15
からるために しょう の教 きょう に学 Q&A 早稲田大学大学院客員准教授 スマートサバイバープロジェクト代表 西 じょう 群馬大学広域首都圏 防災研究センター長 かた とし たか すい せん

津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

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Page 1: 津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

津つ

波な み

から命い の ち

を守ま も

るために大お お

川か わ

小しょう

学が っ

校こ う

の教きょう

訓く ん

に学ま な

ぶ Q&A

早稲田大学大学院客員准教授スマートサバイバープロジェクト代表

西さ い

條じょう

剛た け

央お

群馬大学広域首都圏防災研究センター長

片か た

田だ

敏と し

孝た か

推すい

薦せん

Page 2: 津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

3

発は っ

刊か ん

に寄よ

せて

 この世よ

の地じ

獄ごく

、東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

発はっ

生せい

の日ひ

から2年ねん

がたちました。

 かけがえのない肉にく

親しん

も家いえ

も何なに

もかも飲の

み込こ

んだあの大おお

津つ

波なみ

数かず

々かず

の悲ひ

劇げき

。とりわけ我わ

が母ぼ

校こう

、大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

の悲ひ

劇げき

は言こと

葉ば

は尽つ

くせない痛いた

ましい事じ

故こ

でした。

 そして地ち

域いき

から子こ

どもたちの歓かん

声せい

が聞き

こえてこない無ぶ

気き

味み

に静しず

かな日ひ

が続つづ

き、このような悲ひ

劇げき

はこれっきりにしなけれ

ばと強つよ

く思おも

っております。

 折おり

しも、ふんばろう東ひがし

日に

本ほん

支し

援えん

プロジェクトの方かた

々がた

によっ

て「津つ

波なみ

から命いのち

を守まも

るために」が発はっ

刊かん

されることになりまし

た。まことに時じ

宜ぎ

を得え

た企き

画かく

であり、大おお

川かわ

の方かた

々がた

を中ちゅう

心しん

に広ひろ

くみんなに、また、ときどきは繰く

り返かえ

し読よ

んでいただければ

とお薦すす

めする次し

第だい

です。それが本ほん

文ぶん

で強きょう

調ちょう

されている「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」につながっていくと思おも

うからです。

 これからも故こ

郷きょう

でがんばる人ひと

、新しん

天てん

地ち

に移うつ

る人ひと

、前ぜん

途と

は分わ

かれますが、それぞれが安あん

寧ねい

でありますようと願ねが

いつつ……。

 2013年6月

 大川地区復興協議会会長

 大おお

槻つき

幹みき

夫お

保護者、教育関係者の皆様へ

 この冊子を手にとってくださりありがとうございます。この冊子は、ふんばろう東日本支援プロジェクトの活動から生まれたスマートサバイバープロジェクトで配布させていただいているものです。私自身も伯父を津波で失ったことから、なぜ、どうすれば助かるのかという思いで研究を行ってきました。そして本プロジェクトでは、東日本大震災の教訓を活かし、次の震災が起きたときに一人でも多くの人の命が助かるように活動を行っています。 大川小学校の教訓からは、私自身「子どもの命を守るのは大人である」という当然のことをあらためて突きつけられた気がしています。私には1歳8ヶ月になる娘がいるのですが、娘をみている中で、

「子守」とは「子どもを守る」ことを意味していることに気がつき、「この子を守るのは自分なんだ、自分がしっかりしていなければこの子は命をまっとうすることはできないんだ」と思うようになりました。私自身「防災」と聞くと、自分とは遠く感じるところがあったのですが、結局のところ、大切な人の命を守ることなんだと思います。 そして「教育」とはよい人生を送っていくために必要な知識やスキルと身につけるためにあります。ところが、死んでしまったら教育も何も意味をなさないのです。生存し続けるための教育はすべての教育の根本にあるべきものです。しかし、現在の学校教育のカリキュラムには、「防災教育」は必須単元として1コマも含まれていないのが現状です。 この冊子は研究結果に基づいているため、子ども達にとっては難しいところが含まれています。ぜひ保護者や教員の皆様が噛み砕いて教え、生き延びるための知恵を授けていただければと思います。本冊子を活用した授業指導案など、随時「スマートサバイバープロジェクト」公式サイトで公開しております。詳しくはインターネットにてご検索ください。

2015年2月

西條 剛央

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4 5

子こ

ど もたち へ 〜 発は っ

刊か ん

に 寄よ

せ て〜

 大おお

きくなったときの夢ゆめ

を持も

って、毎まい

日にち

元げん

気き

に暮く

らしてい

た子こ

どもたち。津つ

波なみ

はそんな子こ

どもたちの命いのち

を奪うば

いました。

多おお

くの大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

の子こ

どもたちが亡な

くなり、そして釜かま

石いし

も5人にん

の小しょう

中ちゅう

学がく

生せい

が亡な

くなりました。犠ぎ

牲せい

となった子こ

ども

たち、一ひとり

人ひとりの無む

念ねん

と、その子こ

の死し

を悲かな

しむすべての

人ひと

たちの心しん

情じょう

を思おも

うと、悲かな

しくて仕し

方かた

がありません。

 君きみ

たちには、亡な

くなった友とも

達だち

の分ぶん

まで元げん

気き

に生い

きてほし

いと思おも

います。そして、今いま

の君きみ

たちが思おも

っている素す

直なお

な気き

持も

ちを、将しょう

来らい

の人ひと

たちにも精せい

いっぱい伝つた

えていってほしい

と思おも

います。またいつの日ひ

か津つ

波なみ

がやって来き

ます。でも、

どんなときでも生い

き抜ぬ

く力ちから

を持も

った君きみ

たちになって、将しょう

来らい

の人ひと

たちにそれを教おし

えてやってほしいのです。それが亡な

なった友とも

達だち

への最さい

高こう

の慰なぐさ

めになるのだと思おも

います。

 この本ほん

は、東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

の津つ

波なみ

を経けい

験けん

した私わたし

たちが学まな

だこと、津つ

波なみ

から生い

き抜ぬ

く力ちから

を身み

につけるための教きょう

訓くん

をま

とめたものです。

 自じ

分ぶん

の命いのち

を津つ

波なみ

から守まも

るためには、もちろん津つ

波なみ

のこと

を知し

らなくてはなりません。しかし、それだけではダメです。

もっと大たい

切せつ

なことは、その日ひ

その時とき

、どんなことがあっても、

どんな理り

由ゆう

があっても、すべてに優ゆう

先せん

して、自じ

分ぶん

自じ

身しん

の固かた

い意い

志し

で、避ひ

難なん

することができる子こ

になれるかどうかです。

 この本ほん

は、そんな子こ

になるための本ほん

です。

 2013年6月 群馬大学広域首都圏防災研究センター長

群馬大学大学院教授

 片かた

田だ

敏とし

孝たか

片田 敏孝 (かただ としたか)群馬大学広域首都圏防災研究センター長、群馬大学大学院教授岐阜県生まれ。工学博士。ハード重視の都市防災からソフトを重視する災害社会工学を提唱。岩手県釜石市などで防災・危機管理アドバイザーを務め、東日本大震災の津波から多くの小中学生が生き延びた「釜石の奇跡」の立役者となる。文部科学省の有識者会議の委員として「防災科」の創設を提唱している。

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6 7

大お お

川か わ

小しょう

学が っ

校こ う

で何な に

が起お

きたのか?

 宮みや

城ぎ

県けん

石いしのまき

巻市し

立りつ

大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

は北きた

上かみ

川がわ

沿ぞ

いにある海かい

岸がん

から4kmほ

ど離はな

れた場ば

所しょ

に位い

置ち

する全ぜん

校こう

生せい

徒と

108名めい

、教きょう

職しょく

員いん

13名めい

からなる学がっ

校こう

でした。2011年ねん

3月がつ

11日にち

、帰かえ

りの会かい

を終お

えた頃ころ

、14時じ

46分ぷん

巨きょ

大だい

地じ

震しん

が起お

きました。14時じ

50分ぷん

前まえ

頃ごろ

、大おお

きな揺ゆ

れが収おさ

まってか

ら校こう

庭てい

に避ひ

難なん

しました。

 現げん

地ち

には、ラジオや迎むか

えにきた保ほ

護ご

者しゃ

によって、6 m、10 m

の津つ

波なみ

がくるという情じょう

報ほう

は入はい

っていました。すぐ裏うら

に避ひ

難なん

でき

る山やま

があり、当とう

時じ

校こう

長ちょう

が不ふ

在ざい

の中なか

、教きょう

頭とう

や教きょう

務む

主しゅ

任にん

、安あん

全ぜん

主しゅ

任にん

といった先せん

生せい

方がた

、複ふく

数すう

の保ほ

護ご

者しゃ

や児じ

童どう

たち、地ち

域いき

住じゅう

民みん

が山やま

への

避ひ

難なん

を訴うった

えました。その場ば

には、近きん

隣りん

の小しょう

学がっ

校こう

の避ひ

難なん

マニュアル

の改かい

訂てい

に関かか

わり、避ひ

難なん

場ば

所しょ

を校こう

舎しゃ

内ない

からこの裏うら

山やま

に書か

き換か

えた

先せん

生せい

もいました。スクールバスも避ひ

難なん

のために待たい

機き

していました。

15 時じ

25 分ふん

を過す

ぎた頃ころ

、数すう

台だい

の市し

の広こう

報ほう

車しゃ

が「高たか

台だい

に逃に

げろー!

津つ

波なみ

が松まつ

林ばやし

を超こ

えてきたぞー!」と通つう

過か

していきました。

 15時じ

35分ふん

を過す

ぎた頃ころ

、先せん

生せい

と児じ

童どう

は「三さん

角かく

地ち

帯たい

」といわれるや

や高たか

台だい

となっている場ば

所しょ

を目め

指ざ

して移い

動どう

を開かい

始し

しますが、わずか

170mほど移い

動どう

した時じ

点てん

で巨きょ

大だい

な津つ

波なみ

に飲の

み込こ

まれてしまいました。

 東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

で甚じん

大だい

な被ひ

害がい

を受う

けた地ち

域いき

でも、小しょう

学がっ

校こう

の管かん

理り

下か

にあった児じ

童どう

のほとんどが助たす

かっていますが、大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

だけは

その場ば

にいた児じ

童どう

78名めい

中ちゅう

70名めい

死し

亡ぼう

・4名めい

行ゆ く え

方不ふ

明めい

(2013年ねん

6月がつ

現げん

在ざい

)、教きょう

職しょく

員いん

11名めい

中ちゅう

10名めい

死し

亡ぼう

、生せい

存ぞん

率りつ

わずか5.6%という戦せん

後ご

の学がっ

校こう

教きょう

育いく

でも類るい

をみない悲ひ

劇げき

が起お

きてしまったのです(迎むか

えにき

た保ほ

護ご

者しゃ

への引ひ

き渡わた

しなどにより学がっ

校こう

を離はな

れていた30名めい

の児じ

童どう

無ぶ

事じ

でした)。

▲津つ

波なみ

直ちょく

後ご

の大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

周しゅう

辺へん

▲避ひ

難なん

候こう

補ほ

にあがった裏うら

山やま

から見み

た大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

。校こう

庭てい

から1分ぷん

ほどで避ひ

難なん

できる場ば

所しょ

にある。右みぎ

手て

前まえ

の木き

の青あお

い紐ひも

が津つ

波なみ

到とう

達たつ

ライン。

▲最さい

終しゅう

的てき

に避ひ

難なん

しようとして向む

かった「三さん

角かく

地ち

帯たい

」。ここも津つ

波なみ

に飲の

まれた。

震しん

災さい

前まえ

の大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

明みょう

神じん

山やま

青あお

森もり

秋あき

田た

山やま

形がた

岩いわ

手て

宮みや

城ぎ

福ふく

島しま

追おっ

波ぱ

湾わん

長なが

面つら

浦うら

長なが

面つら

海かい

水すい

浴よく

場じょう

石いしのまき

巻市し

北きた

上かみ

川がわ

大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

398

Page 5: 津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

A

Q1

A

Q2

8 9

さまざまな情じょう

報ほう

や意い

見けん

の板いた

挟ばさ

みになり、

避ひ

難なん

の判はん

断だん

が遅おく

れてしまったのです。

 大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

の悲ひ

劇げき

は、津つ

波なみ

被ひ

害がい

を経けい

験けん

したことがない地ち

域いき

に想そう

定てい

外がい

の巨きょ

大だい

津つ

波なみ

が来き

たこと、ハザードマップ(災さい

害がい

を想そう

定てい

して、被ひ

害がい

がおよぶ範はん

囲い

を予よ

測そく

した地ち

図ず

)で避ひ

難なん

所じょ

に指し

定てい

されていたこと、

津つ

波なみ

に対たい

する避ひ

難なん

マニュアルが整せい

備び

されておらず、避ひ

難なん

訓くん

練れん

や、保ほ

護ご

者しゃ

への引ひ

き渡わた

し訓くん

練れん

がなされていなかったことなど、複ふく

数すう

の背はい

景けい

要よう

因いん

が重かさ

なる中なか

で起お

きました。

 当とう

日じつ

は、津つ

波なみ

が来く

るという情じょう

報ほう

は伝つた

わっていましたが、激はげ

しい揺ゆ

れの中なか

で、山やま

も危あぶ

ない、道どう

路ろ

も危あぶ

ないと様さま

々ざま

な意い

見けん

に板いた

挟ばさ

みにな

り、どうするか決き

められないまま50分ぷん

経た

ってしまい、津つ

波なみ

が目もく

前ぜん

に迫せま

ってきてからやや高たか

台だい

となっている「三さん

角かく

地ち

帯たい

」を目め

指ざ

して移い

動どう

を開かい

始し

したものの、すぐに津つ

波なみ

に飲の

まれてしまったのです(文ぶん

献けん

①)。

大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

の悲ひ

劇げき

は、なぜ起お

きたのですか?

北きた

上かみ

川がわ

富ふ 士じ 川がわ

校こう

庭てい

裏うら

山やま

三さん

角かく

地ち

帯たい

教 きょう師 し・児 じ童 どう

津つ

波なみ

海うみ

大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

津つ

波なみ

の正ただ

しい知ち

識しき

を身み

につけ、「決けっ

して他ひ

人と

事ごと

ではない」

と考かんが

え、いつか必かなら

ず来く

る巨きょ

大だい

地じ

震しん

に備そな

えることです。

 大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

で起お

こった悲ひ

劇げき

は、さまざまな要よう

因いん

が重かさ

なり合あ

った結けっ

果か

でしたが、間ま

違ちが

いなく言い

えることは、津つ

波なみ

のための避ひ

難なん

マニュア

ルが整せい

備び

されており、万まん

が一いち

を想そう

定てい

した避ひ

難なん

訓くん

練れん

がなされていたな

らば、こうした悲ひ

劇げき

は起お

きることなく、たくさんの子こ

どもたちも先

生たちも、今いま

も元げん

気き

に生せい

活かつ

されていただろう、ということです。

 それでは、なぜ避ひ

難なん

訓くん

練れん

をしなかったのでしょうか。それは学がっ

校こう

側がわ

の認にん

識しき

が低ひく

かったことが直ちょく

接せつ

的てき

な要よう

因いん

ですが、その背はい

景けい

として津つ

波なみ

の到とう

達たつ

が想そう

定てい

されていなかったこと、宮みや

城ぎ

県けん

が作さく

成せい

したハザード

マップで大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

が避ひ

難なん

所じょ

に指し

定てい

されていたことなども関かん

係けい

して

いると考かんが

えられています(文ぶん

献けん

①)。

 沿えん

岸がん

地ち

域いき

の人ひと

以い

外がい

は「自じ

分ぶん

には関かん

係けい

ない」「ここは大だい

丈じょう

夫ぶ

」と思おも

ている人ひと

も少すく

なくないと思おも

いますが、大おお

川かわ

地ち

区く

でも内ない

陸りく

の「ここは

大だい

丈じょう

夫ぶ

」と思おも

っていた人ひと

ほど避ひ

難なん

が遅おく

れ、津つ

波なみ

に飲の

まれました。ま

た沿えん

岸がん

地ち

域いき

に行い

ったときに巨きょ

大だい

地じ

震しん

が起お

きることもありえます。そ

うしたことも想そう

定てい

に入い

れたならば、「自じ

分ぶん

には関かん

係けい

ない」とは言い

ないはずです。

 巨きょ

大だい

津つ

波なみ

はいつか必かなら

ず来き

ます。想そう

定てい

以い

上じょう

の津つ

波なみ

が来き

ても本ほん

当とう

大だい

丈じょう

夫ぶ

なのか、沿えん

岸がん

近ちか

くに行い

ったときに津つ

波なみ

が来き

ても命いのち

を守まも

ること

ができるのか、という観かん

点てん

からこの冊さっ

子し

を読よ

んで津つ

波なみ

の正ただ

しい知ち

識しき

を身み

につけることが、大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

で起お

こったことを教きょう

訓くん

として活い

すための第だい

一いっ

歩ぽ

になります。

ここから学まな

ぶべきことは何なん

でしょうか?

津つ波な

教師・児童が目指した高台

新しん

北きた

上かみ

大おお

橋はし

足あし取どり

Page 6: 津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

A

Q3

A

Q4

10 11

避ひ

難なん

マニュアルに沿そ

った行こう

動どう

が基き

本ほん

ですが、

その場ば

にあわせて「状じょう

況きょう

判はん

断だん

」するのも大たい

切せつ

です。

 わかりやすく言い

えば、避ひ

難なん

マニュアルは信しん

号ごう

機き

と同おな

じです。赤あか

信しん

号ごう

では渡わた

ってはいけません、青あお

信しん

号ごう

で渡りましょう、というのはマ

ニュアルです。同どう

様よう

に、基き

本ほん

的てき

には、津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

たら高たか

台だい

に移い

動どう

しましょう、警けい

報ほう

が解かい

除じょ

されたら戻もど

りましょう、というマニュアル

に沿そ

って行こう

動どう

することが命いのち

を守まも

ることにつながります。

 しかし、青あお

信しん

号ごう

であっても、自じ

動どう

車しゃ

が信しん

号ごう

を無む

視し

して走はし

ってくる

ことはあります。そういう場ば

合あい

は、その場ば

の「状じょう

況きょう

」をみて、自じ

分ぶん

がストップしなければなりません。「青あお

信しん

号ごう

、右みぎ

見み

て、左ひだり

見み

て」と

言い

われるのは、マニュアルに沿いつつも状じょう

況きょう

をみて判はん

断だん

しましょう、

ということにほかなりません。地じ

震しん

や津つ

波なみ

が起お

きたときにも同おな

じこ

とが言い

えます。

 たとえば、指し

定てい

されている避ひ

難なん

所じょ

に行い

っても「これで安あん

心しん

だ」と

思おも

うのではなく、その場ば

の状じょう

況きょう

を踏ふ

まえて、津つ

波なみ

が届とど

きそうならさ

らに高たか

いところに逃に

げる、といった形かたち

で判はん

断だん

する必ひつ

要よう

があるのです。

避ひ

難なん

マニュアルさえ守まも

っていれば

命いのち

は守まも

れるのでしょうか?

「今いま

の状じょう

況きょう

で命いのち

を守まも

るために最もっと

もよい方ほう

法ほう

は何なに

か?」

を考かんが

えて動うご

きましょう。

 災さい

害がい

時じ

には混こん

乱らん

して冷れい

静せい

な判はん

断だん

ができなくなるため「夜よる

、家いえ

にい

た場ば

合あい

は懐かい

中ちゅう

電でん

灯とう

を持も

って近きん

所じょ

の山やま

に逃に

げる」「学がっ

校こう

や会かい

社しゃ

にいる

ときはそれぞれが近ちか

くの高たか

台だい

に逃に

げる」など、あらゆる状じょう

況きょう

を想そう

定てい

して、避ひ

難なん

方ほう

法ほう

を決き

めておかなければなりません。

 それでも想そう

定てい

外がい

の事じ

態たい

が起お

きた場ば

合あい

には、マニュアルに沿そ

いなが

らも「①その場ば

の状じょう

況きょう

をみて ②命いのち

を守まも

るためにはどうすればよい

か?」を考かんが

える、というのが命いのち

を守まも

るための原げん

則そく

です。

 大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

では、50分ぷん

間かん

で震しん

度ど

6、5弱じゃく

といった大きな地じ

震しん

9回かい

も起お

きていたことが、山やま

への避ひ

難なん

をためらう要よう

因いん

となっていま

した(文ぶん

献けん

①)。しかし「津つ

波なみ

のときは高たか

台だい

に避ひ

難なん

する」と事じ

前ぜん

に学がっ

校こう

全ぜん

体たい

で決き

めていたならば、山やま

以い

外がい

にもスクールバスで高たか

台だい

を目め

指ざ

して移い

動どう

したり、徒と

歩ほ

で早はや

めに他ほか

の高たか

台だい

に向む

かうことで、全ぜん

員いん

助たす

かっ

ていたことでしょう。

 また「命いのち

を最さい

優ゆう

先せん

」は当あ

たり前まえ

のようですが、今こん

回かい

の津つ

波なみ

では財さい

布ふ

や通つう

帳ちょう

を取と

りに戻もど

って亡な

くなった人ひと

もたくさんいます。また一ひ と り

でならすぐに逃に

げられる人ひと

も集しゅう

団だん

でいると集しゅう

団だん

心しん

理り

が働はたら

き、周しゅう

囲い

人ひと

が逃に

げる様よう

子す

がないと、それにあわせてしまい命いのち

を落お

とすことが

あります(文ぶん

献けん

⑩)。「反はん

対たい

されても避ひ

難なん

するよう強つよ

く主しゅ

張ちょう

する」「誰だれ

も逃に

げなくても自じ

分ぶん

だけは逃に

げる」と心こころ

に決き

め、実じっ

行こう

することが、

「命いのち

を最さい

優ゆう

先せん

すること」にほかならないのです。

想そう

定てい

外がい

の事じ

態たい

対たい

応おう

するにはどうすればよいのでしょうか?

Page 7: 津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

Q5

A

Q6

A

12 13

状じょう

況きょう

を判はん

断だん

してといわれても、

何なに

をもってどう判はん

断だん

すればよいかわかりません。

地じ

震しん

の揺ゆ

れが大おお

きければ大おお

きいほど、

深しん

刻こく

な被ひ

害がい

があるかもしれないと考かんが

えましょう。

 状じょう

況きょう

をみながら適てき

切せつ

な生せい

存ぞん

行こう

動どう

をとれるようになるためには、

〈地じ

震しん

の被ひ

害がい

は地じ

震しん

の大おお

きさに応おう

じてひどくなる傾けい

向こう

がある〉とい

う知ち

識しき

を身み

につけておくことが重じゅう

要よう

です(文ぶん

献けん

⑭)。

 これによって地じ

震しん

の揺ゆ

れが大おお

きいほど、火か

事じ

や倒とう

壊かい

、津つ

波なみ

、崖がけ

崩くず

れ、地じ

割わ

れといった深しん

刻こく

な事じ

態たい

を想そう

定てい

して生せい

存ぞん

行こう

動どう

をとる、 といっ

たように状じょう

況きょう

に応おう

じた適てき

切せつ

な行こう

動どう

をとりやすくなるでしょう。強つよ

揺ゆ

れ、長なが

い揺ゆ

れの場ば

合あい

には津つ

波なみ

が来く

ると思おも

って避ひ

難なん

しましょう。

 また、津つ

波なみ

は大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

のように地じ

震しん

発はっ

生せい

から50分ぷん

後ご

にやって

くることもありますし、1960年ねん

のチリ津つ

波なみ

のように、1日にち

後ご

にやっ

てくることもあります。一いっ

波ぱ

、二に

波は

、三さん

波ぱ

と繰く

り返かえ

しやってきて、

次し

第だい

に大おお

きくなることもあります。一いち

度ど

避ひ

難なん

したら決けっ

して戻もど

っては

いけません。

震しん

度ど

が小ちい

さければ

大おお

きな津つ

波なみ

は来こ

ないと考かんが

えてよいのでしょうか?

震しん

度ど

が小ちい

さくとも大おお

きな津つ

波なみ

をもたらす

「津つ

波なみ

地じ

震しん

」というものもあり、油ゆ

断だん

は禁きん

物もつ

です。

 「津つ

波なみ

地じ

震しん

」とは、震しん

度ど

が大おお

きくなくとも大おお

きな津つ

波なみ

が発はっ

生せい

する

地じ

震しん

のことです。

 Q5で、〈地じ

震しん

の被ひ

害がい

は地じ

震しん

の大おお

きさに応おう

じてひどくなる傾けい

向こう

ある〉と言い

いましたが、これはあくまでも一いっ

般ぱん

的てき

な「傾けい

向こう

」であり、

地じ

盤ばん

や地ち

形けい

などによって大おお

きな被ひ

害がい

が出で

る場ば

合あい

もあります。

 1896年ねん

(明めい

治じ

29年ねん

)に起お

きた明めい

治じ

三さん

陸りく

津つ

波なみ

では、震しん

度ど

2〜3

にもかかわらず巨きょ

大だい

な津つ

波なみ

が押お

し寄よ

せ、2万まん

2千せん

人にん

近ちか

い人ひと

が死し

亡ぼう

行ゆ く え

方不ふ

明めい

となりました(文ぶん

献けん

⑤)。多おお

くの町まち

で半はん

数すう

以い

上じょう

の人ひと

が死し

亡ぼう

し、

旧きゅう

田た

老ろう

村むら

では住じゅう

民みん

2,248名めい

中ちゅう

生せい

存ぞん

者しゃ

はわずか381名めい

と8割わり

以い

上じょう

人ひと

が亡な

くなっています。揺ゆ

れが小ちい

さいときに津つ

波なみ

は来こ

ないと思おも

い込こ

んでいたため甚じん

大だい

な被ひ

害がい

が出で

たのです。

 沿えん

岸がん

や河か

川せん

の近ちか

くでは、ラジオや防ぼう

災さい

無む

線せん

で津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

たなら

ば、震しん

度ど

が小ちい

さくとも避ひ

難なん

が必ひつ

要よう

です。

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Q7

A

Q8

A

14 15

津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

て避ひ

難なん

しても津つ

波なみ

が来こ

なければ、

それは避ひ

難なん

行こう

動どう

としてはむだではありませんか?

その場ば

だけ避ひ

難なん

するための行こう

動どう

ではなく、生い

き続つづ

ける

ための行こう

動どう

であり、決けっ

してむだではありません。

 津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

て避ひ

難なん

したのに津つ

波なみ

は来こ

なかったとなれば、それ

は意い

味み

のない避ひ

難なん

行こう

動どう

と思おも

うかもしれません。そうしたことが繰く

返かえ

されると、人にん

間げん

はその行こう

動どう

をとらなくなります。

 したがって「今いま

避ひ

難なん

するための行こう

動どう

」ではなく、いつか起お

きる大おお

きな災さい

害がい

時じ

に生い

き延の

びるための「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」であると考かんが

えを改あらた

める

必ひつ

要よう

があります。たとえば、信しん

号ごう

を無む

視し

してもすぐに事じ

故こ

にあうこ

とはないかもしれません。しかしずっと信しん

号ごう

を無む

視し

し続つづ

ければいつ

か必かなら

ず大おお

きな事じ

故こ

にあい、命いのち

を失うしな

うでしょう。信しん

号ごう

を守まも

るというこ

とは生い

き続つづ

けるための「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」ということができます。

 それと同おな

じように、津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

ても津つ

波なみ

は来こ

ないかもしれませ

んが、だからといっていつも逃に

げないでいれば、いつか悲ひ

劇げき

が起お

てしまいます。

 ですから、津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

たら、いつか命いのち

を救すく

う「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」として、

避ひ

難なん

しなければなりません。

生せい

存ぞん

行こう

動どう

(避ひ

難なん

行こう

動どう

)を癖くせ

づけるためには、

どうすればよいでしょうか?

避ひ

難なん

訓くん

練れん

や生せい

存ぞん

行こう

動どう

をしてよかったと思おも

えるような

工く

夫ふう

をすることが大たい

切せつ

です。

 人にん

間げん

は無む

意い

味み

だったと思おも

う行こう

動どう

は次し

第だい

にしなくなっていく生い

き物もの

です。したがって、避ひ

難なん

訓くん

練れん

や、津つ

波なみ

警けい

報ほう

が出で

たときに「生せい

存ぞん

行こう

動どう

をとった際さい

には、それをできるだけ意い

味み

があるものにしていくこと

も大だい

事じ

です。

 たとえば、女おな

川がわ

第だい

一いち

中ちゅう

学がっ

校こう

では、高たか

台だい

に避ひ

難なん

した際さい

に、そこに備び

蓄ちく

されている非ひ

常じょう

食しょく

をみんなで食た

べながら、震しん

災さい

や訓くん

練れん

について

話はな

しあうことにしたそうです。

 避ひ

難なん

した際さい

には、それが意い

味み

ある行こう

動どう

になるようにすることで

「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」が癖くせ

づけられるようになりますので、それぞれ工く

夫ふう

てみてください。

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Q9

A

16 17

子こ

どもたちに「津つ

波なみ

てんでんこ」を教おし

えようと

思おも

うのですが、どうすればよいでしょうか? 

津つ

波なみ

から避ひ

難なん

するための「三さん

原げん

則そく

」を子こ

どもたちに

しっかりと身み

につけさせることです。

 「津つ

波なみ

てんでんこ」とは、「津つ

波なみ

が来き

たら、家か

族ぞく

の心しん

配ぱい

をして家いえ

戻もど

ったりせず、各かく

自じ

でてんでんばらばらに高たか

台だい

に逃に

げろ」、つまり

「自じ

分ぶん

の命いのち

は自じ

分ぶん

で守まも

れ」という、三さん

陸りく

地ち

方ほう

に伝つた

わる防ぼう

災さい

の教おし

えです。

 岩いわ

手て

県けん

釜かま

石いし

市し

ではこの教おし

えを徹てっ

底てい

していたため、市し

内ない

の小しょう

中ちゅう

学がく

生せい

の99.8%が助たす

かり、「釜かま

石いし

の奇き

跡せき

」と呼よ

ばれています。具ぐ

体たい

的てき

は、「想そう

定てい

やハザードマップ(災さい

害がい

予よ

測そく

図ず

)を過か

信しん

するな」「助たす

かる

ためにその状じょう

況きょう

下か

で最さい

善ぜん

を尽つ

くせ」「誰だれ

も逃に

げなくても勇ゆう

気き

をもって

一いち

番ばん

に逃に

げろ」といった三さん

原げん

則そく

からなります。そして「自じ

分ぶん

と同おな

く他ほか

の人ひと

も逃に

げているはずだから心しん

配ぱい

しなくていい」といったよう

に、お互たが

いが適てき

切せつ

な「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」をとるという信しん

頼らい

があったからこそ、

家か

族ぞく

を心しん

配ぱい

して家いえ

に戻もど

って亡な

くなるということがなかったのです。

 特とく

に放ほう

課か

後ご

、家か

族ぞく

や教きょう

師し

の目め

が届とど

かない子こ

どもたちが助たす

かるには

こうした教おし

えを徹てっ

底てい

することは非ひ

常じょう

に有ゆう

効こう

です。命いのち

を守まも

るため、巻かん

末まつ

の文ぶん

献けん

やサイト(⑦〜⑨)でより深ふか

く学まな

んでいただければと思おも

います。

 あの日ひ

から 〜学が っ

校こ う

防ぼ う

災さ い

担た ん

当と う

の立た ち

場ば

として〜

 生せい

徒と

たちと丘おか

の上うえ

で、流なが

されていく町まち

を見み

たあの日ひ

から、いつも考かんが

えます。教きょう

師し

として、親おや

として「命いのち

を大たい

切せつ

に」などという言こと

葉ば

を、どれほどの思

おも

いで口くち

にしていたのだろうと。今いま

、私わたし

は、一ひ と り

人一ひ と り

人の生せい

徒と

が命いのち

に見み

えます。学がっ

校こう

は、かけがえのない、そして、地ち

域いき

の未み

来らい

である命いのち

を預あずか

かっているのです。 私わたし

は勤きん

務む

校こう

で防ぼう

災さい

教きょう

育いく

の担たん

当とう

になりました。これまでの防ぼう

災さい

マニュアルや避

難なん

訓くん

練れん

が、ほんとうに子こ

どもの命いのち

を守まも

り、意い

識しき

を高たか

めるものになっていたでしょうか。震

しん

災さい

前まえ

、多おお

くの学がっ

校こう

では、停てい

電でん

で校こう

内ない

放ほう

送そう

が使つか

えず、保ほ

護ご

者しゃ

や役やく

所しょ

とも連れん

絡らく

がとれない状じょう

態たい

を想そう

定てい

した訓くん

練れん

はしていませんでしたし、避

難なん

所じょ

として指し

定てい

されていながら、毛もう

布ふ

や食しょく

料りょう

を備そな

えていませんでした。何なに

より、災さい

害がい

は何なに

気げ

ない日にち

常じょう

を襲おそ

うのだということを忘

わす

れていました。食しょく

事じ

が出で

来き

ること、勉べん

強きょう

が出で

来き

ること、「ただいま」を言

えること…。当あ

たり前まえ

だと思おも

うことは、けっして当あ

たり前まえ

ではなかったのです。あの体たい

験けん

を無む

駄だ

にしてはいけないと、自じ

分ぶん

に言い

い聞き

かせている毎まい

日にち

です。 大

おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

で起お

きてしまったことは、悲ひ

劇げき

としてよりも、教きょう

訓くん

として伝

つた

えるべきです。この冊さっ

子し

を学がっ

校こう

はもちろん、家か

庭てい

、地ち

域いき

、専せん

門もん

家か

の皆みな

さんが力ちから

を合あ

わせて、未み

来らい

の命いのち

を守まも

り、輝かがや

かせるために役やく

立だ

ててほしいと強

つよ

く願ねが

います。 娘

むすめ

は6年ねん

生せい

でした。今き ょ う

日も家いえ

に帰かえ

れば、「中ちゅう

学がっ

校こう

は楽たの

しみだなぁ」という声

こえ

が聞き

こえるような気き

がします。2013年6月

 女川町立女川中学校防災担当主幹教諭

 佐さ

藤とう

敏とし

郎ろう

ぼ う さ い コ ラ ム

佐藤 敏郎 (さとう としろう) 震災当時、女川町立女川第一中学校に勤務。震災後の5月、生徒たちそれぞれの想いを五七五に込める俳句づくりを始め、国語教師として指導の中心を担った。(小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(はとり文庫)として公刊されている。)また大川小学校の遺族として「小さな命の意味を考える会」を主宰し、全国の防災イベントで講演等を行っている。

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Q10

A

Q11

A

18 19

ラジオやテレビの津つ

波なみ

注ちゅう

意い

報ほう

や警けい

報ほう

すべて信しん

じて行こう

動どう

してもよいでしょうか?

ラジオやテレビの津つ

波なみ

警けい

報ほう

は「予よ

想そう

」です。

それより大おお

きな津つ

波なみ

が来く

ることもあります。

 ラジオやテレビの情じょう

報ほう

は参さん

考こう

になりますが、絶ぜっ

対たい

に正ただ

しい情じょう

報ほう

はありません。そもそも津つ

波なみ

警けい

報ほう

とは、ラジオやテレビが気き

象しょう

庁ちょう

「予よ

想そう

」したものを流なが

しているだけなのです。したがって、津つ

波なみ

注ちゅう

意い

報ほう

や警けい

報ほう

が出だ

された場ば

合あい

には「それ以い

上じょう

の津つ

波なみ

が来く

るかもしれな

い」と考かんが

えて行こう

動どう

するのが生せい

存ぞん

行こう

動どう

の基き

本ほん

となります。

 実じっ

際さい

、大おお

川かわ

地ち

区く

では、ラジオで当とう

初しょ

気き

象しょう

庁ちょう

から発はっ

表ぴょう

された津つ

波なみ

の高たか

さを聞き

いて「それなら自じ

分ぶん

の家いえ

は大だい

丈じょう

夫ぶ

」と判はん

断だん

して、家いえ

戻もど

って津つ

波なみ

に飲の

まれた人ひと

もいました(文ぶん

献けん

⑭)。また、地じ

震しん

発はっ

生せい

から

3〜5分ふん

で津つ

波なみ

が到とう

達たつ

し、津つ

波なみ

警けい

報ほう

が間ま

に合あ

わずに大おお

きな大おお

きな被ひ

害がい

が出で

た1993年ねん

(平へい

成せい

5年ねん

)の北ほっ

海かい

道どう

南なん

西せい

沖おき

地じ

震しん

の奥おく

尻しり

島とう

のよう

なケースもありますので、油ゆ

断だん

は禁きん

物もつ

です。

 海かい

岸がん

や河か

川せん

近ちか

くの人ひと

は海うみ

や川かわ

の水みず

が引ひ

いたり、また水みず

が引ひ

かなく

とも揺ゆ

れが強つよ

かったり、長なが

い場ば

合あい

には、津つ

波なみ

が来く

ると判はん

断だん

して高たか

台だい

に避ひ

難なん

する必ひつ

要よう

があります。また「避ひ

難なん

した方ほう

がよい」といわれた

ら素す

直なお

に避ひ

難なん

するのが「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」の基き

本ほん

となります。

海かい

岸がん

付ふ

近きん

でなければ

津つ

波なみ

は関かん

係けい

ないのでしょうか?

津つ

波なみ

は川かわ

を遡さかのぼ

って押お

し寄よ

せ、

海かい

岸がん

から離はな

れた内ない

陸りく

まで到とう

達たつ

することもあります。

 海かい

岸がん

付ふ

近きん

でなくとも、津つ

波なみ

は来き

ます。

 大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

は海かい

岸がん

から4km離はな

れた地ち

点てん

にありましたが、10mを

超こ

える津つ

波なみ

が来き

ました。さらに海うみ

から49kmほど遡さかのぼ  

った地ち

点てん

にも

3.8mの津つ

波なみ

が到とう

達たつ

し被ひ

害がい

が出で

ています。海かい

岸がん

や河か

口こう

付ふ

近きん

でなくと

も、〈川かわ

=海うみ

〉という認にん

識しき

を持も

った上うえ

で高たか

台だい

に避ひ

難なん

する必ひつ

要よう

がある

のです。

 また、陸りく

前ぜん

高たか

田た

市し

では、海うみ

から6kmの内ない

陸りく

まで津つ

波なみ

が押お

し寄よ

ました。東とう

京きょう

でいうならば代よ

々よ

木ぎ

公こう

園えん

まで津つ

波なみ

が到とう

達たつ

したことを意い

味み

します。

 こうした事じ

実じつ

を踏ふ

まえた上うえ

で、自じ

分ぶん

の学がっ

校こう

や避ひ

難なん

場ば

所しょ

は、たとえ

ば高たか

さ数すう

十じゅう

メートルという巨きょ

大だい

な津つ

波なみ

が来き

たときにも本ほん

当とう

に安あん

全ぜん

場ば

所しょ

なのか、あらためて検けん

討とう

しておく必ひつ

要よう

があるでしょう。

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Q12

A

Q13

A

20 21

南なん

海かい

トラフ巨きょ

大だい

地じ

震しん

の被ひ

害がい

想そう

定てい

が公こう

表ひょう

されて

いましたが、どう備そな

えればよいのでしょうか?

想そう

定てい

されている地ち

域いき

も、そうでない地ち

域いき

も、

警けい

戒かい

し、訓くん

練れん

を重かさ

ねることで多おお

くの命いのち

を守まも

れます。

 南なん

海かい

トラフ巨きょ

大だい

地じ

震しん

は、過か

去こ

、この地ち

域いき

で定てい

期き

的てき

に巨きょ

大だい

地じ

震しん

連れん

動どう

して起お

きていることから、遠とお

くない将しょう

来らい

に起お

こる可か

能のう

性せい

が高たか

とされています。津つ

波なみ

による死し

者しゃ

数すう

は最さい

大だい

で23万まん

人にん

に達たっ

する予よ

測そく

ですが、迅じん

速そく

な避ひ

難なん

により、5分ぶん

の1の4万まん

6千せん

人にん

に減へ

ると推すい

計けい

れています。巨きょ

大だい

地じ

震しん

や巨きょ

大だい

津つ

波なみ

は、いつか必かなら

ず来く

ると思おも

って十じゅう

分ぶん

な訓くん

練れん

を重かさ

ねることで命いのち

を守まも

ることができます(文ぶん

献けん

⑰)。

 また想そう

定てい

外がい

だからといって安あん

全ぜん

というわけではありません。大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

も震しん

災さい

前まえ

のハザードマップでは津つ

波なみ

は来こ

ないと避ひ

難なん

所じょ

に指し

定てい

されていました。〈津つ

波なみ

の経けい

験けん

をしたことがない地ち

域いき

ほど津つ

波なみ

が来き

たときの被ひ

害がい

は甚じん

大だい

になる〉のです。海うみ

があるところには津つ

波なみ

が来く

ると思おも

っておいた方ほう

がよく、南なん

海かい

トラフの想そう

定てい

地ち

域いき

はもとより、日に

本ほん

海かい

側がわ

も注ちゅう

意い

と訓くん

練れん

が必ひつ

要よう

なのです。

南なん

海かい

トラフ巨きょ

大だい

地じ

震しん

被ひ

害がい

想そう

定てい

有ゆう

識しき

者しゃ

会かい

議ぎ

によると最さい

悪あく

の場ば

合あい

…●マグニチュード9.1●20m以

上じょう

の津つ

波なみ

:8都と

県けん

●死し

者しゃ

数すう

:32万まん

3000人にん

 (うち津つ

波なみ

による死し

者しゃ

:23万まん

人にん

)※最悪クラスの地震が来るとは限らず、 もっと小さい可能性の方が高い。 

私わたし

は沿えん

岸がん

地ち

域いき

に住す

んでいますが、いままで

一いち

度ど

たりとも津つ

波なみ

が来き

たことはありません。

本ほん

当とう

に来く

るのでしょうか?

大おお

津つ

波なみ

が来こ

なかった経けい

験けん

が積つ

み重かさ

なって油ゆ

断だん

し、

避ひ

難なん

しなかった人ひと

もたくさんいました。

 これまで津つ

波なみ

被ひ

害がい

にあったことのなかった大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

のある釜かま

谷や

集しゅう

落らく

では、4割わり

近ちか

くの人ひと

が死し

亡ぼう

・行ゆ く え

方不ふ

明めい

となりました。

 過か

去こ

と未み

来らい

は違ちが

います。「これまで来き

たことがない」ということ

は「これから来こ

ない」ことを保ほ

証しょう

するものでは全まった

くありません。宮みや

城ぎ

県けん

が作さく

成せい

したハザードマップでは、津つ

波なみ

は大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

の手て

前まえ

で止と

まるとされており、津つ

波なみ

の避ひ

難なん

所じょ

に指し

定てい

されていました。ハザード

マップも過か

去こ

のデータに基もと

づき人にん

間げん

が“作つく

った”参さん

考こう

資し

料りょう

に過す

ぎず、

絶ぜっ

対たい

に安あん

全ぜん

であることを保ほ

証しょう

するものではないのです。

 したがって、万まん

が一いち

を想そう

定てい

した訓くん

練れん

は必ひつ

要よう

です。また、津つ

波なみ

警けい

報ほう

や津つ

波なみ

が来く

るという情じょう

報ほう

を得え

たならば、いつか助たす

かるための「生せい

存ぞん

行こう

動どう

」だと思おも

って素す

直なお

に避ひ

難なん

することが大だい

事じ

です。

4km地点10m大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

津つ

波なみ

が来く

ると予よ

想そう

された範はん

囲い

実じっ

際さい

に津つ

波なみ

が来き

た範はん

囲い

ずっと上流の河口から49km地点でも

3.8mの津波が到達しました

Page 12: 津波から命を守 - Smart Supply津 つ 波 なみ から命 いのち を守 まも るために 大 おお 川 かわ 小 しょう 学 がっ 校 こう の教 きょう 訓

Q14

A

Q15

A

22 23

私わたし

の町まち

には大おお

きな防ぼう

波は

堤てい

があるのですが、

それでも避ひ

難なん

しなければならないでしょうか?

東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

の津つ

波なみ

は、いくつもの大おお

きな防ぼう

波は

堤てい

乗の

り越こ

えたり、壊こわ

したりしました。

 避ひ

難なん

しなければなりません。

 東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

では、巨きょ

大だい

な防ぼう

波は

堤てい

がことごとく破は

壊かい

されていま

す。岩いわ

手て

県けん

宮みや

古こ

市し

田た

老ろう

地ち

区く

では日に

本ほん

一いち

といわれる防ぼう

波は

堤てい

も破は

壊かい

れ、1960年ねん

に起お

こったチリ津つ

波なみ

を防ふせ

いだ防ぼう

波は

堤てい

があるから大だい

丈じょう

夫ぶ

だろうと思おも

っていた多おお

くの方かた

が亡な

くなりました。

 巨きょ

大だい

な津つ

波なみ

の威い

力りょく

は、1平へい

方ほう

mあたり40tトン

もの力ちから

があり、防ぼう

波は

堤てい

はそうした巨きょ

大だい

津つ

波なみ

は止と

められないと思おも

っていた方ほう

がよいでしょう

(文ぶん

献けん

⑤)。たとえ決けっ

壊かい

しなかったとしても、津つ

波なみ

が乗の

り越こ

えてきたら、

一いっ

気き

になだれ込こ

んできます。

津つ

波なみ

で流なが

されても、泳およ

げれば助たす

かりますか?

ライフジャケット(救きゅう

命めい

胴どう

衣い

)を着ちゃく

用よう

することには

意い

味み

があるでしょうか?

泳およ

ぎに自じ

信しん

があったとしても、

津つ

波なみ

に飲の

み込こ

まれたら助たす

かることは難むずか

しいです。

 津つ

波なみ

はただの波なみ

ではありません。木き

や車くるま

、瓦が

礫れき

を含ふく

む土ど

石せき

流りゅう

ようなものです。泳およ

げないよりは泳およ

げた方ほう

が助たす

かる確かく

率りつ

は高たか

いです

が、時じ

速そく

70kmで迫せま

りくる大たい

木ぼく

や車くるま

にぶつかったらひとたまりもあ

りません。実じっ

際さい

、大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

では津つ

波なみ

に飲の

まれて奇き

跡せき

的てき

に助たす

かっ

た児じ

童どう

でも、瓦が

礫れき

に衝しょう

突とつ

して気き

絶ぜつ

、骨こっ

折せつ

しています。またその他た

地ち

域いき

でも、泥どろ

を含ふく

む海かい

水すい

を飲の

んで窒ちっ

息そく

死し

した人ひと

や、長ちょう

時じ

間かん

水みず

につかっ

ていたため低てい

体たい

温おん

症しょう

で亡な

くなった人ひと

もたくさんいます。津つ

波なみ

が来き

らとにかく高たか

台だい

に逃に

げるのが確かく

実じつ

に助たす

かる唯ゆい

一いつ

の方ほう

法ほう

なのです。

 ただし、想そう

定てい

以上の高たか

さの津つ

波なみ

が想そう

定てい

よりも早はや

く到とう

達たつ

することも

“想そう

定てい

”しなければなりません。大おお

川かわ

小しょう

で津つ

波なみ

に飲の

まれて生い

き延の

た児じ

童どう

たちはヘルメットを着ちゃく

用よう

していたため浮う

いて助たす

かったという

点てん

が共きょう

通つう

していました。避ひ

難なん

時じ

にヘルメットとライフジャケットを

着ちゃく

用よう

するといったことが、万まん

が一いち

に備そな

えることにつながります。

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24 25

|あとがき|  命いのち

が輝かがや

き続つ づ

けるために

「僕ぼく

はあの3月がつ

11日にち

の日ひ

に多おお

くの友とも

達だち

を失うしな

いました。僕ぼく

も黒くろ

津つ

波なみ

にのまれました。とても冷つめ

たく、とても重おも

く、とても苦くる

く……。言こと

葉ば

では言い

い表あらわ

せない恐きょう

怖ふ

に襲おそ

われ、もう駄だ

目め

かと思おも

いました。しかし、僕ぼく

は奇き

跡せき

的てき

に助たす

かりました。僕ぼく

は友とも

達だち

やふ

るさとだけでなく家か

族ぞく

も失うしな

いました。当とう

時じ

3年ねん

生せい

だった妹いもうと

と母はは

と祖そ

父ふ

を亡な

くしました。最さい

近きん

になってやっと家か

族ぞく

を失うしな

った悲かな

みを感かん

じるようになってきました。だから、誰だれ

にもこんな気き

持も

ちになってほしくありません。」

  被

災さい

者しゃ

、ご遺い

族ぞく

といっても置お

かれている状じょう

況きょう

は百ひゃく

人にん

百ひゃく

様よう

あり、震しん

災さい

遺い

構こう

一ひと

つとっても保ほ

存ぞん

したほうがいい、いや解かい

体たい

たほうがいいといったようにさまざまな考かんが

えがあります。ただ、

「誰だれ

にもこんな気き

持も

ちになって欲ほ

しくない」という想おも

いは、誰だれ

もが胸むね

のどこかにあるのではないでしょうか。

 津つ

波なみ

はいつか必かなら

ずやってきます。この冊さっ

子し

は、津つ

波なみ

から命いのち

守まも

り、二に

度ど

とこうした哀かな

しみを生う

むことがないよう、上じょう

述じゅつ

した

研けん

究きゅう

論ろん

文ぶん

をもとに作さく

成せい

したものです。非ひ

営えい

利り

の教きょう

育いく

、普ふ

及きゅう

活かつ

動どう

に使し

用よう

する場ば

合あい

にはご自じ

由ゆう

にコピーしていただき、子こ

どもたち

の笑え

顔がお

、そして命いのち

が輝かがや

き続つづ

けられるよう、ぜひ広ひろ

くご活かつ

用よう

いた

だければと思おも

います。最さい

後ご

に、冊さっ

子し

作さく

成せい

にご協きょう

力りょく

していただい

たすべての皆みな

様さま

に心こころ

より感かん

謝しゃ

申もう

し上あ

げます。

  早稲田大学大学院客員准教授

スマートサバイバープロジェクト代表

 西さい

條じょう

剛たけ

央お

 はじめて大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

を訪おとず

れたのは2011年ねん

の4月がつ

2ふ つ か

日でした。

そして、ご遺い

族ぞく

の皆みな

さんとお会あ

いしたのは、ちょうど震しん

災さい

から

1年ねん

がたとうとしていた頃ころ

でした。亡な

くなった子こ

どもたちにお

線せん

香こう

をあげさせていただき、涙なみだ

を流なが

しながら語かた

られるご遺い

族ぞく

お話はなし

を哀かな

しみの中なか

で聞き

くことしかできませんでした。

 その後ご

、ご遺い

族ぞく

の皆みな

さんの要よう

望ぼう

を受う

けて、早わ

稲せ

田だ

大だい

学がく

の研けん

究きゅう

チームを立ち上げ、石いしのまき

巻市し

教きょう

育いく

委い

員いん

会かい

の報ほう

告こく

書しょ

、関かん

連れん

記き

事じ

が掲けい

載さい

されている550本ぽん

以い

上じょう

の新しん

聞ぶん

や書しょ

籍せき

、関かん

連れん

文ぶん

献けん

を精せい

査さ

し、現げん

地ち

でご遺い

族ぞく

や地ち

域いき

住じゅう

民みん

、市し

の職しょく

員いん

、専せん

門もん

家か

への聞きき

き取と

り調ちょう

査さ

重かさ

ね、多た

角かく

的てき

に検けん

討とう

した知ち

見けん

を論ろん

文ぶん

にまとめました(「大おお

川かわ

小しょう

学がっ

校こう

の“悲ひ

劇げき

”はなぜ起お

きたのか」)。

 並へい

行こう

して、私わたし

が最もっと

も信しん

頼らい

している臨りん

床しょう

心しん

理り

の専せん

門もん

家か

で、被ひ

災さい

各かく

地ち

で150人にん

以い

上じょう

のメンタルケアを行おこな

った実じっ

績せき

がある方かた

に、ご

縁えん

のあったご遺い

族ぞく

をサポートしていただきました。また、大おお

川かわ

地ち

区く

に特とっ

化か

したプロジェクトを立た

ち上あ

げ、ワークショップやお

祭まつ

りを開かい

催さい

することで、地ちい

域き

の人ひと

たちがつながりを取と

り戻もど

きっかけ作つく

りに努つと

めてきました。

 そうした中なか

で、数かず

少すく

ない生せい

存ぞん

児じ

童どう

であるT君くん

やそのお父とう

さん

とも仲なか

よくなり、2ふ た り

人でお祭まつ

りの手て

伝つだ

いをしてくれたり、私わたし

家いえ

に泊と

めていただいたりしました。

 震しん

災さい

から2年ねん

がたった頃ころ

のある日ひ

、T君くん

のお父とう

さんがフェイ

スブックでT君くん

が書か

いた文ぶん

章しょう

を公こう

開かい

していました。

 

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26

スマートサバイバープロジェクト本プロジェクトは、ふんばろう東日本支援プロジェクトの活動から生まれた防災プロジェクトです。東日本大震災の教訓を活かし、次の震災が起きたときに一人でも多くの人の命が助かるようにするために全国で活動しています。本冊子の無料送付も行っており、これまで20万人以上にご活用いただいています。現在、小さな命の意味を考える会代表の佐藤敏郎氏(本冊子17ページ参照)による講演や、子育て中のママさん達に震災経験者のママを講師として派遣するワークショップ、津波避難マップ作りのワークショップの提供を行っています。スマートサバイバープロジェクト公式サイトでは、最新の情報が更新されており、本冊子を使った授業指導案や、大川小学校の事故の詳細をまとめた冊子もダウンロードできますので、詳しくはこちらをご覧ください。 スマートサバイバープロジェクト http://wallpaper.fumbaro.org/survivor/

この冊子を読んで、興味を持ってくださった方へ

 津波から命を守るために大切なことをもっと詳しく知りたい方は、以下の文献・サイトを参考にしてください。

■大川小学校の悲劇について詳しく知りたい①西條剛央・今野大庫・大泉智・大熊隆靖『大川小学校の“悲劇”はなぜ起きたのか?    SCQRMによる構造化と再発防止案の提案』構造構成主義研究②池上正樹・加藤順子『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』青志社 ③池上正樹・加藤順子『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』ポプラ社④掘込智之・掘込光子『海に沈んだ故郷』連合出版

■津波や津波防災について知りたい⑤片田敏孝(監修)『3.11がおしえてくれた防災の本②津波』かもがわ出版⑥Yahoo!きっず&POKEMON with YOUの「防災について考えよう」   URL http://event.kids.yahoo.co.jp/bousai/

■釜石の奇跡から「避難三原則」を学びたい⑦片田敏孝『みんなを守るいのちの授業〜大つなみと釜石の子どもたち』NHK出版⑧片田敏孝『子どもたちに「生き抜く力」を〜釜石の事例に学ぶ津波防災教育』フレーベル館⑨釜石市『津波防災教育のための手引き』   URL http://dsel.ce.gunma-u.ac.jp/kamaishi_tool/

■災害時の心理について知りたい⑩広瀬弘忠・中嶋励子 『災害そのとき人は何を思うのか』KKベストセラーズ

■津波から生還した方の体験や被災地について知りたい⑪三陸河北新報社「石巻かほく」編集局(編)   『津波からの生還〜東日本大震災・石巻地方100人の証言』旬報社 ⑫吉本浩二『さんてつ: 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録 』[コミック]新潮社⑬ひうらさとる・上田倫子・うめ 他『ストーリー 311』[コミック]講談社⑭西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』ダイヤモンド社 ⑮西條剛央・ふんばろう東日本支援プロジェクトおたより班   『〜被災地からの手紙 被災地への手紙〜 忘れない。』大和書房⑯大川きぼうプロジェクト 〜大川地区のみなさんを応援します〜    URL http://wallpaper.fumbaro.org/ookawakibou/

■南海トラフ巨大地震について知りたい⑰内閣府 防災情報のページ 「南海トラフ巨大地震対策」   URL http://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/

西條 剛央 (さいじょう たけお)早稲田大学大学院(MBA)専任講師を経て、現在同大学院客員准教授。一般社団法人ふんばろう支援基金代表理事、スマートサバイバープロジェクト代表、本質行動学アカデメイア代表。仙台出身。博士(人間科学)。専門は心理学や(科学)哲学で「構造構成主義」というメタ理論を体系化。東日本大震災で親戚を亡くし、現地の惨状を目の当たりにしたことをきっかけに「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、2014年9月末の発展的解消まで代表を務めた。「質的研究法」の専門家でもあり、早稲田大学の研究チームを立ち上げ、独自に体系化したSCQRMという研究手法を用いて「大川小学校の悲劇はなぜ起きたのか」を明らかにした。また、塾長である達増岩手県知事の要請により「いわて復興塾」の講師もつとめる。著書に『構造構成主義とは何か』(北大路書房)、

『質的研究とは何か』(新曜社)、『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)など多数。

ふんばろう東日本支援プロジェクト東日本大震災を機に2011年4月から活動開始。TwitterとWEBサイトを連動させ、必要な人に必要な物を必要なだけ届ける画期的な仕組みによって、3千箇所以上の避難所、仮設住宅、個人避難宅エリアを対象に3万5千回以上の支援を実現。また、赤十字から支援が受けられない個人避難宅に家電を贈る「家電プロジェクト」、被災者の自立を支援する「重機免許取得プロジェクト」など20以上のプロジェクトを立ち上げ、復興支援のため活動してきました。そして2014年、Prix Ars Electronica(アルスエレクトロニカ賞)という世界で最も歴史あるデジタルメディアの国際コンペティションのコミュニティ部門でゴールデン・ニカ(最優秀賞)を日本で初受賞。過去、革新的なネットコミュニティとして同賞を受賞したWWW(World Wide Web)やWikipedia、WikiLeaksに並び、市民による市民のための新たな自治モデルとして高く評価されました。現在は、ふんばろう東日本支援プロジェクトから生まれた独立団体と、一般社団法人ふんばろう支援基金として活動を継続しています。一般社団法人ふんばろう支援基金 http://fumbaro.org

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津波から命を守るために 大川小学校の教訓に学ぶQ&A2013年6月1日 初版発行/ 2015年2月28日 第六版発行著者 西條剛央編集・発行 スマートサバイバープロジェクト       〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-9 早稲田大学66号館 903号室       一般社団法人ふんばろう支援基金 内      問い合わせ:[email protected]

協賛● 株式会社スタートトゥデイ/株式会社トヨタレンタリース栃木イラスト ●斉藤みお  デザイン●三富とくほ  校正・校閲 ●長尾みさこ/柴崎朋実