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論文

I. ビッグ・データ環境下における消費者行動

 デモグラフィック特性に基づきセグメンテーションを行った結果,20歳から34歳までの女性をターゲットとし,競合との差別化を行うべく,ターゲットが視聴するテレビ番組のスポットを中心に1000GRP出稿し,新聞広告に加え,ターゲットが接触しそうな雑誌広告と交通広告に出稿し,当初2週間の間に,新製品認知率を70%まで高め,試用率10%を目標とする,というマーケティング計画は,決して旧いものではなく,今でも企画されることもあるのではないだろうか。Kotler and Keller (2011)は,セグメンテーションの有効性に関する評価基準として,測定可能性,実質性,接近可能性,差別性,そして行動可能性をあげている。スマートフォ

ンやタブレットなどの今日のメディアの発展と普及を考慮すると,測定可能性や接近可能性に関する困難性の程度は,減少していると言えよう。この環境下では,デモグラフィック特性などの従来活用されてきたセグメンテーション変数やターゲット特性とは異なる視点が,重要となってきているのではないだろうか。 メディアに関しても,同じことが指摘できる。図−1は,ISPと呼ばれるインターネット・サービス・プロバイダ,IDCと呼ばれるインターネット・データ・センターから構成されるインターネット・エクスチェンジ(IX)の内,国内で主要IXに関するトラヒックのピーク値ならびに,FTTHなどの国内ブロードバンド契約者がダウンロードしたトラヒック総量についての,1997年から2013年までの時系列変化を示したものである。2004年以降,指数分布的にトラヒッ

要約 ビッグ・データは,ICT におけるインフラの発展を前段階とし,そのインフラ発展をベースとした多様なデバイスやプラットフォームの発展により進展した。 本稿では,デバイスやプラットフォームのメディア性を理解する重要性を指摘しつつ,ビッグデータ環境下でのマーケティング戦略と消費者行動について,多くの可能性について論じつつ,マーケティング戦略課題に適切なビッグ・データを活用すべき点,一様にデータを扱うのではなく態度データと行動データを区別して活用すべき点,価格弾力性への影響,メディアの内部化と広告と広報の融合,冗長性を除去することの重要性など,7つの留意点についてふれる。

キーワードビッグ・データ,マーケティング戦略,消費者行動,デバイス,プラットフォーム,メディア性

ビッグ・データ環境下におけるマーケティング戦略と消費者行動

慶應義塾大学大学院 経営管理研究科 教授

井上 哲浩

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ク総量が増加していることがわかる。これは,動画などにより情報量そのものが増加したこともあるが,加えて,インターネットに接続するツール,デバイス,メディアが増加したことも大きな要因である。つまり,新聞,テレビ,ラジオ,雑誌,交通,屋外などの従来からのメディアも重要であるが,スマートフォンやタブレットなどのパーソナルなメディアを考慮の重要性は,増大していることは疑いない。 消費財にせよ,産業材にせよ,顧客が製品やサービスを購入する一連の意思決定過程は,それらを取得することで解決されうる問題の認識から始まる。つぎに,製品やサービスに関連する情報を探索し,代替案を評価し,ある製品や

サービスを選択する。さらに意思決定過程は継続され,その選択後の評価を行い,今後の意思決定過程へとその評価結果がフィードバックされる。 2000年以降のデバイスやメディアの進展による情報流の増加は,意思決定過程のすべての段階に影響を与えてきた。豊かな情報により,今まで認識しなかった問題を認識するようになったり,逆に今まで認識していた問題を認識しなくなったりという変化が起こっている。海外旅行の目的が多様化し,興味のあるテーマの旅行パックを詳細に検討する傾向や,ICタグによって容易に産地を確認できるようになり,逆に産地を気にしなくなった傾向も観察されて

2000

1500

1000

500

1997 1997 1998 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013

IX

Gbps

図 —— 1 国内トラヒック量の時系列変化

総務省資料に基づき,筆者作成

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いる。我々は,多くのメディアやプラットフォームにアクセスし,豊かな情報を収集し,より豊かに代替案を評価するようになった。選択する場も,店頭に加えて,多数の時間的地理的制約のないECサイトと拡大してきた。個人のブログやSNSサイトにおいて,使用後の評価に関する情報を発信することで,自身のみならず他者の意思決定過程にも影響を与えるようになった。 図−1が示すように,豊かな情報流によって意思決定過程は変化してきたが,常に豊かで好ましい方向で変化してきたとは限らない。20年前,10年前と比較して,各種情報源から得られる情報を検討する程度は,深く広くなったというより,浅く狭くなってきていないだろうか?また記憶に残している情報量は,多くなったというより,少なくなってきていないだろうか?情報量の急激な増幅に我々は対応できておらず,情報過負荷が発生し,我々の情報処理量は,情報当たり希薄になっている点は否めない。今日のマーケティング戦略は,この情報過負荷に対応して構築されなければならない。 「テレビをテレビで見る」という表現は,数年前であれば,「何を当然のことを言っているのか」と叱咤されたかもしれない。しかし今や,スマートフォンでテレビを見ることも,タブレットでテレビを見ることも,PCでテレビを見ることもある。新聞や雑誌も同様であり,

「新聞を新聞で読む」こともあったり,「雑誌を雑誌で読む」こともあったり,それらを他のデバイスで読むこともある。つまり,メディアとデバイスが同じだった時代から,メディアとデバイスが異なる時代が,ビッグ・データの時代の一つの特徴である。

 メディアにビッグ・データが取り上げられることが,ここ数年間で急速に増えてきた。ビッグ・データそのものを管理するのは情報システム系の部署であるにもかかわらず,もちろん,クラウド・アーキテクチュアなど情報システム系の議論が無いわけではないが,ビッグ・データに絡んで注目を集めるのはマーケティングに関するものが多い。そこには,新たなマーケティングへの期待があるのではなかろうか。そして同時に,マーケティング・モデリングにおいて留意すべき新たな側面の存在しているのではなかろうか。 本稿では,ビッグ・データ環境下におけるマーケティング戦略と消費者行動について,過去の拙稿を拡張しつつ,多くの可能性について論じてみたい(cf. 井上 2014a; 井上2014b)。ただ楽観視するのではなく,歴史的見地から大局的に変遷を把握するべきである点を,まず強調したい。つまり,ビッグ・データは,ここ数年で産出されたものではなく,ICTにおけるインフラの発展を前段階とし,そのインフラ発展をベースとした昨今の多様なデバイスやプラットフォームの発展がもたらしたところが大である。したがって,現行のベースやプラットフォームのメディア性を理解しなければ,ビッグ・データ時代のマーケティング戦略は有効ではなかろう。 またビッグ・データは多様であり,ソーシャル・データ,通信や放送データ,移動に関する交通データ,取引データ,エネルギー消費関連データなどのビッグ・データを包括的に把握し,マーケティング戦略構築に活用することが重要である。そして,ビッグ・データをそのまま活用せずに,行動データか態度データか,どのメ

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ディア性を有したデータか,などを検討し,冗長性を除去した上で,データ源としてのメディアやデバイスを,一様にではなく,個別に識別して,分析しつつ,ビッグ・データの一部を活用することが,マーケティング戦略の構築において留意すべきである。つまり,ビッグ・データ環境下でのマーケティング戦略構築は,情報流の活用が鍵である。 

II. 今日のビッグ・データ時代までの変遷

 ビッグ・データと聴いて,ソーシャル・データを連想される読者もいらっしゃるかもしれないが,ソーシャル・データは,ビッグ・データの一部である。ソーシャルネットワーク,ソーシャルゲーム,ソーシャルメディアなど,ソーシャルxxxと呼ばれるものが注目されていることが,おそらくその一因であろう。世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であるFacebookの開設は2008年5月であり,日本のSNSの代表であるMixiは,それ以前の2004年3月に既に開設されている。またクックパッドは,2014年4月の実績で(https://info.cookpad.com/outline_of_service),のべ月間利用者数:4,404万人 (PC1,573万人,スマートフォン2,678万人,フィーチャーフォン107万人)を記録し,171万品を超えるレシピ数,130万人を超えるプレミアム会員が利用しているが,その開設は20世紀である1999年11月である。Mixiが最近ビジネスモデル転換を図っていることは新聞などのメディアで見ることができるが,クックパッドは10年以上も注目を集め成長を続けており,その成功要因は,インフラやデバイスなどへの柔軟な対応であると考

えることができる。ビッグ・データのマーケティング適用を検討する際に,インフラやデバイスなどの発展の歴史を理解することは重要である。ICT(Information and Commuication Technology,情報通信技術)の発展を簡単に述べよう(図−2)。

ビッグ・データの礎としてのインフラの発展 インターネットは,情報通信のネットワークである。ブラウザーを用いてヴァーチャル空間を回遊する行為を「インターネット」と言うこともあるが,本来,インターネットは情報通信インフラである。 インターネットは,1969年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード大学間でARPAネットをベースに稼動したことに端を発する。日本におけるインターネットの歴史を語る際,ニフティ株式会社(1986年当時,エヌ・アイ・エフ株式会社)のフォーラムを忘れてはならない。1980年代,パソコン通信と呼ばれるテキストをベースとしたコミュニケーションが行われていたコミュニティが存在しており,その時代に圧倒的なマーケットシェアを保有していたのがニフティフォーラムである。他方メインフレームコンピュータのネットワークとして,JUNETと呼ばれる大学間で接続されていたネットワークも1980年代半ばには存在していた。JUNETはまず,東京大学,東京工業大学,そして慶應義塾大学間でネットワークが構築され接続され,その後,全国の大学へと展開されていった。 特定のユーザーに限定された研究機関間のネットワークからより一般的なユーザーが参加可能となったインターネットの第一ブレイクは,1994,5年頃であり,ウィンドウズ95とい

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うパソコンのオペレーティング・ソフトが発売された時期と考えることができる。それまでのMS-DOSやPC-DOSというテキスト・コマンド・ベースのOS(Operating Soft,基本ソフト)から,ユーザービリティの優れたGUIのOSへと変わったのみならず,ネットワーク接続を容易とさせるOSになったのが大きな要因であった。 第二のブレイクは,1997,8年のインターネット・ブームである。ネットバブルとも呼ばれたこの当時,電子商取引やITベンチャーなどのドット・コム企業と称される企業が多数登場した。それまでアメリカにおいては,クリスマス・シーズンの数週間前にショッピング・リストを持って百貨店に買い物に行っていたスタイルから,家庭で電子商取引サイトからクリックしてクリスマス・ギフトを決め発注するというスタイルに変わった。これはeクリスマスと呼ばれ

た現象であり,今日のECの端緒的な現象である。 そして第三のブレイクは,2001年頃から始まったブロードバンドの普及である。ADSLを主としたブロードバンドと呼ばれる高速通信網の普及である。従来のモデム接続の場合は接続時間をベースとした従量課金制であったが,ブロードバンド接続になり,何時間接続しても一定という月額固定制へと料金体系が移行した。その結果,ユーザーは24時間インターネットに常時接続するようになった。これらの高速通信と常時接続という二大特性は,それまでのインターネットの活用方法を大きく変化させ,情報,通信,放送,商業などの融合を加速することになる。高速通信によりTV番組や映画や動画などの容量の豊かなコンテンツをインターネットを介して視聴することができるようになり,JAVAやFlashなどを用いて豊かに表現さ

70 80 90 00 10

ARPANET JUNET WWW ASP Cloud

Dial Up ISDN ADSL FTTH Wi-Fi LTE

VMS UNIX Windows iOSAndroid

PC PDATablet

Yahoo! Google FacebookMixi Twitter

図 —— 2 ICTの発展

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れ実物と変わらない,また自由に色や形を変更しシミュレーションできる製品やサービスのサイトなど,インターネット上のコンテンツは日々発展している。そしてこの発展は,FTTH

(Fiber To The Home)と呼ばれるADSLより高速の光ファイバー接続が2005年頃から普及し,さらに加速されている。 デバイス,プラットフォームなどの発展によるビッグ・データの到来 ここまでのブレイクは,インターネットにおける情報インフラの発展とまとめることができる。ところが,2005,6年頃からの第四のブレイクでは,インフラではなくプラットフォームそしてデバイスの発展がその主たる動因となってきた。 まずデバイスとして,従来はPCを中心としていたが,新たにスマートフォンやタブレットが利用されるようになってきた。RIM社のBlack Berryは90年代末には既に北米で販売されていたが,OfficeやPDF閲読機能などを備えたスマートフォンとして2000年代に販売されてからは,主たるデバイスとしてしばらく君臨することとなった。その後2007年に,Apple社からiPhoneが発売され,そしてiPhoneのOSであるiOSの競合としてGoogle社からAndroidが発表されAndroidをOSとするスマートフォンが各社から販売されるようになり,タブレット(多機能携帯端末)の参入,そして最近のWindows8 を OS と す る Ultrabook も 加 わ り,デバイスの発展はICT環境を一変させた。2014年1月10日付の日本経済新聞は,米調査会社のIDCの発表に基づき,パソコンからスマートフォンやタブレットへの主役の交代を示唆して

いる。すなわち,2013年のパソコンの世界出荷台数は前年比10.0%減の3億1455万4000台となり,2年連続の前年割れを記録した。アップル社もマイクロソフト社も,それぞれ新型タブレットを発売し,スマートフォンやタブレットが主たるデバイスとして,しばらく存在することが予測される。 デバイスの発展によるICT環境の変化の大きなものは,プラットフォームの変化であろう。PCのみが主たるデバイスの際には,Windowsを OS とし,Yahoo! や Google で検索し,ホームページやBlogなどで情報を公開していたが,スマートフォンでFacebookにアクセスし,情報を取得し更新したり,タブレットでTwitterにLoginし,情報を発信する,というスタイルは,もはや特別なものではなくなってきている。 この直前の2つの段落で記述していることが,ソーシャル・データがビッグ・データ化していることを物語っている。端的にいえば,インフラの発展の上に立つ,OS,デバイス,プラットフォーム,アプリ,ソフトウェアの発展が,ソーシャル・データのビッグ・データ化を出現させたと言える。もちろんWiFiやLTEなどの無線通信インフラの発展も,なおざりにしてはいけない。したがって,単にビッグ・データという現象やソーシャル・データの台頭という現象に注目するだけでは,これからの更なるビッグ・データ化に対応できず困惑するだけという事態におちいってしまう可能性を否定できない。精緻な歴史観的分析を行い,インフラ,通信,OS,デバイス,プラットフォーム,アプリなどを構造的に整理し把握することが,マーケターに本源的に必要とされている。 加えて,デバイスやプラットフォームを精

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査して,現行のメディア性を理解することも,マーケターに本源的に必要とされていることである。その理由として,第1に,2005,6年頃からの第四のブレイクでは,インフラではなくプラットフォームそしてデバイスの発展がその主たる動因となってきているからである。したがって,デバイスやプラットフォームを理解することが必須である。そしてその理解は,単に技術的に理解することのみならず,マーケティングの視点からも理解することも必須である。情報システムとして活用するのであれば,技術的理解で十分かもしれない。しかしマーケティング戦略の視点から活用するのであれば,CRMにせよコミュニケーション戦略にせよ,メッセージの伝達が伴うため,まさにデバイスやプラットフォームが意味するメディア性を理解することが重要となる。 第2の理由は,「テレビをテレビで見る」「新聞を新聞で読む」,「雑誌を雑誌で読む」ことが,当たり前ではないからである。冒頭で述べたように,メディアとデバイスが同じだった時代から,メディアとデバイスが異なる時代となっており,デバイスがメディア化している時代となっているからである。プラットフォームとしてのFacebookは,特にメッセージを介するコミュニケーションの様相においては,メディアとしてマーケターは認識すべきである。Twitterも同様である。デバイスもプラットフォームもメディア化している点が,ビッグ・データの時代の一つの特徴である。 

III. ビッグ・データ環境下におけるマーケティング戦略

 本節では,上述のビッグ・データの多様性に関して述べたい。すなわち第1に,ビッグ・データとは,第一想起であるソーシャル・データのみならず,多様なデータを包含するという多様性に関して述べ,第2に,多様なビッグ・データの活用は様々な業界によって多様に活用されているという多様性について述べ,そして次節で,多様であるがゆえにマーケターは,ビッグ・データをマーケティング問題に適用する際,いくつかの側面に留意し,顧客行動に与える影響などを勘案して,マーケティング戦略を構築しなければならない,という点へとつなげたい。 ビッグ・データが,最初に活用された業界はインターネット関連業界であると言える(図−3)。さまざまなWeb系コンサルやサービス業によりクライアント企業にビッグ・データを活用したマーケティング・サービスが適用されている。ホームページなどへのアクセス分析や最大負荷対応分析,Emailなどの最適配信計画分析,SNSやTwitterなどの発言に基づく自社あるいは当該ブランドへの態度分析などは,最たる例であろう。 購入実態,新製品開発,顧客満足などの調査を行うマーケティング・リサーチは,マーケティング戦略構築において重要な役割を担っている。90年代中頃に出現したネットを介したリサーチは,96から98年にかけて,コンピュータ・ベースの調査ソフトや調査パネル群が多数出現したことから数年間で急成長を遂げた。 00年代前半のある調査によれば,ネット調

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査の市場規模は100億円程度と推定されていたが,2012年度の日本マーケティング・リサーチ協会資料によれば,全体として約1800億円の業界規模の内,パネル調査の約600億円を除く約1150億円規模のアドホック調査の中で,ネット調査は約525億を占め,訪問や郵送などの既存手法調査の約625億円という業界規模にほぼ匹敵するまで成長してきた。 その成長は順風満帆ではなく,当初は特にサンプリング・バイアスの視点から批判されていた。当初のネット調査は,パソコンにより通信を介して行うことが主流であったため,パソコンを保有者や,従量制でなく固定制での通信接続契約者などに,ネット調査対象者は限定される傾向にあった。これらの傾向は当時まだ一般的とは言えず,ネット調査対象者は,本源的に,情報収集志向が高い,情報発信成功が高い,

ICT知識水準が高い,などのバイアスがあると批判されていた。 しかし近年のメディアやデバイスの普及により,これらのバイアス批判より,ネット調査の利点の方が注目を集めるようになった。既存手法調査と比べ,調査者の時間的制約は少なく,調査票に豊かな表現を用いることができ,時には音声や動画なども活用でき,コストが少なく,データ化が容易で,一度調査設計すればシステム化が容易であるなどを利点としてあげることができる。 インターネット関連業界でのビッグ・データの活用は早期であったが,この業界で活用されているデータの多くはソーシャル・データであり,ソーシャル・データはビッグ・データの一部である点に留意すると,むしろ活用可能性は他の業界の方が高いと考えられる。ソーシャル・

Email

図 —— 3 ビッグ・データのマーケティング適用

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データ以外のビッグ・データベースには,鉄道・車・航空・船舶などによる移動などの交通データ,電子マネーをベースとする取引データ,電子マネーではなく会員制カードやクレジットカードそして取引インフラなどをベースとした取引データ,気象など環境に関するデータ,TVに加えてスマートフォンやタブレットなどを介した通信や放送に関するデータ,スマート・メータの普及により期待されるエネルギー消費関連データなどがあげられる。 ソーシャル・データ,交通データ,取引データ,環境データ,通信データ,エネルギーデータなどを活用する業界は多岐にわたっている。資本規模の大きい分野において,エネルギー分野では,消費構造や消費量予測分析が,エネルギーデータに加えて,移動や環境データなどとともに分析されマーケティングに活用され,また公共分野でも,移動や環境データ,そして取引データが統合的に用いられて,気象や地震データ分析,交通量や渋滞そして事故防止分析などに活用されている。 製造業も,ビッグ・データを活用業界として例外ではなく,むしろ活用することによるマーケティング効果は非常に大きいと考えられる。識別が困難な不良や仕損の原因を特定化するために自社内のデータに加えて,RFIDなどの取引インフラを介しての調達や取引データを加味することで,より精度の高い品質分析を行うことができ,また売上や在庫などの予測分析にも活用することができる。 従来自社内データを主として活用してきた流通業においても,他の取引データや環境データ,さらには通信データを総合的に活用することで,顧客のロイヤルティ分析やプロモーショ

ンなどのマーケティング効果分析をより効果的に行うことができる可能性がある。 分析的なことがあまりなされてこなかったイメージのある放送業においても,ソーシャル・データや取引データ,そして環境データを連結し分析することで,視聴率分析に加え,理解・興味などの視聴質分析,脚本家やキャストなどのコンテンツ分析などを行い,より視聴者や広告主の希望に応える放送を行うことができるであろう。通信業でも同様であり,多面的ビッグ・データを活用することで,より精緻なログ解析やネットワーク解析,通信ピーク分析を行い,より良い通信サービスを提供することが可能になる。 最後に,金融業もビッグ・データを活用することで,マーケティング成長するチャンスがある。従来行われてきた取引データをベースとしたリスク分析に,消費などの取引データや交通データを勘案するとより精度の高いリスク分析が可能となり,潜在顧客の規模が増大する可能性がある。 

IV. ビッグ・データ環境下におけるマーケティング戦略構築上の留意点

 非常に多くの可能性をマーケティング戦略の構築に与えてくれることが期待されるビッグ・データであるが,素朴に活用する危惧に鑑み,マーケティング戦略を構築する際に留意すべき点を7つ述べておきたい。 第1に,ビッグ・データを活用すれば,新たなマーケティング戦略への示唆が生まれる,という考えに警鐘を鳴らしたい。大切なことは,マーケティング戦略課題を明らかにし,その

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マーケティング戦略課題に適切なビッグ・データを活用しなければならない,という点である。あるブランドに対してより好ましい態度を形成することが,マーケティング戦略課題であるとしよう。自社でブランド調査を行うというのが従来のマーケティングであったとして,新たにビッグ・データを活用するならば,ソーシャル・データを活用してBlogやFacebookで態度や意見を収集することは有用であろう。加えて,取引データも勘案し,地域や性別年齢などのターゲット毎の差を明らかにしたうえで,改めてソーシャル・データを活用すれば,さらに深遠な示唆をブランド戦略に関して得ることができるのではなかろうか。全てのビッグ・データを活用するのではなく,マーケティング課題に適切なビッグ・データを識別し,適切に分析することが重要であろう。 第2の留意点は,20年ぐらいさかのぼったデータマイニングが注目された頃の教訓である,GIGO で あ る。GIGO と は,Garbage In Garbage Outの略で,ごみからはごみしか出てこない,という意味である。ビッグ・データがマーケティングに与える可能性は相当であろう。しかしながら,全てのビッグ・データに価値があるとは思えない。ここ数年,注目を集めているDMP(Data Management Platform)に関しても,競合があるDMPからデータを購入したので焦ってDMP契約をしDataを購入する,というマネージャもいないとはいえない。ビッグ・データを保有することを目的とせず,ビッグ・データ環境下で,マーケティング意思決定に価値あるデータを準備することが重要であろう。 第3の留意点は,行動データと態度データを

区別して活用すべきである,という点である。下記で示されるAjzen and Fishbein (1980)行動意図モデルは, 行動~行動意図=w1×態度+w2×主観的規範  と表わされ,行動は行動意図に従い,その行動意図は,製品やサービスの諸属性の組合せから構築される態度と,友人や家族などの準拠集団の影響を示す主観的規範のウェイト(w1,w2)により特定化されることを意味している。

ビッグ・データのデータベースを,ソーシャル,交通などの現象で類型化することもできるが,取引や通信といった行動に関するデータとソーシャル・データに代表される態度に関するデータに類型化することもできる。行動は行動意図に従う,ということは,行動と行動意図には乖離があることも含意しており,行動データと態度データを同じレベルで分析することはやや乱暴である。ある業界では,態度形成が十分になされず店頭やサイトで即座に意思決定されブランド選択される場合がある。このような業界では,態度データから構成されることが多いソーシャル・データを用いるより,ビッグ・データにおける行動データに注目し,マーケティング戦略を構築する方が,有用であろう。 第4の留意点は,価格弾力性への影響である。価格に関する意思決定は,売上そして利益を大きく左右するという理由から,マーケティング戦略において特に重要な側面の一つである。顧客の価格に対する感度を示すものとして,価格弾力性がある。価格に対する感度が高ければ弾力性は高く,感度が低くければ弾力性は低くなる。豊かな情報流により,価格弾力性は高くなっ

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てきた。 機能に関して同質的製品であっても,情報の入手が困難な状況では,入手情報量が差別化の側面として機能し,価格弾力性が低下することがある。顧客がこだわりをあまり感じない製品の場合,入手情報が少ない製品は不確実性が高まり,低価格でなければ購入されにくいという価格弾力性が高い状況となりえるが,逆に情報が多い製品は価格が高くても購入されえる価格弾力性が低い状況となる。すなわち,後者が,広告が効くケースである。 しかしメディアやデバイスが普及することで情報の入手が容易となったため,同質的製品間では価格競争が高くなり,価格弾力性は非常に高い状況となっている。家電製品を例にとると,A社のBという冷蔵庫はC店でもD店でも同質的であり,顧客は価格の安い方の店舗で購入するであろう。価格.comというサイトでは,家電製品のみならず家具や引越しなど幅広いカテゴリにおいて,ECサイト間での価格比較ができ,最低価格のECサイトを識別することができる。したがって,小売時点での価格弾力性が上昇することで,小売に出荷する卸そして製造業者時点でも価格弾力性が上昇し,社会全体で低価格が進展する一つの要因となっているともいえる。昨日述べた,マーケティング・リサーチ業界での一つの大きな問題は,まさに売上としての調査費の低下である。 またカード型にせよネットワーク型にせよ,デバイスとしての電子マネーの普及も価格弾力性に影響を与えている。JR東日本が提供しているSUICAは鉄道利用が本来であったが,近年では,タクシーやコンビニでも利用することができる。筆者にとってタクシーは贅沢な交通

手段であったが,SUICAで支払えるようになり,鉄道のような身近な交通手段へと認知枠組みが変化した。少々高くても利用する価格弾力性が低い交通手段へと,タクシーは変容したのである。 第5の留意点は,デバイスやプラットフォームなどの進展によりビッグ・データが発展したため,デバイスやプラットフォームの識別を行った上でビッグ・データの分析をすべきである,という点である。例えば,ソーシャル・データのFacebookを例にとると,スマートフォンでアクセスしFacebookというプラットフォーム上で表現する場合と,PCでアクセスし表現する場合に,コンテンツの精度や中心性は同じであろうか?おそらく,前者の場合は単なる表現であることが多く,後者の場合はやや推敲された精度の高い表現であると考えられることが多いのではないだろうか。そうであれば,デバイスを識別し,そのメディア性を理解したうえで,より適切なビッグ・データ分析し,マーケティング戦略を構築するべきであろう。 第6の留意点は,この第5の留意点をさらに拡張した,メディアの内部化そして広告と広報の融合に関する点である。新聞,テレビ,雑誌,ラジオは,マスメディアとよばれ,マーケティングにおけるコミュニケーション戦略において,伝達したいメッセージを表現し掲載する媒体として重要な役割を担ってきた。企業の宣伝部が,広告代理店を通じて,広告制作会社やこれらマスメディア企業に広告を出稿してきた。 しかしICTの進展により,ネット上に新たなメディアが出現してきた。今日,ほとんどの企業が自社あるいは個別の製品やブランドのホームページを有している。これらのサイトは,メ

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ディア企業ではなく各企業が有するメディアであり,直接管理し直接メッセージを表現し掲載することができるメディアである。90年代は広報的にこれらのサイトを運営していたが,00年以降は個別製品やブランドに関する広告として,明確なマーケティング目的やキャンペーン目的により運営されるようになってきた。 さらに自社会員サイトが00年以降,運営されるようになり,企業が顧客と直接接触できる場を企業が有するようになってきた。会員サイトでは,広告的でありかつ広報的な関係性を重視した活用が行われる場合が多くみられる。新製品や特別キャンペーンに関する情報を直接顧客に発信し,お得意様感の意識を醸成する試みがなされたりしている。 また各社が運営する会員サイト以外に,Facebookなど会員サイトを運営する企業のプラットフォームに自社ブランドの公式サイトを立ち上げ,会員である顧客と直接接触する場合もある。あるいは自社会員サイトとして立ち上

げたが,会員数が非常に多くなり,マスメディアとして機能しうるようになり,他社がメディアとして利用することをベースとした事業へと発展したサイトもある。日本コカ・コーラ社が運営するコカ・コーラパークは,12年1月時点で,約1100万人の会員から構成され,三ヶ月間で10億ページビューをパソコンならびに携帯で記録している。 この各企業によるメディアの内部化そして広告と広報の融合は,ICT進展が産出した大きな傾向である。 最後の留意点として,冗長性の除去の必要性を述べたい。図−4は,1990年代中ごろ,WWW(World Wide Web)のネットワーク構造と信頼性が議論されていた頃,よく見られた概念図である。図−4の左から順に「中心化」「非中心化」「分布化」のネットワーク構造を示しており,右に行くほど冗長性は高くなる。しかし冗長性は非効率な側面を有しつつも,信頼性が高いことを含意している。中心化されたネッ

図 —— 4 ネットワークの冗長性と信頼性

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トワーク構造では,中心のハブが機能しなくなれば,ネットワーク機能全体が働かなくなる。非中心化されたネットワーク構造でも同様であるが,他のハブに関して機能しなくなっても,ネットワークは一部機能不全となるが機能するネットワークも存在する。そして分布化されたネットワーク構造では,すべてのネットワーク構造が機能不全になるのは,すべてのハブが機能不全になる場合のみであり,ネットワークが機能する信頼性は非常に高いことが含意される。 ここで留意すべきは,ネットワーク構造における冗長性の信頼性に関する重要性である。ソーシャル・データは,冗長性が非常に高いデータである。コンテンツに関しても,ツール構造に関しても,簡単に相互リンクができたり,フォローすることができるからであろう。このデータにおける冗長性は,ネットワーク構造における冗長性と全く異なり,信頼性にほとんど寄与しないばかりか,ソーシャル・データをそのまま用いれば,冗長性のバイアスが影響し,冗長性が高いデータに有利な結果となり,信頼性も低く,妥当性も低い分析結果を産出することになる。ソーシャル・データが本源的に保有する冗長性を除去することなく分析することは,誤ったマーケティング戦略構築を導きかねない。 

V. 総括

 ビッグ・データが注目を集めるようになって,数年が経過している。ビッグ・データは,ここ数年で産出されたものではなく,ICTにおけるインフラの発展を前段階とし,そのインフラ

発展をベースとした昨今の多様なデバイスやプラットフォームの発展がもたらしたところが大である。したがって,現行のでベースやプラットフォームのメディア性を理解しなければ,ビッグ・データ時代のマーケティング戦略は有効ではなかろう。 またビッグ・データは膨大である。最近注目を集めているビッグ・データをソーシャル・データと理解している読者もいるかもしれないが,ソーシャル・データはビッグ・データの一部であり,PCや多様なデバイスによる通信や放送データ,鉄道や車などの移動に関する交通データ,電子マネーや会員制カードをベースとする取引データ,気象など環境に関するデータ,スマート・メータの普及により期待されるエネルギー消費関連データなどが他に包含される。これらビッグ・データを活用し,Emailの最適配信分析,ブランド態度の分析,売上・在庫予測,プロモーション効果分析,ネットワーク解析,リスク分析などが行われ,マーケティング施策への示唆が導出される。マーケティング問題に適切なデータを識別し,準備し,分析し,マーケティング戦略を構築することが重要である。 またビッグ・データをそのまま活用せずに,行動データか態度データか,どのメディア性を有したデータか,などを検討し,冗長性を除去した上で,ビッグ・データの一部を活用することが,マーケティング・モデリングにおいて留意すべきであろう。そのデータ源としてのメディアやデバイスを,一様にではなく,個別に識別して,分析することが重要であろう。ネット時代のマーケティングは,情報流の活用が鍵である。 

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Japan Marketing Academy

マーケティングジャーナル Vol.34 No.2(2014)http://www.j-mac.or.jp

論文

参考文献Ajzen, M., and I. Fishbein (1980), Understanding Attitudes

and Predicting Social Behavior. Prentice-Hall.井上哲浩 (2014a),「ネット時代のマーケティング」,日

本経済新聞『経営学はいま』,2014 年 1 月 6 日~15 日連載。

井上哲浩 (2014b),「ビッグ・データの時代とマーケティング・モデリング」,『AD STUDIES』,47,24-29。

Kotler, P., and K. Keller (2011), Marketing Management, 14th edition. Prentice-Hall.

井上 哲浩(いのうえ あきひろ) 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 教授

 専門分野:マーケティング論

 1989 年関西学院大学大学院商学研究科博士課程前期

課程修了。

 1996 年カリフォルニア大学ロス・アンゼルス校 Ph.

D. 取得。

 1995 年関西学院大学商学部専任講師,助教授,教授

を経て,2006 年より現職。