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東洋人の美意識 一一微笑の造形一一 岡島秀隆 はじめに一一笑いの心理学的分析 近年の心理学・精神医学の書籍によれば、笑いの分類には以下のような仕方もある 。 1 快の笑い(本能充足の笑い、期待充足の笑い、優越の笑い、不調和の笑い、価値逆転・低下の 笑い) 2 社交上の笑い(協調の笑い、防御の笑い、攻撃の笑い、価値無化の笑い) 3 緊張緩和の笑い(強い緊張がゆるんだときの笑い、弱い緊張がゆるんだときの笑い) 1) 仏像の微笑に関連する点を考えてみると、 2の協調の笑いは他人と笑いを共有することに よって協調の雰囲気を高める働きがあるが、仏像の微笑みが見る者に親近感や安心感、宥和の 気持ちを誘発させ、相手にも微笑みを発動させるという効果はある 。ただし、仏像はある意図 を持って表情を繕ったり、相手に反応して無意識に表情を変えたりすることはない。加えて、 この種の協調の笑いは「人はうれしいから笑うのではなく、笑うからうれしい」といった心理 メカニズム(前掲書にジェームズ=ランゲ説と解説される)とも関係していると考えられる (相手が楽しそうに笑うのを見てこちらも思わず、楽しくなって微笑む。微笑むと何となく明る い気持ちが増殖するといった状況を我々は経験することがある)。 さらに、想像以上に笑いは複雑な感情表現である。確かに笑いは万国共通のものであるとい う見解は正しいが、民族性などによって傾向が異なる面もある。先の著書によると、パリ島の ある部族は怒りを感じているときに笑うという報告もあるし、不愉快な気持ちを取り繕うジャ

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東洋人の美意識

一一微笑の造形一一

岡島 秀隆

はじめに一一笑いの心理学的分析

近年の心理学・精神医学の書籍によれば、笑いの分類には以下のような仕方もある。

1 快の笑い(本能充足の笑い、期待充足の笑い、優越の笑い、不調和の笑い、価値逆転・低下の

笑い)

2 社交上の笑い(協調の笑い、防御の笑い、攻撃の笑い、価値無化の笑い)

3 緊張緩和の笑い(強い緊張がゆるんだときの笑い、弱い緊張がゆるんだときの笑い)1)

仏像の微笑に関連する点を考えてみると、 2の協調の笑いは他人と笑いを共有することに

よって協調の雰囲気を高める働きがあるが、仏像の微笑みが見る者に親近感や安心感、宥和の

気持ちを誘発させ、相手にも微笑みを発動させるという効果はある。ただし、仏像はある意図

を持って表情を繕ったり、相手に反応して無意識に表情を変えたりすることはない。加えて、

この種の協調の笑いは「人はうれしいから笑うのではなく、笑うからうれしい」といった心理

メカニズム(前掲書にジェームズ=ランゲ説と解説される)とも関係していると考えられる

(相手が楽しそうに笑うのを見てこちらも思わず、楽しくなって微笑む。微笑むと何となく明る

い気持ちが増殖するといった状況を我々は経験することがある)。

さらに、想像以上に笑いは複雑な感情表現である。確かに笑いは万国共通のものであるとい

う見解は正しいが、民族性などによって傾向が異なる面もある。先の著書によると、パリ島の

ある部族は怒りを感じているときに笑うという報告もあるし、不愉快な気持ちを取り繕うジャ

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パニーズスマイルはアメリカ人には理解し難いともいわれる。また、性差によって笑いの上手

下手があるともいう。笑いの表情と感情の間にも複雑な関係がある。笑いの表情は快楽の感情

と一対一対応をとっていない。それは恐怖や悲しみや軽蔑や驚きの感情と結びついている場合

やもっと重層的な感情表現として表出することもあるのである。

一方、仏像の微笑の効果ではなく、その作成の意図という観点から推測すると、その笑いは

先述のような分類の中で特定の部分、あるいは複数の要素の複合というよりも、また分類のど

こにも該当箇所がないというのでもなく、むしろ全ての分類を含んで、全ての要素に対応し、し

かもそれらの領域を凌駕している笑いと いえるのではないか。むしろ、それは仏像自身の持つ

存在の神秘性と全ての見る者の心理を反映する鏡効果とでも 言い得る事態が現出していると

いったほうが適切かもしれない。

もう 一つ、高い宗教性(聖域性とか儀式性とか)と笑いのコントラストはいかにも大きく、

両者は異質で対照的に感じられることもあるが、宗教性の中での緊張緩和と新しい創造の要

因、世俗的なものに対する聖なるものの息吹、習慣的なものからの脱却と自由の象徴的表現と

しての側面などを仏像の微笑は持っているようにさえ思える。言い換えれば、仏像の微笑は人

間のそれを原型としつつそれを超越した側面を持っていると云える。その謎解きに挑戦してみ

よう 。

1 .アジアの微笑の多様さ

アルカイック ・スマイル (archaicsmile) という表現がある。それは 「古拙の微笑」とも呼

ばれ、元は古代ギリシアの人物彫刻などの口もとに見られる微妙な笑みをいう。それらの表情

の意味については様々な議論がなされてきているが、その微笑みによって彫刻の不思議な生命

力が描出され、それらが単なる像や作品ではなく、魂あるもののようにさえ感じられることと

なるのである。そしてそれらの表情は造像の技法や様式論の領域を越えて、人間の魂の気高さ

や生命の意味といった根源的問いかけへと我々を誘う入り口ともなり得るように思われる。

さらにこうした微笑は東洋の古き文化の中にも見られ、六朝時代の中国や飛鳥 ・白鳳期の日

本の仏像彫刻の顔にも同様の表情が認められると云われている。ここでは日本を含めたアジア

の仏像彫刻を取り上げながら、それらの微笑みの魅力と意味について考察を試みようと思う 。

魅力的な微笑みを湛えた仏像にはアジアの其処此処にある寺院や仏教遺跡で出会うことがで

きる。しかし、その表情は一様ではなく、それらをどのように描写し解釈するかは困難な課題

である。一口に仏像といってもそれらが制作された時代や地域 ・民族性等によってその様式・

外見は多様なのである。ここでは先ず、長贋敏雄氏の指摘から考えてみよう。

-2-

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「東洋の美 こころとかたち』において、長贋氏はまず土偶について、中国の土偶で六朝初

期の南朝土偶には漢代のきびしく、つよく、冷たい表情とは違った稚拙でいてほがらかな気風

が渉み出ているという。そして、日本のやさしい埴輪土偶の祖型は南朝土偶に関連しているの

ではないかと想像している2)。ここには時代性および地域性、あるいは民族性による土偶の様

式上の相違が指摘されている。次に彫刻については以下のような発言がある。つまり、仏の瑞

相など仏像彫刻の特殊な様式上の約束事があるにせよ、彫刻する職人(アーティザン)の根本

にある人間像にはインドと中国(さらに西域諸民族や韓国人、日本人、東南アジアの諸民族)

で大きな相違がある。例えば、中国では裸体を表現したことがなかったという。中国人にとっ

て人間は国家および家の制度に忠実な礼教的人間であるべきであって、徳行と節操こそが人間

の価値とされる。だから、礼教的人間はきっちりとした衣服を身にまとった、ただしい形姿を

保つべきで、身体的表情に意味をあたえてはならない。ただひたすら衣服によって身をただす

のが常識であり、衣服の制度のみだれは国家と家族の衰微を意味したとい うのである。

それゆえ、仏教美術が西方から中国に流入したときに、中国社会がこれにつよい抵抗を示し

たことは想像にかたくないが、六朝時代から急速に仏教思想が知識階級に受け入れられるにつ

れて仏教美術も流入することになる。だがそれは当初、中国人の美的評価の枠外に位置する物

珍しい外国品といったものであったらしい3)。

ところで、中国には西域から二つの彫刻技法が伝播する。インド以来の石仏技法と中央アジ

ア的塑造仏像の技法である。前者においては、やがて雲闘石窟や龍門石窟などの石窟が各地に

建設されるが、雲闘と龍門の石窟の聞には大きな相違があるという 。そして 北貌という国家

の特異性を考慮、しつつ「その国の“外国性"が雲闘石窟と大石仏とに表現され、その国の“中

国への同化性"が竜門石窟に表現されるのである」と述べられている。

それでは両者は具体的にどのような特徴をもつのか。雲両石窟の彫刻には「表現の闘達さ、

細部にこだわらない豪快さ、無邪気さ」があり、それは一口でタクパツ族的とでも形容できる

特色とされる。その生命観は、模倣様式からは生まれがたいものである。仏教的教義や信仰の

みからきたのでもない。西域彫刻の型を借りてはいるが、彫刻家自身のフテブテしい豪快さと

たくましさと、それを支えたタクパツ族的な健康さからしか生まれえないものなのである。こ

うした雲間彫像の明るさと閥達さは中国、さらに東洋において稀有のものと言わざるを得な

。)

A崎、」、hv

一方、日本の飛鳥仏や法隆寺の諸仏の祖型となったといわれる竜門石窟の北貌仏の特徴はど

うであろうか。

きびしく内省的なその仏像表現は、まず一切の官能性を人体から消し去り、形態の円満より苛

- 3

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烈をえらぶということになった。そこにはインドのシャ力仏はなくて、中国のシャ力仏が代った。

肌を感じさせるインドのうすい衣の代りに、中国上層階級のひとびとがまとう折目ただしい上衣

と下裳があらわされ、衣のひだは礼儀ただしく重ねられた。彫刻家はその整然と重ねられた衣の

ひだを、洗練された線と面にかえ、それに起伏をつけ抑揚をつけることで、無機的な造形の変化

をもとめた。……中略・…ーこの北貌仏の流行は、中国的精神性一一官能性を閉じ込め、神秘的な

幽玄な形態を重んずるという一一の勝利といえる。神秘的で幽暗な、しかも抑制された情熱が内

面で燃えながら、外形はぼそぼそと、あるいは痩せて硬い身体の北貌仏こそは、五、六世紀中国

の政治的、社会的不安のなかで、ひろく人民の共感を呼んだのであったろう5)。

確かに、雲同仏のバランスを無視したような 一見稚拙な子供の粘土細工を想わせる表現

は、それでいて力強い生命感に充ち溢れているし、それとは対照的に竜門の石仏には、均斉を

重視した端整な美しさがある。その面立ちも温かさというより、取り澄ました冷静さの中に底

知れぬ深みが感じられるといった風情である。この系統を受け継ぐと思われる日本の仏像には

同様の表情が看取できる。また、彫像の肉体的量感を減殺した北貌仏の方向性はインドの仏像

とも明らかに異なる。

インドは宗教の国であり、宗教美術のくにである。その宗教は“人聞がたえず自然の脅威にさ

らされ、自然の力によって生活が支配される熱帯では、無慈悲で強大なさまざまな力に神がまし

ます"と信じられたような宗教であった6)。

一瞬も留まることなく生成消滅が繰り返され 生と死が善とも悪とも判然としない状態で重

なり合って立ち現れ続けるのが当たり前の日常の中に生きる人間のイメージがインドの宗教や

文化、そして風土の中にはある。仏教やヒンドゥー教のようなインド起源の宗教が輪廻と業を

宇宙の摂理と考えるのも領ける。そんな風土の中で育まれた美術はそうした気質を内包 してい

る。インドの宗教は風土と結び付いている部分が多い というのが長贋氏の考えである。

インドの宗教がインドの作者を指導したのは、自然力のうちでもっともすばらしい生命力、生

産力の発揮についてであった。それは身近な性の描写からはじまり、それを繰返した。それは王

公貴族から泥足の貧民にいたるまで、もっとも分かりやすいし、魅力的である。その魅力には進

歩もないし、退歩もない。それは、歴史的現実のなかに真実を探りあてようとするリアリズムで

はない。熱帯の風土が、すばらしいアーリヤ民族の骨格をもった女体を、自然に、裸かのままで

みとめさせたのである。作者だけがみとめたので、はなくて、熱帯の風土がそれをみたのだ。これ

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東洋人の美意識

を古代的ナチュラリズムとよんでもいい7)。

そして、破壊神の描写においてさえ、破壊は新たな創造に直結していると考えられるが故

に、正邪、善悪といった明確な二元論はなく、おおらかで調和に満ちた生命エネルギーの現

れ、“原始と神秘"の単純な反復の伝統として職人達の技法に受け継がれているといえる。

このように神仏の表現の基礎にある人間身体の描写に関して、インド・西域・中国に地域

的、風土的、民族的相違が見られるとすると、仏像の微笑の表現に多様な特性が見出せるとし

ても不思議ではない。そしておそらく、インドの彫像に見られる生命力の明るく開放的な表現

は中国や韓国、日本の様式とは明らかに異質だが、カンボジアのアンコール遺跡群やインドネ

シアの遺跡群などには共通点が見られる。

2.木喰と円空(行としての造像)

他方、制作方法と製作意図によっても仏像の表現には相違が生まれる。まず、仏像を仏師な

ど専門技術者集団によって作られた仏像群(材質や規模は様々だが、高度の技術を持った個人

や工房、あるいはさらに大がかりな国家フ。ロジェクトによって作成された場合)と技術は劣る

ものの強い発願心や修行の一環として作仏が行われた場合とに二分してみる。前者は技術的洗

練に裏打ちされていることが特徴であり、後者は修道的で素朴な手法が多いように思われる。

先にふれた雲闘・竜門石窟の仏像や日本、韓国、東南アジア諸地域の著名な仏教寺院や仏教史

跡の仏像は前者に属するであろう。後者については日本の円空仏や木喰仏にその好事例を発見

できる。この修道型とでも呼びうる宗教芸術の特性を検討してみよう。

造仏聖の造形はそのように自己流に近いものであり、その源流を遡ることは難しいが、完壁を

追求する中国的な価値観には収まらない仏像彫刻の流れが古代から存在していたことは、注意し

ておく必要がある。近年井上正の精力的な研究によって次第に明らかとなりつつある霊木化現仏

がそれである。古代彫刻史にとって重要であるばかりでなく、近世の造仏聖の造形を考える上で

も、見すごすことができない。……中略……彼らは造仏のみに従事していた技術者ではなく、聖

と呼ばれるような宗教者であった可能性が高い。中世における彼らの実態はまだ明確ではなく、

そのような造仏聖の系譜を、近世の円空や木喰にまで明確につなぐことはできないが、古代の霊

木化現仏の行き着く先に円空や木喰の作仏を置くのは、実に魅力的な位置付けである。今後の研

究によって、両者をつなぐ線が浮き彫りにされるに違いない8)。

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長谷寺の縁起に残る伝説のように霊木を仏像になすといった事例は古くから存するようであ

る。確かにそうした霊木化現仏の系統の先に円空等の造仏聖がいるとする説が証明されている

わけではない9)。事実仏像の完成度などには明らかな個体差がある。像の表面を意図的に荒削

りのまま残した詑彫りの手法などの共通点を見出せる木造仏が広範に存在していることから、

そうした類似手法を根拠として何らかの系統性を想定することは可能だが、独自の仏像制作に

こだわる円空や木喰の制作スタイルはそうした系統性をむしろ超越して孤高の境涯を表現して

いるように思われる。

木喰の作仏が丸みを持つのに比較して、円空のそれは直線的で、鋭角的であると評されている。

円空の作仏は、素材となる木がまずあり、その中に見出した聖なる形を、なるべく手聞をかけず

に彫り出そうとしたように見える。わずか二~三センチの木っ端仏から、巨木を活かしたものま

で大きさや形は様々で、木喰がこだわった顔の表情なども、わずかな彫り数で、手早く仕上げて

いる。たち割った断面をそのまま活かした部分も目立つ。素材である木の特性を活かそうとした

という意昧で、アニミズムの色合いが濃い10)。

円空が自然を見つめ続けた聖であったとすれば、木喰は、終生自分自身も含めた人間という不

可思議な存在を見つめ続けた聖であった。自身の像を数多く彫っていることも、それを証してい

る11)。

ここには円空と木喰の個性が比較検討されている。それぞれの指摘は実に的確で、ある。先に

述べた国家プロジェクト的大事業としての造仏作業には これほどの個性的造像はあり得ない

であろう 。万人向けの誹りを受けたとしても、仏師たちは嫌味や灰汁のない造像を心掛ける。

そして、その究極において、没個性的ながら完成された美を成就させたと云えよう 。

一方、それらとは全く異なる主観的造像が許されたことで、円空や木喰はアジア地域でも類

を見ぬ独創的な仏像を生み出すこととなったのである。

私はよく友人からたずねられる。どうして40年余も「円空J に夢中になれるのかと。それは円

空仏に刻まれた微笑に私が救われているからだと答える。円空仏のほほえみを見ていると、やさ

しさが知らないうちに私を包んでくれる。円空の微笑は、人をいつくしんでいるほほえみである。

円空の刻んだほほえみを見て、まず自分が歓び、その悦びを見て周囲が喜び、また他の人が嬉

びを引き出す。そういう心が円空仏には刻まれている。……中略……そこで円空仏に刻まれた微

笑の根元をと調べているが、どうも釈尊の教えの中の「無財の七施J (詳しくは『雑宝蔵経巻七.11)

- 6-

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ではないかと思う。

それは、必ずしもお金や物がなくても、立派な布施ができるというもので、その第ーには、や

さしい目を施し、第二は和顔悦色施といって、和やかな顔、喜びに溢れた顔、人がその顔を見た

だけで幸福になり、希望を持てるような顔を施すというものである。この和顔悦色施の教えこそ

が、円空仏に刻まれたのであろう 12)。

円空の仏像解釈は彼の仏の概念をあらわしている。彼には仏は恐れを具現化したものでも全て

を貫く裁きの力でもなかった。彼は仏は人を守るもの、慰めるもの、癒すものととらえた。円空

にとってさまざまな仏、つまり人々を保護し加護するのは超然的な存在ではなく、むしろ普通の

人の友である。仏は普通の人の生活の一部であり、常にその人の側にいて、その人の存在の一部

である。こういうわけで、我々は円空の仏像の顔つきから高慢さの跡や卓越した感情の跡を見つ

けられないのである。

乙れらの顔はシンプルで優しさがある。「まるで我々のよう」である。そういうわけでこれらは

恐ろしくなく、このため円空の仁王や不動明王は無慈悲で、近付きにくいものではない。円空が邪

悪な者は善行を成し得ないとかんがえていたことは間違いないだろう 13)。

これらの文章には、筆者の円空と円空仏に対する思いが描き出されている。それらは円空自

身によって語られた言葉というわけではなく、筆者の円空とその仏たちへの憧↑景や愛が表出し

ている。その点が興味を引く。というのも、円空の仏像はそれを見る者の思いを増幅させ、何

事かを語らせたのである。そして、その語られた言葉は、円空仏の「意味するもの」を確実に

豊かにする。このことは仏像一般に言えることで、多くの人々に見守られ、語り継がれる仏像

はそのことによって「育まれる」ように思われるのである。

そう考えてみると、円空仏の微笑みも木喰仏のそれも、最早作者ひとりのものではなく、一

部の愛好家のものでさえない。そして、今日も多くの人々の「眼差し」を受け取って、さらな

る深まりと含蓄を加え続けているといえる。最も独創的であった仏たちは、こうした人々の

「育み」によって普遍化される。それは技術者集団が目指したであろう造仏における技術的形

式的普遍化とは異なる形で、仏像の普遍化、一層端的にいえば大衆化が進行したということで

ある。

3.モナ・リザの薄笑い(西洋の微笑)

ここで、少し西洋の美術作品に視線を投じてみよう。

-7-

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捉えて放さぬ眼差し、魅了し、だがふたたびみずからの内に引きこもる微笑み、肌身はどこま

でもやわやわとして、大気は海の青緑を帯びる。裏箔のない鏡に似たしっとりとした薄暮の世界

一一強化ガラスに守られたモナ・リザ、このスフインクスは、倦むことなく訪れたものに謎掛け

を挑む。だが、たまさかこの謎が耳に届くとしても、人にはもはや謎解きに挑む気概なく、解く

べき手だてももたぬ。すでにあまりに多くの答が出されてしまったのであれば。舷しすぎる光彩

が作品に息苦しくからみつく。視覚の吸血鬼とでもいう類いが跳梁しているのだ。絵はがきに

キャンデイーボックス、みやげ物の灰皿にと数限りなくコピーされ、おびただしい偶像崇拝者に

よって磨滅し、ジャーナリズムと広告業界にしゃぶられ、カリカチュアやパロデイーになり、奇

妙な加筆に顔さえ変わり、いまや《モナ・リザ》の血肉は枯れ果て、彼女は固有の実存を失って

しまった。名声の犠牲者。これはもはや一つのタブ口ーではない、公共のイメージだ。単なる一

つの常套句。だが、モナ・リザが差しだす謎は解けないまでも、少なくともモナ・リザという謎

に取り組むことはできる14)。

だが、微笑みもまた、とかく主張されてきたことに反して、レオナルドの作品にここではじめ

て登場したわけではない。すでに《臼紹を抱く夫人の肖像》と《岩窟の聖母》でも、微笑みのか

すかな影が現れている。またしても「創意は唐突に成るものにあらず)、頂点に達するまでには長

い成熟の時を必要としたのだ。次々とタブ口ーを経るにつれ、微笑みは次第にはっきりと自己を

主張しはじめ、《モナ・リザ》に至って圧倒的な存在となり、“夕、、 ・ヴインチ・スペシャリテ"の

地位へと上りつめる。《聖アンナと聖母子》、《レダ》も微笑んでいる。そして最後の《洗礼者聖ヨ

ハネ》では、微笑みと天を指す手、すなわち画家のいま一つの“スペシャリテ"との組み合わせ

がきわめて大きな効果を生む15)。

《モナ・リザ》は、片側でしか微笑んでいないとか、少なくとも半分は微笑んでいるといった言

い方がされる。わずかに左右非対称であることで、この微笑みが見る者にじかに向けられたもの

ではないという印象が強められる。微笑みは身をかわして解釈を拒む。それは、幸福感の表明で

も官能への誘いでもない。といって、聖人や聖処女の発する霊的な呼び声でもない。それでは、

どう理解すべきなのかつ まずはなによりも仕組まれた一個の謎として見よ、ということだ16)。

モナ・リザの微笑みは謎めいている。しかし、その微笑みの系譜はダ・ピンチの他の作品を

も取り込み、さらにラ・ファエロの聖母子像などにも及んでいる。その淵源はヴォッティチェ

リの聖母子や女神たちに見出せるかもしれない。確かに、それらは魅惑的だが、ある種の薄気

味悪さを含んでいる。明治期の賢人、鈴木大拙はキリスト教と仏教の対比をイエスの傑刑と釈

-8-

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尊の浬繋の姿に見てとって、イエスの死を礼賛するかに見えるキリスト者の心情に東洋人とし

て強い違和感を感じると述べている 17)。そうした一種の「薄気味悪き」がキリスト教的宗教画

をはじめとして西洋の芸術作品には垣間見られるのであって、聖人や聖女の微笑みの中にも、

屈託なさや無垢とは相反する暗欝とした複雑なるメランコリーの心情が見え隠れしている。美

術史研究の高階秀爾氏は西洋美術における「四性論」の影響を指摘し、その中の「憂欝質」の

系譜がデューラーの『メレンコリア・ 1.J]からミケランジエロの諸作品を経てロダンの r考え

る人』に示されるような思索と膜想の美徳を暗示する価値観へと通じていることを述べている

が、聖母子像の微笑にはこうした傾向の影響や、更に「フローラ」的モティーフに内含され

る、それは女性をテーマとする場合に特有ともいえる複雑な「聖愛と俗愛」の混在が関係して

いるかもしれない18)。

他方、こうした西欧的精神性とは異なる底抜けの明るさや素朴な笑いの表情が東洋の宗教芸

術には存する。「寒山J i拾得J をモチーフにした多数の図絵や布袋和尚の阿々大笑、あるいは

仙崖義党の画作といった数々の事例は、そうした東洋的噌好を思い出させてくれるのではなか

ろうか。

4. イコンとの対話

ところで、強い信仰心の発露として制作される作品はキリスト教世界にも存する。イコンは

その典型例といえる。そこに描かれた聖なる姿を見つめる眼差しの秘密の中に、聖なる微笑の

意味を捉えるヒントが潜んでいるように思える。

現代人は美術館や美術書でイコンを鑑賞することに、なんの疑問もいだかなくなっている。し

かし、イコンは美術作品として制作されるものではない。もっぱら修道士が祈りとともに描き、

製作者の名を入れることもないのである。したがって、たんにテンペラ画で宗教的主題をなぞっ

ただけでは、イコンとはいえない。……中略……イコンは礼拝(ラトリア)の対象ではなく、崇

敬(プ口スキニシス)の対象であるという位置づけがなされた。

イコンに対する崇敬は、イコンそのものを礼拝するものではなく、そこに映し出された「像」

をとおして原像である神に祈ることであると定義されたのである。イコンが「天国を映し出す鏡」

と呼ばれるゆえんは、ここから来ている 19)。

向き合う者はイコンから凝つめられているのを感じる。聖堂に立って祈る者にとって、イコン

とは見るものではなく、見られるものなのである。イコンが真に生きるのは、その瞬間だ20)。

- 9

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つまり、イコンが崇敬の対象であるという意味は、描かれた像に映し出される、その原像た

る神を崇敬するということなのである。そして、更に表現の適切さを求めて厳密に言葉を選ぶ

ならば、イコンの眼差しに捉えられ、見つめられること一一見つめる者の眼差しに応答する聖

なる眼差しを感じ取ることの内に、もっとも深い神との交わりを体現する営みこそイコンを見

つめるという出来事なのである。

ミシェル・クノーはその著書の中で、「イコンは美しくあるまえに、何よりも真性なもので

なければならない」といい、そこに描かれた像は「知性に触れる前に魂に触れることが好まし

い」という。確かにそこに描かれたものはひとつの美を表しているが、それは単なる美術作品

ではなく、神との交わりの場としての美、霊的世界の美を放射しているといい得るのである。

それゆえイコンは、西洋的精神世界の基層をなす感性界とイデア界、仮象の世界と実在の世界

の二元的対立構造の接点に開かれた窓といえるのではなかろうか。

イコンはそれが置かれた場所を聖化し、信徒に手に触れることのできる形で聖なるものの臨在

の感覚をよびさます。出会いこそがイコンであるともいえる。というのもキリストのイコンの前

で祈ることは、まさしくキリスト本人の前で祈るのにひとしい21)。

ところで、夏目激石の「夢十夜』の第六夜には運慶が登場する。撃と槌を振るって木の中に

埋まっている仁王の姿を自在に掘り出す、その姿に感動して、自分も彫刻に挑戦するが上手く

行かず、「明治の木には到底仁王は埋まっていないものだ」と悟ったという夢の話であるが、

運慶の孤高の境地の一端が推測されていて興味深い22)。この話は天才彫刻家ミケランジエロの

逸話が元になっているかもしれないが、「聖なる像」の創造と天性の結び付きは人類に大いな

る恵みをもたらして来たと云える。だが、かかる宗教像の製作には何よりも信仰に基づいた祈

りの生活が不可欠である。そのことは洋の東西を問わない。先に述べたイコンの製作者や我が

国の円空・木喰らの造仏はその最たる実例である。そして、重要なことは聖なる領域との出会

いをもたらす「宗教装置」としての機能が、イコンのみにおいてではなく、数多のキリスト像

や聖人像、仏像や菩薩像などに、またあらゆる宗教的芸術作品および文物に多かれ少なかれ存

するという事実である。

5.微笑みに何を見、何を思うのか一一転換点としての微笑

表情に微笑を湛える彫像は仏像ばかりではない。さまざまな神像や人物像にもそうした表情

の刻まれたものがある。そして ここまでそうした多様な像の表情の複雑性、混合性に注目し

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東洋人の美意識

てきたわけだが、それらの彫像の表情の中で仏像にはその表情の意味付けに仏像固有の側面が

あるという見地にも一考の余地がある。つまりそこには「仏の慈悲」が表現されているという

見方である。この説明には一定の説得力がある。ただ、仏の慈悲の表出である「仏の微笑」を

本当に見た者は生存していないのも事実である。そうだとすれば、それは作家の想像力の産物

という他はない。そして、作家の見本としたのは生きた人間の表情であり、それに基づいた想

像力と制作過程での試行錯誤の結果としてその表情は描き出されたのである。それでもほとん

どの場合、作家に↑吾りの体験がないことが多くの制作上の困難と苦節を招いたであろうことは

推測できるのである。

作家の体験と想像力、あるいは好みが微笑という見方によれば暖昧さの極致とも思える仏像

の表情を生み出した理由の全てであると言おうとしているのではない。技術と構想力が未熟な

作家の場合にはそうした暖昧な表現に逃げたり 誤魔化したりすることがあったかもしれない

が、最先端の技能を持つ専門の彫刻師達にとっては、そうした発言は礼を失したものと云えよ

う。彼ら技能者にとっては、暖かさと威厳、優しさと強さといった複雑な心情を意図的に最も

微妙なる表情の中に描出するときが自身の技量を示す絶好の機会であり、その技術的表現力の

顕示こそ自らの存在理由を世に示す唯一の方法であったと云えよう。

ところで、我々は楽しいとかうれしいという感情を微笑み(笑い)といった表情に現すこと

があるが、他人の笑い顔を見て感情を共有することもある。また、笑いの表情を作為的に作る

と少し気持ちが明るさを取り戻すといった経験もする。笑いという表情に限定されるわけでは

ないが、人間の表情には複雑な機能が見られ、殊にその感情表現・心情表現という面を考えて

みると、そこには人と人、自己と他者のコミュニケーションや人間関係の問題として考察され

ねばならない側面および個々の人間の内面と外面の関係性についての考察の鍵があるとも考え

られる。とりわけ前者は第一に作者と作品との対話の問題であり、次いで作品を媒介しての作

者と鑑賞者の避遁と対話の問題であり、第三に作品と鑑賞者の間の対話的関係性の問題であ

る。ここでは三番目の問題について私見を述べておこう 。

まず、仏像の表情から何を感じ、何を汲み取るかということは、最終的にそれを見つめる者

の解釈に委ねられていること、そこに全権が委任されていることが再確認されなければならな

い。仏像の作家にはそれぞれの思いがあったであろうが、それらは見る者によって探求され推

測され解釈される他はない。また、仏像の絶妙の表情に笑みが現れているか否かも鑑賞者に

よって判断されねばならない。さらにそこに表出している微笑が如何なる感情の現れであり、

如何なる意味を持っかも見る者の側で分析されなければならない。

加えて、仏像の微笑の特質を勘案すればこうした点も考え合わせなければならない。つま

り、生身の人間の微笑は本来移ろいやすいものであるが、素材に刻まれた仏像の微笑みは時間

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愛知学院大学教養部紀要第57巻第 3号

的経過による風化といった物理的状況変化による以外には変わることがないのである。そうし

た仏像の微笑は見る者に不変不動の強さでもってぶれることのないメッセージとして映る。そ

れは我々に某かの永遠性として迫りくるのである。そうした永遠の微笑みは見る者に思索の余

裕を与える。瞬時に消え去る人間の表情は見る者に何らかの印象を残すが、それはたまたま撮

影されたり、意図的に録画されたりしていない限り、暖昧で再生不可能なものである。そし

て、これらの垣間見の後に残される微笑みの影(面影)は見る者の内的世界に打ち立てられた

至って主体的な表象であろう。他方で仏像の表情はそれを取り巻く雰囲気・相貌といった条件

を除けば(それらを踏まえて見るべきかもしれない)、何度でもじっくりと鑑賞することが出

来る。我々は繰返し仏像の微笑みと再会し、味わい、受けとることが出来るのである。そうす

ることで我々は仏像の微笑の変容を感得するというよりも 鑑賞する主体の内面性の変化や移

ろいを感受することになるといえよう。

しかし、仏像を見ることによって我々が感ずるものの内に自己心の投影があるとしても、そ

の向こうに仰ぎ見るものこそ仏の真の姿であり あるいは仏の心であると考えることは不自然

ではない。というのも変容に対峠する不変の真理、狭量な利己心に対する無辺の慈悲を求める

のが人間の本性なのであってみれば、我々の心は仏の造形という宗教装置を介して自分に出会

うとともに、真の仏の姿への憧僚を抱くことになる。そして、仏の造形と時を共有する聞に、

やがてそこに仏の真の姿と心を見出すことになるのではなかろうか。

最後に、仏像に向き合う場合のこうした人間心理を考慮したうえで、仏像の微笑の意味の分

類とその構造の説明を試みる。そこには見る者の心への応答が表出すると考えられる。まず、

仏像の微笑みを超越的微笑と寛容の微笑に二分してみる。前者は謎めいた神秘的笑いと看取さ

れるものであり、それは見る者を新たな境地や未知の視点に誘うような兆しを示しており、人

を誘い魅惑する力や、人を励まし、日七時し、勇気づける気概なども含まれている。後者は鷹揚

な微笑とも表現できるもので、全てを慈しみ、見守り、赦す心根の表出といえる。前者は向上

を促す姿であり、後者は向下の姿勢を現わすものと考えてもよかろう。おそらく、仏像の微笑

の意味するところは更に複雑多様な内容を持つで、あろうが、それは取りも直さず見る者の側の

心理の多様さと複雑性を率直に反映しているということである。

また、仏像の笑いと見る者の関係は次のように解説することもできる。つまり、人の心が物

に働きかけることで、物から仏像を産出し、それが人の心に働きかけることで、心に新たな局

面の展開を生み出す。この意味で仏像は物と心の相関関係の交接点に立つ何かで、あり、人はそ

れと向き合うことで多くの発見へと進展するのである。そうしたいわば出会いを成就するため

の唯一の条件は、両者がいかに濃密な双方向的接触の時間を所有するかであろう。

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東洋人の美意識

吉岡

フランスの批評家ロラン・バルト (1915-1980) は、伝統的文学批評の理論には批判的でテ

キスト(文学作品など)にとって作者は外在的なものであり、むしろテキストに意味を与える

ものとしての読者の役割に関心を寄せたといわれる。作者の意図よりも読者の受けとり方に重

点を置くのである。美術作品などに対する場合にもこうしたアプローチの仕方が当てはまると

考えられる。そこでは仏像のような見られる対象とそれを見る者の関わりの中から新たな意味

が生まれることになるが、そうした観点から仏像の微笑という表情の解釈を試みてきた。この

ことは仏像というものの宗教的意味を探究することであるとともに、そうした媒介を通して仏

の本質や仏の心に接近しようとする道を考察することでもあったのである。

他方、我々にはこれとは異なった仕方で、仏の本質や心に接近する方途もある。例えば、それ

は坐禅のように自身が仏の身心に同化せんとする方法である。それが絶えず成功するかは別に

して、この方法はいわば仏の身心を内面から追体験することを目指しているといえよう。この

坐禅という方法によって我々は仏に内側から接近し、仏を内面から感じ取ることになる。そう

した方途も用意されているのである。さらに、念仏などの多様な方途が考えられるが、これら

の方面の比較考察などについては機会を改めて考究してみたい。

t-

1 )志水彰、角辻豊、中村真『人はなぜ笑うのか一一笑いの精神生理学一一J (講談社 1994年)参照。

2 )長贋敏雄『東洋の美 こころとかたちJ (美術出版社 1967年)p.23-25

3 )向上p.33

4 )向上p.35-39

5 )向上p.41-42

6 )向上p.50

7 )向上p.54-55

8 )矢島新「内なる仏を掘る一一木喰の生涯と作仏一一J[i'木喰仏J (東方出版 2003年)p.394-395

9 )井上正「第一章神仏習合の精神と造形J [i'図説 日本の仏教一一六、神仏習合と修験J (新潮社 1989

年)参照。

10)矢島新「内なる仏を掘る一一木喰の生涯と作仏一一J [i'木喰仏J (東方出版 2003年)p.395

11)向上p.396

12)長谷川公茂「円空の生涯J [i'英語版 円空J (関市・関市教育委員会 2002年)p.2-3

13) 同上p.59

14)セルジ、ユ・プランリ『モナ・リザの微笑J C日本語版監修 嘉門安雄J(求龍堂 1998年)p.5

15)同上p.18

13

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愛知学院大学教養部紀要第57巻第 3号

16) 向上p.68

17) r仏教と現代生活一一一仏教の慈悲についてJrr鈴木大拙全集 第二十二巻』等参照。

18)高階秀爾『ルネ ッサンスの光と影一一芸術と精神風土 』第九、十、十八章(中央公論新社 1987年)

参照。

19) }I[又一英『イコンの道一一ビザ、ンテインから ロシアへ .n (東京書籍 2004年)p.54-55

20)向上p.55

21)ミシェル・クノー『魂にふれるイコン一一絶対者に向けて聞かれた窓一一.n (せりか書房 1995年)p.

198

22)夏目激石『夢十夜.n(ワイド版岩波文庫) (岩波書店 2007年)p.24-28参照。

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