確認と、それらの章疏の各宗所蔵の確認からその重用度を推察しようとす るものであるが、本稿は特に『大日本古文書一正倉院編年文書』「審詳請来経 録」『華厳宗章疏並因明録』『天台宗章疏』『三論宗章疏』『法相宗章疏』『律宗 章疏』『山王院蔵書目録』という十世紀初までの目録を整理する。 一、 『大日本古文書一正倉院編年文書』にみられる新羅章疏 (一) 『大日本古文書一正倉院編年文書』 本稿で用いる『大日本古文書一正倉院編年文書』(以下『古文書』)は、東京 大学史料編纂所が明治時代から編集・翻刻・刊行した『正倉院編年文書』を主 体とする奈良時代の古文書集である。『古文書』を用いた研究は近年各方面で 盛んに行われその成果が期待されるところである。lOしかしながら、『古文書』 にみられる新羅諸師の著述の整理に関しては、石田茂作氏。,と木本好信氏.‘ の研究を凌ぐ研究は未だみられない。 (65)

COnnecting REpositories - 十世紀初までの日本各宗に於ける本経典章疏目録』の翻刻では誤写として「道證」とする。筆者も道證の著述と しての『因明入正理論疏』が、『東域伝燈目録』及び『注進法相宗章疏』にみ

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

十世紀初までの日本各宗に於ける

新羅仏教の影響について

福士慈稔

本稿は、 「十二世紀末までの日本仏教に於ける新羅・高麗仏教の影響に関す

る研究」の基礎作業に於ける中間発表である。十二世紀末までの日本仏教各宗

にみられる新羅・高麗仏教の影響を明らかにすることを目的とし、その準備と

して目録類の整理から十二世末までに日本に伝来されていた新羅・高麗諸師章

疏の確認と、それらの章疏の各宗所蔵の確認からその重用度を推察しようとす

るものであるが、本稿は特に『大日本古文書一正倉院編年文書』「審詳請来経

録」『華厳宗章疏並因明録』『天台宗章疏』『三論宗章疏』『法相宗章疏』『律宗

章疏』『山王院蔵書目録』という十世紀初までの目録を整理する。

一、 『大日本古文書一正倉院編年文書』にみられる新羅章疏

(一) 『大日本古文書一正倉院編年文書』

本稿で用いる『大日本古文書一正倉院編年文書』(以下『古文書』)は、東京

大学史料編纂所が明治時代から編集・翻刻・刊行した『正倉院編年文書』を主

体とする奈良時代の古文書集である。『古文書』を用いた研究は近年各方面で

盛んに行われその成果が期待されるところである。 lOしかしながら、『古文書』

にみられる新羅諸師の著述の整理に関しては、石田茂作氏。,と木本好信氏.‘

の研究を凌ぐ研究は未だみられない。

(65)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

さて筆者が石田氏と木本氏の研究を参照しながら『古文書』を再整理したと

ころ、『古文書』中に新羅僧22師の著述が確認される。しかし、22師の著述の

中で、円光『大方等如来蔵経私記』(古文書17巻136.139頁)、神防『十輪経抄』

(2-729, 17-143)。4,義湘『一乗法界図』 (8-539, 17-144)、行達『輸

伽料簡』 (2-356, 8-449)、明晶『海印三昧論』(7-491,24-539)は著

述名がみられるだけで作者名がみられず、著述と作者は後代の目録・5によっ

て一致させたものである。よって『古文書』にみられる新羅僧は17師である。

著述は総数195部であるが、名前が確認される新羅僧でも、個々の著述で、

例えば円測の著述と考えられる『六十一見章』(11-309)『六十二見章』(12-

361, 17-79)、玄一の『唯識枢要私記』(12-16, 18-461)、義寂の『法花論

述記』(12-541, 17-108) (『法花経論述記』(17-98.101)) 『馬鳴生論疏』

(3-86, 17-140)、大桁の『大方等如来蔵経疏』 (2-710, 24-447)、大賢

の『成業論記』(8-539, 24-539)、元曉の『華厳綱目』 (11-428, 12-

379)を始めとする附設「十世紀初までの目録類にみられる新羅諸師章疏」に

おいて( )で括った27部も作者名が記されていないため後代の目録・‘によっ

てそれぞれの著述として推定したものである。また195部といっても、その数

は『古文書』にみられる新羅諸師著述の異名同本を含めた総数であって、例え

ば円測の著述の場合、『因明疏』 (11-452)『因明論疏』(7-489)『大因明論

疏』(24-402)『因明正理門論疏』(8-533) 『因明正理門論記』(17-106)、

『心経疏』(7-491) 『多心経疏』(9-384)『般若心経疏』(16-401)『摩訶般

若経疏』(8-534) 『摩訶般若波羅蜜多心経疏』(12-518)、『唯識疏』(7-

27)『唯識測法師』(9-512)『円測師唯識疏』(10-158)『唯識論疏』(7-

489)『唯識論円測師疏』(11-331)『唯識論測法師疏』(3-199)『成唯識論疏』

(9-389)『成唯識論測法師疏』(3-33)がそれぞれ同本の可能性が高く、同

じように元曉、僚興、智仁、道證、勝荘、義寂、大桁、玄隆の著述にも同様の

傾向がみられる。慎重なる検討を要するが総数は大凡130部程度となる。

(66)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

更に『古文書』では同じ作者の著述でも、異名同本の他に巻数の不同がみら

れる。またも円測の著述を例示すると『観所縁々論疏』の場合「観所縁々論疏

一巻神郭師又二巻圓測師」(12-55) 「観所縁々論疏二巻一巻圓測述」 (12-

382)とあり、『成唯識論疏』の場合も「成唯識論疏十巻圓測師撰」(9-389)

「成唯識論疏二部一部基法師撰十巻一部圃測師撰廿巻」(9-624)「成唯識論疏

一部十六巻圃測師撰」 (10-442)とある。その他の諸師の場合も同名本での巻

数不同が多い。『古文書』自体の問題、つまり『古文書』が個々に発給された

文書の集成であることが大きいが、巻数不同の場合などは筆写のために貸し出

しを請う際に不足の巻数のみを借り受ける場合もあり、一つ一つ検討する必要

がある。しかし、断片的な書簡が多いため『古文書』のみの整理では解明が困

難な場合が多いようである。

ともあれ『古文割により当該年の8世紀中頃までに多くの新羅諸師の著述

が日本に伝わっていたことは窺われるが、それ等の著述の中で、作者名が明記

される著述は、断簡等を含めて円測3部、元曉11部、僚興1部、玄-1部、義

寂1部、表員1部、大賢1部の19部.7であり、後代の目録で著述と作者が一

致する神防1部、元曉5部、義湘1部、義寂1部、明晶1部の9部零8を合し

ても現存は28部のみである。

(二) 「審詳請来経録」

「審詳請来経録」は新たに『古文書』 3 . 5 . 7 . 8 .12.13.17巻にみら

れる審詳関係記事から審詳所持本を整理・推定したものである。審詳所持本に

関しては既に堀池春峰氏や平岡定海氏の成果がある・,が、今一度、新羅諸師

の著述に限定して整理してみたのが附設の表である。審詳所持本167部の中で

8師49部の著述が新羅諸師の著述として確認できる。但し、 8師といっても審

詳関係記事にみられる新羅諸師の名は、円測、元暁、義寂、大術の4師だけで

ある。円光、義湘、道證、玄一の4師の場合、著述のみの記録である。また著

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

述と名前が明記される4師も、円測の2部、元曉の19部、義寂の5部は『古文

書』の当該箇所以外の記録及び後代の目録によって一致できるものである。"。

つまり名前と著述が明記されるものは新羅諸師の49部中19部にすぎないのであ

る。これは新羅諸師の著述に限ったことではなく、中国諸師の著述にも見られ

る現象である。書名と作者名を重視する僧侶編纂の目録類とは異なり、『古文

書』及び『古文書』内審詳関係記事は官吏による断片的な記録である。勿論、

8世紀中頃に既に作者不明の著述があったことも考えられるが、記録の対象が

作者名でなかったことは十分に考えられることである。

二、 「五宗録」にみられる新羅章疏

「五宗録」とは914年に醍醐天皇の勅により円超等が奏進した『華厳宗章疏

並因明録』『天台宗章疏』『三論宗章疏』『法相宗章疏』『律宗章疏』のことであ

る。以下に「五宗録」個々に収録されている新羅僧の著述を整理していくこと

とする。「五宗録」整理に際して大正新修大蔵経第55巻収録本をベースに、七

寺所蔵本。uを対照させていくこととする。大正蔵収録本をべースとするのは

七寺所蔵本の「五宗録」が『律宗章疏』全体を記録していないためである。

(一) 『華厳宗章疏並因明録』

大正蔵収録本『華厳宗章疏井因明録』には収録部数に関して末尾に「巳上百

八十二部」とあるが、実際に収録しているのは188部である。七寺所蔵本『華

厳宗章疏井因明録』には収録部数が記されていないが収録は182部である。新

羅諸師の著述は大正蔵収録本では9師25部、七寺所蔵本では9師23部である。

この相違は、大正蔵収録本にみられる元曉の『華厳経疏』と『華厳綱目』が七

寺所蔵本にみられないためである。ともあれ他師に比べて元曉著述の収録が多

い。

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

尚、七寺所蔵本では「(入正理)同論疏二巻道隆撰」とあるが、『中国・日

本経典章疏目録』の翻刻では誤写として「道證」とする。筆者も道證の著述と

しての『因明入正理論疏』が、『東域伝燈目録』及び『注進法相宗章疏』にみ

られるため翻刻に従う。

(二) 『天台宗章疏』

大正蔵収録本には「百八十一部」とあるが、実際には158部の収録である。

七寺所蔵本には収録部数が記されていないが153部収録されている。尚、二本

共に新羅諸師の著述はみられない。

(三) 『三論宗章疏』

大正蔵収録本には「已上六十九部」とあり69部収録され、七寺所蔵本には収

録部数が記されていないが同じく69部収録されている。新羅諸師の著述は大正

蔵収録本では3師7部、七寺所蔵本では3師8部である。この相違は、大正蔵

収録本にみられない『中論疏』が七寺所蔵本に「中論疏六巻元曉」として収

録されているからである。元曉著述としての『中論疏』は初出である。『古文

書』には「中論疏六巻元庚師撰」(16-404.417)等とあるが元曉著述とし

ての『中論疏』はみられない。また後代の目録では同じ七寺所蔵本『古聖教目

録』のみにみられる著述である。

新羅諸師以外でも、大正蔵収録本に吉蔵著述としてみられる『法華統略三巻』・

『法華遊意一巻』・『浬藥義疏二十巻』・『浬藥遊意一巻」が、七寺所蔵本では法

蔵の著述となっていたり、収録部数は同じでも内容は若干異なっている。とも

かくも新羅諸師の著述は大正蔵収録本では69部中7部、七寺所蔵本では69部中

8部で、元曉の著述が他師に比べて多いのが特徴的である。

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

(四) 『法相宗章疏』

両本共に収録部数が記されていないが、大正蔵収録本には169部七寺所蔵

本には171部収録されている。新羅諸師の著述は大正蔵収録本では11師41部、

七寺所蔵本では9師40部である。この相違は、大正蔵収録本の「唯識要集十四

巻道證述」が七寺所蔵本では「(唯識)同要集十四巻道榿撰」、「婆沙論疏十

四巻淨達述」が「(婆沙)同論疏十四巻淨邊撰」とあり、また大正蔵収録本

にみられないが七寺所蔵本には「梼伽経疏三巻義寂」として義寂の著述とし

て『傍伽経疏』を収録しているからである。「道橿撰」及び「淨遥撰」に関し

ては「中国・日本経典章疏目録』の翻刻で「道證」「淨達」の誤記であるとし

ており筆者も異論がない。しかし、義寂の『傍伽経疏』に関しては『古文書』

に著者名無記の『傍伽経疏』がみられるが、後代の目録には同じ七寺所蔵本の

『古聖教目録』にしかみられず・'2疑問が残る収録である。大正蔵収録本と七寺

所蔵本では巻数の相違などがあり・'3、特に七寺所蔵本に誤写や間違いが多い

ようである。

ともあれ五宗録のなかで新羅諸師の著述を最も多く収録しているのが『法相

宗章疏』である。また元曉の著述に偏する傾向がある他宗に比べ、円測9部、

元曉9部、撮興7部、義寂6又は7部と元曉の著述と同じように諸師の著述を

収録している。

(五) 『律宗章疏』

大正蔵収録本『律宗章疏』では収録部数が記されていないが62部の収録であ

る。その中で新羅諸師の著述は4師5部みられる。七寺所蔵本『律宗章疏』は

全体で7部の収録しかみられず、その中に新羅諸師の著述はみられない。戒律

関係の著述が多い大賢が1部だけの収録である。『古文書』に大賢の著述が2

部しかみられないこともあり、伝来されていなかったことも可能性として若干

(70)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

考えられる。しかしながら、元曉の戒律関係の著述は『古文書』にも多くみら

れるにも拘わらず、 2部のみの収録である。律宗で新羅仏教への関心が希薄だっ

たことも考えられる。

三、 『山王院蔵書目録(顕教目録)』にみられる新羅章疏

『山王院蔵書目録』.Mは、佐藤哲英氏。'5によると延長三年(925)に撰述さ

れた延暦寺蔵書(見定)目録で、本来4部であったが現存は空恵記貞宗書の天

台及び他家の典籍504点の目録(顕教書目録)と、同じく空恵記運猷書の密教

関係の典籍586点の目録(密教書目録)とされる。現存の2部中、「密教書目録」

には新羅僧の著述はみられないが、「顕教書目録」には収録504部中15部の新羅

僧の著述がみられる。しかし、「顕教目録」には書名に続いて作者名を記して

いないものが多く、新羅僧の著述に関しても、作者名が記されているのは円測

2部、元曉1部、勝荘1部、義寂2部の4師6部だけである。元曉の『法華宗

要』『判比量論』『花厳文義綱目』、僚興の『弥勒経疏』、義寂の『法花経験記』

『法華論述記』、大賢の『梵網経古迩』 2部『菩薩戒宗要』等4師9部の著述に

ついては作者名が記されていない。それ等を書名や巻数などによって、他の目

録から比定して合すると6師15部の著述が収録されていることとなる。しかし、

同名の著述が多いため、例えば「顕教書目録」 [二二五]番の「華厳文義綱目

一巻」は法蔵著述か元暁著述かが推定もできず問題となる。

尚、筆者は以前から『天台宗章疏』に新羅諸師の著述が収録されていないこ

とに疑問を抱いていた。何故ならば、最澄・蓮剛・円珍・安然の著述に元曉の

『浬藥宗要』・『勝堂経疏』・『本業経疏』・『樗伽経疏』・『金剛三昧経論』・『十門

和課論』などの引用が確認されるからである。ここで新羅諸師6師14部の収録

がみられるが、天台宗諸師に引用された著述で目録にみられないものが依然多

い◎

(71)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

四、小結

以上、『古文書』及び十世紀初までの目録から窺われることは、八世紀中頃

までに新羅章疏が大凡130部ほど伝わっていたが、「五宗録」収録から考えられ

ることは、全ての新羅章疏が奈良仏教界に影響を与えていたわけではないとい

うことである。これは以前筆者が整理確認した奈良・平安時代の各宗諸師の章

疏にみられる新羅章疏の引用頻度・回数からすると意外な結果である。

*1 正倉院研究会での研究成果が『正倉院文書研究」(1-10号)として刊行され、

宮内庁正倉院事務所編「正倉院古文書影印集成」によって影印本の確認ができる。

またインターネット上では正倉院文書データーベース作成委員会編の「正倉院文

書データーベース」が公開されていて翻刻並びに原本が確認できるようになって

いる。

*2石田茂作「写経より見たる奈良朝仏教の研究』(東洋文庫、 1930年)。特に同書附

設「奈良朝現在一切経疏目録」が日本及び韓国の学界に与えた影響は大きいもの

がある。

*3木本好信『奈良朝典籍所載仏書解説索引』(国書刊行会、 1989年)は『大日本古

文書一正倉院編年文書』にみられる経典・章疏を整理して索引としたもので実に

有益である。

*4神防以下、著述記載の『古文書』該当巻頁は実際には二箇所以上あるが、煩を避

けるために巻数の早いものと遅いもの2例のみ挙げた。

*5 円光『大方等如来蔵経私記』は『東域伝燈目録』、神肪『十輪経抄』は『法相宗

章疏』、義湘『一乗法界図』は『新編諸宗教蔵總録』、行達『聴伽料簡』は『東域

伝燈目録』、明晶『海印三昧論』は『華厳宗章疏井因明録』等によって確認され

る。

*6 円測の『六十二見章」は『法相宗章疏』で確認される。尚、 『六十一見章』は

『古文書』で確認される以外は目録類にはみられず誤記の可能性が高い。玄一の

『唯識枢要私記』は「諸宗章疏目録』、義寂の『法花論述記』(「法花経論述記』)・

『馬鳴生論疏』は『東域伝燈目録』、大術の「大方等如来蔵経疏』は「古聖教目録』

にみられるが「古文書』で確認できる「大方等如来経疏』と同本と考えられ、大

賢の『成業論記』は『新編諸宗教蔵總録」大正蔵収録本で「成業論古迩記一巻」

(72)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

とあるのが該当するものと考えられる。元曉の著述に関しては拙著『新羅元暁研

究』(大東出版、 2004年、 138-146頁)を参照されたい。

*7現存するものは円測「解深密経疏』『摩訶般若波羅蜜多心経疏』「仁王経疏」(『仁

王般若経」)、慣興『金光明最勝王経略賛』、玄一『両巻無通寿疏』(『無量寿経記

(疏)』上巻存)、義寂「梵網経疏』(『梵網経菩薩戒本疏」)、表員『華厳文義要決』

(『華厳経文義要決問答』)、大賢「梵網経古迩記』。尚、元暁の著述に関しては次

註も含めて前掲拙著を参照されたい。

*8神防『十轄経抄」(『大乗大集地蔵十輪経」序存)、義湘『一乗法界図』、義寂『法

花経論述記』(上巻存)、明晶『海印三昧論」

*9堀池春峰「華厳経講説よりみた良弁と審詳」 (「南都仏教」第31, 1973年)末尾

「大安寺審詳師経疏緑」、平岡定海「新羅の審詳の教学について」(『印度学仏教学

研究』22-2,1972年)・『日本寺院史の研究一古代編』(吉川弘文館、 1981年)

*10円測の『般若心経疏』、元暁の『両巻無髄瀞経宗旨』『菩薩本持犯要」『金皷経疏』

『金剛三昧論疏』『浬桑経宗要」『法華経要略』、義寂の『浬薬経綱目」『法花経料

簡」『大般若経綱要』は『古文書」の審詳関係文書以外で作者名が確認できる。

更に元曉の『一道義』は『一道義章」 (11-567)及び『一道章』 (11-566)、「二

障章』は『二郭章』(12-381)及び『二障義章』(11-567)に該当するものと考

えられる。

*11 『一切経論律章疏集(伝緑)並私記』(『中国・日本経典章疏目録」七寺古逸経典

研究叢書第6巻、大東出版社、 1998年)

*12 『古聖教目録』(「中国・日本経典章疏目録』七寺古逸経典研究叢書第6巻、大東

出版社、 1998年)には「傍伽疏上中下義寂」とみられる。

*13七寺所蔵本では「二十唯識論疏二巻」ではなく 「二十唯識論疏一巻」、 「唯識要集

十三巻」ではなく 「唯識要集十二巻」というようで両本収録本の巻数が五箇所で

見られる。また七寺所蔵本では「種姓差別集三巻」とあるが『翻刻では誤写とし

て「種性差別集三巻」とし、「(唯識論)同瞳曇什巻」とあるのを「腫瞳」とする。

*14 『山王院蔵書目録』(『叡山学報』第二分冊所収、 1979年5月復刻、初版1937年)

*15佐藤哲英「山王院蔵書目録に就いて一延長三年筆青連院蔵本解説」 (『叡山学報』

前掲書所収)

(73)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

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(74)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

(77)

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十世紀初までの日本各宗に於ける新羅仏教の影響について(福士)

(78)

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Page 15: COnnecting REpositories - 十世紀初までの日本各宗に於ける本経典章疏目録』の翻刻では誤写として「道證」とする。筆者も道證の著述と しての『因明入正理論疏』が、『東域伝燈目録』及び『注進法相宗章疏』にみ

+陣識営鴎劇Sm骨峨弧汽診辱が挙譲声蝉s澱鑓両。ラバ(誠汁)

(司垣)

*盆りつぶしは異名同本と考えられる著述、 ( )内の著述は当骸目録に作者名が無記の著述、〈 〉内の著述は同系目録内で問胆のある著述、●を附す著述は古文香にみられず目録では初出の著述、▲を附す著述は初出の可能性もあるが同本異名として既に前出の可能性が高い著述である。尚、 (B)不詳伯は出身国が不明なイロで今後の研究課題でもあるため本表に附した。

(B)

不群僧

智景

観血

12

3玄範

4神廓

識身足踏疏12巻

四分抑蔵6巻

摂大乗蛸義章3巻

職伽抄36巻巻巻

66

33

肥抄

抄飴

伽伽

融珀

巻茂巻

巻2

巻蝿稚

》轆函騨唾雌露稚秘》睡

癖識稚拙》》》》疎繩鋤率

》維御鯛正理門鉛抄1巻

法花麓8巻法花経玄範師疏8巻溌花鍾茂8巻

珪花酸6巻

妙法理花経玄範琉

観所縁々諭疏1巻笹大勢踏醸11通

新摂大乗践茂11轡掘酌麓

因明正理門沿抄1巻雑築論疏10巻

(摂大乗趙堕7巻)

(摂大乗沿疏12巻)

●正理環1巻 ●能断金附鯉謎貸3忠

仁王般若疏2巻解深密麓10巻法華疏8巻

●無垢称経疏6巻摂大乗瞼疏7巻

対法趙疎10巻弁中辺趙麓6(3)忠

観所縁縁論蔵1巻摂大乗鎗疎11窪

因明正理門鎗蔵1巻

167部中53部 188部中26部 158部中0部 69部中7部 169部中52部 62部中5部 504部中16部